2004年〜2005年

2004年

テレビ朝日
これからの新しいご公務のありかた。
皇太子夫妻らしさが出せる公務の像について・・・・
・○○祭や○○式典などの出席を減らす
・公務時間の短縮
を挙げている。(東宮大夫の会見より)

週刊ポスト
宮内庁対外務省
外務省は長年皇室を政治利用してきた。
94年の天皇皇后の訪米では、真珠湾に献花させようとして大反発をくらった。
92年の訪中も、外務省と官邸が無理やり天皇皇后を中国へ行かせたが
戦争責任問題もあり国内で大論争が起きた。
以上のように皇室を政治利用する外務省に宮内庁側は、ご立腹であった。
「皇族を政治利用するとは何だと思っているんだ。皇室への侮辱だ」
その反動から鎌倉節長官から皇族の外国訪問をセーブしだす。
天皇皇后も二年間外国へ行っていない。皇太子夫妻は八年間。
ベルギー訪問も、鎌倉氏は反対した。そして案の定流産の結果が出る。

週刊文春2004年7月1日号
秋篠宮ご夫妻は五月十七日には宇都宮の超音波医学会議に出席され、
二十日には名古屋の東山動物園、二十一日にはランの館を視察、紀子さまにちなんで命名された
カトレアの改良種「プリンセス・キコ」の苗を植えられるなど、公務に追われる日々だ。
「昨年末の湯浅長官の<第三子発言>で公務が減るかと思いきや、逆に増えているくらいです。
おそらく皇太子ご夫妻の分も担当されているのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
中学一年の眞子さまと小学四年の佳子さまのお二人も健やかにご成長のようだ。
「読書をよくなさるんです。眞子さまは一日一冊ペースで読まれているとか。
眞子さまが卒業された後に、初等科の先生たちが宮家にお呼ばれしたんですが、
私は『理想的な成長でしたね』とお話ししました」(学習院初等科科長・斉藤進氏)



テーミス2004年7月号
天皇・皇后は「女帝」を望まれていない
皇太子さまの真意を説明する「文書」が公表されたが、これで問題が解決したわけではない。
皇室・宮内庁関係者の話を総合すると、湯浅長官の「秋篠宮さまに第3子を」発言は
まさに天皇皇后両陛下の意向が隠されていることがわかった。
「雅子さまは妊娠中もタバコをやめなかったんだ」堤治医師
潔斎、おすべらかし、中世から伝わる儀服も、
キャリアウーマン出身の雅子さまにはいまだによく理解できないようだ。
これに対して「プライベートな情報まで漏れていた」ので信用できないと雅子妃

週刊朝日2004年6月25日号
雅子さま「哀しきカゴの鳥」論
「雅子のため」の持ち帰りピザ
天皇家に近い人によれば、ご一家はときおり手作りの大皿料理を持ち寄り、
御所やお子さま方の家に集まってホームパーティーを開くという。
通常は大膳課職員の給仕がつくので、プライベートな会話が聞かれてしまう。
こんなわずらわしさから開放され、水入らずで楽しもうという趣旨だ。
美智子さま、紀宮さまの料理上手は有名だし、秋篠宮妃紀子さまにも日本画や書道で培った繊細な感覚がある。
普通の主婦でさえ頭を悩ます持ち寄りパーティーのメニュー、雅子さまはさぞや考えに考えぬいたことだろう。
30歳代のある「帰国子女」は、雅子さまに同情する。
「たまにはデリバリーのピザが食べたいんじゃないかな」
渡辺みどりさんは、皇太子さまの学友からこんなエピソードを聞いた。
彼が言うには、「イタリア料理店で食べたピザを皇太子さまがお気に召して、
『雅子へのおみやげにテークアウトしたいのですが』っておっしゃたんですよ」

文藝春秋2004年8月号
「毎日出勤する所がある人はいいですねぇ」と、皇太子が電話で知人に言った。
友納尚子
私の取材でも、たとえば、宮内庁の最高幹部のひとりが、外務省OBに伝えた話として
『愛子さまの発育が遅いので雅子妃のご病状がひどくなった』
『愛子さまのことを気に病んで、雅子妃が自らを傷つけるようなことがあった』という噂が、
実際にさまざまな席で語られていた。
また、『愛子さまの発育の問題が、女帝議論の妨げになっている』という話が、
財界のトップクラスの間などでも、なぜかまことしやかに語られているのである

ハロー 河原敏明氏
皇室に連なる人々の中には、
「雅子妃は将来の皇后には適切ではないかもしれない」という見解を私に伝えた人もいます。
この病気が次の5年あるいは10年と続く場合、公の批判は避けられないかもしれません。
したがって、それ以前に皇太子が離婚するのがよいでしょう、と皇室関係の方々は示唆しているのです。

文藝春秋
皇太子の誕生日の映像で、愛子さまの様子が変だったのは、
カメラマンが愛子さまの気を引こうとして緑のカエルの人形を見せたから、
愛子さまが固まってしまって良い映像が撮れなかった。
雅子さまも後で「あれは撮り直すべきでした」とコメントした。

アエラ
宮内庁では、毎年秋に「職員文化祭」が催され、書、絵画、写真、手工芸などの職員の作品が展示される。
長年見ていて気づいたことだが、秋篠宮はアジアの路地裏で出会った、しわだらけの老人、
目を輝かせる子供たちなど「人間」にレンズを向けている。
対照的に皇太子のほうは、山岳などの美しい大自然を写したものが多い。
(中略)
皇太子は公務の見直しを宮内庁と相談したいと述べている。
しかし、何に不満があり何を望んでいるのかがよく伝わらない。
宮内庁幹部も、本人の思いの在りかを探りあぐねている。
中には「丸投げされても・・・」と、当惑を隠さない人もいる。

女性自身2004年11月16日号
雅子さま−笑顔を回復させた主治医の「プライベート・ケア」
主治医が女性から男性(公立昭和病院に勤務していた高江健太郎医師・東大医学部卒・34歳)に代わり、
その医師と「とても相性がいい」

週刊文春
紀宮様と黒田さんのことは やはり皇太子ご夫妻には知らされていなかった。
婚約内定までの秋篠宮ご夫妻の活躍を、天皇皇后両陛下は 高く評価されていて、
紀子様の誕生日会は、その労をねぎらう 意味合いもあって、ことのほか盛大だった。
にもかかわらず、その趣旨は皇太子ご夫妻には伝わっていなくて、
席上において、紀宮様と黒田さんのことは話題にものぼらなかった。

文藝春秋
友納尚子
皇太子ご夫妻は孤立させられている。
紀宮さまご婚約内定を直前まで知らされてなかった。

週刊朝日
天皇陛下は秋篠宮殿下を、皇室の"キーパーソン"として今や、全幅の信頼を寄せていらっしゃる。
健全な家庭を築き、研究の成果も上げていて、幅広い人脈もあり、妹宮を慈しみ、
今回の婚約にも尽力された"人間力"豊かな秋篠宮殿下。
皇族としての自覚も増しているようで、近年は天皇陛下を思いやる発言が多くなった」宮内庁関係者
秋篠宮さまの言ったことは正論。
ご高齢の天皇皇后両陛下が被災者を見舞っている最中、
雅子さまと皇太子さまは御料牧場でご静養している。
その行動をみれば、皇太子さまと雅子さまが国民を慮っている姿勢は一切無い。
そして、静養から帰ったらすぐ19日に雅子さまの祖母が亡くなる。
雅子さまは19日未明に小和田邸を訪れ、20日午前に、皇太子さまと愛子さまを連れて再度訪問。
21日皇太子さまと共に、葬儀に出席。
ご静養〜葬儀の間、皇太子さまの公務日程は空白のままだった。
香淳皇后の一連の葬儀関連行事は「夏ばて」のようなものといった理由で、出席されなかった雅子さま。
今の、雅子様は自分がしたいことを優先しすぎているのではないか

週刊女性 2005年1月1日号
一方、3年遅れで結婚された皇太子ご夫妻には、いっこうにお子さま誕生の兆しがなかった。
お世継ぎ出産の重圧は、次第に雅子さまに大きくのしかかっていった。
「そんなころ皇居での両陛下と秋篠宮ご一家の団らんの場に、たまたま皇太子ご夫妻が
顔をだされることもあったんです。すると、それまでのなごやかな団らんの雰囲気が
一変するんですね。雅子さまは、当然、その変化を敏感にお感じになる。
ご自分を、まるで氷柱のような存在とさえ思い込まれたんじゃないでしょうか。
そんなことで、皇居から皇太子ご夫妻の足が遠のいていったんです」(元・女官)
もちろん、なごやかな団らんの雰囲気が一変するというのは、
美智子さまや秋篠宮ご夫妻の、雅子さまに対する気遣いからだろう。
(中略)
さらに、雅子さまをひとつの不幸な出来事が襲う。
信頼した不妊・受胎治療チームが崩壊してしまったことだ。
原因は、リーダーである堤治・元東大教授が「大学の公金流用」という不祥事を起こしたためである。
「堤・元教授と定月みゆき医師(元・宮内庁病院産婦人科医長、10月異動)。
雅子妃はこのふたりをたいへん信頼されていた。
あの種の治療は心身ともにたいへんなこと。愛子さま誕生はこのふたりの存在が
あったからこそ実現したんです」(別の元・宮内庁関係者)
結局、そんなことから、雅子さまは第2子出産を断念、というより拒否されたのだと。
私は子産みマシーンではない!そんな雅子さまの悲鳴こそが、今回の長期静養=皇室騒動の真の原因だったのだ。

週刊現代2004年12月?日号
結婚前は、東宮職員と皇太子は密に連絡を取り合って関係も良好だったのに、
結婚後は疎遠になり直接にではなく、電話によるやりとりが主。
雅子さまは宮内庁とコミュニケーションをとろうとしない。
その様子も職員には良くわからず、ご夫婦が何を考えていらっしゃるのか、
周囲にとってはまったくつかみどころがない。
「雅子さまは皇室を『自己実現の場』としてとらえている。
皇室というものが自分の目標を実現するため、夢を叶えるためのひとつの手段だと考えてしまうと、
この世界に馴染むことはできない」(宮内庁職員)
「雅子さまは伝統を覆そうとするご意思が強すぎる。伝統を重んじる皇族、
宮内庁には今までにはない行動をとり続ける皇太子夫妻に戸惑いを感じる人が多い」(天皇に近い宮内庁関係者)

2005年
※主に雑誌・TV
日付・月・号数等不明

新年天皇ご一家の写真撮影でのエピソード
ご一家の和やかな雰囲気がなかなか出てこなく、
その後のお食事会も雅子妃と愛子様は出席なさらず、東宮御所に戻られました。
軽井沢では、侍医が交代で待機していたが、お側に呼ばれたことは一度もなかった。
現在は東宮大夫さえも、皇太子を通じてしか雅子妃とコミュニケーションが取れない。
雅子妃が静養している一ヶ月間に皇太子さまは三回、両陛下と夕食をともにしている。

ダカーポ
噂の真相の記者座談会特集
宮内庁では、雅子さまが公務できない状態なのに冬山でスキーするというのは
国民にどう映るかということで大反対していたが、そんな側近の反対もむなしく
皇太子ご夫妻がスキー静養を強行した。
そしてこのスキー静養に両陛下は強い不満を示していた。
最初は医師団の勧めで、と雅子さまのためと言っていたが、反対されたら、
今度は、愛子さまのため、と目的をすりかえ皇太子ご夫妻が計画して実行した。

週刊文春
皇太子の爆弾発言について皇后は嘆き悲しみ、
「昭和天皇から受け継いで守り育ててきたものがガラガラと音を立てて崩れ落ちたような気がしました」
と漏らしていた。キャリア云々の発言についても「私たちは職に就いた事がないので…」と
負い目のように感じているようだ。
陛下の文書回答にも「心が沈む日も…」とあったが、
特に夏ごろはかなり体調が悪く、周りの者がとても心配していた。
御所では毎年年末恒例の餅つき。宮内庁職員と家族のように和むための重要な行事。
秋篠宮家は毎年欠かさず出席だが、皇太子一家は一度も参加したことがなかった。
今回(2004/12/28)初めて皇太子と愛子さまが予告なしに登場。
そして・・・年明け2005/1/6東宮御所でも初めて餅つき実施。
東宮御所での餅つき
「今回は皇太子さまと雅子さまからお話をいただいて、急遽やることになりました。
東宮御所に臼と杵がなかったため、新たに購入したくらいです。」

文藝春秋
友納尚子
雅子妃は東宮御所の警備用のライトが強すぎて嫌い。
高橋紘(静岡福祉大学教授)
「皇族は政治家ではないのだから、ご自分の代に新しい ”目玉”をなどと考えなくてもよい。
先代とまったく同じことを継承しても一向、構わないのである」
「実家の別荘で過ごしたのも、どれだけの警備と経費と人が動いたことか」

週刊ポスト
黒田さんと紀宮様の、ご婚約が内定するまで秋篠宮様と紀子様がたいへん活躍された。
秋篠宮様はバードウォッチングで、赤坂御所に、紀宮様・黒田さん・友人らを呼び集めたりした。
その際、紀子様が人数分のおにぎりとポットに入れた味噌汁を用意して対応する。

週刊文春2005年1月27日号
雅子様は「籠の鳥」か!? ご回復を阻む東宮御所での知られざるご日常
「あー、疲れた」ご成婚からまもない頃、上下トレーナー姿の雅子さまがこう仰って、
自室のベッド上で伸びをされていたこともあったという。
雅子さまにとっては東宮御所の奥にある私室だけがくつろげる空間だった。
その状況はおそらく現在も変わらないだろう。
「(宮中祭祀について)妃殿下は長期静養に入られる前からお出にならないこともありました。
いまでは職員のほうが雅子さまは出られなくても当たり前みたいに思うようになっています」(宮内庁職員)
装束に着替えるのが負担というのが理由。
新年祝賀の儀も欠席理由は、ローブデコルテを着るのが負担だから。
「いつもしていれば身についてしまうものですが、長くお休みになってから再開されたとしても
すぐにおできになるかどうか。」
雅子さまが長い間宮中祭祀を欠席することによって祭祀の細かい部分が
きちんと継承されていかないのではないかという危惧がある。
東宮御所の女官たちも祭祀に関する着付けや細部のしきたりを忘れていく恐れがある。
皇后陛下は今でも祭祀に関しては普段から女官と細かい点についての勉強やしきたりを何度も確認して練習している。
皇族は、歌会始だけではなく、毎月お題があるが、皇后はいつも持ち歩き、構想を練りながら
「こうやって伝統が受け継がれていくと思うのだけれど、これからどうなるのかしらね」と嘆いた。
スキーは、皇太子が同行する予定が出来た時、祈年祭への出席の意思表示がまだだった為、
大事な祭祀よりスキーなのかとの批判があった。

週刊文春2005年2月10日号
外務省北米二課時代の上司や同僚とも久しぶりに再会されている。
1月18日夜、(略)レストランの一室で雅子さまを囲んだのは、佐々江賢一郎氏(元北米二課長)、
上村司氏(元北米二課主席事務官)ら3人の外務省の現役職員である。

雅子さまご日程
1月18日 夜 六本木全日空ホテルレストランで
外務省上司の上村氏、佐々江氏らと食事、歓談
1月25日 皇太子と日本橋三越平山邦夫展
1月26日 愛子さまと運転手付きの公用車で都内をドライブされ、
気晴らしに街の様子をご覧になる
1月27日 外務省中村滋 国際情勢進講
(他の進講は欠席しているが、外務省のものは参加)
2月 1日 ベーカー駐日大使接見
(カンボジア大使とは会わず、アメリカ大使とは会う)
私的会食翌日(1月19日)に行われた皇居宮殿でのザンビア大統領夫妻午餐は欠席
1月26日 本邦駐在カンボジア大使離任のためのご接見(東宮御所) は欠席

週刊現代
雅子妃が久しぶりに明るい笑顔を見せたのは、かつての職場仲間の前だった。
1月18日夜、都内の全日空ホテルで外務省幹部、職員やOBの集まる会食が開かれた。
その会食に、雅子妃が出席したのだ。
「雅子さまはかなり回復されたようで、昔の同僚と楽しそうに話しながら、
始終笑顔でお食事もよく食べていらっしゃいました。
今回の会食を皮切りに、この種の会合などには参加していくおつもりのようです」
'03念冬に体調を崩し、公務を休んで以来、外出する機会があまりなかった雅子妃だが、
この会食には一人で出かけ、途中退席することなく、最後まで昔話に花を咲かせて、
かつての同僚たちをほっとさせたという。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「雅子さまは、年明けから妹さんを訪ねたり、結婚前からの友人と食事をするなど、
皇太子さまとは別行動のお一人でのお出かけを頻繁に行っています。
東宮職は、主治医から『できるだけ私的な外出を増やすように』というアドバイスを受けており、
その一環のようです」
「愛子さま同行は公務復帰のために雅子さんが出した条件ではないか」
御所には毎年恒例で、 皇太子の学習院時代同級生だった友人夫婦が数組訪れることになっている。
去年は雅子さまの引きこもり騒動で中止となったが、今年は例年通り、七組の夫婦が招待された。
子供がいる夫婦は全員子連れで訪れたが、ほとんどの子が学習院の制服を着ていた。
皇太子は終始ご機嫌で、会は盛況だったが、そこに雅子さまと愛子さまの姿は無かった。
2月14日から、奥志賀高原へ皇太子一家でご静養に出かけることも明らかになった。
東宮職員
「皇太子さまは17日に新年祭出席のご公務があるため、16日に帰京なさいますが、
雅子さま、愛子さまは5日間ほど滞在される予定です。」
実はこの奥志賀高原行きは、雅子妃の「最後の静養」になるという。
宮内庁担当記者がこう話す。
「雅子妃は、2月26日に長野県で行われる、知的発達障害者の競技大会
『スペシャルオリンピックス』開会式への出席を予定しています。
もちろん直前まで出席可能がどうかは、雅子妃の体調を考えて調整するそうですが、
14日からのご静養は、公務復帰への助走というところでしょう」

女性セブン2005年4月28日号
4月5日午後6時30分すぎ、小和田邸に不審な男が侵入した。小和田恒氏は現在ハーグに赴任中。
優美子さんは、3月中旬に帰国し、この家で生活をしている。
小和田一家は’71年に帰国、東京・新宿区にまず住まいを持ち、翌’72年、現在の家に転居。
敷地内に優美子さんのご両親が住む江頭邸があった。
時を重ね双子の妹さんが嫁ぎ、雅子さまも皇太子さまと結婚され、恒氏と優美子さんはオランダへ。
雅子さまの祖父母にあたる江頭夫妻が留守を預かることとなった。
ところが祖父・江頭豊氏(97才)、祖母・寿々子さん(’04年死去・享年88)が相次いで体調を崩し、
老親の介護に腐心した小和田夫妻は、苦渋の末に、昨年の秋、両親(江頭夫妻)を
静岡県の介護サービスの整った病院に預ける道を選択した。
だが、それからわずか3週間あまり。 寿々子さんは亡くなった。
「それ以後、小和田邸には誰もいなくなって、愛犬のショコラだけが残されて‥‥。
知り合いのかたが世話をされているようです。外からみるとモダンな建物ですが、
やはり人が住んで風を入れないと、痛みがひどくなるんじゃないですか」(小和田家と親しい近隣の住人)
優美子さんの胸中に、いまひとつの案として浮かんでいるのは、例えば嫁いだ礼子さんが暮らしている
同じマンションに住むことだという。
豊氏は、いま静岡県内の病院で暮らしているが、
「もう、あの家には、誰もいなくなった。目黒の家は、売却したほうがいい」と、周囲に話しているという。
だが、優美子さんとしては、そう簡単に結論を出せない理由がある。「やはり、いちばんの理由は、仮にも
妃殿下の実家を売却ということになれば、ご静養中の雅子さまが戻られる場所もなくなるということでしよう」
(皇室ジャーナリスト)

「愛子さまも一緒に」 皇太子ご一家で行事に参加
宮内庁の林田英樹東宮大夫は21日の定例記者会見で、皇太子家の長女愛子さまについて
「(皇太子、同妃)両殿下のお気持ちで、今後(公的な行事に)ご一緒されることがある。
良い体験をつくっていただきたい」と述べた。
林田氏によると、療養中の雅子さまの本格的な公務復帰に伴って、都内や地方での行事に
両殿下が出席する際、3人で出掛ける機会を設けていきたい、という。関係者に支障のない範囲で、
スポーツ競技の観戦や芸術鑑賞、施設の視察を一緒にする見通し。
愛子さまは今春からの幼稚園入園を見送っている。
(共同通信) - 1月21日18時17分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050121-00000146-kyodo-soci


断片(1995〜2005)

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