幼少〜ご成婚前の雅子さま


素顔の雅子さま  
週刊女性皇室取材班 (編集) 主婦と生活社 (1993/6)
お手伝いの井上さん
雅子さまが公立小学校『パブリックスクール81』に入学したばかりのころ。
小学校でのランチは給食、お弁当、それに帰宅後の食事の3通りの中から選ぶことができたが、
雅子さまはいつもお弁当を持参していた。
「ご飯は召し上がりやすいように、おにぎりにしていましたが、ハシは入れてなかったんです。
日本人はおにぎりを手でつかんで食べますでしょ。
でも、それがアメリカのお友達からきたないといわれたらしく、
それからは”ちゃんとハシを入れてね”と注文があったんです。
ところが、それを私が忘れてしまって・・あのときのマーちゃんには、ずいぶんと怒られました」



週刊女性増刊1993年3月3日号
「皇太子さま貫かれた初恋 佳麗雅子さんとご婚約」
1年間、東京での生活をしたあと、昭和40年9月から外交官である恒さんの赴任先のモスクワへ。
井上さん(※お手伝いさん)の憧れていた海外生活が始まった。雅子さんが1歳9か月のときのこと。
世田谷区にある、6畳、4畳半、台所の簡素な2DKの官舎に、夫妻と、お手伝いさんと、
子供(生後9か月から1歳9か月まで)が一緒に暮らしていたことになる。
6畳または4畳半の部屋には、立派な本棚とソファが置かれていた。


教室での雅子さまは、むしろもっとも中学生らしい中学生だったかもしれない。
「中学3年のときの現代国語の先生は私たちのジョークをよくわかってくださる先生だったので、
みんなでよくいたずらをやりました。
授業が始まる前の黒板に、“現代国語は体育に変更になりました”と書いて、
みんなで窓側のベランダに隠れてしまったんです。
机の上にはちゃんと着替えたように、風呂敷のようなものまで置いて、カムフラージュも完璧なんです。
“先生が私たちを探して体育館まで行っちゃうよ”と笑ったこともあれば、
あらかじめ録音しておいた非常ベルのテープを授業中に鳴らして
“火事だ、火事だ”と大騒ぎをしたこともありました。
そんないたずらのとき、雅子さまはいつも中心にいた記憶があります。
私たちが思いつく“いたずら”は単純なものばかりでしたが、
雅子さまのアイデアは、こんな頭を使った“いたずら”が多かったんですよ」




小和田雅子さん素顔の29年
永井 雄一 (著) データハウス (1993/02)

小学6年生の秋、修学旅行で静岡県の登呂遺跡を見学したことや、
伊豆山荘で朝までクラスメートとおしゃべりした思い出を卒業文集に綴っている。
林間学校では、楽しいエピソードもあった。立ち寄った寺の境内で、
友人たちと座っていた雅子さんのお尻の下に、1匹のハエがまぎれ込んでいた。
そして立ち上がった雅子さんのお尻の下で、そのハエが潰されていた。
「えーっ、これ押し花? 押し虫よね」そうして笑う仲間の笑顔がそこにはあった。
才知とちゃめっ気とやさしさがいっぱいの雅子さんは卒業していった。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


文藝春秋1993年3月号
娘、雅子が決意した日 両親が語る新皇太子妃の素顔 小和田恒・小和田優美子
――小学校の卒業文集には獣医さんになりたい、とお書きになっていますが、
動物がそんなにお好きだったんですか。

恒さん 
ええ。子供の頃から大の動物好きで、ハムスターを飼ったり、
自分のお小遣いを貯めてカメレオンを飼ったり、
昆虫も好きでした。我が家には犬もおりますし、猫もおりましたし。
その頃には我が家は動物だらけという感じでした。

優美子さん 
生物部に入っておりまして、小学校六年生の夏休みにハツカネズミを三匹預かってきたんです。
それを漬物の樽の中に入れておりましたら、まさにネズミ算でどんどん増えまして、
雅子はネズミの生態やお産の様子を観察していたようなんですが、
休みの終わり頃には五十匹くらいになってしまったんです。
その五十匹がある夜、樽を齧って全部脱走してしまいまして、
慌てて保健所に連絡したりで、大騒動でした。
他にもどこか野原から変な雑草を抜いてきて、
家の庭に植えて、するとこの草がイモの一種だったのでしょうか、
長ーい地下茎を庭中に張って、庭のそこらじゅうから草が顔を出して、これも大騒ぎ。
私も余り子供のすることにとやかく言わない方でしたから、
小さい時分はほんとにそんな風で、勉強もあんまりしてなかったようでした。
ただ、「宿題だけは必ずすること。それからできれば、今日お習いしたことに一度は目を通すこと」とは
申していたように思います。


恒さん
雅子にとってとても幸いだったのは、帰国した小学校1年から中学3年の終わりまで、
まるまる9年間ずっと日本で生活することができたことです。
外務省の場合は、おおよそ3,4年で海外に出ることが多いのですが、
たまたま私が外務大臣秘書官や総理大臣秘書官を務めたために、
普通のローテーションよりかなり長く日本にいることができました。
子供として最も基礎的な勉強をするこの時期に、日本のことがきちっと身についたのは
雅子にとってかけがえのないことだったように思います。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


あるブログ
クロとシロの夜 - 2005/9/23
はじめてその店を訪れたのは、大学を卒業して1年目の冬だったと記憶している。
直接はあまりお付き合いがない方だったのだが、ジャズ研の先輩が突然自らの命を絶ち、
お焼香を上げに行ったのち、故人を偲ぶ会をやろう、先輩からの連絡で、
とある平日の夜に集まったのだった。
その店はNero +++ (イタリア語でクロ・シロの意)という名で、30年前から変わらず、
六本木の旧防衛庁前の小さな雑居ビルの2階に店を構えているという。
毎日数軒の飲食店が潰れるという激戦区の六本木でこれだけ長らく店をやってこれた秘訣は、
3階に稲川組という暴力団が本拠を構えていたことではなく、
ひとえに京さんというママの器量によるのだろう。その店には京さんを慕って、
多くの面白い人たちが客として集まっていた。
店内には皇太子妃雅子さまが若い頃に訪れた写真が飾ってあった。
学生時代から通ってたらしく、外交官になってからもよく来ていたそうだ
(当時の彼氏と思われる男性と移った写真も飾ってあった。
さすがに宮内庁も、そこまでは手が回らなかったのだろうか)。
店内には同じく、皇太子と雅子さまと思われる(抽象画なのでよく分からない)肖像画が
飾ってあったが、これは結婚を発表された際に、
自由が丘の小和田邸で報道陣をかいくぐって本人に渡したらしい。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇家のユーモア光文社2000年発行 「女性自身」皇室取材班
優美子さん
「6年生の夏休みにハツカネズミを3匹あずかってきて、それを漬物の樽のなかに入れておりました。
すると、まさにネズミ算でどんどん増えまして、
雅子はネズミの生態やお産の様子を観察していたようなんですが、
休みの終わりごろには50匹ぐらいになってしまったんです。
その後、樽をかじって全部脱走してしまって、あわてて保健所に連絡したりと、大騒動でした。」

雅子さまは小学生のころ、『じゅう医さんになりたい』と作文に書いているほど、
動物が大好きで、自宅でもたくさんの動物を飼っていらした。
体育の先生の家で生まれた子犬を引き取ったり、
おこづかいを貯めてカメレオンを買ってきたり、昆虫も、ネコも…。
6年生のときは生物クラブに入り、ウサギやハムスターの飼育に熱中。
ヘビの世話も雅子さまの係で、日当たりの悪い理科室の水槽ではかわいそうだというので、
日向ぼっこさせてあげようとヘビをつかみだして校庭の草むらに放してあげたこともあるという。

雅子さまは、とてもお茶目で授業中に前の席にいた子のセーラー服の中に
後ろから消しゴムのクズを入れられて驚かられた友人が授業中、声を出してしまい、 
クラスで笑いが起きた事もありました。

週刊新潮2004年
江頭夫妻は非常に仲がよく、足を悪くする前は二人で外食や散歩に出かけていた。
小和田一家が官舎住まいの頃には、休日に庭で遊ぶために雅子さんたちがよく訪ねてきていた。
二世帯住宅をたてたのは、雅子さんが外交官試験に受かった後。
江頭夫人は高松宮妃と同じ英語教師について英語を習っていた。
雅子さんが生まれた頃、寿々子さんは娘夫婦のいるモスクワやジュネーブに滞在。
雅子さんの育児を引き受けていた。
お妃騒動のころ、雅子は気が強くなんてない、むしろ人より気が小さいほうですとマスコミに抗議
優美子さんと孫娘達とナイアガラの滝に観光へ行ったとき、
雅子さんははじめてのナイアガラをもて感嘆の叫びをあげ、うれしそうに手を叩いていた。
そこに賑やかな日本人観光客が闖入。
優美子さんは機嫌が悪くなり、「日本人はマナーが悪い」と憤慨し、引き揚げた。


まだ結婚前に昔からお付き合いのあるピアニストのコンサートに
祖母の江頭寿々子さん、母の小和田優美子さん、雅子様の三人で行った時のこと。
雅子様がそのピアニストの女性に「記念写真を撮りましょうよ」と言ったが、
彼女はその時ニューヨークからわざわざ来てくれた恩師や友達に挨拶しなくてはと忙しかった。
雅子様に「(記念写真は)また今度にしましょう」と言った。
すると、雅子様は「じゃあその時には、また私はこのお洋服を着てくるってわけ?」とジョークを言った。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

友人の上田奈生子さん
「じつは、殿下とのお話をお受けすることに決めたの。
二人の問題なので、自分で決めるまでは黙っていたのだけれど・・・。」
「殿下は人の心をとても大切になさる方で、殿下の誠意が私にはとてもうれしかったのよ」
「テニスがお上手なので、“私もご一緒させていただきたいのですが、
レベルがついていかないかもしれませんね”と申し上げたの。
そうしたら、“それなら私がコーチしましょう” っておっしゃってくださったのよ」
マスコミのマークが厳しくなって、なかなか会うのが難しくなった時
「私がパンダのぬいぐるみをかぶってまいりましょうか?」

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懸賞で自転車が当たった
12歳の小和田雅子さんが書いた礼状(朝日小学生新聞1975年9月6日から)
ある日、朝日小学生新聞を読んでいたら、わたしの名まえが大きく出ていました。
そのときのおどろきとよろこびは、とてもことばではいえません。
けん賞で一等の自転車が当たったのです。
うすみどり色のきれいな自転車はたいへん乗りごこちがよくて、このごろはまい日にように乗っています。
自転車は楽しいけれど、交通事故にあわないように気をつけなければいけないと思います。
ありがとうございました。

参考
この自転車のお礼状について
江頭寿々子さんが孫の「ご成婚」に向けて書いた文章
「雅子はよく懸賞などに当選する子でして、十七年ほど前には自転車をいただきました。
これはそのときに朝日小学生新聞に出たものです。何事にもすぐお礼を出す子でした。
ずいぶん長いこと愛用した自転車です。とても喜んでいた少女時代の頃がなつかしく思い出されます。
何か彼女には「運」というものがついているような気がすると、主人ともども話し合っております。」


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文藝春秋1993年3月号
新皇太子妃物語―平成皇室が迎えた比類なきキャリアの“背景”― 井田真木子(ノンフィクション作家)
「外国は日本のことを知らなさすぎる」これが当時の彼女の口癖だったが、
そこに漂う焦燥感は、むしろ自分自身にもむけられたものだったかもしれない。
たしかに、ボストンのハイスクールに転校以降の彼女は、一種の日本音痴に陥っていたと思われる。
日本文化研究会では、日本を紹介するために、寅さん映画の上映と、すしパーティーを企画した一方、
その数年後、帰国して外交官試験に合格し、エレナ王女のレセプションで初めて皇太子殿下に会った日の夜、
帰宅した彼女は祖母の江頭寿々子さんにこう尋ねている。
「おばあさま、浩宮様ってそんなにお偉いの?」
寿々子さんが、浩宮様は次代の天皇になる方ですよ、と諭すと、雅子さんはびっくりし、のち、
「じゃあ、私、すごい方に会ったわけね」と無邪気な感想を漏らした。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

他エピソード
お手伝いさん談
(社会人になってから)
「掃除をしている脇でねころんで京樽寿司を食べていた」
ご学友談
授業中、友達の背中に消しゴムのカスをにやにやしながら入れ続ける
担任の先生に対して「首の辺りがジャミラに似ている」
中学時代、保護者のサインが必要な書類を友人のために代筆。
ばれてしかられた時に、
逆に先生に「そういうものは生徒の自主性にまかせるべき」と言い返した。
修学旅行でツアーコンダクターを騙し、閉じ込めた。

友人の結婚式の時、雅子さんはイギリスからビデオメッセージ。
友人の過去の失敗談の羅列をまとめたもの

外務省の女性の先輩に
「ネズミに似ている」
髪を切ってきたら今度は「うちのショコラに似ている」

外務省で雑用を言いつけられ
「It's not my business」

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月
yubi.jpg
http://www.asahi.com/national/birth/photo/05.html


フライデースペシャル1993年6月26日増刊号
おめでとう!皇太子さま雅子さま ご成婚記念緊急特別号
「美術の時間に多摩川土手に写生に行ったとき、
雅子さまが、途中で巨人軍のグラウンドに、
練習を見に行ってしまったのを覚えています。
休み時間にも、プロ野球の話をよくしていましたね」(伊藤美雪さん)

読売新聞 1993年1月20日
<皇太子妃になる「オワ」へ>
田園調布雙葉学園の中学1年からの友人、土川純代さんによる旅行の思い出
永平寺を訪れたときだったわね。オワのおじいさまの書があるはず、とお坊様に尋ねてみたら、
実際にあった。丁寧に説明していただいて、お茶とおはぎまで出していただいた。
私がためらっていたら、オワ、あなたは二個もペロリと食べたのよ。
地元の人たちが通勤や通学に使う列車の中で、駅弁を広げたこともあった。


週刊読売増刊1993年1月25日号
ちゃめっけもこの当時からなかなかのものだった。
中学二年の秋、学校の文化教室で京都へ二泊三日の旅行をしたときのこと。
消灯後の部屋で雅子さんは、缶詰やパン、マヨネーズなどを広げ“宴会”を開いた。
友人の一人は「みんなドキドキしているのにオワ(雅子さんの愛称)だけは堂々としていて、
すごく肝っ玉の座った人だなあと驚きました。

皇室アルバムvol.11 
ご成婚特別号 世紀のロイヤルウエディング皇太子殿下と雅子さま 学習研究社(1993年)
ご結婚によせて 田園調布雙葉学園の学友が語る 小学校・中学校時代の雅子さま 
村岡(ルリ子さん)
夏休みの宗教合宿でもよくみんないたずらしてましたね。
信者でなければ食べられないワインをつけたパンを食べてしまったり……。まずいんですけどね。
こんなまずいものだったら食べなければよかったなんて、二人で話したこともありました。
あれも中学の時でした。

週刊文春2001年12月13日号
総力取材雅子妃ご出産 初めて明かされるとっておきの十大秘話
密かに応援していた選手 原久美
雅子妃と「オワ(雅子さまの学生時代の愛称)」「クミ」と呼び合う田園調布雙葉時代からの親友。
ボサノヴァ歌手。
「仲良くなったのは中学生の時です。ふたりとも巨人ファンで、よく多摩川に練習を見に行きました。
妃殿下が巨人の高田選手のファンだったことは有名な話ですが、
実は一人で密かに大洋(当時、現横浜)の長崎選手の応援にも行ってたんです。
ある日突然、『ちょっとつきあって』と川向こうの大洋のグラウンドに連れていかれたのですが、
『こちら大洋の長崎さん』と紹介されて、驚きました。そんな行動力もある方でした。」

AERA1993年1月19日号
机を並べた本誌女性記者東大に現れた謎の美女
顔立ちを見て、日本人じゃないのではという人もいた。雅子さん本人も冗談まじりにこう言っていた。
「ネパール人とのハーフじゃないかってよく聞かれるのよ」


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