チッソと江頭豊

噂の真相1993年4月号
■江頭チッソ社長の"犯罪性"
江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、1962年。
64年には副社長、同年暮れには社長に昇格。
公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には「法的責任」はないのかもしれない。
むしろ、江頭は水俣病問題の処理のためにメインバンクの興銀から送り込まれた形になっている。
しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題。
「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。
江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、
チッソは自らの工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったのである。
患者といっさい交渉をもとうとしなかったのはもちろん、
驚くべきことに江頭はそのまま66年 まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けた。
「法的責任がない」どころではない。
江頭自身が殺人行為に加担していたことは動かしがたい事実なのである。
ようやく自らの責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから10年以上も経過した1968年のことだった。
しかし、これとてけっして江頭自身の自発的な判断ではない。
この年、政府がついに水俣病の原因をチッソ廃液とする正式見解を発表したため、
チッソとしても対応せざるをえなくなっただけのことである。
それどころか、この政府見解発表が出される前には、地元選出の自民党議員と結託して、
それを止めるべく画策していたフシさえうかがえる。
しかし、さすがの自民党政府も明確な事実と悲惨な現実を前に、
水俣病を公害病と認定せざるをえなかったというのが"真相"なのである。

■冷酷な江頭の患者対策
謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかったのである。
「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬうちに、江頭はさまざまな画策を始める。
結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかったに等しい。
交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図り続けただけである。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


朝日新聞 人生の贈りもの(2009年10月26日夕刊7面)
弁護士後藤孝典 第1回
一株運動でチッソの社会的責任を問う
−70年11月28日、チッソ株主総会の大阪厚生年金会館に巡礼装束の患者たちと乗り込みました。
発言を封じられたと聞いています。
そうですね。何のために患者が来たかについて、真摯な検討をしてないんですね。江頭豊社長は。
(中略)
−患者たちが次々に壇上に上がり、江頭社長を取り囲みました。
ほかの役員は逃げたそうですね。
彼は逃げなかったんですね。座り込んでいました。
興銀から来てるから、ちょっと上からものを見る姿勢ですね。あの男は。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


熊日新聞 1971年5月26日夕刊
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/index.html
またもあっけない幕切れ むなしく消えたご詠歌
殴る蹴るの乱闘  “ひどすぎる”絶句する患者
【大阪】チッソ株主総会はわずか十三分で終わり昨年十一月の総会同様
あっけない幕切れとなった。今回もご詠歌は通用しなかった。
怨念もへちまもなかった。チッソ総会に存在したものは、物々しいガードマン、
総会屋の厚い壁。それに、会社の冷ややかな手続き・・。
株主総会が終了した瞬間、悲痛な叫びが周囲のカベにこだまし暴力を誘発した。
人間らしい対話を求めた“チッソ被害者たち”の期待は、怒声に出くわしただけだった。
■厚いカベ 
立ちはだかって人垣を作ったガードマンらの“体格のよさ”が目立つ総会だった。
客席の前後に総会屋、ガードマンらが後ろの告発する会会員たちをにらみつける。
会員が「チッソの責任を・・」と発言しようとすると、
「整理」の腕章を巻いた体格のよい男たちが飛びかかる。
社員整理員は会場両側のカベぎわに立ちつくし、あちこちで乱闘が始まった。
総会が終わり患者が退場したあと、また青い制服姿のガードマン約三十人が場内に飛び込んできた。
罵声をあげ告発する会会員たちを手上がり次第につかまえ、殴る蹴る。
悲鳴とともに逃げ回る若い女性、「あまりじゃないか・・」と絶句する会員。
■あきれる
つぎつぎに可決される議案に、何人もの一株株主が後部座席から片手を高く上げて
壇上に進もうとする。その声は消えた。のまれた、といったほうが近い。
「まだ、会場に株主がはいっていない」「議長はやめろ」「人殺し」
こんな声も―。
「これだけ、ガードマンを入れた株主総会は前例がないだろう。
血迷ったチッソという感じだ」と役員に立候補していた一株株主の後藤孝典弁護士もあきれた。
■会社の醜態
大阪水俣病を告発する会の中江晃さん(二八)はこういった。
「だいたい予想した通りです。田中実子さんを江頭に背負わせたかった。
それが出来なかった。残念です。会社側も右翼や暴力団を入れなければ
総会をやれないという醜態を世間にさらした。
私たちはチッソが地球上からなくなるまで告発をやめません」

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  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


2006年9月24日
皇太子妃雅子さまの母方の祖父で元チッソ会長の江頭豊(えがしら・ゆたか)氏が24日午前0時45分、
入院先の静岡県富士市内の病院で亡くなった。98歳だった。 告別式などの日取りは未定。
江頭氏は雅子さまの母、小和田優美子さんの父。
旧日本興業銀行から、水俣病を起こしたチッソの再建に派遣され、社長、会長などを歴任。
謝罪のため、被害者宅を訪れるなどした。
皇太子さまのお妃選びに当たっては、雅子さまが元チッソ会長の孫であることから宮内庁に慎重論もあったが、
皇太子さまが側近に粘り強く再考を促され、水俣病発生時の責任はないとの判断でご結婚が実現した。
2004年11月に88歳で死去した妻、寿々子さんとともに富士市の病院に入院、
雅子さまは今年3月20日にお忍びで見舞われていた。雅子さまは慣例に従い、30日間、喪に服される。
(読売新聞) - 9月24日22時37分更新

雅子さまの祖父、江頭豊さん死去
皇太子妃雅子さまの祖父で、チッソ会長を務めた江頭豊 さんが24日午前、
入院先の静岡県富士市内の病院で亡くなりました。98歳でした。
江頭さんは64年に、のちのチッソ株式会社となる日本窒素肥料株式会社の社長に就任。
すでに起きていた水俣病問題の患者に謝罪するなど、対応にあたりました。
江頭さんはおととしの秋から入院していて、雅子さまもお忍びで何度かお見舞いに訪れていました。
(24日16:05)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20060924/20060924-00000028-jnn-soci.html


皇太子ご夫妻、葬儀参列 雅子さまの祖父死去で
皇太子ご夫妻は27日、東京都新宿区の千日谷会堂を訪問、
24日に98歳で死去した雅子さまの祖父でチッソの元会長江頭豊氏の葬儀・告別式に参列された。  
喪服姿のご夫妻は午前11時20分ごろ、車で到着し、親族やゆかりのある人たちとともに参列。
葬儀は神式で、ご夫妻は喪主を務めた雅子さまの父小和田恒さんに続き玉ぐしをささげて拝礼し、
故人に最後の別れを告げた。  
愛子さまは、学習院幼稚園に通園するため参列しなかったが、
25日にご夫妻と一緒に目黒区にある江頭氏の自宅を弔問している。  
雅子さまは皇室の慣例に従い、24日から30日間の喪に服している。
2006/09/27 03:27 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200609/CN2006092701000305.html


週刊文春2006年10月5日号
江頭豊氏はお元気な頃は、ご夫婦で東宮御所にお呼ばれして、
雅子さまにお会いになられるのを何よりも楽しみにしていた

週刊朝日2006年10月13日号
江頭豊氏の通夜
受付などの手伝いはチッソ社員、旧興銀関係者、外務省OB、東宮職員らが行った。
式は江頭家の宗派に従い、簡素な神式で行われた。



そんな江頭豊氏の絵が

雅子さま祖父の絵展示 14日まで島田図書館
(2013/2/ 6 07:54)
富士山の日(23日)を前に、皇太子妃雅子さまの母方の祖父で元チッソ会長の故江頭豊さんが
当時入院していた富士市内の病院から富士山を描いた油絵の小品「晩秋」が14日まで、
島田市本通3丁目の市立島田図書館で展示されている。
貴重な江頭さんの絵は同市御仮屋町の有本格さん(83)が所有。
2004年から06年に98歳で亡くなるまで富士市内の病院に入院していた江頭さんが、
窓から見える富士山の姿を05年に描いた最晩年の作品とされる。
特別展示は富士山世界遺産登録の弾みにしてもらおうと、有本さんの協力で実現した。
絵は6月の登録実現まで県内外を巡回する予定。
有本さんは、江頭さんの娘で雅子さまの母親の小和田優美子さんと交流がある。
絵画は今年1月中旬、小和田さんから届けられたばかり。
有本さんは「優美子さんからいただいたとても貴重な絵を独り占めするわけにはいかない。
多くの県民に見てもらい、富士山世界遺産登録に向けた機運が高まってくれればうれしい」と話した。
同図書館は28日まで富士山に関連する本や写真集など約100点を集めた特別展示コーナーも設けている。
http://www.at-s.com/news/detail/474564305.html

油絵:皇太子妃祖父が描いた富士山 世界文化遺産登録を応援、県庁で18日から展示 /静岡
毎日新聞 2013年03月16日 地方版
皇太子妃雅子さまの母方の祖父で、06年に死去した元チッソ社長の故江頭豊さんが
富士山を描いた油絵「晩秋」が、18日から静岡市葵区の県庁で展示される。
絵は、江頭さんが入院していた富士市内の病院で描いたもの。
江頭さんの長女で、雅子さまの母親の小和田優美子さんと親交がある、
島田市在住の有本格さん(83)が所有している。
富士山の世界文化遺産登録を目指す取り組みを盛り上げようと、有本さんが展示を申し出た。
絵が飾られるのは同市などの施設に次いで4カ所目。
有本さんは「厳かな雰囲気の富士山が描かれている。
ぜひ大勢の人に見てもらいたい」と話している。展示は県庁5階の知事公室執務室内で、27日まで。
【樋口淳也】
http://mainichi.jp/feature/news/20130316ddlk22040102000c.html




江頭氏のために皇室の行事を変更しろ?

週刊文春2013年10月24日号
友納尚子 ザ・プリンセス 雅子妃物語(58)
江頭氏が亡くなったその日、赤坂御用地では「法曹テニス」と呼ばれるテニス大会が予定通りに行なわれた。裁判官、検事、弁護士らと天皇ご一家をはじめ皇族方と宮内庁職員で対抗戦を行う定例行事で、
皇太子ご一家が住む東宮御所のすぐ裏にある二面のクレーコートで朝から夕方まで試合は続けられたのだった。
「江頭氏が他界したのはその日の未明だったのに、試合は中止にならなかった。
天皇皇后両陛下をはじめ皇太子ご夫妻も参加されたようです。
御祖父さま思いだった妃殿下は辛いお気持ちだったでしょう。さすがに試合後に
東宮御所で開かれていた懇親会は、その年は別の場所で行われました。
東宮職からは小声で、『大会は延期しても良かったのでは』と疑問も上がっていました。
翌日、皇太子ご一家は江頭邸を弔問されました。




拾い物
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チッソについて

「チッソ水俣病」とは熊本県水俣湾周辺で発生した有機水銀中毒症。
水俣湾でとれた魚介類から、人体に有機水銀が入り、
神経が侵せれることから四肢マヒや言語障害、さらに目や耳の機能も失われる。
調査にあたった、熊本大医学部は昭和34年
水俣市のチッソ(当時日本チッソ肥料)水俣工業、の排水が原因と結論を出し、
昭和43年日本で最初の公害病に認定された。
平成3年末までに、2946人が認定され、1283人が死亡。

政府が水俣病の原因がチッソ水俣工場から排出される有機水銀であると、
公式に認める昭和43年まで有機水銀廃液を水俣湾に垂れ流し続けた。
以後も江頭豊社長は「患者への補償は終わっている」と損害賠償交渉に強硬な態度を取った。
江頭豊氏は雅子妃の母方祖父(2006年9月逝去)

一旦 浮上していた小和田雅子さんが妃候補からはずされたのも、公害企業の孫というのが最大の理由。
「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはまずいとはっきり口にしていた。
また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬に反対していたようで、
一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部を
『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたといわれているほど」(宮内庁担当記者)
実際、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していた。
ところがそれから五年、公害企業元社長の孫である小和田雅子さんは再び妃候補に浮上し、
今度はそのまま皇太子妃に決定してしまった。

江頭豊氏は水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
患者や家族に謝罪したが補償案をださなかった。
(そのせいで被害者は一任派と自主交渉派に分裂)
謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。(NHKアーカイブより)
「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。」
「水俣病はただの障害児」
「庶民が何をいうか!」
「補償金を貰えるなんて有難いと思ってもらいたいものです」
会長時代、患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 
千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら
取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(1972・01・07)
ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、
時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡
暴力団(チッソの下請け業者扇興運輸)は、会社の敷地から出てきて、
襲撃後ゲラゲラ笑いながら敷地内に戻っていった。(会社側が雇った)
(ユージン・スミスによる「襲撃」の証言より)
扇興運輸は翌年センコー(株)に社名変更している。
そして雅子妃の嫁入り道具を御所に運び入れたのがセンコー(株)のトラック。
雅子さんが皇室入り(93年6月)した後もチッソの相談役に就いていた。(98年10月まで確認できる)

NHKスペシャルの水俣特集
いわゆる政治決着(皇太子妃と水俣問題の関係を闇に葬るためともいわれている)で
一律250万円の見舞金をもらうのと引き換えに、告訴取り下げ、水俣病の認定も受けない、
以後の告訴もしない、という条件を呑んだ患者団体の代表の人が映っていた。
結論が長引くほど、一銭の補償ももらえずに苦しんで死んでいく人が増えるばかりで
申し訳なく無念だが、受け入れることにしたと泣いて報告していた。

皇太子と結婚することが決まった時点で、多くの訴訟が取り下げられ(半ば無理矢理)
政治決着がなされた。
また江頭豊がご成婚を機に水俣市の改名を要求した事実もある。(これは却下された)

雅子妃本人に水俣病についての罪はない。
だが雅子妃の「おじいちゃんは悪くない」という発言は適切ではなかった。
雅子妃を責めるべきことではないが、それならば皇太子妃の血縁者だろうと関係なく処分されるべきで、
江頭豊氏は罪を償うべきだった。
江頭豊氏は生前、東宮御所をたびたび訪れ、散歩していたという。
雅子さまが皇室に入ることによって被害者救済が加速度的に進む方向だったならば
雅子さまは被害者にとって恵みの存在になっていたことだろう。

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雅子さまは水俣を訪れたことはなく、水俣メモリアルで献花したのは秋篠宮両殿下(※)だった。
 ※水俣関連年表http://www.minamata195651.jp/pdf/nenpyou_all.pdfより
 1999年(平成11年 )9月11日  
 「くまもと未来国体」夏季大会のため来熊中の秋篠宮ご夫妻、水俣病資料館を視察、
 語り部6人と対面、水俣メモリアルに献花



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