夏ばてのようなご体調

文藝春秋2005年3月号
岩井克巳氏
母を失った天皇陛下の悲しみは深く、
皇后さまは葬送を出来る限り手厚くと精魂を傾け不眠不休の日々だった。
それだけに皇太子妃雅子さまの葬儀欠席は驚きだった。
そしてその理由を東宮大夫が「夏ばてのようなご体調」と、こともなげに説明したことに二度驚いたものだ。
豊島岡墓地での斂葬(れんそう)の儀にご遺体が向かう朝、
儀式に出席できない車椅子の桂宮さまと幼い秋篠宮眞子さま、佳子さまが宮殿の車寄せに並び、
沈んだ表情で出発を見送る姿は印象的だった。しかしそこにも雅子さまの姿はなかった。
このような場合、事後には当然、宮内庁から
「皇太子妃殿下は東宮御所で慎まれ斂葬の儀は遥拝されました」との発表があると思っていたが、
それも無かった。
年末の誕生日会見で雅子さまが「うかがえなかったことをとても残念に思いました」と語ったのみであった。

参考
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週刊文春2006年3月23日号
千代田(皇居)と赤坂(東宮御所)の隔たりが誰の目にも明らかになったのは、
2000年7月、香淳皇后のご葬儀のときである。豊島岡墓地で行われた「斂葬の儀」は
横殴りの強い雨のなかで行われたが、その場に雅子さまのお姿はなかった。
ご欠席の理由は「夏バテ」誰もが耳を疑った。
・皇室関係者J氏
「陛下のお許しがあったとはいえ、皇太子妃がご欠席とは前代未聞のことだと驚きました。
体調不良でも入院するレベルではない限り、皇族は出席するものと考えておりましたので…。
せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのではと思いました。
しかしバスの車中では、この件については一切触れられない雰囲気でした」

・元宮内庁関係者K氏
「東宮職の側近たちは唖然としていました。本番までの一週間、連日炎天下で黒い服に身を包み、
服に塩を吹くほど汗をかいて、リハーサルを繰り返していたからです。
職員は事前に皇居から移動して多摩の御陵までの段取りを何度となく確認し、玉砂利の坂を上ったり、
大テントに何百人と並ぶ練習を何回も繰り返しました。
そんなリハーサルに妃殿下はお出にならないけれど、一番最後のリハーサルにはきちんと参加されていたのです。
ですからご欠席と聞いたとき、職員たちは「まさか」と言葉を失っていました。
その後、妃殿下からは東宮職に何のご説明もなく、労いのこと言葉もいただけなかったそうです。
妃殿下は普段から側近にあまりご相談をされません。
そのため側近たちは妃殿下の真意がわからず、気を利かせたつもりがかえって
お叱りを受けてしまったりして、次第に“指示待ち”になっていったようです。
そのことがご夫妻と東宮職の間に様々な齟齬を生じさせていったのです」
天皇皇后にとっても、雅子さまがご欠席されたことは大きなショックであったはずだと側近は言う。

週刊新潮2013年5月2・9日号
「2000年6月16日、皇太后さまが崩御されましたが、その際のことです」
そう振り返るのは、さる宮内庁の古参職員だ。
7月25日には豊島岡墓地で、一般の本葬にあたる「斂葬の儀」が営まれたのだが、雅子妃はこれをご欠席。
「前日には東宮大夫の会見で、妃殿下は『暑さが続き、夏バテのような状態』で体調を崩され
『お体を大切にしていただく見地からお取り止めになった』との発表がありましたが、
案の定、懸念や批判の声が相次ぎました」(同)
これに先立ち、皇族方や宮内庁職員らが24時間交代でお棺の側に詰める「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」が、
40日間にわたって続けられていた。
実はこの時期に、今に至るまでトラウマとなっている「出来事」が、雅子妃に起きていたというのだ。
「殯宮祗候と並行し、斂葬の儀当日までは連日、さまざまな儀式が続きました。その際、妃殿下は現場で
行事におけるきまりごとについて、皇后陛下からごく簡単なアドバイスを受けたのですが…」(同)
それは、お召し物のベールの長さなど、これまで営々と続けられてきた、しきたりに関するものであったという。が、
「妃殿下は、この皇后陛下とのやりとりを『叱責』と受け止めてしまわれたのです。大勢の皇族方や職員の前で
自分だけが咎められたのだと解釈なさり、ショックを受けてしまいました」(同)
こうした“アクシデント”もあり、斂葬の儀だけでなく、前日に吹上大宮御所で営まれた儀式なども、
雅子妃は欠席された。
実際には「叱責」の事実などなかったのだが、
「後に妃殿下はこの一件を、主治医である大野裕医師のカウンセリングを受けた際、お話しになっています。
そして、この時の体験が大きな心の傷となり、御所への参内もままならないという趣旨のご説明をされている。
御所の側にもそうした“思い込み”は漏れ伝わっており、念のため儀式に携わった人たちに
当日の様子を確かめたところ、そうした場面は一切なかったことが分かったといいます」(同)
一方的な思い込みがあらぬ誤解を生み、ご自身の中でも大きなわだかまりとして燻っているというのだ。 


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


香淳皇后の葬儀を欠席
2000年7月25日香淳皇后の本葬である斂葬(れんそう)の儀を雅子さまが欠席。
宮内庁は「夏バテのような症状」と発表
宮内庁内でも「お疲れがある。仕方ない」との意見の一方で「避けるべきだ。後々問題になる」と異論も。
ある皇室関係者
「都心から八王子の多摩陵までみんなでバスで移動したが、
ああ、何か起こってはいけないことが起こったのだと、バスの中でその話に触れることはタブーだった」
外国からの弔問客が「何故皇太子妃はおられないのか」と尋ねられた。
「夏バテで…」と日本の関係者が答えると
「ご高齢でご参列されておられる宮様もおいでなのに、夏バテで皇太子妃が欠席とは!」と呆れられた。

旧皇族で実業家に嫁いだ夫人
「前代未聞の皇太子妃。せめて棺だけでも皇居宮殿南車寄せでお見送りになったらよいのに。」
その後の記者会見でこの件について雅子さまから皇太后に対して
哀悼の意を表するといった表現は一切なかった。
「夏には体調を崩してしまい,香淳皇后の斂葬の儀に伺えなかったことをとても残念に思いました。」
同年11月19日に行われた妹の結婚披露宴には夫妻で出席
「大姑の葬式に欠席する長男の嫁なんて、考えられない」との声しきり。
秋篠宮家の眞子さま・佳子さま(5歳)は南車寄せで車椅子の桂宮様とともに見送った。
寛仁親王家の彬子さま・瑶子さま、高円宮家の承子さま・典子さま・絢子さまも御陵で拝礼。

雅子さまはお見舞いに行った形跡もなし。

香淳皇后葬儀法事関係で雅子さんの出席が確認できるのは、三年式年祭出席の1回のみ。
香淳皇后例祭を欠席して、翌日オペラ鑑賞。(2005年)

週刊文春
オペラ鑑賞の前日は香淳皇后のご命日の「例祭の儀」がありましたが
雅子様はご体調を理由に欠席されました。
でも翌日オペラに出かけたと聞きがっくりと力が抜けた。
これは絶対出なければいけない大切な祭祀。
両陛下は15日の夜8日間にわたるご公務から長旅の疲れをおしてご出席されている」(元・宮内庁関係者)

美智子皇后と雅子妃・平民妃十年の苦闘 渡辺みどり 2005年6月 講談社
心配した池田厚子氏が早くよくなって欲しいと、岡山の白桃を贈る。
後日「ご心配おかけして申し訳ありません。少しお腹をこわしてしまいました」と雅子さまから電話


週刊新潮2000年8月10日号
雅子さまが、皇太后様(香淳皇后)の葬儀に欠席されると発表したのは「斂葬の儀」前日の7月24日のことである。
理由は「暑い日が続いており、お疲れがたまっている」というもので、要するに夏バテのためだというのだが、
「皇太后さまご葬儀は、その程度の理由で欠席できるような行事ではありません」と皇室記者の一人は言う。
かつて雅子さまが勤めた外務省の幹部もこう話す
「葬儀に出席した各国の大使からも、84歳の三笠宮崇仁殿下が参列されているのに、
なぜ、プリンセス・マサコは夏バテぐらいでお休みになるのか教えて欲しいと言われて
困りました。しかも、その一週間後には、もうお元気になられて、岐阜の高校総体にご出席。
これでは、私たちも説明のしようがありません。」


文藝春秋2009年5月号
「雅子妃すべての悲劇の始まり」友納尚子
平成12年の皇太后葬儀。なぜ欠席を余儀なくされたのか
元宮内庁関係者談
「ご欠席の本当の理由は、ご懐妊の可能性があったため
医者に無理をしないよう止められていたのだ」
その後も遠方への公務などを控えられたが、
結果的に胎嚢が発見されず科学的流産になったという。
また末綱元東宮侍従長の辞任について、
”雅子妃との不仲による辞任”と報じた記事もあったが、真相は異なるとして、
「東宮侍従長はあくまで皇太子殿下にお仕えしており、
雅子妃には東宮女官長がいますから、ご夫妻一緒のときにお話しされるだけ。
不仲かどうかと騒がれても、もともと妃殿下と接触の機会は少ない。
妃殿下のご要望は東宮大夫がお伺いするのが普通」(東宮関係者)
また、末綱氏は”片道切符”ではなく戻るという内々の約束で、侍従長に就任した。
今年に入って、雅子妃の回復がみられ(たため)、
(皇太子が)末綱氏の人生を考え、今年の退任に賛成なさったもの。

参考
週刊文春2000年8月3日号 
宮内記者会が問い詰めた雅子妃「皇太后さま斂葬の儀」欠席の理由
宮内庁の古川清・東宮大夫が発表した欠席の理由は、
「雅子さまは暑さが続いて疲れがたまり、夏バテのような状態。
お体を大切にしていただくという見地から、お取り止めになった」
この前代未聞の事態に、宮内庁担当記者たちは、
古川・東宮大夫の会見に押し寄せると、次々と質問をあびせた。
──ご懐妊の予定は?
「昨年末のようなことが今回の背景にあることは全くない。
想像を逞しくしないでいただきたい」

同年、雅子さまお誕生日の会見
問3 今年の夏には体調の理由から,斂葬(れんそう)の儀や地方でのご公務の日程を変更されました。
9月以降には那須御用邸や裏磐梯などでご静養の機会も設けられました。
この間のご体調やお気持ちをお聞かせください。


皇太子妃殿下のお誕生日に際し(平成12年)
夏には体調を崩してしまい,香淳(こうじゅん)皇后の斂葬の儀に伺えなかったことを
とても残念に思いました。また,体調を崩したのは,その時一時的なことでございましたけれども,
日程の変更などがありましたことなどから,一部で誤解も生じてしまったように思いますけれども,
その後は体調も戻り,お陰様ですっかり元気にしております。いろいろご心配いただきありがとうございます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h12hn.html

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■天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見(平成12年)
吹上大宮御所は,私どもの住んでいる御所からすぐの所にあります。
週末には大抵皇后や紀宮,時には秋篠宮一家を交えて吹上大宮御所をお訪ねしていました。
皇后は,香淳皇后がお元気であったころと変わりなく心を込めてお尽くししていました。
また,秋篠宮の子供たちが一緒の時には,いつも子供たちを香淳皇后のおそばに連れて行き,
二人が皇后に倣いお手を一生懸命さすったりしているのが印象に残っています。
香淳皇后が崩御された時に,秋篠宮家の子供たちが,お見舞いしたいということを言ったことを,
秋篠宮が話していますがこのようなことから香淳皇后に親しみを感じていたことと思います。

■秋篠宮殿下平成12年のお誕生日会見
質問 今年は、香淳皇后の大喪儀、新居への引越しなど、御家族にとって大きな出来事が
ございました。これらの出来事を通じて、眞子様、佳子様の成長ぶりを示すエピソードや、
両殿下がお二人に対して心がけられたことがありましたらお聞かせください

殿下 これは成長を示すエピソードになるのかどうかは分からないのですが、
六月に香淳皇后の崩御がありました。その後に宮殿においていろいろな例えば殯宮の祀候とか、
それからこれは斂葬の儀の当日になりますけれども轜車発引の儀の時に玄関のところでお見送りをした。
このようなことは、本人たちにとっても貴重な経験であると思うんですが、私の方から見ますと、
そういうところにも出席できるぐらいの年齢になってきたんだなあという気持ちがいたしました。
おそらく殯宮の祀候をしたり、お見送りをしたりというのも、私たちが子供たちを連れて
時々大宮御所の方にごあいさつに行って、そういうことから非常にその何と言うんでしょうか、
自然な形で親しみがあったんだと思うんですね。
ですから亡くなる前日ですか、そのときもお見舞いに行ったわけですけれども、
こちらが行こうと言って連れて行ったというよりも、子供たちの方から是非ともお見舞いしたいと
いうようなことを言ってくれまして、そのような辺りはやっぱり年齢が少しずつ上がってきている
という印象になっております。