阪神・淡路大震災時の中東訪問

1998.07.28女性セブン別冊(小学館)
皇太子さま雅子さま ご結婚五周年記念 素顔のプリンセス

95年1月20日から1月30日までの予定でクウェート、UAE、ヨルダンの3カ国をご訪問。(略)
しかし、ご出発の3日前、阪神・淡路大震災。(略)
ある皇室記者は話す。
「とくに皇太子さまは、東宮侍従たちに、"スケジュールを変更した方がいいのでは”と
何度も確認されたようです。しかし、湾岸戦争、イラク情勢の緊迫などによって
過去2回延期していることなどを理由に、外務省が予定通りの訪問に固執し、
それに宮内庁も押し切られる形で強行されたと聞いています。」

また、雅子さまも、同じ記者会見で、
「向こうに参りましても、国内で苦しんでいるかたがたのことを忘れず、
一刻も早く立ち直られることを日々祈りたいと思います」と述べられている。
(略)
最終の訪問国、ヨルダンの理解を得、おふたりは、当初の予定を2日早め1月28日に帰国された。
「それも、皇太子さまが、スケジュールを短縮して早期に帰国することを侍従たちに、
しきりに求められたことから決まったということでした」(前出の皇室記者)


皇太子 平成7年の会見
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h07az.html
<関連質問>
問1  先の震災の中での中東の訪問に殿下は行かれる前にしのびない気持ちであるということを
おっしゃっておられましたが,実際,帰ってくるまでの間にですね,
宮内庁の方に抗議があったり,マスコミ等でなぜこの時期にという反対の論調がですね,
繰り広げられたということが事実だと思うのですが,
お戻りになってその反対抗議というようなことがあったことをお聞きになって,
今の中東訪問に行かれた判断についてのお気持ちを伺いたいのですが。

皇太子殿下  このことについては,出発前にも申し上げましたとおり,
私としては非常にしのびない,日本を離れるのは,
非常にしのびない気持ちではあったわけですけれども,
政府の方針に従って中東地域を訪問したわけであります。
それで,ヨルダンにあっては日程を,これは政府の方針で日程を短縮して,
そして日本に戻ることになったわけですけれども,
いずれも私のこういう公式な外国訪問につきましては
すべて政府の閣議了解を経なければいけないという事情がありますので,
その辺の訪問については政府の方針に従ったわけであります。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

江藤淳「皇室にあえて問う-民の惨状を余所目になぜ中東へ向かわれた」
(1995年文藝春秋3月号)

国難の中、なぜ皇太子夫妻は外遊されたのか
「震災に遭遇し犠牲者の遺体がまだあちこちに埋まっているその最中に、
あたかも何も起こらなかったがごとく、皇嗣が外国を歩いておられるとは何事であるのか。」
成婚以来、思うところあり発言を差し控えてきたが、
今日という今日は黙っていられない。言うべきことを言わぬのは不忠の臣だからだ
皇嗣とその妃が国家国民の一大事に、外国をふらつくとは何事
畏れながらながら両陛下も、両殿下も、さながら外務省特別職員のごとし
皇太子殿下が会見で、どうしても行かねばならなくなったという意味の
発言をした。とするとごり押ししたのは外務省となる。
宮内庁はそれを押し切れず、外務省の意のままで、どうするのか
水や食料にも事欠き、寒さと余震の不安に苛まれている多くの民を余所目にして、
ベドウィンの踊りを御観賞になり、身を乗り出してサッカーを観戦しラクダレースをご覧になる。
これは一体何なのでしょうか。
見るべきはサッカーなのか。われわれ国民が皇室に見ていただきたいのはそんなものではない、
神戸の被災者たちの姿です。即刻苦しんでいる人々の傍近くに寄って、
彼らを励ますことこそ皇室の義務なのではないでしょうか。

関東大震災の際、折衝の宮は俊敏に指示を出し、非常に国民を心配された。
各宮家では家を開放し、炊き出しをして救済をした。
妃殿下方も手仕事で参加された。
昔、皇室とはこうだった。だからこそ国民は支持し、皇族はまた、
こうしなくては国民の信頼を勝ち得ないことをしっていたから、
ここまでなさった。今は一体どういう関係になっているか
国家に何か会ったとき、やはり支えとなるのは皇室と軍。
ずっとそういう伝統で保ってきた国柄なのに、
戦後の左巻きの風潮のなか、どんどんおかしくなり、国の根幹にかかわっている。
そして今回のようなこと(皇太子夫妻の、阪神大震災後の外遊)が平然とおこっている
今一度、日本にとっての皇室と軍の重要性をしっかり考える機会をもたないと、
日本は今後、もっと大変なことになるぞ



参考
江藤淳氏は雅子さまの祖母江頭寿々子さんの従兄弟


死後「噂の真相」2000年9月号にて、痴漢による逮捕歴があったことを報じられた。
それによると、1997年頃、慶子夫人の闘病生活末期において、
江藤は当時の勤務先だった慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスへの出勤の途上、
JR横須賀線車内にて2名の女子大生(慶應義塾大学在籍)に痴漢行為を働いて
告訴される寸前だったが、江藤と皇室との姻戚関係にも鑑みて
鎌倉市当局が被害者たちを説得し、
それによって事件は闇へ葬り去られたという。
その情報の出どころは西部邁であり、西部は朝日新聞記者を通じて神奈川県警か
鎌倉市役所の記者クラブ筋から聞いたとのことだが、
信憑性は不明である。
同記事中には、痴漢行為と逮捕による自己処罰を描いた大江の作品「性的人間」に対し、
江藤が強い共感を表明していたことも紹介されている
(江藤と大江健三郎との共編著「われらの文学」第 18巻、1965年、講談社)。

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阪神・淡路大震災直後の中東訪問(1995年1月20日〜28日)
1月21日 阪神・淡路大震災後4日目 紅白衣装 
1月24日 震災1週間後 ラクダレース観戦
歓迎してくれる向こうの国の人々に悲しい顔を見せられない、
ご夫妻は笑顔の下に辛いお気持ちを押し隠して、ご公務に臨まれた。
結局、相手国の提案もあり、予定を2日短縮して帰国。
雅子様は渋々帰国を承諾したという話も。


2005年愛・地球博にて皇太子の発言
皇太子さま、万博から帰京 死海の水のプールを見学
皇太子さまは26日、愛知万博(愛・地球博)の長久手会場を訪問、
ポルトガルやモロッコなど7つの外国パビリオンを見学、夕方に新幹線で帰京された。  
今回の訪問で、各国政府や国際機関、企業などが出展した80以上のパビリオンのすべてを、
天皇、皇后両陛下と皇族方が訪れたことになる。
万博の名誉総裁を務める皇太子さまは、9月25日の閉会式にも出席する。  
午後に訪れたヨルダン館では、塩分濃度が高く人が入っても沈まない「死海」の水のプールを見学。
1995年の同国訪問に触れ、案内役の関係者に
「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」と話した。
2005/08/26 09:55 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200508/CN2005082601003570.html

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震災異聞
阪神大震災逸話集
【第3集】 国家装置と行政権力
http://www.geocities.jp/sinsaikobe/03.html
18 皇室諫言のこと
皇太子夫妻は地震直後にもかかわらず、中東訪問の旅に出かけた。
この「国際親善」という公務は以前から予定されていたから出かけたとのことである。
外遊先で歓迎の行事ににこやかに応じ、あるいは夫妻がゲームに興じる姿が報じられるに及び、国民の顰蹙をかった。
この国賓ご一行を迎える相手国も、どんな顔をして迎えたらよいやら迷惑したという話である。

【余 談】
Z■地震後の皇室の動向は、昭和天皇死後の天皇制を占う試金石だった。
皇太子夫妻の旅行についてはこんな反応がある。
――この外遊訪問は、たとえて言えば、自分の家が燃えている最中なのに、
「前からの約束通り来ました」といってやってくる客の無神経さである。
こういう客は歓迎されると思うのか。いったい宮内庁は天皇制をきちんと理解しているのか。
自身の役割が分かっているのか。とくに言えば「日本赤十字総裁」は誰なのか。
赤十字が救援に動いているのに、その代表者が不在とはどういうことか。
ふだんは皇室のことは何も気にしていない者たちも、皇太子夫妻の国際親善の旅は、
災厄への直面を回避して「海外逃亡」しやがった、という印象を多くの者が受けた。
右翼はこれに対し何をしていたのか、腹を切ってでも諫止し阻止すべきだった、という意見すらある。
Y■皇室の社会的機能、なかでも天皇の役目は、シンボリックな秩序維持に責任を有するというのが、
天皇制の根本である。災厄が起これば、それを鎮撫するために尽力し、
なおかつ天変地異等自然災害であろうと、これを自身の不徳のせいだとして、
退位するなどして公に責任をとる。いわば常人とは違う非人間的な役割を負う。
それが天皇である。人類学的な知見では王の究極的な機能は、自らが犠牲となって
共同体の秩序を回復させることにある。天皇の役割の根本もそういうところにある。
年頭、天皇は神々に今年一年の国家平安を祈念したのではなかったか。
X■天皇の戦争責任という問題が、戦後長く議論されてきた。昭和天皇の死後、そういう声は国内では消えた。
しかし天皇制の根本的機能に照らせば、「天皇の災害責任」という問題が立ってくる。
「天皇が震災に責任があるだって?そんな荒唐無稽な。それこそ神話的言いがかりだ」
――そう言うのが、近代政治空間の感覚だろうが、
天皇制本来の古代的祭政の次元と照合すれば、それほど荒唐無稽な話ではあるまい。
天変地異でさえ自身の責任とする。それが天皇制の極意である。そういうことになる。
このことは皇室メンバーを除けば、国民のだれより天皇制護持を標榜する党派が承知すべきだな。
Y■しかし皇室を擁護するつもりはないが、別の考え方もある。
つまりここでのテーマが我々の社会のシンボリックな秩序は震災でどのように動いたか、
という視点からすれば、違うことが言える。
顕在的な意味合いでは不分明な話でも、無意識的な次元ではだれもがよく知っている事柄であろう。
というのも、「海外逃亡」とすら言われた行為のパフォーマティヴな次元では、
ひたすら、「この災厄は大したことはないのだよ」というメッセージを送るものだったからだ。
ところが、この国際親善の名において実行された行為が、こんなに被災者が苦悩しているのに、
「この災厄は大したことはない」というメッセージを送るものだと、これまた受け止められ、
市民の顰蹙を買ってしまったのである。この一大事を何と心得て、往ってしまったのか、と。
ここには、言うまでもなく誤解がある。
Z■ひたすら「この災厄は大したことはない」というメッセージを送るものだった皇太子夫妻の海外出張行動は、
第一に、誰に対してそういうメッセージを送ったのか。
答えは、それは「人心」というものに対して、である。
人心を慰撫するために否認のメッセージが必要なんだ。
もう一つ、この否認行動は、家を失った市民の間で見られる否認と連続しているということだ。
震災はなかった、早く家に帰ろう、という事実否認は、防衛メカニズムへの反応としての症状である。
症状がそれ自体で語るところを見なければならないのは、個人も社会も同じだ。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

平成15(2003)年4月25〜26日 皇太子ご夫妻兵庫県ご訪問
(全国「みどりの愛護」のつどい、他)
北淡町震災記念公園視察

洛書き帳:皇室報道に接する度… /京都
皇室報道に接する度、思い出すことがある。
皇太子ご夫妻が03年、兵庫県・淡路島を訪れた時のこと。
宮内庁幹部と知事の会見で、記者から「なぜ阪神大震災の被災者とお会いにならなかったのか」と質問が出た。
「日程の都合」とだけ答える知事に記者は食い下がる。場がピリピリしてきた。
次にテレビ局の記者は「ご夕食のメニューは?」。さまつな質問にずっこけた。
だが、それ以後、皇室のニュースを見ると不思議と食事のことが気になるように。
皇室への関心は高く、今ではその質問は当然と思う。
ちなみにその時の宮内庁の答えは「私生活にかかわるので……」。
機会があれば、ぜひ、また尋ねたい。【熊谷豪】
毎日新聞 2008年11月6日 地方版


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