ご成婚から15年を徹底比較 美智子さまと雅子さま

アエラ2008年8月25日号

プリンセスは輝いてこそプリンセス。だが妃の笑顔に翳りがさしている。
ご成婚15年の晴れやかなとき、表舞台に雅子さまの姿がほとんど見えない。
風雪に耐えながらも、美智子さまは3人の宮さまに囲まれた。
苦しみとともにあった二人のお后の心を再生する歩みとは。


真っ白いスーツに身を包んだ雅子さまが東宮御所の玄関に立っていた。
7月23日。風邪気味のために愛子さまは隣にいなかったが、
スペイン帰りの皇太子さまの帰りを出迎えていた雅子さまはとてもにこやか。
皇太子さまと楽しそうに会話を交わしていた、ように見えた。
だが、こうしたお姿から「お元気そうだ」と考えるのは早のみ込みだったようだ。

その2日後の25日、宮内庁の野村一成東宮大夫が定例記者会見で突然、
記者を前に、「ひとつ、みなさんにお伝えしたいことが……」と、
「東宮職医師団の見解」を述べ始めた。
「見解」とは、6月のブラジル、7月のスペインと、皇太子さまが外国を公式訪問する前の記者会見で、
雅子さまが同行しないことに関する質問が「相次いだ」ことに対する“クレーム”だった。
そもそも、皇太子さまの記者会見は、事前に宮内記者会と宮内庁が調整したもの。
その時点で問題視されていなかったから、記者は戸惑った。
東宮大夫が明らかにした「東宮職医師団の見解」は、
「公私にわたって活動の幅は着実に広がってきていらっしゃいます。東宮職医師団が治療を
担い始めたころに比べますと、その違いは驚くほどであり、これも妃殿下のご自身の努力と、
殿下をはじめとするみなさまの支えがあって可能になったものと考えております」と
雅子さまの回復ぶりを示す一方で、記者をこう批判する。

■努力足りないと批判
「今回のように同じ趣旨の質問が繰り返されると、治療の見地から妃殿下のご努力に
水をさすだけでなく、努力が足らないと批判している印象を与えかねない」
「精神疾患のために治療を受けながらがんばっている人に対する励ましというのは、
その人を追い詰めることになるので絶対に避けるべきだということは一般的にも
広く知られるようになっております」
しかし、雅子さまが皇太子さまの外国訪問に同行しない理由が関心事であることは間違いない。
特に、スペイン行きは今年5月末まで結論が先送りされたために、
雅子さまが訪問する可能性があるのではないかとその動向に注目が集まっていた。
質問するのは当然の面があった。

東宮職医師団の「見解」を読み上げた東宮大夫に対し、記者会側は、
「なぜ、いまになってそんな見解が出されるのか、背景がわかりにくい」
「だれが見解を出させたのか」
などと、質問した。
東宮大夫は記者の問いかけに答えることなく、「見解」の内容をひたすら繰り返した。

■皇室の尊厳損なう行為
宮内庁関係者の一人は言う。
「皇太子妃の同行に関する質問に、雅子さまが不快な思いをしていたと伝えられています」
雅子さまの病状をめぐっては、
私的外出の活発さから回復基調にあるという見方が多かった。
しかし、出発前のことを帰国後に蒸し返して、問題化するという今回の行動に対し、
別の宮内庁関係者はこう話す。
「予想以上に雅子さまの病状が悪い、ということに多くの人が気づいたのではないか」
やはり、長期療養に入って5年たったいまも、病状は深刻なのだろうか。
今年は皇太子さまと雅子さまのご成婚15年の節目。
だが、愛子さまのご入学をのぞけば、
ご一家の周りから明るい話題がほとんど伝わってこない。

ときを、49年前にさかのぼってみる。
天皇、皇后両陛下は1959年にご成婚された。
一躍、日本国中に「ミッチー・ブーム」が沸き起こった翌60年には、
浩宮さま、いまの皇太子さまが誕生した。

2月23日に浩宮さまを出産し、
3月12日に宮内庁病院を退院した美智子さまは、
病院で出産を迎えた初めての皇太子妃だった。

迎えの車のなかで、おくるみに包まれた浩宮さまを抱いていた「新米ママ」は、
報道陣からの要請に従い、写真の撮影のために車の窓ガラスを開けた。
この一件が、「皇室の尊厳を損なう行為」と他方から非難が集まったのだ。
「美智子さまはご婚約が決まってからずっと、旧皇族・華族を中心として、
何かにつけて不満の声を浴びせられました。
93年、皇太子さまと雅子さまがご成婚した年に起きた『皇后バッシング』も含め、
いわれなき非難がほとんどだったはずです」
日本テレビの記者兼ディレクターとして、美智子さまのご成婚パレードを中継していた
文化女子大学客員教授の渡辺みどりさんは語る。


明らかになったいじめ
美智子さまは皇室でいじめに遭われていたのではないか――。
そんなうわさや憶測は婚約当時から常に流れていた。
これが「事実」であることは、半世紀にわたって昭和天皇に仕えた
侍従長・入江相政氏の『入江相政日記』(朝日新聞出版)の公開で明らかになる。

〈昭和三十四年十二月十七日(木)霧 晴 
東宮妃殿下御参内のことにつき皇后さまに申し上げる。
どういふ訳か御機嫌がわるい。意味はよく分つてゐるが〉
渡辺さんのメモによれば、美智子さまは当時、妊娠8カ月の身重だった。
「意味はよく分つてゐるが」という表記が、
お姑である香淳皇后との確執を確信させる。
「入江日記の記述は、美智子さまの想像を絶するご苦労を物語っていますが、
美智子さまは40歳のとき、誕生日の記者会見で『皇后さま(香淳皇后)から学んだことは?』と
質問され、『たくさんのお苦しみやお悩みの中から今日のすばらしいご自分をおつくりになったお力』と
お答えになっています。おつらいことも、ご自身を見つめることで乗り越えられたことに、
並々ならぬ努力を感じずにはいられません」

美智子さまと同世代の渡辺さんは感慨深く述懐する。
所得倍増計画から東京五輪を経て、石油ショックまで
経済成長率が2ケタ単位で伸びていった美智子さまのご成婚15年。
男女雇用機会均等法で女性の社会参加がある種の記号的ブームになり、
バブルが崩壊した後、93年から始まる雅子さまのご成婚15年。
時代背景はまったく異なるが、美智子さまと雅子さまには生涯の伴侶との出会いと、
皇室生活のご心労という点に「共通項」があった。

■ともに22歳の出会い
美智子さまは聖心女子大学を卒業後、
軽井沢でのテニストーナメントで当時の皇太子さまと出会っている。
雅子さまは、学士入学した東大法学部在学中、外交官試験に合格し、
その年に東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女の来日レセプションの茶会で
当時の浩宮さまに出会った。ともに、そのとき22歳だった。

一方、悲しいできごとも共通していた。
美智子さまは浩宮さまをご出産後、63年に第2子の懐妊が発表された。
だがその17日後、胞状奇胎(異常妊娠)のために流産している。
雅子さまは99年、36歳のとき、ご懐妊の兆候が明らかになったが、
稽留流産と診断され、手術が行われた。
美智子さまは雅子さまの流産があった翌2000年、
66歳のお誕生日の記者会見で、
「流産は、たとえほかに何人の子どもがあったとしても悲しいものであり、
初めての懐妊でそれを味わった東宮妃の気持ちには、外からは計りしれぬものがあったと
思います。(中略)私がどのように役に立っていけるか、まだよく分からないのですが、
必要とされる時には話相手になれるようでありたいと願っています」と回答している。

■正田家と小和田家
流産後、美智子さまはおつきの方と話すのさえも困難な状況のときに
葉山の御用邸で静養の日々を送った。
そして、01年に愛子さまをご出産した雅子さまは03年、
帯状疱疹をわずらい、以降、長期療養に入った。
04年には長野県軽井沢町にある実家の別荘で約1カ月間、静養。
06年にはご一家で異例のオランダ静養をしている。

ただ、雅子さまの静養については、
静岡福祉大学教授で皇室研究家の高橋紘さんは、「小和田家の論理だ」と話す。
高橋さんは、浩宮さま(当時)が幼いとき、
美智子さまの母・正田富美子さんに話を聞いたことがある。
「宮ちゃまはよくいらっしゃるんですか」と尋ねると、
富美子さんは首を横に振った。
「警備の問題があって、宮ちゃまに来てもらうのは大変なんです。
うちの庭に入るだけではなく、となりの家の庭にも警備が入られるのでご迷惑になる。
そう簡単にはお越しいただけません」

高橋さんは言う。
「雅子さまが静養に警備のしやすい御用邸をお使いにならなくて、
ご実家の別荘を使われたことにまず驚きました。
治療とはいえ、正田家だったら絶対にしなかったこと。世代が変わったのでしょう」

渡辺さんは同じご成婚15年を比べて、もっとも違う点は「お世継ぎ」問題だという。
「民間初のお后ですべての行動に前例がなかったという意味で、美智子さまのご苦労は
雅子さまの比ではなかったと思いますが、2男1女の宮さまに恵まれたことが何よりの幸運。
ご成婚から出産まで8年の間をおいた雅子さまはお世継ぎについて常に問われ続けた
15年だったと言えるでしょう」

■2人の名アドバイザー
長期療養が5年目に入った雅子さまはいま、
立ち直るきっかけをつかめているのだろうか。
美智子さまがご心労から立ち直るきっかけには、
複数の名アドバイザーの存在があった。
その一人が精神科医の神谷美恵子さん。
63年の葉山での静養から、美智子さまが「完全復活」した大きなきっかけが
神谷さんだったと言われている。
天皇陛下が皇太子時代の教育係で、ご夫妻が信頼していた
東宮職参与小泉信三氏の友人・前田多門氏の令嬢。
後に津田塾大学の教授にもなった。狭心症の発作で倒れる71年まで、
東宮御所には7年ほど通い、美智子さまのよき相談相手となった。
神谷さんとの出会いからまもなく、美智子さまは礼宮さまを出産している。
もう一人は、美智子さまの歌の師である五島美代子さんだ。
美智子さまは、第1子の浩宮さまご懐妊中にも五島さんの御進講を希望するほど
歌に熱心だったとされる。歌を詠むことで心を開いていたのかもしれない。
初産の不安におびえる美智子さまに、
「自然の波に乗るように素直に身をおまかせになりさえすれば、苦痛は耐えられます」と
励ましたのも、五島さんだった。

渡辺さんは言う。「美智子さまにはいつもおそばに名アドバイザーがいらした。
美智子さまのお人柄に、すばらしい知性の方々が寄ってこられると言えるのかもしれません。
雅子さまにはそういった方がいらっしゃらないようにお見受けします。
心を取り戻す過程の大きな違いに思えてなりません」
雅子さまの心の再生の道程に、美智子さまの歌にあたる存在があるとは伝え聞かない。

■周辺の「報道規制」
宮内庁関係者は言う。
「皇太子さまがスペインに行かれている間、愛子さまが風邪で熱を出されたこともあって、
雅子さまのご心労が重なったのでしょうか。東宮職医師団の『見解』は唐突感があった」
この関係者によれば、宮内庁長官は定例記者会見より前に東宮大夫と会っているが、
そのときには「見解」の話は出なかった。
長官は「見解」について報道で知ったという。
東宮職医師団とは、皇太子ご一家が06年8月にオランダ静養に出向いたときの
随行者リストに載る形で慶応大学保健管理センター教授の大野裕氏であることが
明らかになっているが、宮内庁はいまだに名前を正式発表していない。

皇室に詳しい関係者は言う。
「雅子さまの心の中は大野医師しか知らない。少なくとも宮内庁の役人は
ほとんど直接話をしていないと聞いている」
宮内庁内の意思疎通が不十分なまま、
結果として、異例の見解を発表せざるを得なくなったようだ。
雅子さま周辺とその報道のありかたをめぐっては、
このところギクシャクとした関係が続いている。
今年4月、愛子さまが学習院初等科に入学した際、
宮内記者会は雅子さまとのツーショットでの通学風景の撮影を要請したが、
公道にもかかわらず、宮内庁が嘱託撮影を主張してもめたことがあった。

■雅子さまの手助け役は
愛子さまが学習院幼稚園時代、帰路に電車体験をしたとき、映像におさめようとした民放の記者が
警備の人からビデオカメラを取り上げられそうになり、駅構内が騒然としたこともあった。
愛子さまの取材に対して、宮内庁は、「愛子さま以外のお子さんの迷惑になる」と
個人情報やプライバシーへの配慮を求めているが、
「愛子さまが幼稚園に入られてから、父母でも運動会などの行事で撮影を制限される場面が多いんです。
撮影した写真をほかの人と交換してはいけないとか、ビデオカメラを回すことに難色を示されたりとか、
ずいぶんとピリピリした雰囲気になりました」(学習院関係者)ということからも、
愛子さまへの配慮が際立っている。

愛子さまの誕生は01年12月1日。天皇陛下は、その年の自身の誕生日の記者会見で、
「皇族がプライバシーを保ちつつ、国民の関心にどのように応えていくかということは、
つねにむずかしい問題」とした上で、「私どもは、極力、子どもの私生活を守ることに
努力してきましたが、一方で、皇族の子どもが健やかに育っているという姿を国民に
見せてほしいという要請にも応えていく義務があると思います」と述べている。

プライバシーと国民の要請に応える義務の両立はむずかしい問題だろうが、
両陛下は心を砕いてきた。
いずれにせよ、雅子さまが、美智子さまのように「ご心労」から立ち直ることが、
ご本人にとっても皇室にとっても大きな力になることは間違いない。
雅子さまを手助けする立場の人はいるのだろうか。

■試験で落第点の夢
治療については大野氏になるのだろう。また、愛子さまの子育てという面では
「養育係」である福迫美樹子さん、筒井美奈さんに加え、
今年からは学習院幼稚園の前園長・小山久子さんが
「養育専任女官」として加わっている。
「ただ、一番心を許されているのはお母さまの優美子さんでしょうね。
雅子さまが軽井沢のご実家別荘で静養されたときも、つきっきりで看病されたのが
優美子さん。オランダ静養のときも、父・小和田恒さんがハーグで国際司法裁判所に
赴任中だったので、合流されやすかったんです」(渡辺さん)

そして、誰よりもの味方は、婚約のときに「全力でお守りする」と誓った
皇太子さまなのかもしれない。
ご成婚10年の記者会見。
節目にあたってお互いにどんな言葉をかけたいかという質問に、雅子さまは、
「皇太子様に点数を差し上げることは少々はばかられるような気もいたしますが、
もし、満点というものがあるのでしたら、皇太子様は満点以上でいらっしゃることは
確かではないでしょうか」と応じた。

そして、田園調布雙葉やハーバード、東大、外務省、オックスフォードと
「教育の申し子」として育った雅子さまらしく、こう付け加えている。
「私自身は、今日は全ての質問への答えをまとめることが難しく感じられ、
試験で落第点をとった夢を見そうな気がしています……」

皇太子さまはこう答えている。
「雅子は、『努力賞』と『感謝状』ならぬ『感謝賞』のダブル受賞ではないかと思います」
雅子さまを見る目は、時に移ろうが、夫である皇太子さまの熱意はいまも変わっていない。

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