天皇陛下に口答えした雅子妃

週刊文春2006年2月23日号
皇太子ご夫妻のご成婚から12年半。天皇家の「お世継ぎ」問題ほど、
天皇皇后と皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻を悩ませ、苦しめ続けた問題はなかった。
実はこの「お世継ぎ問題」こそ、雅子さまの「皇室不適応」の核心なのだ。
「お世継ぎ」をめぐって天皇皇后と皇太子ご夫妻の間には見解の相違が存在することが顕在化したのは
ご成婚から三年目のことだった。皇太子ご夫妻は94年、95年と続けて中東諸国を歴訪されているが、
そのご帰国後の95年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は雅子さまにこう語りかけたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという。
当時の事情を知る皇室関係者が振り返る。
「側近たちの間からも、お世継ぎをお待ちしているけれどなかなかお生まれにならない、
という話題が出るようになっていました。
天皇陛下のことですから、もちろん配慮のあるおっしゃり方だったはずなのですが、
雅子さまき感情的な物言いをされてしまったといいます。
陛下は反論された経験などないでしょうから、さぞ驚かれたことでしょう。この一件があったので
一昨年の皇太子さまの『人格否定発言』にあった『雅子の人格を否定するような動き』とは、
天皇陛下のことを指したのではないかと皇居周辺で受け止められたのです」
天皇家にとって「お世継ぎ」は最重要の課題であったが、皇太子ご夫妻のお考えは天皇とは異なっていた。
元宮内庁関係者が明かす。
「天皇皇后が『お世継ぎ』を望まれるご意思は強く、いわば『デューティ(義務)』だとお考えでした。
ところが皇太子ご夫妻は『子どものことは自分たちで考える』というお考えだった。
その後も天皇皇后は、皇太子ご夫妻が四年間も子宝に恵まれないことについて
何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、さすがにご心配が募られたようです。
そこで、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かりつけ医であった産婦人科医の坂元正一氏にいろいろとご相談されました。
ところが坂元さんは皇后の信頼が厚いためか、皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそうです。
坂元さんは『自分のことを両陛下の側の人間だと思われるらしく、敬遠されてしまう』と嘆いていた」
そこで坂元御用掛の代わりに東宮侍医長が皇太子ご夫妻におうかがいを立てることになったという。
97年頃のことだ。
「東宮侍医長は温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で、
『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。
それが皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。
『他人が口をはさむものではない』と厳しいご返事をいただいたと聞きました。
その後、東宮侍医長は遠ざけられ、雅子さまへのお目通りは一切許さなくなり、
連絡はメモのやり取りだけに限定されたそうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」 (同前)
東宮家の皇子待望は皇族方がご懸念されるところでもあった。
秋篠宮を励ましていた高松宮妃喜久子さまが。皇太子のことを元気づけられる場面もあったという。
「高輪の高松宮邸に皇太子さまをお招きになって、妃殿下らしい率直な物言いでお話をなさったそうです。
『ぐずぐずなさらないでさっさとお作りになったほうがよろしいですよ」そうおっしゃって、
ご自分がご存知のお医者さんを紹介するからとか、高齢出産は大変だからなどとおっしゃって、
専門的な資料をまとめてお見せしたのだそうです」(元宮内庁関係者)

皇太子夫妻は元々あまり外出せず、けして外交的な方ではない。
御所でも籠もりがちで2人でいるのが好き。大概の事は2人で解決するので
皇居を訪れる機会も少なくなっていった。
「雅子さまは外国育ちという事ですが、意外にシャイでいらして
気さくにどなたとでも打ち解けるタイプではありません。」
秋篠宮様や紀宮様とは性格が合わなかった。

祭祀について
「雅子さまのご欠席はご病気になるずっと前から目立つようになっていました。
すでに何年もお休みですから、
東宮の女官や女嬬もお式の段取りがわからなくなっているのではないかと、
皇后さまもご心配されているそうです」(元東宮職)
皇太子が即位すると東宮職の職員がそのまま御所に移って、
現在の御所の職員と入れ替わるシステム。
だから、現在の東宮職で祭祀の手順・所作が伝わっていないと、
雅子さまが皇后になったら、祭祀が出来ない。

アサヒ芸能2006年3月2日号
55ページ
ご成婚3年目の95年、こんな事件があった。
天皇陛下が「お世継ぎ」に関して 雅子妃に、「みんな(国民)も待っているからね」と語りかけられると、
雅子妃は、「私の周りでそのようなことを言う人はいません」と
強い口調でおっしゃったというのだ。
そのためその場は、たいへん気まずい雰囲気になったという。


週刊新潮2006年9月28日号
46ページ
「皇太子ご夫妻と両陛下に最初の溝ができたきっかけは、ご結婚から数年後のある事件でした。
陛下が雅子妃に“国民が二人のお子さんを 期待していますよ”という趣旨のお話をされた時、
雅子妃が“そんなことを言う人は 私の周りには誰もいません”と断じられたんです。
これには陛下が大変驚かれました。
もちろん、陛下に対してこんな物言いをなさる人は今まで誰一人いませんでした」

「『私のまわりにそういうことを』事件の後は、食事会で陛下が雅子さまに話を振ろうとすると
逆の方を向いて無視することが再三あり見かねた紀宮さまが「陛下がお尋ねですよ」と注意したこともある」

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