雅子さま、祖母の葬儀に=皇太子さまと参列

雅子さまの祖母・江頭寿々子(チッソ会長江頭豊氏の妻)さん死去(2004/11/19)
19日未明に雅子さま弔問、20日に愛子さまと皇太子さまを連れ弔問、
21日葬儀は皇太子さまを連れて参列。雅子さまは3日連続の弔問。


時事通信
雅子さま、祖母の葬儀に=皇太子さまと参列
皇太子ご夫妻は21日、東京都目黒区の円融寺で営まれた雅子さまの母方の祖母、
江頭寿々子さんの葬儀に参列された。(2004年11月21日)

ANNニュース
皇太子ご夫妻は、19日に亡くなられた雅子さまの母方の祖母・江頭寿々子さん(88)の
告別式に参列されました。寿々子さんの告別式は21日正午から、東京・目黒区で行われました。
皇太子さまと雅子さまは正午前に斎場を訪れ、江頭家の親族の出迎えを受けられました。
この後、ご夫妻はお1人ずつ玉ぐしをささげ、故人の冥福を祈られたということです。
一方、文京区の豊島岡墓地では、亡くなられて2年になる高円宮さまの墓所祭が行われ、
婚約が内定した紀宮さまも参列されました。
婚約の正式発表は、雅子さま祖母の30日間の喪が明けた直後となりそうです。


盛岡タイムス 天窓
▼ 2004年 11月 21日 ―江頭寿々子さんが逝去―
皇太子妃雅子さまの祖母、江頭寿々子さんが19日午前2時25分、静岡県富士市の病院で死去された。
88歳であった。
▼江頭寿々子さんは、平成6年4月23日、
盛岡タイムス社主催「山屋他人・ある海軍大将の生涯」出版記念会であいさつをされ、
北山・教浄寺に眠る山屋他人の先祖の墓参に来盛された。
▼雅子さまのルーツは大きく分けて三つで、九州・佐賀の江頭家と
新潟・村上の小和田家、岩手・盛岡の山屋家であるが、
山屋他人と江頭安太郎は明治15年、攻玉社を経て海軍兵学校に入学し、
明治19年12月そろって卒業した間柄であった。
▼江頭安太郎氏のご子息豊氏と山屋他人のご令嬢寿々子さんが昭和11年秋、華燭の典をあげた。
このお二人の間に生まれたのが優美子さんで、外務省勤務の小和田恒氏と結婚し、雅子さまの誕生となる。
▼雅子さまの祖母、寿々子さんが入院されたとの知らせを聞いて
東京の昭和病院に見舞ったのが平成8年8月であった。
前年、歩いていてつまずいて骨折、その後、バスから降りるときにまた骨折するなどで平成8年夏ころから、
目黒のご自宅の近くの病院に入院するなどを繰り返しておられるご様子とうかがっていた。
▼平成15年4月19日には、教浄寺境内に山屋家ご親族の方々によって「山屋他人記念碑」が建立され、
建立記念法要が営まれた。寿々子さんのご出席は見られなかったが、
立派な石碑の写真はご覧になられたものと思います。ごめい福をお祈りいたします。
http://www.morioka-times.com/tenmado/0411en.html


寿々子さん子供の頃のエピソード
祖父、山屋他人海軍大将の遥かな日の想い出 
山屋敬介
海軍大将だった祖父の名前「他人(たにん)」は実名です。
私が直孫と分かると、どなたからも名前の由来を尋ねられます。
明治維新まで本州北部の南部藩に属していた山屋家は、
先祖代々子宝に恵まれず、養子縁組などで辛うじて家系図を繋げてきました。
慶応2年(1866年)、曽祖父、勝寿が厄年42歳のとき、待望の男子を授かりました。
この後継ぎを元気に育てるため、昔の風習で神社の門前に捨て子し、拾い直す際、
曽祖父が「仮の名前を付けるなら、初めから赤の“他人”でいい」と命名したそうです。
その甲斐があって、祖父他人は、海軍軍人になり、攻玉社の後輩で11歳年下の丹羽貞子と結婚、
4男5女に恵まれました。洩れ聞いた話だと、
祖父は自分が乗っている軍艦の帰港日と入る港を祖母貞子に電報で知らせ、
祖母はその都度、家族を増やしたようです。
家族が食事をしていたときの面白い話を一つ。
祖父が茶碗の中で入れ歯を洗った後、末っ子の寿々子叔母に
「このお茶を飲んだら、欲しがっていたピアノを買って上げるよ」と言ったところ、
寿々子叔母が即座に「絶対にイヤー」と断り、家族全員の爆笑になったそうです。
寿々子叔母は、成人後、祖父の海軍兵学校の同期生で、
入学から卒業まで成績トップで過ごした江頭安太郎中将の三男で
後に大手化学工業会社の社長を務めた豊に嫁ぎました。(09.12.16.投稿)
http://web2.nazca.co.jp/09inaho/inahozuisou_dai3syu.html

週刊現代・俵孝太郎
「病気なら療養は当然だが、身内の不幸では外出できるが
災害で被災した国民の見舞いにはいけない病状など、私人ならいざしらず公人にありうるだろうか。」
「両陛下が余震の中、ひざまずき幼児を抱きしめる姿勢とは大違い」

週刊朝日
当日夕方、通夜に、行くため半蔵門を出たあたりで、
マスコミが江頭宅の前で待機していることを知った雅子妃が、
通夜に行くのを断念しようと一旦御所に引き返した。そして夜になってから行った。
雅子妃が病気療養中、両陛下からお見舞いの品が届き、対応の仕方が分らず、かえって戸惑ってしまった。
療養中、1時間通しでテニスをした。


夕方のニュース(TBS)
愛子さまは最初の場面で両手を引かれて登場
つないでいた手を離してもその形のまま
ゆらゆらうらめしや〜状態
皇太子さまの手をぺろぺろとなめた。
皇太子夫妻は微笑んでいた。
翌日のニュースでぺろぺろ映像かカットされていた。


江頭豊氏「寿々子さんは良い意味で華やかなのが好き、
派手好きなので(葬儀に)人が沢山来てくれて良かった」


東宮御所に記帳所が設けられ、首相が記帳。
首相動静
2004年11月26日
〈25日〉
【午前】9時35分、皇居。帰国の記帳。47分、東京・元赤坂の東宮御所。
皇太子妃雅子さまの祖母、故江頭寿々子さんの弔問記帳。59分、官邸。
11時、竹中経済財政相。51分、細田官房長官、麻生総務相、谷垣財務相、竹中経済財政相。
二橋官房副長官ら同席。
【午後】0時35分、中川経産相。1時28分、国会。31分、衆院イラク復興支援特別委員会。
3時36分、官邸。38分、武部自民党幹事長。52分、石弘光政府税制調査会長。
05年度税制改正の答申。4時17分、クウェートのジャビル副首相。5時2分、経済財政諮問会議。
6時40分、二橋副長官。7時12分、杉浦官房副長官。20分、山崎官房副長官、藤崎外務審議官、
木下農林水産審議官。10時35分、東京・東五反田の仮公邸。
(朝日新聞東京本社発行 11月26日付朝刊)
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200411260127.html

2004年11月26日雅子さま:今週初めに風邪、ほぼ回復
皇太子妃雅子さまが今週初めに風邪にかかり、
発熱があったと宮内庁の林田英樹東宮大夫が26日の定例会見で公表した。
雅子さまは19日に母方の祖母江頭寿々子さんが亡くなり、21日に葬儀に参列した。
その後、週明けに37度台の発熱があったが、侍医の診察を受けて服薬し、ほぼ回復した。


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正田冨美子さん(皇后陛下のお母様)がお亡くなりになったとき
陛下も当時の浩宮(現皇太子)も行かなかった。
「臨終に当たり、美智子が礼宮と紀宮だけを呼び寄せたことは、
おそらく故人のそれまでの生き方や考え方を背景に判断したことと思い、
浩宮にもその気持ちを大切にするよう伝え、御所にとどまりました」
(S63 8/19陛下軽井沢定例会見より)
紀子さまの父方のおばあさまが亡くなったときは紀子さまのみ参列
皇后陛下は父方の祖母の逝去の際、花を贈るにとどめて自らは行かなかった。
雅子さまは、皇太后の葬儀を夏バテで欠席、天皇陛下の古希のお祝いも、
皇后陛下の古希のお祝いも欠席
自分の祖母の葬儀には3日連続で出席。
亡くなる前も里帰りして見舞いしていた。
天皇陛下が前立腺がんの時はお見舞いにもいかなかった。
1997年に父方祖母小和田静さんが亡くなったときも夫妻で参列。

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