両陛下サイパンご訪問


読売新聞2005年6月26日
両陛下、27日にサイパンへ…初めて慰霊目的だけで
天皇、皇后両陛下は27日、先の大戦で民間人を巻き込んだ戦闘が行われた
米自治領・北マリアナ諸島のサイパン島を訪問される。
戦後60年にあたって戦没者を慰霊し、平和を祈念するのが目的で、両陛下の強い思いにより実現した。
友好親善でない慰霊目的だけの海外訪問は初めてとなる。
同島は第1次世界大戦後に日本の委任統治領となり、砂糖作りなどで多くの日本人が移住した。
1944年6月15日に米軍が上陸し て地上戦が始まり、日本軍は7月7日の突撃を最後に玉砕。
日本側は軍人・軍属4万3000人、民間人1万2000人、米側も5キロ南のテニアン島と合わせ
約5000人が犠牲になった。サイパン島の陥落でB29による本土空襲が本格化し、
広島と長崎への原爆はテニアン島で搭載された。
両陛下は28日午前、日本政府が建てた「中部太平洋戦没者の碑」を訪ねて供花、
日本兵や民間人が投降を拒んで身を投げた「スーサイドクリフ」や「バンザイクリフ」などを回られる。
両陛下は戦後50年にあたる95年、「慰霊の旅」として広島と長崎、沖縄などを訪問されており、
今回の訪問はその延長線上にある。



両陛下に島見せたい…子供時代に招かれたサイパン住民
天皇、皇后両陛下が27日から訪問される北マリアナ諸島のサイパン島。
子供のころに海を越えて日本を訪れ、皇太子時代の陛下と皇后さまから
東京・元赤坂の東宮御所に招かれた人々が今、たくましく成長してこの島々で暮らす。
両陛下にとって今回は、慰霊だけを目的とする初めての外国訪問だが、現地で独り立ちしている彼らは、
「私たちの島の素晴らしさをできる限り見て欲しい」と話している。
「日本ミクロネシア協会」(現・太平洋諸島地域研究所)が、ミクロネシアと日本の小中学生の
交流事業を始めたのは1976年。当初の見学コースに皇居などは入っていなかったが、
日本の委任統治領だった戦前に皇民化教育を受けた祖父母から、「見学させたい」との声が上がり、
同協会が願い出た結果、79年から東宮御所での面会が実現した。
ミクロネシアの子供たちは、Tシャツ、ゴム草履姿で東宮御所を訪ね、麦茶と和菓子でもてなされて
30分ほど両陛下と歓談した。陛下は、「小学校の国語読本にあった『トラック島便り』を読み、
いつか南の島に行ってみたいと思うようになりました」などとあいさつされたという。
88年まで続いた交流事業で、北マリアナ諸島の小中学生が東宮御所を訪ねたのは83年と87年。
その数は計約140人に上る。
同諸島の自治政府職員になったフランク・エリプティコさん(29)は「両陛下は優しかった。
Tシャツの僕らさえ会えたのだから、日本国民は誰でも会えると思って いた」と思い出を語る。
地元紙「マリアナズ・バラエティー」の総支配人、ライラ・ボイヤーさん(30)も東宮御所を訪ねた一人。
「今回の訪問に対する読者の反応は、うれしいという声が大半。
ただ、戦争で家族を亡くし、日本を責める声も一部にある」。
サイパン国際空港で地元の少女が皇后さまに花束を贈呈する場に、ボイヤーさんは立ち会う予定だ。
両陛下が宿泊するホテル内で勤務するメリア・ジョンソンさん(31)は、こう話す。
「サイパン戦は悲劇的な出来事だったが、今はきれいな島になって日本人、チャモロ人、 米国人、韓国人が
仲良く一緒に住んでいる。その姿を見て欲しい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050625-00000305-yom-soci


「本当によかった」 両陛下慰霊の旅終え帰国へ
太平洋戦争の犠牲者を慰霊するため米自治領サイパン島を訪れた天皇陛下は
28日午後川島裕式部官長を通じ
「慰霊の一連の行事がつつがなく終わって本当によかった」と感想を述べられた。
皇后さまとともに政府専用機でサイパン国際空港を出発し同日夜羽田に帰国した。
これに先立ち、両陛下はサイパン島中部の敬老センターを視察した。
ホールでは、センターに通うお年寄りたち約120人が軍歌「海ゆかば」を
日本語で歌い歓迎。ダンスの披露などがあった。
慰霊を目的とする初の外国訪問で両陛下は同日午前、
島北部の中部太平洋戦没者の碑に花を供え、
バンザイクリフ、スーサイドクリフを訪れ、黙とうをささげた。
米軍や現地人、韓国人の犠牲者を慰霊する碑にも供花や拝礼をした。
(共同通信) - 6月28日20時15分更新

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