雅子さま 誕生日の乱 2005

医師団の文書kenkai1.htm

2005年12月9日読売新聞
雅子さま、42歳に 「体調も徐々に回復」
皇太子妃雅子さまは9日、42歳の誕生日を迎えた。心身の不調で療養を始めて2年。
雅子さまは「体調も徐々に回復してきており、公の場にも少しずつ出席することが
できるようになってまいりました」との所感を公表した。
医師団は、着実に回復しているとしつつも、「ストレスは想像以上のものであった」
「治療の成果が上がるまでにはなお時間が必要」との見解を公表した。
医師団はまず、「適応障害」からの回復が長引いている理由について、
「慢性のストレス因子が原因」と説明。
カウンセリングや薬物療法などによって、回復傾向にあるものの、
心身のストレスが体調に影響を及ぼしやすい状態が続いており、
続けて公務をする状態には回復していない、としている。
体調を崩した原因については、出産後まもなく、
敬宮愛子さまと離れて多くの公務が続いたことが病気の引き金になった、との見方を示した。
また、私的な楽しみを控えてきたことによる「心理的な閉塞(へいそく)感」を強く感じたと指摘。
自由に外出できないことが、ストレスとなったほか、ストレスへの抵抗力も弱めたとしている。 
そのうえで、プライバシーの確保や新しい公務、結婚前の知識や経験を生かすライフワーク的な仕事や
研究を持つこと、育児と仕事とのバランスをとることの必要性を強調した。 
林田英樹東宮大夫は、医師団の指摘を受けて、
公務の見直しやプライバシーの確保などを今後さらに進める考えを示した。
宮内庁の羽毛田信吾長官は8日の記者会見で、医師団の見解について
実は私も皇室医務主管も妃殿下にお目にかかっておりません」と明かしたうえで、
「私どもがご回復に尽力できる状態になればと思っています」と話した。


神戸新聞12月9日
雅子さま病状 医師団が見解
東宮職へ異例注文
「国民の期待はあるが、完全復帰はまだ難しい状態を理解してほしい」。
雅子さまの適応障害に関する医師団の見解を発表した宮内庁東宮職の林田英樹大夫はこう強調した。
体調を崩して2年、徐々に公務を再開された雅子さま。
しかし今後の活動の具体的な展望は見えない。宮内庁の背負った課題は重い。
栃木・那須高原のりんどう湖。ボートで遊ぶ母子のはしゃぐ声が響いた。
皇太子ご一家が静養をしていた今夏のことだ。
昨年は、住まいの東宮御所から一歩も出ない日が数ヶ月続いたこともあるだけに、
周囲は「あんな明るい表情をみるのは久しぶり」と喜んだ。
昨秋から続ける乗馬に加え、愛子さまが通う都内の児童施設「子供の城」への送り迎えも
「癒しになっている」(側近)
医師団によると、体調は回復途上。病気の一因として、
公務のために育児に時間を割くことができなかったことも挙げた。
「育児と公務の両立が課題」「プライバシーの確保を」
「家庭で果たされる役割やライフワークになるような活動、研究とのバランスを」。
見解は”身内”の医師団が東宮職に繰り返し注文をつける異例の形式だ。
その内容には「皇太子ご夫妻の意向が強く反映している」と宮内庁幹部は話す。
一時は雅子さまと東宮職幹部がメモを通じてやり取りしていたこともあるだけに、
結果的に皇太子ご夫妻と東宮職のコミュニケーションの不足を浮き彫りにしたとも言える。


午前に皇居に挨拶に向かう雅子さまは非常に元気そう。

だが

雅子さまが風邪 両陛下との夕食会取りやめ
宮内庁東宮職は9日、皇太子妃雅子さまが風邪をひかれ、
同日夜に東宮御所で予定されていた雅子さまの誕生日祝いの夕食会が取りやめとなったと明らかにした。
天皇、皇后両陛下を交えてお祝いをする予定だった。
雅子さまはこの日、42歳の誕生日で、午前に皇居・御所を訪れ両陛下にあいさつ。
宮内庁幹部や皇太子ご一家の活動を支える東宮職職員から祝賀を受けるなどの行事に出席した。
午後になって風邪の症状が出たという。
(共同通信) - 12月9日20時48分更新


週刊文春  2005年12月22日号
今度は「皇室不適応宣言」なのか? 人格否定発言以来の激震
雅子さま『 誕生日の乱 12・9 』
「天皇皇后両陛下は大きなショックを受けられたでしょう」
―皇居のオクからはそんな声も聞こえてきた。
雅子さまの誕生日に発表された「医師団の見解」が大きな波紋を呼んでいる。
皇居という環境が雅子さまのご病気の原因であると 明記されているのだ。
雅子さまは誕生日の夕食会を直前になってキャンセルされた。
9日は、午後5時半に東宮御所から御所にドタキャンの連絡が入った。
7時からの夕食会だったので、天皇皇后は出発の直前だった。
「これほどギリギリのドタキャンは前代未聞」宮内庁記者
9月の紀子様の誕生日にも、45分遅刻して東宮職は侍従長から怒られた。
東宮職医師団の見解を執筆したのは、慶応の精神科医・大野教授。
見解には夫妻の意向が強く反映されていて 元の文書はもっと長く意味もはっきりしていたが、
両陛下や宮内庁幹部のチェックが入って短くして発表した。
幹部らは原文そのままを発表したら、却って皇太子夫妻への批判が出ると判断して反対した。
見解を公表する事に対する夫妻の意思は非常に強く、
意思を尊重するため仕方なく幹部が原文に手を入れて、東宮職医師団という文責名で発表した。
宮内庁幹部が嘆息して言う。
「皇室という環境が病気の原因だと言い出したら、手の打ちようがないですよ。
皇室という環境を根本的に変えるしかありませんからね。
妃殿下をおやめになる わけにはいきませんから。中略 
『東宮職医師団』はあまりにきわどい事を言い過ぎているような気がします。」
公務と平行しながらもご自分の興味分野を生かすのが望ましいという「見解」を、
いささか身勝手なのではないかと受け止める関係者もいる。(中略)
天皇皇后の 公務へのご姿勢との違いを際立たせるものだったからだ。
東宮職への厳しい注文が繰り返されているのも、今回の「見解」の特徴だ。
「皇太子ご夫妻は東宮職と前々からうまくいっていないのです。
現在、東宮大夫や侍従が皇太子ご夫妻の不信を買っているようですが、
過去においても東宮侍医長や東宮女官長や侍従がご夫妻から信頼を得られず、
ある人は悩みながら東宮御所を去り、ある人は病に倒れました。」

週刊文春2005年12月29日号
皇室記者オフレコ解禁!大座談会
雅子さま「誕生日の乱」 皇太子ご夫妻への風当たり
▼東宮御所「私的スペース」への立ち入り制限
▼黒田清子さんの連絡先を知らなかった東宮職
▼愛子さまを「こどもの城」へ送るのは皇太子のお役目
▼紀子さまがサーヤを感激させた「御宿かわせみ事件」
○東宮職医師団の見解
新聞には大きく報道されなかったが、皇居周辺は本当に大激震だった。
人格否定発言の事態が落ち着いて来ていたので、御所の職員は一様に落胆した。
両陛下が体言してこられたご公務に取り組む姿勢とは意見を異にするところが感じられ、
反発を感じる職員が多かった。ライフワークと言っても、
陛下のハゼの研究はあくまでホビーのいちづけ。
逆に皇太子夫妻は宮内庁上層部の意向で「見解」の文言が一部変わり、
全体として短くされたことに不満を持っている。
(雅子妃の)環境的なストレスの中には具体的な因子がいくつかあるが、それは書けない。
宮内庁関係者「殿下はどうして止められなかったか」
「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」という関係者もいる。
林田東宮大夫が雅子誕生日前の会見で「プライベートゾーンの立ち入りを減らしています」と
新たな対応策を語った。東宮御所は私的なスペースと公的なスペースに分かれているが、
職員はどうしても私的スペースにも入らざるを得ない。
そんなことを改めて言わなければならないところに信頼関係のなさが窺える。
かなり前から雅子は東宮大夫とは面会せず、連絡は内線電話で取ることが多いと聞いている。
○宮中祭祀について
妃殿下が祭祀に参加されなくなった頃、皇太子にこのままでよいのかと尋ねた。
ご返事は「参加しなくていいよ」。
職員は周辺に「そう言われちゃったらしようがない」と洩らした。
皇太子は優しい性格で妃殿下のことが心配のあまり、立場を考える余裕が無い。
終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が悪かった。
両陛下の姿を見て 育った皇太子は、一体どうされてしまったのか。
○東宮職員について
苦言を呈する人は遠ざけるところがあると言われている。
私的スペースには職員を入れないため、大夫とは内線電話で連絡を取っている。
妃殿下の体調が悪く、5時からのお茶会にも顔を出さず。
お茶会には双葉の高齢の車椅子の恩師も訪れていたが出席・挨拶無し。
ドタキャンを黒田夫妻に知らせるため、連絡先を東宮から御所に問い合わせが来た。
(東宮側は連絡先を知らなかった)御所から黒田夫妻に連絡した。
○紀宮様の宿泊拒否
清子さんは赤坂御用地に生息するカワセミの研究をされていましたが、カワセミの観察は明け方になるため、
朝、御所から行くわけにいかず、当初、東宮御所に部屋を借り一泊していたんです。
ところが二回か三回拝借したところで、「今回はちょっと……」と断られてしまった。
清子さんにはそれが大変なショックで、「もう頼まない」とおっしゃっていたそうです。
以来、秋篠宮邸に宿を頼むようになったのですが、秋篠宮家のほうは翌日に外国に出発される時でも、
紀子さまが「いつでもどうぞ」と気前良く泊めてくださるので、清子さんは感激して、
もっぱら秋篠宮邸に泊まることになったそうです。
このことがきっかけになって、清子さんは皇太子夫妻より秋篠宮夫妻に親近感を持つようになったと言われている。
○こどもの城
お見送りは皇太子、お迎えは妃殿下。
宮内庁関係者は朝のご公務に差し支えるのではないかと心配している。
「残念だったのは、ご静養中とはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニスをされたこと。
今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や千振開拓地訪問がありましたから、
余計に目立ってしまいましたね」(皇室ジャーナリスト)
「終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。
『殿下は幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、
一体どうされてしまったのか』という声が聞こえてきましたよ。」(宮内庁担当記者)
○林真理子さんの連載エッセイ
「日本というのは不思議なもので、もうダメかな、と思われるとき必ず何かが起こり
解決されるというところがある。この先、皇室に何か大きな奇跡が起こり、威信も回復されるような気がするのだ」


週刊新潮2006年1月5・12日新年特大号
<宮中と官邸を震撼させた雅子さま「離婚説」>
誕生日に雅子妃は午後3時から友人たちとのお茶会に出席。
友人など身内の人間と会う時は「いつもお元気にされています」
午後5時からの茶会は双葉恩師らが到着してから「雅子さまはご出席できません」。
午後7時からの両陛下を招いての夕食会は1時間半前にドタキャン。
対立の抜き差しならないのは夕食とりやめを「通告」するだけでなく、
東宮職医師団は皇室にいること自体が雅子妃のストレスの原因であるとの厳しい見解を発表したこと。
河原敏明「目上の方をお招きして自分の都合で直前にキャンセルするのは大変失礼なこと。
体調がすぐれないなら会の始めだけでも少し出られてその旨説明して先に失礼するやりかたもあったのでは」
<激化する宮中と東宮の対立>
宮内庁関係者
「対立のきっかけは皇太子殿下が、あの人格否定発言をされた1年半ほど前に遡るのです。」
「この時、ある月刊誌に雅子妃の苦悩を伝える記事が掲載されました。
この記事の中には、雅子妃しか知らないはずのことが、2,3ヶ所記されていました。
これに宮内庁の幹部が慌てたのです。情報漏洩者を探し、
結局ネタ元が雅子妃の親族ではないかと、結論づけた。
記事は明白な皇居=宮内庁批判ととれるもので、マスコミを使って天皇家や宮内庁批判を行い、
自身を正当化するという英国のダイアナ妃と同じやり方ではないか、と宮内庁側は考えたのです。」
「ちょうど雅子妃が体調を崩され、精神が不安定な時期のことで、あることをめぐって雅子妃がお怒りになり、
東宮職の幹部に直接電話で私、皇太子妃を辞めますと言って、一方的に電話を切ってしまうという出来事があった。
これを伝え聞いた宮内庁は、離婚の問題を内々に検討するようになったのです。」
松崎敏弥「2年間公務を控え治療に専念してきたが症状が一向によくならず、
それどころか医師団に皇室にいることがストレスとされた。
お二人の離婚という選択肢が議論されたのはむしろ当然の流れ」

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