東宮医師団:「皇室のラスプーチン」

週刊新潮2006年8月17・24日号
雅子さまを陰で操る 皇室のラスプーチン
雅子妃の病状や治療経過が発表されない事に関して、
天皇陛下や秋篠宮両殿下の姿勢と比較して批判が高まっていた。
年が明けた3月25日から、愛子さま、母親の小和田優美子さんとともに
長野県・軽井沢の小和田家の別荘に1ヶ月籠った。
東宮職関係者は「その前後が、妃殿下の病状は最悪だった」と語るが、
回復時期の見立ては全く間違っていた。
当時の担当医が処方する外国製の精神安定剤などについて、
妃殿下自ら製造国の在日本大使館に薬の効能を確認するよう求めるほど、
治療に当たった当時の主治医に対し不信感を露にする異常事態が続いていたという。
そんな最中に現れたのが大野教授だった。
大野医師が東宮妃の主治医に決定したのは04年6月。帯状疱疹で入院した半年後の事。
「記者の間では、主治医が大野裕慶応大学教授であることは知られていましたが、
林田英樹前東宮大夫は公式には一切認めず、常に東宮職医師団という匿名で押し通した。
この期に及んで、なぜ公文書に名前を入れたのかということでした」
大野教授の知人が打ち明ける。
「大野先生は、妃殿下の妹・礼子さんのご主人と親しい関係です。
ご主人が米国ニューヨーク市で弁護士をしていた時に知り合ったそうです。
それで、大野教授と同じ慶応出身の礼子さんが、妃殿下に紹介したということです。」
主治医の決定過程に宮内庁中枢は関わっておらず、小和田ファミリーの推薦で決まった形。
こうした東宮の独断専行はこれだけに留まらず、今回のオランダ行きも御所のお耳には達していなかった。
天皇皇后両陛下も、突然の決定に戸惑われていた。
歴史的に宮内庁では技術的専門職のやることに事務方は口をはさまないという傾向があるが、
こうしたテクノクラートの独走を防ぐための手段をこうじる必要があるのではないか?
大野医師は精神病の専門家ではあるが、皇室にオーソライズされているワケではない。
妃殿下の立場も考えず東宮全体の行動を左右するような振る舞いはいかがなものか。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊新潮2006年11月9日号
今回も、雅子妃の背後に影のように寄り添う主治医の姿があった。
慶応大学の大野裕教授である。
「小和田家と知り合いだったことから、2年前に主治医となり、
雅子妃の全幅の信頼を得ている人です。誰も彼には逆らえません。」(宮内庁詰記者)

週刊新潮2007年1月4・11日新年特大号
皇室ジャーナリスト
「皇太子殿下のご心配は絶えることがありません。
03年12月に公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、
軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、
別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。
2004年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下が、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、
美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。
その後、人格否定発表があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で
“私、皇太子妃、やめます”と叫んだこともあった。
情緒が不安定で、両陛下は腫物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」
雅子妃は「医師から処方されたアメリカの薬に不信感を抱き、
アメリカ大使館に自ら電話を入れて効能を聞くといったこともあったそうです。」
大野医師の起用によって少しは好転
オランダ静養を許してもらったお礼をせずに渡蘭。両陛下は寂しかったのではないだろうか。 

選択2007年2月号
東宮侍従らは雅子妃の活動の是非を大野の判断にゆだねているが、
大野氏は所詮外部の人間、皇室の慣習、しきたりや行事をすべて把握しているわけではない。
晩餐会欠席同日に乗馬など、ちぐはぐ。
私的なお楽しみはできるのに奉仕団にも会わず公務もしていないという雅子妃批判を結果的に増大させている。
大野氏は一切マスコミの取材を拒否。
オランダ静養同行時も人事発令に自分の名前を出さないよう宮内庁に求めた。
長官が「認めない」と拒否したが、大状況が見えていない立場を露呈した。

アエラ2007年4月9日号
雅子妃と主治医の閉じた世界
信頼厚いホームドクターから宮内庁に病状伝わらぬ不幸
大野氏は全くのプライベート・ドクター。東大出身者が占める侍医の中で慶應出身者は異例。
患者の相談に携帯で乗ることもある。認知療法の権威。
認知療法は、〜できない、だめだ、といった認知の歪みを正して適応障害、鬱などの症状を改善する療法。
綿密な医療計画にのっとって行われ、行動療法と共に行われる。
行動療法は、〜すると落ち込む、という思い込みを正すため段階を踏んで行動を克服するもの。
ただそれは、公務とは両立が難しい。
雅子妃のドタキャン、ドタ出が現場に混乱を与えるケースがままある。
「その最たるものが、05年2月、長野県で行われたSO冬季世界大会の出席取りやめだ。
決まったのは出発の1時間前。
雅子様の体調が『長距離の移動には耐えられない』との判断を医師が下したからだという。
その直前、ご一家は長野県のさらに奥地にある奥志賀高原へスキー静養に出かけている。
その『疲れ』もキャンセルの理由になった。」
情報を一方的に流すのは大変問題。
治療構造自体が問題、大野医師はプライベートの雅子妃しか見ていないが、
皇太子妃と言う立場上それは無理望ましくない形で二者関係に陥っている。
「これまで、東宮大夫はいずれも10年、20年といった長期奉職でしたが、
雅子さまの結婚後は現在の野村大夫まで5人を数え、東宮侍従も ひんぱんに代わっている。
雅子さまは、人に心を開くことがあまり得意でない一方で、
信頼がおけると判断した人にはとことん信をおく。今は、それが大野医師なのでしょう」

サンデー毎日2007年7月1日号
雅子さまの「主治医」が北朝鮮NGO詐欺事件で警視庁に聴取。
大野裕・慶應大保健管理センター教授 
補助金交付の権限を持つ中村被告と「協力者」である共同研究者と小坂被告の不正なやり取り。
研究者から小坂被告に連絡、小坂が研究者に架空請求書を送る(研究者に国から補助金が支給される)、
研究者が小坂の口座に振り込む、小坂が中村の口座に振り込む。その金は遊興費に。
騙し取った補助金は3000万円以上だが東京地検が起訴事実として認定したのは600万円たらず。
事件の「協力者」として起訴状に実名で起訴された人は二人いるが、
その人たちより一連の不正なやりとりの回数が多かったのは大野氏と事件関係者は証言。
皇室にかかわっているから大野氏の事情聴取の事実が「封印」された。
記者が大野氏に取材。警視庁の事情聴取を受けたことは認めた。
大野氏案件は詐欺50のうち20件。大野は質問に「記憶にありません」を繰り返す。
厚生省の役人と、レインボーブリッジの小坂が税金横流しで作ったプール金に、一役買ってたのが大野裕氏。

文藝春秋2007年10月号
友納尚子
雅子妃が祭祀に復帰する日
「実は大野医師は、かつて産婦人科の主治医であった堤治東大教授のように、
宮内庁病院や「東宮職御用掛」といった肩書きはなく無報酬だといわれる」
キャンセルした公務は大野医師の指示。

週刊新潮2007年12月20日号
雅子さま「主治医説明」を阻む「プライバシーの壁」
東宮医師団の見解を読む限り、雅子さまの病状については「少しずつ着実に快方」と
まるで大本営発表のように同じ内容の繰り返しで、これでは発表をどこまで信用してよいのかわからない。
雅子さまは八大行啓の内、「全国『みどりの愛護』のつどい」「国民文化祭」に出席したが、
全体的に見ると依然として公務の欠席が目立ち、公務に出席できるかどうかはその日の体調次第で、
相変わらず不安定な状態が続いている。
東宮医師団の見解からは雅子さまの本当の病状がわからない。
「雅子さまの現在の病状そのものの医学的な説明が全くなく、ただ長く持続することがあると言うだけ。
自分たちの殻に閉じこもったままマイペースでことを進めようという姿勢の現れなのだろう」(皇室担当記者)
周知の通り、雅子さまの治療には東宮職の医師ではなく、大野裕・慶応大学教授が主治医を務めている。
雅子さまの治療に関しては全て大野教授の指示に従い、公務の出欠の可否を決めるのも同教授。
それだけに宮内庁記者会でも再三、大野教授の会見を要望してきたが、東宮職が拒否。
理由は「雅子妃のプライバシーにかかわる」
「主治医の会見は雅子妃の体調にマイナスになり、治療上好ましくない」というもの。
天皇陛下や皇太子殿下のご病気の際には主治医が会見しているので、異常事態というほかはない。
静岡福祉大・高橋紘教授
「国民はやはり雅子妃の病状を心配しているのですから、主治医には直接国民十二分な説明をする義務がある。
雅子妃は公人であって、今流行の”個人情報”の守秘義務とすり替えて正しい情報を伝えないのは大間違い」

週刊現代2008年6月28日号
「…また雅子妃は、主治医の大野裕先生(慶応大学教授)を深く信頼しています。
大野さんは雅子妃の妹さんの紹介ということもあり、雅子妃が特に心を許している。
携帯電話を使って話し込み、さまざまな“人生相談”を持ちかけている。
それがときには深夜1時、2時になることもあるんです」(前出・宮内庁関係者)

女性自身2009年4月14日号
大野医師は定期的に東宮御所を訪れては雅子さまと面会。
以前よりは訪問回数は減っているものの、 個室に二人きりで2〜3時間こもり話し込んでいる。
雅子さまの相談相手は母・二人の妹・夫とごくごく限られているが
家族だからこそ話せないという悩みもあるようで、だからこそ大野氏が訪問しているのだろう。
本来なら雅子さまの相談相手は侍女などの東宮職員であるが相談どころか会話もままならない状態。
携帯で相談サイトを開設した大野氏。携帯で深夜の雅子さまのカウンセリングに乗ることも頻繁。
一般論として精神科医が携帯で患者の相談に乗るのは難しい。
大野氏はそれだけ雅子さまの治療に心血を注いでいるのだろう。

週刊朝日2010年1月?日号
医師団は存在しないし、大野医師は雅子さまが勝手に雇い入れた人間。
そういう人物が皇族の公務のいちいちに口をはさみ、責任はとらない。
オランダ行きまで同行してその経費ももとは税金。

週刊女性2010年5月4日
緊迫の新学期開始1週間を密着ドキュメント 雅子さま主治医が愛子さま問題を診察
愛子さまの学校にいる時間は少しずつ延びている。
雅子さまは長期療養中のため、頑張りすぎると回復が遅れてしまう。
大野氏に相談して愛子さまの登校時間などを決めてもらった。

女性セブン2010年9月30日・10月7日号
皇太子妃雅子さま・皇太子さまも動かれた主治医と決定的亀裂
長年の治療の中雅子さまは大野医師に全幅の信頼を置いてきた。
すべての務めはほとんど果たすことが出来ない状況が続いている。
外出を伴なう公務は、1/20の国際衛生年フォローアップ会議以来されていない。
そんな事態を憂慮して宮内庁内部からこんな声があがっているという。
「“主治医の大野先生を代えた方がいいのでは?”“大野先生の治療法に問題があるのでは?”
適応障害と発表されてから6年が経つのに病状が好転しないのは大野先生にも責任の一端があるのではないか」
「雅子さまが病気になられた当初、大野医師は週に一度は東宮御所を訪ねて治療していた。
雅子さまはときに個室で大野医師と向き合われ、2〜3時間も話し込まれて日付が変わったことも。
さらには雅子さまと大野医師は携帯電話によるホットラインを持ち、
雅子さまが直接悩みを相談されることも多い」(前出・宮内庁関係者)
そんな二人の信頼関係が「東宮医師団の見解」を機にギクシャクしたものに。
いい加減具体的な内容でないと、長引く雅子さまの病気に対して国民の理解が得られないと危惧する大野医師。
しかし雅子さまは、“例年と同様の発表がいい”。
「大野医師はそれまでのようにすぐに同意はせず、雅子さまと意見が真っ向からぶつかる形に。
その状態が1ヵ月以上続き、二人の間には決定的とも言える亀裂が」(前出・宮内庁関係者)
周囲もなすすべがない状態。見解発表も、結局何度も延期される異例の事態に。
こうした状況を東宮職員から伝え聞いた皇太子さまもかなり心配されたという。
「最後は皇太子が二人の間をとりもち、雅子さまを説得し、ようやく一応の和解に」
「結局、雅子さまはそれ以降も大野先生の治療を受けなくなってしまった。
最近では時折電話で体調の確認をする程度」(前出・宮内庁関係者)
「これまでなら、愛子さまのことを大野先生に相談したり出来たであろうが、今はそういった関係ではない。
一人で愛子さまの問題を抱え込んで病状を悪化させている可能性すらある。
ますます公務復帰は遠くなる一方」(前出・宮内庁関係者)
実際、5/17に行われたカンボジア国王歓迎の宮中晩餐会という大切な公務も
雅子さまは体調不良を理由に欠席している。
このままだと、体調不良を理由とした公務欠席は増えるばかりとなりそうだ。
「深刻な状況を危惧した宮内庁内部からは、再び主治医交代の声があがってきている。
しかし、権威ある大野医師の後任となるとなかなか見つからないのが現状」(前出・宮内庁関係者)
本誌が大野医師に直撃するも、「そういうことは話せません」と、否定も肯定もせず。

週刊女性2010年12月14日号
怒号と緊迫の会見一部始終/新聞記者が雅子さま担当医(大野医師)にブチ切れ
噛み付いた!「いつ治るんだ!国民をバカにしている!」
今年2月、雅子さまんの誕生日から約2ヵ月遅れた東宮医師団の見解発表も、
具体的な説明に踏み込んだものではなかった。04年の見解では、その原因を
「特別な立場からくる苦労や公私の区別をつけにくい多忙な生活などにともなう一種のストレス」としていたが、
08年には「ストレス因子の内容については言及することを控えるべき」と大きく後退。
今年2月には野村東宮大夫が「プライバシーにかかわる部分があるため明らかに出来ない」と説明し、
病気の原因について完全に秘匿扱いになった。
長く皇室を取材し、雅子さまの病状を注視してきた宮内庁担当記者の中にも、
雅子さまの病状をめぐるモヤモヤとした感じに首をかしげる人が少なくない。
不満が爆発したのは11月19日の東宮大夫の定例記者会見。
当初は記者会が、12月9日の雅子さま47歳の誕生日に際して、
ご本人の会見や記者会からの質問による回答が無理なら、医師団の記者会見をと希望。
しかし、それにも芳しい反応が得られないことに、あるベテラン皇室担当記者が、
雅子さまの担当医に怒りを爆発させた。
「たまの今回のようなきつい突っ込みをする記者です、最近の行き詰まっている状況に
フラストレーションを抱えていたのでしょう」(その日の様子を振り返る宮内庁関係者の1人)
これまでも担当医を変えてみてはとかセカンドオピニオンをとったらという提案がされたこともあったという。
ブチ切れた新聞記者の詰問を再現すると、
「もういい加減いつ治るんだ、いつ治してくれるんだ、という気持ちがあるんですよ!」
「妃殿下が静養になったのは、03年12月から。
帯状疱疹で入院されて、しばらく静養に入るという発表があって、最初は春頃までといわれたんですよ」
「どんどん延びて適応障害と発表があったのは04年7月だったと思うんですよね」
「6年半です。帯状疱疹で入院されてから丸7年になるんですよ!」
と、東宮医師団の中心にいて、雅子さまの主治医といわれる大野裕教授にたいして厳しい意見を展開した。
辺りはシーンとして、憤りの独壇場。
その後も厳しい言葉は続いた。「主治医として責任とってしっかり話したらどうか」
「今年は(雅子さまは)泊まりがけの公務はほとんどされていないし、逆に悪くなっているんじゃないか」
「国民をバカにしているような感じも受ける」
「毎年、書面が出るが、キーワードは活動の幅が広がったとか、
体調に波はあるが着実に良くなっているなど。それで、いつ良くなるんだ」
そんな変化のない医師団発表の文面を、精神科医で教育評論家の和田氏は次のように見立てる。
「実は雅子さま本人も、医師側も、皇太子さまも、
“このくらいでいい”と今の体調の状況を考えている可能性がある。
それが、医師団の発表に代わり映えがない理由に挙げられるかもしれない」
さらに毎年発表される見解では、具体的な原因などに踏み込まない。なぜ明らかにしないのか。
「日本では心の病に対する理解がまだ低いので、具体的な内容を発表をすることに抵抗があるのだろう。
それが伝統や格式を重んじる皇室や宮内庁だとなおさらだと思う」(前出・和田氏)
では、最近の雅子さまの様子はというと、今年の夏にご一家であちらこちらにお出かけになった疲れが
ここにきて出ているという。
「寝込むほどではないそうですが、夏のお疲れかもしれないと東宮職のスタッフが話をしていました」
(元東宮職関係者)
昨年から今年にかけ、病気になられてから初めてではないかというくらい、雅子さまの体調は良く見えた。
複数の行事をこなされても、寝込むようなことはなかった。
ところが回復基調のさなか、新たな心労になったのが愛子さまの不登校問題。
「表沙汰になったのが3月上旬。途中、春休みや夏休みをはさみながら
愛子さまの全ての登校にお付き添いになっています。
しかし残念ながらこの間、主だったご公務はすべて欠席になりました」(前出・関係者)
「11月14日の養護施設の文化祭も、ギリギリまでお出ましを検討されたが、やはりかなわなかったのは、
体調がすぐれなかったからだそうです。夏休みの山登りや先日の御料牧場でのサイクリングなどが、
療養中の雅子さまにとっては負担だったのだと思う」(宮内庁担当記者)
回復=以前のように公務をされる、と期待している人は多いはず。
「何を持って回復とするかによってかなり評価が違ってくる。それが心の病のむずかしいところ」(前出・和田氏)
精神的に不安定な人が、仕事に復帰できないままでも、周囲に迷惑をかけずに生活を送れるようになり、
これ以上悪くならないという状態になれば、それでよしとする場合が精神科医にはあるという。
「したがって、雅子さまが愛子さまの育児が出来ていて、夫婦関係に問題がなく、皇太子さまの
ご公務への妨げになっていなければ、それで回復とする考え方はあり得る」(前出・和田氏)
「雅子さまは先週25日にユネスコの事務局長でブルガリア人の女性と接見されました。
30分程度だったようですが、この日は愛子さまの同伴登校をされた後なので、そ
れなりに頑張られてのことだったと思います」(前出・宮内庁関係者)


週刊新潮 2012年1月5・12日新年特大号
雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン
皇太子妃のご病状を独善的に隠蔽! 天皇陛下」の深まるご心痛! 皇族のご関係にわだかまり!
「心の重い年でした」。さる12月23日、78歳になられた天皇陛下のご感想だ。
御心には、震災のみならずお身内の事柄も去来されたことだろう。
8年にわたる「ご不例」から好転しない皇太子妃と、傍らに控える「東宮のラスプーチン」。
皇室はいま、未曽有の危機にある。
今回の天皇誕生日では、気管支肺炎を患われて11月に入院された陛下のご体調を考慮し、
祝賀行事は異例ずくめの進行となった。
「朝の宮中祭祀は、陛下に替わって掌典次長が執り行いました。
また、少しでも陛下がお休みになれる時間を増やすため、
祝賀や3回にわたる茶会の時間もそれぞれ分刻みで割り、
全体で例年より30分ほど短縮されたのです。
その間、陛下は御所で1時間ほど休憩されました」(宮内庁担当記者)
加えて、事前に行われる予定だった質疑応答を含む記者会見の取り止めについては、
宮内庁はあくまで「今回限りの特例措置」だと説明した。が、ご体調如何によらず、
例年繰り返される東宮ご一家に関する質問に陛下がお心を痛めておられることについては
前号でもお伝えしたとおりである。
なかでも、雅子妃のご病状やお振る舞いについて陛下が大いに憂慮なさっているのは、
2010年の会見でご家族について尋ねられた際に、
<皇太子一家の現状については、皇太子妃が病気ですので、お答えすることは差し控えたく思います>
というお答えをなさったことからも窺える。
皇室評論家の渡辺みどり・文化学園大学教授が言う。
「陛下にとって主たるお疲れの原因は何かと考えていくと、
やはり東宮ご一家の問題が思い浮かぶのではないでしょうか。
記者会見でさまざまなお考えを巡らされながら、一問ずつお答えになるのは大変な集中力を要しますし、
また頭が痛くなるような事柄なのだと、お察しするに余りあります」
雅子妃が療養に入られてから、すでに8年が過ぎ去った。周知の通り、ご病状は一進一退し、
毎年お誕生日に発表される東宮職医師団の見解も「ご体調には依然波がある」と繰り返されるばかり。
何より肝心の症状についていまだ具体的な説明がなされないまま、今日に至っているのだ。
長引く治療の中心にいるのは、04年6月から雅子妃の「主治医」を務めている
国立精神・神経医療研究センターの大野裕医師(61)である。
「もともとは同センターの総長でもあった金澤一郎・皇室医務主管が、
国内における『認知療法』の第一人者である大野先生を呼び寄せたのでした」
とは、さる宮内庁関係者である。
「大野先生は『適応障害』と診断された妃殿下の治療は、以降ひとえに先生の手に委ねられてきました。
かねてより妃殿下が東宮侍医や宮内庁病院と折り合いがよくなかったこともあり、
大野先生は“部外”にありながら唯一無二の精神的支柱となり、揺るぎない信頼を確立したのです」
ごく初期においては、まだ打ち解けられないご様子だったが、大野医師が根気強くお気持ちを和らげ、
ほどなく雅子妃は種々のお悩みを口にされ始めたという。
「先生は、しばしば携帯電話で直接、妃殿下の相談を受けていました。こうして全幅のご信頼を得たことで、
妃殿下の治療については以降、東宮侍医らは大野先生の指示を仰がねばならなくなり、
ご公務の出血可否の判断も、先生の裁量によるものとなりました」(同)
■情報遮断の秘密主義
大野医師はいわば“後ろ盾”として控え、雅子妃の強いご意向もあって、
その治療やご病状に関する性格な情報は、完全にベールに覆われてしまった。
通常であれば、医師が患者のプライバシーに配慮するのは当然である。
が、「公人中の公人」ともいえる雅子妃の“カルテ”は、隠せばそれでよし、といった性質のものではなかろう。
こうしたことから、皇室に取り入って権勢を振るい、ついにはロシア帝国を崩壊へと
導くきっかけとなってしまった怪僧になぞらえ、大野医師を「東宮のラスプーチン」などと呼ぶ向きもあるのだ。
先の関係者が続ける。
「大野先生は、主治医でありながらこれまで一度も会見を開いたことがないほど、
情報遮断を徹底して秘密主義を貫いてきました。これは何もメディアに対してだけではありません。
当初から距離のあった東宮侍医はもちろん、金澤主管の耳にすら、妃殿下の直近のご病状は伝わってこなくなった。
これは取りも直さず、小町恭士東宮大夫を筆頭とする東宮職幹部が、調整役として
全く機能していないことを意味します。
皇室医務主管とは、その名の通り陛下と皇族方についての医療を統括する総責任者である。
そうした地位にある金澤氏でさえ、長らく病に苦しまれている東宮家のお妃のご様子を
把握できていないのだとすれば、由々しき事態に他ならない。
「以前から金澤さんは、ことある毎に『大野さんは僕を避けているんだ』とこぼしていました。
妃殿下は、ご自身の情報が外部に漏れることを極端にお嫌いになる。
とりわけ、御所の両陛下に詳しい症状を知られることがお気に染まないのです。
金澤さんはもともと93年、皇后陛下が突然倒れられて言葉を失う状態に陥られた際、
主治医としてご快復に尽力してきた人物。02年から現職に就いており、御所からの信頼が大変厚い医師ですが、
妃殿下からすれば、『両陛下の手先』としか映らないのでしょう」(同)
雅子妃と二人三脚で金澤主管を隅に追いやった格好の大野医師に、その“手法”について尋ねたところ、
「お話は東宮職に聞いてください」
さる東宮職関係者によれば、
「大野先生が診察を始めた当初は、妃殿下もことのほか不安定な状態にあり、
ちょっとしたやり取りの際にも苛立ちやお怒りの気持ちを見せられることもあったといいます」
実際に、こんな出来事があった。診察が始まる直前の04年5月、皇太子さまが
「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、
宮内庁との間に軋轢があることを窺わせる、いわゆる「人格否定発言」をされた時のことである。
宮内庁側は発言のご真意について、皇太子さまに直接お伺いしようと試みたが、
その際、雅子妃が当時の林田英樹東宮大夫に、 <それなら、私は皇太子妃を辞めます>
と電話口で言い放たれた。この“事件”については、これまでも度々報じられているが、これには続きがあった。
「電話を終えられた妃殿下は、お傍にいらっしゃった皇太子殿下と言葉を交わされたのですが、
その中で『はっきり申し上げておきましたよ』と、笑い声とともに仰ったのです」(同)
意を決して発せられたお言葉だけあって、あるいはお気持ちがいつになく高揚されていたのかもしれない。
いずれにせよ、「先生がそうした『波』を上手く受け止めたのは良かった。ところが、治療の方策として
『お好きなことだけなさればよいのです』という趣旨のアドバイスをしてしまったのです」(同)
■“分岐点”で主客転倒
そのことで大野医師は次第に治療者としてのイニシアチブを失っていき、患者と一体化してしまったというのだ。
いきおい、診療のスタイルも変わってしまい、 「ご用事があるたび、妃殿下の側からお電話をされ、
先生を呼び出すといったパターンが続き、医師が診察プランを立てる通常の形が成り立たなくなっていきました。
お二人の関係が決定的に悪化したのは2009年。医師団見解を出すにあたり、
大野先生がご病状に踏み込んだ内容の発表を行おうとしたところ、妃殿下の激しいお怒りを買ってしまったことが
“分岐点”でした。以来、先生の側からは妃殿下にあれこれ申し上げにくくなり、
いわばご機嫌を伺うような間柄になってしまったのです」(同)
換言すれば、医師が患者のコントロール下で振り回されている「主客転倒」の状態といえよう。
ラスプーチンは、いつしかイエスマンに成り下がってしまったのだという。
振り返れば、93年のご成婚から最初にご懐妊の兆候があった99年までの6年間、
雅子妃にひとかたならぬ「ご期待」が掛けられていたことは想像に難くない。ある侍従職OBが、こう明かすのだ。
「その当時は、しばしば東宮側の医師をひそかに御所へとお招きし、
妃殿下のご体調について説明を受けることがありました。幹部職も同席し、
その内容はもちろん両陛下のお耳にも届いていました」
御所が一丸となって、東宮家のお世継ぎを心待ちになさっていたことが窺えるエピソードだ。
強い期待はともすれば受ける側にとって「プレッシャー」となり得るものの、
雅子妃におかれてはそうした“ご事情”を十分に勘案なさった上で皇室に入る選択をされたはずだった。
が、ご懐妊を経て、皇室のしきたりとご自分の思いとの“乖離”をますます強くお感じになった雅子妃は、
徐々にご体調を崩されていった、とされている。
■お付添いは「あてこすり」
さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、他罰的感情をその特徴とする
「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、
さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。
土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、
後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
「つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、
皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、
という違和感を強く覚えたことを記憶しています」
さらに現在、「他罰的感情」の集大成ともいえるのは、晩秋まで断続的に続けられていた愛子さまへの
お付添い登下校であるという。先の東宮職関係者によれば、ここには、
学習院への痛烈な「あてこすり」が見て取れるという。
「9月に行われた愛子さまの校外学習に妃殿下が同行された件は、世間でも物議を醸しました。
そのため、妃殿下は徐々にお付添いを控えられるようになりましたが、これまでのお振る舞いには
“娘にあれだけのこと(不登校の原因となった乱暴行為)をしておいてどうするのか”という
抗議の意が込められています。妃殿下はその点、どうしても学習院に非を認めさせたいのでしょう」
御所との間に広まった長くて深い亀裂のおかげで、こうしたお振る舞いもご理解を得られぬまま、
コミュニケーション不足がもたらした結果として形をとどめていくのだ。
91年から8年間、皇室医務主管兼侍医長を務めてきた池永達雄・宮内庁病院元院長は、
「単なる官公庁の縦割りという仕組みだけでなく、御所の中には、お仕えしている持ち場の話を漏らしてはならない、
また他家のことに口出ししてはならないといった風潮がありました。現在の東宮職においても、
例えば妃殿下のご病状について治療方針を侍従職とやり取りするなど、おそらくは難しいことでしょう」
と伝統ある職場ならではの事情を振り返りつつ、東宮職と大野医師との“不調和”についても、
「現在の東宮侍医長がご苦労なさっているところなのでしょうね」 そう推し量る。
とはいえ、事態はもはや雅子妃お一人の問題ではない。皇室全体を揺るがす未曽有の危機といっても過言ではなく、
この期に及んで縄張り意識を持ち出している場合ではないのだが、
「妃殿下は現在、御所への参内、つまりは両陛下にお会いすること自体がストレスであるという
コンディションにあります。かといって、セカンドオピニオンなど得られる状況にもない。
先に進まれようにも、八方塞がりなのです」(前出・東宮職関係者)
大野医師が、ラスプーチンであればまだよかったのかもしれない。雅子妃に御されて追従者となった今、
彼には「神通力」など望むべくもない。治療せぬご病気は、周囲をも飲み込んで悲劇を生みつつあるのだ。

テーミス2010年6月号
大野教授は昨年来、意味深な行動を繰り返している。3月にNHKの「今日の健康」に出演、
2日間に渡って「家族・友人をうつ病から守る」というテーマで解説。
昨年9月にはうつ病について公明新聞で発言。最近ツイッターもやっていて公明党女性局次長竹谷とし子氏がフォロワー。
「いくら私的な主治医とはいえ宮内庁は彼のバックボーンを調査しているのか」(皇室関係者)


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橋本明氏「医師団見解文は有害文書」
医師の診断と言うより、雅子妃の要望を書き連ねたもの。
「治療の一環」という聞き飽きたマジックフレーズで雅子妃の気の向くまま、
お楽しみ外出や公務の選り好みにお墨付きを与えてきた。
宮内庁医師団の金沢医務主管「皇族の公務の出欠にまで口を出すのは職務権限を超えている」


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平成21年4月21日(火曜日)
第171国会 決算行政監視委員会第一分科会 第2号 
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/004117120090421002.htm

質問者:津村啓介議員
答弁者:風岡典之宮内庁次長

津村分科員 
長官、もう結構です。ありがとうございました。
宮内庁の方にお伺いをいたします。
関連したような質問なんですけれども、
現在、雅子様の治療に当たられている方で大野さんという慶応大学の先生がいらっしゃると思いますが、
この方の役割、それから宮内庁における職制上の位置づけについて、
そして給与の出どころも含めて教えてください。

風岡政府参考人 
大野医師につきましては、皇太子妃殿下の担当医師として、二〇〇四年六月から、
東宮側が委託をするという形で、東宮職の他の医師とともに治療に当たっているところであります。
特に公的な肩書を持ってということではありません。
必要な経費については公費をもって負担をしている、こういうところであります。




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■アエラ2006年2月
関係者によれば紀子さまの第3子ご懐妊で、雅子さまは心理的に不安定な時期もあった。
担当医の大野教授と明け方まで話し合ったこともあったという。
■アエラ2007年12月
大野裕教授は、週に1度のペースで東宮御所を訪れ、
ときには日付が変わるまで話し込む日もあるという。 
■週刊現代2008年6月28日
雅子妃は、主治医の大野裕先生(慶応大学教授)を深く信頼しています。
大野さんは雅子妃の妹さんの紹介ということもあり、雅子妃が特に心を許している。
携帯電話を使って話し込み、さまざまな“人生相談”を持ちかけている。
それがときには深夜1時、2時になることもあるんです」(前出・宮内庁関係者)
■女性自身2009年4月14日
大野医師は定期的に東宮御所を訪れては雅子さまと面会。以前よりは
訪問回数は減っているものの、個室に二人きりで2〜3時間こもり話し込んでいる。
携帯で相談サイトを開設した大野氏。携帯で深夜の雅子さまのカウンセリングに乗ることも頻繁。

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