愛子さま着袴の儀

2006年11月11日

11日午前10時半、着袴の儀を終えた愛子さまは皇太子ご夫妻と一緒に皇居に向かわれた。
皇居では皇室の祭祀行う賢所で参拝し、その後、天皇・皇后両陛下に皇太子ご夫妻とそろって挨拶された。


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TVでの映像は玄関前と練習風景


日刊スポーツ
愛子さまが「着袴の儀」
皇太子家の長女愛子さま(4)の「着袴(ちゃっこ)の儀」が11日、
東京・元赤坂の東宮御所「日月(じつげつ)の間」で行われた。
一般の七五三に当たる皇室行事。童形服(どうぎょうふく)で正装した愛子さまは
皇居・宮中三殿に参拝し、天皇、皇后両陛下にあいさつされる。
童形服は誕生の際天皇陛下から贈られた。皇太子ご夫妻が見守る中、
女官らの手で、紫色のはかまや赤色の袿(うちき)を身に着け、
衵扇(あこめおうぎ)を手にして儀式を終えた。
愛子さまは12月1日が5歳の誕生日。
宮内庁東宮職によると、最近は庭の花を生けて両親や自分の部屋に飾ったり、
遠足の芋掘りで使った布袋に自分で名前を刺しゅうするなど、元気に育っている。
昔話の紙芝居で覚えた「拙者」「わらわ」などの言葉を使って遊ぶこともあるという。
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061111-115552.html


週刊新潮2006年11月23日号
着袴の儀当日夜は、恵比寿のイタリアンレストランで礼子さん夫妻とお祝いディナー
翌日夜は、東宮御所でお祝いの宴が予定通りおこなわれた
秋篠宮両殿下・黒田さんご夫妻もご出席
東宮御所で集まるのは3年ぶり。
今年に入って雅子さまが愛子さまを皇居に連れて行ったことはない。
浩宮さまの着袴の儀は正田ご夫妻を含む親族が見守り、
碁盤飛び降り撮影を含め取材陣も入ったが、
愛子さまの着袴の儀の本番は車寄せに出てきたのと移動の様子以外は
一切マスコミシャットアウトだった。
小和田夫妻は来ていないようだった。


週刊朝日2006年11月24日
愛子さま「着袴の儀」なぜか、本番映像なし
(報じられた)儀式の様子は「本番」ではなく7日に行われた予行演習時のもの。
当日の愛子さまは皇居内にある賢所仮殿を参拝し両陛下に「拝顔」するなど
一連の儀をこなしたが、撮影の機会は東宮御所をたつ場面に限られた。
元テレビ朝日神田氏
「内親王の儀が大きく報じられた記憶はない。愛子さまへの関心の高さを示している」
渡辺みどり氏
「皇太子さまは碁盤から飛び降りるとき体操選手の着地のポーズをまねて可愛かった。
愛子さまは童形服がよくお似合いだったが動きのあるお姿も拝見したかった」
宮内庁東宮職の雅子さま、愛子さまへの取材制限に対して
「ナマの姿が取材できないのが口惜しい」
愛子さまの着袴の儀の段取りについて宮内庁に問い合わせたが詳細は明かされなかった。



愛子さま「着袴の儀」
産経新聞平成18年11月11日
東宮家のご長女、敬宮愛子内親王殿下におかれましては本日11日午前、
東宮御所において皇太子ご夫妻が見守られる中で「着袴の儀」に臨まれました。
敬宮殿下にとってはこの「着袴の儀」は御誕生以来ご自身で宮中三殿に御参拝になられる
初の宮中祭祀となります。
この後皇太子ご夫妻に一礼し儀式は終了、皇居・賢所で拝礼を済ませ、
天皇皇后両陛下にご挨拶されたということです。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

NHK映像
舌ベロベロ
口開けっ放しもノーカット
1分54秒、突然後ろを振り向いたかと思うと、
そのままトコトコ中に入って行ってしまう。お辞儀もなし。
両親がたしなめるでもなく、一緒に中についていった。


ニュース映像で「着袴の儀」と報道されたのは「習礼の儀」(リハーサル)


愛子さまの写真 山陽新聞 2007年4月 
少し古い話になりますが、昨年(※2006)十一月十一日に皇太子家の長女愛子さまの
「着袴(ちゃっこ)の儀」が行われました。
この日は社会面の担当でしたが、写真の選択で迷いました。
一つは当日の儀式を終えられ皇太子ご夫妻と一緒の写真ですが、
愛子さまは着替えられていました。
もう一つは、七日の「予行演習」の写真。
こちらは儀式用の童形服(どうぎょうふく)を女官らの手で、身に着けているところです。
「本番」の写真はありません。
通常は、記事と同じ日の写真を使うのですが、愛子さまの表情がよかったことと、
記事の内容に合う正装姿ということで、朝刊では四日前の写真を掲載しました。
写真説明には「7日、東宮御所(宮内庁提供)」とあるのですが、
読者に当日の撮影と誤解されるのではないかと悩みました。
新聞が刷り上がってからも差し替えようかと思ったほどです。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

今回敬宮殿下は内親王であらせられるため、着袴の儀に続いて行われる
「深曽木の儀」という儀式は行われませんでした。
この「深曽木の儀」は元は、子どもの髪の毛が胸元近くまで伸びたころに、
いったん髪の末を切りそろえる儀式でした。「深曽木」と書いて「ふかそぎ」と読みます。
「曽木」は当て字で、「削ぐ」という言葉が語源です。
この儀式も、子どもの髪の毛の長さがもとになるのですから、儀式の年齢や日取りは一定しませんでした。
しかし室町のころには、男の子は5歳、女の子は4歳で行うようになり、
日取りも11月や12月の吉日が選ばれるようになりました。
江戸時代の初期には、儀式の形式として「子どもに碁盤の上で左右の足に青石(または碁石)を踏んで立たせ、
親が櫛と笄(こうがい)で髪を整える」という形が定着していたようです。
またこのころ、儀式に臨む子どもの装束としては、皇子は「半尻(はんじり)」に「前張りの袴」で、
皇女は「袙(あこめ)」姿でした。
ちなみに碁盤の上に乗る儀式は親王殿下だけであって、内親王殿下は行いません。
この着袴の儀と深曽木の儀は皇室では男女ともに満5歳になられる歳に行われます。
敬宮愛子内親王殿下は12月1日で満5歳になられ、この「着袴の儀」は一般の七五三に当たる儀式で
平安時代から宮中に伝えられる儀式です。
天皇皇后両陛下から御誕生の際に贈られた童形服(どうぎょうふく)を着る習わしです。
この童形服は濃い紫色の小袖と袴、紅色の袿(うちき)で、女官の介添えによりご着用になられます。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

着付け、介添え役は福迫美樹子さん。女官でもないのになぜという疑問の声があった。
理由はあきらかにされていない。
装束の着付けに誤りがあったままマスコミの前に披露となってしまった。


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