高円宮さまがキューピッド

サンデー毎日1993年1月24日号
愛を予言≠オ、初めての出会いをセット
皇太子さまと小和田雅子さんを結びつけたキューピッド≠ヘ、
実は高円宮憲仁殿下だった―と明かす皇室関係者は少なくない。
高円宮さまは三笠宮崇仁さまの三男で、現在、国際交流基金に勤務するサラリーマン皇族=B
(略)
キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三カ国旅行から帰国後の1987年4月25日、
高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティを開いたことにある。
高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり、
話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。が、宮家関係者によると、
ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、
実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。
四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意し、
宮邸に持参された三カ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。
その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、
雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負などをハキハキと答えるのを見て、
英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、
雅子さんに強い印象を持たれたという。
「実は、久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、
一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)
この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。
だが、高円宮さまとお二人の間柄は、実はもっと古くからだったのである。
「お二人の出会いは86年10月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女の歓迎レセプションですが、
当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」
こう明かすのは、ある皇室関係者。さらにこう続ける。
「雅子さんが選ばれたのは、父親が外務省高官で、ご本人も外交官志望ということはもちろんですが、
高円宮さまが雅子さんを大変評価されていて、『小和田さんという素晴らしい女性が外務省に入る』と
前から気にかけていらしたからだそうです。何しろ、高円宮さまは国際交流基金に勤務され、
外務省との関係も深いし、海外留学経験もあるし、久子さまはケンブリッジ大学のガ−トンカレッジを卒業、
翻訳家として活躍され、殿下に英語でプロポーズされたほどの国際派ですからね」
また、別の皇室関係者も、「皇太子さまは最も年齢が近く、国際感覚に富んだ高円宮ご夫妻を信頼され、
いろいろご相談されていたようです。そのお言葉は強い影響力があったと思いますよ」と話す。
高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」
と度々、漏らされている。
また、高円宮さまは脚本家の橋田壽賀子さんとの本誌対談の中(一部未掲載)で、
「我々皇族は外国に出た場合は、やはり日本の顔ということになりますし、国内においては
国民の見本にならなければならない。だからこそ、幸せな家庭を築いていかないとダメですし、
たとえば離婚は皇室典範にいけないと書いてあるわけじゃないが、そういう意味ですべきじゃない」
とされたうえで、「天皇家直系の方々は、皆さましっかりしておられるし、我々はその手足として、
安心して働けます」と話されている。また皇太子さまの結婚についても、
「殿下はご誠実な方で、両陛下も深い愛情で、温かく見守っておられます。
きっと心優しい国際感覚豊かな素晴らしい伴侶が見つかるでしょう」と予言≠ウれている。
まさしく、お二人のキューピッド≠ナあろう。

週刊新潮1993年1月21日号
皇太子妃内定巷談2 
小和田さんを承諾させた皇太子の条件
皇太子殿下と雅子さんの四年十ヶ月ぶりの再会は、昨年八月十六日、
千代田区にあるその柳谷邸が舞台になった。そしてもう一人、
この再会までを陰に日向に支えてきたと目されるのが、高円宮憲仁殿下である。
七年前の出会いのときから、高円宮殿下の存在は知られてきたが、
「一昨年(=1991年)九月に東京芸術劇場で中村紘子さんの
チャリティーピアノ演奏会があったのですが、その打上げの席に、
高円宮さまが雅子さんを連れてきていたのです」 と消息通が明かす。
「皇太子さまに年齢も近い高円宮さまが、皇太子さまの意を汲んで
雅子さんとの間をつないできたのでしょう。
高円宮妃の久子さんと雅子さんの母親優美子さんも旧知の間柄という。

ロイヤルラブストーリー 毎日新聞社 昭和63年7月1日号
皇太子様と小和田雅子さん
「宮内庁など関係者によるお妃選びが具体化しはじめたのは80年前後、
皇太子さまが20歳の成年式を迎える頃からだ。皇后陛下が皇太子妃時代に
「浩宮の結婚についてはもう何年も前に宮内庁長官と東宮大夫にすべてを
託し、委任しました」と会見していることからもうかがえる(87年10月)」

「87年4月25日には高円宮邸で会食。皇太子さまは自分で撮った写真を雅子さんに見せた。
各国王室や皇室の仕事、英国留学の思い出、将来について熱く語ったという。10月24日には
学友の賀陽正憲氏と雅子さんを東宮御所に招いた。皇太子さまは雅子さんに身を乗り出してアプローチした」

天皇家の宿題 
岩井克己氏(朝日新聞記者)
一方、「小和田雅子さん」の名を初めて聞いたのは昭和62年(1987)5月でした。
4月25日に高円宮邸で午前1時まで浩宮と会った女性がいるという聞き込みからでした。
7月16日に外務省経済局国際機関第二課の部屋を訪ねました。入省3ヶ月の彼女は入り口近く、
末席の机から立ち上がって、課の応接室に案内して会ってくれました。
浩宮と会ったことがなぜわかったのか気にして、やや緊張していましたが、次第にほぐれて、
別れ際の屈託ない輝くような笑顔が美しかったのが印象に残っています。

文藝春秋2009年12月号
雅子妃が変えた平成皇室
岩井克己氏
高円宮邸で浩宮様と午前一時まで一緒にいた女性がいると聞いて外務省応接室で雅子様に会った(昭和62年7月)。
外務省の応接室でお会いしたときには困りきっているわけですよ。
「どうして浩宮さまと会っていることが分かったんですか!」
何度も食い下がると「その件につきましては何も申し上げられません」の一点張りになってしまって、
退散を告げるとホッとしてニッコリ笑顔になられたんです。これがとっても屈託のない笑顔でらして。
同時に皇太子妃というイメージとは大分違うな、と思ったのも事実なんです。
「皇室に入りませんか」と言われても、「皇室って何?」といったような感じがあった。
「これは機が熟すとしても、かなりの時間が必要だろう」と思いましたが、
案の定それから結婚まで六年かかった。




憲仁親王殿下
薨去 平成14年11月21日
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20071130154540.jpg

平成14年(2002年)11月21日
愛子様をベビーカーに乗せ一家三人で神宮外苑を散歩


参考
■久子さまはフジサンケイグループと関わりが深い
産経新聞社では、高円宮妃久子殿下が日本全国で撮影された鳥の写真でつづるカレンダー
「高円宮妃久子殿下 鳥暦」を発売している。
■日本単独開催でほぼ決定していたW杯を韓国共催に尽力したのは高円宮殿下
関係者が落胆する中、共同開催の意義とやらを熱弁した。映像も残っている。
サッカー協会の上層部の言葉は承服しかねるというニュアンスだった。
日本単独開催を強引に共催にもっていったのは、韓国のチョンモンジュンという国際サッカー連盟の副会長。
高円宮殿下は周囲が危惧していた通り、ほどなくして薨去。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

以下は拾い物

ある皇室記者
昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、
皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、
佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、
出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、
自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。
しかるべき筋とは、高円宮様
高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから
彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言
秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新聞記者証言
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円宮様。
高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。
なにより、雅子様入内を推していたのは高円宮様。
高円宮様が亡くなって皇太子ご夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、
彼が皇太子サイドで相当動いていたのだろうと想像出来る。

皇室関係者
紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子様が皇室入りする1、2年前
流していたのは創価、外務省、高円宮様
雅子様の不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。
高円宮様はワールドメイト教祖深見東州との関わりも深く、深見東州は紀子様の誹謗中傷を繰り返している。
その後渋谷氏(のちに雅子様の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。
各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。

ワールドメイトと高円宮殿下
ワールドメイトは会員に「あなたの先祖は皇族だった」などと言っている
深見東州は12月1日発信のメルマガに高円宮殿下に関して
「お亡くなりになった理由として、三笠宮家の霊障が襲いかかった。立山のゼウスが雷を落とした」などと発言。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H14/1412/141261a-fukami.html#01(リンク切れ)
寛仁親王殿下のことはけなすが高円宮殿下とは親しい。
亡くなった後、追悼コンサートも開催。

深見東州と高円宮
日本の伝統芸術21世紀展実行委員会
名誉顧問 : 高円宮憲仁親王殿下
顧  問 : 奥野誠亮 衆議院議員・元文部大臣
会  長 : 小山宙丸 白鴎大学学長・前早稲田大学総長
副会長 : 堀江恭子 美術評論家・国士舘大学講師
深見東州 世界芸術文化振興協会会長(NPO法人)
http://www.fukami.com/htmls/2001/20011029.html


故人と交流のあった人間
高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。
紀子様のご実家をバカにしきっていた。
高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。

M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。
宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。
だから恒氏が取り込みやすかった。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮妃久子様)の噂は?
高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。
高円宮様がお亡くなりになってからパタッと秋篠宮ご夫妻の誹謗中傷が止んだ時期がある。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。
雅子さまとあのお方で秋篠宮ご夫妻の文句(目立ちすぎ、出すぎ)を言っていたことも。

ある記者
承子様の成人コメントでも紀子妃懐妊については無視していた。
高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。
あることないことまで噂を言いふらしていた。
高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。
(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)
秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で
「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。
…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、
華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、
秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。
蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。

T氏
小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。
未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。
必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。

(森下洋子と高円宮様の対談番組を見て)
相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。
高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。



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