皇室の危機は終わらない

週刊新潮2006年9月21日号
皇室の危機は終わらない 日本大学教授 百地章

41年ぶりの親王ご誕生は、数年来続いていた、皇室の先行きを心配する声をかき消し、
一転、国民の間には楽観ムードが漂い始めているかに見える。
が、親王誕生というご慶事をもってしてもなお、皇室が直面する危機に大きな変わりはない。
まず、懸念される点として、皇太子ご一家をめぐる問題があげられる。
特に、長引く皇太子妃雅子さまのご病気が心配だ。次の皇后となられる方であり、
一日も早いご回復を祈念申し上げたい。

平成15年12月、静養に入られた雅子妃について、その翌年5月10日、皇太子殿下が、
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言された。
それが発端となり、国民の間では何が原因なのか。誰が悪いのか。様々な憶測を呼んでしまった。
昨年12月に公表された医師団の見解では、「適応障害」と診断された同妃の病は皇室にいることそれ自体が原因、
とも読み取られかねない。もしそうであれば大変なことだ。
ご静養は今年12月で4年目に入る。まだ復帰の見通しは立っていないというが、国連大学で研究され、
外交に関するご進講は東宮御所でお受けになっているご様子だ。
皇太子殿下はお一人で立派に公務を果たしておられる。しかし、国民の一部には、
天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻が公務で多忙であるのに比べ、
東宮家がそのお立場に相応しい公務をなさっていないのではないかとの疑問や批判がある。
天皇陛下は前立腺がんの治療中であり、皇后陛下も体調を崩されることが多いにも拘わらず
多忙なご公務をこなされている。ご静養が長引くにつれ、批判の声が高まっていく恐れもある。
先月には、雅子妃殿下のオランダでのご静養に伴い、皇太子殿下まで2週間も国内を留守にされた。
天皇のご名代ともいうべき方が、私的な静養で海外に出られた前例は、今まで一度もない。
もし、ご高齢の陛下が病気で倒れられるなど万一のことがあった場合、どうされるのか。
皇太子殿下には、くれぐれも慎重なご配慮をお願いしたい。
最も心配なのは、皇太子殿下や雅子妃に対する国民の批判が、皇室に対する尊崇や敬愛の念を失わせ、
国民統合の象徴である皇室にひび割れを生じさせかねないことだ。それだけは絶対に避けなければならない。

また、雅子妃殿下のご実家である小和田家の皇室に対するスタンスを疑問視する向きもある。
2年前の春、雅子妃が静養先に選んだのは、軽井沢にある小和田家の別荘であった。
このことに違和感を覚えた国民は少なくない。昨年、女系天皇容認の報告書を提出した有識者会議では、
妃殿下の父上、小和田恒氏に近い人々が中心的役割を果たしていた。
例えば、この有識者会議を実質的に取り纏めてきたのは古川貞二郎・元内閣官房副長官である。
元通産官僚の八幡和郎氏が指摘しているように、
元厚生事務次官の古川氏は、元外務次官の小和田氏とほぼ同じ時期に、事務次官会議のメンバーだった。
さらに、小和田氏の妻、つまり妃殿下の母上と同じ佐賀県出身でもある。
これは。偶然の一致だろうか。
羽毛田信吾宮内庁長官は古川氏の元部下で、内閣官房内にある皇室典範改正準備室の柴田雅人初代室長も
厚労省出身である。また、この4月、東宮大夫に就任した野村一成氏は、かつて小和田恒氏と
駐モスクワ日本大使館で同僚だった人である。直接の部下ではなくとも、現在の宮内庁には、
小和田氏に極めて近い人々が働いており、女系天皇容認を画策しているのではないかとの疑念はぬぐいきれない。
そして、先月のオランダ静養である。よく知られている通り、現在、国際司法裁判所判事の小和田氏は
オランダのハーグ在住である。皇太子ご一家は、小和田氏の自宅で食事を共にされているのだ。
美智子皇后の父上・正田英三郎氏は、ご成婚以後、控え目にすることに徹底したという。
「李下に冠を正さず」の例えを頑なに守り通した正田家と極めて対照的な態度ではないだろうか。
最近では、「まるで皇太子が小和田家のお婿さんになってしまわれたようだ」との失礼な揶揄さえ聞こえてくる。
家族を大切にされるお姿は立派ではあるが、果たして皇太子ご一家が、一般の家庭と同じ感覚で良いのだろうか。

雅子妃殿下について特に気がかりなのが、宮中祭祀のご欠席である。一般には、皇室と祭祀については
あまり知られていない。しかし、祭祀こそが天皇の天皇たる所以、皇族の皇族たる所以と言っても
過言ではないのだ。8月14日、オランダへのご出発に先立ち、皇太子殿下はお一人で武蔵野陵に参拝をされた。
潔斎で身を清め、長時間を神域で過ごすなど負担の大きい宮中祭祀について、
雅子妃のご出席が困難であることは理解できる。しかし、潔斎などを要せず、比較的身軽な参拝であれば
ご同行が可能だったのではなかろうか。

かつて第96代・後醍醐天皇は、天皇のあり方を、以下のお歌に詠まれた。
 世をさまり 民やすかれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけれ
世が治まり、民が安穏であれと祈ることこそ、自分にとって尽きぬ思いなのだ――。

後醍醐天皇に限らず、歴代の天皇は、こうして無私の心で国民のために祈ってこられた。
これは二千年の間、続けられてきた皇室の伝統である。
両陛下だけでなく、皇室と国民の架け橋となる他の皇族方も、無私の祈りを続けられている。
片道十数時間をかけての外国への移動が静養のためなら可能であるのに、なぜ数時間程度のご参拝ができないのか。
これには私ならずとも、多くの国民の間に釈然としな思いが残っているのではないだろうか。

皇室と国民の絆を示すこんなエピソードがある。
終戦後、昭和天皇は敗戦で焦土となった全国各地をご巡幸され、国民を励まされた。
昭和天皇は、「全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の
勇気を与えることが自分の責任と思う」「自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、
健康とか何とかはまったく考えることなくやって欲しい」
そうしたご覚悟を持ち、昭和21年2月から29年8月までの8年半続いた行程は3万3千キロにも及んだ。
陛下は全国津々浦々で国民の熱狂的な歓迎を受けられ、それが戦後日本の復興の原動力となった。
昭和20年12月、陛下の思いにお応えするように、宮城県の農村から60人の青年たちが上京した。
空襲で荒れ果てた二重橋前の広場に生い茂る草取りや掃除をしたい・・・・・、そんな純粋な気持ちからだった。
しかし、GHQの占領が始まっていた時代である。天子様のために働いたら検挙されるやもしれないとの
覚悟までし、出発前に親兄弟と水盃を交わした者さえいた。彼らが皇居内で連日、清掃作業をしていたことが、
陛下のお耳に達し、お出ましになった陛下から、温かいお言葉を頂いた。
一同、思いもよらない感激の拝謁となった。この話が伝わるや、北海道から、九州まで、
全国から勤労奉仕の願い出が殺到した。以後、今日に至るまで、全国各地からの奉仕団が、ほぼ毎日、
皇居及び東宮御所で勤労奉仕を行っている。皇居では、従来通り両陛下のご会釈がある。
ところが、近頃では、東宮御所でお出ましになるのは皇太子殿下だけで、ご静養以後、
妃殿下は勤労奉仕団とお会いになっていない。勤労奉仕団は、皇室と国民との絆を示す象徴的な存在である。
雅子妃が将来の皇后として、国民との絆を大事にされるのであれば、一日も早く、
ご会釈を勤労奉仕団の人々にたまわる日が来て欲しいと願う。

しかし、やはり皇室最大の危機は皇位継承をめぐる問題だ。
親王のご誕生で、皇室は41年ぶるに新たな皇位継承者を得た。
これで皇位継承の危機は先送りになったとはいえ、秋篠宮家を除く全宮家(常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮)が、
男子後継者不在のため廃絶する運命にあることに何ら変わりはないのである。
こうした現状に、昨年、有識者会議は、女系天皇を容認し、女性皇族による宮家創立を可能にすべきだと説いた。
しかし、万世一系を可能にしてきたのは男系男子による皇位継承がなされてきたからである。
そこで、私はかねてより、旧皇族の皇籍復帰を可能にする法整備より、
男系男子による皇位継承を維持するべきだと考えている。
親王がご誕生になっても、同世代の皇族男子はお一人だけである。
宮家の整備、拡大は喫緊の課題であることを今一度、強調したい。
その過程で、間違っても女系天皇の誕生などという事態があってはならないと考える。
昨年、有識者会議の報告書を通してわかったことは、世界最古の二千年という
長い歴史を持つ日本の皇室であっても、一部の政治家や官僚たちの手で簡単に伝統が否定され得るということだ。
小泉首相は、郵政改革と同じ感覚で「皇室の改革」を唱え、一部の政治家、外務省、厚労省などの左翼官僚によって、
言わば「皇位の乗っ取り」が行われようとしたのである。
その対策として、私は皇室の根本に関わるような問題については、皇室のご意向をしっかり反映させられる
法システムに改めることが必要だと思う。
昨年9月、寛仁親王は「我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更してよいのかどうか」と、
男系維持を求める意見を福祉団体会報で述べられた。ところが、羽毛田宮内庁長官は
「対外的に意見表明されないのが皇室の対応」と述べ、風岡典之宮内庁次長に至っては
「天皇陛下や皇族方は憲法上発言すべき立場にない」と断言した。明らかに皇族の意向を無視し、
封じ込めようとさえしていたのだ。戦前、皇室典範は憲法と同格の地位にあり、
改正にあたっては皇族会議と枢密顧問の諮詢を経るというものだった。
議会や世俗権力の介入を許さない仕組みになっていたのである。
ただ現在の憲法では、国会が「唯一の立法機関」(41条)とされており、
皇室会議が直接、立法にかかわるわけにはいかない。しかし、皇室典範の改正に関しては、
何らかの形で皇室のご意向を反映できるようにすべきではないかと考える。
このように、親王ご誕生の日を迎えても、皇室から危機が去ったとは依然言い難い。
しかし、これだけ課題が明らかになったことは、逆に国民にとって皇室の意義、
あり方を考える絶好の機会となっているのではないだろうか。
皇室とは、常に天下万民、国家と国民のために祈ってこられた存在である。
決して個人的な幸福を祈るのではない。それこそが天皇、皇族のお姿である。

かつて明治天皇は、
 いにしえの ふみ見るたびに 思ふかな おのがをさむる 国はいかにと

とのお歌を詠まれたが、歴代の天皇は歴史と伝統の重みを感じながら、
常にこの国と国民のことを思い続けてこられた。その上で、天皇皇后両陛下は、伝統を大切にしながらも、
ご自分たちの新しいスタイルを築かれてきた。被災地を訪問された今上陛下が膝を折って励ましの言葉をかけられ、
皇后さまが国民を抱きしめられる。そのお姿は、戦前では考えられなかったことであろう。
この「ご公務」のあり方をめぐって、一時、皇太子殿下と秋篠宮殿下の対立が伝えられた。
しかし陛下は「秋篠宮の『公務は受け身のもの』という発言と皇太子の『時代に即した新しい公務』とは、
必ずしも対極的なものとは思いません」(平成16年12月23日の文書による回答)と述べられている。
陛下のご発言を受けて、皇太子殿下は今年2月、お誕生日の会見で、
「今まであった公務は・・・・・・大切にしていきたいと思っています。
また一方で、・・・・・・今の時代にできること、私たちの世代だからできるものを
真剣に考えていくことも必要ではないか」と仰っている。
懸念されたご意見の対立は一先ず解消されたようだ。
新しい時代の皇室像といっても、あくまで伝統を大切にしたものであるべきだ。
時代の変遷の中で、方向性に変化が見られても、皇室の本質は変わってはならない。
法制度の整備とともに、皇室はいかにあるべきか、また皇室と国民の絆を強化するために何をなすべきか。
皇族方、国民ともに今一度、このことを真剣に考えてみる必要があるのだと思う。



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