妃殿下・内親王殿下の作文

紀宮内親王殿下中等科時代の詩
「母の日に」
母の日に夕焼けの絵を描いた
夕焼けはどこか母に似ているから
夕焼けの絵を描いた
ただそれだけの絵なのに
母は大事にたなの上にかざってくれた
夕焼けのよく見える
窓の近くにかざってくれた

紀宮内親王殿下 初等科卒業作文
盲導犬指導員 中組 清子内親王
「オーケイ。ストレイト、ゴー。グーッド、グーッド。」
朝の冷たい空気の中、私はアドニスと共に路上に立った。
アドニスは、足元やまわりを見ながら、注意深く私を導いてくれる。
しばらくすると、一つの建物が見え、私たちはその中に入った。
とびらの中には、『東京盲導犬協会』と書いてある。
私は今見習いの指導員で、盲導犬に仕立て中のアドニスと練習をしているのだ。
夕方になると、協会の食堂に集まり話し合いをする。
協会の理事長、塩屋賢一先生に、「君なかなか板についているよ」と言われて、
思わずいすの下にいるアドニスに、「アドニス、がんばろうね」と言ってしまった。
一人前になるために、あと一年かかる。
そう思いながら、アドニスをなで、希望に燃える私であった。
初等科卒業文集『紀桜集』より


秋篠宮眞子内親王殿下 2004年初等科卒業作文
五年生の春休みに、家族と一緒に奈良県と京都府を訪れました。正倉院で長く受け継がれてきた宝物、
唐招提寺で東山魁夷画伯が鑑真和上の旅を想いながら描いた障壁画、
そして京都御所で中国の故事を題材としたものや花鳥風月の襖絵などを鑑賞したことは、
私にとって良い思い出になりました。
また、奈良鳥類研究所では上村淳之先生からいろいろな鳥についての楽しい説明を受けました。
先生は鳥を描くためにはその生態をよく知り、自分の心の中で鳥の様子を想像できるように
することが大事であるとお話しくださいました。
日本画を見ていると、描かれた時代の歴史、自然や生活などを知ることができ、
たいへん興味深く思います。
また、私たちが目にする多くの美しい古典絵画は、適切な修復を繰り返して
今日に伝えられていると聞いています。
現在の日本画の修復は、オリジナルの部分を尊重して、修復の計画と結果の予測を立てて、
伝統的な技術と最新の科学技術を使って進めるようです。貴重な美術品を大切に保存して、
修復することは、非常に大切なことではないでしょうか。
このように、私は日本画の制作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。
そしていつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います。

眞子内親王殿下 2009年学年文集「はなすみれ」より

ふとした瞬間(とき)に思うこと
私は今高校二年生だ。そのうち高校を卒業し、大学に入学する。
そんなこの頃、よく感じるのは、自分が変わってしまったということだ

小さい頃はよく外で遊んだ。今でも外で運動する機会はあるが、昔のように純粋に楽しむことはなかなかできない。
家が自然に囲まれていることもあって、昔はもっぱら自然の中が私の遊び場だった

空想するのも大好きだった。今考えると微笑ましい話だが、趣味の読書も手伝って、
自分はホウキで空が飛べるのだと信じていた。いつか動物と話すことができると思っていた

対して今は余計な思考がじゃまをする。手が汚れるだの、つかれるだの。
その上、現実が見えてしまっているから空想の余地もなくなってきている。
現実社会を生きていくのだから仕方がない、当然のことだ。
自分が変わったと感じる分、成長しているということでもある 

それでもふとした拍子に昔に帰ってみたいと思ってしまうのだ 

この間、那須へ、夏休み中唯一の旅行に出かけた。
東京の人ごみから離れて緑いっぱいの自然の中で過ごせるのがうれしい。
そう、永遠に変わらない気持ちだって存在するのだ
(週刊新潮2009年4月16日号)

秋篠宮佳子内親王殿下 2007年初等科卒業作文
これからも続けたいこと 
私の将来の夢は、まだ具体的に決まっていません。
しかし、これからも続けていきたいと考えていることのひとつに
小学二年生の時に始めたフィギュアスケートがあります。
フィギュアスケートを習い初めたころは、氷がつるつるして滑ったり転んだりして
難しいと感じましたが、練習を続けるうつに少しずつスピードを出したり、
片足で長く滑ることができるようになって楽しくなりました。段々滑ることに慣れてくると、
ジャンプやスピン、そしてステップなどを習うようになりました。
今は、音楽に合わせてきれいに滑っていけるように先生が丁寧に教えてくださいます。
上手にできないこともありますが、繰り返し練習をしてできるようになると大変うれしいです。
私が通っているスケート場は、スケートのインストラクター、リンクを管理する人、
怪我をしたときの救護員などたくさんの人が働いています。
多くの人たちに支えられてスケートができることに感謝の気持ちを忘れずに滑られるよう、
心がけていきたいと思います。そしてこれからも、スケートの練習をしながら、
他にも関心を持っているいろいろな事ができるように努力していきたいと思います。

二十歳の私へ
お元気ですか。
今、十二歳の私は中学校への進学を前にして、残り少ない初等科生活を勉強したり、
友達と遊んだりしています。また、家では優しい家族に囲まれて楽しく過ごしています。
そして、関心を持っているいろいろなことの中から今は、放課後や休みの日に
フィギュアスケートの練習を一所懸命にしています。上手に滑れないときもありますが、
練習を積み重ねると、今までできなかったジャンプやスピンができるようになり、
少しずつ上達していくのがわかってとてもうれしいです。
スケートを通して、目標にむけて頑張って練習をしたり、
大変なことがあっても努力を続けることの大切さを学んだりするなど、よい経験ができました。
八年がたち、二十歳になった私は、何をしているでしょうか。
この八年の間にも、色々なことに出会い、興味を持ったと思います。スケートは、まだ続けていますか。
二十歳のときに経験していることも、その後の将来の自分につながると思います。
大変だったり、難しかったりすることがあっても、十二歳のときに楽しみながら
スケートの練習を続けたことを思い出し、現在していることを大切にしながら充実した日々を過ごしてください。


秋篠宮佳子内親王殿下 2012年学習院八重桜祭3年中組の「クラス企画」での作文
テーマ:「言葉の伝達能力」
私は、言語は「伝達の可能性」をもつにとどまると考える。
まず、言語は私達の生活にかかすことができず、通じている前提で社会が成り立っている。
例えば、日本では駅の案内や標識は日本語で書かれており、他の言語を用いる人には理解できない。
また、国や地域の文化をふまえてもいる。肉食文化のアメリカでは、同じ牛肉でも複数の言い方があり、
魚食文化の日本では、「出世魚」という成長によって呼び方の変化する魚が存在する。
このように、言語は文化とともに、より良く伝達するために発達してきたと言える。
一方で、自分の国の言語であっても思うように伝わらないという経験はないだろうか。
次のような話を聞いたことがある。
「熊が人間をなでたつもりでも、人間はなぐられたと感じるかもしれないし、死んでしまうかもしれない。」
これは、熊が人間を殺したことになる。言語も同じだろう。
優しさのつもりでかけた言葉も、相手が傷ついたと感じれば、結果的に傷つけたことになる。
このような危険性を言語は持っている。最近よく耳にするいじめの問題においても、
いじめる側といじめられる側の言葉の捉え方の違いや、一つ一つの言葉に対する重みが違うために、
深刻な問題となっている。このように、人間同士の会話であっても、
言語を持たない熊と、言語を持つ人間の会話と同じくらい正確に伝達されない可能性が高い。
ゆえに、言語は、本当に伝えたい気持ちや意味が正しく伝わるとは限らない。
そのため、言語は「伝達の可能性」を持つにとどまることを理解し、責任を持って使用する必要がある。



小和田雅子さん 小学校卒業文集
「クラブ」小和田雅子
略)
私たちは「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。
その鳥は学校の窓ガラスにぶつかって死んだのだと先生はおっしゃいました。
肛門からはさみをいれておなかの皮をさきます。その後肉を切らないようにして
中の肉を取り出します。
そのためには、足とつばさを適当なところから切らなければなりません。
足はうまくいきました。(中略)
残るは翼一個となりました。そこは先生がなさいました。ところが何という失敗!
先生がつばさを切り落としてしまったのです!
あと、頭のところの肉を取れば肉が取れたのに。
そして、かわかしたあと、中身を入れてはくせいができたのに・・・・・ とても残念!


川嶋紀子さん 小学校卒業時
初等科の思い出 オーストリー在 川嶋紀子
四年生で入学してから、五年生の二学期に特別休学するまでの短い間でしたが、
私の初等科生活にはいろいろと楽しい想い出があります。
なかでも五年生の春に三クラスそろって八幡平へ旅行した時に、 経験したおもちつきは
特に印象深く心に残っています。
私達が八幡平に訪ねている間ずっとよいお天気にめぐまれ、翌日は松尾校舎にさよならを
しなければならない三日目の日も、青い空は、大きく広がっていました。
この日の午後、先生も生徒も 全員でおもちつきをしました。校庭にうすをすえ、
中に白いゆげがぼうぼうとでるふかしたばかりのもちごめが入れられました。
うすのとなりには水の入ったおけがおかれました。まず、東組のお友達がうすの回りを
囲み、いい音でつきはじめました。自分達の部屋で西組の番がくるのを待つ間、
私はペッタン、ペッタンと おもちのつかれる音を、空を見上げながら聞きました。
小さな音でも大きい音でも力のこもっている感じがしました。長い間ようやく待って、
西組の女子の番がきました。名ぼ順にならびおもちをつき、私の番がとうとうきてしまいました。
うすの所まで行くとお手伝いをして下さるおば様が、タライの水を手の上にのせ
うすの中のおもちにつけて下さいました。きねを持ち上げると思ったより重く、
前についていた友達が軽そうに持ち上げていたきねとちがう気がしました。
私は四回うちましたが、うつたびにきねがいきおいよくはね返ってくるような気がしました。
やわらかいにおいもプーンと感じました。
夕食後のデザートはおもちでした。あんこや大根おろしをつけていただきました。
みんなで力を合わせた味がしみこんでおり、口の中がホカホカでした。
私にとっては生まれて初めてのおもちつきで、 それまでいただいた中で最高のおもちでした。


川嶋紀子さん 小学校3年生の時の作文
私の弟 私には弟が、います。舟と書いて、しゅうと読みます。舟ちゃんはかわいい時と、
悪い時があります。かわいい時は、かわいくわらったり、私のドレスを着る時です。
お母様が、私のかみのけをとかして下さっているとき、舟ちゃんは、かみをとかしてるのを見て、
お母様に「かみとかして。」といいます。私がそれを見ると、弟は、なんとなく女の子みたいに、
見えます。悪いときは、かみのけを引っぱったり、だいじな物をさわったり、する時です。(中略)
舟ちゃんはこのごろ、いろいろなことをいいはじめました。たとえば、「タツ」、「キコ」、
「カアカア」などいいます。「タツ」というのは、お父様の名前が、たつひこで、
お父様が、ぼくのことを「タツ」といいなさいと、教えたので、それから「タツ」というように
なったのです。「キコ」というのは、私の名前です。だから、そのまま、「キコ」というようになったのです。
「カアカア」というのは、カラスが、「カアカア」と鳴くからおぼえたのです。
いつもいたずらをして、私をこまらせる舟ちゃんですが、ほんとうは、私の心の中には、
舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです


小和田雅子さん 編入した新宿区立富久小学校2年3組の時の作文
雪がっせん
きのう、学校のおく上で、雪がっせんをしました。
わたしは、中川さんと、大きい玉を作っていました。そうしたら中川さんが
「男の子たちに、これ、あてちゃおうか。」といったので、わたしは「そうしよう。」と
いいました。その玉は、長まるで、たては五十センチくらいで、よこは二十センチくらいでした。
わたしたちは、ほっ田くんにあてたのでほっ田くんは びちょぬれになってしまいました。
わたしはしかいしがくるかなあと思いましたが、きませんでした。だから、ほっとしました。

小和田雅子さん 5年生 詩
「一日」
カゲロウにとって
一日は一生だ。
なんて短かい一生だろう。
めすは
そんなに短かい時間に
たまごをうむのか。
たまごをうみおえて死んでいく「カゲロウ」
そんな短かい一生を
大切使ってほしい。



照宮成子内親王殿下(昭和天皇の第一皇女)の文章 
酒井美意子氏著 ある華族の昭和史より
私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。
いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。
私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。 どうして安閑としていられよう。
高い木には風が当たり易い。
それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるか
どうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。
ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず
死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお伴をひきつれている
自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。

敬宮愛子内親王殿下 詩
「本当の喜び」 敬宮愛子
おおなわをした
でもうまく飛べない
みんなはできているのに
私だけできない
すごく心細かった
みんなに申し訳ないような気がする
次の日もおおなわをした
最初はできなかった
でもこつをつかんだのかとべた
とべた!
これが本当の喜びの気がした
達成感があった
明日も
これからも
この喜びを絶対に
忘れたくないな
(初等科文集「小ざくら」より女性自身2012年4月10日号掲載)

敬宮愛子内親王殿下
犬や猫と暮らす楽しみ
私は、飼っている犬や猫と過ごす時が、一日の中で心が和む楽しい時間です。
犬や猫は人間と同じように、一頭一頭顔も性格も違います。
この違いが犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいる事の楽しみでもあります。
今、私の家には犬が一頭と猫が一頭います。犬の由利は、私が二年生の春に保護され、
生後二ヶ月半位で私の家に来ました。
来て数日で家にも慣れ、元気良く走り回っていた事を覚えています。
成犬になった今も子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、
しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫達は、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野良猫だったので、
なれるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、
なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫もほめながら教えると良く躾ができます。特に由利は、出された指示に従う時には、
得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。
猫のミーも「おすわり」や「お手」ができます。私はこんな由利や猫達が大好きです。
そして、由利や猫達がいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。

敬宮愛子内親王殿下 卒業記念文集
大きな力を与えてくれた沼津の海 敬宮愛子
不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、
初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。
ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。
三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、
太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと
諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。
五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、
前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、
不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。
沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる
素晴らしい思い出になっています。
卒業記念文集「桜愛集」より
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140318/imp14031812400003-n1.htm


敬宮愛子内親王殿下 中等科卒業文集
「世界の平和を願って」=愛子さまの卒業文集公表−宮内庁
宮内庁は22日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(15)が学習院女子中等科を卒業されるのに合わせ、
愛子さまが卒業記念文集に寄せた作文を公表した。
「世界の平和を願って」との題で、昨年5月の修学旅行で広島市を訪れた際に感じたことや、
平和への思いがつづられている。
全文は次の通り(表記は原文通り)。

世界の平和を願って 敬宮 愛子
卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。
雲一つない澄み渡った空がそこにあった。
家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。
なんて平和なのだろう。
青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。
このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。
まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。
ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。
写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。
平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、
熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。
これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。
そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。
命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、
人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、
被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。
これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、
「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。
オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。
私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。
私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、
世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、
皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。
これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。
この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。
原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。
間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、
原爆ドームが守られているように思われた。
「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。
しかし、世界の平和の実現は容易ではない。
今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。
毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。
なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。
日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、
他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、
感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。
「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。
きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。
そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、
広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。
(2017/03/22-11:07)