雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望が

週刊新潮2011年1月27日号
2年で5人が去った「東宮」に何が起きているのか!

昨年12月27日、小山久子さんが「自己都合」で退職した。
これまでの先生が今度は仕える立場に、という“構図”の逆転に、
小山さんが悩んだのは想像に難くない。(宮内庁担当記者)
1月17日付けで木幡清子さんが退任。前々から辞めたい、と話されていたのをこちらから引き止めていた。
新年行事が一通り終わったのを機に退職届を受理した。(野村東宮大夫)
しかし、引き止めるのであれば小山さんが辞めてすぐの時期は避けるべきで、
やはり何らかの問題があったとみるべき。
お二方とも「任期満了」に伴う退職では決してないのは一目瞭然だが、
どうやらそこには、根深い“事情”が横たわっているようだ。
小山さんの退職理由については「健康上の問題」と表向きされている。
しかし、雅子さまとの距離が遠ざかったというのが真相。
事実、昨夏以降、お二人は互いに連絡が取れない状態に陥っていた。(全国紙記者)
学習院の「緩衝剤」役を期待されていたが、それに応えられなかったというのが、原因のひとつ。
古巣との間で板ばさみになってしまい結局、学習院側から正確な情報を取ることができず、
不登校の改善にも寄与できなかった。これで雅子さまの信頼を失ってしまったもよう。(前同記者)
木幡さんもまた、雅子さまとの「軋轢」を抱えていた。
昨年、愛子さまの不登校問題について、木幡さんが周囲に
「学習院だけに責任があるわけではない」といった趣旨の発言があった。
その言葉が巡り巡って雅子さまの耳に入ってしまった。(東宮職関係者)
当初、雅子さまは「どうしてそんなことを」と理解に苦しんだご様子。
そうした疑念はいつしか幼い愛子さまにも形を変えて伝わって、
「ますます学校へ行きたがらなくなってしまわれた」。(同関係者)
徐々に木幡さんとのすれ違いが広がり、
雅子さまは「分かってくれるはずの人が、なぜ分かってくれないのでしょうか」と周囲に漏らされた。(同関係者)
木幡さんを“切る”方向で進んでいた話が急展開をみせたのは、1月11日。
1、2学期と同様、愛子さまは始業式には出ず、HRのみのご出席となった。
これが決定打となり、3日後の発表へと至った。(同関係者)
あたかも「雅子さまシフト」においてパージに遭ってしまった格好のお二方。
しかし、何も女官に限った話ではない。
わずか2年足らずの間に、皇太子ご夫妻のお傍からは、ほかに3人もの職員が「不本意な離脱」を遂げている。
2009年3月、末綱東宮侍従長が退任。雅子さまと折り合いが良くなかったとも言われており
わずか3年半で去ることになった。(宮内庁関係者)
その1ヶ月後、養育係の福迫さんが突然の辞職。信任が厚く、愛子さまとも大変仲がよかったのだが、
立場的にはるか上の地位である専任女官に小山さんが就いてから、仕事がしづらくなったよう。(同関係者)
皆後任が決まらないうちに辞めている。いずれにしても役所という組織からすれば、尋常でない事態。
やはり両殿下と東宮職がうまくいっていない表れか。(元宮内庁職員 山下晋司氏)
前述した4人はいずれも職を辞して去った人々だが、一方で人事異動によって東宮をあとにする職員もいる。
その中には不可解な事例も。
東宮職に「事務主管補佐」という、課長職の下に位置し、かつ行啓や医務などの係を束ねるポストがある。
数人の補佐で各係を分担、うち2004年からそのポストに就いていた50代のベテラン職員がおり、昨年4月、
補佐の中でも上席である「総括職」という地位に昇格した。(東宮関係者)
しかし、その男性がわずか3ヶ月で任を解かれ、7月初めには東宮から宮内庁本庁へと異動になった。
東宮内の予算を取り扱う要職に就いたばかりの職員にとって、きわめてイレギュラーな異動。
さらに異動先は本庁主計課の課長補佐。
8月末の概算要求の提出期限を控えて大忙しのセクションで、この時期に人を入れ替えるなど
通常では考えられない。
東宮で何かあったのでは、ともっぱら職員の間で囁かれていた。(同関係者)
ちょうどこの時期、皇太子ご一家は須崎の御用邸を静養で訪れていた。
それにさきがけて、雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望があり、
この補佐が首を縦に振らなかったのでは、という生々しい話も。
彼は昭和天皇の時代から東宮職に籍を置き、皇太子殿下との付き合いも長く、殿下からの信頼も厚い。
そのことから、雅子さま周辺との間に「何か」があったとの推測が飛び交った。(同関係者)
こうした人事がまかり通っているのだとすれば、東宮職はもはや機能不全に陥っている。
「物言えば唇寒し」の風潮が東宮にあるとしたら、大問題。
現在、雅子さまと良好な関係にある東宮職は、野村東宮大夫、野本勲侍従の二人。
しかし、二人とも今年71歳で、退任まで長くない。
心安いスタッフで固めたつもりでも、前述した特別職の「不文律」に倣えば、
体制刷新へのカウントダウンは始まっているのかもしれない。
木幡さん、小山さんは、雅子さまに「愛子さまと少しずつお離れになってはいかがですか」と進言したという。
徐々に女官との間に距離が生じ、ついには自分の二人の妹や母親と“ホットライン”で
相談をして方針を決めるようになってしまったとも聞く。
もはや雅子さまを支えていく組織そのものが崩壊の危機にある。(ベテラン皇室記者)
雅子さまが愛子さまを構いすぎる傾向があり、傍らの養育担当も思うように仕事ができない
ということがあったのかもしれません。(皇室ジャーナリスト 稲生雅亮氏)
雅子さまはおのずと孤立を深めていくような道を選んでしまいかねない。
退任した木幡さんを自宅に訪ねると、「私からは何もお話はございません。ご苦労様です」
落ち着き払って応えるばかりであった。