雅子さま 殿下の愛に守られて

江森敬治著 集英社(2001年)

ご家族の転居に伴って、雅子さまは二年の時に新宿区立富久小学校に転校された。
しかし、その前にご両親には「私立で小中高校の一貫教育を受けさせ、娘をじっくり育てたい」
との希望があり、雅子さまは、母親優美子さんの母校である私立田園調布雙葉小学校への
編入試験をお受けになることとなった。
編入試験が終わったあと、雅子さまは優美子さんにこう話されたという。
「ねえ、お母さま。学校の入学式って何?運動会っていつあるの?
サカナの背ビレ、尾ビレってなんのことなの。社会も理科も何もわからなかったわ」
アメリカでは新入生たちは、それぞれ担任の先生の名前が掲示されている教室に入り、
授業がスタートするだけで、入学式のようなセレモニーはない。
日米の生活習慣の違い、勉強内容の差。
小学生の雅子さまの前には、様々な壁が立ちはだかっていた。
数日後、優美子さんが不合格を知らせると雅子さまは
「わかっていたわ。だって何もわからなかったのですもの」と答え、
しょんぼりされていたという。しかし、もう一度、チャレンジ。
雅子さまは小学校三年生の時、田園調布雙葉小学校に編入された。

田園調布雙葉小学校時代、体育の先生が飼っていた雑種犬がたくさん子供を産んだので
そのうち1匹をもらって「プッチー」と名付けて自宅で飼っていた。
プッチーは雅子さまが高1でアメリカへ行く時親戚の家に預けられた。
お祭りで買ったヒヨコ。すぐに大きくなり毎朝コケコッコーと鳴くので、
「ご家族は近所迷惑にならないか、心配されたという。」 
デパートの屋上で売られてたカメレオン。優美子さんは最初無理なのでダメと言ったが
雅子さまがどうしても飼いたいと懇願したので許す。エサは生きたものでないと駄目なので
ミミズやハエを捕まえてしばらく飼っていたが、結局体を弱らせて死んでしまった。
ほかにジュウシマツや金魚も飼ったことがある。

校内の球技大会でも、雅子さまが入っているグループは必ず優勝するという“伝説”もあった。
だが、決して目立つ存在ではなかったというのが、当時のクラスメートの“雅子さま評”。
「ドッジボールでもオワはエースでした。ただ、最初から攻めまくるタイプではなくて、
当てられてみんなが“外野”にまわってから、いよいよ前にでてくるんです。
結果的には、オワだけは最後まで当てられずにしぶとく残るというタイプだったと思います。
さりげなくて、そして頼りになるのがあのころのオワでした。
でも……ドッジボールでオワにぶつけられると痛かったんですよ」

皇太子ご夫妻が結婚された翌年の平成六年四月、
小和田恒さんが国連大使に就任したことに伴って、
雅子さまのご両親である小和田恒さんと優美子さんはアメリカ・ニューヨークに赴任した。
ご両親は平成十年十月に帰国されるまで四年半の間、アメリカに滞在した。
そして、平成十一年六月に双子の妹の節子さんが結婚。
この時の披露宴には雅子さまが出席された。
続く平成十二年十一月にもう一人の妹の礼子さんが結婚し、
都内のホテルで開かれた披露宴には皇太子さまと雅子さまが揃って出席された。
恒さんは、国連大使のあと、現在は日本国際問題研究所理事長を務めている。
妹さんたちもそれぞれの道を歩まれており、小和田家の人たちは、
雅子さまのご結婚後も、これまでの歩みを変えることなく、
自分たちの人生を大切に、そして一年懸命に生きているようだ。
ご懐妊の可能性が明らかになった今年四月十六日。
実は、その前の週に雅子さまからご実家に連絡があり
「来週にも(ご懐妊の可能性について)発表があるかもしれない」と、密かに告げられていたという。
その後、宮内庁は雅子さまのご懐妊を正式に発表したのだった。
ご懐妊発表後、雅子さまの家族はごく親しい知人たちに、
「胸のつかえがストンと落ちました」と、素直に、そのうれしさを表現されたという。

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