婚約会見

婚約会見の一部(1993/1/19)

雅子さん 
私はやはり、最初にお目にかかったときは、たいへん緊張しておりまして、
あの、緊張してご挨拶申し上げたのですが、その後は、何か意外なほどにお話が合ったといいますか、
お話がはずんだのを覚えております。そのとき私が受けました印象は、
とても気さくで、かつすごく配慮のある方だということでございました。
5年ぶりに去年の夏、お目にかかった時は、やはり楽しくお話することができました。
ただ、その時点では、殿下のお気持ちというものをうかがっておりましたので、
正直なところ複雑な心境でもございました。私が殿下のどういうところに魅かれたかということを申し上げますと、
ご自身がたいへんお苦しいときでも、ほかの人の苦しみについてまず先に考えられるような、
そういうたいへん思いやりの深い方でいらっしゃるということ、
それにたいへん忍耐強くていらっしゃるといいますか、根気強くいらっしゃるといいますか、
こう言ってはちょっと失礼かもしれませんが、とても人間のできた方でいらっしゃるということに、
本当に敬服いたしました。あとは、ご趣味とか、ご交際とかたいへん広くていらっしゃって、
心の豊かな方でいらっしゃるということでございます。


雅子さん 
はい、これまで6年近く勤めておりました外務省を去ることに、寂しさを感じないと申しましたら、
それは、嘘になると思います。外務省ではたいへんやりがいのある仕事をさせていただいておりましたし、
たいへん学ぶべきところの多い、尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれて、とても充実した勤務でございました。
でも、昨年の秋、私は本当にいろいろ考えた結果、いま、私の果たすべき役割というは、
殿下からのお申し出をお受けして、皇室という新しい道で、自分を役立てることなのではないかと、
そのように考え、決心したわけですから、今は悔いというようなものはございません。
その考えている過程で、殿下からは私の心を打つような言葉をいくつかいただきました。
そのひとつは、これは(平成4年)11月の後半だったと思いますけれども、
「皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、
雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから」というふうにおっしゃって(?)くださいました。
そしてさらには、12月の初めだったと思いますが、私がまだ……私に対して
「どうぞ十分にお考えになって下さい」とおっしゃられて、
ご自身も「たいへん悩んだ時期がありました」とおっしゃられたので、
私が「何をお悩みになられたのですか」と伺いましたら、
ご自身としては「僕としては雅子さんに皇室にぜひとも来ていただきたいというふうにずっと思っているけれども、
本当に雅子さんのことを幸せにしてさし上げられるのだろうか、ということを悩みました」と言われました。
そのような殿下の真摯(しんし)な、たいへん誠実なお言葉をいただいて、そういうお気持ちを私としてたいへん幸せに思うことができましたので、「私でできることでしたら、殿下のことを幸せにしてさしあげたい」
というふうに思った次第でございます。その間、両陛下からのお言葉ということでございますけれども、
殿下からは、私がもしお受けすることになったら、
両陛下も「温かくお迎えする」とおっしゃってくださっているということで、
私にとって大きな励みではございましたが、
一部で言われているように、その直接、皇后さまから私にお気持ちをお話になられたとか、
そのようなことはございませんでした。


皇太子 
その点に関してちょっと私からも申し上げたいと思うのですけれども、
私の場合も両陛下に、特に陛下には折りにふれて、いろいろご相談してまいりましたけれども、
皇后陛下のほうは、もう、この結婚問題が始まったころから、
もう、この件に関してはすべて当事者である私と、それから関係者にすべて任せておられまして、
それで、ご自身としては、皇太子妃という立場を了承して、
そしてこちらへ来てくださる方々にお心をくだいておられたわけです。
ですから、私が結論に達する前に、皇后陛下のほうが、特定な人にたいしてそれを否定したり、
それから支持されたりということは一切ありませんでした。
それは今回の雅子さんの場合も全く同じなわけです。
皇后陛下としては、あくまで私が選んだ人を心から受け入れるという気持ちを終始貫いてくださいました。
今回の結婚に至ることを振り返ってみましても、両陛下がこの件をすべてこの私に任せて、
そして、信頼してくださって、そしてご自身は温かく私たちを見守って、
そして、長い年月をともに耐えてくださったということで、
私はそのことにたいして、心から感謝をしたいと思っております。


質問 
雅子さんがお妃候補と騒がれたあとご交際が中断されたことがありました。
また、宮内庁は一度雅子さんを断念したと聞いておりますが、
皇太子さまのお気持ちはどうだったのでしょうか。

皇太子 
あの、この件に関しまして、チッソの問題もあって宮内庁のほうでも慎重論が出ておりまして、
ま、一時はま、中断することも止むを得ずある、止むを得ない状況ということになってしまいました。
また、その間、こちらのほうも外交官としての研修中でもあり
外交官としてのこの仕事を続けたいという意向もありましたし、
またあのいろいろとマスコミの取材攻勢等もありまして、
なかなかお互いに静かな環境のもとでもってゆっくり話し合うと言う機会がとれなかったように思います。
私としてはその間、常にこの(雅子さんの方を向いて頷く)雅子さんのことが念頭にありまして、
「雅子さんでは」ということを何回となく宮内庁の方に申し入れを致しました。
ただ、そうはいっても私としても私自身の気持ちというものも大切にしたいと思いますけれども、
周囲の意見、周囲の考え、これもまた大切にしたいと思っておりましたので、
昨年、周囲の意見が雅子さんでいいというふうに固まったときには大変嬉しいものがございました。

質問
かつて皇后さまが嫁がれた時、慣れない皇室の生活などで苦労されたと聞きますが、
仮に雅子さんにそういうことがあった場合、皇太子さまはどうやって雅子さんを支えるおつもりでしょうか?

皇太子
あの、実は、この件に関しましては、皇后陛下の方からは
一切そのような事に関するお話を伺っておりません。私が拝見していましても、いつもとても、
あの、明るく、楽しい、皇后さま、とても楽しい方でいらっしゃいますので、
ちょっと私にはそのようなことがあったと言われても、ちょっとピンとこないところがあるわけなんです。
ただ、あの、以前にこの件に関して、皇后さまに伺った時に私はいつも自分の足りない点を、
まわりの人々に許していただいてここまで来たのよ、ということを言われたことがございます。
その言葉がいまでも非常に印象深く残っております。
まあ、両陛下の歩まれたすでにこう、三十数年という歴史がありますので、
これから先、雅子さんが、大変な、というか非常に大きな苦労をされるということはないと思いますけれども、
なにぶんにも皇太子妃という、非常に責任のある、重大な立場になるわけですから、
苦労があった場合には、私がそばにいて全力でもって守って、そして助けていきたいと思っております。


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雅子さんの釣り書(成婚時雑誌)
健康状態 異常ありません
身長164p、体重51s
好物 ミルクティー、果物、サラダ、帆立て貝
得意料理 鶏のポルト酒風味、ラザニア、ふろふき大根、ヨーグルト・ムース
座右の銘 「実るほど頭の下がる稲穂かな」
     「徳においては純真に、義務においては堅実に」(雙葉学園の校訓)
尊敬する人 皇太子殿下、何人かの外務省の先輩および親しい友人、祖父母、両親
感動したこと 皇太子殿下の思いやりの深さ。
私に対する真摯なお気持ちを知ったこと。
友人、妹たちや職場の上司らによる私への心遣い
性格 おおらかだが、恥ずかしがり屋。慎重で優柔不断なところもあります。
社会的活動 心身障害児の運動指導(ハーバード大学時代にボランティア)
職業選択の理由
私の生い立ち、経験を生かし、
日本および国際社会に貢献できるような仕事をしたいと考えたためです。
仕事以外の興味関心 貧困、飢餓等の問題。エイズ。環境問題。
一般に、恵まれない人々、社会の中で弱い立場にある人々のために
何ができるのか考えていきたいと思います

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

諸君 1993年12月号 
何が「皇室の危機」のなのか 村松 剛
御婚儀に先立つ記者会見の席での小和田雅子さん(当時まだ妃ではなかった)の
ことばづかいに唖然とした直後だったために
<中略>
「私でできることでしたら殿下のことを幸せにしてさしあげたいというふうに思った次第でした。」
のちの皇太子妃が記者の質問にこたえて口にしたこのことばは、欧米系の言語に訳せば
何の抵抗もなく適用するにしても、日本語ではたいへん傲慢にきこえる。
こういう場合には日本語では、
「不束な私ではございますが、お気に召していただけるのであれば微力をつくしたいと
存じます」とでもいうものである。
いまの若い人たちはそんないい方は知らないといわれるかも知れないけれど、
無教養な若者と未来の皇后とを一緒にしてもらっても困る。
十歳代を海外ですごしたいわゆる帰国子女には、欧米風のしたがって自己主張の過度に強い
ことばしかしゃべれなくなっている男女が多い。
そういう学生に私自身、大学でいくども出会って来た。
なかにはそのためにほかの学生との協調が困難となり、留学さきにもどってしまった例さえある。
だから皇太子妃には、小堀氏のいうように敷島の道にぜひいそしんでいただきたい。
十歳代の空白をとりもどすことは、決して容易ではない。
同じ記者会見の席で皇太子殿下が、「(皇太子妃に)苦労があった場合には私がそばにいて、
全力でもって守って、そして助けてあげたいと思っております」といわれたことにも、
聡明な皇子と仄聞して期待していただけに、率直にいって失望の念を禁じ得なかった。
どんなにそれが若い女の子の気持ちを痺れさせようと、日継ぎの皇子にふさわしいおことばではないだろう。
すでにたびたび指摘されて来たことだが、重大と思うので重複をかえりみずにしるしておく。
天皇に守って戴きたいのはその家族などではなく、昭和天皇がそうされたように国民である。
それがまた、皇室衰微の時代にも生きていた日本の帝王学だった。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊新潮1993年2月4日
もう始まっている「雅子妃」いじめ

「皇室会議」があった19日の午後、お二人のご婚約会見が開かれた。
(略)
「あの日の会見について“雅子さんは喋り過ぎたのではないか”という批判がかなり出ています。
雅子さんは皇太子と同じぐらいに、あるいはそれ以上に喋っていた。それが良かったかどうか、
評価は分かれると思いますが、宮内庁やその周辺では、
悪い意味で喋りすぎだという受け止め方が一般的なのです」
と、ある皇室担当の記者は語るのである。この記者が言うには、
「…例えば、皇太后は昭和天皇とご臨席された記者会見で、ほとんど喋っていません。
今の美智子皇后も、陛下と同じようには話しませんでした。
また、紀子さまも喋る量は秋篠宮さまに比べて圧倒的に少なかった。
皇室の女性は通例、少なくとも公式の場では、夫あるいは夫となる人を立てていたわけです。
ところが、雅子さんの場合は、あの日、確かに伏し目がちで、皇太子に半歩下って歩いてはいましたが、
“喋りはじめたら本性がでてしまった”と言われている。…」
この日の会見についての批判、というよりも中傷の類はこれだけではなく、
「“殿下のことを幸せにしてさし上げたい”とか、
“とても人間ができた方と敬服いたしました”とか言うのは、僭越」
「雅子さんの表情を見ると、プロポーズされた女性の喜びというものが、全く感じられません。
どことなく諦めの風情さえありました。これは殿下に大変失礼です」
(略)
こうした“雑音”は、美智子皇后が昭和34年に皇太子妃として皇室に入った時にもあった。
(略)
とにかく、日常の服装、振舞い、親族…あらゆることが陰口の対象にされた。
雅子さんの場合はどうか。先の小坂部氏は、「そうした美智子皇后の例もあるので、雅子さんが今後
宮中でうまくやっていけるかどうか、心配な点がまったくないと言えません。皇后のころとは時代も違うし、
雅子さんは精神的にも強い女性だとは思いますが、
学習院の内部にいても、常磐会方面からはいろいろなことが聞こえてきますよ」
実際、ある皇室ウオッチャーによれば、
「婚約会見のことに限らず、雅子さんのコートとか、お母さんの服装とか、
いろいろ陰口の対象になっています。ひどいのは、“小和田家は九十歳を過ぎた祖父母の面倒を見たくないので、
老人ホームに預けている”というものまであります。
雅子さんの父親・恒さんの両親が去年から茨城の老人ホームに入っているのは本当ですが、
ここはケア付きの超高級老人ホーム。老後も自立した生活を送りたいからと、
ご自分たちの意志で入所されたそうですよ」
皇太子妃内定と共に、聞こえ始めてきた「雅子さんいじめ」。
けれど、振り返ってみると、いじめは実はその遥か以前に始まっていたのではないだろうか。
19日の記者会見で、皇太子殿下は雅子さんとの交際についてこう発言された。
「この件に関してはチッソの問題もあり、宮内庁の方でも慎重論が出て、
一時は中断もやむを得ない状況になってしまいました」
「その間、私は常に雅子さんのことが念頭にあり、“本当に雅子さんでは?”ということを
何回となく宮内庁にも申し入れをしました
…昨年、周囲の意見が雅子さんでいい、ということで固まった時は、大変うれしいものがございました」
あえてチッソや宮内庁の名前を挙げたところに、殿下の強い意思表示が窺える。
「会見の席で、殿下がチッソのことを発言されておられたのには驚いてしまいました。
随分と率直なご発言だったと思います」
と言うのは、七年前に雅子さんを初めてお妃候補として推薦した中川融氏(元国連大使)で、
「今度のお妃決定は、宮内庁の英断だったと思いますよ。ただ、やや遅きに失したきらいがあります。
私はチッソの件は、お妃選考に関してさして障害になるようなことではないと、初めから思っていたんです。
宮内庁は万全を期したいという思いがあったんでしょうが、チッソのことがなければもっと早く
小和田さんに決まっていたのは確かだと思います」
チッソのこととは、雅子さんの母方の祖父である江頭豊氏が、
チッソの社長や会長を歴任していたことを指している。
(略)
藤森長官は、「江頭氏がチッソの要職にあったことなどから、慎重を期さざるを得なかった。
その後、江頭氏は水俣病の発生には無関係で、刑法上の責任がないことが判明した」
だから交際が復活したと弁明しているが、刑法上の責任がないことなど、誰の目にも初めから明らかだった。
要するに宮内庁はささいなことで、雅子さんにバツ印を付け、丸々五年の歳月をムダにしたのだ。
これはいじめ以外の何者でもない。いじめの最大の加害者は、宮内庁なのである。
それにしても、仮に祖父が何であれ、雅子さん本人とは何の関係もないこと。
「三代遡って汚点なし」という宮内庁の考え方は、古色蒼然としていて、もはや今の時代には合わないのではないか。
ベテランのの宮内庁記者は、「宮内庁の体質は、昔から少しも変わっていません」と、次のように語る。
例えば、6日に内定報道が広がった時点で、宮内庁だけはこれを一切、公には認めませんでした。
ですから、19日までのあらゆる対応は外務省がやっていました。
小和田家には多数の報道関係者が押しかけていましたが、外務省の職員が窓口になり、
その日、雅子さんが家の中で何をし、何を食べ、何を着ていたかといった状況を細かくレクチャーし、
予定なども知らせてくれる。ところが、19日以降、宮内庁が仕切るようになってから何日目かには、
“もう家の中の様子は一切報告しません”となったものだから、現場に混乱が起ってしまったのです」
19日の婚約会見でも、「始まる数分前に、お二人が下見のため会場に入ってきました。
すでにカメラもマイクもセットされていたので、“ここに座るの”などとやり取りしているところが、
一部、中継されてしまったのです。こういう場面は微笑ましくて非常にいいと思うんですが、
宮内庁は、“会見だけを映す約束だからダメだ”と言うんですよ」
何でも杓子定規に考え、前例のないことは一切しない。それが宮内庁だ。
例えば雅子さんは、婚約会見の時に、帽子とワンピースの、いわゆる“皇室ルック”で現れた。
若い女性のファッションとしてはポピュラーではないし、
雅子さんにはもっと似合う服装があったようにも思われる。
しかし、紀子さまは同じスタイルの濃紺、三笠宮妃殿下は同じスタイルの水色という前例がある。
宮内庁は、「雅子さんの洋服については全く関知していません」と言うが、無言の圧力をかけ、
暗黙のうちに前例に従わせるイヤらしさは宮内庁のお手のものである。
「宮内庁も形式的になりすぎてはいけません。形式を尊ぶあまりに内容を忘れてしまうという部分は
そろそろ変えていかなくては、皇室だけが時代に取り残されることになってしまいます」
と、元東宮侍従の浜尾実氏は心配している。
「お二人には、そうした面はどんどん変えていっていただきたいと思いますが、
皇室にはタテとヨコがあるので、実際に変えるのは大変です。
皇室の千年以上の古い歴史、宮中祭祀とか行事、慣習、これをタテとするなら、
長官をトップに約千人いる宮内庁の職員がヨコ。雅子さんがこれから新しい皇室作りをしようとする時、
タテとヨコの中で八方塞がりに感じられるようなことがあるんじゃないでしょうか」
タテはともかく、ヨコについては不要論も出ている。
「宮内庁は盲腸以下の存在ですよ。今時王家のある国で、
三代遡るなんて人権侵害みたいな調査をしている国はありません。
これからは、皇太子が“あの娘がいい”ろ言ったら、その娘を全力で皇室に連れてくるだけでいい。
それ以外は、英国王室のようにならないように“不良皇族”を管理する仕事ぐらいしか残っていない」(ある財界人)
確かに、今度の皇太子妃選びでは、宮内庁はひたすら殿下の邪魔をしていただけ。
盲腸以下の存在と言われるのも当り前なのである。


※宮内庁は前例を元に、まだ正式決定ではないのでけじめを守り、
さらに雅子さんのプライバシーを守るという意味もあった対応をしようとしていたのに、
本来所管官庁でもない外務省が雅子さんの勤務先だという理由だけで勝手に仕切っていた。
93年1月6日〜19日当時、小和田恒氏外務事務次官 (1991.8〜1993.7)
父親自らがメディアに露出させていた。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

黄色い帽子 キャリア期待先走り(93ご結婚:5)
1993.06.05 東京朝刊 
朝日
「皇室会議に間に合うように、雅子さんの帽子をお願いしたいのですが」
皇太子妃内定が報じられた直後、東京・麹町の帽子専門店「ベル・モード」に、
皇后さま側近の井上和子女官長から電話があった。
細かい指示はなく、注文は「洋服地と同じ生地で」だけだった。
皇室との取引が長く、三十四年前の皇后さまの時も、依頼を受けた。
店長らが小和田家を訪ねると、パステル調の黄色い絹地の服が、すでに仮縫いまで進んでいた。
帽子のデザインは、室内用だと小さめで、つばがない方がよりフォーマル。
店長らの説明をもとに、雅子さんと母優美子さんが決めた。
皇室会議の朝、いつもの美容師が小和田家に呼ばれた。
一枚の写真を示され、「帽子のかぶり方は、この写真と同じように……」と母親から頼まれた。
だが、写真の通りにはならなかった。
この日は記者会見、宮家へのあいさつ回り、赤坂御所での夕食会と、予定が詰まっていた。
夜は服を替え帽子を外すが、髪を直す時間はない。そこで、帽子を外すだけで済むよう、
帽子の下で髪を結んだ。帽子はやや後ろにずれ、浮いた感じになった。
「キャリアウーマンの雅子さんが入れば、皇室も変わるかも知れない」。
雅子さんに決まった直後、「外交官からの皇太子妃」に期待が集まった。
「女性総合職の時代のお妃(きさき)選び」と意義づける分析もあった。
だが、皇室会議用の写真撮影には八センチほどのハイヒールで出掛けた雅子さんが、
皇太子さまとのデートでは、やや低めの中ヒールをはいた。
皇太后さまへのあいさつの際は、皇太子さまの後ろを一、二歩遅れて歩いた。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


参考
http://megalodon.jp/2011-0211-1659-49/kunitamizakki.web.fc2.com/b1.htm
 ↓
実際の映像では
出だしは「申し上げ・・・」で途中で「おっしゃって」とごまかした?
「もうっしゃってくださいました」に聞こえる。



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