情けない「自己チュー」皇太子一家

FACTA10月号(2010年)
情けない「自己チュー」皇太子一家
「原爆の日」に友人と会食し、クルーズの予定まであったという。
妻子を諫めぬ皇太子とは・・・
今夏、皇太子家の評判はよろしくなかった。
8月6日の「お慎みの日」には友人の家族とホテルで会食、12日、日航ジャンボ機事故の夜は、
敬宮(としのみや)中心の「夏祭り」。 那須御用邸に向かう雅子妃のバッグはブランドもの。
雅子妃の治療の一環とも言われ、「先楽後憂」、自己優先の日々になった。
それにしても皇太子はなぜ、抑え切れなかったのか。皇室の伝統が大事か、妻が大事か。
将来、国民統合の象徴としての資格はあるのか。

慎ましさに欠ける雅子妃
一家は8月4日から8日まで静岡県下田市の須崎御用邸、後半の16日から9月1日まで那須御用邸で静養した。
6日は広島に原爆が投下された日。皇太子時代の天皇は、
沖縄戦終結、広島・長崎の原爆投下、終戦の日の4日間は、
平和を考え戦争の犠牲者を追悼する「お慎みの日」と決め、全員で黙祷した。
昭和天皇もこうした日には、生物学御研究所へ行くのを止め、
香淳皇后と一緒に吹上御所から出ないで静かに過ごした。
ところが皇太子一家は、広島の日に御用邸から抜け出し、
下田市内のホテルで海を見ながら友人の家族と食事。
中止になったものの、その後クルーズの予定まであったという。
12日は日航機が群馬県で墜落し520人が死亡した日。
今年はその25周年で、記念番組や遺族が慰霊碑に参拝している様子が、
朝から夜までテレビで流された。
それをよそ目に、東宮御所の庭は夏祭りで夜遅くまでさんざめいた。
敬宮の友人の家族などを招き、祭り提灯の下に外部業者が
焼き鳥や金魚すくいなどの屋台を並べたという。
今まで国民が苦しんでいる時、あるいはそれを追憶している時、
自分たちが興じた皇室はなかった。「ご遠慮」したのである。

8月16日午後、親子3人は東北新幹線で那須塩原駅に到着した。
話題になったのが妃のバッグである。
シャネルやルイ・ヴィトンと並ぶ世界的ブランド、フェンディの製品。値段は11万円ほど。
彼女は昔から外国ブランドの信奉者だという。
海外旅行が手軽にでき、免税品店では安く買えるとはいっても、庶民がいくつも持てるものではない。
皇室では自分の好みを出さない。昭和天皇が「好きな力士は」と聞かれて、
「それは言えない」といったのは有名な話。
香淳皇后が茶道を学ぼうとしたが、流派を特定するのはまずいとされ、断念したことがある。
女性皇族のファッションは注目を集めるが、皇后も紀宮(黒田清子)もブランド品は使わなかった。
皇后が結婚したての頃、女性週刊誌が「皇太子妃ファッション」を特集し、
宮内庁が「妃殿下をモデル扱いするな」と抗議したことがある。

今では雅子妃が世界最強の広告塔。円高不況なのである。
持ち物にも気をつけるべきだ。この人は慎ましさに欠ける。
ステータスシンボルの外国ブランド品に憧れるのは、巷の小金持ちの感覚と同じ。
そんな庶民的価値観は自らが国の象徴(シンボル)である天皇家にふさわしいかどうか。

皇太子はお妃の条件として、「金銭感覚が自分と同じ人がいい。例えばニューヨークの
ティファニーに行って、あれやこれやとものを買うようでは困る」(1985年の会見)と
語った。しかし結果は野放しだ。

敬宮が幼少の頃、皇太子が流行の「おんぶ椅子」に入れて、
那須塩原駅(※沼原湿原の誤りと思われる)に降り立った写真が出た。
庶民と同じ格好をすれば、親しまれる皇室になるのだろうか。

それと似た話。授業の出席確認のときは「敬宮愛子さん」と呼ぶという。
名札や作文にもそう書いてある。「愛子内親王」は使わない。
なんとなく一般の子供並みに、上が姓で下が名前に聞こえる。
貴人を名前で呼ぶのは失礼だから、天皇、皇太子の子供だけに称号の宮号が付いているのに
これも庶民へのアプローチ?

仁徳天皇の「民の竈(かまど)」を引くまでもなく、皇室は民の憂いはわが憂いだった。
会社倒産、リストラ、自殺者が増え、新卒者の就職口がない。
一方、雅子妃はブランドバッグ、一流レストランでの食事。
小金持ち的な消費は民の神経を逆なでする。

バッグも会食も病気治癒の一環ではあろう。
精神科医によると、本人がしたいことをさせるのが、治療に効果的だという。
いまや「人格否定発言」や「登校拒否事件」の公表は、
妃の強い要求によるものだったことが、定説になっている。
治療とはいえ、言いなりではないか。国民の慨嘆する声は聞こえないのか。

発病して7年目である。病状の真相はほとんど不明だ。
しかし、これほど経っても改善しないなら、担当医を変えるなどの措置があってもいい。
患者は皇太子妃、将来の皇后である。それなりの治療は考えているのか。
本人の希望通りというのは、一般患者の治療ではないのか。皇族には自ずから立場がある。
そこを皇太子はどう考えているのか。皇室の精神が妻の病気で置き去りにされていないか。

皇太子よ、父祖に学べ
皇太子は50歳である。祖父や父の働きに学んでほしい。
昭和天皇の結婚は、香淳皇后(良子(ながこ))の実家久邇宮家に色盲の系統があるといわれ、
元老山県有朋らが猛反対した(宮中某重大事件)。
婚約破棄は許さじと敢然と立ち向かった良子の父の邦彦(くによし)王は、策を弄して山県を駆逐した。

ところが結婚式が終わって間もなく、久邇宮家の長男朝融(あさあきら)王が
姫路・白鷺城主酒井家の長女菊子との婚約破棄を言い出す。
理由は菊子の節操に関する噂を聞いたためというが、その事実はない。
朝融王が嫌になったのだ。しかし酒井家は大名で伯爵、相手は皇族で勝ち目がなく、
久邇宮家の強弁が通った。この時昭和天皇は、
邦彦王に「誠に遺憾である。今後は自重せよ」と注意した。
出過ぎたことをした妻の実家に忠告したのである。

終戦の時は44歳。「聖断」の直後、東久邇宮稔彦(なるひこ)王を首相に、
竹田宮恒徳王らを名代として中国などに派遣し、海外派遣軍に「聖旨」を伝達させた。
国内外の約800万人の軍人は、昭和天皇の命令を恪守(かくしゆ)し、
一斉に武装解除をした。この結果、連合国軍は流血を見ずに進駐し、
天皇制を温存する大きな原因となった。

平成の天皇は結婚直後から、沖縄の歴史と現状を学び、反天皇の島沖縄と和解に努めた。
身障者スポーツ大会、青年海外協力隊。社会が認知していないころから、
選手や隊員、関係者を東宮御所に招き励ました。
それが今や大きく育っている。
記者会見でも「皇室の伝統は武ではなく文」、朝鮮半島との「ゆかり発言」など、
注目されるものが多い。
こんな話がある。政権が交代すると宮殿で認証式が行われるが、
俗世にまみれた政治家も天皇の励ましの言葉を聞くと、シャンとするという。
皇室の伝統に基づく人格の違いを感じるのだろうか。

天皇は家庭も大事にしたが、「皇室にあっては享受できない自由は望んでいなかった」と
94年の会見で述べている。
皇族の自由は「制限付き」なのだ。
2009年のNHKの世論調査では、85%が「憲法で育てられた象徴としての役割を果たしている」
と圧倒的な支持率だった。
妻を気遣うのも大事なことだが、
そればかりにとらわれず象徴天皇の全体像をしっかりと見せてほしい。(敬語敬称略)