外国報道に見る御成婚

「外国報道に見る御成婚」文藝春秋[編]1993年7月25日第1刷

アメリカ ザ・ボストン・グローブ 1993年1月14日
1971年、家族とともに日本に帰国した。帰国子女ということで、
公立小学校三年生のときひどいいじめにあうが、四年生になると、
外交官やビジネスマンの帰国子女の多い私立小学校に転校した。
1985年、第二位(※?)の成績でハーバードを卒業し、
東大の大学院で経済を勉強するため日本に帰国した。

オーストラリア ジ・オーストラリアン・マガジン 1993年2月13-14日号
世界をかけめぐり、高等教育を受けた彼女は、五つの言語を話し、
戦後の政治について職業的な専門知識をそなえ、その外交手腕も、
パーティーでのおしゃべりや優雅な着物の着こなし(※?)などというレベルにとどまらない。
食事が毒味され、作法に少しでもはずれれば厳しく批判され、
公の席ではかならず夫の三歩うしろを歩き、検閲ずみの言葉以外は話してはならない世界に入ることを、
彼女は十分承知している(※?)からだ。

イギリス ジ・オブザーバー・マガジン 1993年3月7日号
ある未成年者を使って発禁ビデオを撮っていたプロデューサーが警視庁の取り調べを受けた。
サングラスをかけただけの十九歳の東京大学の女子学生が
「外交官試験に向けて勉強しています」というキャプションつきで、
トップレスで写っているのが問題の写真である。
この女性は、シカゴで、プレーボーイ誌の見開きページに載った小和田だとされており、
一部千円で東京で売られているが、専門家は電子的に偽造したものだと言っている。

・シンガポール ハー・ワールド 1993年4月号
何か変えようと願うよりも、まず彼女は皇室について多くを学ばねばならないだろう。
そして「すべきこと」よりも「してはならないこと」のほうが多いと気づくことになるだろう。

アメリカ ザ・ニューヨーカー 1993年5月10日号
温厚でハンサム(※?)な青年(日本女性週刊誌によれば「マイケル・J・フォックスのタイプ」)
は、確かに女性に会ったのだ。
このお茶会への招待は、(同じく官僚組織の一部である宮内庁に電話をかけることによって)
父親が取り付けたものである。

外務省は宮内庁にぞっこんだったのだと言う人々もいる。これはばかげた意見ではない。
これといった国内的影響力のない外務省は、あらゆるコネを必要としているのだ。それに、
誇り高い父親が、自分の聡明な娘には上等すぎる相手などいないと考えたとしても、許されるだろう。
父親がそう考えたとしても、娘のほうはそんなことは知らなかった。
元駐ソ大使・中川融がミス・オワダを皇太子に紹介する手はずになっていた。
ところが、皇太子の学友が紹介をすませてしまった。
さわやかな容貌だから何を着ても似合うだろうが、彼女は美人コンテストの女王ではない。
モデルの周旋業者だったら、身長が足りない点
(5フィート4インチ半。対するに皇太子は5フィート4インチ)、鼻が大きいこと、
意思の強さを示す顎、不揃いな歯などを指摘することだろう。
マサコの祖父、銀行家だった江頭豊は一家にとってありがたくない存在だ。
彼は1962年に、問題を抱えたチッソに転じた。チッソは水俣湾に有機水銀を流しつづけ、
地元の多くの漁師やその家族を苦しめていたのである。
江頭は、一部を政府が支払うことになる総額二億ドルの補償の交渉に当たった。
江頭は汚染そのものに関係したわけではなかったが、しかし、補償は通例もっと寛大なものである。
昨年までマサコはきわめてノーマルな日常生活を送っていた。
野心的な父親をもった外交官の卵としてはノーマルという意味だが。
母親は大学でフランス語を修め、かつてエールフランスの極東支社長秘書を務めていた。
娘もオックスフォード大学ベリオール・カレッジに二年間留学し、父親と同じく国際関係論を専攻した。
彼女は皇太子が五年前に見つけた中華料理店を発見し(麻婆豆腐)、スイスでスキーを楽しみ、
ときにロンドンの日本大使館へ郵便を受取りに出かけた。大使館員たちは彼女に対して
自分の娘に対するような目を注いでいた
一つには、彼女が皇太子妃候補として報じられることがあったからだが、
さらに大きな理由は、彼女が上司の娘だったからだろう。
洋服を買う場面も放映された。デザイナーものではなく吊し。彼女の衣装で
最も高価なのは1500ドルのコートだが、これも何十着と売られたもの。

外国人女性は”ランクによる規制”とは無縁であり、御所でのお茶に招ばれて
ブルック・シールズがやってきたときには皇太子は大喜びしたものである。

「ニューヨークのティファニーであれやこれや買うというのでは困る」
経済観としては正しいのかどうかわからないが−
ティファニーで買物をすれば、少なくとも日本の貿易黒字削減には貢献できるわけだ−
皇太子にはどうやら意中の人がいるようだった。

明仁が天皇であり、彼の子供が皇太子であるのは、彼らが世襲的に聖職の長であるからだ−
理屈の上では、太陽の女神であり、大和の地にあった朝廷の始祖であると伝えられる
天照大神の、彼らは直系の子孫であり、象徴的な崇拝者なのである。
太陽の女神の恩恵を利して軍事独裁の道を歩むことに天皇が反対であるという
事実にいらいらしているのは、極右の連中だけだ。太陽の女神自身は日本人が
崇める多くの神々のなかの一人にすぎない存在になったのである。
小和田雅子の父親は、娘の結婚問題に悩んだ末、外務省に近いある神社にお参りしたが、
その神社は天照大神ではなく八幡神が祀られている神社だった。
八幡神は戦争の神として武士が尊んだ神である。

アメリカ ヴァニティ・フェア 1993年6月号
東京の皇室のコンピュータは、名だたる候補者たちの家系をしらみつぶしにチェックしてきたが、
これまで、ナルヒトが少しでも興味を示したお妃候補者は、やんわり断るか、
ほかの男と結婚するか、自殺をほのめかすか、または行く先も告げず国外に脱出してしまった。
小和田雅子は大ぶりの鼻と浅黒い肌の持ち主である。
フィリピン人やネパール人と間違えられることがよくあった。
だがショート・スカートをはいて大股で闊歩する二十九歳のマサコは、
「解放された日本女性」のイメージそのものだった。
マサコは疑問を声に出して訊いた。皇太子と結婚すれば、皇后さまを苦しめたのと
同じ恐ろしい宿命に悩まされなければならないのでしょうか。
皇后はこう答えた。
「あなたが自分の感情に正直になり、自分の判断に従っているかぎり、
いかなる問題も決して起こさせません」
その意味するものは明白だった。
皇后は、息子と結婚する者には個人的な庇護を与えると約束したのだ。
じっさい、マサコと日本の両方に「これから暫く大変」なときがやってきそうだ。
今回「インペリアル・ドラマ」を見守った人々の多くはこう予言する。
皇太子妃の育ちや性格を見れば、マサコは夫を支配しそうだし、皇室を根本から変えることになろう。

ところが天皇制のもうひとつの機能についてはほとんど語られることがない。
つまり皇居にある神社の社殿奥深く、秘密の場所で古の礼服を身にまとった人々が
何をやっているのか、という点だ。
きわめてモダンなマサコは、外国の首都に自分の足で立つよりはるかに多くの時間を
神道のセレモニーの場でお辞儀して過ごさねばならないというのに。

ワシントン・ポスト紙極東総局記者・東郷茂彦
彼女の決断については、これまで以下の二説があったとする。
日本のメディアが報じているような「古典的なロイヤル・ロマンス」、すなわち「ハンサムな王子がチャーミングな女性を好きになり、誠実と献身によってその心をつかんだ」ためで、
雅子さまは、外国語からファッション、料理までできる万能女性、「完璧なプリンセス」であるという説。
アメリカの一部週刊誌で唱えられているような「いやいやながらのプリンセス」説。
つまり、人生に成功を収めてきたキャリア・ウーマンが、仕事と自由を放棄するような圧力を受け、
その才能をつぶされていく悲劇と犠牲の物語という説。
ところがワシントン・ポストは第三の見方をとる。
「この見解によれば、マサコ・オワダは彼女の求めたものを正確に獲得したのだ」
ワシントン・ポストが経済的な意味での御成婚ブームが空振りに終わったことを、
「日本のウェディング・ベルのブルース」と題してビジネス面で大きく報道

十三日付のワシントン・ポストは、小和田恒氏の外務次官退官後の身の振り方に焦点をあてた。
駐米大使のような諸外国との政策が激しく対立するような第一線の激職は、
「未来の天皇の義父」にとってふさわしくないとの見方を紹介している。

時事通信・服部健司
皇太子妃が内定した1月には、中国共産主義青年団の機関誌「中国青年報」が、
婚約にいたるまでの経緯を5回にわたって連載した('93年1月8日より)。
昨年の天皇訪中への答礼か、この慶祝記事は外交的配慮にみちており、
友好的かつ客観的報道に貫かれていた。