母・富美子さんと密会のとき

「母・富美子さんと密会のとき」 文藝春秋五月特別号(2009年)

美智子妃のご成婚前から正田家に仕えて来た澤田喜一郎氏(仮名)がいまはじめて語る。
大宅荘一のいう「格子無き牢獄」にいる美智子妃を富美子さんはただ見守るだけだったのか。
澤田氏は「そんなことはありません」とこれを否定した。
「両殿下は御忍びでよく正田家にお見えになりました。皆さんが思っている以上に
来られています。そのたびに私は『手伝いに来てくれ』と呼ばれるのです。私の
役目は、侍従とか女官の相手をすることでした。お母さまは、お二人が見えられると
ほんとにうれしそうなお顔をされていましたね。夕食はわりと中華料理が多かったと思います。
就寝時間があるのか、食事をすませると、お子様だけ先にお帰しになり、そのあと、
両殿下はゆっくりとすごされました」
美智子妃と富美子さんは思うように電話もできなかったといわれたが、婚約発表の直後、
正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、ご成婚後は富美子さんの部屋に移され、
その後も使われていたという。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子様と
お話されているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」(お手伝いさん)
電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。お忍びでも。
皇太子夫妻が正田家を訪れるとなれば警察官を動員しなければならないが、
富美子さんなら警護も必要ないから東宮も気が楽だったのだろう。
「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。
その前はオペルでした。仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、
ときどき英三郎さんと一緒のときもありました」(澤田氏)
とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。
「赤ちゃんができると、いろいろ相談したいことがあったんじゃないでしょうか。
女官には頼めないものもあったようで、たとえば『これ、買っておいてね』と、
頼まれたこともあったようです」(澤田氏)
「軽井沢の別荘」は、お忍びでよくいらしていました。
東京にある日清製粉のテニスコートを使うこともあったという。
「社員のための施設ですが、あのテニスコートは、生垣がびっしり茂っていて、
外から見えないんです。お忍びでテニスをするにはちょうどいいんですね。
殿下はテニスをしたあと、お風呂にはいって帰られました。
五、六人ほど入れる湯船でしたね」(澤田氏)
それから正田家は鎌倉にも別荘があったので、両殿下は葉山に行かれたら、
帰りには鎌倉の別荘に立ち寄られたそうです。お母さまは週末から行っておられたとか。
英三郎氏と富美子さんのお墓は鎌倉霊園にある。


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