建国記念の日

かつては紀元節として奉祝されてきたが、戦後廃止された。

紀元節
1873(明治6)年から1948(昭和23)年まで祝日とされ、
四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。
日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を
新暦(グレゴリオ暦)に換算した2月11日を祝日と定めた。
当初は1月29日だったが、翌年から 2月11日に変更。
戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、
昭和41年に「建国記念の日」として復活。
現在、建国の日ではなく、あくまでも建国を記念する日としたのも
紀元節のイメージを抑えるためとされる。
1967年(昭和42年)から国民の祝日として実施。

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建国記念日はいつから? 「皇室」の歴史を知ればニュースがもっとおもしろい!
2018/2/11
2600年以上続いているとされる日本の皇室。しかしよく知っていると言えるだろうか。
皇室のホットトピックス、しくみ、家計簿、ご公務とご活動、宮中祭祀、
歴史をたっぷり教えてくれる『ニュースがよくわかる皇室のすべて(じっぴコンパクト新書)』
(澤田浩:監修/実業之日本社)。
この本を読み、日本人として知っておきたい皇室の情報に耳を傾けよう。

いよいよ2019年に、天皇陛下が生前退位をされる。陛下は、退位後の呼称は「上皇」、敬称は「陛下」。
皇后陛下は「上皇后」、敬称は「陛下」と決まった。
そして現在お住まいの「御所」ではなく、現在は皇太子殿下がお住まいになっている赤坂御用地内の
「東宮御所」を改築して、お住まいになってはどうかという話が出ている。
また、秋篠宮殿下は「秋篠宮皇嗣殿下」となることが検討されているという。
実はこれまでの皇室の歴史を見てみると、58の生前退位が確認できるそうだ。
初めてあったのが、645年、そして一番最近のものが1817年とのこと。
だが実は、昭和天皇のときにも、生前退位は話題にはなったという。
昭和59年の国会において、当時80歳を超えていた昭和天皇に関して、
生前退位を認めない理由を問われる場面があったのだ。
昭和天皇のときには認められなかったが、今回は認められたのである。
皇室の歴史は日本の歴史とも深く関わっている。2月11日は「建国記念の日」だが、
そもそもこの日を祝うことは、いつから始まったかご存じだろうか。
それはなんと、紀元前660年にまでさかのぼることになる。
日本の皇室のルーツは、日本神話で高天原(天上界)の主神とされる天照大神だとされている。
天の岩戸に隠れられたことによって世界が闇になったという「天岩戸伝説」で知られ、
現在は伊勢神宮の内宮に祀られている皇室の皇祖神である。
では、天照大神と皇室が何をもってつながるのかというと、「天孫降臨」の神話である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)に命じられ、日本国にやってきた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、
木花咲耶姫(このはなさくやびめ)と結婚。
息子の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が海神娘・豊玉姫と結婚。
神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)が生まれる。この人こそ、初代天皇となる神武天皇なのだ。
神武天皇が即位したのが、紀元前660年2月11日。そう、これが「建国記念の日」なのだ。
世界で唯一の「万世一系」と聞いてからの、「建国記念の日」という言葉が持つ重みに、頭が下がる。
このような歴史を知ると、日本におけるひとつひとつの記念日を大切にしたい気持ちも生まれてくる。
後継者問題とともにしばしば話題となっていた、女性天皇と女系天皇の問題。
2006年に悠仁さまが誕生されたことにより、皇位継承問題は先送りとなったが、
今後またいつか声が上がってくるかもしれない。
この皇室を語る上で大切な「万世一系」という言葉。
日本では、初代天皇の神武天皇から2600年にわたり、125代の天皇が皇位を継続してきた。
その長い年月において、ずっと守られてきたのが「天皇は万世一系である」ということなのだ。
ひとつの血筋が連綿と守られ続けること。
これは唯一無二の事象であり、実は今、世界中を探しても、日本以外ではどの国においても、
万世一系は継承されていないのだそうだ。
これまでずっと、男系男子が皇位を継承してきた日本。
過去には女性天皇がいた時代もあったが、それは皇位継承者が幼いときなどの一時的なものであった。
男系天皇を維持するのか、いつか女性天皇を認める日が来るのか? 
それはとても慎重に議論していくものになりそうとのこと。
生前退位と歴史を中心に見ていったが、ほかにも皇室のしくみや家計簿、
ご公務とご活動、宮中祭祀など、どれも詳しく解説されている。
皇室について知りたいことがよくわかる、まさに「痒い所に手が届く本」と言っていいだろう。
これまで皇室に関するニュースを見るとき、意味がわからなくて困っていた人も、
きっとこの本に感謝すること間違いなし、だ。
文=松田享子
https://ddnavi.com/review/436061/a/

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すいとく(穂徳)第679号 (平成23年2月)
正眼・心眼
建国記念の日に寄せて
東京大学名誉教授 小堀桂一郎

大晦日の午夜に旧年を送り、明けて正月の元旦を迎へる事を、新しい春を迎へる、と把握する感覚は古くから、
又広く及んでゐるけれども、実際には一月の下旬こそが一年で最も寒い、大寒の最中である。
暦の上の事といふのではなく現実の季節の推移の感覚で言へば、
二月こそが新しい春を含んでやつてくる月といふことになる。
二十四節氣の第一番目である立春が新暦の二月四日に当たることはまづ動かないと見てよいし、
その前夜の節分に、人々は夜に追儺の豆撒きをして、寒が明けるとの安心を実感する。
本年はこの節分が旧暦の正月元日で、その翌日二日が節氣の立春に当り、旧正月と共に
現実に春がやつてくるといふ、何となくめぐり合わせのよい年になつてゐる。
暦日の正月元旦と立春とのずれといふ現象に思ひを致す時、多くの人が『古今集』巻一の
冒頭に置かれてゐる在原元方の「年内立春」を詠じた歌
〈年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやはん〉を想起すことであらう。
これは正男か子規によつて〈呆れ返つた無趣味の歌に有之候〉と酷評罵倒されたことで却つて有名になつた、
面白い運命の作品なのだが、筆者などは、暦日と季節の歩みの不一致の違和感を巧みに表現した、
或る意味で記念的な佳作であるとの評価を昔から抱いてゐる。捨てたものではない。
立春から一週間後に、国民の祝日としての「建国記念の日」がやつてくる。
元来明治五年に三大節の一として「紀元節」の名の下に国家的祝日に制定された古い由緒を有つ旗日だつたのに、
戦後の米軍による占領中、昭和二十三年の後半に米軍当局から祝日全般の改廢を勧告され、
紀元節を祝日とすることは事実上禁止されてしまつた、さうした苦い記憶のつきまとふ日である。
幸ひ紀元節復活運動は国民的な盛り上がりを見せ、昭和四十一年六月の祝日法の改正によつて
翌年に二十年ぶりの祝典挙行が可能になつたのだが、此の時現行通りの「建国記念の日」と
呼名が改められた。
この命名は嚴しく言へば正しくない。二十世紀の後半に入つて次々と政治的独立を達成した
新興の小民族国家群とは違つて、日本の様な古い歴史を有する国は
建国の事情を記録した文献が違ってゐるわけではない。
紀元節といふのはキリスト暦での紀元前六六〇年、辛酉の年の正月元日に、この佳き日を卜して
神日本磐余彦尊(かんやまとはれひこのみこと)が大和の橿原宮で
日本第一代の天皇としての即位式を挙げられたと歴史上「考へられてきた」日である。
つまり、神武天皇御即位記念日であり、この日を以て日本国の紀元元年一月一日(もちろん旧暦)とする、
といふ歴史観に基いて制定されたのだとみてよい。この日を明治六年以降の現行の新暦に換算すると
二月十一日になる、この計算の正確なことは学術上折紙付である。
かうしてみると、現に二月十一日が立春の一週間後なのだから、今から二千六百七十一年前の
辛酉の年も、『古今集』巻頭の歌が詠じてゐる様な「年内立春」の年だつたのだといふことに氣がつく。
なるほど、さう言へばこの祝日には、季節の上での本当の新春到来と呼びたい様な
明るさと華やぎがある。その喜びを広く共有する形で、国民一同が挙つてこの日をお祝いしたいものである。

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2012年
平沼赳夫メール通信 2月10日
明日は「建国記念の日」です。
各地で奉祝式典が開催されます。
ご家庭や職場等で国旗を掲揚し、国民こぞって日本の建国をお祝い致しましょう。
■「皇室典範」拙速な改変論議に反対する
世界に現在約200国ある独立国のうち、45の国が君主制をとっています。
日本は、「万世一系」の皇室をいただいている世界でも類を見ない歴史と伝統を有する立憲君主国です。
125代、ニ千年以上、男系の血統を護持し続けている君主国は、日本以外にはどこにも存在しません。
祖先が守り続けてきた日本の万世一系の歴史こそまさに『世界の至宝』です。
どこの王家・王室においても、女王の夫君が女王の父方の直系男子でない限り、
お二人の間に生まれた王子が即位すると、女王の父方の血統から、夫君の血統へと王統の交代が
行なわれたと認定されます。例えば大英帝国においてチャールズ皇太子が即位されれば、
エリザベス女王まで続いているウィンザー朝(1901〜1917まではサクス=コバーグ=ゴータ朝、
1917に改称)が途絶え、女王の夫君のエディンバラ公爵フィリップ・マウントバッテン殿下の血統へと

王統が交替して、マウントバッテン朝が始まることになります。
現在安定した皇位継承が論議され、女性宮家創設や女系天皇容認なども検討されているようですが、
まず大前提としてわが国の歴史と伝統を踏まえ、男系を維持し続ける方法を検討すべきです。
幸いにも秋篠宮悠仁親王殿下が御即位されるまでには、まだ時間があります。女性宮家創設、
女系天皇容認を急がなくとも、男系を残す方法がないわけではないのです。例えば戦後にGHQ
(連合国司令部)によって皇籍離脱させられた11宮家があって、男系が続いているお家がまだ
いくつかあります。これらの旧宮家の皇籍復帰もひとつの方法です。
平成17年に小泉首相の私的な諮問機関でしかない有識者会議の吉川弘之座長は、皇族や政治家の関与を
一切否定し、『歴史は我々が作っていく立場で検討する』と述べています。

このとき三笠宮寛仁殿下が示された『世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも
簡単に変更して良いのかどうかです。万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、
神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、「男系」で今上陛下迄続いて来ているという
厳然たる事実です』というご指摘とご懸念についても、『それでどういうことはない』と発言していますが、
実に不遜なことである存じます。安易な女系天皇容認・長子相続優先などは、我が国の歴史の連続した
流れを断ち切ることに繋がります。
我々の祖先の守り続けてきた伝統を、現在だけの価値観で否定し
破壊することは、断じて許されることではありません。後世の日本と日本人ためにも
決して認めるわけには参りません。

また皇室の問題を、一部の報道機関などが浅薄な世論調査などのパーセンテージによって論ずる姿勢も
不見識極まりないことだと思います。文化や伝統は、守り受け継ぐものであり、多数決の論理で安直に、
否定し改変すべきものではないと存じます。
当たり前のことですが皇室にかかわることを、決して政争の具にしてはなりません。
しかし現在の価値観だけに基づいた皇室典範に係わる結論ありきの議論や特定の意見以外を、
封殺しようとする可能性があることこそが懸念されます。
安易で拙速に過ぎる女性宮家創設論議や皇位継承論議に強く反対すするとともに、
神代から今日まで繋がる皇室の長い歴史と伝統に基づいた見識ある十分な論議が
尽されることを強く求めます。
たちあがれ日本 代表 平沼 赳夫

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