悠仁さまへ 秋篠宮家に受け継がれる愛の系譜

悠仁さまへ 秋篠宮家に受け継がれる愛の系譜
皇室ジャーナリスト 高清水有子 Gakken


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『幸せな人に育てるというよりも、どんな境遇に立たされても幸福になれる人に育てたい。
これは天皇皇后両陛下がお子さまをお育てになるにあたり、つねにお持ちになった御心です。子を持つ親の思いを、見事なまでに表現しているこの言葉は、多くの方の心に響くのではないでしょうか。

“親が子どもに何をさせる”のではなく、子どもが生きていくうえで大切な事柄を自然に学び身につける環境を整えること、子どもの良いところを伸ばす手助けをすることが、親の大事な役割であると秋篠宮ご夫妻は折々の記者会見で語られています。
 そのなかで、眞子さまと佳子さま、そして悠仁さまはごく自然に、人を大切にすること、感謝の気持ちを忘れないこと、自分が生活する環境を大事にすること、夢を持つこと、歴史・伝統を大切にすること、そして、どんな境遇にあってもそれを切り開く方法を考えることなど、人生を歩むうえで大事なことを身につけていかれるはずです。


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秋篠宮家のご長男・悠仁親王殿下がご誕生になったのは、平成18年9月6日、午前8時27分のことです。身長が48.3cm、体重は2558gでした。
紀子さまは、悠仁さまご懐妊中に部分前置胎盤と診断され、ご出産は帝王切開によるものでした。皇室にとっても、紀子さまご自身のとっても、初めての帝王切開でしたが、紀子さまは、医療チームを信頼され、すべてを前向きにとらえて、医師の指示通りにされたそうです。

同時に、秋篠宮ご夫妻は、お生まれになるお子さまについて、そのすべてを受け入れるお考えでした。それはつまり男女の性別、障害の有無も含め、どのような状態の子であっても受け止めようということです。世間では、生まれてくるお子さまが男の子か女の子かと騒がれていましたが、おふたりは、男女の性別についても前もって知る必要はないと、医師に伝えられていました。ご出産後、秋篠宮さまは、医師からご誕生になったお子さまが親王殿下(男の子)だと伝えられたとき、淡々と「ありがとう」とお答えになったそうです。このとき、医師は、「平常心を失わない方だ」と驚いたというエピソードがあります。


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 悠仁さまご誕生の日は、天皇皇后両陛下にとっても忘れえない一日のひとつとなったことでしょう。両陛下は、「秋篠宮家のご慶事にあたってのご感想」として、次のようなコメントを発表されています。

『秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り安堵しました。さまざまな心労を重ねた十か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻がそのすべてを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく思います。
 ふたりの内親王もこの困難な時期を一生懸命、両親に協力して過ごしていましたので、今はさぞ安心し、喜んでいることと思います。
 医療関係者をはじめ、出産に携わった人々の労をねぎらい、このたびの秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を祈願された内外の人々に、深く感謝の意を表します』


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…秋篠宮ご夫妻は、ご出産の2か月ほど前から、男女のどちらが生まれてもいいように、両方の名前を考え、いくつか候補をあげておられたそうです。文字を決めるときには、宮内庁が調べた歴代天皇や皇族の名に使われていない文字から絞られました。また、漢学者や国文学者の意見も聞き、天皇陛下にも相談され、最終的には秋篠宮様が決定されました。

 皇室では、男子には「仁」、女子には「子」をつけて、二文字以上の名前になっています。また、天皇陛下が名前をおつけになるのは、ご自身の子どもと皇太子の子どもに限られています。秋篠宮家の場合は、お子さまの名前は、すべて秋篠宮さまが、文字の音と意味を大切にして決定されたそうです。
 お印は、名前の代わりに身のまわりのものにつけられます。悠仁さまのお印「高野槇」は日本固有種の常緑樹で高さ30〜40m、幹まわり1mにもなる大木です。ご夫妻は、大きくまっすぐに育ってほしいという気持ちを込めて、「高野槇」にお決めになりました。

 秋篠宮家の場合、命名されたお名前には、親として大きな期待を寄せるような漢字は使われていません。つねに伸びやかでおおらかに育てていきたいという、ご夫妻の気持ちが伝わってきます。さらに、自然界の動植物に造詣の深い秋篠宮様の人生観がうかがえるような気がします。自然体でゆったりして、秋篠宮家の姿勢ともいえる“あわてず”“さわがず”をそのまま感じられます。


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 皇族の方々は、世界各国の王族や元首らの賓客と会う機会が多くあります。しかし、それ以前に秋篠宮ご夫妻は、「あいさつ」を人と人との交流の基本として考えられ、お子さまたちがきちんとあいさつができるように、お育てになっていらっしゃるのではないでしょうか。


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 秋篠宮さまは、お子さまたちへの望みとして、
 『(私たちの日常は)まわりで多くの人たちが、その生活に関わっているわけです。私は、そういう人たちへの、簡単な言葉で言うと、感謝の気持ちを持ってほしいと思うし、いろいろな意味で負担をかけないような配慮をする…、そういうことが私はとても大事なことだと思います』と述べられています。


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 秋篠宮様は、平成9年、夏の思い出をこう語られています。
 『うちの子どもたちが、まだ蛍を見たことがなかったものですのでね。私も実は久しぶりに、何年ぶりだかわからないのですが、久しぶりに見て、明かりのないところで蛍が光っているというのは、こんなにきれいだったかというふうにあらためて認識した次第です』

 秋篠宮ご夫妻は、当時5歳の眞子さまと、2歳の佳子さまとともに伊豆へお出かけになった際、ご家族で蛍の光の美しさを堪能されたのです。夏を彩る“光”の風物詩に、お子さま方も、感激して、とても喜ばれたそうです。


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 民間から皇室に嫁がれた当時、紀子さまにとって、皇后さまがいらっしゃるということが、どんなに心強いことだったでしょうか。皇后さまが紀子さまをご覧になるまなざしは、包み込むような優しさをたたえ、紀子さまは、尊敬と信頼、ときにはあこがれをも交えた笑顔でおこたえになります。そのおふたりのご様子は、まわりにいるすべての人々まで、ほのぼのと温かい気持ちにさせてしまう愛に溢れています。


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 そして、40代になられた紀子さまは、こうおっしゃっています。
 『結婚してから今まで、家族の理解と協力を得ながら、公的な仕事と家庭の務めをできる限り果たせるように努めてまいりました。
 公的な仕事も家庭の務めも一つ一つていねいにしようと思うと、時間が足りなく、また十分に役割を果たしているだろうかと考え、不安になることもあり、気がついてみますと心の余裕がなくなっていることもたびたびございました』(平成19年)


P146 皇室のお子さまのお祝い行事
(略)
 ここでは、皇太子さまと秋篠宮さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」の様子をご紹介します。

 儀式が行われたのは、おふたりとも当時の東宮御所の大食堂で、真新しい畳が敷かれました。着用されたのは、「落滝津(おちたきづ)」の服という、滝の流れを金糸と銀糸で浮織にした衣装です。実は、天皇陛下の「着袴の儀」で使用されたものを、使われたということです。この着物姿に、白絹の袴をつけ、その上に腰ひもを締めて、「着袴の儀」は終了します。女のお子さまは、ここで儀式は完了します。眞子さま、佳子さま、敬宮愛子さまも滞りなく儀式を済まされました。男のお子さまは、この後、「深曾木の儀」にうつります。

 皇太子さまと秋篠宮さまのときは、昭和天皇、香淳皇后より贈られた童形服を着用されました。紫の地に亀甲模様の入った装束で式場に入り、右手に檜扇(ひおうぎ)、左手に小松二本と山橘一本を持ち、碁盤の上に立ちます。当時は、東宮大夫が櫛で髪の毛をなでて、毛先にはさみをあて、左、右、真ん中の三か所を少しずつ切る“髪置祝”を行いました。次いで碁盤の上に置かれた二個の青石を踏みつけ、南の方向に「エイッ」とかけ声をかけて飛び降り、儀式は終了です。髪の毛は、紙に包んで川に流すそうです。
 飛び降りる所作は、大地に足をしっかりとつけることを意味し、石を踏むのは“みそぎ”を象徴しています。その後、童形服のままで、宮中三殿を参拝されます。
(略)


P156
私が秋篠宮ご夫妻を取材してきたなかで、もっとも過酷だったのではと想像するご公務は、平成3年2月に行われた新潟県での冬季国体開会式へのご臨席です。ご夫妻のご結婚後8か月のころで、後にわかったことですが、このとき、すでに紀子さまのおなかには、新しい生命が宿っていたのです。

 ご夫妻は、第46回国民体育大会冬季スキー競技開会式へのご臨席のため、上越新幹線で新潟県にお入りになりました。当日の、新潟地方は、10m先も見えづらいほどの猛烈な吹雪でした。私たちも取材車両で移動中、暖房を「強」に設定しても寒さを感じるなか、秋篠宮ご夫妻は、移動中の車の窓をためらうことなく全開になさり、沿道に集まった人々の声援におこたえになっていました。
 国体開会式は、ご夫妻が新潟入りをされた日の午後に、地元の中学校のグラウンドで行われました。猛吹雪は、いっこうに止む気配はなく、水分の多い重たい雪がどんどん降り積もってきます。ご夫妻は、会場内に設営されているステージの上から、入場する選手にあたたかい微笑みをうかべ、拍手を送られていました。

 あまりの強風のため、紀子さまの帽子は二度も飛ばされ、急きょ、白いニット帽に取りかえられました。横なぐりの風雪は、さえぎるものがないために、容赦なくご夫妻を打ち続けます。紀子さまの前髪は凍りつき、ご夫妻のお召しのコートは雪で真っ白に。しかし、厳しい気候条件でのご臨席にも、ご夫妻は、お疲れの表情は一切お見せにならず、じっと耐え、つねに微笑みを絶やしませんでした。

 後日、このときのことを、当時の秋篠宮付宮務官の富士亮氏にうかがったことがあります。富士氏は、
「式典終了後、両殿下に寒さのことをうかがいました。すると両殿下ともに、
『私たちが、いちばん滞在時間が短かったのだから、みなさんより寒くありませんでした。みなさんのことを考えると、寒さも忘れてしまいます』とおっしゃいました。
 そして、その後、妃殿下がおっしゃった言葉で、今もはっきりと覚えていることがあります。
『女性のほうが、男性に比べて皮下脂肪が若干多いので、私は殿下より寒くありませんでした』とにっこり笑われたのです」と教えてくれました。

 紀子さまご自身、ご懐妊を知らずに臨まれたご公務とはいえ、極寒のなか、大事に至らず、本当によかったとつくづく思います。


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秋篠宮さまは「御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)を護る会」(昭和41年5月設立)の総裁もお務めになっています。平成8年に、三笠宮崇仁さまのあとをお受けになり総裁に就任されたのです。泉湧寺には、鎌倉時代の御堀河天皇、その皇子のわずか12歳で崩御された四条天皇、御水尾天皇から孝明天皇までの江戸時代のすべての天皇、合わせて16人の天皇の陵墓があり、皇后や皇族の陵墓も366もあるそうです。


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『お日さまが照らすようなあたたかさ』
『安心できる場所』
『ほっとするような場所』
 秋篠宮ご夫妻は、天皇皇后両陛下とのふれあいのときを、このようにお話しになっています。これらの言葉は、私たち多くの国民が皇室のみなさまから感じ取る気持ちを見事に表現されているのではないでしょうか。


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…そしてまた、両陛下のお子さまである秋篠宮さまと、紀子さまを拝見していると、歳月を重ねるごとに、天皇皇后両陛下から大切なことをしっかりと受け継がれ、それらを実行されているように私は強く感じます。

 そのことをもっとも実感したのは、秋篠宮ご夫妻が平成20年7月20日、岩手・宮城内陸地震で被災した人々の避難所をお見舞いされたときのお姿です。秋篠宮ご夫妻は、その翌日の7月21日に岩手県でご公務があったことから、秋篠宮さまのご判断で1日早く岩手にお入りになり、被災地のお見舞いをされました。
 被災地での秋篠宮さまと紀子さまは、その場にいたすべての人々にお声をおかけになり、目線を合わせて優しく励まされました。

 前日にも大きな余震があり、精神的にも、肉体的にも厳しい環境にあった多くの被災者の方々は、秋篠宮ご夫妻とお会いして「生きる力と元気をいただきました」と、私の問いに笑顔で答えてくれました。被災地での移動は、被災者に迷惑をかけないようにとの配慮から、両陛下がそうされたのと同じように、マイクロバスをお使いになっています。避難所を後にするマイクロバスは、田んぼのあぜ道を進み、遠く見えなくなるまでバスの窓は全開で、ご夫妻は被災地の人々の心におこたえになるように、いつまでも手をお振りになっていらっしゃいました。このときのことを秋篠宮さまは、記者会見でこう語られています。

『岩手・宮城内陸地震の1か月ちょっと経ってからでしょうか、岩手県において行事があったときに、宮城県と岩手県両方の被災地へ見舞いに参りました。もちろん行く前に、新聞ですとかテレビなどで、地震の被害が甚大であることを認識しているわけですけれども、実際にそこの場所に行って被災した方々から話を聞いてその様子を知ることで、更にそのときの状況を深く理解できるということを改めて感じました。つまり、できる限り実際の場所で、災害とかそういうことのみならずいろいろなことを、見聞することの大切さということを感じております』

 同じ会見で紀子さまは、
『今年の7月には、宮様も先ほど話されましたように、岩手県と宮城県を訪れ、被災された方々にお会いいたしました。深い悲しみの中にも、復興に尽くされた方への感謝の気持ちを抱きつつ、お互いに励まし合い協力して、今後の生活を力強く進もうとする姿に心が動かされました』
 とお話になっています。

 私はこのコメントを聞き、現地で取材中にお二方にお声をかけられて感激で涙を流す人々、優しいまなざしで真剣に話をお聞きになる両殿下の姿が鮮明によみがえってきました。幼い子どもからお年寄りまで、両殿下との時間は永く心に刻み込まれたのではないでしょうか。まさに両陛下から秋篠宮ご夫妻へ受け継がれた“国民とともに”というスタンス、“国民への愛”を肌で感じたひとときでした。

 帰京されたご夫妻は、現地の様子について、両陛下にご報告されています。このご慰問は、両陛下が時代の要請にこたえて一心に働き続けてこられた思いを、秋篠宮ご夫妻が、見事に形にした出来事のように思います。

 地震(なゐ)うけし地域の人らの支へあひ
 生きる姿に励まされたり 秋篠宮妃紀子殿下 お歌

 被災地ご慰問の翌年、平成21年1月15日、皇居・宮殿で行われた歌会始で紀子さまがお詠みになった歌です。歌会始が行われる時期の東北は、厳しい冬の最中です。その寒さの中で暮らす被災された人々にとって、この紀子さまのお歌はどんなにか元気づけられたことでしょう。


P198
『両陛下をはじめ、まわりの方々のご意見を伺いながら、必要なことは時を追って私たちもともに学びたいと考えております』

 私はこの会見を聞いて、ほんとうに両殿下らしいご発言だと感じました。初めてのことやわからないことをそのまま自然体で受け入れ、まわりの方々の意見やアドバイスを参考にされながら、必要なことは自分たちもともに学ぶというスタンス。これまでの両殿下のお考えそのものなのです。多忙な両親であればなおさら、子どもの成長の過程で周囲の協力やサポートは大きな支えになります。

『一番大切なのは、両親が子どもの個性や発達のかたちを見極めて、深い愛情と忍耐で子どもの心を育てることだと思います』

 このお言葉は、天皇皇后両陛下が昭和の時代にお子さま方をお育てになった際に語られたスタンスです。
 秋篠宮ご夫妻は、お子さま方の個性を大切に、心豊かにご成長されるよう、深い愛情を注いでいらっしゃいます。それは、長女・眞子さまのときから貫かれ、佳子さま、悠仁さまに対してもまったく揺らぎはないのです。
 天皇皇后両陛下にとっては、初めての男のお孫さんになる悠仁さま…。秋篠宮さまは、両陛下との交流の機会をとても大切にされ、できる限り日程も調整してご一緒の時間をお作りになっています。両陛下との共通の時間をお持ちになることで、自然なかたちで多くのことを学ばれ、日々の生活や暮らし、ご公務にも生かされているのではないでしょうか。


P204
 両陛下にとって初孫の眞子さまご誕生のとき、とてもすてきな贈り物がありました。それは、両陛下から贈られたベビーベッドです。真ちゅう製で銀メッキを施したものと籘製のものの2つが贈られました。実はこれらは、皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんもお使いになった年代物です。皇后さまが手入れをおさせになった上で、秋篠宮家に贈られたといいます。さすが質素・倹約をモットーにされている天皇ご一家らしいと感心しました。ご自分もお使いになったベビーベッドに、わが子を寝かせた秋篠宮さまの感動は、どんなに大きいことだったでしょう。近年では、置き場所に困るベビーベッドや育児用品などをレンタルですませる家庭も多いようですが、天皇ご一家のように代々伝えられて、使っていくことができたら、とてもすてきなことだと思います。

 悠仁さまのときには、ベビーベッドは新しく購入されたようですが、ベビーカーは眞子さまと佳子さまがお使いになったものです。お歩きになる前の悠仁さまは、そのベビーカーにお乗りになって、ご家族とともに、赤坂御用地内を散策されていました。


悠仁さまのご成長を見守って
諸君!2008年7月号
日本人の魂を癒す
秋篠宮家・悠仁さまのご成長を見守って 高清水有子(皇室ジャーナリスト)

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