秋篠宮ご一家 ニュース・エピソード等

千歳サケのふるさと館
1998年7月
http://www.city.chitose.hokkaido.jp/tourist/salmon/samon/9807.html
7月3日(第144回)
秋篠宮ご夫妻が来館 やわらいだ雰囲気感じる
キュウリウオの話と前後してしまいますが、
この5月28日、日本動物園水族館協会の総裁である秋篠宮殿下が、札幌での総会ご出席後、
紀子様とご一緒に当館をお訪ねになりました。
先の皇太子殿下の時は張りつめた緊張感が漂っていましたが、
今回はそのお人柄も手伝ってか、やわらいだ雰囲気が感じられました。
キュウリウオのにおいを直接嗅がれたり、水生昆虫を殿下自ら紀子様にご説明されたり、
また、紀子様も一度は通り過ぎたパネルをまたご覧になったりと、「この館を楽しまれている」
後ろから見ていてそんなほほえましさが伝わってくるご訪問でした。
先日、家でゴロゴロ「朝のワイドショー」を見ていたら、
「秋篠宮殿下ご成婚記念日」ということで特別番組が放送されていました。
何げない風を装い、のめり込んで見いたのは言うまでもありません。
生い立ちから、出会い、エピソードなどと番組は進みます。
紀子様の最近のファッションへと移ったときに小樽水族館が出ました。
映像は楽しくイルカのショーをご覧になっているところ。
「この後にウチに来たんだ」と真剣にテレビを見ている私に
「同じ服だったの?、じゃあ、うつんないわ」と冷ややかに答える家内。結局、うつりませんでした。
今回、テレビ放映はあまり期待していなかったのですが、
それでも館が映れば労も報われる、そんな気持ちは、やはり今でも変わりません。


宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』  (※前知事)
2001.9.8
「新世紀・みやぎ国体」の夏季大会がいよいよ今日開幕。
利府町のグランディ21で秋篠宮殿下、妃殿下をお迎えして開会式があった。
今世紀初めての国体がこのみやぎの地で開催されたことに、感慨を覚える。
開会式を終えて、両殿下のご視察に同行。古川農業試験場視察のあと、
宮崎町の鳴瀬川でのカヌー競技、迫町の長沼でのボート競技を観戦した。
朝からとてもいい天気。久しぶりに「暑いな」と感じるような好天で、国体日和としては申し分ない。
全く科学的根拠はないのだが、この好天気は自分の精進のおかげと信じている。
どこへでかけても、両殿下の人気にはすごいものがある。沿道で車に手を振る人達の顔が上気している。
同行する私と佐藤勇県議会議長までもが熱気に当てられてしまっている。

朝の出発が早い日ではあったが、明日、明後日と早出が続くので、
ちょっと無理して今朝は6K走った。涼しいので、走っている最中はあまり汗をかかない。
早出になるのは、明日から国体の夏季大会が開幕するからである。
開会式にてお言葉をいただく秋篠宮殿下、同妃殿下が今日宮城県にお着きになられた。
まことに気さくで素敵なお二人である。私から県勢概要をご説明したあと、ご昼食、
そして仙台文学館と福祉施設「せんだんの里」をご視察になられた。 
その「せんだんの里」で、とても印象的な場面があった。秋篠宮殿下を見て、一人のおばあさんが
「あんた、どっかで見たことあるねー、名前なんていうの?」と言ったのを受けて、
殿下が「秋篠と言います」とお答えになられたら、両手を打って、
「そうだそうだ、うちの兄貴の友達だ、どっかで見たことあると思ったよ」と喜んだ場面。
思わず笑ってしまったもう一つの場面は、もう一人のおばあさん。紀子さまをじっと見て、
まず、「あんたどっから来たの」と尋ねた。「東京からです」と紀子さまがお答えになられると、
「遠くからよく来たね。東京のどこに住んでるの?この前火事あったね、大変だね。
あんた、かわいいね、なんともかわいいね」と何度も繰り返した。そして、一息おいて、
「かわいいね、宮様みたいにかわいいね」と言ったのを聞かれて、
紀子さまは思わずお声を出されてお笑いになった。傍に控えてやりとりを聞いていた私と
佐藤勇県議会議長も笑い声を上げ、そして二人ともどっと汗が出てきた。
ほんとにいい場面だったと思う。痴呆性のお年寄の方々が入所している施設で、
今日はずんだとあんこのダンゴつくりの作業をしているところだった。
秋篠宮殿下がおじいさんが作っているずんだを、手の平にもらわれて
お召し上がりになられるという「ハプニング」まであった。
ハプニングではなくて、自然にそういうふうに振る舞われたのであろう。
そのあと、入所者の一人ひとりにお声をおかけになられたり、
手をとってお励ましになられたりのお姿を見ていると、そう確信できる。
いよいよ明日は夏季国体の開会式だ。天気が崩れないでくれればよいのだが。
2001.9.7


2002/9/20
秋篠宮ご夫妻 若草養護学校ご訪問 春野町
よさこい高知国体夏季大会出席のため来高中の秋篠宮ご夫妻は20日午後、
吾川郡春野町弘岡下の県立若草養護学校を訪問し、自宅からの通学生や寮生らと交流された。
ご夫妻は中島純臣校長の案内で、小学部から高等部まで19人の通学生と家族らが待つ第1自立活動室へ。
車いすの目の高さに合わせてかがみ込み、秋篠宮さまは「修学旅行は楽しかったですか」などと話し掛けられた。
紀子さまは眠くなった子どもを「ごめんなさい」とささやいて気遣い、
せき込んだ子どもの胸を優しくさするなど、一人ひとりのひざや手に触れながら励まされた。
次に向かったプレイ室では、寮生の瀬尾輝さん(17)、浜吉唯之さん(18)が
木製ラックの組み立ての真っ最中。お二人は目を合わせて「ボックスを作っているんでしょうね」
とほほ笑み合い、寮生2人に作り方の手順などを尋ねられた。
帰り際には、同校に本年度発足した「さをり織りクラブ」(5人)が、
織り上げたストールを紀子さまにプレゼント。クラブを代表して宇賀智子さん(17)が
「大切に使ってください」と手渡すと、
紀子さまは「これを見ながら、みんなのことを思い出させていただきます」と笑顔で答えられた。

秋篠宮同妃両殿下のご接見で励ましのお言葉をいただきました!
デフリンピック通信 第6号 2004年12月17日発行
http://juichi05.hp.infoseek.co.jp/document/deafnews6.html
「デフリンピック通信第3号」で事務局長が秋篠宮妃殿下より励ましのお言葉を
頂いたことを報告しましたが、それをきっかけに妃殿下がデフリンピックに関心を持たれ
12月13日(月)に東京の赤坂御所の秋篠宮同妃両殿下によるご接見が実現しました。
各競技の代表選手16名にご出席いただき、秋篠宮同妃両殿下を囲んでの歓談が行われました。
選手一人ひとりに大会にかける抱負やスポーツについてのご質問をされるなど
両殿下の優しい心遣いが伝わってまいりました。
紀子妃殿下は手話通訳者を通さないで選手たちと直接話されることもあり
秋篠宮殿下のお言葉を手話通訳されました。これには選手一同も感動されたようです。


2005年
秋篠宮佳子さまが初優勝、東京のフィギュア大会で
秋篠宮ご夫妻の二女で、学習院初等科5年生の佳子さま(10)が2日、
東京の明治神宮アイススケート場で開かれた「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の
1級女子小学4年生以上の部に出場、8人中1位となり、優勝された。
1分間のフリープログラムを演じた佳子さまは、アクセル(前方系)ジャンプや2回転ジャンプを
次々と成功させ、芸術点でも高い評価を受けられた。
金メダルを受け取ると、母の紀子さまに駆け寄り、うれしそうに示された。
昨年の同大会で佳子さまは、初級女子小学3、4年生の部に出場。
この時は10位だったが、熱心に練習し、今年は1階級上の1級に進まれた。
まだ初歩的な階級だが、樋口豊コーチは「かなり上達されたと思う」と話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050403ic01.htm

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

秋篠宮妃紀子さまにちなんで名が付いたスイセン「プリンセス・キコ」が18日、
茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園でかれんな花を咲かせた。
同園は国内唯一の観賞場所で、園関係者は「ご懐妊に花を添えることができた」と喜んでいる。
プリンセス・キコは、白い花びらに淡いオレンジ色の副花冠が特徴。
18日早朝、職員が1輪だけ開花しているのを確認した。
一昨年の静岡・浜名湖花博に秋篠宮ご夫妻が臨席し、
オランダ球根生産者協会関係者と言葉を交わされたのがきっかけで、協会がスイセンの新品種に命名。
園が昨年、オランダ大使館などから6個の球根を譲り受け、育てていた。(2006)

コロニア ニッケイ社会 ニュース
http://www.nikkeyshimbun.com.br/060216-71colonia.html
「紀子さま、ご懐妊おめでとうございます」
=日語学校生徒が喜びの声=秋篠宮ご一家が昨年接見=内親王も同席お言葉交わす
2006年2月16日(木)
「紀子さまにお祝いの言葉を伝えたい」
――先頃報じられた秋篠宮妃紀子さまご懐妊のニュースを、
ここサンパウロから祝福する子供たちがいる。
昨年、ブラジル日本語センターの旅行「ふれあい日本の旅」で訪日した、日本語学校の生徒たちだ。
子供たちはこの旅行中に秋篠宮邸を訪問。秋篠宮一家と直接言葉を交わしているだけに、
喜びもひとしおなようだ。このほど「子供たちのお祝いの気持ちを伝えたい」と、
旅行に同行した日下野良武・日語セ副理事長と、
志村宗マルガレッチ理事(日伯のびる学園園長)が本紙を訪れた。
「ふれあい日本の旅」はブラジル日本語センター創立二十周年を記念して昨年七月に実施された訪日研修旅行。
十四、五歳から十八歳前後の、国内各地の日語学校生徒三十九人が参加した。
一行は約三週間にわたって愛知、奈良、京都、広島、東京などを訪れたほか、
名古屋では一週間のホームステイも体験した。
赤坂の秋篠宮邸を訪れたのは七月十八日。団長として同行した日下野さんは
「ブラジルの日系子弟らに日本国の象徴である皇室を理解させ、
一生の思い出となるようにとの思いからお願いしました」と今回の訪問への思いを語る。
当初は秋篠宮、紀子さまだけの予定だったが、
直前になって長女の眞子内親王、次女の佳子内親王も同席することになった。
そのため「海の日」の休日が選ばれたようだ。
「内親王様も同席するようにお心配りいただいたのは、
ブラジルの日系人の事や最新の国情をわが子に勉強させたいとの願いからだったそうです。
秋篠宮さまのブラジルに対する熱い思いを感じました」と日下野さんは感慨を表わす。
接見の時間も当初予定の三十分から、一時間半に。三つのグループに分かれた生徒に、
秋篠宮一家から質問があったという。
子供たちは日本語で自己紹介。その後は通訳を交えながら話した。話題はサッカーや、
ブラジルの動物についての話、学校の科目の話などだったようだ。
「子供たちはみな緊張していました。失礼があってはということで、
普段は日本語を話せる子も固くなってしまって」と語る志村さん。
「でも終わってみると、話しやすい、やさしい方だった」と振り返る。
「バスが出る時には、外まで出て手を振って見送ってくださいました」と日下野さん。
まだ来伯したことのない紀子さまからは「ブラジルの移民について勉強させてもらった」
という言葉があったという。
ご懐妊の報道があった日に、ちょうど邸で撮影した写真が届いた。
「会っているから特に感動したようです」と、志村さんはニュースに触れた生徒たちの様子を語る。
この日持参した子供たちのメッセージには、訪問時への感謝の言葉とご懐妊への祝福の言葉が綴られていた。
◎溝口りあ(15)「私たちは七月日本へ行きすばらしい体験をしました。
その中でも一番うれしかったのは秋篠宮ご家族にお会いできたことです。私は一生忘れません」
◎松下ちえみタミリン(14)「秋篠宮様、紀子様、眞子様と佳子様にお会いして頂き
本当に光栄に思いました。優しく話して頂いたことが忘れられません」
◎川崎るみジェシカ(15)「秋篠宮様にお会いできてとても嬉しかったです。
とても偉い方なのにブラジルからの私たちをこころよく迎えてくださいました。
いつかご恩返しがしたいです。ブラジルへいらしたら是非お会いしたいです。
紀子様、ご懐妊おめでとうございます。お幸せに」
◎渡会ガブリエウ(15)
「日本ふれあいの旅はすばらしかったです。色々な所を見学して日本人の友達がたくさんできて
とてもよかったです。でも、このたびの一番の思い出は秋篠宮様ご家族にお会いできたことです。
少し緊張しました。でも、紀子様が笑顔で迎えてくださったので嬉しかったです。
紀子様、ご懐妊おめでとうございます」
◎ロー・かずみ(15)
「この日本旅行は一生忘れません。秋篠宮ご家族にお会いできて、お話ができてとても、
とてもよかったです。紀子様、ご懐妊おめでとうございます。
元気な赤ちゃんでありますようおお祈りしています。お幸せに」

川村二郎の人間万歳
貞広 邦彦さん
秋篠宮様が結婚されたとき 僕は「週刊朝日」の編集長だった。
匂い立つようなお二人の写真は 表紙やグラビアに使わせていただいた。
そのお礼を直接お伝えすることができたのはそれから10年ほどたった
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」(朝日新聞主催)の席だった。
妃殿下は手話の名手なのだが貞広邦彦さんはこのコンテストの審査委員長で紀子さまの手話の先生でもあった。
そういうご縁から妃殿下はほとんど毎年コンテストに来られ手話のスピーチをなさっていた。
紀子さまの手話を初めて拝見したときあまりの優雅さに 「お茶のお手前のようですね」と申し上げると 
貞広さんが「人それぞれに話し方が違うように手話も人なりなんです。
高校生は早口ですが 妃殿下はやはり典雅ですね」と教えてくれた。
貞広さんは「手話の『広辞苑』になるような手話の辞典を作ること」が夢で病床でも準備を進めていた。
しかし惜しいことに03年6月 74歳で鬼籍に入った。
紀子さまはお忍びで弔問にみえ 手話の師の遺影に手を合わせた。
そのとき紀子さまの肩が細かく震えていたことを貞広夫人の加津子さんは昨日の事の様にはっきり覚えている。
加津子さんに電話すると
「紀子さまのおめでたは主人に真っ先に報告しました。きっと喜んでいると思います」
ということだった。

朝日新聞・2006年9月6日夕刊・素粒子より
親王さま。はじめまして。
まもなく重陽の節句、菊の花が凛とした美しさを見せるころ。
あなたをお迎えするのに、もっともふさわしい季節です。
ちょうど1年前。お父様とお母様がコウノトリを放ちました。
大空にもう一度羽ばたかせようと、多くの人の願いが託された放鳥でした。
そしてあなたがこの世に生をうけました。
親王様とお会いできて、いま、改めて、ありふれた自然や平和の大切さ尊さを抱きしめています。

藤城清治氏
http://www.artcafe.co.jp/cart/fujisiro/fs155.html
秋篠宮さまに新宮さまがお生まれになった。
9月6日、待ちに待った男のお子様お誕生のお知らせに、日本中が喜びと幸せに沸いた。
秋篠宮妃殿下の紀子さまは、影絵がお好きで、影絵劇や影絵の展覧会によくお出でいただいたことがあるだけに、
ぼくは、この喜びを光と影でどうしても描いてみようという衝動にかられた。
日本も世界も宇宙も、地球上のすべてが喜びにあふれているような影絵を描いてみたいと思った。
地球の母ともいえるひろい海はもちろん、富士山も、木や動物達までみんなが喜びにあふれ、
祝福しているような絵にしたかった。
桃太郎の家来のきじや犬やさるをはじめ、猫もきりんもくまもいれば、かめさんやなまずさんもいます。
水の中からは鯉のぼりがとびあがって祝福しています。
お誕生の報を聞いて、描きはじめて、約10日ほどで作りました。
ぼくにとってもこんなに早く、描いてしまったのははじめてのことだ。
きっと、喜びにあふれて、気持ちも手もうれしくてひとりでに自然に踊るように動いて描いてしまったからだろう。

2006年9月7日
思い出の里に熱い期待 紀子さまご出産 
「大好きな五箇山を子どもたちにも見せたい」。
秋篠宮ご一家は平成14年8月、非公式で五箇山を旅行された。
ご夫妻はお気に入りの合掌造りの里で、ゆっくりとくつろがれ、
お子さま2人の成長を願って優しく見守るパパとママの顔を見せられた。
案内した当時の関係者らは「お生まれになったお子さまもご一緒に、今度は5人でいらしてほしい」と、
新しいご家族の誕生を祝福した。
ご一家が泊まられた旧利賀村(南砺市)の奥庄川天然温泉北原荘で、
当時10歳と7歳だった眞子さまと佳子さまは、そば打ちに挑戦。
1時間かかる作業のほとんどを、2人だけで取り組まれた。女将(おかみ)の嶋田比呂美さん(44)は
「手際がよく、日ごろからお手伝いをされているんだな、と感心した」と振り返る。
道の駅たいら五箇山和紙の里では、紙すきを体験された。
紙の原料を入れた木枠は重く、幼い佳子さまは特に大変そうだったが、
思い思いに押し葉をあしらい、それぞれ作品を仕上げられた。
指導した伝統工芸士の和田義久さん(42)は
「作業中は真剣な表情をされていたが、完成した時に、お2人ともにこーっとされたのが印象的だった」
と思い出を語る。いずれの体験でも、ご夫妻は黙ってそばで見守られ、
お子さまが作業に苦労されても、安易に手助けされることはなかったという。
嶋田さんは「ご自分たちで最後までやり通す力をはぐくもうとされていたようだった」と、
ご夫妻の家庭教育を推し量った。
同駅内の「たいら郷土館」を案内した南砺市平行政センターの此尾(このお)治和さん(45)は
「説明を聞かれる時はお子さまを前に出され、学ばせたいというご夫妻の気持ちが強く感じられた」と言う。
プライベート旅行のため、取材などもなく、ご一家は心ゆくまで楽しまれ、
家族のきずなをあらためてしっかり確かめられた様子だった。
旧上平村(南砺市)の国指定重要文化財「岩瀬家」を案内した、
同家当主で元上平村長の岩瀬幹夫さん(72)は
「ご夫妻なら、3番目のお子さまも立派にお育てになるだろう。
思い出が詰まった五箇山の里に、今度はぜひ5人でいらしてほしい」と再会を心待ちにしていた。


衆議院議員 竹下亘
親王誕生!おめでとうございます!!
9月6日午前8時27分、東京愛育病院で秋篠宮妃殿下が男の赤ちゃん=親王さまを出産されました。
日本国民の一人として、心から「おめでとうございます」とお喜び申し上げます。
国民あげて心待ちにしていただけに、私自身久し振りに気持ちの昂りを覚えました。
恥ずかしながらテレビの前で『バンザイ!』を叫んでしまいました。
母子ともに順調だという続報もあり、健やかな成長を心から願わずにはいられません。
我が国の皇室での親王誕生は、秋篠宮殿下以来41年振りだという事で、
「いやー、良かったネ!」と会う人ごとに喜びの挨拶を交わしています。
我が国の天皇陛下は、八代十人の女性天皇が存在しておられますが、
原則として男系男子で継承して来られただけに、
このままではこの伝統が崩れるおそれか強いと憂慮していました。
ここ数年、皇位継承権の問題を中心に皇室典範の改正問題が議論されはじめていた事も
国民の心にひっそりと、しかし重くのしかかっていた問題でした。
私自身、女性天皇(女系も含む)を否定するものではありません。
世界には男女を問わず第一子に皇位継承権を与えているロイヤルファミリーが
数多く存在する事も熟知していますし、
我が国でもこれだけ男女平等の考え方を定着している現状でもあります。
しかし2000年以上(皇紀で言えば2600年以上)続いてきた
我が国の基本の一つといえる伝統を果たして我々の世代で、
しかもわずか数年(皇室典範に関する有識者会議の議論は半年)の議論で変えてしまうのは、
いかがなものかという思いが一方で残っていました。
この種の議論は、本来は国民一人一人が、まず自らの心の中で気持ちを整理し、
その上で静かな議論を10年、20年と重ねて
コンセンサスを作り上げていくものではないかと考えていました。
それだけに新しい親王の誕生によって、私達日本国民は
「すぐ結論を出さなくてよい」という長い貴重な時間を与えてもらった事にもなります。
この喜びを素直に受け止め、心静かに次の世代、次の次の世代への想いを新たにしたいと感じています。
18:00 2009/03/15その後の報道で、父子の対面の際
「秋篠宮殿下は物珍しそうに見ていらっしゃいました」と聞き、思わず微笑んでしまいました。
私自身、二人の息子が居ます。
残念ながら女の子は居ませんが、照れ臭さを含めて、しみじみとした喜びが
伝わってくるようでした。何はともあれ、本当におめでとうございました。

秋篠宮紀子さまに手話を指導   井崎哲也氏
2006年9月8日(金)  徳島新聞
≪健やかな成長祈ります≫
このたびは本当におめでとうございます。新しいお子様の健やかなご成長を心よりお祈りするとともに、
幸せなご家庭を築いて頂きたいと願っております。
紀子さまとの出会いは十七年前で、私が出演した手話狂言の舞台を鑑賞して頂いたのがきっかけでした。
当時はまだご婚約中でしたが、ご成婚後間もなく「手話を教えてほしい」との依頼を受け、
その後約十年にわたってお教えしました。皇族の方に手話を教えることなど考えたことも無く、
初めてお住まいの秋篠宮邸を訪れた時は体中が汗だく。眼鏡が曇ってしまうほどでしたが、
少しはにかんだご様子の紀子さまに笑顔で迎えていただき、ほっと安心したことを今でも
思い出します。
最初は数字や日にちなど簡単な手話を通訳をはさまずにお教えしましたが、紀子さまは非常に熱心で、
予定の時間を延長することもしばしばでした。
ろう者の置かれている社会的な立場や私自身の苦労などを聞いていただくこともありましたが、
誠実に耳を(目を)傾けてくださいました。
上達も早く、昔から話す速度が遅かったという紀子さまが
「皇室に入ったらみなさまゆっくりお話になるので、ちょうどよかったです」と手話で冗談を言われた時は、
大笑いしてしまいました。阪神大震災の直後、天皇、皇后両陛下が被災地をご訪問なさった折、
皇后さまが「頑張って」と手話で被災者を励まされる場面がありました。
紀子さまは「お茶会などの会話の中でごく自然にお教えしたことがありました」と明かしてくれましたが、
ろう者も苦しんでいる中、皇族の方が自然な形で手話をお使いになる姿に感動しました。
私は、手話や福祉や障害という視点だけでなく、言葉の一つ、コミュニケーション手段の一つとして
認識してほしいと願っています。紀子さまが普段から手話を使い、
外国の手話も学ぶなど継続して取り組んでおられることは何よりも素晴らしいと感じています。
三年前の夏、一緒に紀子さまの手話を指導した貞広邦彦さんが亡くなりました。
葬儀が始まる前の会場に紀子さまは一人で訪れ、涙を流しながら故人に別れを告げられたそうです。
手話を大事に思ってくださっていることを実感しました。
長女の眞子さまご誕生の際、私は紀子さまに手話の絵本をプレゼントしました。
二年前に紀子さまと手話狂言を鑑賞なさった後、眞子さまは「楽しかったです。ありがとう」
と伝えてくれました。とてもうれしかったです。紀子さまの手話は、ご性格をそのまま映したように優しく、
相手に安心感を与えます。逢えば必ず「うれしいです」などと温かい気持ちを表され、
そうした一つ一つのお気遣いが心に響きます。新しいお子様にもぜひ手話を教え、
紀子さまの優しさを手話を通じて伝えていただきたいと思います。

相模の大凧まつり?題字は「悠風」に決定!
相模の大凧凧 まつり(5月4日・5日)にあげられる大凧の題字に99点の応募があり、
辻紀子さんほか3人の「悠風」が選ばれました。
この題字には、皇室の親王ご誕生を祝し、あわせて子どもたちの成長と、合併を機に
新「相模原市」が幾久しく繁栄していくようにとの
願いが込められています。なお、佳作には「祝悠」「創風」が選ばれました。

03/15-12:44--こいのぼり出荷ピーク 悠仁さま効果? 「皇族柄」人気
こいのぼりの国内一の製造量を誇る和気郡和気町藤野の「徳永こいのぼり」(徳永深二社長)で、
「端午の節句」に向けて出荷作業がピークを迎えている。
同社の年間製造量は通常のこいのぼりで約6万セット。
売れ筋はマゴイで5〜7メートルのセットで価格的には8万〜20万円。
同社では「京錦鯉」(6メートルサイズの親ゴイで約17万円)が主力商品だが、
今年は皇族柄≠フ入った最高級の「吉兆」(同25万円)の注文が例年以上に多いという。 
同社の徳永黄二専務は「秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも初節句を迎えられることで、
それにあやかりたいという人が多いようだ」と話している。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1月15日の秋篠宮邸でのご接見の様子(2007)
(略)最初、私のテーブルには紀子様がご着席されました。スポーツがお好きで、
お子様も様々なスポーツをなさる等、テレビで拝見するのとは違って
よくお話になるのでびっくりしました。また、紀子様は手話でお話しをされました。
その後選手と1対1の会話になったのですが前の方のお話が長めだったため
時間がなくなってしまい、私は「クロスカントリースキーをされるのですか?」
「はい」で終わってしまいました。
続いて、秋篠宮様がご着席されました。秋篠宮様は紀子様と違ってあまりお話しにならず、
質問をされてはその答えをうなずきながらお聞きになっていました。
秋篠宮様と私と1対1の会話で、「クロスカントリースキーについてよく知らないのですが
どのような競技ですか?」と聞いて下さいました。
緊張で手話が固まりながらも通訳の方がきちんと伝えて下さり、無事に終えることができました。
ご接見は全部で20分位でした。帰り際、私ども一行が門を出るまでずっーと
お2人は玄関先で手を振って下さいました。とても緊張しましたが、よい思い出になりました。

2007年06月19日
http://news.livedoor.com/article/detail/3204057/
秋篠宮妃紀子さまが18日,東京・千代田区の帝国ホテルで開かれたチャリティパーティ
「第20回 ドン ペリニヨン セーブ・ザ・チルドレン・チャリティ・ガラ」にご臨席した。
イベントの主催団体から提供された紀子さまの撮影スペースは、
パーティ会場と受け付けをつなぐわずかな通路だけ。
各社からカメラマン一人だけの入場が許可され、約20名の報道陣が、
紀子さまをお迎えする準備を進めた。紀子さまご入場直前に、マスコミには
紀子さまへの音声マイクの突き出しや質問、背部からの撮影はしないようになどと、事前に注意された。
報道陣は一列目が床にべた座りのスチール(写真)カメラマン、二列目は脚立の上に立った
ENG(ムービー)カメラマン。紀子さまがご入場されると、政治家や芸能人の取材と違って、
「ちょっとそこで止まって!」などと声をかけることもなく、しんと静まりかえったまま、
皆淡々と撮影していたのが、いつもがやがやした現場で取材している筆者には印象的だった。
そして、各社報道陣は事前に注意された事項も守り、紀子さまが通り過ぎた後は、
ピタリとシャッター音もストロボの光も止んだのだった。

みこし勇壮 秋祭り 止止呂支比売命神社 2008/10/08 
大阪市住吉区沢之町一丁目、千二百年を超える歴史を誇る式内社、止止呂支比売命
(とどろきひめみこと)神社(樹裕巳宮司、通称・若松神社)の秋祭りのうち神輿
(みこし)渡御巡行が五日、同神社の境内などで行われ、勇壮な一行が氏地を練り歩いた。
同神社では長年、だんじりを祭りで引いていたが戦後に変更。一九五三年に役員の決定
で神輿を制作したが、数度の祭りで途絶えたという。だが昨年、秋篠宮悠仁親王殿下
ご生誕を記念し、半世紀ぶりに復興した。そして、初めて渡御の神事をつかさどった
樹宮司(67)は「神輿が担がれる姿を見て、背筋がぞくっとした」と振り返る。
この日はあいにくの雨だったが、本殿で祭祀(さいし)が行われ、絹垣で覆われた樹宮
司が「御(ぎょ)」(ご神体)を神輿に移した後、境内を後にした。巡行に参加したの
はそろいの法被で気を引き締めた百人を超える氏子ら。子どもらも加わり、沿道から
の声援に掛け声で応えながら巡行した。
樹宮司は「できるだけ早く復興後の渡御で、すべての氏子区域を網羅して行きたい。
これからも続けていく」と笑顔を見せていた。

1998年開催「第15回全国都市緑化にいがたフェア」では、期間中秋篠宮ご夫妻が
植樹祭にご出席された際、骨髄バンクブースにお立ち寄りになり
「いのちのアサガオ」についてご質問されたのち参加していたボランティアが
「いのちのあさがお〜コウスケくんのおくりもの」の本をプレゼントしました。
昨年悠仁さまご誕生の際、秋篠宮ご夫妻は日本さい帯血バンクネットワークへ
さい帯血をご提供されたのも、この出来事がきっかけかもしれない。
そしてそれは、悠仁さまご誕生前年開催の
「第27回少年の主張全国大会〜わたしの主張2005〜」に、
眞子さまと共に紀子さまがご臨席された際、13名の発表者が自分の思いを伝え、
作文「命をつなぐアサガオ」が内閣総理大臣賞を受賞したのは偶然ではなく必然だったのか。
秋篠宮ご夫妻、そして「いのちのアサガオ」を育てている人の想いが
命の大切さを多くの人へ理解され、白血病などの血液難病と闘っている患者へ繋がる事を願って止まない。

2011年
猪瀬直樹の「眼からウロコ」
過酷な現実から目をそらせてはいけない
東日本大震災の被災地を見て考えたこと
秋篠宮殿下と紀子妃殿下が4月7日、東日本大震災で宮城県や福島県などから避難してきた
被災者が身を寄せる東京ビッグサイト(東京都江東区)を慰問に訪れた。
僕は副知事として両殿下をご案内した。
百人一首に残る貞観地震による津波
契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは         (後拾遺集)
百人一首にある清原元輔のこの歌を引いて「千年に一度の津波なんですね」とお話しすると、
秋篠宮殿下は「津波は貞観(じょうがん)時代ですね」と相槌を打たれた。
清少納言のお父上である清原元輔(908〜990年)が詠んだ歌である。
陸奥、三陸は、美しい自然と日本人のロマンの象徴で、古来より心の故郷だった。
この歌は、日本という島国の歴史が、王朝文化として刻まれている一例である。
男女の心模様に大津波を織り込んでいる。大津波でさえ越えることはない「末の松山」のように、
2人の心もまさか変わらないでしょう、と詠まれている。「末の松山」は、
現在の宮城県多賀城市付近の地名で、石碑も建てられている
貞観11年(869年)、東北沖で大地震が発生し、巨大な津波が押し寄せた。今回の東日本大震災が
「千年に一度」という時間軸で語られるのは、貞観地震に匹敵する大津波が発生したからだ。
「末の松山」は、貞観地震であっても津波が越えることはなかった。
貞観地震の話は京都にまで伝わり、清原元輔の時代にも人々の記憶に強く残っていたのだろう。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110411/266542/?top_f1&rt=nocnt


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

秋篠宮さま平川動物公園視察 コアラ餌やり体験も
園内歓迎ムード一色 (南日本新聞)
動物園技術者研究会出席のため鹿児島市を訪れていた秋篠宮さまは26日、
同市平川町の平川動物公園を視察された。詰め掛けた市民が人垣をつくって手を振るなど
園内は歓迎ムード一色。この日で1泊2日の全日程を終え、午後の便で空路帰京された。
同園の訪問は1997年以来2回目。
森博幸市長らの案内で園内を一巡りされ、コアラ舎ではオスのシン=9歳=を相手にユーカリの葉の給餌も体験。
予定にはなかった鶏の原種セキショクヤケイも熱心に見学された。
大町司志園長は「トカラヤギなど数が少なくなっている純粋種に興味を持たれているようだった。
動物の原種に関する知識の豊富さに驚かされた」と話した。
園内の移動時には沿道の車いすのお年寄りと握手をしたり小学生に声をかけるなど、市民と交流される場面もあった。
手作りの小旗を振って歓迎した可愛幼稚園(同市下福元町)の江上玲ちゃん(6つ)は「優しそうなお顔だった」。
入り口で早朝から3時間待っていた南さつま市加世田唐仁原の自営業瀬戸シヅさん(72)は
「悠仁さまが誕生された後、一層柔らかな感じになられた。次回はぜひご家族そろってきてほしい」と話した。


日経
論文発表会 五條堀 孝
進化学の研究者として、たくさんの学生をみてきた。忘れられない論文発表会がある。
「練習をするとできがよくないので…」。
1996年、秋篠宮さまの学位(理学博士)論文の発表会1週間前のこと。
当時、総合研究大学院大学で指導教官だった私は驚いた。ぶっつけ本番で臨まれるという。
秋篠宮さまといっても、もちろん審査は特別扱いではなくほかの学生と一緒だ。
発表会は通常の3倍くらいの聴衆がいた。研究テーマはDNAからみた鶏の起源。
「神話で自分の先祖といわれる天照大神が岩戸から出てくるようにコケコッコーと鳴くのが鶏。
だから鶏に興味を持って研究をしている」と話し始めると、みんな大笑いして一気に緊張がとけた。
質問は3つと決められていたが、先生や学生から14も出た。
専門的で難しいものばかりで、見守る私は冷や冷やしたが、難なく答えられた。
もちろん学位が授与された。
今も3〜4カ月に1度皇居でお会いする。
学位を取られた数年後、「父が相談をしたいと言っております」と天皇陛下を紹介され、
ハゼの共同研究をすることになったからだ。
最近は人はなぜ鶏などの動物に興味を持つかといったご研究を秋篠宮さまは熱心にされている。
(ごじょうぼり・たかし=国立遺伝学研究所副所長)

六枚の写真に込められた物語 天皇家が刻んだ歴史 2007年1月 道越治著
(東久邇)信彦さんは、たとえば、秋篠宮文仁親王殿下ととくにお親しい。お二人は従兄弟同士である。
秋篠宮様は細やかにお心配りをされる方だという。
短時間お会いするお客様は、秋篠宮様にはたくさんおられるはずだが、
お客様が帰られるときには、玄関の外までちゃんと靴をお履きになって、ご丁寧にお見送りされるそうである。
それは決して儀礼的なお見送りではない。
宮様の真心がこもっていることは、接する者にはひしひしと伝わってくるので、
「自分のような者に、ここまでしていただけるのか」と胸が熱くなり、ありがたくて恐縮するのである。
また宮様は、お知り合いの方からお土産を贈られたときなど、
たとえば「いただいたお酒がとてもおいしかった」とか、「いただいた品は私の好物です」といった具合に、贈った側にお心でお返しするように、温かい、ていねいなお電話を差し上げるということだ。

2011年7月13日
新米課長日記(2011/7/13)
秋篠宮同妃両殿下お成り1日目
心あたたまる一日でした。
秋篠宮ご夫妻のご来県のご様子を取材する報道バス1号添乗員として活動しました。
ご夫妻を関西空港でお迎えし、ロイヤルパインズホテル、めっけもん広場、かき・もも研究所、
ロイヤルパインズホテルの順で移動しました。
同行して感じたのは、沿道や各施設でご夫妻を歓迎される県民の皆さんのはじけるような笑顔。
5月の全国植樹祭の際、天皇皇后両陛下の車列に日の丸の旗を振られる皆さんも
晴れ晴れとしたお顔をされていましたが、その時とはまた違う感覚でした。
やっぱり「紀子様マジック」かな。
和歌山県民にとって、特になじみ深い紀子様。
めっけもん広場では、一般奉迎者の方の差し出す手を取り、握手をしておられました。
警備側からするとNGなのですが、そんなことはおかまいなし。
握手を求める手が殺到し、レジ横に積み重ねた段ボール箱の一団が崩れそうになった時はあせりました。
めっけもんを出てすぐ、新米課長の母校、紀の川市立池田小学校の児童達が
たくさんの日の丸小旗を振っているのを目にすると、少しじ〜んときました。
明日も同行できる喜びをかみしめています。

会津若松市長 かんけ 一郎のブログ
http://local.election.ne.jp/kanke/14248.html
「秋篠宮同妃殿下並びに佳子内親王殿下と昼食会に同席」
2011/8/04 17:25:21
今日は東山温泉の今昔亭において、全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)にご臨席を賜りました、
秋篠宮同妃両殿下並びに佳子内親王殿下をお迎え申し上げますと
ともに昼食会に同席させて頂きました。
大変光栄な事であり、会津若松市長として最高の思い出になりました。
感謝申し上げます。

「NEWあしながファミリー」第119号
「共生」(編集長 玉井義臣)
(2011年)
両陛下を思い出す紀子さまのご訪問
10月1日、午後4時から1時間半、秋篠宮妃紀子さまが神戸レインボーハウスをご訪問くださる。
翌日、近くの大学で学会があり、開会の御言葉を述べられる由。
11年前、天皇皇后両陛下行幸啓のときを思い出す。
美智子皇后さまの御言葉に神戸地震の遺児や保護者は感激し、小さい子はどなたかも知らず、
皇后さまに楽しく遊んでいただいているご様子に、強いオーラを感じたのを今も忘れられない。
紀子さまもお声がけやお遊びは実に念入りにされ、子ども達はよくなつき、
さすが皇后さまのお教えの修業時代かと私は爽やかで清々しいものを感じた。
美智子皇后が神戸のことを気にかけてくださるお気持ちがじかに伝わり、
天皇皇后両陛下とも「この子らをよろしくお願いします」という御言葉が
今も心の奥底に残っていて、思い出すと熱くなる。

「日本の論点2012」文藝春秋社刊
猪瀬東京副知事
秋篠宮両殿下、ビッグサイト避難所の慰問は素晴らしかった。
役人が説明中お渡しした資料の訂正をすると、おふたりとも三色ボールペンでさっと直した。
別々に分かれて慰問したので「効率的だからか」と思ったが、
一つのグループに殿下と妃殿下で2回お見舞いした。
休憩時間が設けられていたがそれは実際は時間調整用で、予定ぴったりに慰問を終らせた。
「皇族はプロフェッショナル」
その前日の皇太子同妃両殿下の慰問は時間オーバー。

秋篠宮さま記念碑完成 あわらの農場視察で
ヒョウタン育てる谷川さん
2012年7月15日
あわら市波松の農場でヒョウタンを育てている谷川茂右エ門さん(82)=同市波松=が、
自身の農場に秋篠宮さまが視察に訪れたことを記念した石碑を建てた。十四日に現地で除幕式を行い、
谷川さんをはじめ、県内外のヒョウタン愛好家らが除幕を祝った。
記念碑は高さ約三メートル、幅約一メートルの大理石製。
「秋篠宮文仁親王殿下御光臨之地 よく作られましたねと御褒めの御言葉!!」などと記されている。
谷川さんはこれまでに二度、秋篠宮家にヒョウタンを献上。二〇〇五年六月九日には、
全日本愛瓢(あいひょう)会県大会に参加されるために訪れた秋篠宮さまが、
大型ヒョウタンを作っている谷川さんの農場を視察した。大きなヒョウタンが育つ農場で
「(当時)秋篠宮さまから、よく作られましたねと褒められ、とても緊張した」と谷川さん。
全日本愛瓢会副会長や県愛瓢会会長の大役を終えたことなどを節目に、
秋篠宮さまが訪れたこの地に当時の思いを託した記念碑を設けた。 
(清兼千鶴)
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2012071502000188.html



映画旭山動物園公式ブログより   マキノ雅彦
秋篠宮両殿下からお電話が… 1月27日に映画『旭山動物園物語』の完成披露試写会が行われ
うれしい事に、動物園水族館協会の名誉会長である秋篠宮両殿下に
ご臨席を賜る栄誉にあずかったことは既にブログでも紹介させて頂きましたが
昨日小菅園長から病院にお電話を頂き、実は秋篠宮の宮務官から、小菅園長に電話があり
『津川さんのご病気の一日も早い回復をお祈りをしてますとお伝え下さい』と
秋篠宮両殿下からのお言付けがあったとの事!なんて優しい方なんだろうと感激もひとしおです!
完成披露試写会当日も、こちらからは如何でしたとは、お聞き出来ないんだが
隣の席で映画を御覧になった、旭川市長の話では、
よく笑っていらしたし、お風邪を引いていらっしゃらないなら、何度か鼻をすすっていらしたので
泣いてもいらしたんじゃないかとのこと、映画が終わってご退場の折りには
見送りに出た小菅園長に、ご自分から歩み依られ、『感動しましたよ!素晴らしい映画でしたね』と
いつも聞くお声より少し高い!心弾んだ様子でおっしゃってくださったとの事!
更に愉しそうな笑顔で、『園長も坂東副園長も市長も映画に出ていらっしゃいましたね!
最後には津川さん迄も!』と気が付かれていて、つぶさに良く観て下さっていたようだし!
『あのゾウがいたのは秋田動物園ですね。豊橋動物園も映ってましたね、その後のは海遊館ですね』と
さすが動物園、水族館協会名誉会長だけあって良くご存じだったとの事!
これも興味深く観ていただいた証拠だと園長も大感激!
後からわざわざ僕に、お見舞いの電話をくださるのも、異例のことで
映画に対する好感触の故だろうと園長からのうれしいうれしい伝言でした!
又昨日は肺の中に入っていた管が全て抜くことが出来!秋篠宮両殿下からの優しいお見舞い電話の
ご利益に違いないと喜んでいます!
(※秋篠宮殿下は「名誉会長」ではなく「総裁」)


某報道系番組ディレクター“じょんどう”の雑記帳
思い起こせば16年前。ご結婚が決まった直後の、
まだ川島紀子さんだった頃。当時通われていた学習院大学で、
毎朝ジョギングするというので、「今日の紀子さん」ということで、
毎朝、紀子さんのジョギング風景の取材に行っていたことがありました。
そして、ある一ヶ所で、カメラを構えて持っていると、
紀子さんの走ってくる姿が見えるので「紀子さ〜ん!おはようございまぁ〜すっ!」と叫ぶんです。
すると、必ず立ち止まって軽く会釈してくれました。ただ、そんな感じの取材を毎日していたんですが、
単純に会釈してもらえるとやっぱり嬉しかったのと、とは言え、
「毎日、こうやってテレビカメラで撮られるのは嫌じゃないのかな?
こっちも仕事とは言え、なんだかなぁ・・」と思ったりしていました。
普通だったら多分、そんなにテレビで撮られたくないでしょうからジョギングをやめちゃうかもしれません。
でも彼女はやめなかった。そして、「この人はホワ〜ンとした感じに見えるけど、内面は芯が強く、
そんなことで自分の意志を曲げるような人ではないんだな」と感心し、でも、
その他の時は、相変わらず何とも言えないホワ〜ンとした実に女性的でやさしい雰囲気に惹かれ、
すっかりファンになってしまいました。


◇雨水タンク
「雨水利用を進める全国市民の会」の革新的雨水プロジェクトが第4回日本水大賞グランプリを授賞し、
5 月 30 日に科学技術館サイエンスホールでその表彰式及び授賞活動発表会が活動発表会が行なわれました。(中略)
(略)
秋篠宮殿下も雨水タンクを3個お持ちになっていて、審査部会長に雨水タンクの重要性を語られたそうです。
◇秋篠宮邸に招かれた高校
第10回水大賞の表彰式に行ってきました。今回で3年連続で出席しました。(中略)
第10回はこれらのチームを指導したということで、指導者にスポットを当てていただき
私本人が受賞することができました。この水大賞の名誉総裁は秋篠宮殿下です。
ストックホルムの時は受賞報告としてご自宅へ招いていただきました。
生徒は紀子様にお庭を案内していただいていました。
その時草花クラブで育種した「桂夢衣(かむい)」を贈りました。
今回の表彰式後にサプライズがありました。受賞パーティーに秋篠宮両妃殿下が来られたのです。
私も伴侶を紹介して殿下と話しをしました。殿下は「桂夢衣」を覚えておられて、
その後の品種開発は進んでいますか?と質問していただきました。
また、伴侶には紀子様から「アジサイを送っていただいたのよ!」と言っていただきました。
現在の芝の研究のことも話しをさせていただきました。
大変うれしく思いました。いつも黒子に徹している僕にとって救われた思い出でした。
◇桂夢衣(かむい)は桂高校の学生たちが作った新種のアジサイ


ハワイから日系4世の方が秋篠宮邸に訪問したときのブログ
秋篠宮邸の入り口には、骨の彫刻など、ハワイの工芸品が飾ってあったの。
何て素敵なおもてなしなんでしょう! 室内には世界中の動物の木彫りがたくさん。
(略)
私たちのグループとは、夏の間、悠仁様とお出かけになったイチゴ狩りについてや、
日本の価値観、「もったいない」ということについてお話しされたの。
紀子様はご幼少の頃から、ご両親の「無駄遣いせずものを大事に」という考えの下、お育ちになったんですって。
お料理なさるときは、野菜はできるだけ、全ての場所を使うように気をつけておられると話してくださったわ。
私たちは「環境保全が地球のためにいかに重要か」という話題で意見が一致したの。
会話が終わろうとする頃、本当にびっくりしたんだけど、
紀子様は私のカップをそっと手にとって、お菓子とフルーツを勧めてくださったの。
私はちょっぴり恥ずかしくなって緊張しちゃったんだけど、
紀子様は私たちとあまり年令の変わらないお嬢様をお持ちだそうで、
だからさりげなく私たちに気を配ってくださったと言うことがわかったの。
美しいうすピンク色のスーツをお召しになった紀子様は本当に優雅で神々しく、すばらしい英語をお話しになったの。
私たちと握手をなさったときも、とても典雅な感じで、うっとりしちゃった。
なんと、私たちがバスに乗るところまでいらっしゃって、手を振ってお見送りしてくださったの。
紀子様とお会いしてすぐに、「私ももっと大人の女性、素敵な女性になりたい!」と心から思ったわ。
※太平洋諸島フォーラム(PIF)諸国・地域政府関係者グループ招へい)被招へい者ご引見(宮邸)

台北デフリンピック日本代表公式ブログ
秋篠宮両殿下御接見
男子バスケ主将の及川さん
「紀子様の手話を初めて目の当たりにしましたが、凄く分かりやすくて、
気持ちがこもっていたように感じ、とても心打たれました」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ブログより
5月29日の木曜日、追分デイサービスからあいち健康プラザへ
「全日本ひょうたん展」を見学に行きました。そこで思いがけないことがありました。
秋篠宮様にお会いできたのです。
私は、これまで一度も殿下にお目にかかったことがないので、どんな御方かと思っておりました。
お姿が少し見えたとたん、足が自然にまるで 油をさしたように動きました。
そう、走っていたのです。90歳の私が・・・
少しでも殿下をよく拝見しようと思っていたのでしょう。
お目にかかり、立派な方だと思いました。お姿・立ち居振る舞い。
我々一般人に軽く会釈をしてくださり、笑顔で頭も下げてくださいました。
一瞬でしたが本当に良かったです。
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大府市の若宮保育園では、同園と米田保育園の年長児32人が、
愛瓢会の用意したマラカス形のヒョウタンにシールを張って仕上げ、アニメの歌を演奏した。
秋篠宮さまは子どもたちに「何歳?」「この模様は何?」などと
優しく尋ね「私の一番下の子もこれぐらいの年齢になるとできるのかな」と“パパの顔”に。
ミッキーマウスの模様を見せた浅井奏翔くんは「ディズニーランドは行ったことないんだって」と、
楽しそうに話していた。
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第41回なるほど展に、秋篠宮 紀子様がいらっしゃいました。
すぐ真近、30センチくらいの距離で紀子さまとお話したのですよぉ〜。
皇室の方は、やはり気品がぜんぜん違います。
・・・でもわたし、なにを言ったのか、自分で覚えてません。幽体離脱してました。
エレベーター内で、にっこりとほほ笑む『紀子さま』が静かに頭を下げるような形で、
なんと、微笑んでくださいました
とっても優しい微笑みで、本当に素敵でした
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私を含め数名の会員が会場内で両殿下にお会いする事が出来た。
そこで思ったのは「紀子様細い!」であった。
TVで見るよりはるかに細くて、背も高く感じられた。
薄化粧ですがすがしい微笑み、芸能人よりお綺麗だと感じた。
あまり皇室などに興味はない私でさえ、なんだかもったいないような光栄なような
そんな不思議な感情が沸き起こりました。
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とある会議に秋篠宮夫妻がお出ましになられた。
会議終了後の立食パーティでもの凄く豪華な食事が出される中、
お二人は全く食事に手をつけなかった。
その理由は
「なるべく多くの方々とお話したいが、食事を摂っていると
周りの方が気を使って話しかけられないだろうから」だということ。
一応通訳もついていたのですが、お二人は完璧な英語で会話されており必要なかった。
通訳の方の後日談『紀子様のファンになった。あんなにお優しくて素晴らしい方って初めて!』

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
名市大病院の広報誌
昨年5月、名市大病院をアジアオセアニア周産期学会に参加なさった秋篠宮ご夫妻が訪問なさったときのこと。
集中治療室に神経筋疾患の年長のお子さんが入院していたそうです。その時にはその子は人工呼吸器を装着していて、
筋力低下も進行し自分で上肢を動かすこともほとんどできない状態でした。
ところが、紀子様がその子のベッドに近づいてお声をおかけになると、
なんと彼は動かないはずの右手を上げて手を振ったのでした。
それ以降、彼が手を上げることは二度となく、その瞬間を目にしたスタッフたちは誰言うともなく
「紀子様パワー」と呼ぶようになったそうです。
また、その後プレイルームをご覧になった際には、そこに集っていた子の一人が耳が不自由だと知ると、
まず殿下が、ついで妃殿下が手話でその子に話しかけられたとのこと。
入院中の子どもやお母さん方のみならず、医療従事者にも元気とパワーをいただいた一日でしたと締めくくられています。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(ザ・ワイド)
平成17年 愛・地球博にて
オーストラリア館で、秋篠宮様がカエルの剥製を見つけて見せると(お土産に)
眞子様、佳子様はそれを却下
いろいろと質問したりして、お土産をじっくり選ばれていた。
お二人はカモノハシのマペットが気に入り、どうやらプレゼントされた。
オーストラリア人のスタッフが、 ニコニコとそんなことを話していた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(出席者)
眞子さまのご公務
上野動物園で開始時間の1分前に眞子さま入場
歩く姿も立って園長らの挨拶を聞く姿勢も、洗練された美しさがありました
動物園園長の話では、眞子さまは久々の来園だそうです
私の立ってる位置からは、たまにチラッと横顔が見えただけでしたが
えりか号がちょっと暴れたときに微笑んでえくぼが出来ていました 可愛らしい!
えりか号を今治で飼育していた担当者の話が始まった途端、えりか号は大量の糞をしました
私たちのところにもすっごく臭ってきて、
ちょこっとザワついたんだけども眞子さまは表情1つ変えてませんでした
式典が終わって、えりか号におやつをあげた眞子さま^^
撫でたり、手綱を持ったりしていました えりか号はそのときは大人しかったです

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(学生)
川嶋教授は自分のゼミでも「紀子さま」という名前は絶対に出さない。
ゼミ生が名前を口にするのも禁句。
自分が話したちょっとしたことに尾ひれをつけてヘンな噂を流布されないように警戒すると同時に、
宮妃の父ということをことさらにアピールしないように心がけていらっしゃる。
自分たちがあらゆる誤解を受けないよう、
身を慎むことが紀子さまを守ることだと心に定めていらっしゃる。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(研究者)
秋篠宮殿下のご研究について
生物医学系の研究雑誌には、Impact factorという点数=雑誌の格付けがあって、
その点数がいかに高い雑誌に自分の論文が載るかに、
大学の研究者というのはただただしのぎを削っていると言っていい。
その頂点に立つのが、Nature, Scienceというような雑誌で、
そのImpact factorが20何点
このProNASというのは最新9点台。
普通の大学教授レベルが普通に手を出せる雑誌っていうのは、せいぜい6、7点どまり。
それでも立派な一流雑誌。
2、3点っていうのがまあ恥ずかしくない業界標準雑誌。
ちなみにもちろん全部英文の雑誌のことです。
日本語のそういう研究の雑誌には点数すらついていません。
点数だけでなく、Name Valueもすごい雑誌。
firstというのは、first autor、筆頭著者ということで、
その雑誌が価値ありと認めるレベルの英文論文を(もちろん周りのひとのサポートはあるのだけど)
ともかく頑張って書き上げて、しかも厳しい審査員とやりあいながら最後に雑誌掲載までたどりつくという
至難の業をやり遂げたということ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(公務で紀子様と話した方)
「子どもが小さいうちは,子育てと仕事の両立は大変だけど,
子どもはそんなお母さんの頑張る姿を見て育つから,
きっとしっかりした子どもに育つ。だから頑張って。」と言われました。
紀子さんの今はもう高1の娘も「お母さん,疲れたでしょう」と肩を揉んでくれるそうです!
また,夜は家族だけになるので,子どもが熱を出した時などは,
やはり冷えピタシートを貼ったりして,育てたそうです。
お付きの人に「もう時間です」と連れて行かれても,ドアまで行ってから
タタタと戻ってきて,名残りおしそうにまたお話ししていきました。
最後は何度も何度もお辞儀をしながら(決して形式ではない...と思う)去っていきました。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

(書き込み)
秋篠宮家の内親王は2人とも、3年保育の年少組に1年通っていた。
それから学習院幼稚園で2年保育。
御所の外の世界を見せ、よその子供と一緒に遊ばせたいけれど、
マスコミに追い回されると他の園児に迷惑がかかるということだったのだろう。
ごく小さな都内の幼稚園に通っていた。
幼稚園の先生もよく信頼に応えて、内親王を預かっていると一切喧伝しなかったし、
叱ったり注意したりも他の子供とまったく同様に扱った。
園児たちは当然、ただの仲良しとして遠慮なく接していたそうだ。
1年間でも公園デビュー以上の効果はあったと思う。
眞子様は園で飼っている犬や猫が大好きで、おままごとをしている時、葉っぱを余計にむしって
先生から「木をいじめちゃだめ」と叱られて「ごめんなさい」と謝って木をなでたり、
素直で表情豊かで本当にお人形さんのような愛くるしさだったとか。
おもちつきの時に木の枝におもちを付けて「もちばなよ、ね?」と笑いかけられた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日本動物園水族館協会情報誌「どうぶつとすいぞくかん」
http://www.jaza-magazine.com/about/
このたび、社団法人日本動物園水族館協会の季刊誌「どうぶつえんとすいぞくかん」が創刊になりますことは、
協会に所属する園館にとり、また私にとりましても大きな喜びです。発刊にご尽力いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
私は子どものころから動物に関心をもっていました。物心がついたときには、家に鶏が飼われていましたし、
ペットショップで見ることのできないものを飼育したこともありました。
また、今年生誕150年を迎えるアーネスト・トンプソン・シートンや
アニメにもなったソーントン・ウォルドー・バージェスの本、各種の図鑑も随分と楽しみました。
そして、何より動物園や水族館を訪れて、好きな動物や魚を見ることことは私にとって大きな楽しみのひとつでした。
このように、幼少時から一貫して動物との縁がつづいています。
ところで、その動物園と水族館ですが、かつてはレジャー施設としての認識が強くあったように感じます。
動物園や水族館側がそのように考えていたということではなく、
その時代の社会が動物園・水族館は遊び場のひとつであって、
児童や生徒が学習をする場所ではないと考えていたのではないかと思います。
したがって、その後に縁あって日本動物園水族館協会に関わるようになって、
そのようなイメージが大きく変わったことを今でも鮮明に記憶しております。
学習の場であるとともに動物における飼育下ならではの研究、展示技術の工夫、
そして種の保存事業など、多岐にわたる取り組みに、動物園ならびに水族館の社会的役割を再認識いたしました。
そして現在でも、それぞれの園館が上述した事業を遂行すべく、弛みない努力を重ねていることは、誠に喜ばしいことです。
関係者の一人として、今後一層発展していけるよう努めたく思います。
このたびの創刊がひとつの契機となり、
日本動物園水族館協会ならびに加盟している動物園と水族館の各園館の活動が
多くの人々に知られるようになることを願っております。

社団法人日本動物園水族館協会総裁 秋篠宮文仁

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

1年半ぶり復学 秋篠宮妃紀子さま
中日新聞 1993.03.13 夕刊 12頁 第2社会面 
秋篠宮妃紀子さまが四月から学習院大大学院に一年半ぶりに復学されることが、
十三日までに決まった。
紀子さまは平成二年六月の結婚後も通学を続けていたが、
三年十月に長女の眞子さまを出産され、その後は育児に専念するため休学していた。
紀子さまは十二日午後、同大を訪問し、復学後の研究テーマやスケジュールなどについて
担当教官の永田良昭教授と話し合った。
講義の単位は既に取得しており、四月からは修士論文作成のため、
週に一、二度のペースで通学しながら音楽心理学の研究を続けられる。
来年度末には論文を提出し、博士課程進学を希望されているという。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2011年01月27日付 朝日新聞・夕刊 コラム名「窓」 論説委員室から
『触れるニューヨーク』
目、耳ともに不自由な盲(もう)ろう者の東大教授、福島智(ふくしまさとし)さん(48)が、
1年間の在外研究で、昨年秋から米ニューヨークに滞在中だ。カラフルでやかましいこの街を、
どう感じとっているだろう。
通っているのは、郊外にある米国立ヘレン・ケラ−・センター。
ヘレン死去翌年の1969年にできた、世界有数の盲ろう者向けリハビリ・研究施設だ。
福島さんは、日本版のセンターを作る夢に向けて、インタビューを重ねている。
ヘレンの存在とともに60年代に大流行した風疹(ふうしん)で多数の盲ろう児が生まれたことが、
米国で盲ろう者への支援策が進んだきっかけだった。
同センターは常時30〜40人の訓練生を受け入れ、様々なプログラムを提供しているという。
このセンターに24日、中米コスタリカをご夫妻で訪問する途上の秋篠宮妃紀子さまが、立ち寄った。
センターには事前に日本側から、皇族を迎える際のこと細かな規制の指示があったという。
でも、盲ろう者は直接触れることで初めて、気持ちが通うコミュニケーションができるのに。
福島さんは宮内庁側に、メールでそうした懸念を伝えていた。
紀子さまは通訳者を介して訓練生らと会話を交わしたあと、自然な形で歩み寄り、
それぞれの手をとってアメリカ式手話で「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と話しかけた。
福島さんの手にはこう指で点字を打ったそうだ。「き・こ・で・す・あ・り・が・と・う」
<石橋英昭>

陸前高田市立博物館
発表します。本日、秋篠宮殿下ご夫妻が仮設博物館になっている旧生出小学校にいらっしゃいました。
びっくりです。
お二人ともとても優しく、すごく素敵でした。せき坊は大ファンになりました。
両殿下はとても被災した博物館や文化財のことをご心配されていました。
また、作業員さんたち全員に優しくお声を掛けてくださり、みんな少々緊張気味でした。
鉄製品などの安定化処理の様子、紙資料の安定化資料の様子、貝類標本の安定化処理の様子、
資料の保管状況など生出小学校で行われている作業のすべてを見ていただきました。
○○○○先生のこと、貝のこと、漁具のこと本当に何でもご存知でびっくりしました。
お二人の温かいお気持ちで生出小学校全部が包まれ、本当にアットホームな雰囲気でご視察が行われました。
紀子様にも「お体気を付けてください」とお声を掛けていただき感激です。
紀子さまに「クワガタやカブトムシがたくさん生出にはいるのでまた、いらしてください」と話しました。
すると、紀子さまは、ちょっといたずらっぽく顔をしかめて、
「東京に、好きな方(悠仁様)がいますから」とおっしゃってくださいました。
本当にお二人の優しさと温かさに触れることができた素敵な時間をいただきました。
2012年12月19日
https://ja-jp.facebook.com/muse.tkd

秋篠宮殿下、同妃殿下が玉川大学をご訪問下さいました
秋篠宮殿下、同妃殿下は、1月22日(火)、本学教育博物館 企画展
「石に描かれた鳥たち―ジョン・グールドの鳥類図譜」のご見学のため、
玉川大学へお成りになりました。皇室の方々の同企画展のご見学は、14日(祝・月)の
天皇皇后両陛下の行幸啓に続き、2度目となりました。
小原芳明学長は両殿下を教育博物館玄関でお迎えした後、同企画展をご案内いたしました。
館内では、主幹学芸員の柿ア博孝教授が、ジョン・グールドの鳥類図譜についてご説明いたしました。
両殿下はアジア鳥類図譜、イギリス鳥類図譜、ニューギニア及びパプア諸島鳥類図譜、
ハチドリ科鳥類図譜を中心に、図譜の制作工程コーナーから
鳥類の標本やパネル展示のコーナーまで、時間をかけてご見学されました。
秋篠宮殿下は、山階鳥類研究所の総裁も務められており、
またご自身も鳥類についての研究をされていることから、鳥類について造詣が深く、
本の中の鳥の図版やパネル展示された図版を熱心にご覧になっていました。
また、ニューギニアやハチドリ科の図譜のコーナーでは、描かれている背景や植物にも
ご関心を寄せられ、案内役を務められた黒田清子同館外来研究員から、
グールドの描写方法や題材の情報源についてのご説明をお聞きになられました。
紀子妃殿下は、図譜に描かれた鳥の生態について興味深くご覧になり、
イギリス鳥類図譜のカッコウの図の前では、卵の世話を他の鳥に託する托卵(たくらん)という
習性を、殿下とともに黒田研究員からくわしいご説明を受けられていました。
両殿下は、ケース内に展示されたさまざまな鳥の図版を詳細に観察され、
またお話を楽しみながらご覧になりました。
最後に、両殿下は館内の本学園創立者の小原國芳や玉川学園に関する展示もご覧になり、
小原國芳の書いた「一角多い夢」という字の意味、全人教育、
そして新教育運動や八大教育主張について、小原学長のお話に耳を傾けられました。
http://www.tamagawa.jp/news/articles/news_no061.html

【受賞インタビュー】井上彰特任准教授が「第9回(平成24年度)日本学術振興会賞」を受賞
東北大学病院臨床試験推進センターの井上彰特任准教授
(プロトコール作成支援部門)が「第9回(平成24年度)日本学術振興会賞」を受賞し、
平成25年2月4日に日本学士院(東京・上野)にて授賞式が執り行われました。
今回の受賞について井上彰特任准教授にコメントをいただきました。

受賞について(井上彰特任准教授)
おかげさまで第9回日本学術振興会賞をいただけることとなり、
上野公園の一角にある日本学士院での授賞式に2月4日出席しました。
各領域から選考された24名の研究者は、「若手(45歳未満)」とはいえ
ほとんどが教授で風格が漂っており、さらに選考委員がノーベル賞受賞者の江崎玲於奈
(ワープロで一発変換されたのはさすがです)先生ほか大物揃いで、私なぞはどう考えても
不釣り合いな場でしたが、同じく田舎者の両親も招待出来て良い親孝行になったかと思います。
一番印象に残ったのは秋篠宮妃殿下(紀子様)との「ご歓談」で、穏やかな物腰と
どんな会話にもそつなく対応される機転の良さに感服しました。私の専門である多施設共同研究は、
多くの先生方と患者さんのご協力によって成り立つもので、この場を借りてあらためて深謝申し上げます。
今後も肺癌診療の発展に少しでも貢献できるよう精進したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
http://www.crieto.hosp.tohoku.ac.jp/news/n_20130225.html

紀子妃殿下
平成元年 学習院大学文学部心理学科ご卒業
平成7年 学習院大学大学院人文科学研究科心理学専攻博士前期課程ご修了
平成25年 博士(人文科学)(お茶の水女子大学)
妃殿下は,聴覚障害者の大事なコミュニケーション手段である手話を学ばれ,
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」,「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に
ご臨席になり,折にふれて関係者よりご進講をお受けになっています。
また,公的なご活動の傍ら勉学を続けられ,平成7年3月に心理学の分野で修士号を取得されました。
出産・育児の後に研究活動を再開する研究者を支援する
「日本学術振興会特別研究員 − RPD(Restarted Post Doctoral fellowship)による発表会」
にもご臨席になるなど,女性研究者の支援を大切にお思いでいらっしゃいます。
平成21年2月には,日本学術振興会名誉特別研究員に就任され,健康心理学の観点から結核にかかわる
意識と行動についての研究を進められました。そして,お茶の水女子大学に論文を提出され,
平成25年3月に博士(人文科学)の学位を取得されました。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/03/activity03.html

機関紙「NEWあしながファミリー」122号共生(コラム)☆皇室はあしなが運動40年の大サポーター☆
秋篠宮両殿下が、6月13日、アフリカのウガンダ虹の家を遠路ご訪問くださった。感謝感激である。
詳しくは、沼志帆子現地代表・松井佳・山田優花の新ゴールデントリオが活躍し、
健筆をふるっているので想像しながら読んでいただきたい(2面、4・5面)。
                      ◇
皇室とあしなが運動の関係は古く40年になる。永野重雄初代会長(日商会頭。故人)が、
ある日、「玉井君、秩父宮(昭和天皇の弟君)妃殿下を名誉総裁にお迎えしてはどうだろう」と言われた。
僕は「ええ」と言ってしまった。
二人で宮内庁に行き、宇佐美毅長官(当時)にお願いして、後日快諾を得た。
秩父宮妃はそれ以来、実に熱心に運動をサポートしてくださった。
学生募金はほとんどご出席され、森光子さん、吉永小百合さんらと街頭に立ってくださったおかげで、
学生募金と育英会は初めから世間の信用を得た。草創期の大恩人である。
このたび秋篠宮邸へ「御成御礼」のご挨拶に参上したら、そこは秩父宮妃殿下のお邸と同じお邸であり、
思わず妃殿下とお庭をキジが歩いているのを見ながら親しくお話しさせていただいた昔を懐かしく想い出していた。
その後、美智子さまが東宮妃殿下から皇后殿下になられるに至って、遺児を特別に気にかけていただいた。2001年4月24日、神戸虹の家に、天皇陛下とご一緒にご訪問くだされ
遺族にやさしくお声がけくださったときの光景は忘れようにも忘れられない。
お帰りのとき、「この子らをよろしくお願いします」と言われたお言葉はいまだに耳に残っている。
皆励まされた。
そして、今度の秋篠宮両殿下、とくに紀子さまの津波以後の度重なるご訪問で、
日本とアフリカの遺児達がどんなに元気づけられていることか。
西本光里さんが両殿下の通訳官をしてくれたことも、天国の父征央君(大奨2期)はどんなに喜んでくれたか。
目頭が熱くなった。
http://archive-org.com/page/2918790/2013-09-25/http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-581.html

宮城県大崎市長ホームページ
平成23年12月 献上米
震災から八ヶ月目の十一月十一日、秋篠宮邸に新米献上のためにお伺いいたしました。
経緯を紹介しますと、去る六月二十三日、秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下が大震災慰問のため
来県された際に本市にお立ち寄りいただき、
光栄にも村井知事とともに殿下、妃殿下との昼食に同席の機会を賜りました。
その折に、お米談義になりラムサール条約登録湿地「蕪栗沼・周辺水田」での渡り鳥と共生する農法「
ふゆみずたんぼ米」の実例。
「世界一田めになる学校」を東大弥生講堂で開催すること。
是非そのイベントにお運びいただきたいことなどをご説明、進言申しあげました。
光栄にも、東京でのイベントに紀子妃殿下にお越しいただき、
環境保全型農業を体験した子ども達の発表を聞いていただき、励ましのお言葉まで賜りました。
その折、新米ができましたら献上する旨をお約束申しあげておりましたので、
重ね重ねの光栄に感謝、御礼を兼ねて宮邸に献上にお伺いしたのであります。
献上したのはササニシキとひとめぼれの「ふゆみずたんぼ米」と新品種東北一九四号、
ふゆみずたんぼ米で醸造した地酒を持参いたしました。
又々光栄なことがありました。なんと殿下と妃殿下が直接接見いただき献上米の御礼と
被災地復興への励ましのお言葉を賜り、お見送りまで頂くご厚情を賜りました。
重ね重ねの光栄と感動、感激にあずかり宮家のご繁栄を念ずるとともに、
全国に発信できる自然共生型農業を一層推進することと、
震災復興に粉骨砕身精進することを決意しながら宮邸を後にしました。 
http://seiun.vtown.jp/column/index1.php

「認めてくれる人がいた。もう一度頑張ろう」カンボジアのコショウ復活、秋篠宮ご夫妻のお言葉転機に 
2014.6.8 12:50
かつて「世界で最もおいしい」と評価されていたカンボジアのコショウ。
しかし、長らく続いた内戦で生産量は激減、コショウ産業は壊滅状態に陥っていた。
「ならば自分の手でよみがえらせよう」。そう誓った日本人がいる。倉田浩伸(ひろのぶ)さん(44)が、
わずか1ヘクタールほどの畑で現地の協力者とコショウ栽培を始めたのは、1997(平成9)年のことだった。
それから17年。経営する首都プノンペンのコショウ専門店「クラタペッパー」は、
今やカンボジアコショウ販売のリーディングカンパニーとして、国内はもちろん、海外にも知られる。
古くから伝わる伝統農法で作られたコショウを高く評価する料理人は多い。
東京・南青山の仏料理店「レストラン タニ」のオーナーシェフ、谷利通(としみち)さん(40)は
「辛いだけではなく、甘みがあり、料理に使うと皿の上からフルーティーな香りがただよってくる」と
魅力を説明する。
■「おいしかったです」 
最初にカンボジアを訪れたのは92年。前年には湾岸戦争が勃発、「日本はカネだけ出して、人は出さない」
との批判が高まる中、「ならば自分が貢献を」と考え、内戦で地方に散った人々を地元に戻す
「帰還民収容プロジェクト」のボランティアに参加した。
結果、この地に魅了された。
大学卒業後も、カンボジア復興の手助けをしたいと思った。そんな中、かつてコショウがカンボジアの
特産品だったことを知った。「コショウを復活させ、輸出しよう」。
コショウの木が数本しか生えていない畑を自ら耕し、販売店も開店した。
しかし、実際にはまったく売れず経費ばかりがかさんだ。
店は一時たたまざるを得ず、手元に残るのはコショウ畑のみ。
失意の中、転機となったのは2001年、秋篠宮ご夫妻のカンボジアご訪問だったという。
ご夫妻を囲むパーティーに出席する機会を得て
「有名だったコショウが廃れてしまったが、復興させるつもりです」と訴えたところ、
在カンボジア日本大使館から思わぬ連絡が来た。
「秋篠宮さまご夫妻が、お土産としていただきたいとおっしゃっている」
さらに驚くことが起きた。後日、大使館を通じ、ご夫妻からメールを受け取った。
「おいしかったです。またいただきたいです」。そう記されていた。
「認めてくれる人がいた。それも、皇室の方に。ならば、もう一度頑張ってみよう」
輸出中心だった営業形態を見直し、カンボジアを訪れる外国人観光客への販売を強化したところ、
口コミで評判が広がり、ドイツを中心に欧州への輸出も軌道に乗った。
■地元の産業、定着
自ら耕してきた自社農園のコショウの木は、老化して勢いが衰え、生産量が落ちているという。
「でも、それでいい」。代わりにクラタペッパーの定める基準をクリアしたカンボジア人の契約農家が、
しっかりとした品質のコショウを生産してくれるからだ。
「これは、コショウが地元の産業として定着してきたということ」
自らの働きで世界に貢献できることを願った若き日本人。その夢が今、かなおうとしている。(豊吉広英)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/trd14060812500007-n1.htm

毎日書道会 会報
兼岡白葉さん
(「現代女流書100人展」で佳子さまのご案内役を務めた方)
(略)
最初の大字書の前では「このお筆はどのようなものですか?」
漢字二文字作品では「これはお筆でお書きになったのでしょうか?」
かな散らし書き作品では「お歌とご料紙がとてもあってますね。きれいですね」
青墨の近代詩文書では「こんな墨があるのですか?ご自分で言葉を選ぶのですか?」など
こうしたお尋ねに対して、筆・墨・紙・表装による書作品作りの文房具や技術面等の
基本的なお答えをさせていただきました。
佳子さまのご鑑賞時間は予め40分と限られておりましたが、ここまでですでに30分ほどたっておりました。
ここで佳子様から「作品の大きさは決められているのですか?」とお訊ねがありました。
私は、作品の大きさは決められているが、かな作品は表装の工夫によっての変化、
近代詩文書は読みやすさと、現在用いられている漢字・かな文字を混ぜ合わせた表現、
刻字作品では筆意と刀意と材質を合わせた技術表現などにより、
それぞれの作品の大きさは違っているようにも見えることなどをご説明いたしました。
篆刻作品では、書画の雅印としての重要性も付け加えさせていただきました。
(略)

ブラジル日本語センター
行事報告 – ふれあい日本の旅
京都の金閣寺にて 第5回ふれあい日本の旅の団員40名は、2014年6月30日にサンパウロを出発し、
カナダ経由で7月2日、日本に到着いたしました。日本を縦断するこの28日間の旅は、北海道から始まり、
名古屋、それから広島、鹿児島、熊本、大分へと参りました。
和歌山で2日間のホームステイをし、大阪、京都、奈良、静岡、そして東京に到着いたしました。
東京では、スカイツリー、東京大学、東京ディズニーランドなどの見学を終え、
秋篠宮様ご一家とご接見致す事ができました。
秋篠宮様ご一家との記念撮影 
b188_01.jpg
今回で5回目の宮様との御接見には秋篠宮様をはじめ、紀子様、佳子様、
そして悠仁様もご接見くださいました。
約一時間の御接見で、宮様ご一家は生徒全員とお話しくださいました。
2012年のふれあい日本の旅では、佳子様が3日間ご一緒くださいました。
宮様とのご接見は生徒たちにとって言葉では言い表せない、
貴重な、有意義な体験であり、一生の宝物となりました。
ブラジル日本語センター設立20周年の記念事業として始められたこのふれあい日本の旅には、
約200人の生徒が参加いたしております。
21世紀のブラジル日系社会を担う、優秀な人材育成を目指しているこのふれあい日本の旅は、
生徒たちを日本の文化や習慣にふれさせ、そのふれあいによって、
お互いの国の文化や習慣の違いなどを気づかせています。
参加した生徒たちが、日伯友好の絆をいっそう深めていくであろう事を願っております。
団長 志村マルガレッチ
http://www.cblj.org.br/ja/eventos/relatorio-5-intercambio-da-amizade-japao/


川嶋家の方々のニュース等