秋篠宮さまが語る悠仁さまの5年

2012年1月 文藝春秋新年特別号

秋篠宮さまが語る悠仁さまの5年

図鑑を読むのも、お風呂もいっしょ
宮さまが明かす育児の日々
江森敬冶(毎日新聞編集委員)

「ゆうゆう」と名付けたのは、父、秋篠宮さまだ。今では家族の間で「ゆうちゃん」と言われたり、
姉の眞子さまや佳子さまからは「ゆっぴー」と呼ばれ可愛がられている。
秋篠宮家の長男、悠仁さまはもう五歳。十一月三日、東京・元赤坂の赤坂東邸で「着袴の儀」と
「深曽木の儀」が無事行われた。
これらは五歳を迎える頃に健やかな成長を祝って行われる皇室儀式で、一般家庭の七五三にあたるものだ。
平安時代から伝わるもので、特に、「深曽木の儀」は主に男子皇族の儀式とされ、
秋篠宮さまが行って以来、四十一年ぶりとなった。
「深曽木の儀」では童形服姿の悠仁さまが、髪を少し切り取られた後、碁盤の上から飛び降りた。
なぜ碁盤かは諸説あり不明だが、秋篠宮ご一家らが儀式を見守った。

儀式を終えた悠仁さまは、報道陣から「おめでとうございます」と声をかけられると、
「ありがとうございます」と答えていた。
悠仁さまは平成十八(二〇〇六)年九月六日に秋篠宮ご夫妻の三番目の子供として生まれ、
現在はお茶の水女子大学附属幼稚園に通う。皇室に男子が生まれたのは、秋篠宮さま以来、四十一年ぶりのこと。
悠仁さまは皇太子さま、秋篠宮さまに次いで皇位継承順位三位。
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めた現行の皇室典範の下では、
皇太子ご夫妻の長女、愛子さまにはその資格がなく、このままいけば将来、悠仁さまが天皇となる。
皇太子さま、秋篠宮さまの次世代の継承者であるだけに悠仁さまの成長ぶりは国民の関心を集めている。
私は秋篠宮さまと二十年以上、交際を続けている。
悠仁さまが生まれてからの五年間も折に触れ、宮さまの「父」としての姿や言葉を見聞きしてきた。
悠仁さまの五歳に合わせ、その姿を伝えてみたいと思う。

生後三か月近くの悠仁さまについて、宮さまは「よく眠って、よく泣いて、よく笑って。よくお乳も飲んでいます」と語り、
悠仁さまのそばで「エル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)」などの曲を鼻歌交じりにギターで弾くことを明かした。
一歳を過ぎた頃には、「数歩ぐらい、一人で歩くようになりました。行動範囲も広がり、
目覚まし時計や玄関のチャイムなどに興味があるようです」と宮さまは話し、
紀子さまは、「小さな探検家のように関心を抱くものに手を伸ばして、確かめようと可愛い指で触ったり、
関心の対象に向かって勢いよく進んで行ったりする」と話していた。
悠仁さまが少しずつ言葉を発するようになったのは二歳のころだった。
「単語の数が増えてきたように感じます。まだセンテンスで話すということはないのですが
『ごちそうさま』が『ごちそうさまでした』というふうに少しずつ言葉が長くなってきました」と宮さまは語っていた。
三歳のころになると、三輪車に乗って外で遊んだり、宮邸の庭でカブトムシやカマキリを捕まえて遊ぶなど
かなり行動的になった。
また、食事や着替えなど身の回りのことも自分でできるまでに成長した。昨年春に東京都文京区にある
お茶の水女子大学付属幼稚園に入園した。宮さまや兄皇太子さまは学習院幼稚園に進まれただけに、
国民からは少なからず異例のことと受け止められた。

この選択はご夫妻が三年保育(学習院幼稚園は二年保育)を強く望まれたことのほかに、
「早い段階から子供たちの社会に入れたらよい」との気持ちからのようだ。
幼稚園では、庭で友達と虫探しをしたり砂場遊びをしている。
室内では木製の線路をつなげて電車ごっこをするなど元気な様子だ。
紀子さまは「幼稚園生活を始め、自分がしたこと、うれしかったこと、
驚いたことや不思議に思ったことなどを目を輝かせながら話してくれます」と話し、
宮さまは「幼稚園をエンジョイしているようなので、私もうれしく思っております」と喜んでいる。
今年、悠仁さまは幼稚園生活二年目。年中組となったが、昆虫や植物への興味が続いている。
夏場は昆虫採集と畑仕事に熱中したようだ。宮邸では飽きたりず、毎週末にはご両親と一緒に御所に出かけ、
両陛下に挨拶をした後、皇居の森で昆虫採集をした。悠仁さまと紀子さまが虫取りに出かけている間、
宮さまは天皇、皇后両陛下と歓談する。また、宮邸の庭の畑ではニンジンやブロッコリーを栽培。
悠仁さまは水撒きをするなど土にまみれながら野菜の世話をした。
現在、宮邸の庭にはテンジクネズミ科の体長七〇センチほどのマーラが二頭いる。池にはコイとアオウオがいる。
今年夏になる前に悠仁さまは、宮邸の居間でスズメガの幼虫(約一五センチの芋虫)を見つけ飼育。
やがてクロメンガタスズメの成虫に育った。生き物や動物が好きなところは宮さまと共通している。
それも二人とも、「大きいもの」を好むところがそっくりだ。悠仁さまは、昆虫は何でも好きなようだが、
図鑑を見ながら世界最大のガで羽を開くと十三、四センチ以上にもなるヨナグニサンにも心ときめかせている。
恐竜にも興味を持つ悠仁さま。一部の骨しか出土していないが、史上最大といわれる草食恐竜の
アルゼンチンノサウルスが好きだ。
世界の生き物が紹介されるNHKテレビの「ダーウィンが来た!」を一緒によく見る。
また、本を見ながら大きさ比べをする。宮さまと一緒に犬や恐竜同士で大きさを比較して、
「こっが大きい」「こっちが大きいよ」と話しあっている。
図鑑などで新しい知識を吸収している悠仁さまは本物に触れてみたいらしく、
最近は動物や植物でも「○○が見たい」というのが口癖だ。
「昆虫でも木でも興味があるものの多くは日本にはないものですから、外国に行かないと見られませんね。
タイ、ラオス・・・。マダガスカルも面白いですね」と、
宮さまは早くも悠仁さまと一緒に外国へ調査に出かける日々を思い描いている。
そんな2人は今、超大型犬を自宅で飼いたいと考えている。
紀子さまは「小さいのも可愛いじゃない」と水を向けるが悠仁さまは頑としてきかないらしい。
ただし、「成犬前でもシェパードほどになり、散歩中に綱を引っ張られて危険なため、
自宅で飼育するにしても悠仁がもう少し大きくならないと難しいですね」と宮さまは考えている。
生き物が好きな二人は、男同士と言うこともありとても仲良しだ。一緒にお風呂に入り話をしたり、
宮さまが両手で水鉄砲を作って、それで悠仁さまにお湯をかけたりして遊ぶ。
右手の三本指を左手の手のひらで包み込み、指と手のひらの間にお湯を入れて勢いよく飛ばすという仕組みだ。
「成長するにつれ、行動の幅が広がっているように思いますね」と、宮さまは目を細める。
たとえば宮さまは木登りが苦手だが、悠仁さまは高い木の上も大丈夫。
下から宮さまはハラハラしながら見守り「早く降りてこい」といつも心の中で心配している。
勉強の方はというと、悠仁さまはひらがなは読めるようになった。漢字はまだ難しいが、画数の多い漢字が好きだ。
文字というよりも絵の感覚で親しんでいる。

■震災を受けて
東日本大震災後の秋篠宮ご一家の支援活動は、幼い悠仁さまに少なからず影響を与えているのではなかろうか。
3月11日、ご夫妻は宮邸の応接室で来客と面談していた。はじめはカタカタという小さい揺れがあり、
そのうちに大きな揺れを長く感じた。
宮さまと訪問客は外に避難。紀子さまは私邸にいる眞子さまと悠仁さまのところへ飛んで行った。
私邸にいた眞子さまと悠仁さまは、揺れが収まってから紀子さまと庭に出て様子を見た。
都内にいた佳子さまは午後四時ごろに帰宅した。当時、宮邸には宮さまのご家族と十数人の職員がいたが
けが人はなかった。揺れが収まった後、宮さまは電話で両陛下に御見舞いを述べた。
宮邸を調べると庭の石灯篭が倒れ、池の水もだいぶ外にこぼれ出ていた。
また、宮さまの本棚からは本や資料が崩れ落ちていた。夜中にも余震が続いた。
電車が止まるなどしたため帰宅できず宮邸に泊まる職員もいた。
3月18日、ご夫妻は、いずれも紀子さまが総裁を務める「結核予防会」と「恩賜財団母子愛育会」の幹部から
被災地の状況や被災地支援について説明を受けた。3月末にはご夫妻と眞子さま佳子さまの四人は、
外務省国際法局長などから諸外国の震災支援の様子などを説明された。

4月7日にご夫妻は東京都江東区の避難所を訪問したのを皮切りに、新潟県や群馬県の避難所を訪れた。
5月10日、青森県内の被災地を訪問。引き続き、7月初めにかけて岩手県大槻町や山田町、
福島県いわき市、宮城県気仙沼市などの被災地を回った。
ご夫妻らが大震災の関連で出掛けた回数は今年10月初めまでに三十回近くにのぼる。
太平洋岸にある岩手県大槻町は、アワビやウニなどの海の幸や豊かな自然に恵まれている。
また、貴重な淡水魚「イトヨ」の生息地としても知られている。
宮さまは、シンポジウムに出席するため同町を訪れたことがある。
また、ご家族も同町を訪問したことがあるなど縁は深い。
大震災で大きな被害を受けたが、今年5月末、同町を訪れたとき、以前、宿泊したことのある
海沿いの五階建てのホテルが三階まで津波にのまれていたのを目撃し、驚いたという。
やはりテレビで見るのと現地で被災状況を目の当たりにするのとでは大きく違います。
被災地へ来て見ると被害の大きさや深刻さが実によくわかった」と話す。
被災者に声をかける際には、津波の恐怖を思い出させてはいけない。
宮さまは、どの程度、たずねて良いものか気を配りながら住民たちから話を聞いた。
「励ますという、上から目線ではいけないのではないか。支援活動のお手伝いをしたい。
何らかの形で関わらせていただきたいとの気持ちでこれからも携わっていきたい」と宮さまは語る。
震災後、宮さまは子供たちに被災地で支援活動をしなさいと強制はしなかった。
ただ、「何らかの形で支援活動にかかわれるといいね」と、話していたという。
こうした気持ちをくみ取ったのか、この夏、眞子さまと佳子さまは、一人のボランティア学生として被災地入りし、
子供たちと一緒に遊んだ。眞子さまは、岩手県山田町と大槻町、それに宮城県石巻市を訪れ、
夏休みの出前講座のお手伝いをした。皇族としての立場でなく一人の学生として参加し、名前も伏せたままだった。
地元の人からは「どっかで見た顔だね。あんた、こっちの出身かい?」と聞かれたこともあったという。
幼い子供に目を細める宮さまだが、一方で「父」としての大変に厳しい一面も持っているという。
今年、二十歳を迎え青年皇族となった長女・眞子さまは、10月23日の誕生日を前にした記者会見で、
「父」についてこう述べた。「かつてはよく怒る父親でございましたけれども、最近はすっかり丸くなっております」
「昔は全般的によく怒る、本当にもうそれしか言いようがないのですけれども、厳しいこともありました。

厳しくしつけてくれたことに感謝しておりますけれども、導火線が少々短いところがあったと申しますか・・・」
かつて、宮さまは子育てやしつけに厳しかった。
しかし、最近は「丸くなった」のか姉の眞子さま佳子さまに比べると、悠仁さまを叱ることが少ない。
悠仁さまが悪さをしても怒らないものだから、姉2人は悠仁さまを指して「叱れ、叱れ」と宮さまを促すこともある。
私も似たような光景を見たことがある。
宮さまとお会いしているときに、紀子さまが悠仁さまを連れて部屋に入ってこられた。
悠仁さまは元気一杯だった。見知らぬ人がいるものだから、余計に照れくさいのかうれしいのか、
椅子やテーブルのわきをすり抜け部屋の中を駆け回り、少しもじっとしていない。
宮さまは走り回る悠仁さまを目で追うだけだ。その目元はゆるみ、楽しんでいるようにも見えた。
ついには紀子さまが抱きとめられ悠仁さまを、「よおく、考えてみましょうね」と諭したが、
また、その手をすり抜けて悠仁さまは走り出したのだった。

■帝王教育
とはいえ、将来の天皇である悠仁さまに、秋篠宮さまはどのような教育方針を持っているのか。
国民の大きな関心事だろう。悠仁さまが生まれて二年後の記者会見では、
さっそく秋篠宮さまに対し、いわゆる「帝王教育」についての質問があった。
「一部では『帝王学』などという言葉も聞かれるようになりましたが、今後の教育方針については、
どのようにお考えですか」との質問に宮さまは、「幼稚園に行って、それから小学校、
だんだん上の学校に行くわけですが、そのような中できちんとした社会生活を出来るようになってくれればと思います。
またそれと同時に皇族としての自分の立場も追々自覚し、
これは前に娘たちのことでお話ししたこともあったかもしれませんけれども(略)
これも上の2人の娘と同じことになりますけれども、
自分が関心のあることなどを深めていってくれれば良いなと私は思っております」と答えている。
では、宮さま自身はどんな教育を受けてきたのだろうか。両陛下は子育てやしつけに厳しかった。
陛下は算数や漢字の読み書きをはじめ、東宮御所のプールや浜名湖で泳ぎ方まで宮さまに徹底して教え込んだ。
小さいころから動物にも親しんだ。
「鶏も兄が先に飼い始めました。父は兄妹分け隔てなく同じように接したと思います」と、宮さまは話す。

宮さまは小さいころから、家族で毎週一回夜に皇居内の吹上御所を訪れ、昭和天皇と香淳皇后と会食していた。
この集まりは昭和天皇の晩年まで続いた。午後六時ごろから、一時間半ほど昭和天皇、香淳皇后と食事をし歓談した。
食事の際、宮さまの席は昭和天皇の一番近くよく学校の話などをした。昭和天皇は早口だった。
やさしく、宮さまは怒られたことは一度もなかった。
ある時昭和天皇が「ヒオウギアヤメ」と、その変種で那須に分布する「ナスヒオウギアヤメ」の関係を知りたい、
と宮さまに訪ねたことがあるという。「ナスヒオウギアヤメの由来や起源を知りたい。
あやちゃん(宮さまの称号は礼宮=あやのみや。家族の中では「あやちゃん」と呼ばれていた)何かないかい」と
会食の席で宮さまは、そう聞かれたという。それで、宮さまが知り合いの研究者に相談し研究を進め、
病気が悪化するまで昭和天皇に報告を続けた。また、宮さまの英国留学中は、
天皇陛下(当時の皇太子さま)が報告していた。宮さまは平成二(一九九〇)年六月に結婚したが、
こうした晩年の昭和天皇との強い思い出もあり、陛下と相談し、
紀子さまが自分の持ち物につける「お印」を「ヒオウギアヤメ」にしたのであった。
祖父母と秋篠宮家の孫たちとの交流は今も活発だ。眞子さま、佳子さま、悠仁さまの三人は、
御所を訪れ両陛下に会うことを楽しみにしている。両陛下は絵本やおもちゃを用意し、一緒に遊ぶ。
「運動会や文化祭など学校行事について話したり、戦争など両陛下が体験されたことも話題になります。
まさに『世代を超えて交流する場』であり、
子供たちにとっては『安心できる場所』『ほっとするような場所』になっています」と宮さまは語る。

■象徴とは
宮さまの悠仁さまへの教育方針は、生まれてから四十六年に及ぶ皇族としての体験から導き出されたものだ。
悠仁さまを甘やかして育てようとは毛頭考えていないはずだ。
私が、悠仁さまの教育方針について改めてお聞きしたところ、
「私は皇族としてというよりも。まずは一人の人間としてどう育つかを大切にしたい。
何よりも人として立派に成長することを願っています。
同時に自分の立場を自覚し、自分の個性というものを伸ばしていってほしい。
人としての常識を持ち、正直であり、誠実である。人への思いやりや感謝の心を忘れないようにしてもらいたい」
と宮さまは述べた。自分の関心事を深める、あるいは個性を伸ばしてほしいとも願っている。
一昨年の会見で、宮さまはご結婚五十年を迎えた両陛下について、
「その時代、その時その時の今を生きている人々にとって、
皇室というものがどういう存在であるのかということをずっと考えてこられたのではないかなと思います」と話し、
ご即位二十年を迎えた陛下に対して、
「象徴とはどういうふうにあるのが望ましいかということを
ずっと考えてこられた二十年だったのではないかと思います」と答えたことがある。
そして先日、宮さまは私に、
「両親と一緒に暮らすことで、親の姿を見て自然に自分の立ち位置を学ぶことができ、
とてもよかったと思います」と、しみじみと振り返った。
きっと悠仁さまもご両親の仕事に打ち込む姿などから、自然に多くを学ぶに違いない。
公私にわたり両陛下と親しくし、ご家族と一緒に暮らすことが、
何よりも悠仁さまにとっての大切な皇族教育なのかもしれない。
宮さまは、近年、不況で国民の生活が苦しいことに加えて、東日本大震災で家族を亡くしたり、
自宅などを流されるなど被害にあい多くの人たちが辛い思いをしていることに深く心を痛めている。
悠仁さまのお祝いである「着袴の儀」なども当初は、今年四月に予定されていたのだが
結局、11月に延期した。また、子供が増え、宮内庁から再三、宮邸増築の申し出があるが
「自分たちのことでお金をかけたくない。今は、その時期ではない」と、宮さまは断っている。
二十歳の誕生日会見で眞子さまは「(震災復興に)今後何らかの形で携わっていきたい」と答えたが、
無事に五歳を迎えた悠仁さまに宮さまは今、こんな気持ちを抱いている。
「この未曽有の大震災について繰り返し繰り返し、悠仁に語り続けたい」

文藝春秋2013年5月 秋篠宮様、紀子様の教育方針

伊勢神宮も沖縄もご訪問 悠仁天皇へ、秋篠宮家の布石