『波紋を呼んだ』という質問の表現は削除

皇太子殿下お誕生日に際し(平成24年)
全文
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h24az.html



西尾幹二氏のブログ
皇太子殿下の誕生日記者会見
2012/2/27 月曜日
http://www.nishiokanji.jp/blog/ より一部抜粋
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誕生日会見については、事前にこんなことがあったらしい。
「質問は5問。会見は約20分で、記者会の質問に対し、殿下はペーパーを見ながら、
入念に選ばれたお言葉を読み上げられます。今回、事前に用意していた質問項目に、
微に入り細に入り宮内庁側が注文を付けてきたのです」
「今回は『ここを変えて欲しい』とか、“てにをは”に至るまで些事にこだわってきて、
修正を要請されたのです。特に、もっとも国民が聞きたいであろう、ある質問について、
報道室職員が『それはちょっと』と返してきた。もちろん職員が勝手に判断するわけはなく、
殿下にご相談しているはずです」(東宮関係者)

それは、雅子さまの行動が“波紋”を呼んだという部分だった。
「問題視されたのは、『雅子さまの行動が、週刊誌で報じられ、波紋を呼んでいます』といった部分だったそうです。
宮内庁は『波紋を呼んだ』という表現をやめてほしい、と突き返した。
記者会側は、ずばり愛子さまの校外学習に雅子さまが付き添われたことについて、
殿下はどうお考えになっているか、殿下はなぜそれをお許しになったのかをお聞きしたかったのです」
(皇室担当記者)(『週刊文春』3月1日号)

私はこういう不自然なお言葉が今後もくりかえし展開される将来の可能性に不安を覚える。
殿下が「じつは私も悩んでいるんです」と正直に胸のうちを語る日が来ないと、国民の心はますます離れていく。
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週刊朝日2012年3月9日号
会見で公務観を問われた皇太子さまは、
「天皇陛下をお助けし、改めて更なる研鑽を積まなければならないとの思いを強くいたしました」と答えた。
「研鑽を積む」という言葉は50歳の誕生日から3年連続での登場だが、50代の人たちに求められる
「社会を支え、若い人たちを引っ張る」という役割を考えると、引っかかりを感じる人もいるのではないか。
ある宮内庁幹部は、いまの天皇陛下が皇太子だったころの言葉と今回の会見を見比べてこう嘆く。
「陛下は皇太子だったころも率直に思いを語り、印象に残る言葉を多く残されました。
いまの皇太子さまの会見やお言葉からは、ご自身の中からわき出るような思いが感じられません」
いまの皇太子さまの心の多くを占めるのは、やはり雅子さまと愛子さまのことのようだ。
誕生日会見で13回登場した「雅子」という言葉の大半は、病状の説明など触れざるを得ない流れの中で出てくる。
一方で、東日本大震災に触れたくだりで、被災した東北3県を「雅子と共に訪れ」たと強調し、
「雅子と共に、これからも常に被災された方々と被災地に思いを寄せ、その復興を見守っていきたい」
と締めくくるなど、意識的に雅子さまの存在を強調したように見える部分も散見された。
官僚や企業のトップが被災地について話す時「妻が、妻が」と繰り返すだろうか
「雅子さまをほめる内容が多いのは、雅子様が今回の会見録を読むのを意識してのことでしょう」神田秀一
幸い、天皇陛下の心臓手術は成功したが、皇太子さまが天皇に即位する日はいずれやって来る。
家庭と公務の間で揺れ惑う皇太子さまの覚悟が定まる日はいつか。
2月18日に行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術。
美智子さまの支えもあって、天皇陛下の術後の経過は順調だ。
だがこの間、宮内庁関係者の心を曇らせる出来事もあった。
秋篠宮ご夫妻は天皇陛下の体調を心配し、手術の前から病状について関係者に細かに尋ねてきたのに、
皇太子ご夫妻からは、医師団にそうした問い合わせはなかったのだ。皇太子さまは手術翌日の19日、
秋篠宮さまと2人で天皇陛下を見舞った。医師団はこのときになって初めて、詳しく病状を説明した。
ある宮内庁関係者はこう指摘する。
「1987年に昭和天皇が十二指腸と小腸の上部を縫い合わせるバイパス手術を受けられた際には、
皇太子だったいまの陛下は逐一、医師団に病状を尋ねて気にかけておられた。父を心配する気持ちと、
陛下に何かあれば代わりを務めなければならないとうい責任感からの行動だったと思います」
天皇陛下が今回受けた心臓手術の成功率は、非常に高い。とはいえ、
11日の検査時には心臓外科医が院内に待機するなど、医師団は緊張した時間を過ごしていた。
このため、この宮内庁関係者は、
「いまの皇太子さまには、少し危機意識が欠けているのではないでしょうか」と首をひねるのだ。