宮内庁楽師という運命

文藝春秋2009年2月号
宮内庁楽師という運命
岩波滋(いわなみしげる・雅楽演奏家)

お正月には雅楽に触れる機会があったかと思います。千数百年におよぶ雅楽の伝統を受け継ぐのが、
宮内庁の楽師たちです。正式には宮内庁式部職楽部楽師、専門職に携わる技官としての公務員です。
宮内庁祭祀を始め、皇室の諸行事には常に何らかの音楽が必要です。
それらのご奉仕をするのが、楽師の仕事です。
戦後、雅楽そのものの伝承、保存、演奏会が重要とされ、
昭和30年に「宮内庁楽師たちにより奏舞演奏される雅楽」が、
国の重要無形文化財として認定されました。
楽師は現在、23名。戦前は50人近くいましたが、戦後、宮内省が宮内庁に改組されるのに伴い、
定員26名に縮小されました。これだけの人数で、実にさまざまな役割を果たします。
同じ人間が舞を舞い、管を吹き、絃を弾き、歌を歌います。
海外から国賓をお招きしての宮中晩餐会が催されれば、
燕尾服を着て、オーケストラでクラシック音楽を演奏します。
楽師はもともと世襲が基本で、代々雅楽を伝えてきた今日との多・豊・安倍、奈良の上・芝・辻、
大阪・四天王寺の東儀・薗・林など「楽家」の出身者が多いのです。
幼い頃から家庭内に雅楽に親しむ環境がありますし、篳篥や笙の稽古も六歳ごろから始めます。
しかし現在では、楽家の青年がみな楽師への道を進むわけではなく、後継者の悩みが尽きません。
実は民間人の私はトロンボーン奏者になりたくて、音楽学校に進むような感覚で、
中学二年の時に楽師の見習いである予科楽生の試験を受けたのです。
後で雅楽を演奏するところだと知って驚いたことを思い出します。
楽生になると、管・歌・舞・絃・鼓とオーケストラ用の楽器をどれか一つ、それからピアノと
ソルフェージュを先生から習います。雅楽の授業は一対一の口伝です。洋楽はすべての楽器が
五線譜に統一されていますが、雅楽は楽器によって譜面の記載法が違いますし、
微妙な音程や拍子は譜面には書かれていません。ひとつひとつ、先生と向き合って口伝えで暗譜していきます。
七年後に卒業試験を受けて合格すると、晴れて楽師になるのです。
楽師たちは楽生を教える授業を受け持つ他に、事務方の役割も果たします。一年間の宮中祭儀や春秋の園遊会、
演奏会で演奏する楽曲を選んだり舞人や管方の配役を決めたり、楽器の調整や装束の管理まで手分けして行います。
その合間に、自分の練習、「申し合わせ」と呼ぶ合同練習をするわけですから、大忙しです。
お正月も休んではいられません。元日は歳旦祭のため、明け方四時に集合します。
しんしんと冷え込む空気のなか、改まった気分でのご奉仕は身も心もひきしまるものです。
二日祭、三日祭とつづき、七日の昭和天皇祭までが終わらないと、楽師にはお休みは来ないのです。
何かにつけて個性が重視される世の中ですが、楽師はスター奏者を養成するところではありません。
管弦も舞楽も、一人ではできません。現在のように数少ない人員で重要な伝統文化を維持し伝承していくには、
楽師全員の一致協力が不可欠です。それには向上心と、選ばれた者としての誇りと使命感がとても大切です。
ただ、楽師として思い出深い出来事を一つだけ挙げさせていただくなら、やはり今上天皇の大嘗祭のご奉仕です。
大嘗宮(だいじょうぐう)で儀式が行われている間中、楽師はかがり火の前で歌い続けます。
非常に精神性を重視する儀式ですから、こちらにも雑念が混じる余地もなく、
ひたすら長時間、歌っておりましたが、
儀式が終わって天皇となられたばかりの方を見た瞬間、光にうたれたような気持ちになりました。
あきらかに、大嘗宮へお入りになる前とは違う威厳が備わったことを感じたのです。
この日のために自分は楽師になったのだ、と運命の巡り合わせを感じました。
幸いなことに息子が楽師になりたいと言い出してくれました。希望がかない楽師となっ
て親子で共に舞台に立てた時の喜びはわすれることはありません。二年前に退官した今も、
親子二代でご奉仕できたことの幸せをかみしめております。