宮内庁御用達

諸君2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
「宮内庁御用達」今昔ものがたり 老舗ジャーナリスト鮫島敦
古くは、「禁裏御用」、明治以後は「宮内省御用達」として、宮中に出入りする業者のみが特別に
名乗ることを許されてきた。
戦後も、「宮内庁御用達」と名前を変えて存続したが、商業活動の民主化や機会の均等という
戦後民主主義的価値観の下、昭和29(1954)年、制度としては廃止されることになった。
とはいえ、宮内庁に商品を納入する業者=「宮内庁御用達」は当然ながら事実上今も存在し、
その数約240社を数えるという。だが、リストを宮内庁が公開するわけもなく、その全貌は
秘密のベールに包まれたままである。
(略)
天皇家に親王、内親王がご生誕されると、天皇皇后両陛下は御祝いの品々を用意される。
なかでも定番となっているのが、銀製のベビーカップ、ベビースプーン、ベビーフォークのセットだ。
秋篠宮眞子様と佳子様、そして敬宮愛子様は、それぞれご自分のイニシャルが彫刻されたセットを
ご誕生日にプレゼントされている。平成18(2006)年9月にご生誕された秋篠宮悠仁様にも
やはり同様のものが贈られたという。
この銀製カトラリーセットの注文を引き受けているのが、銀座は並木通りに店舗を構えている
銀製品専門店「宮本商行」である。明治13(1880)年に横浜の地で創業し、日本人の食卓に
洋食器を広めた草分け的存在の店である。
創業当初から外交官などに人気を得ていた宮本商行は、次第に財界人や政治家に知られるところとなり、
やがて宮内省へ納めるようになったという。
皇室からの信頼は厚く、宮内庁より御祝い品のアイディアを求められることも多い。
「悠仁様ご誕生の際は、先に述べた銀食器のセットに添えて、紀子様のために銀のペンダントを
お付けしました。赤ちゃん用の小さな靴をモチーフにしたデザインはこちらの発案で、ご提案すると
すぐに許可をいただいたと聞いています」(長く宮内庁との窓口を担当する小野敬子さん)
(略)

民間から天皇家へお輿入れになるときには、故・高松宮妃殿下から「履物は小松屋で揃えなさい」という
お達しが出されたという。
小松屋は東京・赤坂の地で大正13(1924)に創業した履物舗である。現在は、銀座にも店を構えている。
宮内庁とのご縁は、日本舞踊、吾妻流の家元、吾妻徳穂氏との交流のあった高松宮妃殿下の
御用を拝命したことに始まる。妃殿下のご紹介により、お輿入れを控えた美智子様に
小松屋の草履が渡ったのが昭和33(1958)年の頃。それ以来、“御用履物舗”の暖簾をかかげる。
「初代の小松長作が五反田のご実家に美智子様を訪ねて、草履のデザインを何種もお持ちしたときのこと。
『足を触らせてください』と申し出ましたら、お母様の正田富美子氏に叱られてしまったと聞いております(笑)。
そこで長作が、私ともの草履は履いて痛くならないように足の寸法を測り、鼻緒のすげ方を工夫している
旨を説明すると、『失礼致しました。それでしたらどうぞ』とお許しをいただくことができたということです」
(店長の神原栄司氏)
(略)
各宮家をご婚約の挨拶回りに行かれた美智子様は、一日中草履を履いていても、足が疲れなかったので、
「草履は小松屋さんで」とおっしゃっていたという。
「お買い上げいただく場合は、まず女官長に色見本を預けて御検討いただきます。色柄はおよそ150種。
たぶんこれだけあるのは日本でうちだけだと思いますよ。
ちなみに今上天皇には、下駄がお好きとのことで駒下駄や雪駄をお納めしています。御静養の場である
御用邸などで、洋服に下駄を合わせてお使いになっているようですよ」(同前)
皇室のなかでもお付き合いの深いのは、やはり和装される機会の多い美智子様ということだが、
雅子様も紀子様も、お輿入れ前には美智子様と同様、小松屋で草履を作られた。美智子様は、正倉院御物の
手鏡に描かれた花のような紋様をあしらった「白金古代(しろきんこだい)柄」、雅子様は華やかな「花影」、
紀子様は「紬」の柄を選ばれたという。
(略)
昭和40(1965)年、今上天皇皇后両陛下が皇太子ご夫妻だった頃、東南アジア旅行に出発される際に、
美智子様がもともとお持ちになっていた日傘の“手元”をお作りした「前原光榮商店」の洋傘は、
和傘のような趣のある独特のデザインで知られる。“手元”の後、昭和天皇の傘をお作りし、最近では
天皇皇后両陛下、雅子様、秋篠宮ご夫妻、紀宮様(当時)へ傘をお納めしている。

東京・渋谷区の高級住宅街である松濤の一角に、「シェ松尾」というフレンチレストランがある。
蔦の絡まるその洋館は、大正末期に外交官が建てたもので、昭和55(1980)年10月、開業した。
天皇家、皇族の方々が通われるレストランとして有名な「シェ松尾」だが、そのきっかけは開店当時、
近所にある松濤幼稚園の園長先生と同伴された三笠宮寛仁様がつくられた。三笠宮様はシェ松尾の料理を愛し、
怪我でご入院された際にも、「シェ松尾の料理が食べたい」とおっしゃったという。
三笠宮様に続いて、平成14(2002)年に薨去された高円宮憲仁様も通われるようになる。そして、
開業から六年後には、立太子前の浩宮様がお忍びでご来訪、さらにその七年後、皇太子妃になられる直前の
雅子様が料理を召し上がった。
浩宮様の初めてのご来訪は昭和61年10月。ご学友とのプライベートな食事であった。
「今回のお食事は、ご学友の方々それぞれがポケットマネーでお支払いになります。殿下の場合、
一万円以上を支払った前例がありませんので、今回も一万円の範囲でお願いします」という電話が
宮内庁から事前に入ったという。
「当時、通常のコース料理は一万円以上はいたしました。ただ、これより高くても安くても、
本来のコースと違うお料理をお出しするのは、浩宮様にも他のお客様にも失礼と考え、料理長として
厨房にいたオーナーの松尾は他のお客様と同様、“その日のベスト料理”を、料金だけ特別に一万円で
お出しした、と話しております」(社長の梅澤博さん)
浩宮様は食前酒にティオ・ペペのドライシェリーと、タンカレーを用いたジントニックを召し上がった後、
ボリュームたっぷりのコース料理を残さずお召し上がりになった。お食事中のワインに加えて、
食後酒も楽しまれたが、乱れることはまったくなかったという。
それから七年後の平成5(1993)年、皇太子殿下とのご結婚の儀を五日後に控えた6月4日、雅子様と
そのご家族―両親と母方の祖父母と二人の妹―は、雅子様を囲む最後の家族水入らずのひとときを過ごした。
乾杯用のシャンパンは、「クリュッグ・コレクションのヴィンテージ1961年」。シェフからのささやかな
お祝いの品だった。ヨーロッパの王侯貴族の結婚式には欠かせない逸品で、そのなかでも61年は、この
クリュッグ・コレクションの中で最も優れていると言われるヴィンテージの中のヴィンテージだった。
日頃、ほとんどお酒を召さない雅子様がその日は、クリュッグをグラス一杯お飲みになったという。
その雅子様が、長期のご静養に入られて5年目になるが、その「治療の一環」として、レストランへの
お忍びが増えているという。『週刊文春』の記事によると、銀座のフレンチ「ル・シズィエム・サンス」と、
ミシュランで三つ星を獲った「ロオジエ」、日本橋のフレンチ「シグネチャー」、赤坂の中華「溜池山王聘珍樓」、
麻布十番の中華「富麗華」、そして六本木のモダンメキシカン「ラ・コリナ」などである。
「ロオジエ」へはご夫妻が飼われている愛犬の“かかりつけ医”の家族と、「ル・シズィエム・サンス」へは、
皇太子様、愛子様、小和田夫妻や妹家族らと、その他は、田園調布雙葉学園同窓生や学習院幼稚園保護者仲間などと
ご一緒されてのお忍びのようだ。
唯一、取材許可が下りた「ラ・コリナ」で雅子様ご来訪の様子を聞いた。
東京ミッドタウン内にある「ラ・コリナ」は、有名建築家による内装で、使用している建材やテーブル、
椅子なども、すべてメキシコから調達したもので統一されている。
ご来訪は、平成19年8月12日。外務省北米二課時代の元同僚たち男女五名とご一緒だったという。
店長のマルシオ・A・フェヘイラ氏は語る。
「ご来訪の一ヵ月ほど前から、宮内庁関係者が何度も来店し、非常時のための動線や窓からの景色などを
入念に確認し、写真撮影などを繰り返していました。
当日は、奥の個室にご案内しました。宮内庁の方数名が個室近くの席で待機した他、十数名ものSPが、
店の内外を厳重に警護していました。滞在時間は五時間を超えていたかと思いますが、当日同行した
宮内庁の方によると、雅子様がひとつのレストランにこんなに長く滞在されたのは初めてだったそうです。
料理は、メキシコ随一の女性シェフ、マルガリータ・サリナス氏による全十三品目の特別コースをご用意しました。
帰り際、雅子様は大変ご満足された様子で、シェフに『とてもよろしかったです』と声をかけられ、
一列に並んだ10名ほどのスタッフ全員に丁寧に目を合わせて会釈されました」
雅子様のお忍びレストランは、いわゆる皇室ゆかりのお店はひとつもなく、昨今流行りのお店が多いようだ。
(略)
東京・銀座に居を構える七宝焼の老舗「安藤七宝店」では、美智子様が皇太子妃殿下であった頃から
プレゼント・土産用として小物入れのご所望を受けることが多い。淡いグリーン味を帯びた白色の地に、
美智子様のお印である白樺の葉が上品に描かれたデザインである。
同店で宮内庁担当を務める北村信二氏は、皇后陛下のご観察の眼の細やかさを深く印象に残している。
「あるとい、“いつもの小物入れよりもひと回り大きなサイズのものを”とのご要望をいただきました。
試験的にお作りしたデザインをお持ちしてから、なかなかお返事をいただけないので不思議に思い、
お伺いしたところ、皇后陛下が赤坂御所で白樺が芽生えるところを実際に見られて、どうも実際の白樺と
デザインが違うようなので、“葉っぱを差し上げますからそれに沿ってもう一度描いて欲しい”という
ご依頼をいただいたことがあります。さっそく、その生き生きとした白樺の葉を移しこむようなデザインを
施してお持ちしました」
(略)
宮内庁御用達といっても、何も東京の店に限らない。全国各地に点在する、皇室から認められた名産品の
数々も忘れてはならない。
たとえば、滋賀県海津にある「魚治」の鮒寿しなどは、その珍味を昭和天皇、そして今上天皇が大変好まれ、
滋賀に行幸された際にはいつもお召し上がりになったという。常陸宮様もお気に召され、お土産に東京まで
持って帰られることもあった。最近では、皇太子殿下の行啓の折りにお納めたといわれている。
(略)