2012年5月-8月雑誌記事

電話一本で就職決定の三笠宮彬子さま「激安給料で市バス通勤」
女性自身 5月2日(水)7時32分配信
『女性宮家創設』論議にあたり、未婚の女性皇族8人がいま、クローズアップされている。
歴代天皇の子供と孫を”内親王”、それより遠い関係の方を”女王”と呼ぶ。
宮家当主の範囲を内親王までにするのか、それとも女王までにするのかは、現在も検討中だ。
”女王”の称号を持つ三笠宮寛仁親王の長女・彬子さま(30)は、今年4月から立命館大学の
特別招聘准教授に就任されると同時に、慈照寺(銀閣寺)研修道場の美術研究員として働き始められた。
お仕事は室町時代中期の文化『東山文化』の研究と研修道場の講師。実はこの仕事、彬子さまが
ご自身で”就職活動”されて決まったものだというのだ。
天皇陛下のご学友で三笠宮寛仁さまや信子さまとも長年の交流がある、
臨済宗相国寺派管長で金閣寺や銀閣寺などの住職も務める有馬頼底さんはこう語る。
「彬子さまから私のところにお電話があり、『銀閣寺研修道場で働きたいのですが……』と。
私は『特別の給料は出せへんで』と申し上げたのですが、『それで結構です』とおっしゃっていただきました」
その生活ぶりは至って質素なものだという彬子さま。銀閣寺には、なんと市バスで通勤されているそうだ。
「信子さまは、お嬢さん方に”贅沢をさせない”と言う教育方針で、
『タクシーには絶対乗ってはいけません』と常々おっしゃっていました。
また、銀閣寺のスタッフからは『彬子さんのほうから溶け込んでくださるので、
(職場は)とてもいい雰囲気です』と聞いていますよ」(有馬さん)
ちなみに、京都の大学関係者によれば「美術研究員で、勤務1年目ということであれば、
給与は20万円台の前半ぐらいではないでしょうか」とのこと。
オックスフォード大学の博士号をお持ちの彬子さまの経歴からすれば、”激安”な給料といえるのではないだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120502-00000303-jisin-peo

女性自身2012年5月29日号
美智子さまの長年の知人は語る。
「私は親族の介護を日記風に、フェイスブックに書き込んでいたのですが、
それを美智子さまがご覧になっていると伺って、大変恐縮しました。
美智子さまからは、”とても面白うございました”というご感想もいただきました」
美智子さまは、自らパソコンを駆使され、この知人以外のファイスブックやブログに掲載されている
介護体験談もお読みになっているという。
松崎敏弥さん
「昨年、天皇陛下が東大病院入院中に、皇太子さまが代読される式典のお言葉を、
パソコンで作成されていたことが報じられ、話題になりました。
美智子さまも、頻繁にお子さま方にメールを送られているとは伺っていましたが、
私が想像していた以上に、パソコンを愛用されているようです。」

サイゾー2012年6月号
8年間も"適応障害"というのはあり得ない!?
朝日の報道が招いた雅子妃の"本当"のご病状
治療開始までの4年間の空白が雅子妃の回復を遅らせたという指摘もある。
周囲の勧めで学生時代の友人と交流し、テニスを再開したいと希望するなど良い傾向が見られる一方で、
お忍びで愛子さまを連れて行きたいがどこにもマスコミがいるから無理とこぼしたようだ。(松崎敏弥氏)
■報道
(昨年の雅子妃誕生日に出された東宮職医師団の見解で)
「この一件を機に、それまでは雅子妃に対しての疑問に留まっていた各誌が正面からの批判に。
<女性誌系>ですら"かばいきれない"という状況に」(佐藤あさこ氏)
皇族を取り巻く人々を批判することでお茶を濁していても、本質的には皇太子バッシングと読める記事も多い。
この状況が続くと皇太子に正面からの批判が展開されるかも。(同氏)
■現役精神科医が報道を元に徹底分析
性格的な適正の問題もないとはいえないようだ。
「24時間電話相談」は、かえって悪影響の可能性
認知療法は軽症のうつ病患者に対してであり、そもそも重症患者にはもちいることができない。(岩波氏)
皇籍離脱が最善策か。次善策は生のお言葉?
精神科医の立場で言えば皇籍離脱がベスト。皇太子夫妻にその気はないだろうが。
大野氏は「医師団ひとり」とネットで揶揄されている。

週刊新潮2012年5月31日号
18日には来日したオックスフォード大学の総長夫妻と懇談。雅子妃の対外的な公務での懇談は、
昨年11月のベトナム駐日大使夫妻との面会以来、実に半年振りのことである。
「これを受け、妃殿下のご体調に好転の兆しと捉える向きもありますが、早計に過ぎます。
過去のケースに照らしても一目瞭然で、07年に両陛下が欧州を歴訪された際、
また09年にカナダと米国を訪問された際も、妃殿下は最後のお見送りはなさったものの、
貴賓室での行事にはいずれも欠席されています」(同)
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、こう言うのだ、
「歌会始の儀のように、大勢に対面され、また限られた空間でカメラを正面から向けられるような形は、
いまだ妃殿下におかれてはご負担の度合いが強過ぎるのでしょう」
の雅子妃との間で、今回思わぬ軋轢が明るみに出たのが秋篠宮紀子妃である。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「現在、陛下を中心にして22人の皇族全体が協力して皇室を成立させています。
その中で陛下のご公務を軽減し、他の皇族に分担して頂こうというのが宮内庁の考え方です」
と前置きしながら、秋篠宮家のご負担について、こう指摘する。
「公務を分けるといっても、高齢や病気などの事情もあり、各宮家には限度がある。
特に東宮の場合、皇太子さまは国事行為を代行せねばならず、また現状ではご夫妻が揃って
海外のお客様をお迎えするなどは難しい状況です。ご夫妻で日本を訪れた公賓や国賓をお一人で迎えるのは、
公平を旨とする接遇という観点からも具合が悪い。
そうした場では、ご夫妻がともに若くて健康な秋篠宮家の比重が、どうしても増していくのです」
「日常のご公務をこなしつつ、皇位継承順位が高いとはいえまだ5歳の悠仁さまを抱えておられるわけです。
現在の仕事量から察するに、紀子さまにとっては心理的な面からも、さぞ大変であろうことは容易に想像できます」
そのお暮しについて、皇室ジャーナリストの高清水有子氏は、次のように明かすのだ。
「ご多忙を極める中、紀子さまは近頃、手話のほか点字の勉強もなさっています。
また、ご公務に差し障りのない限り、悠仁さまの幼稚園の送り迎えや行事にも参加されているのです」
寸暇を惜しむ母を、時には眞子さまと佳子さまが手助けされることもあるという。
「お二人とも幼い頃から、忙しいご両親の姿を見ておられます。成長された今、例えば紀子さまがお疲れの様子の時に、
肩を揉んで気遣われることもあります。また両殿下のご不在時には、
ご両親に代わって悠仁さまの面倒を見たりなさっています」
さらに続けて、
「こうした眞子さまと佳子さまの内親王としての心構えは、実は黒田清子さんから色々と学ばれたことなのです。
お二人が幼い頃、両殿下がお留守の時に寂しい思いをしないようにと、“叔母様”として清子さんが
宮邸にいらっしゃって一緒に過ごされたことが度々あったといいます。かつて受けた心配りを、
今度はお二人が、弟君に対してなさっているわけなのです」

週刊文春2012年5月31日号
天皇の覚悟と雅子妃の未来 保阪正康
平成皇室の集大成ともいえる訪英が終わった今、陛下の最大の関心事は
次代の天皇となる皇太子とその家族のことでしょう。
現在、天皇皇后と皇太子夫妻はコミュニケーションが十分取れていない。
「人格否定発言」、雅子妃長期療養、愛子さま不登校…など、皇太子は家族第一に行動してきた。
皇太子は自分なりの天皇像を見出していないように思われてならない。
昨秋、陛下がマイコプラズマ肺炎で入院された際の国事行為代行でも、皇太子は自身が考える公務のあり方を
国民に発信する絶好の機会だったにもかかわらず、お召列車でカメラ構えてお手ふりをされるなど、
そのお立場にふさわしい姿かどうか疑問。
昨年の東日本大震災でも、天皇皇后両陛下の被災者にささげる祈りの姿が国民の目に焼き付いているが
皇太子夫妻は被災地訪問の回数も限られ、あまり印象に残っていない。
今上天皇は、「国民とともに」「人々に寄り添う」ことを最も大事にしてこられた。
ところが皇太子ご夫妻は,目指される皇室像を明確に発信されていない。
2004年に「新しい公務」発言があったが、8年経過した今も「新しい公務」の姿はいまだ見えてこない。
推し量れば、「グローバリズム時代の天皇となりたい」という意欲は感じられる。
特に皇太子が力を入れているのが水問題。誕生日会見でも,外国で起きた出来事に触れられることが多かったし
国内と外国の出来事を並立して述べられる印象がある。
グローバリズム時代の天皇像はよいが、それには確固としたナショナリズムが必要。
皇室はやはり国民のためにある。その根本を大事にした上でグローバルな世界に目を向けてもらいたい。
日本国民のことをまず一番に思い、従来の公務や天皇像を引き継ぎながら新しい公務を実現してほしい。

週刊文春2012年6月7日
紀子様と雅子様は仲が悪い?
直接連絡を取り合うことがない。
雅子妃の体調の波のせいで、紀子様としては接し方が難しいものがあるようだ。
紀子様は自分が両陛下をお支えしなければ、という思いも一層強くされている。なみなみならない努力がある。
美智子さまから紀子様へ受け継がれる養蚕、日本赤十字社、児童書への関心、手話への取り組み、沖縄への思い。 
■紀子様のご実家「川嶋家」の人々は今?
川嶋学位衆院大学名誉教授はGONGOVA(NGO)の責任者
弟、舟さんは東京農業大学バイオセラピー学科講師、震災時にはボランティア
母和代さんは影で紀子様をささえている。紀子様多忙のときに悠仁さまを幼稚園に送迎など。

文藝春秋2012年6月号
雅子妃と結婚前の皇太子は「お福分け」が出来る方でした。と元東宮職が言う。
お福分けとは昭和天皇が頂き物をした際、それを職員たちに配る気遣いである。
皇太子は職員や奉仕の人々のちょっとした仕事にも礼をいいに足を運ぶ気遣いがあり、「それが「昭和天皇の再来」と言われた所以だった。
月末に客が来ると、東宮の残りの予算を案じる職員に
「大変でしょうから明日からの食事は毎日カレーでいいですよ」と言う。
昨年暮れの皇族の集まりである「菊栄親睦会」が行われた。
旧宮家も交えて定期的に開かれる食事会だがそこに雅子妃が久しぶりに参加。
顔色は見るからに悪く病気が治っていないと言う様子だった。
この時皇太子は雅子妃の椅子をひくなど介添えをして、
夫婦だけで談笑するなどいつものように雅子妃を気遣っていた。
ご体調に波がある雅子妃は、日によっては朝が遅いため、朝食昼食は皇太子とは別の食事になる。
皇太子は食事の時間は合わせられない分、デザートの時間だけでもと雅子妃に合わせられる。
内舎人(うどねり)が月に一度、コーヒー豆を真空パックにするが、
皇太子がそれを手ずから準備して、雅子妃に入れられる。
皇太子の知人が当時を振り返る。
「殿下は雅子さまが公務をしないと批判されている状況を大変お悩みになっていた。
そこで私は『子供を育てるのはりっぱなご公務です。それはプライオリティですよ』と申し上げました。
殿下はそれを聞いて実直なご性格ですから、私が申し上げた事を本当に言葉通りにお受け止めになり、
人格否定発言に繋がったのではないかと責任を感じています」
流産後雅子妃が「もう妊娠できないかも」と心配。
知人が皇太子に「養子をしたら」と言うと鵜呑みにして「宮家から養子ですか」と返した。
両陛下や秋篠宮家とは途絶状態で、相談出来る知人も無く、昔の友人たちとも疎遠になったが
皇太子は愚痴はこぼさない。

週刊文春2012年6月14日号
ヒゲの殿下の「遺言」
…そんな殿下が喜びを隠さなかったのは、秋篠宮文仁親王家に悠仁さまが誕生した時だったという。
「殿下は常々『神武天皇から引き継がれているY染色体を守って行きたい』と仰ってました。
天皇が男系で引き継がれる限り、このY染色体が受け継がれると。
世界で類をみない遺伝子の継承を途絶えさせてはいけないと教えていただきました」(某都市の高級クラブのママ)

週刊現代2012年6月16日号
将来の皇后と、お世継ぎの母――悠仁親王の誕生によって、二人の関係と立場はいま微妙に変化しつつある。
元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司氏はこう話す。
「紀子妃殿下は宮家皇族ですから、東宮妃である雅子妃殿下と単純に比べることはできません。
ただ、最大のものは親王殿下をお生みになったということですね。これはすごいですよ。
そういうことを言うと、子どもを生んだら偉いのかと批判されるかもしれませんが、
結果的に親王殿下がご誕生になったというのは素晴らしいことです」
2月に心臓手術を受けた天皇の見舞いでは、どちらが先に病室に赴くかをめぐり
雅子妃と紀子妃の間で「軋轢あつれき」があったという報道があった。
紀子妃のご公務でのお出ましは4〜5月で50回以上、雅子妃は8回にとどまる。
秋篠宮様は兄弟であっても皇太子様と直接会話はできず、侍従らを通じて連絡。
秋篠宮家の知人達もあらかじめ「東宮のエリアに入らないでください。」と言われる
それほど上下の差があるのに秋篠宮妃の存在感が高まるのはなぜか。
2月19日、皇太子様と秋篠宮さまのご兄弟が陛下お見舞いに行った。
当初、秋篠宮ご夫妻のお見舞いのご希望だった。
皇后様が「秋篠宮妃が皇太子妃に先んじてはいけない」とおっしゃりお見舞いの手配なさった。
皇太子様は陛下に「次は雅子と一緒に伺います」と言ったきり。
秋篠宮ご夫妻は、今か今かと待っていた。
陛下リハビリ期間中も秋篠宮ご夫妻はそろってのお見舞いを希望される。
結局3月1日皇太子ご夫妻のお見舞い、2日に秋篠宮ご夫妻のお見舞い。
5月16日両陛下ご訪英のお見送りに際して、雅子妃ひとり御休所に。貴賓室のお見送り式典には出席せず。
雅子妃は多数の人が集まる場所には出られない状態。
紀子妃はこうした公式行事欠席はない。5月8日には日本赤十字大会にご出席などご多忙。
5月19日の学習院初等科学校説明会に紀子妃の出席がなかったので、悠仁様は御茶ノ水小学校へ行くのだろう。
男性皇族で学習院初等科に進学されないのは稀だが、紀子妃が御茶ノ水で研究されていること、
雅子妃が宿泊学習同伴を批判されたことを考慮したとみられる。
真偽不明の情報が御茶ノ水からは一切ネット上に流出しなかった点を信頼されている。
行動力のある眞子様を美智子様が「さすがは内親王ね。」とお褒めになったことがある。
秋篠宮家の内親王は養蚕、稲刈りのお手伝いもされ、陛下が鎌の使い方をお教えになる。
愛子様はこういった共同作業はない。
美智子様は雅子妃を慮っているがその気持ちが伝わらない。
美智子様は雅子妃の結婚当初、宮中所作や行事について一生懸命に教えておられたが、
なぜか雅子妃は翌日の行事は体調不良で欠席する。
苦手でいやなのだろう。雅子妃はおっとりしている。
雅子妃は皿洗いを手伝うこともあった。(かつて宮内庁に務めていた幹部)
雅子妃は三顧の礼で皇室に迎えられ、皇太子ごのみの派手な顔立ちの美人
だが、結婚後19年で状況が変わった。男児を生めなかったことが大きなプレッシャー。
紀子妃は結婚前は「当時の東宮御所」に出入りしていて、職員に顔見知りがいるなど、
現両陛下が皇太子殿下時代から知っているので、接しやすかった。
雅子妃は初めから「天皇・皇后両陛下」に接するので意識の違いがある。雅子妃が孤立しやすい面がある。
周辺から言われても変わらない。あるがままの自分でしかいられない。
紀子様は規範、スケジュールに合わせていける方。
眞子様写真が流出したとき、厳しく叱責した。
いつもにこやかなほほえみを絶やさない外見を保ちながら決まりを重視する方。
「紀子様は小さいときから礼儀作法をきちんとされていた。
悠仁さまの丁寧なあいさつは妃殿下の教育によるものでは?」(川嶋優元学習院初等科長)

愛子さま JR目白駅で友達の改札機トラブルを機転きかせ解決
2012.06.10 16:00
学習院大学の最寄り駅であるJR目白駅。6月1日の正午過ぎ、慣れた手つきでSuicaをピッとタッチされ、
愛子さま(10才)が改札を通られていく。 そこには雅子さまのお姿はなく、仲良しのお友達3人と一緒だった。
お友達のひとりが改札を通過しようとすると、どうしたわけかゲートが開かず閉じたままだった。
このハプニングに、愛子さまは小走りで駅の事務所に向かわれ、落ち着いた様子で駅員に事情を説明されていた。
愛子さまの迅速な行動により、数分でトラブルは解決。
その後、愛子さまは山手線に乗ると、扉付近に立って、お友達と談笑されていた。
駅で人が乗り降りする際には、邪魔にならないように端によけられるなど、
電車での移動もすっかり慣れたご様子だった。 そして、目白駅から4つ目の代々木駅で下車された愛子さまは、
電車のドアが閉まるまでホームに立たれ、手を振りながらお友達を見送られた。
この日は、学習院創立百周年記念会館で「芸術鑑賞会」が行われ、
愛子さまはクラスメートと落語や曲芸を楽しまれたのだが、冒頭のシーンは、その帰路のことだった。
宮内庁関係者を次のように話す。昨年の『芸術鑑賞会』での愛子さまは元気がなく、
雅子さまが付き添われましたが、今年はおひとりで元気に参加されていました。
しかも、駅で起こったトラブルに自ら対処なさったと聞いて、
“ひと回り大きく成長された”という思いを強くいたしました」
5年生に進級されてから、電車を利用される機会が増えている愛子さま。
この前日にも、新宿区にある学習院女子大学まで電車で行かれ、英会話セミナーを受講されている。
※女性セブン2012年6月14日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120610_115761.html

週刊朝日2012年6月22日号
寛仁殿下と信子さまとの夫婦仲が悪化したのは、些細なことがきっかけ
彬子さま、瑤子さまが飼い出した犬が信子さまが可愛がっていた老犬にじゃれつき、
信子さまがじゃれた子犬を怒ったところともさんがお前は犬と二階に住んでろ!と怒鳴ったことがきっかけ
もともと皇室に強いストレスを感じていた信子さまがそれで孤立感を深めたのではないか

テーミス2012年9月号
御用邸滞在が終戦の日を挟むお盆の期間になったことに
側近が次のように進言したものの皇太子夫妻の理解得られず。
「海の水は冷たくなるし、クラゲにさされかねない。
何より昔からお盆うちは水辺や山に近づかない方がいいという言い伝えがあります。」

雅子さま側近が退任「信頼できる人誰もいなくなった」の声も
2012.08.07 16:00
東宮侍従とは、皇太子ご一家のお世話をする側近で、通常は3年ほどで交代するのが慣例である。
だが、このたび退任した野本勲さん(72才)は11年7か月にわたって東宮家を支えてきた。
「雅子さまは野本さんに対して、それは厚い信頼を寄せられていました。療養中の雅子さまが一時復帰され、
2007年に長野と徳島へ泊まりがけの地方公務をなさった際や、昨年の被災地ご訪問のときも、
同行してお側で仕える野本さんの姿がありました。
また、愛子さまにとって野本さんは、生まれたときから自分のお世話をしてくれる“じいや”というべき存在で、
野本さん自身も、愛子さまを孫のように感じていたと思います」(宮内庁関係者)
2010年3月、愛子さまの“いじめ”問題が起きてからは、野本さんは雅子さまとともに連日学習院初等科へと足を運び、
愛子さまの登校を支えてきた。それは、昨年11月に雅子さまが付き添いを終えられてからも続いた。
では、なぜいまこのタイミングで退任したのか。野本さんに話を聞いた。
「宮さまがおひとりで行かれた白樺湖への校外学習(今年6月)が無事に終わり、
また1学期をお元気に通われたことを嬉しく思っています。これからは離れたところから
宮さまのお健やかなご成長を見守らせていただきたいと思います」
愛子さまの“いじめ”問題解決が退任のきっかけとなったようだ。
野本さんの後任には東京ガスから池田元一氏が就任する。
「民間から登用された人が、いきなり野本さんと同じ役割を果たすことは厳しい。
ですから、2007年から東宮侍従を務める中村久之さんが、野本さんのポジションを務めることになるでしょう。
しかし、彼は皇太子ご夫妻より年下ということもあって、野本さんのようにうまくサポートできるのかという
不安の声もあります…」(前出・宮内庁関係者)
昨年7月、雅子さまに“野村のおじちゃま”と慕われた野村一成東宮大夫が退任。そして今回、野本さんと、
雅子さまが本当に信頼しているふたりが立て続けに辞めたことで、宮内庁内部でも雅子さまが頼りとする人は
「これで誰もいなくなった」という声があるという。
今回の件で、雅子さまのご病気回復に支障が出たりすることのないよう、一刻も早い
皇太子ご一家のサポート態勢作りが望まれる。
※女性セブン2012年8月16日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120807_135256.html

2012年夏休み対比

週刊女性2012年8月21日・28日合併号
秋篠宮家創設以来、同家の取材を続ける皇室ジャーナリストの高清水有子さんが悠仁さまのご近況を語る。「悠仁さまはまだ5歳ですが、東日本大震災のことは、ご家族の会話やなさりようから理解されています。
3月11日の1周年のときにもご家族で黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りされました。7月11日、悠仁さまは、
ご両親、お姉さまのご公務に初めて同席されました。宮邸に訪れた日本パラグアイ学院のお子さんたちと
会われたのです」
さらに悠仁さまは、7月23日に、ブラジル日本語センターの一行とも、ご一家でお会いになっている。
相次ぐ、“ご公務体験”は、「帝王教育」の一環なのかもしれない。
お母さまの紀子さまは、そんな悠仁さまの好奇心旺盛ぶりを“小さな探検家”(’07年11月秋篠宮さま
お誕生日会見)と表現されたこともあったが、この夏は、“小さな研究者”になるようだ。
前出・宮内庁関係者がいう。「悠仁さまの夏休みは、やはり“虫捕り”に尽きるのではないでしょうか。
特に皇居・御所の大自然の中での虫捕りは、去年の夏にも熱中されていました。
悠仁さまは図鑑をご覧になるのもお好きで、昆虫の名前や生態などを突き詰めるのも得意なようです。
この夏休みも両陛下のもとへ参内された折には、虫の捕獲に精を出されると思います」
今年も悠仁さまならではの“研究”をされて、昆虫学者という夢を育まれるのかもしれない。

週刊文春2012年8月30日号
ザ・プリンセス雅子妃物語(友納尚子)
昼休みがあと五分で終わろうとしていた。
雅子さまとソフトボール部のメンバーは、
空になったお弁当箱を片手に教室へなだれ込むように戻ってきた。
「セーフ! セーフ!」
メンバーの一人が言うと、雅子さまも「間に合った〜」といって、額の汗を拭った。
田園調布雙葉中学校(以下・田雙)は、登校から下校までは校外への外出が禁止されている。
だが、三年生になった雅子さまたちソフトボール部のメンバーは、
昼休みにこっそり裏門を抜けて、近くの多摩川河川敷まで行き、
巨人軍の練習を観ながらお弁当を食べることがあった。
十月には文化祭が終わったばかりで、出し物のお化け屋敷は盛況だった。
雅子さまはお化け役になって、迫真の演技に舞台裏では感心する声が上がっていた。

女性セブン2012年9月6日号
皇太子ご一家は、8月20日からは栃木県・那須御用邸でご静養中だが、その直前の8月12日から17日までは、
静岡県・須崎御用邸でも静養されていた。
12日、下田駅に到着した際には、出迎えた川勝平太静岡県知事から得意な泳ぎを尋ねられ、
愛子さまは「平泳ぎです」とお答えになった。
しかし、このやりとりに学習院初等科の保護者の多くが首を傾げたという。
なぜなら、愛子さまはこれまで学校での水泳の授業をほとんど受けられていないからだ。
今回の須崎でのご静養は、愛子さまの苦手な水泳の練習が目的だったようです。毎日のように
御用邸前のプライベートビーチに出て泳がれました。皇太子さまは可能な限り、
一緒に泳いで練習につきあわれ、熱心に指導されたそうです。雅子さまは水着にはなられなかったようですが、
浜辺から愛子さまを温かい目で見守られていたようです」(宮内庁関係者)
ご両親の力を借りて極秘特訓された愛子さまだが、初めて“水”とたわむれたのは、幼稚園入園前のこと。
雅子さまは、“自立心”を育むためにと、愛子さまを東京・青山の「こどもの城」の水泳教室に通わせた。
教室といっても、まだ水遊び程度だったが、以来、愛子さまは水泳が大好きになられたはずだった。
学習院幼稚園には水泳の時間はなかったが、初等科に入学してからは、
お友達とプールに入るのを楽しみにされていた。しかし、学校でプールの授業を受けられたのは、
1年生のときの最初の数回のみだったという。休まれる際の表向きの理由は風邪ということでしたが、
学校内部では“愛子さまはプールが怖いのでは”という心配の声があがりました」(学習院関係者)
最近でもこんなことが。6月下旬、プールの授業前に“着衣泳”の時間があった。
これは、服を着たまま水に落ちたとき、溺れないように、あわてず対処する方法を身につけるという授業だ。
その日も愛子さまはプールの授業は欠席の予定だったんですが、急に出席されることになったんです。
ただ、愛子さまは“着衣泳”までは、みんなと一緒にやられたんですが、通常の水泳の授業となった途端、
プールサイドに座り込み、他の児童が楽しく泳いでいるのをじっとご覧になっていたそうです」(前出・学習院関係者)

月毎雑誌記事
目次5へ