平成皇室二十年の光と影2

諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
われらの天皇家、かくあれかし(一部抜粋)

■薄氷を踏むような二千年 竹田恒泰 (旧皇族・慶應義塾大学講師)
わが国は現存する国家のなかで世界最古の歴史を持つ。日本建国よりも前に存在した国はすべて滅び、いまはない。
天皇の歴史は日本の歴史であり、今年は建国から2668年にあたる。その数字には諸説異論もあろうが、
約1800年前の三世紀初頭、奈良県の三輪山周辺に前方後円墳が誕生したときまでには大和王権が
成立していたことは考古学的事実から明白である。そして、その後現在に至るまで、王朝が交代したことを示す
証拠はない。また、王権が成立した途端に巨大な古墳を造営する国力を有したとは到底考えられないので、
一地方政権として成立した時期は、さらに時代を遡ることになる。やはり天皇の歴史は約二千年、
もしくはそれ以上と考えるのが妥当だろう。
しかし、その後の天皇家の歴史は決して順風満帆なものではなかった。時代ごとに様々な困難と出遭い、
皇統は幾度も危機に瀕したが、天皇はその度に底力を発揮し、数々の困難を力強く乗り越えてきた。
…悠久の歴史のなか、天皇のあり方は時代ごとに変化してきたが、「祈る存在」という部分は決して変わる
ことはなかった。平成の皇室も、その本質は「祈る存在」に違いはない。皇室が長年続いてきたのは、
「祈る存在」であり続けたからではなかろうか。毎日国民ひとりひとりの幸せを祈っていらっしゃる天皇を、
軍事的や政治的な力で消し去ることに、正義感を見出せるはずはない。そのような尊い皇室を、日本人の先祖たちは
いつの時代も大切に守り続けたのである。故高松宮殿下のお言葉を拝借すれば、「皇室は国民によって守られてきた」
ということになろう。 …

■祈りとしての和歌 谷知子 (フェリス女学院大学教授)
舒明天皇が香具山に登って、自らが支配する大和国を眺望して詠んだという、いわゆる「国見」の歌を紹介しよう。

 天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌(おほみうた)
大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原(くにはら)は 煙立ち立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ
蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
 (『万葉集』巻一・二・舒明天皇)
 (大和には多くの山があるけれども、神が降臨する天の香具山に登り立ち、国見をすると、国原には炊煙が
  しきりに立ち、海原には鷗がたくさん飛び交っている。ああ豊かな国だ、大和の国は)
国見とは、帝王が高い所に登り、眼科の国土を眺め、五穀豊穣を予祝する宗教的儀礼をいう。天皇は、ここで国土を
「ああ、美しい」「豊かだ」と礼賛している。果たして、このとき国土はほんとうに豊かだったのだろうか。
香具山から海は見えたのだろうか。疑問である。しかし、国見の歌は、現実の風景を詠んでいるかどうかは、
問題ではないのだ。祝うべき状態だから祝うのではなく、祝うから祝う状態になるとでもいおうか、こうあったら
いいなあという理想の姿を、天皇が歌に詠んで、寿ぐことがたいせつなのである。これは、祈りであり、呪文でもある。
天皇が民の幸福を願う、重要な儀式なのである。
…昭和天皇も巡幸先の土地を歌に詠むことが多かった。その基本的な性格は、国見の歌と同じく、土地誉めである。
静かな観察を伴いつつ、誉める歌が多い。
 三重県賢島(かしこじま)
 色づきしさるとりいばらそよごの実 目にうつくしきこの賢島(昭和26年・三重県視察)
…当代の天皇も、同じである。阪神淡路大震災被災地の訪問に際して詠まれた歌を引いてみよう。
 六年(むつとせ)の難(かた)きに耐へて人々の 築きたる街みどり豊けし
 (平成13年・阪神淡路大震災被災地訪問)
被災地に育つ緑は、その土地の希望の証である。被災してから六年、復興半ばの地に育つ緑を天皇が歌に詠んで、
賞賛することが重要なのだ。「みどり豊けし」よいうことばが、生き残った人々の心を慰め、土地に眠る魂を鎮める。
これが天皇の歌の本質なのだ。 …

■日系人の心の支えとして 塚田千裕 (海外日系人協会理事長)
十年以上前のこと、ブラジルに勤務していた時、日本の経済界の首脳陣と時のカルドーゾ大統領との懇談の機会に
私も同席していた。話題が日本の政治に及んで日本側が「どうも日本は総理がしばしば代わって対外的にも具合が
悪い」と半ば釈明口調になったところ、カルドーゾ大統領曰く、「日本には天皇陛下がおられるじゃないですか!」
これは大統領が日本の事情や憲法に通じている、いないというようなことではない。大統領はその前年に日本を
国賓として訪問し、何もかも承知の上での発言である。若き日に左翼経済学者として鳴らし伯軍政時代には一時
チリ等に亡命生活を余儀なくされた経歴の持ち主だけに、一層含蓄に富む発言であった。
私は四十年以上になる外交官生活の中でブラジルには合計して三回、延べ十年勤務した。今年は日本の対伯移住
百年の年(日伯交流年)であるが三回の勤務中には偶然にも「移住七十周年」「八十周年」「九十周年」に
廻り合わせた。「移住何周年」という行事は、戦後の1958年に「五十周年」を現地に日系人が祝い、このために
三笠宮殿下が訪伯なされたのが嚆矢である。以後、節目の十年毎の祝いに皇室よりお出ましを願うのが現地移住者、
日系人のまたとない喜びの慣例となった。
…一方、この五十年の間に各地の日系人を取り巻く環境も変わり、代替わりも進み、よもやと思われた日系人の
逆流現象迄も生じたが、年一回の日系人大会は概ね十五から二十ヵ国、二百人程の参加者を得て盛会を
維持している。
その最大の理由は私の見るところ皇室の御臨席である。父祖の地日本は常に変容を遂げて止まない。
その時、自らのアイデンティティを求める日系人の心の底にある変わらぬ日本、根元的日本を
最もよく体現しておられるのが皇室である。
皇室の存在、力の大きさは内なる日本人が想像する以上に外の人達も案外良く分かっている。 …

■春先の温かい小雨のように 徳岡孝夫 (ジャーナリスト)
…「普天の下、率土の浜、一人として君恩に浴せざるはなし」
私たちの世代には、これが平成の今日でも、すんなりと理解できる。国のあまねきところ、いかなる辺土にいようとも、
天子さまの御恩は雨あられと降り注ぐ。まあ、そういう意味である。
これを言い換えれば御稜威(みいつ)である。国語辞典には「神、天皇などの威光、威徳」とある。
それは、どしゃ降りに降るわけではない。春先の温かい小雨のように音もなく降るから、民は気付かぬうちに、
しっぽりと濡れている。逃げようがない。また天長節の歌に「光遍(あまね)き君が代を」という通り、天から
やんわり射してくる光に似ていて、それは卒業式に国歌を歌わず国旗にも頑として着席したままの教師の頭上にも射す。
それが御稜威。
…天皇は国家鎮護と国民の安寧を祈願して、東大寺の大造営工事を行った。天皇は日本の祭司として、神道だけでなく
仏教においても、昔からそういう役割を果たしてきた。民は千三百年の後も、遺徳を偲び過去帳を読み上げている。
奈良の東大寺で読むのなら、皇室の菩提寺である京都・東山の泉涌寺(せんにゅうじ)でも、当然ながら
歴代天皇の御名前か戒名を読み上げているはずである。天皇家は日本の民が営んできた各自の家の筆頭の家として、
一般の家と同じように葬祭を行ってきた。千三百年の昔、すでにそうだった。
…天皇・皇后をはじめ国民が貴賤を問わず一堂に会し、古代いらいの詩形で詠まれた詩の朗唱を聞く。広い世界に、
これほど「開かれた」形で伝統文化を守っている国が、他にあるだろうか。
皇太子妃・雅子さんは、今年も歌会始を欠席された。私は残念に思うが、さりとてジャーナリズムの報じる
彼女の一挙手一等足を、いちいち咎める気にもなれない。皇室の伝統は、その一員の行動によって乱されるほど
短くも浅くもない。多くの日本人は皇室を仰いで、そこに日本がずっと昔から続いてきたこと、この先もずっと
続くであろうことを感じて、自信を持つ。

■「宮内省」への格上げを 所功 (京都産業大学教授)
…もちろん、現行の宮中祭祀は、神道形式で営まれるから、広義の宗教行事といえよう。しかし、いわゆる宗教には、
個人の救済・安心立命を主目的とする私的なものと、共同社会の豊穣・安全維持を主目的とする公的なものがある。
そして現行憲法が厳しく定める政教分離の対象は、おもに前者の私的宗教とみられる。それに対して、
国家・国民のために象徴天皇が行われるのは、本質的に公的祭儀であり、後者の公的宗教と解することができる。
この宮中祭祀は、今から百年前(明治41年)、古来の伝統をふまえ近代的な儀容を整えて制定された「皇室祭祀令」
に基づき、それに部分的な修正を加えながら励行されている。もっとも、明治以来の皇室令(百本以上ある)は、
新憲法施行時にすべて廃止された。しかし祭儀などは、代りの新規定ができるまで従来のものを先例として
準用するよう通達され、その暫定措置が六十年以上も続いていることになる。果たしてこのままでよいのだろうか。
いま皇室・宮内庁は多くの難問を抱えているが、内部の人的な問題は外部の私共に判らないし、どうすることも
できない。むしろ一般国民、とりわけ政治家達が真剣に考えて為すべきことは、皇室制度の総合的な再構築だろう。 …

■定例御参内にお供して 中島宝城 (歌人)
…昭和55年4月29日、天皇陛下(昭和天皇)の御誕生日のお題は「木蓮」であった。
 木蓮の直(なほ)きつぼみを温めて この春の日も風は過ぎゆく
天皇陛下の御人柄が心にあって、自然に出て来た歌であった。
それから程なく、東宮御一家が吹上の御所に参内され、両陛下と御夕食を共にされる「定例の御参内」(当時は、
毎週一回行われていた)にお供した時のこと、そのお帰りの車中、皇太子殿下が後の御席から、「今日は、
とても嬉しいことがありました。お上(天皇陛下)が、『今度、東宮さん(皇太子殿下)の侍従がこんな歌を
詠進してくれた』とおっしゃって、中島さん(今も、天皇陛下は、職員の名前を「さん」付けでお呼びになっている)の
歌の短冊を御部屋からお持ちになって、嬉しそうにお見せになった」と、おっしゃったのである。私は感激した。
天皇陛下が私の歌をしっかりと受け留めて下さった。それを皇太子殿下がこんなに喜んで下さっている。そして、
皇太子妃殿下もご一緒に喜んで下さっている。
…宮中の祭祀は、日本国憲法の政教分離の規定により、天皇の私的な行為として解釈運用されている。しかし、
宮中の祭祀は日本創世の神々と御先祖に畏敬と感謝の念を捧げ、国の平安と国民の幸せをお祈りになる祭事
(まつりごと)である。決して、私の事ではない、公の事である。そして、また、天皇がその祈りの心をもって
歌(御製)をお詠みになることも。
この祈りと歌こそが、天皇の山谷なすいろいろの御務めの根本にあるものである、と私は思うのである。
…天皇の祈り、そして歌は、人類普遍の原理を謳う憲法や宗教や道徳とは異る、何か大きなもの、日本の文化
(日本人の生き方、その感性、美学)の根底に在るものではないのか。これを外した「有識者」の皇室論や
「数字」の世論には、不毛を感じるのである。

■文化リーダーとしての道 中西進 (奈良県立万葉文化館館長)
…そしてまたおびただしい行事への皇室の方々の御臨席は、文化リーダーとしての枠の中のみに限定するべきだろう。
というのも行幸啓がかえって皇室の御印象を薄くし、晴れやかで温かみのある皇室のあり方を、杓子定規なものに
変質させていく危険があるからだ。
…要は、もっと皇室の方々に自由にして頂ける形をつくらないと、皇室と国民との強い連携は生まれない。
たとえ陛下に対してであっても敬愛をもって国民が接するようであってほしい。いまどき「尊厳」などという
価値観は、誰も信じないだろう。それにしてもあの厳重な警備もやわらかな印象を演出できないだろうか。 …

■あえて臣下の分を越えて 中西輝政 (京都大学教授)
…中でも、この二十年を通じて国民の眼に最も深く印象づけられてきたことは、天皇・皇后両陛下が皇室の伝統を守り
国家・国民の安寧をひたすら願い、日々のお務めを果たしてこられた、まことに真摯な御姿ではないだろうか。
その、両陛下のひたむきな姿勢に感動を覚えない日本国民は、今や一人としていないだろう。またそこには、
わが国における天皇の伝統的な精神像が見事に体現されており、「ああ、これこそ日本の天皇の
本来の御姿だったんだ」と、戦後生まれの私の世代の多くの日本人にも、理屈ではない素直な感動を
呼び起こしてくださっている。
…ただ、近年、この慈しみ豊かな我々の天皇像のどこかに「憂い」を含んだ陛下の御表情を重ね合わせ感じ取ることが
多くなったのは私だけではあるまい。そこには、やはり皇位継承の問題が横たわっているのでは、と拝察する。
たしかに一昨年、秋篠宮家に悠仁親王の御生誕を見たことによって、ギリギリのところで「女系天皇」という、
わが皇室始まって以来の危機状況は一旦は回避された。しかしこの問題は、戦後の占領期に外国勢力によって
皇位継承と皇族制度が強権的に改変させられたことに源を発していると言わざるを得ず、その基本的な解決には
やはり何らかの形で旧宮家の御復帰を願うしかない。この点では、大局的に見て、解決の方向は今や明らかに
なりつつあると言ってよいのではないか。勿論、この問題も最終的には天皇陛下と皇族の方々の御意思によって
決せられるべきことであるが、そのためのきっかけを提供するのは、現在の制度の下では政府と国民の責任に
かかっている。従って問題は我々の見識と自覚が問われていると言うべきであろう。
ただもう一つ、ここであえて臣下としての慎みを超えて直言申し上げたいことがある。それは言わずと知れた
「皇太子妃問題」である。周知の通り現在、同妃の公務復帰について様々な問題が未解決のまま国民の不安と
懸念の的となっている。その原因と解決法については様々な議論があり、それはそれで、それぞれに考えがあってよい。
ただ一点、揺るがせにできない重大問題は、同妃が宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない事情があるかに伝えられる
ことである。もし万々一、このことが事実であるなら、ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき
問題であると言わざるを得ない。
…すでに巷間の一部には、「これを機会に宮中祭祀を廃止したらどうか」という声すら挙っている。勿論、それは
皇室の伝統と将来を真摯に考えようとしない全くの暴論である。しかし万一、事態がこのまま推移するなら、
事は更に重大な局面に至る憂いなしとしない。皇太子妃におかせられては、このことを是非深く御自覚頂き、
特段の御決意をなされるようお願い申し上げたい。
もはや、平成の皇室の課題は、一に懸ってこの点にあると言っても過言ではない。もし万一、皇太子妃をめぐる
右のごとき問題が今後も永続的に続くのであれば、今上陛下の御高齢を慮り皇室の永続を願う立場から敢えて
臣下の分を超えて申し上げたい。
同妃の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ、と。
最後にもう一度、敢えてこのようなことを申し上げ、宸襟(おおみこころ)を悩まし奉ることになれば真に
恐懼(きょうく)の至りなのであるが、皇室の永続を願う一臣下として東宮家に是非共、諫言申し上げる
次第なのである。

■「幸せな家族」という重荷 中西寛(京都大学大学院教授)
…今上天皇にとっては、父・昭和天皇が定着させた象徴天皇像を引き継ぐと共に、昭和天皇の思いを実現することが
大きな意味をもっていると思われる。それは平和を願いながらも、国民とアジア諸国民を戦禍に巻き込んだことへの
悔悟と、平和と和解を祈念したいとの気持ちである。昭和天皇の果たせなかった沖縄行幸、中国、サイパンへの訪問
など活発な外遊にその心情はくみ取れよう。
…同時に、戦後昭和期のような「幸せな核家族」像としての役割を果たすことが皇室にとって重荷になっていることも
明らかである。
…日本社会そのものが家族のありようを模索している中で、皇室に幸せな家族像を求めることにはそもそも
無理があるだろう。 …

■福田内閣総理大臣閣下へ 西尾幹二 (評論家)
…皇太子妃殿下のご病気とそれに伴う平成15年9月からの宮中祭祀のご欠席、他の皇族方がご出席になる
一般のご公務の頻繁なるご欠席――国民の間にも種々取り沙汰されているこの事実は、すでに妃殿下一個人の
問題ではなく、国家の問題、国家的レベルで解決されるべき政治問題であると考えられるが、閣下はそのような
認識をお持ちであろうか。
…妃殿下のご病状については平成16年7月に「適応障害」との発表があったが、今もなお病名は同一の
ままであるのか。「適応障害」の診断がついた場合、一般的には外出さえ億劫な体調になると聞く。事実、
妃殿下も当初はそのようであったが、現在の妃殿下の「私的外出」が他の皇族がたよりも群を抜いて多いのは
どうしてなのだろうか。
…また、医師の説明によると、「適応障害」を治すには患者の置かれている環境の解消がなによりも必要であると
される。とすれば、皇室に身を置くこと自体が病気の要因となっている。病気の治療を優先させるなら、患者の
ご身分に並々ならぬ重大な変更を余儀なくされる場合も可能性の一つとして想定せざるを得ない。総理大臣閣下が
一個人の治療の問題としてこれを考え、国家の問題として考えないとしても、必然的に皇室会議の招集を求めざるを
得ない国家レベルの課題に直面するより他に解決の道はないのである。
…雅子妃殿下の主治医大野氏は、妃殿下の妹夫婦の知り合いで、妙なことに同氏に対し報酬が支払われていないとも聞く。
妃殿下の母親と妹夫婦の一家と大野氏は、皇太子一家のスキーなどの行楽に同行し、病気治療の名において、
皇族と一般人との垣根を取り払った遠慮のない交際が国民の目にさらされている。若き日の今上陛下と美智子皇后の
ご一家が、皇后のご実家の方々との交際に厳しい節度と垣根の枠をはめていたのと著しい相違をなしている。
そこで閣下にあらためてうかがうが、妃殿下のご病気は国家の問題であるのに、まるで民間人のように、知り合いの
主治医がすべてを私的に扱い、好き勝手な判断をしてすませていることに、宮内庁長官も東宮大夫も責任を
感じていない。これをどうお考えになるか。彼らは全員がこぞって天皇制度という公的なものを傷つけているのである。
というのは、一人の主治医が情報を独占して他に秘しているのは、何か伏せられた別のご病気があるせいで、
宮内庁も東宮御所も承知で匿(かく)している共犯者ではないか、という噂はすでに千里を走り、ご病名まで
まことしやかに語られているが、こういうことは皇室を傷つける動きではないのか。総理大臣のご処置をお願いする。 …

■歴史家雑談“三代目の法則” 秦郁彦 (現代史家)
…両陛下ともすでに「後期高齢者」の坂にさしかかる年齢で、健康不安もかかえておられる身である。しかし、
壮齢の皇太子夫妻へ公務や祭祀の負荷をバトンタッチできるような状況にはほど遠い。それだけではない。雅子妃が
光明皇后の再来を思わせる美智子皇后に代って「国母」としての役割を果しうるのだろうか。「お病気なら
しかたがない。回復を待つしかない」という国民の思いやりも、そろそろ限界に達しそうな気がしている。
…私はくだんの雑談の場で昭和天皇はたしかに国を潰した三代目ではあるが、戦後日本の再建を成功させた
実績から見て、一身で三代と初代を兼ねた稀な名君ではあるまいかと提言して「それはそうだ」と一同の賛意を
得た覚えがある。
この話で誰もが連想するサンプルは家康、秀忠、家光とつづく徳川三代の将軍だろう。好き嫌いはあるにせよ、
創業者としての家康の強烈な存在感は明治天皇と比べてもひけをとらない。そのかわり二代目の秀忠は
律儀者ではあるが、凡庸な後継者だというイメージは以前から定着していた。
ところが最近になって、秀忠は守成型にせよ平均以上にすぐれた資質の将軍だとする評価を見かけるようになった。
このあたり、やはりとみに評価が高まりつつある大正天皇と重なりあう。
ついでに三代目を比べてみると、家光は「生まれながらの将軍」として苦労知らずに育ったかに見えて、実状は
少々ちがった。親の愛情が弟の国松(のちの忠長)に注がれ、弟にとって替わられそうな危機感をもった乳母の
春日局が、家康に直訴して継嗣の座を再確認させた苦い幼児体験をくぐりぬけているのである。
実は昭和天皇も似たような苦労を味わっている。母の貞明皇后が弟の秩父宮を偏愛し、陸軍の将校たちの間にも
文人肌の昭和天皇を敬遠し、秩父宮を担ごうとする動きがあったからだ。
昭和天皇を戦後日本の初代と見立てて、二代の現天皇、三代の現皇太子とつづく流れに、類似のパターンを
連想する人は案外に多いのかもしれない。

■宮中祭祀の見直しを 原武史 (明治学院大学教授)
…「お濠の外側」では、急速に都市化が進み、農耕儀礼が廃れてゆくのに、「お濠の内側」では相変わらず
宮中祭祀を続けている。首都圏で手つかずの自然が、東京の中心部にしか残されなくなるという逆説は、この
ギャップを鮮やかに示すものとなった。
それでも、戦前に生まれ、59年に結婚した現天皇夫妻の世代までは、日本がまだ農業国だった時代の記憶が
濃厚に共有され、村落の氏神で行われる祭りを通して、新嘗祭のような宮中祭祀が行われることの深い意味を、
おのずから感得することができた。ところが、それ以降の世代になると、11月23日は「勤労感謝の日」となり、
その日に宮中で新嘗祭が行われているという事実自体を知らなくなる。高度成長期に当たる60年代に生まれた
現皇太子夫妻の世代がまさにそうである。言うまでもなく、今日の日本はこうした世代が多数派を占めている。
昭和から平成になり、皇室で顕在化した問題の多くは、ここから生じているのではないか。「お濠の内側」と
「お濠の外側」のギャップは、いまやかつてないほど大きくなっている。全く土着的なにおいのしない東急沿線の
高級住宅地で育ち、田園調布のカトリック系の私立学校に通った雅子妃が、2003年9月以来、宮中祭祀に
全く出られなくなり、適応障害と診断されたのは、ある意味で当然のことであった。
…おそらく、道は二つしかない。「外側」を「内側」に合わせるか、「内側」を「外側」に合わせるかである。
前者の場合は、都市を解体し、農村をよみがえらせ、村々の祭りを復活させなければならない。そして勤労感謝の日を
新嘗祭に、春分の日や秋分の日を春季皇霊祭や秋季皇霊祭に改めるとともに、天皇や皇族がその日に祭祀を行って
いることを国民に周知徹底させなければならない。
後者の場合は、日本社会の現状にかんがみ、宮中祭祀のあり方を見直さなければならない。より具体的に言えば、
もはや社会の現実から完全に遊離した宮中祭祀をやめるとともに「瑞穂の国」のイデオロギーに代わる新たな
イデオロギーを構築することを検討しなければならない。 …

■いやます皇室外交への期待 兵藤長雄 (元東京経済大学教授)
外国に旅行したり、住んでみたりして、初めて愛国心を呼び覚まされた日本人は少なくないと思う。私も二十数年間、
いろいろな国に住んでみて、われわれ日本人が如何に国家意識が希薄かを痛感させられることが多かった。
戦後の日本では、戦争に苦い体験から、国家意識や愛国心を強調したり、煽るようなことは、長いこと敬遠されてきた。
外国との武力紛争も経験せず、平和に恵まれ続けたわが国で、日の丸、君が代、領土問題といった国家意識に
結びつくようなことへのわれわれの感度は、外国人の目からみれば驚くほど低かった。
しかし、他方で、生活習慣や、歴史、伝統、文化等を共有する国民としての一体性、継続性は、幸い今日まで
保たれてきたのではないか。それには島国という恵まれた環境など、いくつかの背景があろうが、その一つとして、
新憲法で、国民の象徴と定められた天皇、皇室の果たしてきた役割も小さくないように思う。
天皇はじめ皇室の方々が、いろいろな国民的行事や日本の伝統、文化を象徴する儀式への参列、全国各地の
歴訪等を通じて、国民の統合、一体性の維持に、長い間果たされたご貢献には大きなものがある。
…最近、高等学校で日本史は必ずしも必須科目ではなくなっている。従って日本史を勉強しなかった学生の中には、
長い日本の歴史の中で、天皇制がいろいろな役割を果たしてきたという基本的な事実さえも知らない者が居る。
皇室については全く無知で、この点では外国人と変わらないのだ。このような学生に、皇室についての意見を
求めても、「自分には関係ない」、「興味ない」といった突き放した反応が多かった。戦前の教育を少しでも
受けた世代が居なくなった時、このような若者達は、皇室に対して、どう向き合うことになるのか、
これが私の心配である。
…2002年7月、両陛下がポーランドを公式訪問されるにあたって、事前のご進講の機会を得たが、
その際、ポーランド独立間もない1920年代初頭、シベリアに政治犯などで取り残されていたポーランド人の
子供達が餓死寸前の窮状にあったのを、日本が国をあげて救った、という話を紹介し、詳しく書いた拙書を
差し上げたところ、両陛下とも大きな関心を示された。765人の孤児を救い出して、ポーランドに送り届けた美談は、
あまり知られていなかった。当時、すでにその孤児達も数名を残して他界していたが、両陛下は存命の
孤児達との面会を強く希望され、これが実現した。両陛下の温かいお気持ちは、面会の栄に浴した孤児は
無論、多くのポーランド人を感激させたのだった。 …

■武道館を覆った国民の熱 平沼赳夫 (衆議院議員)
小泉内閣の時、皇室典範に関する有識者会議が、首相の私的諮問機関として、官邸に設けられた。
私は新聞でその人事を見て吃驚(びっくり)した。十名からなるメンバーは、それぞれ立派な人々に違いないが、
長い伝統と文化と歴史の皇室を論ずるにはどうも相応しくないと感じたからである。
…有識者会議では議論が開始され、その結論が出た。それは女帝のみならず女系も認め、皇室の養子も認めるという
驚天動地のものであった。
われわれ保守の者達は大変な危機感を持ち、先ず憲政記念館で一昨年の一月、国民集会を開催し、角界各層から
断固伝統を守るべきだとの意見をいただいた。有識者会議の結論に関し、小泉首相は「良い答申をいただいた。
来(きた)るべき通常国会で閣法で議決をしたい」と述べ、記者からの質問に、「当然、郵政民営化法案と同じように
党議拘束をかける」と言い切った。われわれの心配はつのり、その年の三月に日本武道館で大国民集会を開き、
世論に訴えることになった。日本のご皇室はまか不思議なご存在で、二月には秋篠宮紀子妃殿下、
ご懐妊の報道が流れた。
これは本当に大きな出来事であった。われわれの大国民集会に関し、マスコミは武道館の四分の一位の
四千人も集まれば上出来だろうと、大層ひややかであった。だが当日、私は日本武道館の壇上に立って、
身体中がうちふるえるのを覚えた。
一階のアリーナ席、二階、三階、すべて超満員で、その総数、一万三百人であった。
私は日本人は有難く、全く凄いと感嘆した。ことご皇室のこととなると全国からこれだけの人が集って下さる。
素晴らしいことだと思ったのである。
この大国民集会でも様々な意見の発表があったが、私はイスラエルのヘブライ大学教授のベン・アミン・シロニ―氏の
メッセージが最高だと思った。確かに現代は男女同権が当り前で、女帝の議論もここから出て来ているに違いない。
シロニ―教授は先ず、全世界に十億を超えるカトリック信徒が存在するが、ローマ法王が男子に限られることに
誰も異を唱えない。自分はイスラエル人でユダヤ教の信者であるが、ユダヤ教のラビは男から男に伝えられ、
これにもユダヤ教の信者は全員納得している。男女同権は守るべきものだが、その存在が伝統であり、歴史であり、
文化であれば、当然、守るべきものは守るべきだ。日本の皇室は、全世界、唯一、百二十五代続いているお家柄でないか、
この歴史、文化、伝統こそ日本人は守るべきだと力強いメッセージだった。
現在、改革をするのが政治家のごとくいわれており、改革すべきものは大胆にやるべきと思うが、保守政治家ならば、
守るべきものはしっかりと守っていくべきと私は思っている。
其後ご承知の通り、紀子妃殿下は無事、悠仁親王殿下をご出産、まことにお芽出度い限りである。
…戦後マッカーサー元帥によって十一の宮家が廃絶された。この元宮家には男系の血を引く元皇族の方々が
いらっしゃる。私はわが国の伝統、文化、歴史をしっかりと守っていくうえに、男系の方々の養子を皇室典範上、
お認めしても良いのではないかと考えている。日本のあるべき姿をしっかりとお守りすることが、本当に大切なことと
私は信じている。


■平成皇室は世界の最先端 広岡祐児 (ジャーナリスト)
…つまり、いまや西洋の国王は急速に国と国民統合の象徴の方向に進んでいるのだ。
その点で、軍事や政治を超越し、しかも巨万の富を持たず謙虚で、国民とともに歩む平成皇室は、
現代の世界の王室の最先端にあるといっても過言ではない。
もっともこれも故なきことではない。すでに千四、五百年前には「大王」から「天皇」にかわり、
律令制度で現代ヨーロッパの立憲君主制の国王に匹敵する存在になっていたのだ。
それを一気に「大王」の時代に戻したのが明治の日本だった。そうなると当時の西洋の国王のあり方と同じだから、
近代化もスムーズにいった。しかし、代償は大きかった。つい忘れがちだが、天皇と皇室制度は明治時代に
大きく変質したのだ。
この特殊な時代に終止符を打ったのは、ほかでもない、昭和天皇ご自身であった。昭和21年の年頭詔書は、
昭和天皇が人間になったのではなく、大日本帝国皇帝が天皇に戻った宣言である。
そして、五箇条の御誓文に立ち返って日本の皇室の伝統と近代化の融和をやり直す作業は
皇太子(今上天皇)に託された。
今上陛下は、典型的な戦後のモダン青年で、英国型の帝王学で訓育されたが、けっして外国かぶれにならず、
打算のない対等の友人関係の中で長所のみをとりいれ、見事にそれを成し遂げられた。
しかも平和と民主主義と経済繁栄という日本が経験したことのない時代に。
一方、かつては昭和天皇や戦後の日本が範とした英国王室だが、伝統と近代化の融和という流れの中で、
無残な現状を呈している。翻って日本の平成皇室の功績は明らかである。まさに世界に比類のない国の品格と
国民統合の象徴であると言えるのではないか。

■元気に笑った雅子さま 藤城清治 (影絵作家)
…美智子さまが皇太子妃時代から、ぼくの影絵が連載されている『暮しの手帖』を愛読されていて、
ぼくの影絵の一枚が特にお気に入りになり、その原画を献上した。「つり橋はぼくのハープ」という絵で、
橋は心と心、人と人、世界をつなぎ、吊り糸はハープのように奏でられ、男の子と女の子が手をつなぐという、
シンプルでぼくが一番気に入っている絵だった。この影絵が美智子さまのお気にも召したことで、
ふしぎな絆で結ばれたように思えてうれしかった。
皇后陛下になられてから、影絵の話を聞かせてほしいとのことで皇居へお伺いしたこともある。
アジアの影絵芝居や、賢治の「銀河鉄道の夜」やバートンの「ちいさいおうち」などの影絵劇の話をしたら、
「銀河鉄道の夜」は奥が深く、一回読んだだけではわからないし劇も大変でしょうと解釈も的確で、
日本や世界の童話にもお詳しいのに驚いた。
また、影絵のテクニックを質問されたり、動物の話になったり、「つり橋はぼくのハープ」の前で
チェロを弾かれているとか、いろいろお話がはずんで、一時間を超してしまった。
途中、二度女官の方が小さな紙を渡しにこられたから、きっと予定の時間を超過していたのだろう。
皇后さまの影響か、紀宮さまもご結婚前に「ラーマーヤナ」の影絵劇など何回か観においでになった。
また秋篠宮妃の紀子さまも学生時代から影絵がお好きで、妃殿下になられてからもお子さまとご一緒に
おいでになったりした。
皇太子妃の雅子さまも、ご実家がぼくの家と目黒区洗足の同じ町会で、ご結婚前は、犬を連れて
よくうちの前を散歩されたらしい。
影絵展にも何度もおいでになられたが、愛子さまがお生まれになって、はじめての外出のとき、
最初に美しいものをみせたいと銀座の教文館の影絵展におみえになった。
光に映し出される影絵がふしぎなのか、愛子さまは抱かれたまま手をのばされる。
アクリルでカバーしてあると申し上げると、うれしそうに、さわったり、たたいたりされた。
雅子さまは一時間近く、ほとんど愛子さまを抱かれたままでご鑑賞になられた。
また、東宮御所へ影絵を十数点運び込んで御所で影絵展をひらいたこともある。
最近では、去年の秋、愛子さまが風邪ぎみで、雅子さまひとりでおいでになった。
ちょうど、ぼくの愛猫のエジプシャン・マウのアラメが亡くなった直後で、アラメをご存知の雅子さまは
「天国のアラメ」の影絵の前で、寂しいでしょうと慰めてくださった。
また、動物愛護団体の日本クマネットワークの依頼で制作した「森へ入る時は鈴をならそう」の絵では、
クマが絶滅に瀕することに心配されたり、クマやリスの表情に喜ばれたり、ほんとに動物好きの雅子さまらしく、
皇居の森にもタヌキやいろんな動物が結構いるんですよ、といわれたりした。
その頃、バッシングのはげしかった朝青龍を描いた「それでもぼくは朝青龍に愛をおくる」の前では、
「国技や伝統だけにとらわれないで、もっと新しい風として外国から来て、横綱にまでなった力の源泉を
温かく見守ろう」というぼくのメッセージをお読みになって、お相撲がお好きなんですね。
愛子も好きなんですよといわれた。
帰り際、ぼくの略歴の昭和40年の、幼稚園児の皇太子殿下が馬に乗られたという欄を指さされて、
笑われながらお帰りになったけれど、とてもご病気とは思えないほどお元気に見えた。 …

■私の電話に出た雅子さん 松崎敏彌 (皇室ジャーナリスト)
…皇太子殿下とのご婚約が決定する直前の頃だが、お妃候補としてお名前が浮上した直後に、私は、雅子さまと
直接電話で話を交わしたことがある。92年のことだと思うが、当時、雅子さまは、外務省の北米二課に勤務していた。
…私は、ある日、思い切って、小和田家に電話を入れた。「もし、もし、小和田さんのお宅ですか?」「はい、
小和田です」と応答があった。「雅子さんは、いらっしゃいますか?」と聞くと、「私が雅子です」という。
「突然電話で失礼します。私は、あの…『女性自身』の記者をしております松崎と申します。大変失礼ですが、
皇太子殿下のお妃候補としてお名前が上がっていると伺いますが、実際のところは如何でしょうか?いまのお気持を
聞かせていただけませんか?」と続けた。電話の前で、しばらくの間沈黙が続いたが、「あの、私は、そういったお話は
伺っておりませんから…。もしも、そうしたお話があったとしても、お受けするつもりはございません」と、
きっぱりと答えたのだった。後になってから、分かることになるのだが、雅子さまは、この時、すでに皇太子殿下から
プロポーズされた後で、お受けするかどうかとひとり悩んでいる頃だったようだ。
…この記者会見で、雅子さまは、「お受けしますからには、殿下にお幸せになっていただけますように、そして私自身も
いい人生だったと振り返れるような人生にできるように努力したいと思いますので」と、殿下のプロポーズを
お受けしたときの言葉を明かされた。雅子さまに結婚を決意させたのは、前年秋の皇太子殿下のお言葉だったという。
「皇室に入られるということは、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれど、雅子さんのことは、僕が一生全力で
お守りしますから」 …

■謙虚で質の高い陛下の日常 三浦朱門 (作家)
…考えてみると、昭和天皇は苦しい時代を担われた。明治憲法の申し子のような形で、この世に生れられた。
日本は日清、日露の戦争に勝ったために、いささか歪んだ形の近代化を歩み、他の先進国から
異質の先進国として扱われ、そのあせりが第二次大戦になる。
敗戦後はもう一度、国際基準に合うような形の近代化を目指すが、その結果が新憲法と経済成長であった。
それらを日本に定着させながら、その矛盾が漸く見えてきた時に、先帝は崩御された。
そして平成の二十年は、世界的な戦後体制の終結に伴う、日本的な意味での新しい目標を模索しながらも、
しかしその形が見えてこない、というのが実情だろう。
宮内庁から発表される平成天皇(原文ママ)のおだやかな御日常、そして民業の象徴のような稲作を陛下が、
養蚕を皇后さまがなされるお姿、また被災民を見舞われる際の、作業服をお召しになって、
被災民の前に屈まれて、同じ目線で労りの言葉をかけられるお姿から、質素で慎ましい生活を国民と共に
歩まれるお心を感ずるのは、私の思い過ごしだろうか。
もしそうだとするなら、陛下は、国民の心の中に密かに育まれている、一つの流れをいわば先取りして、
その形を国民にお示しになっているように思える。
…今の日本が目指しているのは、経済も技術も、国際関係も、質の高い、そして世界でかけがえのない存在に
なることではあるまいか。つまり異国の人が憧れるような日本文化を育てることが、平成時代の目標だ、と
私は考えている。

■サブカル化する平成皇室 森暢平 (成城大学准教授)
雅子妃の療養以後、皇室は大きく変質してしまった。いや、もっと前に変わっていたのだが、それがだれの目にも
明らかになった、と言い換えてもいい。
…こうした時代の皇室は、国民の規範であることが難しくなっている。「私たち」のあるべき姿を皇室が象徴
しなくなってしまったためだ。天皇が何かを象徴した時代の終わりを、私は、あえて「象徴天皇制の終焉」と名づけた。
冒頭で、皇室の変質と言ったが、正確を期せば、皇室を受容する「私たち」の側の変質である。
両陛下と東宮夫妻をめぐる「確執」報道をみても、皇室の変質は実感できる。外交の仕事や個人の暮らしを大事にしたい
東宮夫妻と、それに苦言を呈する両陛下の“対立”の構図。それが、公式な記者会見において、公に露呈してしまう
事態は、これまでならあり得ない。
むろん、世代の違いによる意見の相違はいつの時代にも、どこの家庭にもある。現に、昭和天皇夫妻と、貞明皇后は、
考え方の違いから、うまくコミュニケーションがとれなかった時もある。嫁入り直後の美智子妃にも、嫁姑の確執はあり、
それは、さまざまな経路で語られた。だが、公式な情報伝達チャンネルを通じて伝わることはなかったのである。
これはメディア環境の変化という要因もある。少し前までは、地方への行幸啓を、日の丸をもって大歓迎する
地元道府県民の姿は、新聞、テレビを通じて増幅された。歓迎しない人がいたとしても、それは
メインストリームメディアからは黙殺された。「ないこと」か、あったとしてもごく一部の人たちの行動と
受け止めることができたのである。
ところが、現在、ネット上では皇室をめぐりさまざまな言説が繰り広げられている。地方訪問は「交通渋滞に
なるだけ」「過剰警備は税金の無駄」という批判から、「諸君!」読者にはとてもお伝えできない「不敬」な語りまで…。
「それはけしからん」という立場もあろう。だが、そうした状況はすでに蔓延しており、いかんともしがたい
ところまで来てしまっている。
こうした時代に皇室がどう対応するのかは、難しい課題である。現在の在り方を根本的に考えなおさないと、
ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている。だが、肝心な宮内庁はじめ政府が何も考えていないのが、
非常に気にかかる。

■宮中祭祀改革は誰の構想か 八木秀次 (高崎経済大学教授)
…近代科学の合理的精神では説明できないことだが、国の中心に「国平らかに民安かれ」と
常に祈っておられる方が存在するということが、どれだけ国民に心の安定感を与えていることだろうか。
またどれだけ我が国の発展に寄与しているだろうか。
為政者に頼るところがなく、国民道徳が腐敗する今日にあっても、我が国が辛うじてその地位を保っていられるのは、
こうした皇室の目に見えない「祈り」のお陰であると思わざるを得ない。
「祈り」は何も今上陛下の御代に特有のことではない。「祈り」は皇室の存在理由そのものである。
天皇はその始まり以来、一貫して「国平らかに民安かれ」と祈る祭祀王であり、祭祀をしない天皇など
語義矛盾でもある。
『日本書紀』によれば、皇祖神・天照大神自ら祭祀を行っているし、初代天皇・神武天皇も
「天神地祇を敬い祭」る存在として記述されている。歴代天皇の祭祀に対する基本姿勢は
第八十四代・順徳天皇の『禁秘抄』にある「凡そ禁中の作法、神事を先にし、他事を後にす」との言葉に尽きている。
宮中では神事しなわち祭祀を優先し、その他のことは後回しということだ。今上陛下は皇后陛下とともに、『禁秘抄』の言葉そのままに「祈り」を皇室の中核にしてこられたということであろう。
ところでこの皇室の存在理由そのものといっていい宮中祭祀の大幅な簡略化ないし廃止が最近になって
唱えられるようになっている。発端は皇太子殿下が昨年二月のお誕生日を控えてのご会見で、
雅子妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあると示唆されたとして、明治学院大学教授の原武史氏が、
『週刊朝日』(07年3月9日号)で発言したことにあった。原氏は、神武天皇は本当に実在したと考えられるか、
天照大神の存在を理屈ぬきで受け入れられるか、といったことなどを挙げ、こうしたことが合理性を重んじる
海外で生活を重ね、外交という現実の世界を生き抜いてきた妃殿下にとって簡単に受け入れられることではない、
信じることができなければ祈ること自体が苦しくなると述べ、「皇太子妃にとって、この『菊の壁』は
とてつもなく厚く、結婚前は想定もしていなかったものでしょう」「本当は、そこに皇太子妃が苦しんでいる
本質があると知ってほしい」と発言している。
そして、この妃殿下の苦しみを救うべく宮中祭祀の簡略化ないし廃止に向けて皇太子殿下が「宮中祭祀改革」
の構想を密かに温めているのではないかと推測している。
果たしてこの「推測」が文字通りの推測であるのか、妃殿下を含めた皇太子殿下サイドの代弁をしたものであるのか、
今のところ分からない。
…問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや、少なくとも祭祀に違和感を持つ皇后が
誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上してくるのである。皇室典範には「皇嗣に、精神若しくは
身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、…皇位継承の順序
を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは「重大な事故」に当たるだろう。
今はただ皇太子殿下・妃殿下に宮中祭祀に対するご理解を求めるばかりである。

■先帝ご不例の夜の慄き 谷部金次郎 (元宮内庁大膳課)
…闘病の最中、ご気分の宜しい時もおありになり、ある日、葛湯をご所望になりました。その時も私が当番に
当たっておりまして、吹上御所へ伺い、お作り致しました。
…その後、お見舞いに訪れた五女の島津貴子さんに「おいしかった。葛湯の時間は何時だ」と尋ねられたという
エピソードが報じられたことを思いだします。
私のような平社員では、なかなか陛下にお目にかかる機会はありませんが、御用邸ではその機会も少しだけあります。
御用邸でご静養されている時は、昭和天皇がとてもリラックスしておられる感じがしました。つかの間の休息を
御用邸で過ごされるのがお楽しみだったようです。
お食事の折、隣の部屋で控えておりますと両陛下の会話が聞こえてまいります。その日散策なさった時の出来事や、
お孫様のお話などお声も弾んでいたのを思い出します。特に記憶力が優れている陛下は、「去年はまだ花は咲いて
なかったのに、今年は咲いているね、少し早いね」「あそこの木が枯れてしまったね。どうしたのだろう」などと、
次から次へと思い出しながら会話をされておられました。時にはその日にお出しした料理のことなども話題にされ、
「これはこんな風にした方が美味しいね」などと仰り、脇で伺っていて、おおいに参考にさせて頂いたものです。
普段、お好みの味などはお口に出さない方なのでお好みの味を摑むまでは大変でした。それでも、
「今日のはおいしいね」というお言葉を伺うと、小さくガッツポーズしたことを思いだします。
今上陛下が皇太子時代に、御一家お揃いで毎週金曜日の夜、吹上御所へ御参内されるのも、昭和天皇は大変
楽しみになさっていました。浩宮様、礼宮様、紀宮様たちもまだ小さかったので、とてもにぎやかにお食事を
楽しまれておられました。普段のお食事はどちらかというと、とても質素だったと思いますが、お子様も
お見えになることから、もう一品、お子様の好まれるような物を必ずお付けしておりました。お子様方が
小さなお土産などを持参されると、昭和天皇がことのほかお喜びのご様子であることが、もれ聞こえるご家族の
会話から想像出来ました。
たまにある食材の献上品などは数回に分けてお使いし、何回もお楽しみ頂けるように工夫をしておりました。
そんな時は、「まだあったの」と、大変お喜びになられました。これも献上された方への心遣いかなと、
勉強させられました。
陛下の御前で天ぷらを揚げるということも、しばしばありましたが、体が固まってしまい、上手く揚げることが
できなかったことや、ご飯の釜のスイッチを入れ忘れお待ち頂いたことなども懐かしく思い出されます。 …

■傷ついた心を癒す祈りの力 山内昌之 (東京大学教授)
いまの天皇と皇后は、皇室とは「祈り」であると考えておられるようだ。これは、宮中祭祀が祈りに通じるといった
一般的な問題からではない。悲惨な戦争体験と犠牲者への痛みをもちながら、現在社会において恵まれない
立場に追いやられがちな障害者や孤独な老人など弱者への自然な共感が、平和への願いをこめた「祈り」という
言葉で表されるのだろう。
お二方の特質でいちばん目立つのは、おそらく公私の区別という意識がほとんどないことだろう。公私がないとは、
象徴天皇が法の矩(のり)を越えて政治行為に関わるというレベルの事柄を指すのではない。公の義務を私の
願望よりも自然に優先させる作法が身についておられるということなのだ。いや、そもそも私の御関心を優先させる
という発想そのものがないのであろう。こうした感性の基礎にあるのは、深い良識と教養の広がりにほかならない。
…天皇と皇后のお二方における私という意識の希薄さは、善き日本人として際立った特質にほかならない。
憲法に定められた象徴天皇としての義務感、長年にわたる祭祀と伝統行事で培われた国民への責任感、
生得の御人格と日常の自覚的な御努力などが渾然一体となって、独特な存在感と挙措がつくられたのであろう。
…多くの人びとがもつお二方に対する敬愛の念は、自分たち市民には欠けがちな無私を貫くお二方の姿勢に
国民として誇りと尊敬心をもっているから自然に湧き起こるのだ。未来の天皇と皇后になる皇太子ご夫妻に
いちばん継承して欲しいのは、この「祈り」の意味と無私の価値なのである。

■「おしまい」派、敗れたり 山下晋司 (元宮内庁報道係・「皇室手帖」編集長)
…皇太子時代からの支持者は一層、思いを強くし、「おしまい」派は陛下の「公」を重んじる姿勢がわかってきた。
陛下はそのように天皇としての姿勢を示し続けられることによって、今の信頼を得たといえる。
天皇たるもの常にそうあらねばならないのか。
宮内庁は「お気持ち」という言葉をよく使うが、「お気持ち」は個人の感情であり、「私」に通ずる。だが、
陛下の「お気持ち」は本当の意味での「私」ではなく、天皇としての「公」から発せられていることは、今や
国民側は重々承知している。宮内庁もその「お気持ち」に頼っている面が多々ある。
しかし、天皇が常にそうだとは限らない。「私」を大きく感じさせたり、信頼できない天皇の場合、国民は
それをどう受け止めるのだろうか。皇室典範改正論議の際、女性天皇=敬宮殿下、のような目先の話になる
ことを考えれば、天皇として好ましくないという考えが天皇そのものが不要といった議論になりかねない。
「天皇」を陛下の人格に頼れば頼るほど、天皇制は皇位継承の問題だけでなく、存在自体が困難になると
思えてならない。
陛下は三歳でご両親から離されてお育ちになった。その後、ご結婚されてお子さま方と一緒に過ごす「家族」を持ち、
それを大切にされた。昭和時代はまさしくその種の報道が多かった。しかし、陛下は皇太子時代も、天皇と
なっても、「公」を重んじ、庶民レベルの「私」はなかったといってもいい。
平成16年5月に皇太子殿下のいわゆる人格否定発言があった。その年の12月のお誕生日会見で陛下は
殿下から発言内容について何回か話を聞いたが、理解しきれないところがあるとおっしゃり、殿下のいう
新しい公務についても無責任でない形で行わなければならないとおっしゃった。また、「時代に即した公務」が
具体的にどのようなものを指すかを示し、少なくともその方向性を指示して、周囲の協力を得ていくことが
大切だとおっしゃった。公の場でのご発言なので、お話し振りは柔らかく、殿下への気遣いも感じられるが、
内容自体は厳しいものである。こういったご発言が陛下の「公」を重んじる姿勢を皮肉にも証明したのでは
ないだろうか。 …

■絶妙のバランス感覚 八幡和郎 (評論家・徳島文理大学教授)
…こどもたちの歴史教科書でも「邪馬台国」とか「卑弥呼」などが国の始まりのように書いているが、「日本国家」は
そんなものの存在を記憶さえしなかった。邪馬台国は日本民族がつくり、日本列島のどこかにあったクニかも
しれないが、日本国家はその外交も内政も継承していないのだ。
日本国家は、のちに神武天皇と呼ばれる人物が九州からやってきて大和の地に建てた小さなクニが成長して
やがて統一国家に発展したのであり、外交世界への初登場はやはり後世の人が神功皇太后と呼ぶ女性に導かれた
朝鮮遠征であって、それ以降の外交についてのみ、現在の日本国が権利も責任も継承しているのである。
「万世一系」などというと時代錯誤に思う人もいるが、日本国家の歴史が皇室の歴史とイコールだという強固な
正統性に裏付けられた高い安定性を日本国家が持つことは軽いものではないし、歴代天皇は必死の思いで
この正統性を護ってこられたのである。
…今上天皇は即位に際して「日本国憲法の規定に則り」という言葉を使われた。FIFA日韓ワールドカップに
当たっては、桓武天皇の母である高野新笠を通じて百済王室の血を受けているという「ゆかり発言」が韓国で
好感を持って受け取られた。あるいは沖縄について「島津の血」を引く者として内心忸怩たる思いがあることを
語られた。「君が代」斉唱を強制することへの疑問を投げかけた発言も話題を呼んだ。
こうした一連の姿勢に、違和感を感じる人もいるかも知れないが、アジア諸国民などの間に存在する皇室に対する
反感を和らげるものとして大きな意味を持った。
だが一方で、今上陛下が「祈り」を重視され、伝統的儀式に熱心に取り組まれているのも周知の事実である。
あまり知られていないが、歴代天皇の御位牌がある泉涌寺に代表される皇室との関わりの深い寺院を訪問される
ことも多い。また、被災地への訪問なども好感を持って迎えられているし、公務についてのストイックな姿勢は
一貫したものである。
おそらく、陛下ご自身、皇太子としての長い準備期間のなかで、いかなる天皇であるべきか熟慮を重ねられた
うえでの、まさに満を持しての即位であったことにふさわしい立派なお振る舞いというべきであろう。
だが、こうした陛下自身の個人的資質に寄りかかった皇室制度には不安がある。皇位継承問題にしても、
もっと早くからあらゆる状況を想定しての検討と準備をすべきなのに、いきなり具体的な議論に入ったために
混迷してしまった。 …

■問題は「象徴性」の欠如 ケネス・ルオフ (ポートランド州立大学助教授)
…皇位は、男子によってのみ継がれる。法の上ではそうだが、現代の皇室には、その制度の維持を可能ならしめる
仕掛けが存在しない。男の嗣子を何人も用意しておくための王子グループが少ない。さらに男子誕生を補佐するための
側室、または豊かに枝分かれした皇族がない。
…日本の皇室は、維新いらい一貫して、傷病者を救う慈善事業を支援してきた。だが、その支援は、取り残された
人々を収容する施設を建てるなど、結果的には社会の主流から隔離する方向に向かうものが多かった。
天皇・皇后はそういう人々を、なるべく主流の中へ取り込み、包み込む努力をしたのである。
天皇と皇后は、公務を通じて、何本もの象徴的な糸で国民と結ばれてきた。ところが皇太子と皇太子妃は、
男子皇統を得ないトラウマを抱きつつ、座したまま中年になった。敢えて皇太子徳仁の「独創性」を探せば、
それは史上初だが今日の世間一般の風潮とピタリと一致する行為――つまり愛子さまを育てる仕事に没頭する
父親像を生きたことだろう。それにしては国民は、まだ彼が赤ん坊のオムツを替えているビデオを見たことが
なかったが。気の毒なことに彼の生活は「男の子が生まれない」という最大問題によって、完全に包摂されて
しまったのだろう。
皇太子妃雅子は、宮内庁にいじめられる可哀相な被害者、公務より私生活を優先するエゴイストと、二通りの
見方をされてる。いずれにせよ彼女の象徴性は、天皇家が信念を持って果たしてきた明確な社会的役割とは、
似ても似つかぬものである。
皇太子夫妻は、皇族の歴史に自らの存在証明を刻むまでに、あと四十年から五十年かかるだろう。いずれにせよ
彼らが次の天皇・皇后であることは間違いない。お二人は思い切って、社会的に有意義な仕事に皇太子・
皇太子妃としての努力を注ぐ道を決心なさるべきだろう。 …

■汚い商業的ジャーナリズム 渡邉恒雄 (読売新聞グループ本社会長・主筆)
私は学生時代、天皇制に反対だった。戦時中、軍に利用された「天皇」の名の下に、何百万もの青少年が殺された。
当然現人神(あらひとがみ)「天皇」に対する反発が、陸軍二等兵で敗戦を迎えるまで、抜き難いものに
なっていたからである。
ではなぜ現在、天皇制支持者になっているのか。理由は二つある。
第一は、それまで顔を拝することも許されなかった天皇陛下と皇族方に直接拝顔する機会が増え、個々のお人柄に
本当の親しみを感じたからだ。特に新聞社の幹部になってから、各種の文化事業等を通じて、天皇、皇后両陛下と
お話しする機会が与えられ、御夫妻の品格、お人柄にふれたこと。私が前立腺がんの手術をした経験を公表
したものをお読みになったのか、私の顔を見ると必ず「お身体の具合はいかがですか?」といたわって下さる。
皇后様も、野鳥の話に及ぶとまことに気さくで楽しそうでいらっしゃる。
…第二の理由は、国民統合の象徴(私個人は元首というべきだと考えている)として、天皇家は政治家と異なって、
絶対的に清潔であることだ。国家権力のトップとしての首相は、汚職で逮捕されることもあったし、政治家と
いうものに、完全な清潔さなど求めるのは本来無理である。したがって、国民統合の象徴として、世俗的、
金銭的に完全に清潔な天皇家の存在は必要不可欠であると信じるに至ったからだ。
…多くの興味本位の皇室報道は、その報道機関の商業的利益のためのものに過ぎない。
それは汚いジャーナリズムである。
…雅子妃の御病気がもとで、皇室内にいささかの問題があるようだが、品格を欠いたものでは決してない。
宮中官僚が、もっと率直に賢く御忠言申し上げればよいのだ。
男系、女系問題は、歴史にとらわれた固定観念は必要ではないが、国民多数の希望を無視せずに、これは政治的に
決断すべきであろう。一般庶民の家庭でも同じような問題はよくあることで、古風な伝統より、国民的常識を
尊重したらよい。
天皇と靖国神社の関係については、A級戦犯が分祀されない限り参拝すべきではなく、三十余万の戦没者の
遺骨が埋葬される千鳥ヶ淵戦没者墓苑を公式参拝の場とすべきである。
話はそれるが、現在の皇室費は安すぎるし、天皇からまで相続税を徴収するのは間違っている。
また、降嫁され黒田夫人となられた紀宮様が、生活の不自由を感じられることのないよう、何らかの方途を
講じるべきである。皇籍離脱された内親王には、少なくとも一代限りでも皇族に準じる称号と処遇を考慮しても
よいのではないか。