東宮大夫はなぜ雅子妃スペイン行きにこだわったのか

諸君!2008年7月号
総力特集平成皇室二十年の光と影
東宮大夫はなぜ〈雅子妃スペイン行き〉にこだわったのか 大島真生(産経新聞記者)
移住百周年のブラジルはあっさり断念したのに。
奇妙な優先順位のつけ方に、疑問の声しきり

(略)
ブラジルよりスペインを優先
6月の皇太子さまのブラジル訪問は、昨年10月に宮内庁から予定が発表されたが、その段階で早々に、
雅子さまは同行しないことも明らかにされた。訪問先が地球の裏側という遠隔地で、多くの式典も計画されて
いたことから、体力的に負担が大きいというのが理由だった。宮内庁記者からは「結論が早すぎる」との
疑問の声も出たが、宮内庁では八ヵ月先の回復状況の見通しは立たないとして、ブラジル側の準備の都合も考慮し、
医師とも相談した上で早期に結論を出したという。
一方、スペイン公式訪問は、今年3月に予定が明らかにされた段階で、雅子さまが同行するかどうかは
「日程の詳細を検討して判断する」と宮内庁は明言を避けた。八ヵ月も先は分からないが四ヵ月先ならある程度、
見通しが立つというのは、かなり苦しいが理論的には理解できなくはない。だが、ブラジル訪問とスペイン訪問の
意義の違いが、実は雅子さま同行の有無について問題を難しくした部分がある。
(略)
天皇皇后両陛下は移住七十周年の1978年や、即位後の97年など過去三回、ブラジルを訪問している。
それは、両陛下が日系人の祖国に対する思いの強さを熟知しているからであり、だからこそ両陛下は、
移民が最も多いブラジルでの百周年記念行事をとりわけ重視している。
(略)
両陛下は4月7日、日系ブラジル人が多く住む群馬県大泉町と同県太田市を日帰りで訪問した。これは、
両陛下の百周年に対する思いの強さを表す一方で、ある宮内庁関係者は「皇后さまが文書でわざわざ触れたように、
ブラジルとの交流はそれだけ重要な公務だという両陛下の認識を、皇太子さまへ改めて伝えるため」と指摘している。
皇后さまの誕生日文書は、皇太子さまのブラジル訪問発表の四日後に公表された。つまり、雅子さまの
同行見送りが正式に公表された四日後でもある。宮内庁の羽毛田信吾長官も4月24日の記者会見で、
「(両陛下は)ブラジルに移住した方々のご苦労に思いを馳せておられる」と重ねて述べている。

外交官%結{大夫の手腕
もちろん病を抱えている以上、雅子さまがブラジルに同行できないのは致し方ない。ただ宮内庁東宮職は、
ブラジル同行の断念は早々に結論を出しながら、スペイン同行の結論は先延ばしを繰り返した。
宮内庁の一部には、「両陛下の強い思いがあるブラジルよりスペインを優先した。両陛下の思いが二の次にされた」
とする声すらある。こうしてみると、スペイン同行実現に、東宮職側は明らかにこだわっていたことが分かる。
なぜスペイン行きは特別だったのか。その疑問を解くカギは、実は野村氏の存在にあった。
よく知られているように、野村氏は雅子さまが三歳の頃、在モスクワ日本大使館で雅子さまの父、小和田恒氏の下で
働いていた元外務官僚である。外務省本省ではソ連課長や欧亜局長を歴任。駐マレーシア大使や駐ドイツ大使を経て、
2006年4月から東宮大夫の職にある。野村氏がその経歴や人脈を背景に、東宮大夫として最初に手腕を
発揮したのが、同年8月の皇太子ご一家のオランダ静養だった。雅子さまの四年ぶりの外国訪問を、皇族が
静養目的で私的に海外を旅行するという、過去にない手法で実現させたのだ。
(略)
ご一家はアペルドールンにあるオランダ王室のヘット・ロー宮殿に隣接するヘット・アウデ・ロー城に二週間、
滞在した。ハーグの国際司法裁判所で判事を務める小和田氏とも、現地で合流している。滞在中は広大な
王室施設の中ということもあり、静かな環境が保たれ、雅子さまも十分にリラックスできたという。
(略)

雅子妃の同行ありきで
宮内庁は国内で、病気療養中を理由に雅子さま関連の取材自粛をマスコミに再三求めてきた。これに近いレベルの
取材規制が可能なのが、広大で警備も厳重な王室施設である。
王室施設ゆえに実現可能な雅子さま滞在中の静かな環境づくり。同じようなバッシングを経験しているために
生まれるシンパシー。この二点が、オランダとスペインに共通しており、オランダ静養を実現させた野村氏が、
ずるずると同行の結論を引っ張るなどして雅子さまのスペイン訪問に執着していた理由だとみられている。
つまりスペイン訪問は、雅子さま同行の可能性ありきで決まった部分があるのだ。
昨年1月、欧州歴訪中だった当時の安倍晋三首相がベルリンのドイツ大統領府でケーラー大統領と初会談した際、
大統領から皇太子ご夫妻訪独の招請があった。野村氏が駐ドイツ大使を経験していることから、当時は雅子さまの
ドイツ行きを示唆する報道もあった。
だが野村氏はその後、「個人的にドイツ行きは難しいと思う」と述べていた。実際ドイツ訪問は実現していない。
体調面から難しいという意味もあったであろうが、やはり王室がある立憲君主国と共和国では、雅子さまを待つ
環境が違い過ぎるということもあったのではないだろうか。広大な宮殿があり、ロイヤルファミリーへの
理解度が高い立憲君主国とドイツのような共和制国家では、受け入れる側の環境が違う。ましてドイツには、
故ダイアナ妃の死亡事故直後の大破した車の写真を掲載した大衆紙「ビルト」や、2001年に付録の小冊子に
皇太子さまを侮辱する写真を掲載した「南ドイツ新聞」などの地元メディアもあり、日本のマスコミのみならず
現地マスコミの取材が殺到することも十分に予想された。ドイツ大使だった野村氏は、大使時代の経験から
ドイツ行きをむしろ敬遠してたと考えるのが妥当だろう。
一方、東宮職がスペイン行きに拘泥した背景には、野村氏の別の強い思い入れもあったという見方もある。
皇太子ご夫妻の出会いはそもそも、1986年の秋に行われたスペインのエレナ王女来日歓迎の茶会だった。
そして皇太子ご夫妻にとって大きな転機となったのが2004年である。雅子さまが帯状疱疹や心的ストレスのため
療養していた長野県軽井沢町の別荘から帰京した翌日、皇太子さまのスペインなど欧州三カ国歴訪が閣議で
了解され、同時に雅子さまは同行しなことが決まった。スペイン行きの理由は、先のフェリペ皇太子と
レティシア妃の結婚式出席だった。
この訪欧を前にした記者会見で皇太子さまは、雅子さまが同行を見合わせたことに「後ろ髪を引かれる思いです」
と述べ、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言したのだ。スペインの首都マドリードで
同年5月22日に行われた結婚式には、一人で参列する皇太子さまの姿があり、約二カ月後の7月30日、
宮内庁から「適応障害」との病名が公表された。
皇太子さまに近い関係者は、こうした経緯から、「皇太子さま自身もスペイン訪問こそが雅子さまの海外での
公務復帰に相応しい舞台設定であるという思いがあったはず」と指摘している。側近として常に皇太子さまの
側に身を置く野村氏が、こうした皇太子さまの意向を汲み取ったからこそ、スペイン同行実現にこだわったという
見方もあるのだ。
野村氏は、当初雅子さまの同行の有無を決めるタイムリミットとしていた大型連休明けを前にした5月1日の
記者会見で、「具体的に妃殿下が行かれるということで、何か準備をしているということはない」と語った。
だが外務省関係者は連休前、「雅子妃が行く前提で準備しています」と打ち明けてくれた。野村氏の本心が
ある程度、「古巣」の外務省に伝わっていたからとみるのが普通だろう。
さて、スペイン訪問が現実性を持った背景には、北京五輪の開会式出席問題も無関係ではなかった。
(略)

小和田氏と福田首相の「密会」
…福田首相の父、福田赳夫氏が1976年、総理に就任すると、福田首相は政務秘書官に、そして小和田氏は
外務省から事務秘書官として出向した。二人は年齢が近いこともあってすぐに親しくなり、それ以降、
家族ぐるみのつきあいだと言われる。小和田氏は帰国の度に福田事務所に挨拶に行っていることから、官邸を
訪ねたことも特別なことではなかった。だが、日中国交正常化を実現した故田中角栄氏の「秘蔵っ子」だった
小沢氏と、親中派として知られる福田首相の訪中に続き、皇太子妃の父と福田首相の「密会」が明らかになった
ことで、宮内庁関係者の間に疑心暗鬼の空気が流れるのは当然の話であった。
野村氏としても、雅子さまのスペイン訪問を実現させたい思いがある一方で、小和田氏との関係もあり、
北京五輪出席の可否は横睨みの状態だったとみられる。まず、二カ月連続の海外公務に雅子さまが体力的に
耐えられるのか未知数だったからだ。また昨年一年間で地方公務が6月の長野と10月の徳島の二回に過ぎなかった
雅子さまが、二カ月続けて海外公務に臨めば、「国内の公務を軽視している」だとか、「国内は行けないが
外国なら行けるのか」といった批判を招く怖れもあった。また前述したように、「(ブラジル移住百周年
に対する)両陛下の思いが二の次にされた」との批判的な見方があるだけに、今年、訪問先として候補に挙がった
三カ国のうち二カ国には行って、両陛下の思いが特に強いブラジルにだけ行かないという結果になることも、
印象が悪いので避ける必要があったのだ。
さて面会では、福田首相が小和田氏に「病気療養中の雅子さまの訪中が可能かどうか、病状を尋ねた」
「雅子さま訪中実現への協力を求めた」といった噂も生んだ。しかし、この状況を再び反転させたのが、
1月30日に発覚した中国製の毒餃子事件である。次々と中国製食品の安全に関する疑惑も明らかになった上、
全国的に中国産食材の買い控えが広がり、胡錦濤国家主席の来日日程もなかなか決められない状況が続く中、
皇太子さまのスペイン行きが宮内庁から発表された。
(略)
3月の段階で北京行きが濃厚となっていれば、スペインは早期に断念せざるを得なかっただろう。その後の
チベット問題にも助けられたが、毒餃子問題があったことによって、連休明け以降まで同行の可能性を
模索することができたのである。
(略)

「新しいこ公務」のあるべき形とは
一方、皇太子さまは2005年2月と2007年2月の誕生日会見で、「新しい公務」「時代に即した公務」として
環境問題、子供と高齢者に関する事柄、国際交流、日本の新しい産業・技術の四つを、繰り返し挙げている。
特に一つ目のテーマである環境については、ライフワークとしている「水」の問題を重視している。
皇太子さまが、真摯にしっかりと公務に取り組んでいることは間違いない。ただ皇太子さまの「新しい公務」は、
分かりにくくて国民に伝わりづらいという意見も根強い。理由は、継続することを徹底している両陛下と比べ、
継続性の点でやや欠如している印象があるからだ。
水の問題は、水質汚染や温暖化による水不足と海面水位の上昇などタイムリーであり、皇太子さまの活動に対する
国民の期待も大きい。ただ、そもそも皇太子さまの水への興味は、学習院大学の卒論テーマが中世の瀬戸内海の
水運だったことに始まり、英国留学中の研究テーマも十八世紀のテムズ川の水運だったことに基づいている。
あくまでも水の問題に取り組むきっかけに過ぎないので、差し障りがあるわけではないが、水上交通と環境問題は
「水」という「言葉・物質」以外に関連性がない。だから、水を通じてずっと環境問題にかかわってきたという
印象もない。例えば皇太子さまが常陸宮さまのように理系の道に進み、水質の研究をしていたといった場合と
比較すると、動機付けとしてはやはり少し無理があると言わざるを得ないのだ。
皇太子さまが「新しい公務」として四つを具体的に示したのは、2004年5月の人格否定発言について、
同年12月に天皇陛下が誕生日会見で「皇太子が希望する新しい公務がどのようなものであるか、まだわかりません」
と述べたことに対する事実上の回答だった。二カ月後の自身の誕生日会見で、「私の公務の在り方については
この一年、様々な議論があり、宮内庁参与なども含めていろいろ検討してくれました。私としては、これらを
参考にしてよく考えてきました」とした上で述べたものだった。まだ歴史が浅いだけに、両陛下と比較すれば
説得力や国民への浸透が十分でないのは仕方がない部分はある。次の天皇として、新しい取り組みを模索する
ことも重要だ。環境問題はまさしく皇太子さまが取り組むテーマには相応しい。
だがまずは天皇陛下の続けてきた被災地訪問や戦没者慰霊といった公務に力を入れるべきなのではないだろうか。
両陛下は震災直後に被災者を励ましに行ったり、直後に現地入りできなかった場合には、時間を置いてから
被災地の復興状況を視察している。両陛下が二人で取り組んできたこうした公務を引き継ぐには、パートナーとして
皇太子妃の存在も必要になる場合もある。だが雅子さまは病気療養中だ。であれば、皇太子さま一人でもできる
新しい被災地訪問や戦没者慰霊の旅を模索してもいいはずだ。2006年の暮れ、羽毛田長官は記者会見の中で、
雅子さまの長期療養を踏まえ、ご夫妻での分担など公務の見直しの必要性について言及した。皇太子さまは
これを受け、翌年の誕生日会見で「公務の分担の話は雅子が回復してからの話」と切って捨ててしまったが、
例えば、震災直後に両陛下が入った被災地の復興状況を、皇太子さまが時を置いてから視察に行くといった
新しい公務があってもいいのではなかろうか。被災者は、より一層力づけられるはずだ。
4月10日、皇太子さまは「全国みどりの愛護のつどい」出席のために訪問中だった山口市で、
特別養護老人ホームを視察した。ここで、実は「おやっ」と感じることがあった。大部屋で皇太子さまの
お声がけを待っていた入所者の一部が、なぜか飛ばされてしまったのだ。またその後、急遽、予定にはなかった
施設の中庭の視察が始まった。
「おかしいな」と思い、関係者に尋ねたところ、案内役の施設の人が、緊張のあまり早口で説明を続けている上、
一部の入所者の紹介を忘れて飛ばしてしまったというのだ。このため時間が余り、中庭の案内を入れたのだった。
だが東宮職はなぜ、飛ばしてしまった入所者のところに戻って、改めて皇太子さまが会話をする機会をつくろうと
しなかったのだろうか。せっかく皇太子さまが要介護の高齢者を励ます場なのだから、時間が余ったのならば、
東宮職は皇太子さまと入所者の接点を増やす努力をして欲しかった。警備上の問題があるにしても、予定外の
中庭案内ができるのならば、寝たきりの入所者の部屋を一部屋ぐらい訪問するサプライズがあったとしても、
「不公平だ」といった批判が出たとは到底思えない。こういうことが続けば、「新しい公務」の二つ目の
テーマ「高齢者と子供に関する事柄」も、両陛下のそれと比べて見劣りするものとなってしまいかねない。

「慰霊の地」への訪問こそ
また、皇太子さまが「国際交流」を三つ目のテーマに入れたのは、当然、それがご夫妻の結婚当初からの
思いだからだ。東宮職がこだわった雅子さまのスペイン行きも、雅子さまの病状を考えればベターな選択
だったことは理解できる。だが、雅子さまを「欧米好き」と皮肉るバッシングが根強いことを考えると、
ベストの選択肢ではないことは、東宮職も理解すべきだろう。さらに四つ目のテーマ「産業」の視察で、
工場に足を運ぶことを継続していくことは大切だ。だが取材する側としては、キヤノンや資生堂など
営利企業の視察と、障害者施設や老人介護施設の視察はどうしても同列に見ることはできない。
(略)

「全力でお守りする」ために
…「全力で守る」と言って、途中で投げ出したというレッテルをはられた皇太子さまが、天皇陛下と同等か
それをしのぐ国民の支持を得られるとは到底思えない。一方で、いま皇太子の立場で国民に伝わりやすい
メッセージを行動で示し、伝えていかなければ、雅子さまへのプレッシャーは増すばかりだろう。
皇太子さまが本当の意味で雅子さまを「全力で守る」には皇太子さまも、ブレーンとなるべき東宮職も
軌道修正が必要である。
天皇陛下は昨年、記者会見でご夫妻の海外訪問について、「関係者の意見≠徴し、二人でよく考えて
進めていくことを願っています」と語っている。だが、野村氏をはじめとする東宮職の意見≠ェ、
方向性を見誤っていることが最大の問題なのだ。親善のための訪問か、慰霊の旅か。雅子さまの負担も
考慮しながら、ご夫妻の海外での活躍に道筋をつけ、なおかつ国民も納得できるのはどちらか。
答えは簡単に思えるが、東宮職の首脳には、皇太子さまにそういった諫言やアドバイスができる人材がいないのだ。
今回のスペイン訪問をめぐる問題は、まさにいまの迷走ぶりを象徴しているように思えてならない。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

スペイン国王の訪日を歓迎 皇太子さま、小児病院訪問
2008年7月18日 23時39分

【マドリード18日共同】スペイン滞在中の皇太子さまは18日(日本時間同日夜)、
モンクロア宮殿(首相府)でサパテロ首相と昼食を共にされた。
あいさつで、ザビエルや天正遣欧使節など両国の交流の歴史に触れ
「国王同妃両陛下の日本訪問が準備されていることを大変喜ばしく思っております」と述べた。
宮内庁によると、国王フアン・カルロス1世夫妻が、秋に国賓として来日することが
政府レベルで検討されているという。皇太子さまは、これに先だって日本人学校を訪問。
演舞を披露した小中学生約20人に
「英語も日本語も上手ですね」「学校は楽しいですか」などと声を掛けて回った。
小児専門のニーニョ・ヘスス病院では、七夕の「織り姫とひこ星」の紙芝居を
子どもたちと一緒に楽しんだ。
スペイン語で「日本の食べ物で好きなものは何ですか」などと尋ね、
「愛子さまに」とTシャツをプレゼントされると「どうもありがとう」と笑顔で応じた。

http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008071801001017.html