「皇室不適応」までの13年間

週刊文春2006年3月23日号
私が見た「皇室不適応」までの13年間

■十年来の付き合いがある皇太子ご夫妻の知人A氏
「ご成婚直後は本当にお気の毒だなあと思っていました。向き合ってお話ししていても、
お声が小さくて聞き取れないことがあるほど、気落ちされているご様子なんです。
きっと宮中祭祀など、外からうかがい知れない皇室独特の世界に戸惑っておられたんでしょう。
ところが、ご成婚から三年ほど経って東宮御所にうかがうと、雅子さまのお声が大きくなっておられた。
身の回りのお世話をする内廷係にハッキリとした口調で指示を出されていました。
ご病気になられた後、最近お目にかかったときは、愛子さまにかなり気を取られていらっしゃるご様子でしたが、
話題が海外のことに変わると、途端に興味を示される。やはり海外のことにはご関心が高いとお見受けいたしました」

■東宮関係者B氏
「妃殿下は昔から子供や福祉、けいざい、人権について深い関心をお持ちです。
特に経済についてはハーバード大学、オックスフォード大学院で専攻されているからお詳しい。
よく妃殿下のご専門は外交といわれますが、外交の権威におなりになりたいわけではなく、
福祉や人権をクロスボーダーにやっていきたいというお気持ちなのです」

■お二人をお迎えした経験を持つ元県警本部長C氏
「雅子さまは食事の席など、少ない人数になると、よくおしゃべりになります。疑問に思ったことなど、
どんどん質問なさるのです。ものすぐく生き生きと取り組まれている印象を受けました。
その間、皇太子さまはずっとニコニコして聞いていらっしゃる。
それに対して、美智子さまはほとんどお話しになりません。
基本的に天皇陛下がお話しになって、お話が途切れたときに補足的に質問される程度です。
天皇陛下を立てられる姿勢はお崩しにはなりませんでした。
やはり雅子さまは違うな、皇室も変わるなと期待していたのですが、ご病気になってしまわれたのは残念ですね」

■ホテルハイジ経営者の東伏見韶俶(あきよし)氏
「皇太子殿下がお酒がお強いのは有名ですが、雅子さまも同じペースでした。
フランス料理にあわせてお出しした赤と白のワインを、昼も夜も一本ずつ召し上がり、
食後にはロビーでコニャックを召し上がっておられました。
「雅子さまもずいぶんお強いな」と感心したものです。
ご滞在中のお二人は元気いっぱいという感じで、早朝六時のお散歩から始まって、天体観測、楽器の練習、
山登りなど予定がぎっしり。殿下は二メートル近い大きな箱に入った天体望遠鏡、
雅子さまはチェロのような大きな楽器を持参された。テニスは中止になりましたが、
よくお疲れにならないなと思いましたよ。殿下は何をされるにも雅子さまに相談していらした。
妃殿下によく気を遣われているのは、傍から見ていてもよくわかりましたね」

■那須ステンドグラス美術館関係者D氏
「美術館のパイプオルガンをお二人で連弾されました。雅子さまが腰掛けられて、
皇太子さまが後ろに立たれて、手を伸ばして弾いておられた。二十分くらいは続けておられたと思います」

■テレビ局スタッフE氏
「那須の御用邸でご静養中、妃殿下が運転席で殿下が助手席でした。
殿下は免許をお持ちでないから当り前なんですが、妃殿下の颯爽として
自信に満ちた笑顔が忘れられません。ひっとすると妃殿下は運転席に座られる方なのか、と思いました」

■皇室関係者F氏
「やはり公務が自分の想像と違っていたことが、ストレスになっていたのは
事実のようです。素晴らしくいいお嬢さんですが、外国で育った帰国子女のお嬢さんという感じで、
宮内庁も受け止めていました。雅子さまは皇太子妃という立場で、ご自分の能力をいかせると思って
嫁いでいらしたのに、それがかなわない。ご本人はかなりご不満だとうかがいました」

■元宮内庁担当記者G氏
「記者会とご夫妻がうまくいっていないことは、宮内庁も気づいていました。96、7年の頃、
記者会見を取り仕切る総務課は両者の壁を取り除こうと、会見の前に記者に「自己PR」を提出させ、
ご夫妻に読んでいただくというお膳立てをしたことがあります。雅子さまは会見で緊張されがちだったので、
記者のことを知ってもらい、少しでも空気をやわらげようという配慮だったのでしょう。

■天皇のご学友である元共同通信記者の橋本明氏
「94年から2001年まで、宮内庁の次長、長官を務めたのが鎌倉節(さだめ)氏です。
雅子さまが本来の持ち味を生かすことで皇室に貢献するより、やはりお世継ぎをお産みになる立場なのだ
という強い意向を、鎌倉氏が持っていまたことは間違いないですね」

長官の意向の背景には、当然、天皇皇后がお世継ぎを待ち望むお気持ちがある、と側近の多くは見ていた。

■元宮内庁関係者H史
「天皇皇后は『お世継ぎ』を「デューティー(義務)」だとお考えでした。ところが皇太子ご夫妻は
「子供のことは自分たちで考える」というお考えだった。
天皇皇后は四年以上たっても子宝に恵まれないことについて何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、
さすがにご心配が募られたようです。そこで、宮内庁御用掛で皇后さまのかかりつけ医であった産婦人科の
坂元正一氏にいろいろとご相談されました。ところが、坂元さんは皇后のご信頼が厚いためか、
皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそうです」

■元宮内庁関係者I氏
「ベルギーへのご出発前に基礎体温が上がるなど、ご懐妊の兆候があったのですが、
そのことを両陛下に報告されずにベルギーへ行かれたと聞きました。
ようやく外国へ行く機会が出来たのに、いま報告すれば止められるのではないかと東宮側が恐れたというのです。
さらに後でわかったのですが、ご夫妻はこれまで外国へ訪問できなかったことをベルギー王家の方々にお話しになり、
しばらくして王室関係者から皇居のほうに伝わったようです。
天皇皇后がご不快に思われたのは想像に難くありません」

流産の診断をした医師は会見で「ベルギー訪問や報道によるストレスが原因ではない」と明言したが、
念願の外国訪問と流産が重なったことは、雅子様にとって不運だったとしか言いようがない。

千代田(皇居)と赤坂(東宮御所)の隔たりが誰の目にも明らかになったのは、
2000年7月、香淳皇后のご葬儀のときである。豊島岡墓地で行われた
「斂葬の儀」は横殴りの強い雨のなかで行われたが、その場に雅子さまのお姿はなかった。
ご欠席の理由は「夏バテ」誰もが耳を疑った。

■皇室関係者J氏
「陛下のお許しがあったとはいえ、皇太子妃がご欠席とは前代未聞のことだと驚きました。
体調不良でも入院するレベルではない限り、皇族は出席するものと考えておりましたので…。
せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのではと思いました。
しかしバスの車中では、この件については一切触れられない雰囲気でした」

■元宮内庁関係者K氏
「東宮職の側近たちは唖然としていました。本番までの一週間、連日炎天下で黒い服に身を包み、
服に塩を吹くほど汗をかいて、リハーサルを繰り返していたからです。
職員は事前に皇居から移動して多摩の御陵までの段取りを何度となく確認し、玉砂利の坂を上ったり、
大テントに何百人と並ぶ練習を何回も繰り返しました。そんなリハーサルに妃殿下はお出にならないけれど、
一番最後のリハーサルにはきちんと参加されていたのです。
ですからご欠席と聞いたとき、職員たちは「まさか」と言葉を失っていました。
その後、妃殿下からは東宮職に何のご説明もなく、労いのこと言葉もいただけなかったそうです。
妃殿下は普段から側近にあまりご相談をされません。
そのため側近たちは妃殿下の真意がわからず、気を利かせたつもりがかえってお叱りを受けてしまったりして、
次第に“指示待ち”になっていったようです。
そのことがご夫妻と東宮職の間に様々な齟齬を生じさせていったのです」

天皇皇后にとっても、雅子さまがご欠席されたことは大きなショックであったはずだと側近は言う。
東宮家は秋篠宮ご一家や紀宮さまとも次第に疎遠になり、雅子さまの孤立はますます深まっていった。

■田園調布雙葉関係者L氏
「雅子さまは言い訳をなさらないご性格ですし、もともと自分からお話しになる方ではありません。
弱音をおっしゃったり、ご相談をなさることもない。ご自分のことをああだこうだと主張なさらない。
お妃に決まられたときは、そういう意味で“皇室向き”ではないかと思ったくらいです。
世間がどうあっても、ご自分のペースを守っていらっしゃるんでしょうね」

お一人目をお産みになった後、雅子さまは環境の変化を期待したが皇室が劇的に変わるわけもなかった。
しかしご夫妻の強い要望によって、一年後にようやくニュージーランド、オーストラリア訪問が実現する。

■同行した皇室担当カメラマンM氏
「カメラマンが異口同音に言ったのが「表情がいつもと違う」ということでした。
国内のご公務ではいつも表情がお硬いかんじだったのですが、あのときは純粋な公務だけでなく、
映画「ロード・オブ・ザ・リング」を撮影したスタジオの見学やフィヨルドの湾内クルーズなどの観光が
日程に入っており、柔らかい笑顔が自然に出ていました」

皇太子の人格否定発言について
■宮内庁の現役職員Q氏
「皇太子殿下がどうしてあのようなご発言をされたのか、私には正直いってわかりませんでした。
やはり記者会見でお話しになるような話ではなかったと思います。
陛下が後におっしゃったとおり、事前に両陛下にもっとご相談されるべきだったのではないか」

■皇室関係者R氏
「昨年の紀宮さまのご結婚式の映像を拝見した限り、天皇陛下と雅子さまは並んでお座りでしたが、
陛下は雅子さまにお話をする雰囲気ではなく、雅子さまの表情はお硬いままでした。
人格否定発言から一年半以上が経ちましたが、陛下は皇太子ご夫妻を厳しくご覧になっているのではないでしょうか。
陛下は公務に関して妥協されなかった方です。皇后さまにもそれを求められたのではないでしょうか。
両陛下の東宮時代は象徴天皇制がどういうものかまったくわからない時代でした。
反天皇制の空気も強くあり、公務にしろ祭祀にしろ、オーバーワークと思われるほど一生懸命やってこられた。
沖縄で火炎瓶を投げられたこともあったけれど、最近のサイパン、三宅島ご訪問に象徴されるように、
喜びにつけ、悲しみにつけ、我々は国民とともにあると行動でお示しになったのです」

2005年は女帝論争が騒がしかったものの、黒田清子さんの結婚式もあり、
天皇家の葛藤も表面的には一段落したご様子だったが、年末の天皇誕生日の夕食会で、
雅子さまが長時間にわたって中座するという事件が起きてしまった。
雅子さまはいま天皇家の伝統から距離を置こうとしているようにも見える。

■元宮内庁職員S氏
「ご体調が良くないのですから、まずは東宮御所内で行われる勤労奉仕団のご会釈とか
海外青年協力隊などのご接見から始められたらいいと思うのですが、なぜかお休みになられている。
あの日は出たのに、この日は出ないというのは不公平だからすべてお休みなのだと聞きましたが、
それならなぜ大使とのご接見や午餐には出られるのか。
ご自分がやりたいことを優先されているだけのように思えてしまいます」