まともなお見舞いができない

週刊新潮2012年5月24日号
ついに皇室に生じた確執の芽 美智子皇后が嘆いた「雅子妃」の「紀子妃」妨害
…実は、手術が終わったのち、真っ先に紀子妃殿下から病院関係者に『お見舞いに伺いたい』
との打診があったのです。それを受け、医師団と侍従職が折衝し、一旦は手筈が整っていました。
ところが、そうした動きをお知りになった雅子妃殿下のご意向が、直前になって伝わってきたのです。
それは、『順序が違うのではありませんか』という、強いご不快のお言葉でした。
これにより、紀子妃の「お見舞い計画」は、あえなく水泡に帰してしまった。
侍従職関係者が指摘する。
「皇室にも『序列』があるのは言うまでもなく、雅子妃殿下の仰ること自体は、むろん理があります。
とはいえ、それならご自身がお見舞いの意向を示されても良かったでしょうが、
残念ながらそうした段階には至りませんでした。
紀子妃殿下には『東宮家を押しのけて』などというお考えは毛頭なく、
純粋に陛下の御身を案じてのことだったため、ひどく気落ちなさっていました」
同時に、この一見は皇后さまのお耳にも入ってしまう。
「ただでさえ陛下の術後が予断を許さない状況下、こうした事態が起こっていることで、
皇后さまは大いにお嘆きの様子でした。そして、これ以上波風が立たぬよう、ひたすらお心を砕かれ、」最終的には『それならば皇太子と秋篠宮が2人で来ればよろしいのでは』と、
こじれてしまった事態を自ら収拾なさったのです」(同)
こうして19日、ご兄弟のお見舞いと相成ったわけである。ご心痛をおして「大岡裁き」をこなされた皇后さまは、
2人の息子の到着を待たずして、すでに病院を離れられていた。
(略)
(昨年11月も)
同月に陛下が気管支炎で入院されると、まず秋篠宮ご夫妻、続いて黒田清子さんがお見舞いに訪れたことで、
皇太子さまはご兄妹で最後となり、加えて雅子妃は発熱のためキャンセル。あるいはこの時から「順序」が
尾を引いていたのかも知れないが、こうしたすれ違いが積み重なり、いつしかエスカレートしていったという。
「この度のご入院では、すでに昼夜逆転の生活が始まっていたこともあり、雅子さまが皇太子さまとご一緒に
初めてお見舞いにいらしたのは3月1日のことでした。
それを受け、“順序”を守って長らく待たされていた紀子さまも、
ようやく2日にご夫妻でのお見舞いが叶ったのです」(同)
3月4日に陛下が退院された際、御所でお出迎えをなさったのは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまであった。
一方、雅子妃がご退院後の陛下を初めて見舞われたのは、その3週間以上も後である。


週刊現代2012年6月16日号
2月19日、皇太子様と秋篠宮さまのご兄弟が陛下お見舞いに行った。
当初、秋篠宮ご夫妻のお見舞いのご希望だった。
皇后様が「秋篠宮妃が皇太子妃に先んじてはいけない」とおっしゃりお見舞いの手配なさった。
皇太子様は陛下に「次は雅子と一緒に伺います」と言ったきり。
秋篠宮ご夫妻は、今か今かと待っていた。
陛下リハビリ期間中も秋篠宮ご夫妻はそろってのお見舞いを希望される。
結局3月1日皇太子ご夫妻のお見舞い、2日に秋篠宮ご夫妻のお見舞い。

週刊文春2012年3月1日号
陛下の手術翌日、皇太子様、秋篠宮様が揃って東大病院を訪れたことに関係者は驚いた。
「ここで皇太子様がひとり、秋篠宮様がご夫妻そろってだと批判されかねないからバランスを取ったのでは」
(宮内庁関係者)

週刊朝日2012年3月9日号
陛下の術後の経過は順調。だが宮内庁関係者の心を曇らせる出来事
それは、秋篠宮ご夫妻は手術前から病状について、関係者に事細かに質問、
だが皇太子夫妻からはそうした問い合わせは一切なかった
24日に小町東宮大夫が、皇太子ご夫妻が週明け以降お見舞いの方向で調整、と発表
皇室に詳しい関係者によると、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ともに、
早くから事務方を通しお見舞いしたいと陛下に伝えているという
「陛下のリハビリ優先で、都合のよい時間に侍従職から両家へ連絡が。前回入院時のお見舞い騒ぎもあり、
秋篠宮ご夫妻は皇太子夫妻を優先させるようご遠慮なさっているご様子」同関係者

女性自身2012年3月13日号
手術翌日の19日夕方には皇太子様と秋篠宮様が一緒に陛下をお見舞いされた。
ある宮内庁関係者によると
「実は前日まで、秋篠宮様は紀子さまとご一緒に東大病院にいらっしゃる予定だったのですが、
そのご意向を聞いた宮内庁幹部たちは困惑したそうです。
それというのも、皇太子様は同日にお一人でお見舞いされる予定だったからです。
またしても雅子さまの不在がクローズアップされてしまう、と危惧したのです」
皇后陛下が心配していたのは陛下へのお見舞いが
皇太子妃へのプレッシャーにならなければいいのですが、という事だった。
2月19日のお見舞いで皇太子さまおひとり、秋篠宮ご夫妻では両家の差が浮き彫りになってしまう。
皇后陛下のご意向をくんだ宮内庁幹部たちは紀子さまにお見舞いをご遠慮いただいた。

週刊朝日2012年3月16日号
雅子さま陛下お見舞いで守られた“序列”
天皇陛下の退院は3月4日の午後に──。
明るいニュースの裏では、お見舞いをめぐって、もうひとつの闘いがあった。
3月1日午前10時45分。美智子さまが東大病院に到着した。集まった人たちに、
美智子さまはゆっくり頭を下げ、「陛下はお元気ですよ」とでも言うように、柔らかな笑顔で手を振る。
15分後、雅子さまが初めて東大病院を訪れた。ベージュのパンツスーツに身を包み、
皇太子さまの横で会釈する雅子さまは、ぎこちない笑顔で足早に建物に入っていった。
翌2日、紀子さまが秋篠宮さまと病院を訪れた。紀子さまのお見舞いもこの日が初めてだった。
はじめに皇太子ご夫妻、次に秋篠宮ご夫妻、と序列通りに運んだ。
昨年11月に天皇陛下が気管支炎で入院したとき、秋篠宮ご夫妻は早い時期にお見舞いをした一方で、
雅子さまは、なかなか日程が決まらなかった。そのうえ、急遽取りやめたために批判を浴びた。
そのためか今回は、こんな措置がとられた。天皇陛下の側近である侍従職から、
「お見舞いに来ていただく日程はこちらからご連絡をします」と両家に通知があったのである。
「両陛下の周囲は、前回のような騒ぎは避けたいと考えていたようです。
調整に慎重を期したため、時間を要したのでしょう」(宮内庁関係者)
事は無事に終了したものの、“トラブル”もあった。東宮御所に戻った雅子さまは、
報道陣のカメラのフラッシュが「負担」になったという旨を、小町恭士東宮大夫が報道各社に伝えたのだ。
公務が本格的に始まれば、カメラのフラッシュは避けがたいところ。復帰への道はまだ遠いようだ。 
(本誌・永井貴子)

女性自身2012年3月20日号
雅子さま、陛下お見舞い<重圧>に「8年前の悪夢」フラッシュバック!
行きの雅子さまは、追っかけの声掛けを無視。前を見て口をきつく結んでいた。
病院では、関係者にご挨拶をする以外はずっと手を振っていた。
車に乗り込まれてからも身を乗り出してお手振り。
お見舞い後、だが帰路に着く皇太子夫妻を乗せた車の後部カーテンが閉め切られ、どよめく報道陣。
小町氏の説明も釈然としないものだった。
雅子妃は確かに笑顔だったが、無理に作ったようなこわばったものだった。
係留流産したときと、8年前、軽井沢から帰ってきたときもカーテンが引かれていたことから、
雅子妃の不本意な形で注目を集めたことが負担だったのではないか。
お見舞い直前に、計画していた長野へのスキー静養を中止。

フライデー2012年3月23日
天皇の術後と「お出迎えを拒否した」雅子妃問題−退院でまたも心痛が・・
雅子さまは陛下が退院後御所へ戻られた際のお出迎えを
「陛下のお招きがないから」という理由で拒否した。
皇太子さまもひとりで出席しては、雅子妃に批判が集まると考え、姿を見せず。
秋篠宮ご夫妻は皇太子ご夫妻に気を使って、悠仁さまと3人でのお出迎え。
家族勢揃いだと皇太子さまの顔が立たないから。
雅子妃は実は入院時のお見舞いを拒み、面会を避け続けてきた。
3月1日ようやく病院を訪れた。
雅子妃は非常に暗い様子で、目はうつろ、視線は定まらず、笑顔もこわばっていた。
退院時にまた同じような事態を引き起こしてしまった。
東宮職が見切り発車で「お見舞いに伺いたいコメント」を雅子さまを説得以前に発表したと言われている。
さすがに今回はお見舞いしないとまずい。
橋本明氏の厳しい批判が以下
「皇室の長男としての責任を果たされていないとしかいいようがない。
雅子妃はお召がないと動けないとおっしゃったようだが、
1億2千万の国民の象徴である陛下は天皇陛下は身内に対しても出てこいとは言えない。」

週刊文春2012年4月5日号
雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤
そんな中、雅子さまの天皇お見舞いがようやく実現した。天皇のご退院から約二十日後の三月二十六日のことだ。
天皇が退院された当日、秋篠宮ご夫妻は皇居・御所でお迎えし、翌日にもお見舞いをされた。
だが、一方の皇太子ご夫妻の、退院後のお見舞いはなかなか叶わなかった。
宮内庁担当記者が話す。
「今回も当日まで、参内されるかどうかは微妙でした。ふだんは雅子さまのご体調について、
ほとんど公表しない東宮大夫が、この二週の定例会見では『ご体調の波がおあり』とか、
『かなりすぐれない時がある』と述べていた。これは明らかに予防線。
万が一お見舞いに行くことが出来なくても『ご体調が悪いせいですよ』という言い訳が立つように、
事前にわざわざ公表したのでしょう」


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2011年12月、陛下が肺炎で入院 雅子さまはお見舞いに行かず

週刊新潮2011年12月1日号
秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん、皇族の皆さまが天皇陛下へのお見舞い。
「”お風邪”にせよ、陛下のご入院から2週間、
 雅子さまと愛子さまは一度も東大病院を訪れていない」(宮内庁担当記者)が、
雅子妃は学習院初等科には足を運び愛子さまと昼食を召し上がっている。
11月18日の東宮大夫記者会見では雅子妃のお見舞いは
いずれ折をみてとお考えになっているのではとのことだが、実際に行かれるかどうかは甚だ疑問(同記者)
雅子さまはよもやお見舞いも「ご公務」だとは仰るまいが、
こうした御振る舞いがはたして国民の範足りえるのかといった問いはもはや論ずるまでもなかろう。

サンデー毎日2011年12月11日号
御所と東宮かくもふかき「お堀」
陛下の今回の入院は思わぬ事態を浮き彫りにした。それは天皇家と皇太子家の間の不信感のようなもの。
それを端的に表す出来事が11月10日の雅子妃が陛下のお見舞いを直前になってドタキャンしたこと。
翌12日に東宮大夫がその経緯を「少し熱が出られ風邪の症状がおありだったため…」と説明。
「しかし、体調を崩されたという公式の見解を額面通りに受け取っていいものかどうか、
そんな見方が広がっているのも事実」(ある皇室ジャーナリスト)
最初に陛下のお見舞いに行ったのは秋篠宮ご夫妻。その翌日には黒田清子さんが訪れている。
皇太子夫妻の予定はその後の10日、やや遅きに失した感は否めず、
そして雅子妃はお見舞いに行くことはなかった。


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2007年3月 皇后陛下が腸から出血 雅子さまはお見舞いではなくスキー旅行の挨拶

週刊文春2007年3月22日号
美智子さま「腸から出血」全ドキュメント
紀子さまより一日遅れ雅子さま「お見舞い」の真相
■皇太子ご一家週末はスキー旅行の予定
「両陛下の心労も、雅子様の病状について正確な情報が東宮側と共有できないところにある。
でも、両陛下から働きかけることが雅子様の心理的な負担になることを考え、控えている。
陛下の昨年の会見は、言葉を選びに選んだ東宮側へのメッセージ」(千代田関係者)
「紀子様に遅れること1日のお見舞いは、急遽の訪問ではなく以前から決まっていた予定。
「16日からのスキー旅行前の両陛下への挨拶」お見舞いの順番に大きな意味合いはない。」(千代田関係者)

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2007年 皇太子殿下がポリープで入院した時は出前

女性自身2007年7月3日号
「皇太子さまは特別室にいらっしゃいましたが、雅子さまがお見舞いにこられたときは、
よく15階の洋食レストラン『精養軒』から出前をお取りになっていました。
召し上がっていたのはエビフライやカレー、ピラフ。それに愛子さまがいらっしゃったときは
“フレッシュトマトのナポリタン風スパゲティ”やカツサンドでした。
愛子さまが出前を召し上がるなんて珍しい経験でいらしたのではないでしょうか」(病院関係者)

※この時期の皇太子さまの食事は
「3日間の絶食のあと、9日から重湯、10日からお粥が始まり、煮魚など通常の病院食を食べられたという」
(読売ウイークリー7/1号 皇室ダイアリーNo.59より)


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2009年、皇后陛下が膝を痛めたときはスルー

週刊新潮2009年4月16日号
一方、皇室ジャーナリスト松崎氏によれば、
「スキー旅行から帰られた皇太子ご一家が、
お怪我をなさった皇后のお見舞いにいかれたという話が聞こえてこない」
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陛下前立腺がんの時

天皇家の宿題 岩井克己
このころ(※2004年)、天皇は前立腺がん腫瘍マーカーPSAの数値が上昇し、
ホルモン治療に入ることになり、皇太子と秋篠宮を呼びました。
がんの再発を告げ、いろいろ相談したかったようです。
しかし、皇太子は「都合がつかないので」と来ませんでした。
がん再発が発表されると、驚いた皇太子から急いで訪問したいとの意向が伝えられましたが、
今度は天皇のほうが厳しい態度で難色を示したようです。

週刊文春2005年3月?日号
お見舞いは、これから雅子さまが私的外出を増やそうとしていた矢先で、
「そのための顔出し」という魂胆があったことを見抜かれた陛下がお見舞いを拒まれた。
そのまえにまず「国民に説明すべき」とおっしゃって皇居に夫妻が挨拶に来るのを「あえて拒まれた」。
「ようやくお許しが出たのは9月4日のこと」。

文藝春秋2005年4月号
昨年陛下のご病状が思わしくないという発表に驚いた殿下から
妃殿下と御所を訪ねたいという打診があったが、
妃殿下の私的外出をさせたいのでその前に陛下へのお見舞いを済ませたいというのはおかしい。
「静養の許可をもらう為だけに陛下に会いに出向いた」

週刊文春2006年7月27日号
2年前に、ホルモン治療始めた陛下のお見舞いにやっと出かけた時も、
「雅子に私的外出をさせる為には、その前に両陛下の所に顔出しておかないとマズイかな?」という
皇太子の意向があった。それを聞いた両陛下の側近は激怒したという。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

悠仁親王殿下が誕生した時

週刊ポスト2006年9月29日号
雅子妃「紀子妃・悠仁親王への見舞いが遅い」の大波紋 
様々な困難に直面してきた皇室と両陛下にとって、
41年ぶりの男子誕生である悠仁親王のご誕生はすべてをふきとばす慶事だった。
だからこそ両陛下は公務から戻られた翌日、紀子妃を見舞われたのだろう。
しかし皇太子一家は「私的外出」を繰り返して、なかなか病院に足を運ばない。
それがまた皇室の不協和音と受けとめられてしまった。
皇室ジャーナリスト松崎敏哉氏
「皇太子一家がお見舞いをされていなかったので、他の宮家の方々がお祝いを述べに行きたくても
行けない状態でした。できれば、両陛下が見舞われたすぐ後にでも行くことはできなかったのでしょうか」
▼9月以降に決まった「外出日程」
雅子妃の笑顔はオランダ静養が成功裏に終わったことをうかがわせ、喜ばしい限りだが、
気になるのは「9月に入ってから東宮側が日程を調整した」という点だ。 
宮内庁発表は9月1日(帝王切開を6日に行う、手術が決まれば自動的に「命名の儀」などの日程も決まる。)
そういう重要日程を把握したうえで、10日相撲、11日ディズニーアート展を入れたのではないか。
ディズニーアート展は24日までやっているのでわざわざ11日にいく必要はなかったのでは?
恐竜博もディズニーアート展も宣伝のために
主催者側がマスコミへの公表や写真撮影を希望するが東宮側が批判を懸念して断っている
両陛下はもとより、宮家の方々も、秋篠宮家の“責任感”に感慨を深くしたという。