「同級生は天皇陛下」

文藝春秋2012年2月号
同級生は天皇陛下  扇千景
この年の12月23日、いまの天皇陛下がお生まれになった。
昭和天皇にとっては第五子だが初の男子とあって、国民の歓喜と祝福には熱狂的なものがあった。
宝塚から女優を経て国会議員となり、建設・運輸・国土交通などの大臣や参議院議長を歴任した
扇千影さんは、陛下のお人柄に近しく接する機会に恵まれた。
陛下ご誕生のときの『皇太子様お生まれなつた』という奉祝歌を、私なぜか歌えるんです。
同い年ですから覚えるはずないんですが、親が歌っていたんでしょうね。
お祝いの提灯行列のことも、よく聞かされていました。
各省の大臣や参議院議長を務めていたときには、直接お目にかかる機会がしばしばありました。
議長は国会が終わるたび、その会期中に成立した法案全部について陛下にご報告申し上げます。
一対一で長時間ですから、かなり突っ込んだご質問があります。
思わぬことをお尋ねになる場合もあるんです。平成12年の建設大臣時代に、三宅島が噴火した際のこと。
「浜辺に置いたコンテナに中で、海水を真水に変えて、住民の方に供給しています」と申し上げました。
すると陛下は、
「そのコンテナはどこから持ってきたんですか?」
とお尋ねになりました。私は不勉強で、そこまで知らなかった。
「申し訳ありません。調べてご報告致します」。そうお答えするしかありませんでした。
お年を召されても、わからないことは素直にお尋ねになってわかろうとなさるその好奇心、研究心。
そうしたお心がけが、いまのご気力と、年齢とは思えない若さを保っておられる理由だと思います。
いつもご様子がお変わりにならないし、ものすごく記憶力がよくていらっしゃるし、ユーモアもおもちです。
ありがたいことに、歌舞伎俳優をしております主人の坂田藤十郎が人間国宝や文化勲章をいただき、
私も二度も勲章を頂戴致しました。そうした際の午餐会や晩餐会では、
陛下とお食事をご一緒させていただく栄誉に恵まれます。
すると陛下は、主人に向かって、「親子でラブロマンスを演じるのは、どんなお気持ちですか?」
なんてお尋ねになる。主人の当たり役が『曽根崎心中』のお初で、最近は長男の中村●(習に元)雀が
相手役を務めていることを、よくご存知でいらっしゃるんです。
春と秋に行われる園遊会も、夫婦同伴です。男性が招待される場合、
奥様の名札は「○○様令夫人」となっていますが、女性が招かれると、ご主人の名札には名前が書いてあります。
私が参院議長としてお招きいただいたとき、主人の立場はその夫ですから、名札は「坂田藤十郎」ではなく
「林宏太郎」という本名になっていました。すると陛下は、主人に向かってこうおっしゃった。
「今日はお名前が違いますね」
まわりは大爆笑になりました。そういうさりげないユーモアが、また素晴らしいんです。
園遊会には、二千人以上の人が招かれます。それほどたくさんの人が並んでいる中で、名札を見るだけで、
どういう立場や業績をもつ人なのか全部おわかりになる。下準備というか、私たちの見えないところで、
すごいご勉強をなさっておられるからに違いありません。同い年というのもおこがましいくらい、
人間形成がまったく違う方です。お手本というと失礼ですが、見習いたいところばかり。
私たちの世代は、戦中戦後のいろいろな厳しさを小学生で経験した者たちです。
耐えるということを自然に覚えて、食べられないことにも耐えるし、恵まれないことにも精神的な苦しさにも
耐える経験を経てきました。そうした耐えるという精神を、象徴しているのが陛下です。
戦中戦後の苦しい時代の中、昭和天皇が立派にお育てになったということだと思います。
陛下はハゼの研究者としても有名ですが、御所にある陛下の研究室は実に質素です。
小学生が使うような小さいお机の上に、顕微鏡があるだけ。きっと陛下は、不満など何もおっしゃらないんでしょう。
美智子皇后とご結婚なすってからの陛下のありようは、さらにお変わりになったというか、
国民みなが陛下を敬う気持ちが自然に出るような神々しさが、とみに増したように思います。

皇居での万歳三唱
素晴らしい天皇を、私たちは戴いている。そのことは、外国の方にも伝わるようです。
各国の来旨が日本に赴任してきたとき、東京駅から馬車に乗って皇居へ入り、
元首からの信任状を陛下に捧呈するのがならわしです。
私も大臣として、何度かその場に立ち会う機会がございました。
初めて陛下と面会して、まだひと言も言葉を交わさないうちに、新任大使の手が震えているのをよく見ました。
陛下の発せられるオーラや神々しさが、そのお姿から伝わるためにほかなりません。
離任して帰国の際にも、大使は天皇にご挨拶をされます。
昭和天皇のとき、ご公務を減らす目的で、これを皇太子に替えたらどうかというお話が出ました。
しかし昭和天皇は、引き続きご自分でなさるとおっしゃった。
いまの陛下も同様に、ご自分でなさっていらっしゃいます。
昭和天皇の時代、特に戦争が終わるまでは、皇太子との距離がもっと大きかったように感じます。
いまの皇室のような、ご家族という感じではありませんでした。
それを立派に、いまの日本に合う皇室像をお作りになった。これは、天皇と皇后両陛下が
素晴らしいご夫妻でいらっしゃるためです。反対もあったにもかかわらず、
民間から美智子皇后を選ばれた陛下のお目の確かさと勇気、信念が、結実したのだと思います。
私が一人の女として、また妻として見習いたいのは、皇后陛下の、陛下に対する態度、陛下を思うお気持ち、
そして夫婦の距離感です。両陛下がご臨席になった式典を見れば、よくわかります。
天皇陛下がお言葉をお述べになる間、皇后陛下は決して視線を逸らされません。それが毎回のことなのです。
常日頃のそうしたお姿が妻の鑑であると同時に、天皇陛下がそれほど尊敬される人物でいらっしゃる
証なのだということでしょう。
議員時代、天皇誕生日に皇居の祝宴にお招きいただきますと、最後に私の発声で「天皇陛下万歳」を
三唱するのが毎年の恒例でした。宮中では万歳をしないしきたりがあるようですが、
同い年だから許されると思って、大臣のときと参院議長時代を合わせて六年間、務めさせていただきました。
祝宴が終わって陛下がお立ちになるとき、私が「天皇陛下」と大きな声を出します。
すると、ご出席のみなさんが「万歳」と三唱してくだすって、陛下もニッコリされる。
あとから聞いた話ですが、前の日に行われる予行演習で、
「ここで扇議長から、万歳三唱があるはずでございます」と、実は式次第に入っていたらしいです(笑)。
お立ちになったときに声を出すタイミングが難しいので、前にいらっしゃる皇室の方々と首相が、
私から陛下が見えやすいようにすれてくだすったり。
私が議員を引退したあとはどなたもなさらないようで、ある首相経験者から、「なぜ後継を育てなかったのか」と
お叱りを受けました(笑)。同い年の身近さを一番感じたのは、あの万歳三唱のときでしたね。
昨年秋にはご入院のニュースもありましたし、天皇の国事行為や宮中行事は本当にたくさんあるんです。
国民の一人としてありがたいと思いますけれども、できるだけお身体をいたわっていただきたいと願っております。
(構成・石井謙一郎)

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