私的に外国を訪問したことは一度もありません。

ヨーロッパ諸国ご訪問に際し(平成19年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h19-europe.html
両陛下記者会見
ご訪問国:スウェーデン・エストニア・ラトビア・リトアニア・英国
ご訪問期間:平成19年5月21日〜5月30日
会見年月日:平成19年5月14日

問3 両陛下に伺います。両陛下は,皇太子同妃時代から多くの国々を訪問し友好を深められ,
即位後も外国訪問や外国賓客を迎えることで年輪を重ねられました。外国訪問を含めた国際交流について,
次代を担う皇太子ご夫妻に今後どのようなことを期待されますでしょうか。

天皇陛下
私どもが結婚したころはまだ国事行為の臨時代行に関する法律が無く,天皇が皇太子に国事行為を委任して,
外国を訪問することはできませんでした。そのようなわけで,元首である国賓を我が国にお迎えすると,
しばらく後に,私が昭和天皇の名代として,それぞれの国を皇太子妃と共に答訪することになっていました。
私どもの結婚の翌年,昭和35年9月の日米修好条約100周年に当たっての米国訪問は,
皇太子の立場で皇太子妃と共にこれを行いましたが,
2か月後の11月に,皇太子妃と共にイラン,エチオピア,インド,ネパールを,
それぞれの元首の我が国訪問への答礼として行ったときは,昭和天皇の名代として,これを行いました。
この4か国訪問が昭和の時代に私が昭和天皇の名代として皇太子妃と共に各国を訪問した始まりでした。
この名代としての外国訪問は,国事行為の臨時代行に関する法律が昭和39年に施行された後も続けられ,
昭和46年になってようやく昭和天皇,香淳皇后のヨーロッパ諸国御訪問が実現する運びになりました。
このご訪問は昭和天皇,香淳皇后にとってもお喜びだったと思いますが,
私どもにとっても喜ばしいことでした。
天皇の名代ということは,相手国にそれに準ずる接遇を求めることになり,
私には相手国に礼を欠くように思われ,心の重いことでした。
各国とも寛容に日本政府の申出を受け入れ,私どもを温かく迎えてくれたことに,深く感謝しています。

昭和50年の昭和天皇,香淳皇后の米国ご訪問以降は,ご高齢の関係で,
再び私が名代として皇太子妃と共に外国を訪問するようになりました。
その後国際間の交流が盛んになるにつれ,国賓の数も増え,極力答礼に努めたものの,
そのすべてに答礼を果たすことが不可能な状態の中で昭和の終わりを迎えました。
平成に入ってからは,私どもの外国訪問は国賓に対する答訪という形ではなく,
政府が訪問国を検討し,決定するということになっています。

私どもの外国訪問を振り返ってみますと,国賓に対する名代としての答訪という立場から
多くの国々を訪問する機会に恵まれたことは,国内の行事も同時に行い,
特に皇后は三人の子どもの育児も行いながらのことで,大変なことであったと思いますが,
私どもにとっては,多くの経験を得る機会となり,幸せなことであったと思います。
それと同時に名代という立場が各国から受け入れられるように,自分自身を厳しく律してきたつもりで,
このような理由から,私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません。

現在,皇太子夫妻は名代の立場で外国を訪問することはありませんから,
皇太子夫妻の立場で,本人,政府,そして国民が望ましいと考える在り方で,
外国訪問を含めた国際交流に携わっていくことができると思います。
選択肢が広いだけに,一層的確な判断が求められてくると思われますが,
国際交流に関心と意欲を持っていることを聞いていますので,
関係者の意見を徴し,二人でよく考えて進めていくことを願っています。

皇后陛下
私が御所に上がりましたのは,昭和34年(1959年)のことで,
そのころには既に戦後の国交回復により日本に各国の大公使が滞在されており,
結婚後そうした方たちとの接触のあろうことは知らされておりましたが,
海外の訪問については何も伺っておらず,嫁いで数か月後,急に翌年5月訪米の案がもたらされたときには,
本当に驚き,困惑いたしました。
そのとき私は皇太子を身ごもっており,出産は3月初旬と言われておりました。
私も同行を求められており,もし5月の旅行となりますと,母乳保育は2か月足らずで打ち切らねばならず,
またホノルルを含め,米国の8都市を2週間で訪問ということで,産後間もない体がこれに耐えられず,
皆様にご迷惑をかけることにならないか不安でもございました。
自分の申出が勝手なものではないかと随分思案いたしましたが,当時の東宮大夫と参与に話し理解を求め,
米国側も寛容に訪問時期を9月に延ばしてくれ,ほっといたしました。
このときに始まり,これまで陛下とご一緒に52か国を公式に訪問してまいりましたが,
そのうち16か国を訪問するころまでは,出産があったり,子どもが小さかったりで,
国内の公務の間を縫うようにして執り行われるこのような旅は,
もう自分には続けられないのではないかと心細く思ったこともありました。
ともあれ,陛下とご一緒に一回一回経験を重ね,その都度経験したことに思いを巡らせ,
また心を込めて次の旅に臨むということを繰り返してまいりました。
これらの訪問を通じ,私の自国への認識と,言葉では表し得ない日本への愛情が深まり,
この気持ちを基盤として,他の国の人々の母国に対する愛情を推し測っていくようになったと思います。
今,どの旅も,させていただけたことを本当に幸せであったと思っております。

外国訪問を含む今後の国際交流につき,皇太子夫妻に何を期待するかという質問ですが,この問題については,
きっと皇太子や皇太子妃にこのようにしたいという希望や思い描いている交流の形があると思いますので,
それが一番大切なことであり,それに先んじて私の期待や希望を述べることは控えます。
今は皇太子と皇太子妃が,これまでに積んだ経験をいかし,二人して様々な面で皇室の良い未来を
築いていってくれることを信じ,期待しているとのみ申すにとどめ,これからの二人を見守っていきたいと思います。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

この陛下の御発言についての報道

週刊ポスト2007年6月1日号
天皇陛下が皇太子夫妻に突きつけた「公務への覚悟」最後通牒
皇太子さまに求めた的確な判断
皇族の外国訪問に際しての記者会見は、事前に記者会から質問を提出しそれに目を通した皇族たちが、
メモをつくり、宮内庁も目をとおして会見に臨むのが通例。
外国訪問ということで外国メディアからの質問を受け付けるのも特徴。
いずれにしてもその場で口をついて出る発言はありえない。
「人格否定」発言も、事前に宮内庁が把握していなかったが、
熟慮を重ね覚悟をもって発せられたものであることは疑いがなく、だからこそ大きな波紋を呼んだ。
その後も雅子妃の病状は一進一退でもと外交官としてのキャリアをいかした外国での公務は実現されず。
そのかわり、昨年、「私的な静養」としてオランダで夏休みを過ごしたことは、国民も広く知っている。
今回の天皇陛下のご発言は、そうした皇太子夫妻への外国訪問や西洋への最後通牒と受け止められる。
雅子妃は、オランダをことのほか喜んだと伝えられる。
皇太子様や東宮職はこれほど効果があるなら次の機会をという気持ちがおきたのも当然。
今年の夏もそうした計画が実行されるのではないかと噂されていた矢先。
天皇陛下が「自分は私的な外国訪問はしたことないと言い残した。
事実上、皇太子夫妻の「私的外遊」に足止めをしたに等しい。

国民に皇室の哲学を示された
天皇陛下は皇太子時代、毎週必ず皇居に参内。昭和天皇と会見し、名代として意思疎通をはかってきた。
秋篠宮家の親王が節句を迎えた際の皇居でのお祝いの宴席にも皇太子夫妻の姿がないなど、
天皇陛下との距離が指摘されてきた。また、雅子妃の公務復帰はなかなか進まず
女性皇族にとって重要な公務のひとつ日本赤十字社の全国大会も欠席。
腸壁出血から回復した皇后陛下は名誉総裁として出席した。
「公務は休むがスキーや御料牧場での静養は行く。皇居への参内も静養の後回しになっている感は否めない。
そうした現状に陛下が心を痛めた結果の発言では?」 (宮内庁記者)
こうした制約の中で皇太子に向けてメッセージを発したのだとする見方がある
「今の皇室の微妙な人間関係の中では、天皇陛下といえども、“こうしなさい”とはいいにくい。
会見の場を借りて、非常に気を使った言い回しで陛下ご自身のお気持ちをのべ、
皇太子ご夫妻に一定の歯止めをかけたのではないか」(高橋静岡福祉大教授)
一方皇室ジャーナリスト神田氏は会見での発言だったことに、より深い意味を感じている。
「皇后陛下の腸壁出血のおり、羽毛田長官は、会見で”皇室の中にはここ数年、
両陛下をお悩ませするような課題が多かった”と述べた。
それが皇太子夫妻の問題であると天皇陛下みずから国民にお伝えになったとも取れる」(神田)
また、陛下は、国民に皇室の哲学を示されたのではないか。
昨年のオランダ静養では、一年も前から先方が招待していたものであり、
断るのは礼を失するという考えがあった。それを前例としてプライベートな外国旅行を繰り返すことは、
皇族としてすべきではない。というお考えを示されたと思う。
常に国民とともに歩む皇室を標榜してきた陛下なので、
皇室の問題について国民に率直に伝え、みずから手本を示されたのでしょう。
これだけはっきりした天皇陛下の意思ですから、皇太子ご夫妻も東宮職も軽んじることはできません」(神田氏)

「プレッシャー」に対する姿勢の差
国民とともに歩むという天皇皇后の考え方において、実は皇太子夫妻と微妙な温度差が生じている。
皇太子は人格否定発言の3ヶ月前、2004年2月の誕生日会見で公務を休む雅子妃をかばって
「プレッシャー」という言葉を何度か口にしている。
「皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも大きなものだった」
「世継ぎ問題についても様々な形で大きなプレッシャーがかかっていました」
「プレッシャーがかかることなく静香に過ごせることを望んでいます」などの言葉は一部から
「雅子妃の不調の原因が国民にあるという印象を与える」と懸念をもって受け入れられた。
先の天皇会見の席で外国メディアから「マスコミや世間のプレッシャーをどう感じるか」との質問を向けられた皇后は、
「私の若い頃、プレッシャーという言葉が社会で語られるのを聞くことはありませんでした」と、
意味深長な話から答えはじめている。
多くの日本人が強いプレッシャーを当たり前に感じて生きてきた時代を懐古し、
自らの境遇についてこう答えたのである「多くの要求や期待の中で、一つの立場にある厳しさを・・」
この発言からは、現在の皇室の問題が象徴的に見えると八木(高崎経済大教授)は指摘。
「マスコミや国民の視線をプレッシャーと捕らえれば、それに押しつぶされたときには、
責任は自分以外にもあるということになる。しかし、両陛下は会見で、
国民の視線をむしろ幸せなことととらえ、こたえられなければ悲しく申し訳なく思う、とおっしゃった。
皇族として生まれたこと、皇族の一員になったことを宿命として受け入れ、
公務で皇族としての責任を果たしていくという覚悟の強さがうかがえるお言葉です。
いやがうえにも、皇太子ご夫妻が雅子妃の病気の原因を国民やマスコミのプレッシャーにあるとしてきた
姿勢との違いが浮かびあがる会見になった」(八木氏談)
かつて人格否定発言の際に外国評論家の立場から「政治に容喙される発言はつつしむべき」と
苦言を呈した加藤英明氏は、今回の天皇の発言をどうきいたか。
「天皇であれ、皇太子であれ、公の場で公務に対する考えを語るのは、
基本的にはのぞましいことではないと考える。ただし、今回の発言は、批判が集まる皇太子の立場を
慮ってなされたもののように感じる。陛下ご自身の考えはわからないが、
国家の象徴である天皇が外国を飛び回るより、陛下がかつてそうなさったように、皇太子が
名代として活動するほうが望ましい。そろそろそうした役割の変化がおきてもよいのではないか」(加藤氏)
この発言が「揺れる皇帝」に終止符を打つきっかけになることを望みたい。


他、陛下の御発言は「皇太子ご一家のオランダ静養への苦言」というニュアンスでテレビ、雑誌等で報道された。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


それに対しての
天皇陛下はこの年のお誕生日会見での御発言
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h19e.html

問2 ご家族についてお聞きします。
病気療養4年目の皇太子妃雅子さまは地方への泊まりがけ公務を再開するなど
活動の幅を大きく広げられました。4人のお孫さまも健やかに成長されているようです。
嫁がれた黒田清子さんも幸せな結婚生活を送られているものとお聞きしています。
それぞれのご様子について,陛下はどのように見守っていらっしゃいますか。
具体的なエピソードを交えてお聞かせください。

天皇陛下
私は,家族が,それぞれに,幸せであってほしいと願っており,それを見守っていきたいと思っています。
今年の欧州訪問前の記者会見で,私は皇太子時代の外国訪問に触れ,
「名代という立場が各国から受け入れられるように自分自身を厳しく律してきたつもりです。
このような理由から,私どもは私的に外国を訪問したことは一度もありません。
現在,皇太子夫妻は名代の立場で訪問することはありませんから,皇太子夫妻の立場で,本人,政府,
そして国民が望ましいと考える在り方で,外国訪問を含めた交流に携わっていくことができると思います。」
という話をしましたが,一部に,これを皇太子一家のオランダでの静養に対して苦言を呈したものと
解釈されました。これは,私の意図したところと全く違っています。
国賓に対する昭和天皇の名代としての私どもの答訪は,私どもの二十代のときに始まり,昭和天皇,
香淳皇后の欧州と米国ご訪問を除き,昭和の時代は続けられていました。名代としての答訪の場合,
相手国は天皇が答訪するものと考えているところを私が訪問するわけですから,
自分自身を厳しく律する必要がありました。しかしながら,平成になってからは,
名代による答訪は行われなくなったので,皇太子夫妻は,様々な形で外国訪問を含む国際交流に
かかわっていくことができるようになったわけです。
私は,このようなことを,記者会見で述べたのであって,
決して皇太子一家のオランダ静養に苦言を呈したのではありません。
なお,私は去年の誕生日の記者会見で,オランダでの静養について質問を受け,
医師団がそれを評価しており,皇太子夫妻もそれを喜んでいたので,
良かったと思っている旨答えています。
このように私の意図と全く違ったような解釈が行われるとなると,この度の質問にこれ以上お答えしても,
また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭(ふっしょく)することができません。
したがってこの質問へのこれ以上の答えは控えたく思います。




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