秋篠宮妃殿下ご懐妊の頃の報道

週刊ポスト2006年2月?日号
紀子妃が妊娠の可能性に気付いたのは1月半ば
主治医を誰にするかという打診を各所にしていた。
その動きをつかんだNHKが、愛育病院の医師の行動に気付きスクープ。
この時点では、宮内庁も把握していなかった
安倍官房長官は担当記者を前にオフレコで 「女系容認論の前提が崩れた」と話している
天皇皇后両陛下が女系天皇容認に賛成しているということが小泉の強気の根拠と言われてきたが、
両陛下がそんな思いを軽々ともらすはずはない。

文藝春秋2006年2月号
櫻井よしこ氏
…以前も似たケースがありました。
平成四年の天皇陛下の中国御訪問でした。この時も強い反対論があったのですが、
推進派であった当時の柿沢弘治外務政務次官や橋本恕(ひろし)中国大使らが、
「これは陛下のご意思である」と言って、反対論は消えていきました。
私はこれを大変不審に思いまして、取材して『文藝春秋』にレポートしたのですが、
陛下がいつ、どこで、誰に対してご意思を洩らされたのか、
柿沢さんはもとより、誰一人答えることが出来ませんでした。つまり実体のない話だったのです。

女性自身2006年2月?日号
秋篠宮殿下の「お許しが出た」発言を、非難する人がいるが、
皇室とはそういうところで、全ては陛下のお気持ちにより動くべきところ。
皇太子殿下も秋篠宮殿下もよくお解りで、皇后陛下、紀子様さまも初めは苦労されたが順応された。
ただお一人適応できないのが、雅子さま。
愛子さまが生まれた翌年の夏、皇后陛下が
「秋篠宮も3人目が欲しいのだけれど、遠慮しているのよ」と知人に話した。

週刊文春2006年2月23日号
紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「次の子を考えています」と内々にご相談があったのが秋頃でした。
ただ、ご相談があったからといって何か特別なことをしたわけではありません。
大事にしましょう。自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。
(中略)
年が明けて、紀子さまが妊娠検査薬で陽性反応を確認されたのが1月下旬。
超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約2週間後に宮邸で
検査をお受けになることが決まった。そして2月7日、超音波検査を担当したのは
愛育病院院長の中林正雄氏。検査の結果は中林氏から宮内庁長官の羽毛田信吾氏と
皇室医務主管の金澤一郎氏に即刻伝えられ、その内容をNHKがスクープした。
小泉純一郎以下、誰もがこのニュースに驚いたが、皇室にご慶事の兆候がなかったわけではなかった。
「葉山のお取り止めは、御所で報告をお待ちになりたいという両陛下のご希望だったのでしょう。
長官や皇室医務主管が連絡を受けるということは、両陛下が吉報をお待ちだったということです」(宮内庁関係者)
(中略)
紀子さまのご懐妊が12年ぶりになったことについては様々な憶測がなされているが、
秋篠宮ご夫妻が「遠慮」された背景には、知られざるドラマもあった。
「佳子さまがお生まれになってからご懐妊がなかったのは、おそらくあの「バッシング」の影響でしょう」
(学習院関係者)
紀子さまが皇室内で激しいバッシングに遭われたのは、佳子さまをご懐妊になった直後のことだ。
「紀子さまが佳子さまを身籠られたのは94年。皇太子と雅子さまのご成婚の翌年のことでした。
世間では皇太子ご夫妻にいつお世継ぎができるかと、たいへん期待のあった頃です。ところが、
ご懐妊されたのは紀子さま。その直後から皇室内のどこからともなく、『あちらに遠慮もなく
二人目をおつくりになるなんて、もし坊ちゃんだったらどうするおつもりかしら』という声が上がったのです。
それが秋篠宮家にも伝わり、紀子さまは悩みに悩まれたようです」(同前)
紀子さまは苦しい心の内を美智子さまに打ち明けられ、美智子さまは紀子さまを励まされ、
庇い続けられたという。後年、美智子さまは親しい人物にこう打ち明けられている。
「普通は次の子が欲しいだろうに、紀子にはかわいそうなことをしました。でも何とか立ち直ってくれた」
紀子さまを襲ったバッシングはほどなく皇族たちの耳にも入る。
一昨年亡くなった高松宮妃喜久子さまも憂慮されていたお一人だ。
「何を遠慮することがあるのかしら。どんどんお作りになったらよろしいじゃない」
喜久子さまは秋篠宮にこんなお言葉をかけてお励ましになったという。
秋篠宮家に親しい関係者はこう話す。
「秋篠宮ご夫妻がお子様を欲しがっていたのは事実です。でもそれは天皇家のお世継ぎということではなく、
宮家の存続のためでした。男子がいなければ、秋篠宮家もご自分の代だけで断絶することになりますからね。
でも厳しいバッシングがあったので遠慮されたのでしょう。
佳子さまは『私が一番下だから、弟か妹が欲しい』とよくおっしゃっていましたが、
もし今回のタイミングより早くご懐妊されていたら、やはり『出しゃばりすぎ』と批判されていたかもしれません」
(中略)
「もし東宮に子どもがお生まれにならなければ、眞子がお世継ぎにならざるをえないのではないか。
そうなると紀子がかわいそうだ」
秋篠宮が眞子さまの将来について、こんなご懸念を漏らされたことがあったという。
まだ女帝容認の議論が出る前だったが、もしもの時には眞子さまが皇太子になるという、
秋篠宮家にとっては思いもよらぬ事態になることも予想された。
(中略)
天皇皇后が男子のお世継ぎをお望みであったかどうかはわからない。だが側近たちの中には、
天皇皇后のご意向はやはり男子のお世継ぎにあると汲みとる者が後を絶たなかったため、
雅子さまの苦悩はその後も続くことになる。
愛子さまがお生まれになったから二年後の2003年12月、宮内庁の湯浅利夫長官(当時)が
定例会見で行った「第三子発言」もその一例だと見られている。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」
これほど踏み込んだ発言をした長官は過去に例がない。皇室関係者の多くは、
「あれだけの発言を長官一人の判断でできるはずがない。
天皇皇后のご意思を受け止めた上でのことにちがいない」と見ていた。
折しも帯状疱疹でお倒れになったばかりの雅子さまは、この発言に大変なショックを受けられたという。
だが、この「第三子発言」には前段があった。その一年前、雅子さまが宮内庁上層部に
危機感を抱かせるようなご発言をなさっていたのだ。
2002年12月、ニュージーランド・オーストラリアご訪問直前の記者会見で、雅子さまはこうえっしゃっている。
〈やはり国民の皆さんの期待というものが、いろいろな形での期待があって、
その中には子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの
期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、
何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います。〉
湯浅長官は雅子さまのこの発言に驚愕したという。
「『何が一番大事なんだろうか』という言葉を聞いて、湯浅長官は、『妃殿下はまだおわかりになっていない』と
危機感を募らせたのです。お立場上、何よりもお世継ぎのことを考えなくてはいけないのに、
まだ外国訪問にこだわっていらっしゃる、と真っ青になっていたと聞きました。
お世継ぎこそ天皇皇后のご意思であり、外国訪問など二の次だというのが上層部の考え方だったのです」
(皇室関係者)
皇太子ご夫妻と天皇ご一家の間には次第に距離ができるようになっていた。
皇太子ご夫妻が御所から足が遠のきがちになる一方で、天皇皇后と秋篠宮ご夫妻とのご交流は頻繁になる。
元宮内庁関係者がご両家の違いをこう話す。
「秋篠宮さまも紀子さまも御所によくお食事にいらして、何でも両陛下にご相談になります。
皇后陛下は大変リーダーシップがあおりになる方ですから、ご相談があれば親身になられますし、
頼りにされるのがうれしいご様子でした。
秋篠宮さまは昔からお話好きで、皇后さまにべったりだったのを心配されたほどでしたから、
紀子さまもお話の輪に入りやすかったのでしょうね。皇后さまにとてもかわいがられています。
それに対して、皇太子ご夫妻はもともとあまり外出されず、けして社交的なほうではありません。
東宮御所でもお籠りがちでお二人でいらっしゃるのがお好き。
たいがいのことはお二人で解決なさるご夫婦ですから。御所を訪れる機会も少なくなっていったのです」
皇太子と秋篠宮はもともとは大変仲の良いご兄弟としてよく知られていた。ところが皇太子が結婚されてから、
秋篠宮ご夫妻とお過ごしになる機会がめっきり減ってしまわれたという。
「雅子さまは外国育ちということですが、意外にシャイでいらして、
気さくにどなたとでも打ち解けるタイプではありません。
秋篠宮さま、それに紀宮さまとはちよっと性格がお合いにはならなかったようですね。
皇太子さまはご交流が途絶えがちになってしまった秋篠宮ご夫妻にお気を使われて、
夜のお散歩の途中にお一人で秋篠宮邸にお寄りになり、
お酒などのお届け物をされたこともあったといいます」(学習院関係者)
昨年から今年にかけて、天皇ご一家の行事で皇太子ご夫妻の“遅刻”や“欠席”が相次いだ。
9月11日、紀子さまのお誕生日の夕食会にご夫妻が45分遅刻。
12月9日、雅子さまご自身のお誕生日の夕食会の突然の中止。
12月23日、天皇のお誕生日の夕食会に雅子さまが2時間47分の中座。
1月5日、天皇皇后との夕食会を雅子さまが欠席。
「両陛下と秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻の親密さがどんどん深まるばかりで、皇太子ご夫妻が
ますます孤立していくように見えるのが心配でした」(皇室関係者)
雅子さまが皇室という環境に適応されていないご様子は、ご欠席が続いている宮中祭祀にも
見て取ることができる。ご結婚当初はご熱心に取り組まれていらしたが、いつしか遠のくようになられたという。
「雅子さまのご欠席はご病気にんるずっと前から目立つようになっていました。
すでに何年もお休みですから、東宮の女官や女儒もお式の段取りがわからなくなっているのではないかと、
皇后さまもご心配されているそうです」(元東宮職)


週刊現代2006年2月25日号 
揺れる天皇家と小泉
「沈む小泉」と「昇る安倍」
政治ジャーナリスト・大隈誠治氏
小泉首相は、安倍官房長官は紀子様ご懐妊を事前に知っていたのではと疑念を抱いたようです。
皇室典範改正の背景には、羽毛田信吾宮内庁長官をはじめとする宮内庁で少数の改革派と、
多数の守旧派の争いがあると言われています。
小泉首相と羽毛田長官は、'96年に岡光序治次官が逮捕された厚生省汚職事件の際、
厚生大臣と老人保健福祉局長として二人三脚で乗り切った、いわば”同志”の関係です。
そのため、小泉首相が霞ヶ関改革を唱えた時、羽毛田長官主導で
最も保守的な宮内庁改革を断行しようとしたわけです。
羽毛田長官のバックには両陛下の意思があると思い込んで、
小泉首相はこれまで強気の態度を崩さなかったのでしょう。
改革を嫌う宮内庁の守旧派は、紀子様ご懐妊の兆候があることを早い段階で安倍氏だけに教えた可能性がある。
安倍氏は報告せずにいたために、小泉首相にとって最悪なケースである国会審議の最中に
報じられたのではと、首相は勘ぐったのです」

小泉首相の皇室典範改正にかける意気込み
1月20日の施政方針演説で「皇室典範改正法案を今国会で提出する」と宣言
6月18日に閉会する通常国会で法案を成立させるには、
3月10日までに法案を国会に提出しなければならない
党幹部に準備を急ぐよう重ねて指示
閣僚たちや自民党内、出身派閥の森派からでさえ反対論や慎重論が飛び出す
焦った小泉首相は昨年の郵政民営化法案と同様、賛成か反対かの踏み絵を踏ませて突破しようとした
2月初め、側近にこう漏らす
「これはもう政局なんだ。3月までこちらがこのまま突っ走っていけば、
次期総裁候補で誰が反対派なのか、炙り出すことができるというものだ。
これは昨年の郵政法案と同じ、一種の踏み絵だ。
いま反対している人も、いずれは賛成に回るに違いない。いまに分かる」
安倍氏、呆れる
紀子妃懐妊の一報が入った後の国会答弁で
「将来『自分が天皇陛下にならない』ということで教育を受けられるのと
『自分はいずれ天皇になる』というご自覚のもとで教育されるのと、愛子様にとっても大変大きな問題だ」
答弁後、安倍氏に促されて別室へ
「安倍氏は『このままでは政局になるが、皇室問題は郵政法案と違うので、
絶対こちらに勝ち目はありません』と言って、約15分にわたって必死に 説得しました。
後に伝わってきたところでは、自らの官房長官辞任までほのめかしたようです」
(全国紙首相官邸担当記者)


週刊現代2006年3月?日号
有識者会議に疑問
元宮内庁の鎌倉氏がメンバーからはずされたのは、男系維持派だったから。
2月13日午後6時に皇太子が皇居に行った。
陛下との間が疎遠になれば国民も心が離れる、その批判を払拭するために最近よく皇居を訪れる。
だが、現れたのは皇太子一人で雅子妃は今回もドタキャンとなってしまったようだ。
秋篠宮は宮内庁にも懐妊の兆候があることどころか検診に行くことも知らせてなかった。
ニュース速報が流れた段階で羽毛田長官も知らなかった。
慌てて御所に「陛下にお目にかかりたい」と申し入れた。
しかしその時陛下はすでに懐妊の事実を知っていた。
この第3子懐妊はまさに天皇、秋篠宮、そしてその側近を中心に「奥」で極秘裏に薦められたことだったのだ。

週刊現代2006年3月4日号
皇太子「秋篠宮第3子は男の子を望む」−天皇家一致で男系維持−
天皇・秋篠宮・皇太子も含めて天皇家は全員男系天皇維持で意思は統一されている。
女帝・女系推進の有識者会議の皇室典範改正案には反対である。
陛下は営々と続いてきた伝統を自分の代で終わりにしたいなどと考えてない。
皇太子は紀子様の男児誕生を願っている
理由は雅子様愛子様共々継承騒ぎから解放され、雅子様の負担が無くなるから。
皇太子は雅子様の病気を絶対治したいと思っている。
雅子様の見解は不明。


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