皇太子妃やめます!

週刊新潮2006年9月21日号
■皇太子妃やめます!発言のご真意
2年前の夏、ある東宮幹部は、雅子妃に突然 「皇太子妃をやめます」と、電話で告げられた。
仰天する幹部。このご発言は密かに封印されたが、その真意は何だったのか。
宮内庁関係者によると、
「陛下は2年前、活性化の疑いが出た前立腺ガンのホルモン療法を開始するにあたって、
家族にだけは先に知らせておこうと、ご静養中の葉山御用邸にそれぞれのご一家を呼ぼうとされました。が、
秋篠宮ご一家はすぐに来られたものの、皇太子ご一家は、結局来られなかった。
ちょうど皇太子さまが“雅子の人格やキャリアを否定するような動きがあった”という
人格否定発言をされた後だったので、多分行きにくかったのだと思われます。
それで皇太子ご一家には説明できないまま、陛下のご病状は公表された。
皇太子さまと雅子妃は、ご病状を知って慌てて訪問しようとしたのですが、急には無理だったのです」
なかなか日程の調整がつかず、当時、雅子妃の苛立ちは募っていったという。関係者が続ける。
「世間のバッシングや、陛下へのご面会が叶わないことで、雅子妃はイライラされていた。
この頃、妃はお世話をする東宮の職員たちとも直接お会いにならず用事も電話を通じて伝えるほどでしたが、
ある幹部にはお怒りのまま“私皇太子妃やめます”と、思わず電話で口にされたのです」
2年前の秘話である。幹部が受けた衝撃の大きさは想像に難くない。
「皇太子妃をやめるということは、具体的には、離婚されるということですが、
法的にそれが可能なのかを当時、内部で検討したのは事実です」(同)


天皇家の宿題 岩井克己著 朝日新書
(人格否定発言後)
しかし、皇太子の追加説明の文書は、参加国訪問から帰国後もなかなか出てきませんでした。
ようやく出たのは半月後の六月八日でした。
文書が出てこなかった裏には、皇太子と雅子妃の間で意見の食い違いがあったのではないか、
と思われるふしがありました。皇太子は天皇から発言の説明を求められ、
早々に応じる考えを示したのですが、雅子妃は、説明する必要はないと考えていたというのです。
この頃、雅子妃が「皇太子妃をやめます」と言ったと、一部の週刊誌が最近書いています。
私も当時、その噂は聞きました。
「雅子妃が側近に、『説明文書を出すなら、皇太子妃をやめます』と激しい口調で言って、電話を切った。
その側近はこのため心労で体調を崩してしまったようだ」ということでした。
天皇、皇后の周辺は「宣戦布告か」と驚いた。「そのことを公表すべきだ」との厳しい意見も出たと聞いて、
私は「崖っぷちだ」と感じました。さすがに公表は思いとどまられたようでした。

週刊新潮2007年1月4・11日号
ある皇室ジャーナリストが言う。
「殿下のご心配は絶えることがありません。
03年12月に公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、
軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、
別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。
05年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下が、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、
美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。
その後、人格否定発言があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で
“私、皇太子妃、やめます!”と叫んだこともあった。
情緒が不安定で、両陛下は、腫れ物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」

週刊新潮2012年1月5・12日号
実際に、こんな出来事があった。診療が始まる直前の04年5月、皇太子さまが
「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、
宮内庁との間に軋轢があることを窺わせる、いわゆる「人格否定発言」をされた時のことである。
宮内庁側は発言のご真意について、皇太子さまに直接お伺いしようと試みたが、
その際、雅子妃が当時の林田英樹東宮大夫に、
<それなら、私は皇太子妃を辞めます>と電話口で言い放たれた。
この“事件”については、これまでにも度々報じられているが、これには続きがあった。
「電話を終えられた妃殿下は、お傍にいらっしゃった皇太子殿下と言葉を交わされたのですが、
その中で『はっきり申し上げておきましたよ』と、笑い声とともに仰ったのです」(同)


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