震災関連の皇室の活動 雑誌記事等2

女性セブン2012年3月29日・4月5日号
「死んだ方がマシ」と思っていた被災者 天皇陛下に救われる
2012年03月18日07時00分
提供:NEWSポストセブン
東日本大震災の被災者、宮城県の菊地ふみ子さん(70才)は、昨年4月、天皇皇后両陛下が
仙台市宮城野区の避難所を訪問された際、両陛下と直接言葉を交わし励まされたひとりだ。菊地さんはこう語る。
「私の主人は50才のときに、天皇陛下と同じように心臓のバイパス手術を受け、
約3か月間の入院生活を余儀なくされました。ところが陛下は、手術後すぐに退院され、
しかも追悼式にまで出席してくださいました。
でも、きっと陛下はご無理をなさっているはずです。もう少しゆっくりとお体を休めていただきたいという
思いをどうにも打ち消すことができません。
1年前、私たち被災者が身も心もボロボロになっているときに、陛下のお言葉でどれほど勇気づけられ、
生きようという気持ちになったことか。あのお言葉があったからこそ苦しみを乗り越えられたのです」
菊地さんの夫は、震災のショックで心の病に陥ってしまった。両陛下が避難所を慰問されたとき、
夫は両陛下のお姿を見ても、ただ呆然と立っているだけだったという。
「おそらく陛下は主人の様子が変なことに気づかれたのでしょうね。“どうしました? どうしました?
どうしました?”と、陛下は3回も繰り返して主人に声をかけられ、心配してくださいました」
陛下に失礼と思い、菊地さんは事情を陛下にお話しした。すると陛下は幾度もうなずかれ、
「それは大変でしたね。どうぞ、お体を大事になさって、頑張ってください」と、菊地さん夫婦をいたわられた。
「主人がこんな状態になって、正直、私自身も疲れ果ててしまい、
一緒に死んだほうがマシだと思ったことがあったんです。
でも、陛下の優しい笑顔とお言葉によって救われたんです」
http://news.livedoor.com/article/detail/6379741/

仙台の国際会議臨席の両陛下 強いご意向で急遽被災者見舞う
2012.05.19 16:01
「陛下〜!」
「美智子さま〜!」
天皇皇后両陛下を乗せたお車が到着すると、沿道に詰めかけた大勢の人々から歓声が上がり、
手を振る人波が幾重にもできた。
気温は18度まで上がり、眩しい日差しが照りつけるなか、お車から姿を見せられた両陛下は、
笑顔を浮かべながら手を振って応えられた。
5月13日、両陛下は宮城県仙台市若林区にある荒井小学校用地応急仮設住宅を訪問された。
ここには、津波で大きな被害を受けた若林区荒浜地区の住民を中心に194世帯、381名が暮らしている。
両陛下は出迎えた被災者に歩み寄られ「冬は寒くて大変だったでしょう」、
「お体はいかがですか」と声をかけられると、
そのあと、若林区長の先導で仮設住宅を回り、被災者を励まされた。
当初、今回の仙台ご訪問は、同日の第14回IACIS国際会議ご臨席のためだったが、
直前になって急きょ仮設住宅への慰問も決まったという。
宮内庁の羽毛田信吾長官は、5月10日の定例会見で、
陛下が「仙台に行くなら、どうしても被災者を見舞いたい」
というご意向を示されたと述べたうえで、
「被災者を見舞わずに、お帰りになるという選択肢はなかったのだと思う。
それぐらい被災地への思いは深かった」と明かした。
今年2月、冠動脈バイパス手術を受けられた陛下が、手術後、宿泊を伴う地方での公務をなさるのは初めてのこと。
宮内庁としては陛下のご体調を鑑みて、今回は行事への出席のみと考えていたようだが、
両陛下の強いご意志を尊重し、約1年ぶりの被災者慰問が実現したのだった。
※女性セブン2012年5月31日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120519_109002.html

震災後の天皇陛下は戦っていらっしゃると皇室ジャーナリスト
NEWS ポストセブン 1月20日(日)7時6分配信
今上天皇即位からちょうど四半世紀。79歳になられた天皇陛下は連綿と続く日本の伝統を守り、
震災で傷ついた国民を励まし、自らの病や老いと戦っている。そのお姿に日本国民は深い感動をおぼえ、
勇気づけられる。ジャーナリストの山村明義氏が報告する。
振り返ると、東日本大震災直後の平成23年3月16日にも不安に陥った国民のために、
「ビデオレター」という形式でお言葉を出された。
ちなみに、現代の「お言葉」とは、実はかつての「詔勅」や「宣命」を意味する。
そして陛下はご高齢にもかかわらず、被災者を励まし、慰めるために被災地へのお見舞いを始めた。
平成23年4月の千葉県旭市に始まり、岩手、宮城、福島の東北三県へはそれぞれ日帰りという強行スケジュール
だった。
被災地の負担にならないようにというご配慮からである。
6月には大きな津波被害を受けた福島県相馬市にお出かけになり、慰霊の祈りを捧げられた。
お見舞いは翌年も続いた。ご健康を回復された5月には宮城県仙台市で開かれた国際会議にご臨席。
陛下の強い希望で、わざわざ会議前日から現地入りされて被災者をお見舞いなさった。
翌日午前中から仙台市若林区の仮設住宅を訪問されるためであった。
さらに10月、原発事故による放射能被害にあった福島県双葉郡川内村に足を運ばれ、
除染作業が行なわれる様子を視察され、仮設住宅も見舞われた。
皇室ジャーナリストの高清水有子氏はこう語る。
「(震災後の)天皇陛下は戦っていらっしゃいます。昨年5月の仙台市の被災地お見舞いから
皇居にお帰りになって、3日後には英国にご出発になり、世界各国の元首に震災支援への感謝のお気持ちを
直にお伝えになりました。さらに英国から戻られて6日後には、山口県の全国植樹祭にご出席になり、
7月の猛暑の最中には、長野県下水内郡栄村に(皇后陛下と)御行幸啓されています。
栄村は震災で甚大な被害を受けましたが、東北の震災の陰で見過ごされがちでした。
そのような状況で天皇陛下のご希望で実現したご訪問に、地元の方々は
『天皇陛下がお出で下さったことですごく救われた』と話しています」
※SAPIO2013年2月号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130120-00000013-pseven-soci

震災関連の皇室の活動 雑誌記事等1
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