貞明皇后の真意

正論
評論家・鳥居民 「宮中祭祀廃止論」への疑問
2008.10.13 03:01
≪原教授の誤読・誤解≫
皇太子妃殿下は「適応障害」という病気に罹(かか)られているのだという。
そしてその原因に宮中祭祀(さいし)への違和感があるのだという。
市井の一庶民である私は、それ以外のことはなにも知らないし、病理学に無縁な私が口を挟む事柄でもない。
ところで、皇太子妃のその問題から「宮中祭祀の廃止」を唱えてきた人物がいる。
明治学院大学教授の原武史氏である。
原氏はそのための言論活動をおこなうにあたって、貞明皇太后に言及し、二、三の出来事を誤読、
誤解することによって、皇太后の虚像をつくりあげた。昭和天皇は第二次大戦中、
「戦況の悪化に反比例するかのように、神がかりの傾向を強めつつあった」皇太后、
「『かちいくさ』を祈る皇太后」の「呪縛(じゅばく)」のもとにあったのだと説いている。
そして原氏はそのような貞明皇太后が昭和のはじめから戦争中にかけて今日の宮中祭祀の基礎をつくりあげたのだと主張することによって、その廃止は当然なのだと読者を説得しようと努めている。
私がこの欄で原氏の主張を取り上げるのは、貞明皇太后の実像を読者に知ってもらおうと思うからである。
≪貞明皇太后の提言≫
いうまでもなく貞明皇太后は昭和天皇の母君である。昭和20年の前半、天皇と皇太后とのあいだに
葛藤(かっとう)があった。ところが、それらの出来事にかかわった人びとはなにひとつ口外しなかった。
口を閉じてはいたが、内大臣だった木戸幸一の日記と貞明皇太后の第三子、高松宮の日記を丁寧に読めば、
昭和20年の前半に宮廷で起きた天皇と皇太后の葛藤の全体像がぼんやりではありながらもすべて浮かび上がる。
原氏も、木戸と高松宮の日記を読んではいる。これらを読んだうえで、原氏は貞明皇太后が神功皇后に
「傾倒していた」のだと説き、「天皇は、そのような皇太后に手を焼きつつも、
影響を免れなかったのではないか」と記すのである。
昭和20年の歴史にいささかの関心を持つ人であれば、その年の2月に近衛文麿から東条英機まで7人の
「重臣上奏(じょうそう)」があったことを記憶されていよう。
だが、それが天皇の発意によるものか、内大臣の助言によるものか、そもそもだれが天皇にそれを説いたのかを
明らかにした研究はこれまでにない。
これこそが皇太后の提案だった。そのあと3月2日の天皇と皇族の懇談会も同じだったのである。
皇太后は天皇になにを求めたのか。原氏の想像とはまったく逆だ。この戦争を終わりにすることはできないものか、
政府首脳と統帥部総長の主張だけでなく、牧野伸顕伯爵、近衛文麿公爵、そして皇族の皆さんの考えを
聴(き)いてはいかがと皇太后は天皇に問うたのである。
皇太后の思いどおりに事態は進展しなかった。天皇と皇太后とのあいだの感情の齟齬(そご)はつづくことになった。
≪「疎開せず」の真意≫
それから4カ月あとの6月14日に天皇は皇太后を訪ねた。原氏はその著書『昭和天皇』のなかで
その訪問についてつぎのように記している。「ずっと『かちいくさ』を信じて『神』に祈り続けていたのに、
木戸に冷水を浴びせられた皇太后から、天皇はまたしても厳しく詰問されたに違いない。
このとき、皇太后が『神罰』という言葉を使ったかどうか定かでないが、
天皇はショックのあまり立ち上がることができなかった。
そこから立ち上がったとき、天皇はようやく、皇太后という呪縛から脱却し」、戦争終結を決意したのだ。
原氏はこのように説くのだが、残念ながら「冷水」から「呪縛」まで、すべて事実からかけ離れている。
天皇が皇太后を訪ねたのは、疎開を勧めるためであり、皇太后は天皇の説得に応じなかった。東京に残って、
神に祈りつづけるのだと説いたのではない。口にはしなかったであろうが、皇太后が説きたかったのは、
疎開などではなく、戦争終結を考えるべきだということだった。
長野県の松代なんかに行ってしまったら、お上は陸軍の虜(とりこ)となってしまう、
戦争の終結はいよいよできなくなると言外に仄(ほの)めかしたのである。
天皇は皇太后の考えがわかっていたのだと私は思っている。そして天皇はその5日前に
戦争終結を決意していたことを母君に明かすことができないのを無念に思っていたのだと私は理解している。
神がかりであり、抗戦派である貞明皇太后といった叙述、その呪縛下にあった昭和天皇といった主張は、
事実から遠い。残念ながらともう一度言うが、すべては原氏の思い過ごしである。(とりい たみ)
http:/sankei.jp.msn.com/culture/imperial/081013/imp0810130301000-n1.htm


関東大震災の被災地視察する貞明皇后…写真公開へ
宮内庁は、90年前の関東大震災の際、被災地を視察する貞明皇后(大正天皇の皇后)の写真を
初公開することを決めた。
当時、皇后が被災地を訪問するのは極めて異例で、今の皇室の被災地お見舞いの原点ともいえる貴重な資料。
9月1日から昭和天皇記念館(東京都立川市)で開かれる関東大震災関連の企画展で紹介される。
写真は大震災発生から約1か月後の1923年(大正12年)9月29日、東京・上野で撮影された。
洋装に帽子姿の貞明皇后が数人の被災者を励ます姿をとらえ、近くには、子供や女性の被災者を気遣う
貞明皇后の意向で組織された宮内省巡回救療班の医療関係者や巡回用バスも写っている。
(2013年7月11日17時33分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130711-OYT1T00230.htm

7月11日読売新聞
貞明皇后90年前の被災地視察
宮内庁は、90年前の関東大震災の際、被災地を視察する貞明皇后の写真を初公開することを決めた。
当時皇后が被災地を訪問するのは極めて異例で、今の皇室の被災地お見舞いの原点ともいえる貴重な資料。
9月1日から昭和天皇記念館で開かれる関東大震災関連の企画展で紹介される。
写真は大震災発生から約1カ月後の1923年大正12年9月29日、東京上野で撮影された。
洋装に帽子姿の貞明皇后が数人の被災者を励ます姿をとらえ、
近くには、子供や女性の被災者を気遣う貞明皇后の意向で組織された宮内省巡回救療班の医療関係者や
巡回用バスも写っている。
未曾有の被害をもたらした関東大震災では、当時皇太子だった昭和天皇も被災地を視察しており、
企画展ではその写真も展示される。
宮内庁によると、皇后や皇太子が天災発生直後に現地に赴き、被災者を見舞うことは当時ほとんどなかったという。
堀口修・大正大教授は「貞明皇后が大震災という国家の危機的状況下、苦境にある人々に心を寄せる姿を示す中に、
皇室の役割を強く意識していたことをうかがわる貴重な資料だ」と話している。

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