鎌田勇氏

皇太子ご夫妻の「20年」について35年来の相談相手が明かす
フジテレビ系(FNN) 6月7日(金)18時54分配信
皇太子ご夫妻は、6月9日で、ご成婚20年を迎えられる。お2人が共に歩み、共に悩まれた20年について、
皇太子さまの35年来の相談相手が明かされた。
皇太子さまは2013年2月、お誕生日に際して、
「夫婦でさまざまなことを共に経験し、共に支え合ってきました。心から感謝しています」と述べられた。
20年前の6月9日。
皇太子ご夫妻のご成婚に、日本中がお祝いムードに包まれた。
1993年1月のご婚約会見で、雅子さまは「いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、
雅子さんのことは、僕が一生全力でお守りしますからと」と述べられた。
ご夫妻がともに歩まれた20年。
皇太子さまの35年来の相談相手で、音楽家の鎌田 勇氏は「あの雅子さまあっての殿下だなという感じがします。
ご病気とはいえ、心の支えになっているんですよ」と語った。
結婚の翌年、ご夫妻は初めての海外公務に臨み、1995年、阪神・淡路大震災が起きた際には、
ご夫妻で被災地を訪れ、被災者を見舞われた。
そして、結婚9年目の2001年、流産などのつらい経験を乗り越えたご夫妻に、長女・愛子さまが誕生された。
2002年4月、雅子さまは「本当に生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」と述べられた。
待ちに待った愛子さまの誕生。
しかし、その一方で、雅子さまは、お世継ぎを期待されるプレッシャー、
そして、外交官としての経験を生かす機会がないことについて、深く悩まれるようになっていったという。
そして2003年、雅子さまは、帯状疱疹のため入院された。
その後、適応障害と診断され、長期療養が続いている。
2004年5月、皇太子さまは「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられた。
大きな波紋を呼んだ「人格否定発言」。
皇太子さまが伝えたかった思いが明かされた。
発言の真意について、皇太子さまと親交の深い鎌田氏は、「(国内の)公務をさぼって、(海外に)遊びに行くとは。
というようなことがあったと。これは、非常に雅子に対して失礼であると。そんなことではなく、
本当に(海外)公務を真面目にやりたいと思っていることを、そういう言い方で差し止められた。
これは、非常に遺憾であると」と話した。
雅子さまの海外公務への思いが、宮内庁側に理解されていないと、皇太子さまが悩まれていたことを明かした。
雅子さま1996年12月、「国民と共にあり、そして国民と共に歩んでいく皇室というものが大切でございますので、
そのためには、常に国民の皆さんが、その時々で、どのようなことを皇室に期待し、
またどのようなことを望んでいるのかということを、常に念頭に置いていかなければいけないと思います」
と述べられた。
皇太子さまは、天皇・皇后両陛下が助け合われる姿を手本とし、雅子さまが焦らず、回復の道を進めるよう、心を砕かれているという。
鎌田氏は「ご病気だけど、やっぱり全力で殿下を支えていらっしゃるというのがよくわかります。
ますます、ご夫婦の絆はつながって、ゆるぎないものになってきているんじゃないかと」と語った。
そして、2013年4月、雅子さまは体調への不安を抱えながらも、11年ぶりの海外公務となる、
オランダ国王の即位式にご夫妻で臨まれた。
皇太子さまは6日、「即位式に出席できたことは、雅子にとっても、1つの自信になったように思います。
雅子は、
確かに、快方に向かっておりますが、これで、すぐに活動の幅が広がるというわけではないと思います。
引き続き、温かくお見守りいただきたく思います」と述べられた。
最終更新:6月7日(金)19時20分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130607-00000559-fnn-soci

文藝春秋2013年6月号
鎌田勇
皇太子妃選びの時、
「火花が散るような方を選ぶべき。断固として自分の道を貫くべきで、
殿下の決断なら国民の多くは納得する。」
皇太子妃候補に美智子さまも賛成した旧皇族の娘があがって鎌田氏の家で数回顔を合わせたが、
皇太子さまと話題が続かず立ち消えになった。
皇太子さまは芸能ニュースの話がしたかったのに、真面目な令嬢は応じられなかった。
雅子さまが妃候補の有力となった時、皇太子さまが江頭豊氏がチッソに勤めていたことがあるが、
雅子さんが悪いわけじゃない可哀想だと言ったのに対して、
「殿下が結婚されるのはチッソでもおじいさまでもなく、
雅子さんなんですから、そんなことは関係ないのではないか。」
雅子さまにフルートを勧めたのは鎌田氏。他の皇族に管楽器をしている方がいないし、
初心者 にもやりやすいからとのこと。
子供がなかなか授かれなかった時、
「天皇制は殿下が決めたわけではないから、
それに縛られて私生活まで全部犠牲にされているのであれば人権問題だ。」
「天皇家は養子をとることを考えられないのか。」
雅子さまは皇室に入ってから日々の時間が大変ゆっくり流れていくことに悩んでいた。
皇室外交について、
「雅子さまにしかできない、日本のためになる外交があるはずだ。」
「国連大学などにマサのための研究室を作り、
皇室外交のあり方や日本の外交全般についてアカデミック(学術的)に研究してはどうか。」
「新しい公務」について、皇太子さまは「誰でもできるお飾りのような仕事ではなく、
東宮家 でなければできないことに挑戦してみたい」と言っていた。
鎌田氏はちょっと聞いただけはわかりにくいジョークを飛ばしている。
ある日雅子さまが 「それはどういう意味ですか」と訊いたことがある。


週刊文春2013年11月14日号
皇太子が思い描く「雅子皇后」の青写真
35年来の相談役独占告白 鎌田勇氏
皇太子ご夫妻の考え,ご夫妻が思い描かれている「将来の皇室像」について鎌田が語る。
オランダ即位式出席について
雅子妃の同行がなかなか決まらず、世間も宮内庁も批判。ご夫妻は四面楚歌。
殿下が切実な様子で「誤解や中傷と悪意による誹謗には本当に傷ついております」と。
皇太子結婚20周年で何か発信したいことがあるかと皇太子に聞くと
「もうお任せします。中傷だとかそういうのでどうしたらよいかわからなくなってしまいました」と。

ご結婚翌年、イラクのクウェート侵攻や、湾岸戦争などで延期されていた中近東訪問がようやく実現した時、
殿下はこうおっしゃったのです。
「雅子さんは外務省のキャリアで外交のプロ」
「彼女は中近東の事に詳しいのです。そういう事で何かお役に立てると思っているんだけれども
押さえられているのです」 私が「憲法の問題があるのでは」と申し上げると殿下は、
「そこにジレンマがあります」と葛藤していらっしゃるご様子でした。
お二人は皇室外交に夢を持っていた。
鎌田氏「ならば国連大学に『雅子妃外交研究所』を作って
皇室外交や世界の紛争や人権、宗教問題を研究してはどうかと提案。
皇太子は、自分たちにしかできないことに挑戦したいとお考え。
それが殿下の「新しい公務」
象徴天皇から一歩進んだ、積極的な天皇像を描いている。
軽井沢でのご静養で、殿下は雅子さまと話し合われ、この状況に風穴を開ける決意をされた。
私も「思っていらっしゃることをマスコミを通じて発信されるという方法もあります」と申し上げました。
それを実現されたのが、あのご発言だったんです。
ご相談にのっていた私ですが、わからなかったのは「人格否定」なんていう、
殿下にしては強い言葉をどうしてお使いになったのか。
事前に会見内容のご相談を受けていた時には入っていませんでした。
だいたい、殿下は「人格否定」という言葉をご存じなかったんじゃないかと思います。
宮中の方ですから、やはりボキャブラリーが、我々とは違うんです。
お近くで知恵をつけた人がいたのでしょうか。
非常におやさしい殿下がそのようなご発言をなさるとは。
言葉は俗っぽいですが、相当頭にきておられたのだと思います。

諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
両殿下との演奏会を夢見て 鎌田勇 (ジェイビルサーキットジャパン会長兼CEO)
…私が東宮御所にうかがっていた時間は二時間程度ですが、のべ一時間以上は演奏に没頭していたと思います。
大膳の係りの人がお茶を持ってきたとき以外、他には誰もいない二人きりで、濃密な音での交流の時間を
愉しむことができました。
…また、この日はお見えになりませんでしたが、雅子さまがお出ましになるときもあります。でも妃殿下は、
いつも遠慮がちに、「つもる話もおありでしょうから、私は失礼します」と短い時間で席を立たれることが
多いのですが。
…殿下は写真がご趣味で、以前に私が差し上げたデジカメで撮影された写真を、よく見せてくださいます。
「次回にはぜひブラジルでの写真もお見せください」というお話もしました。
殿下が独身時代には月に一度くらいのペースでご一緒していた時期もありました。殿下と私の合奏は、相性が
良いというのか、ずっと演奏していても、全く飽きないので、時間があっという間に過ぎでしまう。
私も遠慮せずに長居したりしていましたから、当時は朝から晩まで、ほとんど一日中、ご一緒に演奏をしていた、
なんてこともありました。…

文藝春秋2013年6月号
皇太子と雅子妃ご成婚20年私だけが知る悲劇の真相 鎌田勇
鎌田氏と殿下の交流は昭和53年の学習院OBオーケストラのコンサートがきっかけ。
以来35年にわたり交流を深めた。殿下との室内楽を通じ、両陛下との交流も生まれた。
「殿下が二十代半ばを過ぎたころでしょうか、私はご結婚後も家族で音楽が続けられるような家庭を
作るお手伝いができればと考え、室内楽の練習をする際に適齢期の女性を招くことにしました。(中略)
女性をお誘いする場合には、万が一に備え、独身であるか、どんな家の方なのかを調べて、声をかけていました。
その中には旧皇族や旧華族の関係者、新進のプロの音楽家などもいました。」
30を超えた頃からは、天皇陛下も大変心配して、適齢期のお嬢さんがいるご友人に相談。
その後時間は過ぎ、「お妃候補に対するマスコミの取材は過熱していきました。
室内楽の集まりにお呼びした女性の中にも、お妃候補と取り沙汰された方がいます。
その方はさる旧皇族の関係者でした。(中略)」
「皇后さまは『私は民間から上がって苦労もしましたから、
皇太子にはそうでない方の方がいいかもしれません』と仰り、
その女性のこともよくご存じで、気に入っていらっしゃるご様子だった。」
その女性と殿下は鎌田氏の家で5、6回会ったが、
「殿下は、芸能ニュースなどを含めフランクに世間話をしたかったようですが、お相手は非常にまじめな方でした。」

雅子さま同行へ心砕く 皇太子さま、23日に54歳 オランダ訪問、オケ仲間に胸中
2014年2月21日05時00分
皇太子さまは23日、54歳の誕生日を迎える。皇太子さまが所属する学習院OBオーケストラ元副団長で、
30年以上の親交がある鎌田勇さん(85)は「日に日にご自身の責任感が増し、
国民のためになる仕事とは何か、殿下は模索し続けているご様子だ」と話す。
鎌田さんと皇太子さまはともにビオラを担当。相談事がある際は、頻繁に電話などで連絡を取り合ってきた。
皇太子さまを学生時代から知るが、常に物事を前向きにとらえる性格という。
だが、これまでに2、3度、胸の内を明かしたことがあった。
その一つが、雅子さまにとって11年ぶりの公式な海外訪問となった昨年4月のオランダ訪問だ。
療養中の雅子さまが同行可能かどうか直前まで検討が続き、宮内庁の風岡典之長官が記者会見で
「一刻も早くお決めいただく必要がある」と述べたこともあった。ご夫妻への風当たりが強まり、
皇太子さまは「どうしたらいいのか」と悩んでいたという。
鎌田さんは「療養中にもかかわらず、プレッシャーがかかり、大変おつらそうだった」と振り返る。
ご夫妻での訪問が決定したのは出発の9日前。だが、側近らは「飛行機が飛び立つまで気が抜けない」と
心配していた。皇太子さまから鎌田さんに「行けることになりました」と連絡があったのは出発当日の朝。
とても喜んでいる様子で、鎌田さんは「実際に訪問できるか心配なさっていたのでは」と察した。
鎌田さんによれば、皇太子さまは結婚当初、雅子さまのキャリアを生かした
新しい国際親善を期待している様子だったという。だが実現しないまま、雅子さまは長期療養に入った。
そうした中、鎌田さんは「国連大学など、学問的な分野で活躍する場を設けては」と提言したことがあった。
皇太子さまは「それはいいかもしれませんね」と受け止めていたという。
皇太子さまは年齢を重ねるにつれ、「表情も引き締まってきたようにお見受けする」と鎌田さんはいう。
「名誉職に就くだけではなく、実際に国民のためになる、ご自身にできる仕事は何かと、
殿下は懸命に考えられているご様子です」
(中田絢子、島康彦)
http://www.asahi.com/articles/DA3S10990560.html


鎌田勇氏死去(作曲家、元沖ユニシス社長)
鎌田 勇氏(かまた・いさむ=作曲家、元沖ユニシス社長、学習院OBオーケストラ元副団長)
3日午後10時30分、東京都内の病院で死去、89歳。東京都出身。
葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男慶昭(よしあき)氏。
皇太子ご夫妻と音楽を通じて長年親交があり、「皇室に最も近い民間人」の一人とされた。
(2018/01/11-20:20)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011101176&g=ryl

目次2へ
目次5へ