秋篠宮両殿下オランダご訪問


皇室・平成22年 春 46号
日蘭通商40周年記念―王室とのご交際と国際親善に尽くされて
秋篠宮・同妃両殿下 オランダご訪問  寄稿 近藤茂夫(オランダご訪問首席随員)

はじめに
日蘭の通商開始から400年に当たる2009年、秋篠宮・同妃両殿下は、ベアトリクス女王陛下と
オランダ政府のお招きにより8月21日から26日までオランダ王国を公式訪問された。
我が国にとってオランダは、400年の通商の歴史を有し、
欧米諸国の中で西洋への窓として特別な役割をもってきた国である。
今日においても、オランダは我が国にとり、政治的に極めて有効な関係にあるだけでなく、
経済的にも重要なパートナーであって、かつ、ヨーロッパ最大の投資先である。
加えて、両国の豊かな文化はお互いを惹きつけあっており、その交流の歴史は長い。
古くは17世紀、日本の漆器と瀬戸物はオランダ人の間で大変な人気となり、
画家のレンブラントやゴッホはそれぞれ日本の版画や和紙に魅せられ、影響を受けたといわれている。
今世紀では日本のアニメや漫画がオランダで人気を呼んでいる一方、
オランダの子供向けの書籍が日本で読み親しまれており、ディック・ブルーナの兎のミッフィーは、
高い人気を得ている。また、日本の皇室とオランダ王室とは友好な関係を有しており、最近の例をあげると、
2000年には日蘭交流400周年の機会に天皇・皇后両陛下が訪問され、
オランダ王室の心のこもった歓待を受けられた。
秋篠宮・同妃両殿下は、2001年にはコンスタンタイン王子殿下ご成婚式に、
2002年にはベアトリクス女王陛下のご夫君である故クラウス殿下ご葬儀に、
2004年には故ユリアナ前女王陛下ご葬儀に、それぞれご出席のため、オランダを訪問されており、
オランダへの公式訪問は、今回で4回目となる。
両国関係における節目となる本年に、日蘭協会名誉総裁である秋篠宮殿下に妃殿下とともに
オランダを訪問いただいたことは、我が国が、この節目の年を慶賀しているという明確な意図を
オランダ側に伝えるとともに、節目の年を盛り上げる上で極めて大きな効果をもたらすものといえ、
両国の友好・親善関係の一層の増進にとって真に時宜を得たものであった。
以下、日を追って両殿下のご動静を記すこととする。

■宿舎は女王陛下のお住まい、ハイス・テン・ボス宮殿
21日夕刻、両殿下はオランダに到着し、空港で温かい歓迎を受けられた後、
宿泊先のハイス・テン・ボス宮殿へと移動された。同宮殿はベアトリクス女王陛下のお住まいであり、
ご到着の際には女王陛下の出迎えを受けられた。同日夜にはウィレム・アレクサンダー皇太子殿下、
マキシマ皇太子妃殿下も同席されて女王陛下ご主催の夕食会に臨まれた。

■22日 ハーレム市、アムステルダム市 他
聖パフォ教会で妃殿下がパイプオルガンをご演奏
本格的なご活動開始となったこの日、両殿下はまず、15世紀建造の優美な塔を有する後期ゴシック様式の
聖パフォ教会を訪問された。
両殿下は、バッハの「トッカータとフーガニ短調」のパイプオルガン演奏を鑑賞された後、
演奏台までお上がりになって、演奏者よりパイプオルガンの構造演奏方法などの説明を受けられた。
その後、演奏者の勧めを受けられて、また殿下が促された事もあって妃殿下が
演奏曲の冒頭部分を弾かれることに。演奏終了後には、驚きの輪が同行者の間に期せずして広がった。
引き続いて、両殿下はテイラー博物館を訪問された。
科学の実験機材・化石・骨格標本やレンブラントの絵画などが展示されている。
両殿下は、スハルロー館長による説明に熱心に耳を傾けられたが、
とりわけ、科学と芸術の作品を同時に展示するという特徴に強い印象を受けられた模様であった。
妃殿下が、殿下が関心を示された書物の書名や著者名をメモされるほほえましい光景がみられた。
午後には多くの一般観光客で賑わうファン・ゴッホ美術館へ。ルーヘル館長の案内により、
「ひまわり」などのゴッホの作品をご覧になるとともに、地下所蔵庫で、ゴッホが自ら収集したという
日本の浮世絵などをご覧になった。その中には、ゴッホが制作過程において下絵を写し取った鉛筆の跡が残る
浮世絵があり、両殿下は、改めて浮世絵を通じて日本美術がヨーロッパに伝えられたという事実を
感慨深げに思い起こされていたご様子であった。

■殿下は家禽博物館で鶏卵の競り市場の模擬体験を。妃殿下は当地の結核予防会へ
その後、秋篠宮殿下は、妃殿下とお別れになり、1838年設立のオランダ最古のアルティス動物園を視察された。
日本動物園水族館協会総裁をお務めの殿下は、研究のために動植物の貴重な書籍を収蔵する図書館が
動物園内にあることに強い印象を受けられたご様子で、「研究の場」としての動物園の意義を重視する殿下にとって
共感されるところがあったのではないかと思われる。さらに殿下は、鶏の産地として有名なバルネフェルトに移動され、
家禽博物館を視察された。鶏の家禽化を研究されている殿下は、ワゲニンゲン大学研究センターの
レーンストラ博士らの説明に耳を傾けながら、飼育されている22種類の在来鶏の鶏舎を区画ごとに
一つずつ大変熱心にご覧になった。殿下は実際の市場を模した鶏卵の競り市場で行われたダッチ・オークション
(一般の競りとは逆に高値から始まり、値が下がっていく中で最初に値を提示したものが落札者となる)も試みられた。
その後、ライデン大学のファン・ヒューリック教授、フローライブ家禽博物館理事会会長らの専門家との
懇談会に臨まれ、在来品種保存の困難さ、対応策などに関してご意見を述べられた。懇談会に先立ち、
殿下ご自身がかかわった研究論文をレーンストラ博士に渡された際、同氏が感激の面持ちで
謝意を述べられていたのが印象的であった。
一方、日本の結核予防会総裁をお務めの妃殿下は、結核を世界から撲滅すべく長年にわたり
日本の結核予防会と親密に協力してきたオランダの結核予防会を訪問された。同行者によると、妃殿下は、
結核に関する正しい知識の普及啓発について、日本の事情を紹介しつつ、
オランダの状況を案内のホンドリー執行理事に質問されるなど、専門的な意見交換をされたという。
その後、妃殿下は、大使公邸で、聴覚障害者のコミュニケーションや言語問題に取り組む教育施設
エタファの専門家デペッツ氏から、その活動状況やオランダ語の手話について説明を受けられたという。
これは25日に予定されるエタファのご訪問に先立っての事前のご準備であり、
ご予定の間の時間を利用されたもので、妃殿下のろうあ者の言葉を大切になさる態度には改めて感銘を覚えた。

■23日 アッペルドールン市 他
女王陛下のお心のこもったプライベートプログラム
前日の夕刻、ハーグ市から約130キロの位置にあるアッペルドールン市内のヘッド・アウデ・ロー宮殿内の
ハンティング・ロッジに移られた両殿下は23日の丸一日間、女王陛下ご主催のプライベート・プログラムを
楽しまれた。女王陛下、ウィレム・アレクサンダー皇太子、同妃両殿下、アマリア王女殿下、アレクシア王女殿下
およびアリアーン王女殿下とご一緒の馬車ツアーやピクニックランチをはじめ、午後には皇太子殿下とご一緒の
クローラー・ミュラー国立美術館のご視察、聖ヒューベルトゥス狩猟館のご訪問など、筆者は同行していないが、
プログラムは女王陛下のご配慮が行き届いたものであったとうかがっている。そして夜にはハンティング。
ロッジで女王陛下の妹君であらせられるマルグリート王女殿下ご夫妻と夕食を共にされた。
この日の一連の行事は、日本の皇室とオランダ王室との長い友好の歴史に
深く刻まれるものの一つであったと言っても過言ではない。
■24日 ライデン市、ハーグ市
20年前に自然史博物館のラベルの誤記を指摘されていた殿下。旧知の博士ともご再会に。
ハーグ市に戻られた両殿下は、24日午前、画家レンブラントの生地として知られるライデン市へ移動され、
1200万点以上の標本を有する国立自然史博物館を訪問された。ヘールケン館長や同館の魚類部門担当で
旧知のファン・オイエン博士らの案内で、絶滅鳥ドードーの化石や日蘭通商400周年を記念した特別展示のシーボルトコーナーなどを大変興味深くご覧になった。同コーナーでは、1820年から30年まで
長崎・出島のオランダ商館に派遣されたドイツ人医師のシーボルトが持ち帰ったニホンオオカミや
ナマズの剥製などが展示されているが、ここで20年前の殿下にまつわるエピソードが明らかになった。
1990年、当館を訪問された殿下は、日本のナマズとして収蔵されていた5尾のうちの1尾が
東南アジア産であることを指摘されていたのである。現在、くだんのナマズの説明パネルには、
「秋篠宮殿下のご指摘により誤りが訂正された」との一文がある。
このエピソードもさることながら、ことの経緯が博物館からわれわれに披露された際の殿下のお話も忘れがたい。
殿下は「収蔵品の多い大きな博物館では長い年月にわたって専門家の目に触れずに
収蔵されたままになっているということは珍しいことではなく、専門家の目に触れて誤りが正されることは
よくある。私自身もいくつか正したことがあるので、このナマズの件は忘れていた」とおっしゃった。
引き続き、殿下は、ヘールケン館長をはじめとする研究者との懇談会に臨まれ、
終了後には、殿下が自らたずさわった論文をファン・オイエン博士にお渡しになった。
博士は殿下が英国留学時代、研究のために当館を度々訪問された際に殿下の研究を指導した方で、
殿下は、当時に思いを馳せながら、学者同士の専門的な会話を楽しまれたのではないかと思われる。
■小児病棟を訪問された妃殿下。自宅で病気治療中の少女への約束。
妃殿下は、ご視察の後に殿下とお別れになり、ご移動先のライデン大学医療センターを訪問された。
同行者によれば、そこの小児病棟でクリニクラウンの活動について説明を受けられたとのことである。
クリニクラウンとは病院を意味する「クリニック」と道化師をさす「クラウン」とを合わせた造語で
入院生活を送る子供の病室を定期的に訪問し、触れ合うことで子供たちの成長をサポートし笑顔を育む
道化師のことである。妃殿下は専門的な教育を受けた2人の女性クラウンと共に小児病棟へ入られ
入院中の子供達と触れ合いつつクラウンの活動への理解を深められたとうかがっている。
小児病棟では妃殿下と一人の少女との間に心温まるエピソードが生まれた。重い病気で在宅治療中の少女が当初、
妃殿下とお会いすることになっていたものの体調の関係でお会いする事が出来なくなったため、
自分で想像して描いた「日本のプリンセス」の絵を自分の写真とともに職員に託し、
妃殿下の写真とサインが欲しいと希望したそうである。
帰国後、妃殿下は少女と約束した通りに、写真をお手製の折り鶴とともに送られた。
後日、その少女より、妃殿下が送られた写真と折り鶴を持った少女自身の写真が送られてきたそうである。
■日本について学ぶ学生とご懇談。両国間の絆を次世代へ
その後、両殿下は合流されて、国立民族学博物館をご訪問になり、シーボルトの日本コレクションや
収蔵庫などを熱心にご覧になった。特に、収蔵庫において、殿下は、江戸時代に猿の頭部や
本物の鯨の歯などを用いて精巧につくられた鬼や人魚などを、妃殿下のご協力を得ながら写真を撮りつつ
ご覧になられた。そのご様子は、鬼や人魚もその研究対象とする生き物文化誌会に深くかかわっておられる
殿下の学者としてのお姿そのものであった。引き続いて両殿下は、ライデン大学の教授や同大学日本学科で
日本および日本語を学ぶ学生と懇談された。学生たちは緊張の中でも一所懸命に両殿下のご質問に答えており、
両殿下は彼らの熱心な学習姿勢や、日本に対する関心と理解の深さに感心されたご様子であった
同席したわれわれにとっては両国の友好関係が次世代に引き継がれていくことを感じたひとときであった。
ご昼食は、ライデン市長およびライデン大学学長主催による日蘭研究関係者や市庁関係者との昼食会であった。
市長の歓迎の挨拶に続いて殿下が答礼のご挨拶に立たれ、約20年前に東南アジアの淡水魚の調査のため、
オランダ国立自然史博物館を度々訪問されたことなどの思い出を披露された。
■ライデン大学学生寮では10年前の両陛下ご訪問時と同じ光景が展開された。
ご昼食後は、シーボルトハウスに移動されたが、その道筋にあるライデン大学の学生寮で、
筆者は特別な場面を目撃することとなった。そこは2000年の天皇・皇后両陛下のオランダご訪問の際に、
3人の女子学生と両陛下が窓越しに言葉を交わされた場所で、学生寮の壁には当時の写真を埋め込んだ
記念プレートがかけられている。今回、両殿下がその壁の前を通りかかったところ、
偶然にも3人のオランダ人女子学生がおり、両殿下が親しくお言葉をかけられた。
10年前の両陛下のご訪問のときと同じ光景が見られたのである。
シーボルトハウスは、オランダにおける日本センターとでもいうべき場所で、シーボルトが日本で収集した
動植物の標本、浮世絵、陶磁器、日用品などを展示するとともに、浮世絵や日本の現代美術に関係した
特別企画展や各種ワークショップを開いている。
両殿下は、カウパース館長の案内で、質の高い質疑を交えつつ、展示を熱心に視察された。
その後は同館で開催されている写真で東京の100年を振り返る「100年写真展」を
森山真弓・日本カメラ財団理事長の案内で視察された。引き続き、日本大使公邸で催された
大使主催レセプションに臨まれ、オランダ政府関係者、友好協力関係者、在留邦人らの出席者に
丁寧に声をかけられ、約1時間ほど親しく話された。

■25日 ハーグ市、ワッセナー市
日蘭通商400周年記念式典にご臨席。妃殿下は蘭の模様の和服でお出ましに。
25日朝、両殿下は、女王陛下のお見送りを受けて、コンスタンタイン王子殿下、
ローレンティン妃殿下とともにハイス・テン・ボス宮殿から国立公文書館へ移動され、
ご訪問のハイライトとなる「日蘭通商400周年記念式典」に臨席された。妃殿下は、オランダの「蘭」に通ずる
ランの花模様をあしらった和服で臨まれた。礼を尽くされた妃殿下のお召しものは、
記念式典に華をそえるものであったように感じられた。
同式典では、まず、プラステルク教育・文化・科学大臣が「日本とオランダは、400年の長い交流の歴史の中で、
文化や科学をはじめさまざまな分野で緊密な関係を築いてきた。
今後、日本とオランダの関係のみならず、アジアと欧州の絆を強化していきたい」と挨拶。
続いて、日蘭通商400周年記念事業運営委員会委員のファン・ヒューリック教授より、
日本の鎖国から開国までの間の交流を含む日蘭通商400年の歴史に関する詳細な説明があった。
日蘭の皇族・王族のご臨席の下、大勢の関係者が集われたこのお祝いの式典は、
両国の友好関係のさらなる大きな一歩となるものであった。引き続き両殿下は、
「此処から東京へ」と題する400周年記念公文書展示会場にコンスタンタイン王子殿下、
ローレンティン妃殿下とともに移動され、ファン・ヒューリック教授の案内により、
1609年に徳川家康がオランダに与えた朱印の通行許可証、オランダ商館が置かれた平戸と長崎・出島の
絵図などをご覧になった。その後、両殿下は、コンスタンタイン王子殿下、ローレンティン妃殿下とともに、
フェルメールやレンブラントらの17世紀オランダ絵画の傑作を多数所蔵するマウリッツハウス美術館にご移動。
殿下は、妃殿下とともに作品を一つ一つ楽しまれたが、とりわけ画家ヤン・ステーンの作品「家禽の庭」を
興味深く鑑賞されていた。
■記念コイン刻印行事でのオランダ政府の素晴らしい演出
ファン・デル・フーフェン経済大臣が主催した午餐会には、コンスタンタイン王子殿下、
ローレンティン妃殿下とともに臨まれた。
午餐会に先立って、殿下とコンスタンタイン王子殿下が手を取り合い、手動の刻印機で2枚の記念コインを
刻印する記念行事が行われた。このコインは、1862年に日本使節団が初めてオランダを訪問した際に
刻印されたコインを再現したもの。表面には1609年(長崎の平戸にオランダ東インド会社が商館を開設し、
幕府がオランダ人に通商許可を与えた年)と1862年の年号、日本およびオランダの紋章、
反対の面には「両国親睦益篤」の文字が記されている。
オランダ政府の素晴らしい演出に殿下、妃殿下はともに心を動かされたご様子であった。
午餐会の後、両殿下は、パルケネンデ首相とお会いになった。殿下より、本年10月に予定されている
同首相の訪日を歓迎する旨が述べられ、首相からは、両殿下のオランダご訪問に対して謝意が述べられたそうである。
■オランダ語手話での両殿下とろうあの子供たちとの楽しいおしゃべり
続いてのご訪問先は、ろうあ教育施設のエファタであった。両殿下は、所長のヒデマ氏らからエファタの組織概要や
聴覚障害の早期発見のための新生児の聴覚検査などについての説明に耳を傾けられた後、
6〜12歳までの子供たちのための保育施設を視察し、3人の生徒とお会いになった。
その際、子供たちから両殿下にプレゼントとして紙製の筒が手渡されたが、
その筒に日本語の「ありがとう」を含むいくつかの手話が例示されているのをご覧になって、
妃殿下がオランダ語の手話で子供たちと話し始められた。さらには殿下もこれに加わられ、
子供たちや教職員と一緒に心和む交流が見られた。妃殿下は、聴覚障害者の大事な言語である手話については、
学生時代から関心を持ち学ばれ続けて、大切にしてこられた。
エファタでお使いになられたオランダ語の手話は、前述したように、オランダご到着後の22日に学ばれた。
また、殿下も手話で挨拶されたことから、妃殿下からのご教授がおそらくあったのであろう。
子供たちは、自分たちが使ったり、学んだりしている部屋に両殿下の手を引きながら案内し、
おもちゃをお見せしたりして、喜びにあふれていた。
同日夜には、マキシマ皇太子妃殿下ご主催の夕食会に臨まれた。夕食会には女王陛下もご出席になったと
うかがっているが、実の家族のような和やかな雰囲気の中で時間を過ごされたことと思われる。
26日朝、ハイス・テン・ボス宮殿において女王陛下にお別れの挨拶をされた後、両殿下は帰国の途に就かれた。

おわりに。
秋篠宮・同妃両殿下のオランダご訪問は、オランダ王室およびオランダ政府の配慮による心温まる歓迎の中で
無事に終了した。とりわけ、女王陛下をはじめとするオランダ王室の方々の歓迎は特筆に値するものであった。
両殿下が毎朝、宿泊所であるハイス・テン・ボス宮殿から出発される際には、
女王陛下は優しくお声をおかけになりながら笑顔で見送られ、そのご様子は、階段下で待機している随行者に
家族のような絆を感じさせる光景であった。
また、すべての訪問先で温かく歓迎され、両殿下は訪問先や沿道での人々に終始笑顔をもって接せられた。
そして、両殿下のご動静は新聞やテレビでも報道された。
両殿下は今回のご訪問に先立ち、改めてオランダの歴史・文化の専門家や有識者から話を聞く機会を持たれ、
ご熱心に学ばれていた。その上で両殿下は、オランダご滞在中一つ一つの予定を心をつくしてお務めになり、
さまざまな場所で人々と触れ合い、ある時は専門的な会話をかわされる中で、オランダに対する理解を
一層深められたのではないかと思われる。今回のご訪問は、日蘭通商400周年を祝福するという意味で
大きな意義があったとともに、両国の皇室・王室の方々がさらに理解を深める機会になったのではないだろうか。
そして、今回のご訪問が、日蘭の友好・親善関係を一層深く、幅広くする上で大きな契機となったものと
確信する次第である。



【近藤茂夫】 
昭和17年4月13日生まれ。
同40年、東京大学法学部卒業後、建設省入省。
都市局長、国土事務次官を経て、
平成11年から15年まで内閣広報官。平成15年より18年まで
外務省駐フィンランド日本国大使館特命全権大使を務めた後、19年に財団法人建設経済研究所理事長。
同年4月より宮内庁御用掛を務める




参考


秋篠宮殿下とオランダ王室は以前からよい関係を築いている

シンガポール・タイご訪問に際し(平成18年)
陛下の記者会見でのご発言
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h18-seasia.html

秋篠宮は留学中,研究の関係で何度かオランダに行っていますが,
その都度女王陛下始め王室の方々から温かいおもてなしを受けました。
王子方がライデン大学の学生街のお住まいに秋篠宮を招いてくださったこともありました。
秋篠宮がオランダを離れた直後に,今,出発したところだと,
その滞在がとても良かったことを意味するお手紙を女王陛下から頂いたことなど
今でも懐かしく思い起こされます。