皇太子ご夫妻二年ぶりの被災地訪問

◇2013年8月20日 宮城県
皇太子ご夫妻、仙台に到着 仮設住宅やみそ加工場訪問
2013.8.20 13:05
皇太子ご夫妻は20日、東日本大震災で被災した宮城県を日帰りで訪れるため、新幹線で仙台駅に到着した。
ご夫妻の被災3県への訪問は2011年8月以来。七ケ浜町の仮設住宅で被災者を激励するほか、
津波被害を受けながら営業を再開した仙台市宮城野区のみそ加工場を訪れる。
宮内庁によると、雅子さまは日ごろから被災者を励ましたいという強い気持ちがあり、
8月6日には東京都内で福島、宮城、岩手の被災3県の中高生を激励した。
関係者によると、宮城県訪問は今春から何度か計画されては延期されてきたが、
今回、雅子さまの体調が良好のため実現したという。
http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY201308200077.html

皇太子ご夫妻、宮城県を訪問
2013/8/20 20:12
皇太子ご夫妻は20日、東日本大震災の被災地、宮城県を日帰りで訪問された。
同県七ケ浜町の仮設住宅で皇太子さまは避難者一人ひとりに「不便なことはないですか」などと言葉を掛けられた。
雅子さまも笑顔を交えて「体を大事になされてください」と気遣われていた。
ご夫妻の被災地訪問は2011年8月の岩手県以来、2年ぶり。
お二人は、津波被害から再建を果たした仙台市宮城野区の農家でつくる生産組合のみそ加工場も訪問。
復興状況の説明を受けた後、約3キロのみそを贈られ、雅子さまは「うわー、楽しみ」と話されたという。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2003I_Q3A820C1CR8000/

皇太子ご夫妻2年ぶり被災地慰問…日帰りで宮城
皇太子ご夫妻は20日、東日本大震災の被災地お見舞いのため、宮城県を日帰りで訪問された。
ご夫妻はまず、町面積の36%が浸水した七ヶ浜町を訪問。約360人が避難生活を続ける仮設住宅では、
座って出迎えた高齢者らに腰をかがめて声をかけられた。
皇太子さまは、住民の孤立を防ぐ活動を続ける世話役の男性に
「皆さんの目が行き届くことが大切ですね」と語りかけられた。雅子さまは車ごと津波に流された男性を
「ご無事で良かった」、自宅再建のめどが立たない女性を「お体をお大事に」と励まされた。
お二人の言葉に涙ぐむ高齢者の姿もあった。
その後、ご夫妻は、津波で田畑や施設に甚大な被害を受けながらも、昨年4月にみそ造りを再開した
仙台市宮城野区の岡田生産組合を訪問。組合員の女性が「働けるのは生きる力になります」と話すと、
皇太子さまは「ご苦労も多かったでしょう」とねぎらわれた。
帰り際、ご夫妻の希望でみそを持ち帰ることになり、雅子さまは「楽しみです」と笑顔を見せられたという。
ご夫妻の被災地慰問は2011年8月の岩手以来2年ぶりで、療養中の雅子さまの地方公務もこの時以来。
宮内庁によると、雅子さまはこの間も、被災者に心を寄せ、今回の訪問を強く希望されていたという。
(2013年8月20日21時04分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130820-OYT1T00992.htm


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今回の訪問が決まるまでのドタバタ


皇太子ご夫妻の被災地訪問延期 雅子さまの体調考慮
皇太子ご夫妻が宮城県の東日本大震災被災地を訪問する計画が延期されたことがわかった。
関係者によると、18日を軸に宮内庁や県が準備を進めていたが、雅子さまの体調になお波があり、
改めて日程を調整することになった。
数週間先の予定を決めることが、雅子さまの負担になるとの判断もあったようだ。
ご夫妻は震災後の2011年4〜8月、宮城県など1都4県の避難所などを訪問。
その後、ご夫妻での被災地訪問は水面下で何度か検討されたが、いずれも延期されている。
小町恭士東宮大夫は14日の記者会見で「鋭意検討しているが、日程を申し上げる段階にない。
両殿下は被災地に心を寄せており、なるべく早く固めたい」と答えた。
2013年6月14日17時24分
http://www.asahi.com/national/update/0614/TKY201306140216.html


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週刊文春2013年8月29日号
雅子さま宮城日帰り「被災地慰問」の全内幕
今年に入り幾度も取り沙汰されてきた、皇太子ご夫妻の二年ぶりの被災地訪問がようやく発表されたのは、
8月20日当日の1週間前、8月13日だった。
宮城県の関係者によれば、これまでに4月、5月、6月と具体的に3回の日程が候補に上がり、
そして消えていったという。
「3回とも雅子さまもいらっしゃる予定で、県もほぼ準備万端で待っていたのです。
春以降、検討されていましたが、雅子さまは4月末から5月初めのオランダご訪問を優先された。
その後の、5月28日、6月18日の2回は、2週間ほど前に東宮職から中止の連絡がありました。
今回に日程については、お盆で新幹線の席が取りにくいとか、議会や選挙、
仙台でのイベントとの兼ね合いなども懸念されましたが、なんとか20日に決定しました」
地元関係者も含め、雅子さまの“ご体調の波”に翻弄されたが、東宮職は
「正式なご訪問発表はしていなかったので、キャンセルということではない」と弁明しているという。
(中略)
そもそもオランダご訪問とともに、被災地最低1カ所慰問というのは、雅子さまの今年の“達成目標”と見られており、
宮城ご訪問は東宮職の念願だった。
しかし本番4日前、公表されたタイムスケジュールを見た宮内記者たちは、唖然としたという。
「仮設住民と皇太子ご夫妻の交流の時間が、たった十分しか予定されていなかったのです。
車を降りられてからの仮設住宅の集会所までの30メートル近くを歩く、往復5分だけ。
雅子さまのご体調に配慮して、休憩時間が多いのは仕方がないとしても、」あまりに短すぎる。
しかも、出迎えるのは40人ほどの住民に絞られるというのです。ご訪問するのは七ヶ浜町で
一番大きな仮設住宅で約370人も入居者がるのに」(同前)
さらに、その40人に対して皇太子ご夫妻が話しこまれることは想定されていないという。
つまり、ご夫妻が限られた住民の前を通り過ぎる程度の時間しか設定されていないのだ。
集会室では、世話人との短い懇談もあるが、「相手が世話人では、仮設住宅の概要が話の中心になる。
一般住民との交流とは言えません。住民代表にはならないような年配者や子どもに対して、
『暑くはないですか』『困ったことはありませんか』といった声を掛け、
それこそが被災地訪問で最も大切なのではないでしょうか」(同前)
これについては、16日の大夫会見でも宮内記者から疑問の声が上がった。
〈合計10分というのは、両陛下の被災地ご訪問に比べても非常に短い印象だが〉
しかし、小町大夫は特にコメントしなかった。
あるベテラン宮内庁担当記者は、「形だけのご訪問になるなら、行かない方がマシだと思います」
と一刀両断する。
「10分という短時間になったのは、この猛暑に対しての配慮もあったようです。しかし、
天皇皇后は先日の岩手県遠野市で、気温30度近い炎天下の中、約40人の仮設住宅の入居者
一人ずつと話をされています。雅子さまにとっては、初対面の相手とお話をなさることや、
カメラやメモを持った記者に囲まれることもご負担なのかもしれません。
しかし虚心坦懐に、無視の心で被災者と向き合えばそんなことは気にならないはずです」(同前)
この短すぎる被災地ご滞在予定を知った地元住民は、残念そうにこう話す。
「仮設住宅のほかにも、七ヶ浜には見ていただきたい所があるので色々と回ってほしかった。
私は別の仮設に住んでいるから、ご到着の場所には行けないそうです。
今回のご訪問は、パパッと形だけで済ませたいという感じがします。もうちょっと県民が喜ぶことを
してもらえたらいいと思うなぁ」
他の住民たちにも聞いたが、雅子さまのご訪問については、かなり冷やかに見る向きが多い。
ボランティアの間では、こんな噂話までされている。
《以前の被災地ご訪問の際、雅子さまに「税金泥棒」と言った人がいた。
それで今回は住民との交流を避けられたのだ》
前出のベテラン宮内庁担当者もこう言う。
「短い滞在予定時間や、住民との交流の少なさから見て、雅子さまは消極的なのだと
捉えられても仕方ない。今年はオランダご訪問をされたので、被災地訪問もこなさないと
いけない、という雅子さまの“義務感”が透けて見えるようです」
それは、この被災地ご訪問が、ご静養のちょうど合間を縫うようにしてスケージューリング
されたということも無関係ではない。
「20日を挟んで、8月12日から16日までは須崎御用邸で静養され、23日から9月初旬まで、
こんどは那須御用邸に13日間もの長期間滞在されます。つまり被災地ご滞在は、計18日の
長い夏休みの合間のたった一日、たった10分、ということになるのです」(別の宮内庁担当記者)
(中略)
「皇太子ご夫妻は8月6日、『OECD東北スクール』取組発表会にお出ましになり、
OECD(経済協力開発機構)の支援を受け活動している東北の中高生の取り組みをお聞きになりました。
課題克服を支援する、というこのスクールの方針は雅子さまのお考えと近い。
精神的な励ましよりも具体的な解決方法が必要だというお考えです」(保阪正康氏)
天皇皇后は7月4日から5日に岩手県、同22日から23日に福島県の被災地を訪問された。
被災者へのお見舞いは実に14回を数える。
(中略)
同行した宮内庁担当記者が話す。
「宿泊された遠野市のホテルで、美智子さまが記者のいるところで足を引きずっておられました。
隠しきれないほどのお痛みなのだろうと感じました」
そのようなお体のご不調を押して被災地をご訪問されるのは、強いご意思をお持ちだからだという。
その平成流を受け継いでいるのが秋篠宮ご夫妻だ。
「この2年の間も、秋篠宮ご夫妻は岩手と福島の被災地を訪問されています。ご訪問の様子を
見ていても、自然に人の輪に入っていらっしゃる様子は、両陛下を彷彿とさせます。
5月の福島県訪問では、紀子さまから声をかけられた飯舘村の中学生の笑顔が印象的でした」
(前出・宮内庁担当記者)
雅子さまの思いは被災者の胸に届くのだろうか。



雅子さま被災地ご訪問 体調と愛子さまのこと聞かぬよう注意
NEWS ポストセブン 2013.08.27 07:00
8月20日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県七ヶ浜町を日帰りでご訪問、被災者を励まされた皇太子ご夫妻。
おふたりの被災地慰問は、2011年8月の岩手県以来、約2年ぶりとなる。
仮設住宅では40人ほどの被災者に出迎えられた。ここには高齢者が数多く生活しており、
いすに座っての懇談となったが、雅子さまは膝を折り、中腰になられ、
目線を同じ高さにして、熱心に話をされていた。
七ヶ浜町では、ご来訪にあたって住民が困惑する出来事もあった。
皇太子ご夫妻が訪問される1週間ほど前から、
白バイ、パトカー、覆面パトカーなどが数十台も連なって、町内を走り回った。
「早朝からそんな光景が繰り広げられるんです。びっくりしてお巡りさんに聞いたら、
“皇太子ご夫妻が来られるので、その予行演習です”とのことでした。
昼間も、ずっと警察官が仮設住宅の敷地内を巡回していて、すごく物々しい雰囲気になっているんです。
早く普段通りの静かな環境に戻ってほしいですよね」(仮設住宅で暮らす70代の男性)
さらに警察や役所、仮設の役員などからは、仮設で暮らす人々にこんな要請が。
「当日は、仮設の住民以外は絶対に敷地内に入れないでください」
「仮設の住民は名札を必ず着用してください」
「仮設に住んでいる人の名簿を提出してください」
しかも、これらを何度も何度も耳にたこができるほど聞かされるという。
また、皇太子ご夫妻と話すにあたって、禁止事項まで告げられたという。
「雅子さまの健康については触れてはならない」
「愛子さまのことも聞かないでください」
これには仮設で暮らす60代の女性がこう嘆いた。
「実は私、難病を患っているんです。それでも何とか頑張って過ごしています。
ですから、もし雅子さまとお話しする機会があったら、自分の病気のこと、
それから雅子さまのご健康のことも話してみたかったんです。
亡くなった小学生の孫のこともお話しして、愛子さまの話も聞いてみたかった。
それなのに“そういったことはダメだ”と言うんです。せっかく来てくださるのに、
“あれも、これもダメ”というのは何かちょっと違うような気がするんですよね」
被災者と会って励ましたいと強く願われ、万全ではないご体調の中で、慰問を決断された雅子さま。
しかし、それをサポートするはずの周囲の人々や行政の過剰なまでの気遣いが、
逆に本来、励まされる立場の被災者たちを困惑させ、苦しめているのだ。
※女性セブン2013年9月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130827_207037.html

サンデー毎日2013年9月8日号
皇太子さま雅子さま2年ぶりの被災地訪問の“秋風”
宮城県七ヶ浜町は、仙台市の中心部から北東へ約15キロ。東北地方で最も小さい面積の市町村で、人口は約2万人。
サーフィンのメッカとして知られていたが、東日本大震災で町の4分の1が浸水し、100人以上の町民が亡くなった。
海岸沿いの住宅や民宿は津波にのみ込まれ、更地のままの状態で復旧は遅々として進んでいない。
そんな被災者を励まそうと8月20日、皇太子ご夫妻が訪問された。同町関係者が言う。
「ご夫妻は、七ヶ浜国際村で村井義浩知事と渡辺善夫町長から、復旧と復興への取り組みの説明を受けました。
雅子さまは震災遺児に強い関心を持たれたようで、『どのようなケアをされていますか』と
熱心に質問をされていました」
ご夫妻はその後、車で数分の仮設住宅へ移動した。今なお150世帯360人が不自由な暮らしを強いられているが、
そのうち40人の入居者が出迎えた。
「大変でしたね。こちらの生活はいかがですか」
「辛い思いをされてきたんでしょうね」
かがみ込むようにして、お年寄りをねぎらう雅子さま。七ヶ浜町で生まれ育ったという80代の女性は、
雅子さまの手を握りながら、こう言って涙ぐんだ。
「わざわざ遠くまでお出かけくださり、本当にありがとうございます。もう胸がいっぱいです」
ご夫妻に間近に接した被災者の多くは、その激励に「力をいただき感動しました。ありがたいことです」
「苦しいこともあるけれど、またがんばろうという気持ちになれました」と、口々に感謝の言葉を述べた。
仮設の集会所で住民ら8人と懇談したご夫妻は、その後、内陸部で再建を果たした
仙台市宮城野区のみそ加工施設「岡田生産組合」を視察した。そのときの様子を取材した皇室ジャーナリストが語る。
「帰り際、3キロのみそを贈られた雅子さまは、『まあ、うれしい。楽しみだわ』と
明るい声でおっしゃったとそうです。従業員との会話の中で、雅子さまが高らかに『あははは』と
お笑いになったということです。これが極めて珍しいことで、ご体調がかなり良かったことがうかがえます」
2011年8月の岩手県以来、2年ぶりとなった被災地訪問は滞りなく進んだように思われたが、
仮設住宅の入居者の一人は冴えない表情でこう話す。
「一般の入居者は、ご夫妻を遠くから眺めただけ。これじゃあ、沿道から通り過ぎる車を眺めるのと一緒。
ほとんどの被災者がそうでした。これでは、心に響いてくるものが何もない。
他の仮設の住民は、敷地内に入ることすらできなかった。『同じ被災者なのに』と怒っていました」
また、別の入居者もこんなことを言う。
「近くにいた人や集会所で懇談した人は選ばれた人らしいけど、どういう経緯でどんな人が
選ばれたのかは知らされていません。それでいて、『勝手に近づいたり、話しかけたりしないでください』
と注意ばかりされた。予定調和というか、最初から完全な出来レースだったんじゃないですか」
ご夫妻は、JR仙台駅から車で現地入り。関係者も含め車列は20台以上と物々しいものだったが、
仮設住宅に滞在したのは40分ほど。しかも、そのほとんどの時間を集会所で過ごされたことになる。
この日、集会所に入れなかった仮設住宅の住民らは、時おり小雨が降る中で1時間半近く
屋外で過ごしたことになるだけに、やりきれない思いもあったのだろう。
七ヶ浜町総務課に問い合わせてみると、こんな答えが返ってきた。
「出迎えた40人については、特に選考があったわけではありません。集会所で懇談した8人のうちの4人は
仮設の世話役、残りはサポートセンターの職員です。役場には、不満や不手際を指摘する声はありません」
もともと、今回の被災地訪問は4月に予定されていたのがキャンセルされ、5月と6月にもスケジュールが組まれた。
4月末にご夫妻はオランダを訪問されただけに、町民は「きっと七ヶ浜にも来てくださる」と
大きな期待を寄せていたという。しかし、雅子さまの体調が優れないためか、延期された経緯があり、
やっと訪問が実現したのだ。
皇室に詳しい評論家の八幡和郎氏が指摘する。
「そもそも被災地に行ってからオランダというのが筋だったと私は思います。そしてせっかく行かれたのであれば、
両陛下のようになるべく多くの住民と触れ合うことが望ましかったのではないでしょうか。
それができるように体調を万全に整えるなり、何らかの配慮をしておくべきでした」
一方で、現在の雅子さまの体調を考慮すると、あっさりとした訪問も仕方なかったのではないか、との声もある。
元宮内庁職員の山下晋司氏はこう語る。
「今回のご訪問は、両殿下揃ってというお気持ちが強かったのでしょう。ただ、妃殿下のご体調のこともあり、
現地での行動については慎重にならざるを得ませんでした。充実した内容にしたいところではありますが、
詰め込みすぎないようにすることでご訪問が実現じできた、とも言えます」
キャンセルがあれば、警備などに携わる関係者などが振り回されるのは事実。
すべての被災者が満足することも難しい。
しかし、だからといって「これでは、いらしていただかなくてもいい」というような声があるとすれば、
それは、万全の体調ではない中で訪問された雅子さまへの礼を失することにもなってしまう。
「雅子さまは日ごろから、被災者を励ましたいという気持ちが強くあります。
例えば、被災地のイベントが都内であればなるべく出席されようとします。8月6日にも被災3件の中高生を
都内で励ましています。今後、まだ1回ずつしか行かれていない岩手県と福島県へのご訪問も
検討されると思います」(前出・皇室ジャーナリスト)
皇太子ご一家は8月12日から16日まで、静岡県の須崎御用邸で過ごされ、23日から9月初旬までの予定で
栃木県の那須御用邸に向かわれた。今回の訪問は、ご静養の合間を縫って日帰りとなったが、
待望していた被災者に一抹の寂しさを残したかもしれない。
ジャーナリスト・高城龍二

週刊新潮2013年9月5日号
この仮設住宅には360名が暮らすが、殆どの住民は(二人が)チラッと見えたかどうか。
出迎えに選ばれなかった300人以上の住民は離れた場所に集められた。
これなら来てもらわなくても、とがっかりするお年寄りが多かった。

週刊文春2013年9月5日号
季節外れのみそ加工場見学視察、被災者シール
雅子さま被災地慰問演出で「復興応援ブログ」大炎上
〈食品を扱っているというのに、マスク、帽子、白衣に手袋も着用せずに生産している場に立ち入るだなんて…
皇族云々というより常識と衛生観念を疑います〉
〈夏にはやらない『味噌の仕込み』を『仕込み』でやった『やらせ』なのですね〉
〈東宮夫妻の『被災地に心を寄せるパフォーマンス』の片棒を担ぐから、こんなことになるんですよ〉
〈皇太子夫妻のやっつけ公務ロケに付き合わされて散々な目にあいましたね〉
ブログに殺到する匿名の心無い書き込み。一部とはいえ、これが一般大衆の包み隠さぬ本心なのか―。
8月20日、ようやく決行された皇太子ご夫妻の二年ぶりの被災地慰問。
今春以降、計画が三回頓挫したという経緯もあり、
関係者は当日まで「今回もキャンセルがあるのでは」と気を揉んだという。
だが、幸いにも当日はほぼ予定通りの行啓となった。雅子さまの久しぶりの地方公務ということもあり、
行啓には多くの報道陣が帯同し、その様子はテレビや新聞で喜ばしいニュースとして広く報道された。
つつがなく執り行われたように見える今回の宮城ご訪問。だが、テレビに映らない現場では、
被災者をはじめ、宮内記者たちも違和感を持たざるを得ない、“本末転倒なシーン”が多々あったのだ。
■“流れ作業”のようなお声がけ
小誌が先週号で報じたように、事前の予定では被災地慰問のハイライトの一つである
七ヶ浜町仮設住宅の一般住民との交流時間は、計10分しか設けられておらず、
「あまりにも短すぎる」(宮内庁担当記者)と波紋を広げていた。結局、交流時間は少々オーバーの15分足らず。
「雅子さまのご体調に配慮して、人数と時間を区切ったのです。400人弱が住んでいる仮設の中から
約40人が一カ所に集められ、前後二〜三列に並ばされ、
そこに両殿下が立ち止まってお声がけするという体になっていました。
予定より5分程度延長したとはいえ、やはり短かったです。全
員にはお声掛けしていましたが、何せ時間が短いので、まるで、“流れ作業”のようで。
お言葉も『震災のときはどうされていたのですか』『お体お気をつけて』と同じ内容ばかり。
公平になさったおつもりでしょうが、機械的にさえ映りました」(同前)
交流を許された40人はみな腕や胸などに青いシールを貼っていたが、
「シールは他の仮設の住民と区別し、無関係な者が混じらないためのものですが、
住民を選別したように見えて、あまり気持ちは良いものではなかった」(同前)
仮設住民の一人が話す。「(皇太子ご夫妻に会えた40人は)当日、早い者順でした。
2時間ほど待った方もいたそうです。私もご夫妻と話したかったけど、平日だし、仕事があったから諦めました」
さらに現場の被災者が困惑の表情を見せたのは、その直後のことだった。
■みそづくり作業はやらせ?
被災者との交流を終えられた両殿下は、集会所に入られ、仮設住宅の世話人との懇談をなさったが、その帰り、
さっき声を掛けられたばかりの住民40名に、今度は逆側から、またお声をかけ始めたのだ。
別の仮設住民が当時の心中を振り返る。
「雅子さまは30分ほどたって集会所から出てきましたが、
そうしたらまたお帰りになる際もこちらにいらっしゃったんです。
その間、住民を入れ替えるということは全くしていません。二回目だから、また話してどうするんだろう、
何でなんだろう、って思いました。雅子さまと握手された方もいましたけど、私は長い会話はご遠慮しました」
その後、皇太子ご夫妻は「岡田生産組合」というみそ加工場を視察された。
地元の大豆と米を使ったみそを製造していた同組合だったが、津波で加工施設が流失。
昨年4月、施設を内陸約3キロの場所に再建し、ついに今年、大
豆も米も地元産を使ったみそを出荷するまでに復活した。
皇太子ご夫妻は組合員たちを労われ、蒸した大豆を前に雅子さまは「いい香りですね」と仰ったという。
だが、その一部始終が報じられると、思いも寄らぬ辛辣な感想が、地元の“公式ブログ”に大量に寄せられ、
“炎上”したのである。
そこからの抜粋が冒頭のコメントだ。炎上したのは、宮城県が管理する「復興応援ブログ ココロ プレス」。
皇室ジャーナリストが説明する。
「ご訪問の夜からコメントが殺到し、3日間で300件に上る勢いです。内容は大きく二つ。
一つはご視察のご夫妻の服装に対する非難。そして二つ目は組合側がご夫妻にご覧にいれた、
大豆と麹を混ぜる作業への“やらせ疑惑”です」
皇太子ご夫妻は、仮設を訪問されたそのままの服装でみそ加工場に立ち入られた。
映像でも、大豆と麹を混ぜる作業の真上でマスクを付けずに会話をされている。
一方、作業中の職員は、白衣と手袋を身に着け帽子の中に髪の毛をまとめて入れている。
これが「衛生観念の欠如」などと捉えられた。「菌を扱うみそ加工場ですから衛生管理は厳しい。
実際、報道陣に対しては『雑菌が持ち込まれるから』という理由でカメラの三脚の使用が認められなかったのです。
白衣の着用について、加工場側からお願いがなかったとしても、
東宮職から申し出るべきだった」(別の宮内庁担当記者)
ブログでのもう一つの論点が“やらせ疑惑”だ。
通常みその仕込みを行うのは11月から5月だが、皇太子ご夫妻が4月から訪問延期を繰り返されてきたために、
本来の仕込みの時期が終わってしまった。結果として、皇太子ご夫妻がご覧になるためだけにみそ造りの
工程が再現され、「パフォーマンス」との批判の声も上がったのだ。
同組合関係者はこうコメントした。
「今回仕込んだお味噌は、売り物にはせず加工班員で分けることにしました。
当初は熟成みそのパック詰めの作業をみてもらう予定でしたが、
大豆や麹の匂いを分かっていただきたくて、味噌の仕込みを急遽見ていただくことにしたのです」
一連の慰問の段取りについて、あるベテラン宮内庁担当記者はこう指摘する。
■雅子さまのご都合が第一?
「雅子さまの治療のため、達成感を得るためのご訪問という印象が拭えません。お昼過ぎのご到着や、
住民との短すぎる交流時間、訪問箇所の少なさ。どれを取っても被災者ではなく、
雅子さまのご都合を第一に考えられたものです。
本来、慰問というのは被災者を並ばせたり、何かをさせて接見するというような性質のものではなく、
ありのままの厳しい生活の実態を、自ら現場に足を運んでご覧になるというところに意義がある。
例えば両陛下は、被災地の避難所を訪問されても、今回のように一カ所に被災者を集めることはあまりなさいません。
長時間立っているのが難しい者もいるし、病床に伏していては動けない者もいるからです。
そこには『被災者に負担をかけてはいけない』という強いお気持ちがあるのです」
自然災害における天皇皇后の被災地優先のご姿勢は、皇太子時代から一貫している。
1959年の伊勢湾台風では、皇太子時代の天皇が被災地をお見舞いされたが、
当時、美智子さまは現在の皇太子である浩宮さまをご懐妊中。天皇は現地を単独で訪れられた。
「今回も皇太子ご夫妻はお二人揃ってのご訪問に拘り、3回のキャンセルをされましたが、
皇太子お一人でも被災地をお見舞いするべきだったのではないでしょうか」(同前)
東日本大震災が起きた2年前にも、東宮大夫の定例会見で、そのことについて質問が出たが、
野村一成大夫(当時)は、「大事な務めを両殿下でなさりたいというのは自然なお気持ちだ」と答えていたという。
そのやり取りを聞いたある記者はこう話す。
「被災者よりもご自分たちの意向を第一にしていると受け取られても仕方ないと思いました。結果、
2年も被災地に足を運ばなかったご夫妻の心情はなかなか理解されないと思います」
この三日後から、皇太子ご一家は那須御用邸での13日間にわたる長期ご静養に入られている。
那須塩原駅に到着された雅子さまは白いクリスチャン・ディオールのハンドバッグを手に
掲げられ、篠突く雨の中でも晴れ晴れとしたご表情で沿道に手を振られていた。それは被災地ご訪問の日、
仙台駅でのこわばった顔つきとはまるで違うものだった。
「おそらく、“雅子さま流”の被災地訪問に対する違和感はご本人には伝わっていないのでしょう。
しかし、今後も同じスタイルでいいのか。東宮職は今こそ議論を尽くすべきです」(同前)
現在、皇太子ご夫妻の岩手や福島の被災地訪問も検討されているが、実現がいつになるか、
具体的な見通しは立っていないという。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

◇2013年9月22日 福島県
皇太子ご夫妻が福島訪問 原発事故の避難住民を激励
皇太子ご夫妻は22日、東日本大震災の被災地お見舞いのため、東北新幹線で福島県郡山市を日帰りで訪問された。
8月の宮城県に続き、2カ月連続の被災地訪問。福島県を訪れたのは約2年ぶり。
福島原発事故に伴い、同県双葉町から避難した住民約80人が暮らす喜久田町早稲原応急仮設住宅では、
出迎えた約50人にご夫妻が声を掛けて回った。
夫を亡くして3カ月余りという堀川キサさん(76)に、皇太子さまは「悲しみはいかばかりでしょうね」と
心境をおもんぱかった。「これから長いけど頑張ります」と話す新田絹枝さん(78)に、
雅子さまは「お体を大事になさってください」と気遣った。
2013/09/22 18:34 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013092201001238.html

皇太子ご夫妻、福島を訪問=屋内の遊び場など視察
時事通信 9月22日(日)18時59分配信
皇太子ご夫妻は22日、日帰りで福島県郡山市を訪問された。
8月の宮城県に続く東日本大震災の被災地訪問で、ご夫妻が福島県を訪れたのは2011年7月以来。
ご夫妻は、子どもが放射線を避けて運動するために造られた屋内遊び場「ペップキッズこおりやま」を視察。
遊んでいる子どもたちに「何歳ですか」「おうちは近いの」と笑顔で声を掛けながら、
砂場やアスレチックなどの遊具を見て回った。
空気の入ったクッションの上で跳びはねる遊具では、お二人自ら中に入って親子と一緒にジャンプし、
「大人にもいい運動になりますね」と楽しそうに話す場面もあった。
これに先立ち訪問した県ハイテクプラザでは、水道管バルブの放射線量を測定する様子などを視察。
東京電力福島第1原発事故の影響で双葉町から避難してきた人たちが住む仮設住宅も訪れ、
「こちらの生活は慣れましたか」「おつらいでしょうけど頑張ってください」と
一人一人に膝を折って声を掛け、励ました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130922-00000062-jij-soci

皇太子ご夫妻、原発避難住民励まされる 2カ月連続で被災地ご訪問
2013.9.22 21:42
皇太子ご夫妻は22日、東日本大震災の被災地の福島県を訪問し、
郡山市の仮設住宅で、原発事故で避難を続ける住民を励まされた。
ご夫妻の同県ご訪問は平成23年7月以来。8月の宮城県に続き、2カ月連続の被災地ご訪問となった。
ご夫妻は仮設住宅で、原発がある双葉町から避難中の住民らに声をお掛けに。
雅子さまは、お年寄りに「おつらいことがございましたね」と話された。
放射線の影響で、野外での遊び時間が制限される子供のために整備された大型屋内遊び場
「ペップキッズこおりやま」もご視察。
子供たちと交流し、大型エアクッションの遊具では、皇太子さまが「ちょっと中、入ってみよう」と提案され、
ご夫妻で体験される場面もあった。
雅子さまは子供と一緒に跳びはねながら「ジャンプ力がすごい!」と笑顔で声を掛けられていた。
これに先立ち、同市の県ハイテクプラザでは、風評被害対策で行われているソバの乾麺などの
放射性物質検査も視察された。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130922/imp13092221430001-n1.htm


◇2013年11月 岩手県
雅子さま、3年9カ月ぶりの宿泊ご公務 皇太子さまと岩手県入りされる
2013.11.1 18:35 [皇室]
皇太子ご夫妻は1日午後、東日本大震災被災地のお見舞い訪問で、岩手県に入られた。
同日は盛岡市内にご宿泊。2日に釜石市に移動して、高齢者ケアにも取り組む仮設団地や、
津波被害から再興した水産加工会社などを視察し、津波などで被災した人々を励まされる予定。
療養中の皇太子妃雅子さまが宿泊を伴う国内公務に臨むのは、
平成22年1月の神戸市での阪神大震災追悼式典に臨席されて以来、約3年9カ月ぶりとなる。
新幹線で到着した盛岡駅から車に乗る際、皇太子さまと雅子さまは、
集まった大勢の人々に向けて手を振られた。沿道にも人々が並び、
岩手県警によると、計約1800人が集まったという。
ご夫妻の岩手県ご訪問は23年8月以来、約2年3カ月ぶり。
今年8月に宮城県を、9月には福島県を、それぞれ日帰りで訪問されていた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131101/imp13110118370001-n1.htm

皇太子夫妻が岩手の仮設住宅訪問 手を握り「お大事にね」
岩手県に滞在中の皇太子ご夫妻は2日、東日本大震災で被災した約450人が入居する
釜石市の応急仮設住宅「平田第6仮設団地」を訪れ、
入居者らに声を掛けながら長引く仮設暮らしを気遣われた。同日夜、帰京する。
この仮設住宅は高齢者の孤立防止に取り組んでおり、玄関が通路を挟んで向かい合っている。
ご夫妻は通路に集まった数十人の高齢者に「よくご無事で」「お体に気を付けて」などと話し掛けた。
住宅内の施設「サポートセンター」では、高齢者が体操をする様子を視察した。
2013/11/02 18:41 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110201002035.html

岩手県訪問中の皇太子ご夫妻、釜石市を訪れ仮設住宅を見舞われる
フジテレビ系(FNN) 11月2日(土)17時59分配信
岩手県を訪問中の皇太子ご夫妻は2日、大きな津波被害を受けた釜石市を訪れ、仮設住宅を見舞われた。
2日午後、皇太子ご夫妻は、津波で大きな被害を受けた釜石市の仮設住宅を訪問された。
現在も450人以上が暮らすこの仮設住宅は、高齢者ケアに重点が置かれていて、
ご夫妻は、バリアフリーになっている高齢者の住宅地区を訪れ、震災直後の状況など、被災者の話に耳を傾けられた。
雅子さまは「これからお寒くなるでしょうから、お体に気をつけて」などと声をかけ、
涙ぐむ女性の手を取り、「どうぞお大事に」と体調を気遣われていた。
仮設住宅で暮らす人は、「見た瞬間、こみ上げてくるものがあって。
『大丈夫でしたか』と(お声を)かけられました。うれしかったです」、
「『この子は何カ月?』、『寒くない?』と気にかけていただきました。感動でしたね」と話した。
続いて、ご夫妻は、甚大な津波被害から操業を再開した水産加工会社を訪問された。
ご夫妻は、サンマのしょうが煮の製造工程を視察し、従業員をねぎらわれた。
1日夕方、岩手入りされたご夫妻。
2013年3度目の被災地訪問は、1泊2日の日程となったが、
療養中の雅子さまにとって、宿泊をともなう公務の負担は大きいことから、1日は行事を入れず、
2010年1月以来、およそ3年9カ月ぶりの泊まりがけでの地方公務に向け、体調を整えられたという。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00257089.html

皇太子ご夫妻、岩手で津波から再興の水産会社ご訪問
2013.11.2 19:41
皇太子ご夫妻は2日、東日本大震災被災地の岩手県釜石市を訪れ、
仮設住宅や津波被害から再興した水産加工会社で、被災した人々を励まされた。
8月の宮城県、9月の福島県に続く被災地ご訪問。過去2回は日帰りだが、今回は前日に岩手県入りされた。
療養中の皇太子妃雅子さまは平成22年1月の阪神大震災追悼式典以来、
約3年9カ月ぶりに宿泊を伴う国内公務を果たされた。
ご夫妻は、高齢者の孤立防止や子育て支援に取り組んでいる仮設住宅「平田(へいた)第6仮設団地」をご訪問。
雅子さまは、市内から避難中の金沢君子さん(81)に、
「これからお寒くなるでしょうからお体を気を付けて」と気遣われた。
水産加工会社「小野食品」では白衣姿で、サンマのショウガ煮の製造工程をご覧に。
皇太子さまは「震災のとき、大変でしたでしょう」とねぎらわれた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/imp13110219450004-n1.htm

131102.jpg
小野食品の工場内を視察される皇太子さま(中央)と雅子さま(左) =2日午後3時24分、
岩手県釜石市(代表撮影)


皇太子ご夫妻の被災地慰問で行政が関係者に「台本」配布した
2013.11.15 16:00
11月上旬、宮城、福島、そして岩手と被災地3県を回られ、被災者を励まされた皇太子ご夫妻。
岩手県を慰問した際は、予定滞在時間を20分も延長されるという一幕もあった。
「国民と直接触れ合う機会を持ち、国民が抱いている皇室像を肌で感じたい」──
という雅子さまが皇室に嫁がれて以来、ずっと胸に抱かれてきた「理想」実現へ踏み出された第一歩だった。
しかし、そんな雅子さまの思いとは裏腹に、ご夫妻が訪問された釜石市応急仮設住宅平田第6仮設団地では、
行政から“あるもの”が関係者に配られていた。
「それは皇太子ご夫妻と対面したときの対応方法が記された文書でした。挨拶のセリフなども書かれていて、
まるでお芝居の“台本”みたいでしたね…」(仮設団地関係者)
●皇太子ご夫妻が仮設団地へ到着されたとき。
<◇御先導者(平田第6仮設団地自治会長)
・(お召車のドアが閉まったら、一歩お召車に寄って一礼し、)
「ようこそいらっしゃいました。釜石市応急仮設住宅 平田第6仮設団地 自治会長の○○○です。」(自己紹介)
・(御先導者はお出迎え者の前に御先導し、お出迎え者が自己紹介している間、両殿下の後ろを通り先に行く)>
●皇太子ご夫妻が団地内のサポートセンターをご視察の際。
<◇御先導者(平田第6仮設団地自治会長)
・(生活相談センター前で御靴御履替場所を手で示しながら)「こちらで御靴の御履き替えをお願いします。」
(両殿下が御入室の際、一礼し、センターの外へ出る。)>
●皇太子ご夫妻が団地を出発する際。
<◇御先導者
・(住民が見えたら、手でお示ししながら)「こちらの皆さんはこの団地の入居の方々です。」
(中略)
◇お見送り者(平田パーク商店街会長)
・(一礼し、)「誠にありがとうございました。」>
このように皇太子ご夫妻への自己紹介や挨拶の仕方から、どのタイミングで、どう動くか、
さらには細かなジェスチャーの仕方まで、最初から最後まで、きちんと段取りが書かれているのだ。
「正直、子供でもできそうな簡単な挨拶まで細かく書かれていてびっくりしました。
台本通り進めないと行政から怒られそうな雰囲気でしたね。せっかく皇太子ご夫妻と触れ合える時間があっても、
台本を無視するわけにはいかないから、台本のことばかりが気になってしまいました」(別の団地関係者)
※女性セブン2013年11月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131115_226921.html

皇太子ご夫妻ご訪問の仮設の案内役 行政に履歴書求められた
2013.11.19 07:00
11月上旬、宮城、福島、そして岩手と被災地3県を回られ、被災者を励まされた皇太子ご夫妻。
これまで常に体調が不安視されてきた雅子さまだが、
岩手では予定時間をオーバーするほど、被災者との時間を持たれた。
実はご夫妻が訪問された釜石市応急仮設住宅の団地関係者には、行政からいくつかの注意があったという。
「まず事前に経歴書の提出を求められました。それも行政から配られるわけではないので、
市販の履歴書を買って提出しました。それに皇太子さまがノーネクタイでいらっしゃるから、
それに合わせたラフな格好にしてくださいとか、挨拶するときには自己紹介だけで、
こちらからは絶対に質問するなとか…。
せっかく慰問に来ていただいたのに、息苦しくて大変でしたね…」(団地関係者)
台本こそ配られなかったが、皇太子ご夫妻から励ましの言葉をもらった団地住民たちにも、
行政から口頭で注意がされていた。
「“会話で雅子さまの病気のことに触れてはいけない”とか“握手を求めてはいけない”とか指導がありましたよ。
でも雅子さまもご病気なのに、こんな遠くの田舎まで来ていただいたんですから、
こっちだって“雅子さまも病気なのに心配していただいて、ありがとうございます”って
言いたくなるのが人情ってもんじゃない? でも言っちゃいけないって言われたから泣く泣く我慢しましたよ。
感謝の気持ちも伝えられないなんて、おかしくないかね? それだけが残念でしたね…」
(皇太子ご夫妻と対面したある住民)
今回、雅子さまは、実際に国民と触れ合われることで、国民との距離を縮められようと前進された。
しかし、一方で行政による過敏すぎる対応は、雅子さまの思いと逆行するものといえる。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏がこう嘆く。
「受け入れる側の行政とすれば、万全の態勢を敷いて、失礼のないように皇太子ご夫妻をお出迎えしたいと
考えるのは当然のことです。しかし、皇太子ご夫妻をはじめとして、
皇族がたは数少ない国民との触れ合いの場を非常に大切にされているのも事実です。
両者の考えには、間違いなくズレがあるわけですから、それを少しずつ埋めていくことが 重要なのです。
そうしなければ両陛下が掲げられる“開かれた皇室”の真の意味での実現は果たされないのではないでしょうか」
※女性セブン2013年11月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131119_227105.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

被災地訪問は雅子さまのため?

FLASH2013年11月19日号
3年9カ月ぶりの被災地「1泊ご公務」へ ―批判報道にリベンジか
雅子妃の逆襲が始まった!
雅子妃が動きはじめた。‘03年の12月にご静養に入られ、翌年にには適応障害であるとの発表があった。
以来10年近いご闘病を続けている雅子妃殿下が、3年9カ月ぶりの「宿泊をともなうご公務」のため1日、
岩手県へ旅立たれた。
(中略)
10月12日には、午前中「全国障害者スポーツ大会」への出席というご公務をなさり、
午後から愛子さまの通われている学習院初等科の運動会をご観戦された。
過去には‘08年、雅子さまはこの「全国障害者〜」出席のご公務をキャンセルして、同じ日、お一人で
愛子さまの運動会にいらっしゃった。‘10年にもこの大会には出席されず、同じ日、
愛子さまのスケート場に付き添われた。昨年も、雅子さまは運動会を選ばれた。
(愛子さまが風邪で休まれたため、結局運動会もご欠席)。
「ご公務よりプライベートを優先している」とバッシングされても仕方なかった。
しかし、今年の雅子さまはご公務を優先された。まるで、批判報道にリベンジしようとしているかのようなのだ。
■被災地訪問は雅子さまのためにも
10月31日の園遊会をご欠席されたように、まだ体調は万全ではない。
だが、雅子さまのなかで何かが変わろうとしている可能性がうかがえる。
(中略)
前出の近重氏によると、被災地ご訪問は雅子さまのためでもあるという。
雅子さまにとって「自分の存在を確かめる場であるというのだ。
「雅子さまには、東日本大震災の被災地をお見舞いしたくても、行けなかったという思いがおありです。
ですからご体調が少しよくなると、被災地をお訪ねしたい、ということになる。
今年宮城、福島をご訪問になり、雅子さまは『自分の訪問が被災地の人たちを力づける』ことを
あらためて実感なさったはずです。雅子妃自身がそれに勇気づけられ、ますます元気になられる、
というプラスの循環になっています」
雅子さまはこの12月に、50歳のお誕生日を迎えられる。失われた40代を取り戻すための、「逆襲」が始まった。





朝日(皇室トリビア)
新幹線で出発、そのとき東京駅は
2013年11月16日18時05分
11月1日の昼下がり。東京駅の新幹線ホームは、物々しい雰囲気に包まれていました。
びしっとスーツで身を固めた屈強そうな男女があちこちに。私服姿の警察官です。
厳重な警備の理由は、岩手県に向かう皇太子ご夫妻が新幹線を利用するためでした。
(略)
そのほかの貴賓室は「竹の間」「梅の間」「鹿の間」。詳しく聞きたいとJRに取材を申し込みましたが、「詳細はお答えしていません」とのこと。皇太子ご夫妻は今回の岩手訪問でも、
東京駅から東宮御所へ戻る前に貴賓室で休憩したと聞きました。
(略)
皇太子ご夫妻の出発前、ホームを歩くと、色々な「発見」があります。弁当の売店はシャッターが下ろされ、
公衆電話のコイン投入口には「調整中」の張り紙が貼られて使えなくなっていました。
ガラス張りの喫煙所には、秋田旅行をPRするポスターが四方に貼られて「目隠し」状態に。
すぐそばをご夫妻が通るため、「警備の一環」だとJR関係者は教えてくれました。
ご夫妻の到着が近づくと、警備関係者の動きが慌ただしくなります。
ご夫妻が乗る車両周辺に規制のロープがはられ、近づけなくなりました。
これは両陛下や皇太子家のおでましの場合におなじみの光景です。
「あの新幹線に乗るから通してもらえませんか」「もうすぐ到着する新幹線に孫が乗ってて、出迎えたいんだけど」。
足止めされた利用客が、申し訳なさそうに警備関係者に訴え、ロープをくぐっていく光景をたびたび目にしました。
警備はやむを得ないにしても、お金を支払ったお客さんがどうして恐縮しなければならないのか。
その点は、ちょっと首をかしげてしまいます。
新幹線の出発直前に、ご夫妻がホーム上に姿を見せました。「まさこさま〜」「こうたいしさま〜」。
到着に合わせたように年配の女性数人が現れ、歓声をあげました。手には望遠レンズのついた大きなカメラ。
いわゆる「追っかけ」のみなさんです。出発時間は公表されていないはずなのに、
いつも時間を計ったように登場します。
ご夫妻がグリーン車に乗り込みました。車両は1両まるまる貸し切りです。
大きな荷物を持ったお付きの侍従、宮内庁職員、警備関係者らが続々と続きました。
(略)
http://www.asahi.com/articles/TKY201311160111.html