伊勢神宮も沖縄もご訪問 悠仁天皇へ、秋篠宮家の布石

文藝春秋 2014年5月号
伊勢神宮も沖縄もご訪問 悠仁天皇へ、秋篠宮家の布石
毎日新聞編集委員 江森敬治

 昨年暮れのことだった。宮邸で秋篠宮さま(48)と会っていると、
紀子さま(47)がズボン姿の軽装で部屋に入って来た。
紀子さまは、朝、悠仁さまと一緒に出掛け、先程、宮邸に戻り、挨拶に来たのである。
軽装だったため、私は紀子さまにどこかへ出掛けていたのか尋ねたところ、
この日の朝、悠仁さまと一緒に、皇居・大道庭園詰所を訪れ、新春用の「春飾り」と呼ばれ
る寄せ植えの盆栽飾りの作業の手伝いをしていたと紀子さまは答えた。
 春飾りはウメの古木を中心にマツ、タケ、センリョウ、マンリョウなど縁起の良い草木を配置して作り、
年末から新年にかけて宮殿や御所などに飾るものだ。庭園詰所を訪れるのは三年目である。
 職員が作業している所を見学し、興味を持ち、自分でも作ってみたいと思った悠仁さま。
職員に教えてもらいながら作ったという。
 一昨年、昨年も、陶器の鉢に土、草木や苔を植栽し、悠仁さまは宮邸に飾る春飾りを作った。
その春飾りは新年に宮邸に飾ったという。
 また、二人は、昨年、天皇、皇后両陛下や宮さまたちの食事の世話をする宮内庁大膳課も訪れた。
悠仁さまは、調理場で、新年用の宮中料理が作られる過程を見学した。
紀子さまと悠仁さまは作業、調理現場を訪れ、魚をさばいたり、和菓子を作ったりするところなどを見たが、宮内庁関係者によると、質問をしながら熱心に見学したことに現場の職員たちはとても感激した様子だったという。
 平成十八年九月六日に秋篠宮ご夫妻の三番目の子どもとして生まれた長男、悠仁さまは、現在、七歳。
四月には、お茶の水女子大学附属小学校の二年生に進級する。皇室に男子が生まれたのは、
秋篠宮さま以来、四十一年ぶりのことだった。悠仁さまは皇太子さま、秋篠宮さまに次いで
皇位継承順位が第三位となる。皇室典範では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と
定めており、現状では将来、悠仁さまが天皇となる可能性は高い。
皇太子さま、秋篠宮さまの次世代の皇位継承者である悠仁さまがどのように成長するのか。
両親たちからどんな教育やしつけを受けているのか。国民の関心は高い。
 皇位継承順位第三位との重い立場にある悠仁さまとはいえ、そこは七歳の男の子。
元気一杯で、この冬は風邪もほとんど引かなかった。
「学校生活は楽しいらしく、毎日、元気に過ごしています」と、話す宮さま。
悠仁さまについて語る時、宮さまの表情は、思わずゆるむのだ。
■教育にゆるやかな三つの考え
 悠仁さまは、「ゆうちゃん」、または「ゆうゆう」「ゆっぴー」などと、家族の間で呼ばれている。
「ゆうちゃん」は、毎年夏になると、両親と一緒に頻繁に御所に出かけて昆虫採集を楽しむ。
でも、昆虫の少ない冬場はどうしているのだろうか。
「あの年齢の子どもにはありがちですが、悠仁の興味は少しずつ変化し、
関心のある分野も徐々に広がってきていますね。最近は、山歩きに興味があるようです。
東京の山が好きらしいですよ」と、宮さまが教えてくれた。
 昨年十月から今年一月にかけて、東京・奥多摩の森や山などを、母親と一緒に楽しんだ。山道を歩き、
葉の落ちた木々や冬の植物などを観察しながら、大自然の中でゆったりと貴重な母子の時間を過ごした。
「ゆうちゃんは天気予報もお気に入りだ」と、紹介したことがある。新聞で雪マークを探すのが好きになり、
それがきっかけとなって天気予報に興味を持った。宮邸玄関に温度計があり、
それで毎日、気温のチェックを欠かさない。宮さまによると「ゆうちゃんは小さな気象予報士」なのだが、
近頃は、自分の住む東京都心だけでなく、山の気候や気温などにも関心を持ちはじめ、
それで山歩きに興味を覚えたらしい。山歩きでも、山の麓の気温や天気が、登るにつれて
どのように変わっていくのかなどを確認していたらしい。
今年二月、東京は二度、大雪に見舞われたが、東京やその他の地域の積雪量などにも関心を示していた。
 小学校では、保護者が学校の行事や授業などに参加・協力する機会がいろいろとある。
「今年度、家内は学校の委員をしているので、よく行っています」と、宮さまが話すほど紀子さまは熱心だ。
お茶の水女子大学附属小学校では、昨年末に、おもちつきが行なわれ、大勢の父母たち(兄弟たちも)が参加し、
秋篠宮家はご夫妻と眞子さま、佳子さま、悠仁さまと一家五人全員で出席。
もち米を蒸したり、もちをついたり、おもちの味付けなどをした。
にぎやかで楽しい集まりだったようである。
 昨年十一月の記者会見で紀子さまは悠仁さまの学校の様子について、このように説明した。
「学校の授業についてですが、いろいろな授業があります中で、例えば、子どもたちが
いくつかの課題の中から一つを考えて選んで取り組むものがあります。小学校では『えらぶ』の授業、
『えらぶ』の時間と呼んでいまして、ことばや『あきみつけ』などのプリントが用意されまして、
そのプリントに取り組みながら学習していきます。よくその『えらぶ』の時間について
家に戻りましてからも話すことがあり、『今日はあきみつけでひめリンゴをみつけたよ』と言って
姫リンゴをうれしそうに見せてくれたり、また、『明日はどれにしようかな』と
考えながら話すこともあります。(略)給食はとても楽しみにしているようで、
毎日残さずおいしくいただいているようです。ほかにも好きなことは、休み時間と放課後遊びで、
今は鬼ごっこや縄跳びをして元気に遊んでいるようです」
 昨年三月、悠仁さまは初めて、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝した。
皇室の祖神とされる天照大神がまつられた内宮では、スーツ姿の悠仁さまは両親や姉の佳子さまと一緒に
玉串をささげ、拝礼した。
 この年の十二月には、悠仁さまは両親とともに、初めて沖縄県を訪れた。
糸満市摩文仁の平和祈念公園内なる国立沖縄戦没者墓苑や平和の礎を訪問。悠仁さまは、
墓苑で両親とともに花を手向け沖縄戦などで犠牲となった約二十四万人の名前が刻まれた石碑を見学した。
幼稚園児だった眞子さまと幼い佳子さまもこの平和祈念公園を訪れたことがある。
 宮さまは、高校時代は「地理研究会」に所属。大学時代は「自然文化研究会」を主宰し、富山・五箇山や
岐阜・白川郷など日本各地を訪れている。また、総合研究大学院大学・葉山高等研究センターによる
共同研究プロジェクトに加わり、岩手・大槌町や西表島、屋久島、宮崎・椎葉村などにも出掛け、
自然とそこで暮らす人たちとの多様な関係に触れた。
こうした旅行体験が現在の活動や自分の人生に広がりや奥行を持たせ、とても意義があったと、
宮さまは感じているようだ。旅行は生きた勉強の場なのだ。
 昨年の宮さまの誕生日にあたっての会見でも、宮さまは、教育に対してゆるやかな三つの考えを
持っているように感じられた。
 まず、日本各地の伝統、文化や産業などを実際に見ること。歴史を知ること。そして外国の文化に触れ、
日本との相違点や近似点を考えることだ。紀子さまもまた同じ考えだという。
 眞子さまや佳子さま、悠仁さまが体験した伊勢神宮参拝や沖縄訪問は、こうした宮さまの考えに沿ったものだ。
 昨年の会見で宮さまは、「もちろん大きくなっていく段階で日本以外の国、海外のことを知る機会も
大事だと思いますけれども、日本の国内にも地域ごとに様々な興味深い文化がありますので、
そういうものもできるだけ知る機会を作っていけたらいいなと私は思います」と、語った。
 私が、「これから悠仁さまとどこに行きたいですか」と、質問すると宮さまは、
「まだ京都を一緒に訪れていないので」と、話していた。京都は皇室とゆかりが深く、宮さまもよく行く場所だ。
 会見で紀子さまは、悠仁さまの成長について「これからも両陛下にお伺い申し上げつつ、
しかるべき人々の意見を伺い、宮様とともに考えてまいりたいと思っております。年齢に応じて
基本的に身につけるべきことや学ぶべきことなど多々ありますけれども、与えられた立場にふさわしく
努力していけるように、宮様と成長を見守っていくことができましたらと考えております」と、答えている。
■プレハブの事務棟を新設
 私は、紀子さまは、娘二人のときもそうであったが、悠仁さまの興味や関心を大切に
受け止めているように感じる。他の保護者と一緒に学校の活動を手伝うために学校を
頻繁に訪れていることもそうなのだが、皇居に出掛けて皇室新年用の春飾り作り、
博物館や美術館の見学や山歩きなど、時間を見つけて、公的活動の合間を縫って紀子さまは、
悠仁さまと過ごす時間をできるだけ多く作っているようだ。
 本物に接しながら、自分の力で考え、学ぶという紀子さまの姿勢を、私は強く感じている。
 私が宮さまと初めて会ってから、今年で二十三年になる。秋篠宮ご夫妻が結婚して来年で二十五年だ。
結婚当時の秋篠宮邸は、今よりもずっとこぢんまりしていた。住居と事務棟は屋根付きの渡り廊下で
つながっていた。事務棟も手狭で、事務室の机に宮さまが座っていて、私は驚いたことがあった。
筆頭宮家とはいえ、当時の職員は七人ほど。トップの宮務官が、ご夫妻の国内の公的活動や外国訪問について
取り仕切っていた。
 眞子さま、佳子さま、そして、悠仁さまが生まれ、家族は五人に増えた。皇太子ご夫妻に男の子はなく、
皇位継承順位は皇太子さまに継いで、秋篠宮さまが第二位、悠仁さまが第三位となっている。
秋篠宮ご夫妻と眞子さまに加えて、今年からは佳子さまが成年皇族の仲間に入る。
成年皇族四人となり、今後の活動の場がさらに広がると期待されている。
 平成十二年春に、秋篠宮ご一家は現在の宮邸(以前、秩父宮妃勢津子さまが住んでいた場所に私邸部分を増築)
に移った。宮家職員の定数は十七人(平成二十六年度)と増えたが、
皇太子ご一家三人の世話をする東宮職職員の定数六十七人(同二十五年度)に比べれば、大きな隔たりがある。
 国内外からの来客の接見や茶会、記者会見などが行なわれる、庭に面した部屋が宮邸の中で最も広いが、
関係者によると「百人入ると身動きがとれません」といった具合だ。
 宮内庁は、宮家職員の大幅な増員と宮邸の公的な部分の増築を求めているが、宮さまは
「自分たちのことで、人員をこれ以上、なるべく増やしたくない」との考えで、これを断っている。
しかし、このままでは宮さまたちの活動に支障をきたしかねない。お金をかけず、人を増やさずに、
どうスムーズに宮家を運営しているのだろうか。
 できるだけ定数を増やさず、宮内庁の他の部署との併任職員や非常勤職員を増やし対応しているようだ。
そのため宮家のスタッフは、数えてみると約三十人。そして、常時、「二十四、五人のスタッフがいる」状態だ。
このため、従来の事務室が手狭になり、昨年末には、組み立て式のプレハブ二階建ての事務棟を急いで新設。
「出勤しても机もないという状態が、少しは改善された」(宮内庁)。
 中身はもっと重要だ。非常勤職員の中に三人の御用掛がいる。男性二人と女性一人で
男性は元国土事務次官と元消防庁長官。女性は元ラオス大使だ。ご夫妻の公的活動や外国訪問などは
三人の御用掛と経済産業省兼宮内庁の女性職員、それに宮務主管、宮務課長が手分けして同行する。
「重厚な布陣で頼もしい存在だ」と、関係者の評価は高い。
■宮内庁本庁が窓口に
 また、ご夫妻の外国訪問には医師(非常勤)が一人同行している。今年初め、ご夫妻が
ペルーとアルゼンチンを訪問した時も付き添った。外国の訪問先での急病などへの対応が求められているが、
宮内庁は「ご夫妻の外国訪問の日程が急に決まった場合に、医師一人では即応しづらい面もある。
非常勤医師をできれば複数置きたいのだが」と、話している。
 秋篠宮家の公的活動の窓口と初期対応は、宮内庁宮務課が行ない、外国訪問は宮内庁式部職が受け持っている。
 例えば、悠仁さまの沖縄訪問の時は、宮務課長と同課職員が現地に出向き、写真撮影などのプレス対応をした。
宮務主管と宮務課長は週に一度は宮さま、紀子さまと会い、仕事について打ち合わせをし、
宮さまや紀子さまの公的活動へ同行する。
 以前、私は宮内庁担当の記者だった。私の記憶では、当時の秋篠宮家は、国内の公的活動も外国訪問も
宮務官が宮さまご夫妻と相談しながら、主に決めていた。あくまでも「宮家が主で宮内庁は従」だったように思う。
だから我々、宮内記者たちは宮家に押し寄せては宮務官に「次の外国訪問先は決まりましたか?」
「来週の殿下のご予定は」などと、ほとんど応えてもらえないのに、懸命に取材していた。
逆に当時の宮務課長は今ほど忙しくない印象で、各社もほとんど取材に訪れなかったように思う。
「宮内庁と秋篠宮ご一家との間の風通しが、以前に比べ、ぐっと良くなりました」と、関係者は評価する。
宮内庁に限らず日本の官公庁の大きな弊害は、縦割り行政にある。組織相互の横の連絡が少ないのが特徴だ。
 秋篠宮家と宮内庁の関係も似ている。縦割り行政の弊害は残っており、これまでの両者の意思疎通は
必ずしも十分とは言えなかった。両者は、場所も離れている。秋篠宮家は東京都港区元赤坂の赤坂御用地にある。
一方、宮内庁は、御所のある千代田区千代田にある。車で二十分ほどの距離だ。
電話や電子メールのやりとりでは済まされるはずもない。宮内庁幹部が宮邸に足を運び、
ご夫妻と直接、話しあう中で、十分な意思の疎通が生まれ、風通しが良くなるのだ。
 宮内庁には、長官官房系の職種以外に、大膳課、工務課、朝早くから馬の世話をする車馬課主馬班。
それに園遊会の前には見事な懸崖のキクを作る庭園課などなど、管理部に属する多くの部署にも、
様々な職員がいて、日々、両陛下や秋篠宮ご一家などを支えている。
秋篠宮さまと紀子さまは、眞子さまたちが小さいころから、宮内庁は、自分たちの生活や仕事を
いろいろな形で支える職員がいることを三人の子どもたちに伝え、感謝の気持ちを忘れないように話している。
「宮家と宮内庁が協力して仕事をするようになり、両者の一体感が生まれ、宮家運営がよりスムーズになった。
宮家の職員不足も補うことができ、まさに一石二鳥の効果だ」と、関係者は満足な様子だ。
 また、宮務課長は、現職もいれて三代続けて両陛下側近の侍従経験者だということも大きい。
秋篠宮家と両陛下側近との風通しを良くすることにも役立っているという。
「公的活動や外国訪問はどれも、一宮家レベルを越え、宮内庁全体で考えるべき問題ではなかろうか。
適切な人が対応すればよいのだ。人員(予算)を増やすのではなく、
どのようにしたら限られた人員で効率よく業務を遂行できるかということが大切です」と、宮さまは話した。
こんなところにも、宮さまの柔軟な考え方、姿勢が表れている。
■姉妹で洋服などの買い物へ
 三月二十六日、秋篠宮家の長女、眞子さま(22)は東京都三鷹市にある国際基督教大学(ICU)を卒業した。
眞子さまは教養学部アーツ・サイエンス学科で美術を学び、在学中は。英国・スコットランドにある
エジンバラ大学に約十カ月留学した。ICUでは雪面滑走競技部に所属し、スポーツ全般が好きだという
眞子さまは、卒業式に出席。「有意義な学生生活を送ることができた」という趣旨の感想を文書で発表した。
卒業後、眞子さまは、成年皇族として、大学院進学や海外留学などを視野に入れながら公的な活動を続ける。
父親の秋篠宮さまは、今後の公的な活動において、眞子さまを「一本立ち」させたい考えだ。
そのため今後は、両親と一緒の活動ではなく、一人での公的活動を増やす方針だ。
また、宮さまと眞子さま、あるいは、紀子さまと眞子さまとの組み合わせで諸行事などに出席する。
秋篠宮家の親子が分担することによって、公的活動が複数重なった場合も含め、
様々な行事に対応することが可能になるとの考えもあるようだ。
 三月十三日、宮さまと眞子さまは仙台市を訪問した。東日本大震災で親を亡くした遺児を支援するために、
あしなが育英会が建設した「仙台レインボーハウス」を視察。眞子さまは子どもたちや保護者と話した。
 同じ日、紀子さまは総裁を務める結核予防会の全国大会に出席するため島根県を訪れていた。このように、
ご一家の公的活動の分担化が少しずつ始まっているのだ。
 昨年十一月の会見で宮さまは「長女については、(略)二十歳を過ぎて少しずつ公的な場所、
行事に出席する機会が出てきました。今後もそういう機会を頂いたら、それを一つ一つ丁寧に
務めていってほしいと思っております」と、話した。
 紀子さまは、「娘たちには、今、大学生として学べるこの時間を大切にして、
自分らしい確かな道を歩んでいけるように思っております。時代が移り変わりゆく中で、
自分の置かれた立場をしっかりと認識して、これから関わる務めをしっかりと果たせるように、
役割を果たせるようにしていくことができればと願っております」と、期待していた。
 今年四月、二女、佳子さま(19)は学習院大学文学部教育学科の二年生に進級する。
今年末には二十歳となり、成年皇族として、今後は公的活動にも積極的に取り組むことだろう。
佳子さまは平成二十五年の夏休みを利用して、約一ヵ月、米国でホームステイをした。
佳子さまにとっては、初めてのホームステイ体験だった。
 会見で紀子さまは、「ホストファミリーからも温かく迎えていただきまして、ホストファミリーのお子様方が
ちょうど次女と近い年齢だったこともございまして、とても楽しく過ごしたようでございます。
芸術鑑賞や大学を訪問したり、また、コロラドの方にも出かけまして、そちらでしばらく
過ごしたようですけれども、山の中をハイキングしたり、また、サイクリングをするなど
思い出深い夏休みを過ごしたと思います」と、佳子さまのホームステイでの様子を紹介した。
■佳子さまの一般参賀体験秘話
 小さい頃は、フィギュアスケートに親しんだ佳子さま。今は、ダンスに関心があり、
友人たちとダンスを楽しんでいる。また、休日には、一人で、あるいは姉の眞子さまと一緒に
洋服などの買い物に出掛けることもある。
 こんな仲の良い姉妹関係について、眞子さまは会見で、「妹は年が近いこともあって、
年齢を重ねるたびに仲良くなり、今では妹でありながら友人のような関係です。
ときには、夜遅くまで二人で話していることもございます」と、明かしたことがある。会見で宮さまは、
「次女につきましては、(略)二十歳を過ぎてからの仕事も出てくると思いますけれども、長女と同様に、
依頼された仕事などを大切に務めていってほしいと思っております」と、話した。
 今年一月二日、皇居で行われた新年恒例の一般参賀には、約八万二千人もの人が訪れた。
長和殿のベランダには天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と眞子さまたちが並び、
参賀の人たちに笑顔で手を振って応えた。実は、この参賀の人波の中に佳子さまの姿があったのだ。
このことが話題となり、新聞などで報道された。
 真相は、どうだったのだろうか?
宮さまに聞いてみた。宮さまによると、佳子さまから「一般参賀が、どんな様子なのか。一度、体験してみたい」
との希望があったという。佳子さまは、ご夫妻の知人夫婦と一緒に一般参賀を訪れた。一部報道で
「同世代の女性と一緒だった」とも伝えられたようだが、一緒にいたのは「四十歳代後半の中年夫妻」だった。
眞子さまも成年皇族になる前に、この夫妻と一緒に正月の一般参賀を訪れたことがある。
 いずれにしろ、来年正月の一般参賀は、成年皇族となった佳子さまは場所を変え、ベランダに立つことになる。
大勢の参賀の人たちと会い、手を振って歓声に応えることになるのだ。
   *
 眞子さまは今年十月で二十三歳。紀子さまが結婚した年齢と同じ年齢になる。会見で宮さまは
「余り遅くなく結婚してくれたら良いなと思いますが、こればかりは一人でなくて相手もあることですし、
またそのことを強要することはありません。ただ、余り遅くかったら良いのかな」
「娘ですので、近くにいてくれたらいいとは思いますけれども、それは、皇室に残るという意味ではなく、
物理的にそれほど離れてない所にいたらいいな、という気持ちはあります」などと答えた。
 眞子さまや佳子さまが結婚する頃、悠仁さまは何歳になっているのだろうか。
時間の経過とともに秋篠宮ご一家の立場は変わってきた。より重い責任を伴う将来に向け、
これからも大きな変貌を遂げることは間違いない。

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