桂宮親王殿下薨去

桂宮殿下 薨去 66歳
2014.6.8 12:04
三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の第2男子で、天皇陛下のいとこにあたる
桂宮(かつらのみや)宜仁(よしひと)親王殿下が8日午前10時55分、
急性心不全のため東京都文京区の東京大学医学部付属病院で薨去(こうきょ)された。
66歳のご生涯で、皇位継承順位は第6位だった。
桂宮さまは昭和63年5月、お住まいの宮邸の寝室で倒れて以来、右半身が不自由となり、
リハビリテーションを受けられていた。
ご本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に
東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられる。
桂宮さまは独身のため、桂宮家は断絶する。桂宮さまの薨去により、皇室の方々は21方となった。
日・豪・ニュージーランド協会総裁のほか、伯父にあたる高松宮が昭和62年2月に薨去された後は、
大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会の各総裁を受け継がれた。
心筋症の持病があったほか、宮家創立から約半年後の63年5月26日には、
宮邸の寝室で倒れられているところを発見された。当時のご年齢は40歳だった。
都立広尾病院に入院し、診断の結果、頭蓋骨(ずがいこつ)の内側にある硬膜と、
くも膜の間から出血する「急性硬膜下血腫」と分かり、緊急手術を受けられた。
右半身まひなどのご障害が残ったものの、リハビリに取り組み、平成3年には公務にご復帰。
総裁を務める各団体の表彰式などに、20年まで出席されていた。
20年9月には、高熱が続いたため東京大学医学部付属病院にご入院。
診察の結果、血液に細菌が入る「敗血症」と診断された。
一時は重篤なご症状に陥ったことから、ICU(集中治療室)で治療を受けたが、
21年3月に退院し、療養されていた。
また23年12月には、唾液などが気管に入って起こる誤嚥(ごえん)性肺炎を防ぐため、
気管(喉頭)を閉じる手術を受けたほか、26年1月〜3月にも発熱が続いたため東大病院に入院するなど、
入退院を繰り返し、長い闘病生活を送られた。
お住まいの桂宮邸は東京都千代田区三番町。兄の寛仁(ともひと)親王殿下は24年6月、
弟の高円宮憲仁(のりひと)親王殿下は14年11月、薨去されており、
三笠宮さまのご子息はお3方全員が亡くなられた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/imp14060812040001-n1.htm

桂宮さまご逝去 安倍首相が謹話
6月8日 13時50分
安倍総理大臣は「桂宮宜仁親王殿下の御訃報に接し、悲しみの念を禁じ得ません。
殿下には、三笠宮殿下の御次男としてお生まれになり、
皇族として皇室の諸行事に御参列になるほか、農業及び林業の振興、伝統工芸の支援等、
様々な分野にわたり、幅広い貢献をしてこられました。
また、殿下は、オーストラリアに留学され、その後も、日・豪・ニュージーランド協会総裁をお務めになるなど、
皇室の国際親善に大切な役割を果たしてこられました。殿下が、御自身リハビリにお努めになる中、
皇族としての役割を果たされるお姿に国民は敬愛の念を抱き、御快復を願っておりましたところ、
思いもむなしく薨去(こうきょ)されましたことは、誠に哀惜に堪えません。
皇室を始め、御近親の方々の深いお悲しみを拝察申し上げ、ここに、国民と共に謹んで心から哀悼の意を表します」
とする謹話を発表しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140608/k10015058391000.html

宮内庁会見一問一答
2014.6.8 15:59
桂(かつらの)宮(みや)宜(よし)仁(ひと)親王殿下が
8日午前に薨(こう)去(きょ)されたことを受け、
宮内庁の西ケ広渉宮務主管と名川弘一皇室医務主管が記者会見した。一問一答は以下の通り。

(西ヶ広宮務主管から冒頭説明)
発表いたします。宜仁親王殿下には、本日10時55分、
東京大学医学部付属病院において、薨去されました。謹んで哀悼の意を表する次第であります。以上です。

(質疑応答)
−−桂宮さまがお亡くなりになった病状、死因、お亡くなりになったときのご様子について

名川皇室医務主管
「桂宮さま、日頃からあまり良い状況といえるご状況ではございませんでしたけれども、
今回、ある意味、急性の変化が起きまして、それで9時過ぎに東大病院の方へ救急車で搬入されました。
東大病院に救急車で搬入された時点で、心肺停止状態という状況だと聞いております。
すぐに東大病院の救急、循環器医師が蘇生を開始いたしました。蘇生をずっと続けておりましたけれども、
一回も心臓の拍動が戻ることなく、10時55分に薨去された次第でございます。
その急性の変化の原因についてでございますけれども、正確なところはちょっと分かりかねますが、
担当医、あるいは担当医を指導する上級医の方から確認したところ、急性心不全ではないだろうかと。
これがもっとも考えられるということでございました」

−−最近は入退院を繰り返していらっしゃったが、最近の治療、どういうことが行われてきたのか。
最近のご体調はいかがだったのか

名川皇室医務主管
「一番大きな、入院をなさる原因は細菌の感染。呼吸器感染、あるいは尿路系の感染等々。
感染によってお熱が出る。お熱が出ると、心臓に負荷がかかる。
心臓に負荷がかかると、心不全の方向になるといった連鎖が起きますので、その連鎖をストップしつつ、
感染も抑えつつ、抗生物質を使い、宮邸へお帰りになるということを何回か繰り返されている状況」

−−運ばれた場所はICU(集中治療室)でよろしいのか。
ちなみに駆けつけられた皇族方のご様子をお伝えいただきたい

名川皇室医務主管
「救急車が到着した部署として私が承知しているのは、東大医学部付属病院の救急外来。
薨去されるまでの間にいらっしゃった皇族の方、私が存じ上げている限りでは、
三笠宮崇仁親王殿下と百合子妃殿下でございます」

−−三笠宮ご夫妻、そのときのご様子は?

西ケ広宮務主管
「申し訳ございません。その時間に私自身、まだ病院に駆けつけておらなくてですね、
その後、崇仁親王殿下とお話する時間を持っておりませんので、
まだご質問にお答えするようなことはできません」

−−昨日までの桂宮さまのご様子は?

名川皇室医務主管
「血圧、脈拍、酸素飽和度、お熱、こういったバイタルサインと申しますけれども、
こういったものについては昨日の段階では、異常はございませんでした」

−−今朝方のご様子というのは?

名川皇室医務主管
「宮邸の職員が、宜仁親王殿下のご状況について少し様子がおかしいというようなことで、
東大病院に連絡し、その後救急車で東大病院へ搬入ですので、
宮邸の方が宜仁親王殿下をそのような状況だと認識するまでは、
いわゆる通常の状況という風に思っております」

−−様子がおかしいというのはどのような?

名川皇室医務主管
「呼吸が微弱だという風に聞いております」

−−それは何時ごろ?

名川皇室医務主管
「細かい時間は承知しておりませんが、8時台だと思います」

−−蘇生とはどういったことをされた?

名川皇室医務主管「救急部で行う蘇生は心臓マッサージ、それから人工呼吸器に装着して気道、
それから呼吸を確保するということでございます」

−−蘇生を止められるときというのは、病室に三笠宮さまご夫妻はいらっしゃったのか

名川皇室医務主管
「崇仁親王殿下それから百合子妃殿下は、もちろん蘇生の状況、
蘇生の段階では病院にお着きになっていらっしゃいまして、
蘇生をいつごろやめるかといったようなご相談も前もってさせていただいた上で、
その蘇生を中止したという風に病院側から聞いております」

−−両殿下とご相談のうえで?

名川皇室医務主管 
そのように聞いております。

−−三笠宮さまと百合子さまがそばで看取られたという状況?

名川皇室医務主管
「物理的な距離の問題ですか? それは承知しておりません」

−−お看取りになった最後の瞬間を立ち会われたのか

名川皇室医務主管
「もちろん最期、10時55分に薨去されるということは
医師の死亡確認がなされたということでございまして、このときは、これも私現場におりませんので、
正確かどうかは分かりませんけど、当然立ち会わられていらっしゃると思います」

−−亡くなられた時間というのは、三笠宮ご夫妻が蘇生を止めるというご判断をして、
それで死亡確認が行われたということか

名川皇室医務主管
「死亡確認をしたのは医師です」

−−そこに至る前に、蘇生を止めましょうをいう判断をご夫妻と?

名川皇室医務主管
「それは三笠宮崇仁親王、百合子妃殿下のご意向を受けて、その蘇生を止めたということではなくて、
もちろん医師の判断とか、心臓がもう一回蘇生して心拍を開始するかどうかという見通しとかを
全部総合してのものです」

−−今後の予定は

西ケ広宮務主管
「今後の予定については、これから打ち合わせる状態であります」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/imp14060815590003-n1.htm

「気さくでお話好きな方だった」 日本工芸会・久保庭伊佐男事務局長
2014.6.8 17:11
桂宮さまが総裁を務められた日本工芸会の久保庭伊佐男事務局長(73)の話
「ご病気のことは知っていたが、突然のことで今はただ、驚いている。
4月ごろ、側近の方から体調にはお変わりないと聞いたばかりだった。
平成20年9月にご病気に倒れる数日前に、日本工芸会の式典でお会いしたのが最後になったが、
その時はお元気なご様子だった。とても気さくでお話好きな方という印象で、
工芸作家らと親しくお話されていたお姿が心に残っている。
ご病気の療養中も、日本伝統工芸展の日本工芸会総裁賞は毎年、桂宮さまにお選びいただき、
熱心に活動を続けてくださった」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/imp14060817110006-n1.htm

天皇、皇后両陛下が桂宮邸を弔問
2014年06月08日 17時45分
天皇、皇后両陛下は8日夕、桂宮さまのご遺体が安置された東京都千代田区の桂宮邸を弔問された。
両陛下は午後5時過ぎ、車で宮邸に到着。天皇陛下は黒いスーツに黒いネクタイ、
皇后さまも黒の洋服姿で、沈痛な面持ちで宮邸に入り、数分間の弔問の後、皇居に戻られた。
宮内庁によると、両陛下は同日朝、桂宮さまの容体急変の報告を受け、深く心配されていた。
逝去の報を聞き、桂宮さまが長い間、入退院を繰り返されてきたつらさに
改めて思いを寄せられている様子だったという。
また、桂宮さまの両親、三笠宮さま(98)と同妃百合子さま(91)のことも心配されているという。
この日宮邸には、三笠宮ご夫妻をはじめ、秋篠宮ご一家や常陸宮ご夫妻が相次いで弔問された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140608-OYT1T50035.html

桂宮さまご逝去 天皇皇后両陛下、桂宮邸でご遺体と対面される
06/08 17:55
天皇皇后両陛下は、8日午後、東京・千代田区の桂宮邸に到着し、桂宮さまのご遺体と対面された。
両陛下は午後5時すぎ、桂宮邸を弔問された。
両陛下は、桂宮さまの死を悼み、黒いスーツ姿で、陛下は、腕に喪章を着用されていた。
これに先立ち、桂宮さまのご遺体は、午後1時前、白バイに先導され、住み慣れた宮邸へと戻られた。
ご遺体が到着すると、98歳の三笠宮さま、91歳の百合子さまも宮邸に入られ、それに続き、秋篠宮ご一家、
常陸宮ご夫妻、5月に婚約が内定した高円宮家の次女・典子さまなど、皇族方が相次いで弔問されている。
皇太子ご夫妻も弔問される予定で、今後は、皇室の慣例にのっとった葬儀の儀式が続き、本葬にあたる
「斂葬(れんそう)の儀」は、およそ1週間後をめどに、東京・文京区の豊島岡墓地で行われる見通し。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00270168.html

両陛下や皇族方が次々弔問=沈痛な表情の三笠宮ご夫妻−桂宮邸
桂宮さま(66)のご遺体を乗せた車は8日午後1時前、搬送先の東大病院から東京都千代田区の宮邸に戻った。
同日午後には、弔問のため天皇、皇后両陛下や皇族方が続々と宮邸を訪問された。
喪服姿の両陛下は午後5時すぎに車で正門前に到着。厳しい表情のまま歩いて邸内に入った。
両親の三笠宮ご夫妻は3時間ほど滞在し、両陛下の弔問後に宮邸を出発。二人とも沈痛な表情を浮かべていた。
皇太子ご夫妻も午後6時すぎに訪れた。(2014/06/08-18:45)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014060800151

悲しみに包まれる桂宮邸 両陛下もご弔問に
2014.6.8 19:21
桂宮さまのご遺体は8日午後0時57分、東京都千代田区三番町にある桂宮邸に戻られた。
ご両親である三笠宮ご夫妻をはじめ皇族方が次々と駆けつけられ、夕方には天皇、皇后両陛下も弔問に訪れられた。
三笠宮ご夫妻は午後2時17分、桂宮邸に到着された。
門を通る際には、ご夫妻ともうつむくことなく、前をしっかり向かれていた。
午後3時には高円宮妃久子さまがご到着。桂宮さまのめいにあたる三笠宮家の彬子さまと瑶子さま、
高円宮家の承子さま、典子さまも宮邸を訪れられ、
桂宮さまの姉である近衞●(=ウかんむりの下に心、その下に用)子(やすこ)さんらご親族も駆けつけた。
宮内庁関係者は宮邸内の様子について「三笠宮ご夫妻は普段通りのご様子だった」と話し、
「ご家族で静かに過ごされている」と話した。
午後5時過ぎには両陛下がご弔問に。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家、常陸宮ご夫妻も訪問された。
宮邸前の歩道は報道関係者で埋め尽くされたが、オフィスビルや大学が立ち並ぶ近隣は休日とあって、人通りもまばら。
宮邸の通用門では生花や供物が届くたびに、職員が忙しそうに対応していた。
宮邸近くの学校に通っていたという新宿区の主婦は「ニュースを聞いて久しぶりに近くまで来た。
ご両親のお気持ちを考えるとおかわいそう。残念です」と話していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/trd14060819210010-n1.htm

両陛下、皇族が服喪
2014年6月8日
宮内庁は8日、桂宮さまの逝去に伴い、天皇、皇后両陛下が5日間、喪に服されると発表した。
両親の三笠宮ご夫妻は30日間、皇太子ご夫妻らほかの皇族は5〜7日間、喪に服す。
服喪中は華やかな行事を控え、公務などで外出する際には一時的に喪を外す「除喪」の手続きを取る。
皇后さまはこの日午後、東京・赤坂のサントリーホールで予定していたバイオリニスト
前橋汀子さんのコンサート鑑賞を取りやめた。
http://www.daily.co.jp/society/main/2014/06/08/0007034618.shtml

桂宮さま きょう“納棺”の儀式
< 2014年6月9日 10:49 >
天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまが、8日に亡くなられた。
一夜明けた9日は、納棺にあたる儀式などが行われる。
昭和天皇の弟・三笠宮さま(98)の二男で、天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまは8日午前、亡くなられた。
66歳だった。8日は、天皇・皇后両陛下をはじめ、皇族方がご遺体が安置されている桂宮邸を弔問に訪れられた。
一夜明けた9日は桂宮さまの兄・寛仁さまの妃(きさき)、信子さまも弔問に来られている。
御遺体は9日午後、桂宮邸から赤坂御用地内にある赤坂東邸に移され、
午後5時から一般の納棺にあたる「御舟入」や皇族方がお別れをする「拝訣」が行われる。
葬儀にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は今月17日、東京・文京区の豊島岡墓地で行われ、
喪主は三笠宮さまが務められる。一般の記帳は、10日午前9時〜午後7時まで赤坂東邸で行われる。
http://news24.jp/articles/2014/06/09/07252719.html#

桂宮さま「御舟入」 両陛下が弔問
2014/6/9 18:05
8日に亡くなられた桂宮さまのご遺体をひつぎに納める「御舟入」の儀式が9日夕、
東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。
桂宮さまの父で喪主の三笠宮さまら皇族方や旧皇族が出席。その後、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らも加わり、
桂宮さまに別れを告げる「拝訣(はいけつ)」が行われた。
これに先立ち、天皇、皇后両陛下は同日午後、弔問のため赤坂東邸を訪問された。
両陛下は慣例に従い、17日に営まれる本葬「斂葬(れんそう)の儀」には出席されない。
桂宮さまのご遺体は9日午後、東京都千代田区三番町の桂宮邸から赤坂御用地にある赤坂東邸に移された。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0903D_Z00C14A6000000/

桂宮さま逝去:赤坂東邸で「お舟入」
毎日新聞 2014年06月09日 22時16分
昭和天皇の弟である三笠宮さま(98)の次男で、
天皇陛下のいとこにあたる桂宮宜仁(かつらのみや・よしひと)さまが8日、
急性心不全のため東京大病院(東京都文京区)で亡くなられた。66歳。
9日夕にはご遺体を柩(ひつぎ)に移す「お舟入(ふないり)」が赤坂御用地(港区)の赤坂東邸で行われ、
葬儀の一連の儀式が始まった。
三笠宮さまは柩にふたをする直前、桂宮さまの右肩に手を置き、名残惜しそうにじっと顔を見つめていたという。
本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」は17日に豊島岡墓地(文京区)で執り行われる。
喪主は三笠宮さまだが高齢のため、めいの彬子(あきこ)さまが代行する場合もあるという。
桂宮さまの遺体は宮邸(千代田区)が手狭であるため、9日午後2時、
彬子さまが付き添う中、赤坂東邸に移された。
お舟入に先立って、黒い喪章を腕に付けた天皇陛下が皇后さまとともに赤坂東邸を訪れ、
2日連続で桂宮さまにお別れをした。
一般の納棺にあたるお舟入は午後5時から始まり、三笠宮ご夫妻や彬子さまら皇族や親族約10人が参列。
愛用していたネクタイや帽子、桂宮さまが名誉総裁を務めた1997年の大相撲オーストラリア公演の
パンフレットなどの遺品も白い紙に包まれ、白木の柩に入れられたという。
その後、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らも加わり、柩に一礼して別れを告げる「拝訣(はいけつ)」が行われた。
両陛下の長女、黒田清子(さやこ)さんら元皇族も出席し、詰め物が入った白い布袋を柩に納めて冥福を祈った。
桂宮さまは戦後亡くなった皇族同様、火葬後に豊島岡墓地内の墓所に埋葬される。
墓所は、2012年に亡くなった兄の寛仁(ともひと)親王殿下の北側に設けられる。
一連の儀式は三笠宮家の行事「宮葬」として行われる。
桂宮さまの逝去で、皇位継承権を持つ皇族は5人となった。継承順位は以下の通り。
(1)皇太子さま(54歳)(2)秋篠宮さま(48歳)(3)悠仁(ひさひと)さま(7歳)
(4)常陸宮さま(78歳)(5)三笠宮さま(98歳)
また、両陛下や皇太子ご夫妻らは5日間、三笠宮ご夫妻は30日間喪に服し、
期間中は大部分の公務を取りやめる。カナダに留学中の高円宮家の三女、絢子(あやこ)さまは、
桂宮さまの逝去を受けて一時帰国した。【古関俊樹】
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140610k0000m040091000c.html

桂宮さまにお別れ…三笠宮、高円宮両ご一家参列
2014年06月09日 22時08分
8日に66歳で亡くなられた桂宮かつらのみや宜仁よしひとさまのご遺体をひつぎに納める「お舟入ふないり」と、
別れを告げる「拝訣はいけつ」の儀式が9日夕、東京都港区の赤坂東邸ひがしていで営まれた。
午後5時からのお舟入には、三笠宮、高円宮両ご一家と親族の計11人が参列。
順番に、桂宮さま愛用のネクタイや帽子、1997年に訪問した豪州での大相撲のプログラムなどの遺品を
白木のひつぎに納めた。
ひつぎの蓋を覆う前、喪主を務める父の三笠宮さま(98)は、白装束姿の桂宮さまの右肩にそっと手を置き、
名残惜しそうな表情を見せられた。
その後、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻らも加わって拝訣が行われた。
皇太子妃雅子さまは体調不良で参列されなかった。
慣例に従い儀式に参列しない天皇陛下は、これに先立つ午後3時半、左腕に黒い喪章を着け、
皇后さまとともに東邸を訪問、いとこの桂宮さまにお別れをされた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140609-OYT1T50101.html

毎日新聞
桂宮さま逝去:精いっぱい努めるという「生き方」
天皇陛下のいとこの桂宮宜仁(よしひと)さまが8日、66年のご生涯を閉じられた。
強く印象に残っているのは約10年前、車いすに座って式典に出席し、
約30分間、優しげなまなざしで前を見据えたまま微動だにしなかった姿だ。
農村振興などを図る大日本農会の総裁として出席した同会総会だった。
急性硬膜下血腫(きゅうせいこうまくかけっしゅ)で倒れたのは、今から26年前。
何年もリハビリを重ねて公務に復帰。凜(りん)とした姿は、
皇族としての務めを果たそうとする誠実な人柄をしのばせた。
「国民のため、皇室のために働くというご意志が強かった」と桂宮家に長年勤めた職員は振り返る。
職員への接し方も柔らかだった。ある宮内庁幹部は「年1回、ご自身の誕生日に招いていただいた。
さまざまな形で、周囲をねぎらう機会を作ることを忘れなかった」と言う。
学生時代の友人が来れば、一緒にギターを交えて洋楽を口ずさんだ。
昭和天皇の弟の三笠宮さま(98)の次男として、1948(昭和23)年に誕生した「団塊の世代」。
兄の寛仁(ともひと)親王殿下が活発な言動で、「ヒゲの殿下」として親しまれる中、
成績優秀、スポーツも得意な「次男」も大いに嘱望された。
学習院大を卒業後、豪州に留学、NHK嘱託職員としてサラリーマン生活を送ったこともある。
40歳を機に宮家を創設したが、わずか4カ月後に倒れ、車いす生活となった。
体調を崩した背景に何があったのか。中高時代のサッカー部仲間は
「逃げられない皇族としての重圧を当時から感じていたような気がする」と振り返る。
学生時代に「国民のお金で養ってもらっているくせに」と言われたことが大きなショックになったという。
元側近は「生涯独身を貫かれたのは、自らが皇族をこれ以上増やすことを潔しとしない、
という気持ちがあったのでは」と語る。
「生まれいづる悩み」を抱えつつ、できることを真摯(しんし)に務め、周囲への配慮も忘れなかった。
2008年に敗血症をきっかけにベッド生活を余儀なくされて以降も、
職員以外に身近で献身的に闘病生活を支え続ける人がいた。それは、桂宮さまの人柄がなせるわざだったのだろう。
くしくも兄と同じ66歳での逝去は早すぎるが、残した足跡は小さくはない。
闘病生活の中で公務復帰に努め、スポーツ振興や慈善行事出席のための海外訪問も実現した桂宮さま。
置かれた立場の中で精いっぱい努めるという「生き方」を示したご生涯だった。【大久保和夫】
2014年06月09日
http://sp.mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140610k0000m040104000c.html


桂宮さま逝去:彬子さま、悲しみ深く
毎日新聞 2014年06月10日 15時00分
8日に66歳で亡くなられた桂宮宜仁(よしひと)さまは、生涯独身を続け、
めいっ子である女性皇族を非常に可愛がった。その一人の彬子(あきこ)さま(32)は
これまでの毎日新聞の取材に、叔父である桂宮さまへの気持ちをたびたび語っていた。
彬子さまは2年前、同じ66歳で父親の寛仁(ともひと)さまを亡くしたばかりで、
関係者によると、大好きだった「よしおじちゃま」の逝去に大きなショックを受けているという。
◇大好きだった「よしおじちゃま」
彬子さまは、寛仁さまの長女。桂宮さまにとっては初めてのめいっ子だった。
お正月などに会うと「可愛いね」と繰り返し、「褒めてくださっても何も出ませんよ」と
彬子さまが冗談で返す場面もあったという。
習慣のなかったお年玉も桂宮さまからだけは「成人するまで」と続いたという。
ところが成人すると「卒業するまでは」、卒業しても「結婚するまでは」と終わらなかった。
「今年も下さりました」。彬子さまはほほ笑みながら話していた。
関係者によると、桂宮さまは独身を通した理由について、子どものころに税金泥棒と言われ、
「このつらい思いをさせる人をもう一人つくりたくない」と漏らしたことがあるという。
彬子さまが「皇族だからこそできたことや会えた人もたくさんあります」と桂宮さまに話すと、
「偉いよ。その気持ちを大切にしろよ」と答えてくれたこともあったという。
桂宮さまの一連の葬儀では、父の三笠宮さま(98)が喪主を務めるが、高齢でもあり
彬子さまが代行をすることになっている。【長谷川豊】
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140610k0000e040208000c.html

桂宮さま葬儀費用、総額2億6200万円に
読売新聞 6月13日(金)15時9分配信
8日に66歳で亡くなられた桂宮(かつらのみや)宜仁(よしひと)さまの葬儀と墓所造営費用として、
今年度予算の予備費から約1億9600万円を支出することが13日、閣議決定された。
来年度予算分も含め、一連の葬儀などにかかる費用は総額約2億6200万円になる見通し。
宮内庁によると、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」がある17日の儀式関係に約1億1700万円、
墓所造営の工事には約5100万円が今年度予算から支出される。
2年前に亡くなられた三笠宮家の寛仁さまの葬儀が簡素化されたことを踏まえ、
儀式に使う祭具などを再利用するが、人件費高騰と消費税率引き上げで、
来年度予算も合わせた所要費用の総額は寛仁さまの時より約3800万円増える見込み。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140613-00050095-yom-soci

桂宮さまの通夜営まれる 三笠宮ご夫妻ら参列
8日に66歳で亡くなられた桂宮さまの通夜が15日、
赤坂御用地(東京都港区)にある皇族共用邸宅「赤坂東邸」で営まれ、
両親の三笠宮ご夫妻や皇太子ご夫妻ら皇族のほか親族、ゆかりのある人たちが参列した。
通夜は16日も続き、17日には豊島岡墓地(文京区大塚)で本葬に当たる「斂葬の儀」が行われる。
天皇、皇后両陛下は慣例で通夜や葬儀には出席しないが、通夜が始まる前に赤坂東邸を訪れて弔問した。
通夜は「正寝」と呼ばれる壁を白い布で覆った部屋で営まれ、
三笠宮さま、皇太子両ご夫妻が正面に安置されたひつぎに順に拝礼。
照明が落とされ、静寂に包まれた部屋で参列者が亡き桂宮さまをしのんだ。
ひつぎのそばには両陛下や皇族からの花などが供えられた。
通夜に先立ち秋篠宮ご夫妻らが参列して、ひつぎを正寝に移す「正寝移柩の儀」が営まれた。
[ 2014年6月15日 19:58 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/06/15/kiji/K20140615008373540.html

桂宮さまの通夜始まる 皇太子ご夫妻参列
中田絢子、島康彦
2014年6月15日20時11分
8日に亡くなられた桂宮さまの通夜が15日夜、東京・元赤坂の赤坂御用地にある赤坂東邸で始まった。
まず、両親の三笠宮ご夫妻や皇太子ご夫妻、親族や政界関係者が参列し、祭壇に向かって拝礼した。
通夜は16日も営まれる。
通夜は午後6時に始まり、30分ごとに参列者が入れ替わりながら続いた。
ひつぎの周りには天皇、皇后両陛下から贈られた菓子や果物などが飾られ、
参列者は照明が落とされた中で桂宮さまをしのんだ。
通夜に先立って同日午後2時ごろには、皇族方や元皇族方が見守る中、
ひつぎを祭壇が設置された部屋に移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」があった。
その後、両陛下が赤坂東邸を訪問。三笠宮ご夫妻、三笠宮家の彬子さまが立ち会う中、
ひつぎに向かって拝礼した。
喪主を務める三笠宮さまは98歳。体調が心配されたが、赤坂東邸を出入りする際には、
あいさつする記者団や宮内庁職員に右手をあげるなどして応えた。
通夜では祭壇の前で車いすから立ち上がり、拝礼したという。(中田絢子、島康彦)
http://www.asahi.com/articles/ASG6H5TT4G6HUTIL032.html?iref=com_alist_6_02

皇室:桂宮さま 霊代安置の儀
毎日新聞 2014年06月17日 00時20分
8日に亡くなられた桂宮さまの本葬前日の16日、
赤坂御用地(東京都港区)の赤坂東邸で「霊代安置(れいだいあんち)の儀」が行われた。
魂にあたる霊代を権舎と呼ばれる部屋に安置する儀式で、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻ら皇族方が参列した。
本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は17日、文京区の豊島岡墓地で営まれる。
天皇、皇后両陛下は斂葬の儀には慣例で参列しないため、16日午後に赤坂東邸を訪れてひつぎに拝礼し、
桂宮さまに最後のお別れをした。
夜には前日に引き続いて赤坂東邸で通夜が行われ、安倍晋三首相が訪れた。
また10日から行われていた一般の人による弔問記帳が16日終了した。
宮内庁によると、7日間で3268人が記帳した。【古関俊樹】
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140617k0000m040148000c.html


桂宮さま逝去:斂葬の儀 皇太子ご夫妻はじめ560人参列
毎日新聞 2014年06月17日 11時29分(最終更新 06月17日 21時49分)
昭和天皇の弟である三笠宮さま(98)の次男で66歳で亡くなられた桂宮さまの
本葬「斂葬(れんそう)の儀」が17日、東京都文京区の豊島岡墓地でしめやかに営まれ、
兄の寛仁(ともひと)親王殿下の隣に墓所が設けられた。中心行事の「葬場(そうじょう)の儀」には
皇太子ご夫妻や三権の長、ゆかりの人ら約560人が参列。
慣例で参列しなかった天皇、皇后両陛下のお使いに続き、
桂宮さまのめいで喪主代理を務める彬子(あきこ)さま(32)が霊前に玉串をささげて拝礼し、
最後のお別れをした。
午前9時ごろ、柩(ひつぎ)を乗せた霊車は赤坂東邸(港区)を出発し、
学習院初等科や宮邸(千代田区)前など桂宮さまゆかりの地を巡って豊島岡墓地に到着。
生前親交があった弁護士の一条実昭(さねあき)・司祭長が、
桂宮さまの生涯や業績を記した「祭詞(さいし)」を万葉集などで使われた「大和ことば」で読み上げた。
2002年の高円宮さま、12年の寛仁さまに続いて3人の息子に先立たれた母、百合子さま(91)も
三笠宮さまと共に車いすで参列し、拝礼した。
午後には、葬場の儀の後に火葬に付された遺骨を埋葬する「墓所(ぼしょ)の儀」が行われた。
副葬品として桂宮さまが大切にしていたギターやマントが埋葬され、彬子さまらが次々と拝礼。
三笠宮さまはその間、じっと墓所を見つめていた。一般拝礼には知人ら866人が参列。
葬場にはスーツを着て笑う桂宮さまの遺影が飾られ、多くの人が別れを惜しんだ。【真鍋光之、古関俊樹】
◇ゆかりの地巡り豊島岡墓地に
柩が安置されていた赤坂東邸(港区)では斂葬の儀に先立ち「霊車発引(はついん)の儀」が行われた。
霊車が宮邸に横付けされると、8人の宮内庁職員らが柩を車の中に入れた。
皇宮警察音楽隊による葬送行進曲の中、16台の車列が静かに出発。
車列は学習院初等科や宮邸(千代田区)前など、ゆかりの地を巡って豊島岡墓地に向かった。
墓地では、桂宮さまが友好に尽力したオーストラリアの元外交官ら6人が車の両脇に寄り添い、
柩を葬場に安置した。一般の人による拝礼も行われ、戦後の一時期、三笠宮家に仕えていたという
横浜市の牧野敏子さん(86)は「生まれたばかりの桂宮さまを百合子さまはお風呂に入れて可愛がっていた。
お気持ちを思うと本当につらいことです」と話した。【大久保和夫、古関俊樹】
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140617k0000e040224000c.html

「斂葬の儀」に参列する皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻=東京都文京区の豊島岡墓地で
2014年6月17日午前9時31分、矢頭智剛撮影
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天皇、皇后両陛下が桂宮さまの墓所参拝
2014年6月18日
天皇、皇后両陛下は18日、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地を訪れ、
桂宮(かつらのみや)さまが埋葬された墓所を参拝された。
桂宮さまのめいで、喪主代理を務める三笠宮家の彬子(あきこ)さまが両陛下を出迎えられた。
両陛下は墓標の前でそれぞれ玉串をささげ、拝礼された。
墓所を出る際には、車いすから立ち上がった桂宮さまの父三笠宮さま(98)、
同妃百合子さま(91)に声をかけ、気遣われた。
これに先立ち、墓所では、「斂葬(れんそう)後一日墓所祭の儀」が行われ、
三笠宮ご夫妻、秋篠宮妃紀子さま、長女眞子さまら皇族方が参列された。
墓所では今後1年間かけてお墓が造営される。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20140618-OYT1T50101.html