女帝容認論の過誤

女帝容認論の過誤  小堀桂一郎

別冊正論Extra.14
(平成23年1月7日発行)

(略)
神・人同一視(エウヘメリズム)の誤謬
女系天皇容認論者の主たる何人かに共通に見られる誤りとして、天照大神といふ皇室の御祖先が抑々女神であつた、
されば日本の国体の原型は女神の言挙げによつて定められ、女神の子孫が皇室の系譜を形作つてゐるのだから、
天皇の系統も女系でよいのだ、偶ゝ百二十五代の皇統が男系で一貫してゐるのは、文字通りの偶然の集積で、
結果として成立した伝統にすぎない、との立論がある。
この見方について、伊邪那岐と伊邪那美(『古事記』での表記をもちゐて)の二神による神々の生成、
伊邪那岐の禊祓と三貴子の誕生、天照と須佐之男の誓約(うけひ)による胸形(宗像)の三女神と
五柱の男神の誕生といふ「神話」の「解釈」を根拠にとつての反論も提出されてゐるが、
それは実は俗に謂ふ同じ穴の狢であつて、皇統女系論の誤りを訂す論にはなり得ない。
女系論者達の誤謬の真因は、神話と史実の混同といふ至つて簡単な、然し基本的な錯誤に由来するものである。
而してこの錯誤しもちろん女系皇帝論者に特有の欠陥といふわけではなく、
学界の一部には古くから一派の流れとして奉じられてゐたし、皇統論とは別の文脈で今なほこれに拠つて
言説を立てる研究者もゐる様である。但し神話学の専門の見地からはこれは既に断乎として否定乃至克服され、
過去の遺物として片づけられてしまつてゐる謬見である。
我が国の学問史上、古代史解釈に意識してこの混同を持ち込んだのは『古史通』の著者としての
新井白石であつたから、この方法もそれなりの長い経歴を閲してゐるとしてよいであらう。
(略)
神代の物語と人皇第一代神武天皇以後の物語との間には、記・紀の記述に於いては明示されてゐない、
見えない境界の一線が引かれてある。「神話」といふ語も概念もまだ誕生してゐない時代であつたから
已むを得ないとも云へようが、神話と歴史との違ひを何らかの形で気が付いてもよかつたと期待するのは
過大な要求であらうか。
(略)
高木敏雄を早い先蹤者として(高木の神話学者としての研究歴は明治32年、本人の23歳の年に始まる)日本では
戦後になつて大林太良、吉田敦彦といふ真に国際的に通用する真物の神話学者が出現した。
このお二人ほど高名ではないがその学問を着実に継承した萩野貞樹氏(平成20年歿)は
『歪められた日本神話』(平成16年、PHP新書)を著して、現代の国史学者、国文学者、哲学者として
令名ある人々の多くが、依然として学問以前の素朴なエウヘメリズムに囚はれた形で
恣意的な神話解釈を弄んでゐる現状に厳しい警告を発してゐる。
天照大神は女神なのだから日本の皇統は女系でよいのだなどといふ児戯に類する妄論に接する度に、
啓蒙家としての文才の卓れてゐた萩野氏の早逝がつくづくと惜しまれる昨今である。

大御心の忖度を口にすべからず
以下に述べる事は女系天皇容認論者の一部に見られる、理論上の誤りといふよりもむしろ知識人としての
不心得とでも評すべき失態に属するが、論者の中に、今上天皇は女系天皇の出現を容認しておいでになる、
との伝聞を口にするものがゐる。言ふまでもなく、自分達の政治的主張の補強として、天皇の御意向をふりかざし、
利用してゐるのである。高位の政治家などが、責任逃れの方便として天子様の御威光を楯に取ることを
袞龍の袖に隠れて、などといふ成句がかつてよく用ゐられたことがあつたが、これは袖に隠れるよりも
更に悪質な御威徳の政治利用である。
さういふことは臣下として決してしてはならない禁制の行為なのだが、この禁制が非常に古くからある、
皇室の伝統そのものの付帯事項の如きものだといふことを知つて頂くために次のよく知られた史話を
改めて御参考に供することにしよう。
天皇御自身の御意向をさして敬つて大御心と呼ぶ。
大御心は臣下の者が忖度・憶測して口に出したりしては
ならぬものである。この大御心といふ単語の最も古い用例は、『古事記』の応神天皇の巻に出てくるそれであらう。
(略)
この話で大雀命が天皇の意のある所を推察されてといふ所に
<天皇の問ひたまひし大御情(おほみこころ)を知らして白(まを)したまひしく>
とあるのがたぶん<おほみこころ>といふ単語の文献上の初出である。
この史話は、この短い筋書の中に甚だ重要な後世に向けての教訓を含んでゐるので、
それをなるべく簡潔に分析してみよう。
先づ<大御情>(後の慣用表記大御心と同じ)といふ単語の初出が、
当今の天皇が皇位を複数の皇子達のうちの誰に襲がせたいかを思案されたといふ、
甚だ重大な文脈に於いてであることに注目すべきである。
この問題は皇統の系譜の中では第十五代応神天皇の時に初めて真剣な考慮の契機として浮上するのだが、
次の仁徳天皇の代以降、陰に陽に頻繁に生起することになる。
そしてそれはまさに「大御心」を悩ませたまふに足る重大事であつた。
この重大な思案を、応神天皇は有力な二皇子にむけてあからさまに質問として出されたのではない。
暗示的な謎として問ひかけられたまでである。
この謎を受けて賢明な皇子大雀命は、天皇の意中を察しながらそれを口には出されない。
謎の問に応ずるにふさはしい間接的な答を以て父の天皇の御意向を肯定する。いはば腹藝のやりとりである。
天皇はこの重大な選択を下すに当つて二人の我が子の意向のみをたしかめようとされたのであつて、
臣下に対しては決して何人にも意中を悟られる様な言葉を発してゐない。
皇位継承の大事は抑々臣下の介入を許すべきことではないからである。
従つてこの選択と決断については臣下の誰一人として洩れ承ることもなく、
外部に洩れ伝はることもなかつた。即ち臣下があれこれと評定のたねにすることではない、といふ状態が守られた。
大御心とはさういふものである。
もう一つ、皇位継承者の選択肢が複数である場合、古代には長子相続の法理はなかつたし、
皇后との間の嫡出、別嬪との間の庶出の間にも決定的な差別はなかつたから、
抜擢は当今のほしきままでよかつた様にも思へるのに、応神天皇は独断で事を運んだのではなく、
慎重に二皇子の合意をとりつけることから着手した。
こりはやはり、皇位継承の大事については当今の天皇御自身すらが、専ら自分一個の恣意によるのではなく、
私情を超えた或る高次の道理に聴かなくてはならない、との先験的な自覚を有してをられたからである、
と解釈できよう。
ところで、歴史好きの人にはよく知られた話であらうが、応神天皇のこの様な慎重な御配慮も、
結果として大御心の忖度を口にすべからず通りには運ばなかつた。
(略)
三年の空位が生じ、人民が困惑。和紀郎子が自裁してしまい、大雀命が即位(仁徳天皇)
この話は、大御心といへども、結局はその更に上の次元に在つて働く摂理の方向を超えたり曲げたりすることは
できないのだ、との譬喩譚になつてゐると読める。それは応神天皇の御遺詔が所謂天皇個人の私意だつたからである。
そして慈円はこの個々の天皇の私意を超えて働く摂理の存在の大きさに打たれて、
かの「道理史観」に貫かれた『愚管抄』を書き綴ることになる。
仁徳天皇以降の皇統の歴史には、次第にこの皇位継承の道理の在り様について
史家の考察と思弁を促す事例が頻発する様になり、
殊に保元の乱から承久の変に至る六十五年ほどは皇統の危機の連続と言ついも良い様な状況が続いた。
それは史乗に見る通りである。
不文の禁忌を侵して天皇が「私意」を押し通したために禍を招いた例も史実として存する。
(略)
後醍醐帝の失政について
かうした天皇個人の私情の発露には大御心の尊称を奉ることはできない。
臣たるもの皇位継承といふ如き重大事例に向けて当今の天皇に「新儀」の着想と発令を期待してはならないのである。

「隠れ共和主義」の陥穽に眼を開け
(略)
マッカーサー・ノートがGHQ民生局の憲法起草委員会に呈示されたのは昭和21年2月3日のことだつたが、
既にその年の5月には憲法案文の成立に先立つて、占領方針実現の一端として、皇族の財政的特権の全面的剥奪と、
次いで翌22年2月には苛酷極まる財産税と戦時補償特別税の徴収が強制される。
この年の10月、十四の宮家のうち秩父宮、高松宮、三笠宮の直宮家三家を除く十一宮家が臣籍に降下された、
つまり皇籍を離脱されたのも、要するに財政的基盤を奪はれて皇族としての存立が不可能になつたといふ
現実の恐慌的事態に迫られてのことだつた。
マッカーサーを現地での下手人とする米国の日本国体破壊工作の動機・目的はいつたい何だつたのか。
実は至つて解り易い話で、米国を始めとする連合国は、要するに天皇国日本の持つ、西洋白人諸国の
アジア支配欲及びその覇権主義一般に対峙し得る「強さ」に恐怖を覚えたのである。
戦争そのものでは慥かに米軍は日本軍に対する圧倒的な勝利を博した。
然し、英・蘭・濠・仏そして中華の諸国軍は局地的の戦闘に於いて遂に日本軍には勝てなかつた。
勝利者米軍でさへ、西太平洋の諸島嶼と海域に於いて、日本軍の凄まじいほどの旺盛熾烈な戦闘意欲と
兵器技術の優秀さ(殊に緒戦の航空戦に於いて)に対し、心底からの恐怖を覚えた。
そしてその精強さの精神的基盤は万世一系の天皇の統治する日本の国体への誇りと忠誠心にある事を知つた。
それを知つたのは戦死者の遺体から収納した手帳・書面(上級士官のみならず、徴用された普通の兵卒までもが
従軍の陣中で戦闘の所感を手記に遺すほどの教養を有するとは、
日本以外の国民には考へられないふしぎだつた)や俘虜の訊問によつて「実証的」であつた。
そこから、日本人をして二度と米国の世界戦略への抵抗者たらしめない事、といふ日本占領の究極目的と、
その実践手段としての国体の変革といふ当座の目標が生れる。
国体の変革の最も解り易い形は共和政体への改造である。
共和制ならば、それは謂はばアメリカ人の身につけた文法を以てしても解読できる。然し
<万世一系の皇祚を踐める大日本帝国>なる存在は、彼ら新興共和国の民にとつて解読不可能の、
封印せられたる秘経である。その封印を解かせる捷径は皇室を解体して
普通の市民の中に分散埋没させてしまふことである。
それを戦勝国としての力に傲つて占領中に政治的に強制することは、
もし日本の敗北が無条件降伏であつたならば可能であつたらうが、
現実にはポツダム宣言に基く休戦条約にも、
戦時国際法の法規にも違反することで、さすがに強行はできない。ではどうするか。
マッカーサー・ノートでも認めてゐた皇位の世襲(現憲法第二条の規定となつて生きてゐる)を
なるべく困難なものとする様、皇位継承予備軍としての皇族制度をまづ解体することである。
併せて、世界の先進文明国の政体は、揃つて共和国に向ふといふ歴史の趨勢があるのだ、
この趨勢に歩調を合わせることが文明の論理である、といふ情報宣伝を日本国民の耳に、
いはゆる刷り込み効果が生ずるまで、飽きずに反復して吹き込むことである――。
皇位継承者の血統が、万世一系の皇統に属さない、他姓の氏族に由来する筋に移るといふことは、支
那の歴史に謂ふ所の易姓革命であつて、そこで既に二千年来の皇統は断絶したと見做されるのだから、
即ち共和制への変革の一歩は踏み出されることになる。
これは六十五年前に日本占領者達が明らかにした<現存統治形式変革ノ方向ニ関スル米国ノ希望>
がめでたくも達成せられる前段階であつて、女系天皇推進論者達は、この米国の希望に頼まれもせぬ支持を
表明してゐるわけである。日本の知識人の中には、左翼は言ふまでもないことだが、
表面上保守派への帰属を装つてゐる人々の間にも、筆者が「隠れ共和主義者」と呼ぶリベラルの数が頗る多い。
それはおそらくは、大正デモクラシーの経験がまだ意識の底層にしみついてゐて、
世界史の趨勢とか、時代の流れに即して、といつた宣伝文句の魅力に囚はれてゐる事例が多いと思ふのだが、
恐ろしいのはやはり「時流」といふものの魔力である。
時流に抗して生きるといふことの難しさは、何時の世にも、物を考へる人間の直面せざるを得ない宿命である。
この宿命との対決を大衆化社会の万人に要請することは無理であらうが、然しそれにつけても罪深いのは
この時流に乗つて、己の政治的目的の実現を図る党派の人々の強弁である。共産党独裁政権下の中国では
凡そ「政治的必要」なるものが最高最強の支配原理であつて、如何なる「道理」も、この標幟の前には
黙して引き退らざるを得ない由であるが、女系天皇推進論者達も「最初に結論ありき」の、その政治目的を奉じて
動いてゐる以上、万世一系の伝統の前にも一向に畏敬も恭虔も感じない鉄面皮の徒となつてゐる様である。
女系天皇推進論者達が己の如何はしい野望を実現するために聲高に叫べば叫ぶほど、
隠れ共和主義者の一統は我事成るに近しと北叟笑んでゐるであらう。世界はほんたうに腹黒いのだ。
こちらが善意ならば、相手もそれを善意に理解してくれないはずがない、との素朴といふよりは
実は自堕落な思ひ込みが、日本の対近隣諸国外交を救い様のない破局に追ひ込んでゐるのは目前の現実である。
それと同じ顛落の坂に向けて、かの論者達は日本の国家と国民を引き摺り落さうとの魂胆らしい。

明治皇室典範の永続性
(略)
平成16年の12月に内閣官房長官の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」が組織され、
十人の委員が十一箇月に計十七回の審議を重ねた結果として17年11月にその「報告書」を提出したのを契機として
或る新しい風潮が生れた。即ち明治皇室典範を成立させてゐるその立法者意志と、
法文に読みとれる決意とを故意に無視し、専ら現在我が国の統治原理りなつてゐる日本国憲法の恣意的解釈を
振り翳してこれを皇位継承にかかはる伝統的原則の上位にあるものだ、とする強弁である。
これは上記会議の審議結果であるより以前に、この会議を召集した内閣官房長官が審議の前提としてゐた輓近の
いくつかの政府見解が示してゐた方向であり、予め目標化されてゐたこの会議の結論であつた。
委員の顔ぶれも、この結論に同意してくれるであらう意見の持主を、といふ基準で選定したらしかつた。
内閣官房の作戦は成功し、件の報告書は明治皇室典範の策定した大原則を恬然として否定し、
女系天皇の即位を可能とする方向へ向けて皇室典範を改正しようと提言する内容となつてゐた。
わかり易く具体的に言へば。現東宮家の一人子である内親王が皇位継承者の上位に
列せられるといふ狙ひが露骨に眼に移る、政治的性格の強い一種の謀略文書になり果せてゐた。
この報告書の内容には当然学界・言論界からの厳しい批判が浴びせられ、
世間一般の輿論も真二つに分裂して勝劣を争ふの様相を呈したのだが、世間がなほよく記憶してゐるであらう
秋篠宮家の御慶事といふ奇蹟的な経過を辿つて、この報告書は現実化の日の目を見ることなくて終わつた。
(略)
百地教授(※百地章日大教授著書「「皇位の世襲」の意味と「女系天皇」への疑問)によれば
現憲法第二条<皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する>
に云ふ所の<世襲>とは男系による世襲を意味する、との学説の方が依然として多数派ではある由だが、
近年の政府見解の意図的な政治的変更に使嗾され、皇室典範といふ一法律の改正により
(即ち憲法の改正までせずとも)女系天皇の出現は可能であるとする主張する女系推進論
も勢を失つてゐないといふことである。
(略)
明治皇室典範の精神的規範性は然し決して消滅したのではない。
それは我が国民にとつて不朽の価値を有する精神史的財産であつて、その価値は諸々の古典の典籍と変わらない、
現在も生々と脈搏つ生命を有してゐる規範である。我々は現行の皇室典範と区別するために便宜的に明治といふ
その誕生の時代の名を冠して呼んでゐるが、この便法はこの古典的文献がもはや使命を了へた
過去の遺物になつたといふ意味で用ゐてゐるのではない。早い話が、鎌倉時代以降の近代に於いて、
明治は精神的に最も創造的生産的だった盛代なのであり、
この時期に生み出された諸々の学術技芸上の多くの遺産は今明らかに古典として扱はれ、
十分の敬重を受けてゐる実態を見ればよい。
明治皇室典範が不朽の古典であり、それに付せられた注釈としての『義解』も亦同じ敬重を享受する資格ある所以は、
それが決して明治といふ限られた一時代の時代的制約を帯びた著作物だといふわけではなく、
これは二千年の皇室伝統の在り様を具に考察・分析し、そこに読み取り得た規範的な数々因子の集積から
所謂帰納的推理を以て抽出した研究成果の箇条化だといふ点に存する。
―皇位継承の秩序はいはゆる不文の法に基づいて守られてきたのであり、
その継承の方法は将来も従来の形のままに続いてゆけばそれでよいのだが、
文明の進展と共に世界には様々の変化・動揺の因子も亦増加するであらうから、
その不文の基準を文字に表現・記録して不時の変動に備へその影響を防ぐ必要が生じてくる。
そこで皇室代々の祖(おや)達が無言のまま遵守してきた相承の秩序を敢へて言語化して文字に記したのが
この典範である―
といつた編纂の動機を説明してゐるわけである。主旨の重点は、典範の法意は創設的な規定ではなく、
太古の昔から既に在り、眼に見えぬままで機能してきた法理の、今更の言語化にすぎない、といつた所にある。
つまりこの典範とは明治の御代になつて初めて生まれた法理ではない、二千年の昔から伝へられてゐた
見えざる法の可視化である。
そこで少しく具体的に明治皇室典範第一章「皇位継承」の第一条
<大日本国皇位は祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス>の法理を検討してみよう。
直ちに理解できることは、この定言は決して創設的規定ではなく、
初代神武天皇以来当今第百二十二代明治天皇に至るまでの
皇位の継承の様相を謂はば追跡調査してみた結果の帰納的結論なのだ、といふことである。
(略)
史上の女帝の登極は現在の摂政(典範は第二十一条で皇后・皇太后等女性皇族の摂政就任を認めてゐる)に相当する
<權宜>(正道に対する権道の意を含む臨時の便法)であつて決して後世の範例としてはならぬものである。
皇位の継承者を男系の男子に限り、他方で女性皇族の摂政を認めてゐるのは、
過去の女帝の系譜の実情から帰納して得た発見の所産であつて新例の創設ではない、と説明する而してこの
第一条の義解が掲げる皇位継承上不易の三大原則といふのもつまりは帰納的発見の結論だ、といふことになる。
三大原則といふのは、<第一 皇祚を踐むは皇胤に限る>
<第二 皇祚を踐むは男系に限る> <第三 皇祚は一系にして分裂すべからず>の三条であるが、
これらはいづれも特定の歴史的事件から得た教訓の定式化であることは解り易い。
即ち<皇胤に限る>としたのは称徳天皇の御代における法王道鏡の皇位覬覦事件の再発を防ぐための予防措置であり、
<男系に限る>としたのは飛鳥時代の如く女帝所生の皇子の即位により恰も女系の子孫が皇祚を踐んだかの様に
見える例もあり、権謀術策を用ゐてま、暴力によらざる易姓革命の可能性は過去にも優にあり得たからである。
第三の<一系にして分裂すべからず>は、言ふまでもなく、大覚寺統と持明院統両統の迭立といふ妥協的措置が
結局南北朝の分裂といふ史上空前絶後の皇統の不祥事を招いたからである。
この三大原則が念頭に置いてゐる過去の皇統の紊乱や断絶の恐れは今日に於いても、
或いは現在に於いてこそむしろありうる。
さうであればこそ、『義解』はなほ生命を持つた警告の書である。
この警告を無視してかからうとする党派に対しては厳重な警戒が必要である。
(略)

憲法第一条・「国民の総意」とは何か
(略)
左翼学者達に共通してゐる根本的な誤謬は、国民の総意が変ればそれに支へられたものである所の
天皇の地位も変り得る、といふ、単純な原因と結果の理法を皇室伝統の不易性にあてはめて考へてゐるところにある。
(略)
実は言ふまでもないことなのだが<国民の総意が変れば>といふ前提は永久に成り立たない。
何故ならば、その「総意」を抽出するべき母体としての国民とは、現在の選挙権有権者などといふ
空間的平面的次元の存在なのではなく、凡そ「国民」なるものが成立して以来日本国民であつた
全ての人間の意志を総合して得られる時間的垂直次元で捉へての国民だからである。
その場合の過去の国民の意志なるものは今や変更の為様もなく、
我々現在の国民が引き継いで背中に背負てゐる先祖達の意志である。その歴史の重みを考へてみれば、
<国民の総意が変れば>などといふ安易な前提を置いて物を言ふ(考へる)ことの軽薄さが
どんなに恥づべきものであるか、真に物を考へることを知つている人間なら解るはずである。
縦の時間的次元で物を考へることの重要さを、至つて素直な、平明な形で言ひ表してくれた論説として
筆者が紹介したいのは、平成18年6月号の「正論」に、当時「一年生議員」だった弁護士の稲田朋美さん
(さん付けで呼ぶことをお許し頂きたい)が寄せた「保守政党の指導者たりうるのは誰か」といふ論説である。
そこで稲田さんが書いてゐる話なのだが、或る新人議員の集まりで皇室典範の勉強会を開いて討論を交した際に、
女性議員の一人が、「伝統は時代とともに変る」と発言したので著者は吃驚した由である。
そこで稲田さんが<時代を経ても変らないから「伝統」なのである>
とさらりと書いてゐるのが何とも嬉しい。更に<二千年以上も男系で継承されたという事実が尊いのである。
父をたどれば二千六百六十六年前の神武天皇にさかのぼれるという系譜が、圧倒的に美しいのである。
この美しい伝統を守るのか、捨てさるかの選択であって、理由があるかどうかの問題ではない。
もっといえば現在を生きる私たちには明確にいうことのできない「理由」があったからこそ、
二千年以上も厳然と受け継がれたのだという過去の叡智に対する謙虚さを持つことが保守なのである>と。
(略)
<私は、男系維持が二千年以上守られてきた法であり、それさえ守れば、たとえば現行皇室典範によって
皇位継承者がいないという事態に陥っても、2条の「皇族」を「皇族以外の皇統に属する男系男子」
に類推適用すればよいと考えた。衆議院法制局からは、「違法状態を作り出す」と一笑にふされたが、
私にいわせれば、女系容認に法改正することこそ
二千年の法に違反する違法状態を作り出すことなのである>
実にその通りであって、これは国体が崩潰の危機に瀕した時には「超法規的措置」を以て切り抜けるより他ない、
の憂国の思想である。
かつて昭和53年7月に第十代統幕議長栗栖弘臣氏が、現在の憲法体制では一朝有事の際には
超法規的措置で対応するより他ない、と喝破して氏自身はその地位を追はれたが、国民は深い感銘を受け、
栗栖氏に向けて大いなる支持を表明した歴史を我々は忘れてはゐない。
国体を守るためには超法規的措置を取らざるを得ないこともあるといふ点で、
防衛問題と皇室護持の問題とは明らかに共通である。
(略)
第一に、我が国の歴史に於いて、かつて国民の総意といふものは確かにあつた。
神武天皇の肇国の史実、日本国家の成立といふ動かし難い事実がその存在を前提としたものである。
その前提が即ち次節で論ずる「一般意志」である。
第二に、国民の総意が如何なる形で表明されたのかと云へば、
二千年に亙つて男系継承で一貫した唯一系の皇統の厳たる存立がその最高の表明形式である。
裏返して言へば、一系の皇統が連綿として持続してゐる、この事実こそが、
これを支へる一般意志=国民の総意の存在を立証する認識根拠である。
第三に、かかる形での国民の総意の理念は、肇国以来の一系の皇統が将来に亙つて不動の鞏固さを以て存続すべし、
との要請を発し続ける。それは日本といふ国の主権者の意志が発する聲である。
さきに、総意が変るといふ考へ方自体が総意概念の自己矛盾であり、
変わらないといふことが総意の総意たる所以である、と述べた。国民の個々の意志の総和とは次元を異にする、
集合的存在としての一般意志が二千年に亙つて一系の皇統の連続を支持してきた。
この二千年の歴史は如何にしても取消し様がなく、即ち不変不朽である。
国民の総意なるものは、肇国以来二千年に亙つて
日本国民であつた生霊の全ての数の意志の最大公約数として抽出されたものである。
つまりもはや変わることのあり得ない、人民の間に取交された暗黙の約束である。
日本国民である限りこの約束を守る義理がある。この約束に服せぬものは日本国民ではない。
(略)
一般意志は本稿で既に論証した如く国民の総意の別名なのでふるから、
万世一系の男系による皇位継承を支へてきた国民の総意とは、正に皇統といふ「事柄」、
皇位といふ「物」の秩序に属する「自然」なのであつて、それは春夏秋冬の季節の循環や日月の東湧西没といふ
現象の人為的変更がきかないのと同様、一時代の国民や政府の世俗的思はくを超えた次元にあり、
それに対しては如何なる人間の傲慢も唯黙して受容れるより他のことはできない。
(略)
私利・私意を交へた個人々々の意志の総和としてでない、
「公」の共有目標の前進にのみ奉仕するが故に無謬のものとされる一般意志の抽出に関してのルソーの理論は、
我が皇統に於ける大御心といふものの認識法に対してもよき示唆を与へてゐると見ることができる。
即ち個々の天皇個人の御意向ではなく、一般的概念としての大御心は何か、といふことである。
個々の大御心を超えた次元に作用してゐる、より高次の大御心として慈円の『愚管抄』は
皇位継承の「道理」を考察し、北畠親房はそれを「正統」の理念に求めて『神皇正統記』を著した。
本稿での試論を適用して言へば両者の労作はいづれも皇統の無窮を支へてゐる
「一般意志」・「集合無意識」の彼等なりの可視化の試みであつた。
此等の古典と輓近の双方の成果を採り入れた上で、現今の女系容認論の誤謬は誤謬として厳しく指摘し、
皇統万世一系の史実を支へてきた国民の総意への畏敬の念を人は持つべきであると
根気よく説き続けることである。
それが、一見迂遠の如くに見えようが、今日の甚だたしなみを欠いた諍論を終結せしめるための捷径である。

目次5へ