なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか

「田母神塾」―これが誇りある日本の教科書だ― 
(2009年3月 双葉社)

なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか

「A級戦犯が祀られている靖国神社に、総理大臣は参拝すべきではない」。
こうした意見は、歴史的事実を全く知らない人間の常套句です。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効をもって日本は晴れて独立を果たしました。
戦闘は45年8月15日に終わったわけですが、
講和条約の発効をもって初めて、国際法的に戦争が終わったとされるのです。
占領期間中、占領国は被占領国に恒久法を強制してはいけないと国際法では定められています。
ところが日本は、憲法改正に教育基本法改正、教育勅語廃止までやられてしまいました。
52年4月28日に正式に戦争が終了し、日本は独立したわけです。
この時点で、占領期間中に決められたことなど全部無効と宣言しても問題はない。
国際法上、なんら咎められる理由はありません。
GHQから独立すれば、ようやく戦争は終わりになる。
そうすれば「A級」「B級」「C級」と区別をつけられ
牢獄につながれていた「戦犯」たちは、当然即座に解放されるものと日本国民は考えていました。
しかし「戦犯」たちはすぐには家族のもとへは帰ってこられませんでした。
なぜでしょう。サンフランシスコ講和条約の第11条があったためです。条文にはこうあります。

《日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、
且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。》

懲役×年、禁固△年と定められた刑期を、日本政府の責任で守りなさいというわけです。
11条は次の条文へと続きます。

《これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について
刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の
過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。》

日本はサンフランシスコ講和条約第11条に従いながら、52年4月28日から約6年半かけて
「戦犯」と呼ばれる人たちを逐次解放していきました。最後の人が解放されたのは、58年8月30日のことです。
日本はサンフランシスコ講和条約違反はまったくしていない。律儀に守ったわけです。
本来であれば、独立後まで敗戦国を拘束するのは国際法違反です。
しかし、サンフランシスコ講和条約に調印する以外に、日本は独立しようがなかった。
仕方なく、条約に書いてあることを日本は守ったのです。
条約を律儀に守ったために、お父さんやお兄ちゃんが家族のもとへなかなか帰ってこられない。
そこで、戦犯釈放の署名運動が起きました。運動により、約4000万人もの署名が集まっています。
当時の日本の人口は7000〜8000万人でしたから、大人のほとんどが署名したということでしょう。
戦犯は釈放されるべきだという署名運動をリードしたのは日本弁護士連合会(日弁連)でした。
現在の日弁連は完全に左傾化しているため想像もつきませんが、当時の日弁連はまだまともだったわけです。
戦犯釈放のため、国会決議もなされました。共産党などのごく一部を除いてほぼ満場一致で、
「戦犯は釈放されるべきである」という国会決議がなされています。国会決議をすべく奔走したのは、
日本社会党(現在の社民党)の堤鶴代という女性議員でした。
この議員の活躍のおかげで、52年6月9日には参議院で「戦犯在所者の釈放等に関する決議」が、
同年12月9日には衆議院で「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」が採択されています。
同年4月30日には戦傷病者戦没者遺族等援護法という法律が制定され、
さらに6月20日には恩給法という法律が変更されました。
戦後軍人に支給された恩給は、犯罪人には払われないという決まりになっています。
弔慰金についても、犯罪者の家族には出さない。「戦犯」と呼ばれる人たちやその家族には、
恩給も弔慰金も払われなかったわけです。
しかし、戦傷病者戦没者遺族等援護法制定と恩給法改正により、
既に戦犯として処刑された人の家族にも、きちんと弔慰金が出されることが法律で決められました。
大橋武夫(法務院総裁=現在の法務大臣)は、国会で次のように答弁しています。

《いわゆる戦争犯罪人というものは、国内の犯罪とは性格的に違うものであります。従って、
その呼び方についても同じような呼び方をしないほうがいいと考えております。》

A級戦犯とかB級戦犯という呼び方は、適切ではないという答弁です。
こうした歴史的経緯があり、今に至っていることを知っておくべきでしょう。
現在も東条英機総理以下28名を「A級戦犯」と呼びたいのであれば、
そのための国会決議を通してからにしてもらいたい。
繰り返しになりますが、サンフランシスコ講和条約の発効時点で、
国際法上は「戦犯」など既に存在しないわけです。
戦後間もなく「戦犯」が収容さけていた巣鴨刑務所には、
彼らが気の毒だということで当時の芸能界の超一流どころが慰問に出かけています。(中略)
「A級戦犯はけしからん」と言うような人は、当時はほとんどいなかった。
そんなことを言っていたのは、ヘソが左側を向いた一部の人間だけです。
「戦犯には、戦争に負けた責任を取ってもらう必要がある。
日本人自身の手で戦犯を裁かなかったから、いろいろ問題が起きているのだ」という主張をする人もいます。
終戦直後の東久邇宮稔彦王内閣、幣原喜重郎内閣は、日本が自分の手で東京裁判を開き、
連合国の手を借りて戦犯の裁判は行わないことを主張しました。
しかし、ソ連の反対もあってGHQでは認められなかった。
日本がGHQの占領下にあったため、東京裁判を日本人自身の手で開くことはできなかったわけです。
結果的に東条英機総理以下7人が処刑されるなど、「A級戦犯」はGHQの手によって裁かれてしまった。
今ごろになって「日本人自身の手でA級戦犯を裁くべきだった」などと主張しても、まったく意味がないのです。
日本には、「A級戦犯」も「B級戦犯」も「C級戦犯」も存在しません。
連合国の側が勝手にそういう呼び方をしていただけです。左翼が勝手にそう呼んでいるだけなのです。
「A級戦犯が祀られている靖国神社に、総理大臣が参拝するのはおかしい」。
これまで何度も繰り返されてきたこの主張が、まったくのお門違いだということをおわかりいただけたでしょうか。

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