両陛下ベトナムご訪問

天皇・皇后両陛下、ベトナムで歓迎式典に出席
ハノイ=島康彦
2017年3月1日12時59分
ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は1日午前(日本時間昼)、
首都ハノイの国家主席府で行われた歓迎式典に臨んだ。ベトナムの子どもたちが両国の国旗を手に歓迎。
天皇陛下はクアン国家主席とともに、儀仗隊(ぎじょうたい)を閲兵した。
両陛下は式典に続いて国家主席夫妻と会見した後、隣接するホー・チ・ミン廟(びょう)を訪れて供花。
夜には国家主席夫妻主催の晩餐(ばんさん)会に出席し、天皇陛下がおことばを述べる予定だ。
ハノイに到着した2月28日の夜には、現地で活動する日本の青年海外協力隊員と懇談。
両陛下は予定時間を超えて26人全員に声をかけた。
皇后さまは「ベトナムの風にあたれて、時差も早くとれるわ」と笑顔を見せ、
天皇陛下は保健医療に携わる隊員に「後に続く人のために先鞭(せんべん)をつけられていいですね」とねぎらった。
(ハノイ=島康彦)
http://www.asahi.com/articles/ASK3133D2K31UTIL006.html

ベトナム公式訪問の天皇陛下 晩さん会でお言葉
3月1日 22時46分
ベトナムを公式訪問している天皇皇后両陛下は1日夜、首都ハノイの国家主席府で歓迎の晩さん会に臨まれ、
天皇陛下がお言葉を述べられました。
クアン国家主席夫妻が主催する晩さん会は日本時間の午後8時半から始まりました。
はじめにクアン国家主席があいさつに立ち、
「天皇皇后両陛下の御訪問が両国の友好協力関係に新たな春を与えるものと確信します」と述べました。
これに対し、天皇陛下は奈良時代から続く、日本とベトナムの交流の歴史に触れたうえで、
「近年、貴国では、日本語を教える小学校もできるなど、日本語学習への関心が高まっていると聞いています。
一方、我が国でも多くの企業がこの地での生産などに関心を高めており、
ベトナムに居住する日本人の数も今や約1万5000人に上っています」と述べられました。
そして、「両国民の交流がますます深まり、お互いの文化への親しみが増してきている今日、
この度の私どもの訪問が両国国民の相互理解と友好の絆を更に強める一助となることを心から願っています」
と、お言葉を締めくくられました。
晩さん会は両陛下と国家主席夫妻がメインテーブルにつき、終始、和やかな雰囲気の中、
2時間にわたって続いたということで、音楽プロデューサーの小室哲哉さんが以前、
訪れた現地の盲学校の子どもたちと一緒に、日本とベトナムの曲を演奏する場面もありました。
国賓としての公式行事はこれで終わり、両陛下は2日、かつて日本で学んだ元留学生や、
日本で看護師や介護士として働くことを目指している、ベトナムの若者たちと懇談されます。
また、第2次世界大戦中、当時のフランス領インドシナに進駐していた旧日本軍の兵士としてベトナムで終戦を迎え、
その後も現地に残ってフランスとの独立戦争に加わるなどした残留日本兵の妻や子どもたちとの面会も予定されています。
両陛下は今月5日までベトナムに滞在したあと、去年、プミポン前国王が亡くなったタイに弔問のため、
立ち寄り、6日、帰国されることになっています。

天皇陛下のお言葉 全文
この度、クアン国家主席閣下の御招待により、
皇后と共に貴国を初めて訪問することを誠に喜ばしく思っております。
今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、また、国家主席閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、
心から感謝いたします。
また、この機会に、私どもの子供である皇太子や秋篠宮夫妻が、かつてこの地を訪れました時に、
貴国の皆様から受けた様々なお心遣いに対しても深くお礼を申し上げます。
近年、国家主席を始め貴国の指導者が我が国を御訪問になり、
その際私どもに貴国訪問の御招待を頂いてまいりました。
そうした中で、今回、貴国を訪れることができたことを感慨深く思っております。
貴国と我が国の間では、昔から数々の交流が積み重ねられてまいりました。
歴史をたどると8世紀には、当時我が国の都であった奈良で大仏開眼の儀式が行われましたが、
その際、現在のベトナム中部にあった林邑の僧侶・仏哲により舞が奉納されたと伝えられています。
その時の林邑の音楽は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されています。
今回、かつて林邑が栄え、また、ベトナムの阮朝の都であったフエを訪問します。
その地で我が国の雅楽と源を分かち合うニャーニャックを聞くことを楽しみにしております。
また、16世紀から17世紀にかけては、国際貿易港として栄えたベトナム中部に位置するホイアンに、
我が国から多くの交易船が訪れ、日本人町もつくられました。
その後、我が国の鎖国政策により、貴国と我が国の交流は途絶えましたが、
20世紀初頭には、「東遊運動」の下、約200名の貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。
1973年に日越両国の外交関係が樹立されてから既に40余年、その間、両国の交流はますます拡大し、
現在我が国には、約18万人のベトナム人が留学生、技能実習生などとして滞在しています。
その中には将来、我が国で看護師、介護福祉士として活躍することを目指して、
病院や福祉施設で働きながら研修をしている約500名の人たちもあります。
明日、文廟において日本に留学していた人たちを始め、
日越両国の交流に携わる人たちとの会合の機会を持つこととなっており、楽しみにしております。
近年、貴国では日本語を教える小学校もできるなど、日本語学習への関心が高まっていると聞いています。
一方、我が国でも多くの企業がこの地での生産などに関心を高めており、
ベトナムに居住する日本人の数も今や約1万5千人に上っています。
日越両国において、それぞれの文化を紹介する催しも各地で開催され、
お互いの音楽や食事などを多くの人々が楽しんでいることを大変うれしく思っております。
両国民の交流がますます深まり、お互いの文化への親しみが増してきている今日、
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を更に強める一助となることを心から願っています。
ここに杯を挙げ、クアン国家主席閣下並びに令夫人の御健勝と貴国の国民の幸せを祈ります。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170301/k10010895381000.html

両陛下ベトナム訪問 ドクさん招きレセプション
毎日新聞2017年3月3日 大阪朝刊
【ハノイ山田奈緒】天皇、皇后両陛下は2日夜、ハノイ市内のホテルで
梅田邦夫・駐ベトナム大使夫妻主催のレセプションに出席された。
日本では「ベトちゃん・ドクちゃん」の愛称で知られる結合双生児として生まれたグエン・ドクさん(36)も招かれ、
両陛下と言葉を交わした。
ドクさんは、下半身が兄のベトさんとつながった状態で生まれた。
ベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられる。1988年に日本の支援で分離手術に成功したが、
ベトさんは2007年に亡くなった。現在、双子の父親でもあるドクさんはレセプションに妻とともに出席した。
http://mainichi.jp/articles/20170303/ddn/012/040/022000c

2017.3.2 09:42
陛下、博物館ご訪問へ 40年前寄贈のハゼ標本展示
天皇、皇后両陛下が2日に訪問されるベトナムの自然科学大学生物学博物館には、
陛下が新種を発見し、昭和51年に寄贈された同国産の「ウロハゼ」の標本が展示されている。
寄贈の背景には、「『現地の研究者が後に使いやすいよう、標本は原産国に置くべきだ』とする
陛下の強いご要望があった」(元側近)という。
陛下は主にハゼ類の分類を研究する魚類学者として知られ、
ミツボシゴマハゼ、コンジキハゼなどを新種として発表し、数多くの論文も発表されている。
このうちベトナム産のウロハゼの新種は当時、皇太子だった陛下が40年代に発見された。
メコン川流域のウロハゼの中で「孔器列(こうきれつ)」と呼ばれる感覚器官が、
不規則に並ぶ種があることに気づかれたという。
元側近は「陛下は研究にあたり『文献は読んでも、読まれるな』を信条とされていた。
時間が許せば何百個体を染色液に染めて顕微鏡に向かわれ、文献と照らし合わせていた」と話す。
ベトナム戦争終結後の51年、陛下は標本の1体をベトナム側に寄贈された。
新種に関する論文も、平成21年にベトナムを訪問された皇太子さまに託す形で、自然科学大に寄贈されている。
元側近は「標本は日越友好の象徴。40年余りの時を経て、
陛下は標本をご覧になるのを楽しみにされているのではないか」と話している
http://www.sankei.com/life/news/170302/lif1703020041-n1.html


天皇皇后両陛下 ベトナムで旧日本軍兵士の家族と面会
3月2日 16時49分
ベトナムを公式訪問している天皇皇后両陛下は2日、ベトナムで終戦を迎え、
その後も現地に残った旧日本軍の兵士の家族たちと面会されました。
ベトナムでの滞在3日目となる両陛下は、現地時間の午前10時すぎ、
11世紀にベトナム最古の大学が置かれた首都ハノイの史跡、「文廟」を訪ねられました。
ここでは、かつて日本で学んだベトナム人の元留学生や、
日本で看護師や介護士として働くことを目指している学生たち20人余りと懇談し、
両陛下は、終始にこやかな様子で、「日本語の勉強はどうですか」などと声をかけられていました。
介護福祉士の候補生として、ことし5月に日本に渡る、レー・スアン・チュンさん(24)は
「日本のお年寄りを助けて、両国の架け橋になりたいです。
天皇陛下から『待っていますよ』と励ましていただき、頑張ろうと思いました」と話していました。
続いて両陛下は宿泊先のホテルで、第2次世界大戦中に、当時のフランス領インドシナに進駐し、
ベトナムで終戦を迎えた旧日本軍の兵士、「残留日本兵」の妻や子どもたちと面会されました。
残留日本兵は、終戦後も現地に残ってベトナム人とともに、フランスとの独立戦争に加わるなどしましたが、
政治体制の変化などもあって、1950年代以降、多くが日本に帰国し、
ベトナムに残った家族は生き別れになりました。
家族たちは経済的に苦しく、さまざまな差別にも直面したということで、宮内庁によりますと、
両陛下は訪問前に家族たちのことを知り、面会を望まれたということです。
両陛下から「本当に長い間、苦労されましたね」とか、「くれぐれもお元気でね」などと、
いたわりの言葉をかけられ、涙を流す人もいました。
妊娠中に夫が日本に帰国し、3人の子どもたちを女手一つで育てたというグエン・ティ・スアンさん(93)は
「長年の戦争でさまざまな困難に遭いましたが、ご高齢の両陛下がわざわざベトナムを訪問して、
私たちに会っていただき感謝しています。両陛下がこれからもお元気でいてくださることを祈っています」
と話していました。

ベトナム残留日本兵の家族 厳しい生活
第2次世界大戦中、日本軍は中国への物資の支援ルートを絶とうと、1940年以降、
フランス領インドシナに進駐し、終戦当時も10万人近くの日本兵が現在のベトナムにいたとされています。
終戦後、そのほとんどが日本に引き揚げましたが、一部の兵士は現地に残り、
植民地支配を続けようとしたフランスからの独立を目指す「べトミン」に合流し、
教官としてベトナム人の訓練にあたったり、フランス軍との戦闘に加わったりしたということです。
こうした残留日本兵は当時、数百人いたと見られています。
しかし、1949年に中華人民共和国が誕生すると、べトミンは中国から大規模な支援を受けるようになり、
それまでべトミンとともに戦っていた残留日本兵は、次第に居場所がなくなったと元日本兵は証言しています。
残留日本兵の多くはベトナムの女性と結婚し、家庭を築いていましたが、こうした状況の変化を受けて、
そのほとんどが1954年以降、帰国することになりました。元日本兵によりますと、
帰国にあたって妻子を連れて行くことはベトナム政府が許さず、
多くの家族が日本とベトナムの間で離れ離れになってしまったということです。
さらにベトナム戦争が始まると、西側陣営の一員と見られていた日本に対する反感も強まり、
残された妻や子はさまざまな嫌がらせを受けたり、就職などでも差別されたりするなど、
厳しい生活を送ってきました。
こうしたことからベトナムに残された家族は最近まで、過去を積極的には明らかにせず、
また、日本に戻った残留日本兵たちも同様だったため、
戦後、日本とベトナムの間で引き裂かれた家族がいるという事実は、ほとんど知られていませんでした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170302/k10010896291000.html

2017.3.4 22:05
両陛下、ファン・ボイ・チャウ記念館ご視察
【フエ=伊藤弘一郎】ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は4日、フランス占領下で独立運動を担い、
日本で近代化を学ぶことをベトナムの青年に勧めたファン・ボイ・チャウの記念館を視察された。
これに先立ち、最後の王朝「阮(グエン)朝」(1802〜1945年)の王宮を訪問された。
記念館の敷地には、チャウの墓や、チャウが晩年を過ごした家を再現した邸宅がある。
両陛下はチャウの墓の前で頭を下げた後、机とベッドのみの簡素なチャウの邸宅をご覧になった。
記念館ではチャウの孫、ファン・ティエウ・カットさん(72)とも面会され、
天皇陛下は「ベトナムの独立に関わった日本との関係を伝えていくことは大変、喜ばしいことと思っております」
と話された。
王宮では、民族衣装のアオザイを身にまとった女性の出迎えを受け、
数々の戦争後も残った正門「午門」を通って正殿「太和殿」をご見学。
陛下は「ここは木造ですか。よく残りましたね」と感心されていた。
続いて劇場「閲是堂」で宮廷音楽「ニャーニャック」を観賞された。
民族衣装を着た若者の舞いとともに約8分の優雅な演奏が終わると、両陛下は大きな拍手を送られていた。
http://www.sankei.com/life/news/170304/lif1703040052-n1.html

2017.3.6 07:31
両陛下、タイ前国王ご弔問
【バンコク=伊藤弘一郎】天皇、皇后両陛下は5日、政府専用機でベトナムのフエから、
昨年10月に死去したプミポン前国王を弔問するため、タイの首都、バンコクに入られた。
両陛下は同日夜、王宮で、前国王の遺体が安置された祭壇を前に拝礼し、白い花輪に手を添える形で供花された。
続いて前国王の肖像画が掲げられた別室でご記帳。宮殿でワチラロンコン新国王と会見された。
両陛下は新国王側の意向で通訳を介さず、3人のみで会話に臨まれたという。
これに先立ち、両陛下は宿泊先のホテルで前国王の次女、シリントン王女とも懇談された。
前国王の葬儀は今秋にも営まれる見通しだが「両陛下の負担も考慮し、
ベトナムと分けての訪問は現実的でない」(宮内庁)との判断で、日本への帰途でのお立ち寄りとなった。
両陛下は6日、帰国される。
http://www.sankei.com/life/news/170306/lif1703060009-n1.html

2017.3.6 19:56
両陛下がベトナム、タイからご帰国
天皇、皇后両陛下は6日、ベトナム、タイでの6泊7日の日程を終え、
政府専用機でタイ・バンコクのドンムアン空港をご出発。同日夜、帰国された。
両陛下はベトナムでチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻との会見、晩餐(ばんさん)会への臨席などで
日越交流を深められた。また、先の大戦終結後、フランスとの第1次インドシナ戦争で指導にあたるなどした
残留元日本兵家族との面会も実現された。
タイでは長年交流があり、昨年10月に死去したプミポン前国王を弔問、ワチラロンコン新国王と会見された。
http://www.sankei.com/life/news/170306/lif1703060028-n1.html

2017.3.6 21:33
日本の足跡、再発見の旅 両陛下ベトナム、タイご訪問
昨年8月の譲位のお気持ち表明後、初めてとなった天皇、皇后両陛下の海外ご訪問。
多湿で35度を超える暑さの日もあり、両陛下の身体にはこたえたであろうが、
先々で「予想以上」(宮内庁関係者)の歓待を受けられた。
ベトナム・フエでは空港から約16キロの宿舎までの間、ほぼ途切れることなく沿道で地元住民が両陛下を出迎え、
日本国内各地へのご訪問と遜色ない光景が見られた。
今回のご訪問は、先の大戦をめぐる慰霊を目的としたものではなかったが、友好親善を深めるとともに、
日本と日本人の足跡を再発見する旅となった。
独立運動家、ファン・ボイ・チャウによる日本への留学を促進する「東遊(ドンズー)運動」は、
日露戦争に勝利した日本への憧れが端緒となり、日本人医師の支援で日越交流の礎を築いた。
フランスからの独立を目指した戦いで武器を取った残留元日本兵の存在は、
後にベトナムが主戦場となる東西冷戦で歴史に埋もれた。
両陛下が関連施設を訪問したり、残留元日本兵家族と面会されたりしたことで、
こうした秘められた日本の歴史が鮮やかに照らし出された。ベトナムからの留学生が平成28年までの5年で
約10倍に増えるなど盛んになった日越交流の源流を、日本国民に再確認させたものともいえる。
それは両陛下が日本国内と同様、分け隔てなく人と触れあう「不偏」の姿勢を示されたからでもある。
ハノイの文廟(ぶんびょう)での元留学生との懇談、残留元日本兵家族との面会は、
予定時間を大幅にオーバーしたが「少しでも多くの人と長く話し、相手に寄り添いたいというお気持ち」
(同行した宮内庁幹部)から、ほぼ全員と話された。両国の親善にどれだけ寄与したかは言うまでもない。
譲位をめぐる議論が本格化する中、両陛下の海外ご訪問は、これが最後となる可能性もある。
国民のために祈るだけでなく、政治や経済を越えて人と触れ合い、
心を寄せる「象徴」としての務めを、天皇陛下は見事に果たされた。(伊藤弘一郎)
http://www.sankei.com/life/news/170306/lif1703060030-n1.html