いま再び 皇太子さまに諫言申し上げます

WiLL2016年6月号
いま再び 皇太子さまに諫言申し上げます

加地伸行 大阪大学名誉教授(中国文学)
西尾幹二 電気通信大学名誉教授(ドイツ文学)

皇室に対する国民感情はもはや無関心から軽蔑に変わっているのでは?

皇后のご覚悟
――雅子妃について相変わらず深刻な情報が相次いでいます。
ご公務欠席の多い状況を心配する皇后陛下が昨年末の天皇誕生日の夜、
宮中での食事の後に雅子妃を別室に呼び込まれる形で、
「本当の病と、自分が病とおもっているものは違う」
「小和田家と皇室というのは文化が違う」ということをお説きになったといいます。
(『週刊文春』平成28年1月21日号)。
ここからは皇后陛下のなみなみならぬご覚悟がみてとれます。
この記事について宮内庁は抗議したそうですが、スクープ続きの有力週刊誌の記事だけに
「ウソけと断じることもできないでしょう。メディアが週刊誌以外にまともに取り上げていないくせに、
週刊誌の記事だからいい加減だと頭から決めてかかるのは大間違いです。
さらに同誌4月14日号では、雅子妃の昼夜逆転の生活ぶりと、
真夜中に続けられる懐中電灯を手にした散策のご日常が報じられました。
皇室関係者はかなりの危機感を持っていることが伺えます。

加地
西尾さんが最初に皇太子ご夫妻について「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」を
『WiLL』(平成20年5月号)で発表してから、適応障害とされる雅子妃の状況を含め、
皇室の様子は八年経っても努力の跡が見えませんね。
前出の『週刊文春』(4月14日号)でも報じられていましたが、
4月3日の神武天皇没後2600年関連の行事が象徴的でした。
天皇皇后両陛下は奈良県橿原市の神武天皇陵に随行された秋篠宮ご夫妻とともに参拝されましたが、
皇太子ご夫妻は皇居の皇霊殿に参拝したにとどまりました。
関西の新聞では、陛下や秋篠宮殿下が大きく扱われた隅に、皇太子ご夫妻の記事が添えられているという状況でした。

西尾
雅子妃の行動が皇室行事全体の運営に何かと支障をきたしていることは
関係者の共通の認識になっているようですね。

加地
西尾さんの指摘がなければそこまでいかなかったかもしれません。

西尾
皇后陛下も皇太子ご夫妻をいつも心配されていて、
近しい方々には「東宮(皇太子)をよろしく」というお言葉が何度もあったと言います。
雅子妃の病状は多少の改善があるという話もありますが、十二年ぶりに出席された園遊会(平成27年11月)でも、
おいでになったが、そこにいらっしゃったのは四分間だけ。
陛下が「しばらくみなさんとご一緒に…」とおっしゃったにもかかわらず退席されました。
たしかにうつ病は回復が難しい。南朋っているうで、治っていないことも多いと聞きます。
ご病気だからという同情の声ももちろんありますが、妃殿下は公人で、ご病気はご自身を傷つけていますが、
皇室制度そのものも傷つけていることを見落としてはなりません。
国民の中でも心ある層は将来の皇室の行方を大変に憂慮しています。今上陛下も最近特に心配されています。
問題はまず、担当の精神科医がすべてを握って、国民への説明をなにひとつせず、そのままになっていること。
ここ十数年そのままなのです。

記者会見でも「雅子」「愛子」
西尾
民間では心配する人が少なくなく、雅子妃殿下の御病気を巡って『文藝春秋』(平成20年4月号)が
十七ページの大座談会を開き、その中で斎藤環医師が発言されたことばが恐らく唯一の公開された医学的診断です。
斎藤氏は長短合わせて二十五回もの発言をなされ、患者を守る立場から、
「皇太子は自分の一番の関心が妻なのだと言いつづけることが妻の病状にプラスになる」
「妃殿下が皇居へ参内したがらないのはよく知られているが、治療という観点から参内を控える判断は妥当だ」
「皇太子が一人で頻繁に皇居に出かけるのはよくない。まして娘を連れて二人だけで参内するのは
妻の病気を重くする」等々はわれわれにとって衝撃でした。
斎藤氏は「反応性のうつ病」という診断を下しました。
今にしては氏の判定は正しく、皇太子殿下はここで述べられた判定の示すとおりに、
さながらそれに縛られたかのごとく、その後もずっとこの同じ行動をなさってきたように思えます。
言いかえれば殿下は妻の病状に寄り添うように生きてこられて、国家や国民のことは二次的であった。
皇位継承後もこうであったら、これはただことではありません。
古河市日本大震災の被災地に行っても被災民を気遣うより、雅子妃に配慮した発言が多くなっています。
「雅子がよくやってくれた」というようなお言葉を必ず付け加える。
妃殿下が被災地の見舞いに特別によくやられたように国民の目にはまったく見えないのに、
こういうお言葉がでるたびに、皇太子殿下は自らを軽くし、自らの尊厳を傷つけています。

加地
皇太子殿下の一番新しい記者会見は2月の五十六歳の誕生日の会見でしたが、違和感がありました。

西尾
「雅子」「愛子」という言葉がそれぞれ九回、八回出てきました。
皇太子殿下のご心中を察するに象徴的でした。
斎藤医師は「環境調整が治療に一番よい」、いいかえれば皇室という環境がいけないということです。
皇室がいけないんだと言っているのです。陛下がお怒りになったという話もあります。
また、「症状は軽い」とも診断されましたがこれ実は大変なことなんです。軽いということは「慢性」です。
快癒を期待できない慢性的な病状がたらだらとずっと続くということを意味します。
皇室の機能を損なう深刻な状況です。国民と皇室を傷つけている。
皇太子殿下も宮内庁も医療関係者も、総理大臣も知らん顔をしているのはまったくもって遺憾ですね。

無関心から軽蔑へ
加地
これまでは「国民が皇室に無関心になることを恐れる」という問題が論じられていましたが、
今はそれを超えて、内心では、国民は皇室を軽蔑しているのではないでしょうか。
タレントの噂話と同じレベルで皇室の話をしている感じがあります。
庶民が表立って「蔑視発言」をすることはないでしょうが、
いまや皇室のイメージが、ゼロならまだいいが、マイナスの方向に向かっているように見えます。

西尾
無関心にも二種類あって、天皇のご存在に国民が日頃強い関心を持たないのはある意味で健全かもしれません。
あまりに過度の関心を持つ時代は幸福ではない。けれども、それとは違う関心、無関心があります。
健全な無関心ではない。根源的な無関心です。
学校教育の中で皇室について何ひとつ教えられないで七十年たちました。
「ついに天皇制が国民投票で廃止されたんだって」と言われても、「あ、そう」で終わる人々がいるのではないか。

加地
そうですね。今の日本ならその可能性があります。

西尾
天皇陛下が御心配の余り、ご自身で動き出していらっしゃるように思います。
一所懸命にご公務をお務めになっているのは、「こういう風に国民に向かって語りかけるものなのですよ」と
皇太子殿下に自ら身をもってお示しになっているのだと思います。
それはもう限界を越えるほどまでになっている。
秋篠宮は支えようとなさっているが、皇太子は余りにクールです。

加地
雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族にご興味があるようです。
公務よりも「わたくし」優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、
という発想が感じられます。新しい打開策を探るべきでしょう。
いまは雅子妃が自分を突出させるのをお止めすることができない状況です。

皇太子殿下は摂政に
加地
私の考えでは、皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればいい。
ただし、皇太子はやめるということです。
皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。
しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。
秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよいのでは。
新しい宮家を増やす必要はありません。そして陛下は皇室祭祀に専念なさる。

西尾
皇太子殿下が同意なさるでしょうか。
ご幼少の頃から不可侵なご存在だと言われつづけ、ご自身もそう思っておられるのではないか。

加地
日本にとって大事なのは、皇太子殿下ではなくて皇室です。

西尾
もちろんです。ただ、国民がそう思っていても、ご本人が思っていなければ手の打ちようがありません。
今上陛下がお元気なうちに断を下しておいて頂けると有難いのです。
『週刊新潮』(平成25年6月20日号)で一つの注目すべき記事が出ました。
天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の頂上会談があり、次代はまずは皇太子殿下にご即位いただき、
その後速やかに悠仁親王殿下に皇位を継承していただくという方向に決したという趣旨でした。
「幼帝」ですね。「幼帝」は歴史上いくらでもあることです。

加地
皇室典範には退位について書かれていません。不備があるとみいえるので、
退位論が出ても皇室会議が認めるかどうか。

西尾
皇室会議に皇太子殿下は入っていません。ほかの皇室の方々は入っているのに。
いきさつは知りませんが、プラン通りにいったん即位して、
すぐに退位して悠仁親王に即位していただくというプロセスが本当にできるのかどうか。
いずれにせよ、頂上会議で「幼帝」という話が出てそれは私も名案と感服しました。
読んだときは、陛下もついにそのご決断をなさったかと感銘を受けました。
でも、その後続報はありません。

「もっと公務をしなさい」
加地
心ある皇室関係の方々は、なぜこんな状況になったかとお嘆きとお聞きしています。

西尾
それは明らかに小和田家の影響ですね。皇室に一般人の自由を持ち込み始めている。
皇室の行事にはたいてい欠席する雅子妃が妹一家とは頻繁にお会いになっている。
平成15年(2003年)から祭祀にはいっさいお出になりません。園遊会にも、新年祝賀の儀にも、
歌会始にも、講書始にも、赤十字の集いにも、多くの宮中晩餐会にも、そして庭先の奉仕団へ
ご挨拶にも出られないのに、スキーだけは休まない。そういうことが国民を傷つけています。

加地
個人主義の名を借りた利己主義です。もっとも、近ごろはそれでいいと肯定する世代も増えてきています。
伝統的皇室のイメージを持っているのはわれわれ老人だけなのかもしれませんね(笑)。

西尾
今の若い人にはただのセレブになっちゃっているんですよ。もはや皇室ではありません。
英国ではエリザベス女王がキャサリン妃に「もっと公務をしなさい」と叱りました。
メディアも声を上げます。ヨーロッパの王家がお式なら、こういうことも学習なさるべきです。
皇室も一般人と同じでもいいじゃないか。雅子妃も自由に活動すれば、という
リベラルな意見もあるだろうが、それならば皇太子妃はいらない。特別なご存在ではなくなるから。
皇太子殿下は一般人と同じようにふるまうと国民が喜ぶと思っていらっしゃる。
拍手される存在になるには妻子に対する毅然とした態度をお見せすることが大切なのに、
わざと甘いパパななろうとする。愛子さまがお小さいときにはうさぎ跳びであやすところを見せたり、
Vサインをしたりというシーンもあった。
昭和天皇は戦後に全国を回られたときにどうふるまっていいかわからずにただ帽子をお振りになった。
それをみんな喜んだ。その不器用さに真心が感じられた。その時代とは違うが、今上陛下には、
的確に国民の空気を読んだ発語がある。どこに何があるかをご覧になっている。
皇太子殿下も発言なさるけれども、どこかピントが外れている。国民の無言の感情を踏まえていない。
「雅子が」「愛子が」となるから、感服させられる言葉が聞こえてこない。

幻夢空間の宇宙人
加地
雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。
ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。

西尾
雅子妃は不思議な存在になってしまっている。一般人は生活と義務、制約があって不自由な暮らしをしています。
勤め先から休暇をとるときも大変な気配りをします。
皇室の中心にも生活があるし、天皇陛下にも皇后陛下にも義務があります。
しかし、それは一般人には経験のできない権利でもあり、喜びでもあるはず。
その代わりに一般人の自由は捨てているのです。
今上陛下には自分は若い頃から一般人の自由は許されないものだと知っていた、という意味のお言葉があります。
美智子皇后は、「ただの一度でいいから古本屋に行ってみたい」とおっしゃったということです。
学生時代の気侭な自由の時間をもう一度試してみたいという意味でしょうが、それは許されません。
皇室という空間で生活し、儀式を守ることに喜びを見出さければならないのに、小和田家がそれをぶち壊した。
これまでの皇室とは別の尺度が可能だという幻想を与えて送り込んだ。加えて、適応障害でうつ病なら、
何をしてもいいんだよとなってしまった。一般人の自由や不自由がないし、皇室の自由・不自由感もない。
夢幻空間の宇宙人みたになっています。自由といえば自由だけど、自由でないといえば自由ではない。
かわいそうといえば、かわいそうですが。

不敬極まりない小和田家
西尾
昨年末の『週刊文春』(27年12月31日号)で雅子妃の母優美子氏のコメントとして次のように載っています。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、
演技はできない。何かあると『小和田が悪い』と言われるけれど…。日本も皇室も変わらなければ」

加地
小和田家のために、また一皇太子妃のために、なぜ皇室が変わらなければならないのですか。
不敬極まりない言葉ですよ。皇室は日本国・日本人のために不動の地位があるのです。

西尾
「変わらなければ」という意識は必ず皇太子ご夫妻にもあると思う。ご夫妻は国連に関するお仕事に
ご関心があり、特に皇太子は「水」にご興味があるようで、「水」に関する演説を国連でなさっている。
雅子妃は国連大学に以前から熱心でした。いずれも小和田氏の影響だと思いますが、
私たち国民は祭祀をする天皇を尊重していて、日本国国連特別代表のような政治的なお役目を期待していません。
このままいくと、さらに進んで小和田家が皇室から宗教的意味合いを取り除いていく方向に持っていくことも
不可能ではありません。祭祀をしないのは天皇ではない。

加地
逆に言うと、雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていていただきたい。
それが皇室の在りかたなのです。

西尾
陛下のご公務は多いと思いますか?

加地
多いですね。国際学会のごあいさつなどはお出ましにならないほうがいい。
現在の公務の半分は減らせると思います。皇室は<開かれた皇室>ではなくて、
可能な限り<閉ざされた皇室>であるべきです。

西尾
陛下は国民の前に自分の役割を一所懸命お見せになろうとしている。太平洋戦争の激戦地の慰霊、
東日本大震災の慰問をなさっている陛下のお姿はありがたい限りですが、
これが次の世代にどうなるのか不安です。ことに皇后陛下と雅子妃には天と地の差がある。
落差があまりに大きいので、それが皇室の危機になる。

加地
これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、
皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。
そのためには先ほど申し上げたように、皇太子殿下が摂政になることです。
摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。
摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要は全くありません。雅子妃が矢面に立たないためには
そうするしかありません。

西尾
矢面に立たないようにしてあげる、ということがたしかにとても大切ですよね。
皇太子殿下が妃殿下をどこまでも守りたいというお気持ちが強いなら、加地先生が仰るように
殿下がご自身の立場をお変えになることです。
それ以外に、妻と国民のどちらかを傷つけないで済ますことはできません。

日本に独裁者が出ない理由
加地
歴史を振り返ると、日本でもスターリンや毛沢東といった独裁者が出てくる危機がありえましたが、
皇室があるためにそのような独裁者は出なかった。ものすごい抑止力があります。
天皇を上回る独裁者になろうとしてもなれなかった。この一点だけでも存在価値は大きい。
国民はなんとなく「天皇を上回る権力者は出現しない」と知っています。最大の危機管理ですよ。
日本政治の安定のためには皇室は必要なんです。

西尾
天皇制ファシズムという言葉を左翼が持ち出したが、天皇制があったからファシズムにならなかったのです。
日本には総統も大統領も生まれません。英国風の議会主義です。
天皇は武家政権とは常に戦わず、それでいて宗教的権威だった。
ですが、ここに今、大きな落とし穴があるのです。戦後、武家政権に代わったのがアメリカです。
アメリカの軍事力が日本の権力の源泉です。としたら、天皇の権威はアメリカの権力をすらも越えるのか。
日本の信仰は、外国の軍事力をどう乗り超えるかという実験が行われている。
国民がどういう選択をするか、決着は五十年後になるでしょう。米国が衰退するかどうかわかりませんが、
日本が本当に独立したとき、天皇はどうなるのか。明君でなければ乗り切れません。

加地
制度と解釈の違いをうまく使うのが日本人です。征夷大将軍は律令制の中にはない令外官だった。
原則と現実とのバランスをうまくとってきたのではないでしょうか。
現在の日本では天皇陛下は解釈として全権を内閣総理大臣に与えています。
その解釈論は機能していて、安倍首相がどんなに頑張っても天皇にはなれません。
この制度と解釈とのよきバランスをきちっと継続していけば、独裁者や絶対的権力者の登場は防げる。
皇室は祭祀を中心に行っていけばよいと思います。

西尾
まつりごとを中心にして制度と解釈により国家を導いていくということが国民の合意として存在していれば、
政治権力と遠いところにいて政治を無言のうちにコントロールするというこれまでどおりの存在で
何とかしのいでいけるというご意見には賛成です。

「国連大学」行事は公務か
西尾
雅子妃が国連大学に特別の興味をお持ちということも非常に問題です。
古森義久氏『国連幻想』によると、この組織は左翼の巣窟で、慰安婦問題追及セミナーなどを開催していた。
戦後の設立時に、ほかの国が国連と大学というミスマッチに手を引いていく中、日本は国民の
センチメンタルな国連万歳主義をあおり立てて巨額の資金を投じて引き受け、今でも毎年多額の負担をしている。
性奴隷という言葉を使ったのも国連大学。クマラスワミ報告にも関係がある。
そのような環境に足繫く通うのは理解できません。
雅子妃は何もご存じでないまま、国連大学の行事に行かれているとは思えませんが、
妃殿下はこれを公務としています。

加地
特定の組織や団体や個人に肩入れするのは、皇族としておかしいですね。

西尾
問題はやはり小和田家です。父親の恆氏が国連の司法機関である国際司法裁判所の判事になられた時に、
私はそれを歓迎しないという意味のことを、『週刊朝日』に書きましたし、『諸君!』誌上でも発言しました。
案ずるかな、間もなく、領土問題や捕鯨の問題が起きた。
皇室に悪い影響を与えそうな分野にはできるだけ近づかないのが妃殿下を皇室に送り出した父親の心得なのでは。
身を慎み出家のような覚悟をすべきお立場なのでは?
それを徹底していたのが皇后陛下のご実家である正田家です。
ご父君はそれを模範とすべきと思っているが、そのふるまいは直らない。
週刊誌に皇室批判が出ると「自分たちが悪く言われるのは心外。皇室が変わらなければいけない」という。

謝罪マニアの小和田氏
加地
本音かもしれませんね。しかし、一般庶民でも、娘の嫁ぎ先に口出しをするのは珍しい。
まともな家なら、婚家に遠慮しますよね。

西尾
天皇より俺の言うことを聞けという感じ。
小和田氏が外務次官だった時代に、天皇皇后両陛下が即位後初めての海外訪問として
平成3年秋に東南アジアをまわられたことがあります。最初の訪問先がタイだったのですが、
当時タイ大使だった故岡崎久彦氏が、
亡くなる少し前に『読売』(平成26年7月2日)に次の様な証言を残しています。

<外務省本省からバンコクで予定されていた天皇陛下お言葉として、
真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が来た。私は反対でした。
タイには日本に謝罪を求める気持ちなどないことを知っていましたから。
タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。
抵抗していたら小和田恆次官が、これで勘弁してくれって言ってきたのは、
天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。
そして最後に、全東南アジアに向けての発言として、
「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、平和国家として生きることを決意」という
言葉を述べていただくことにした、という。
この箇所は、タイではなく全東南アジアに向かって言う部分なのだから、タイ大使としては反対しにくい。
私は一時、辞表を書いて抵抗することも考えたけれど、それで黙っちゃった。
最初の案を書き直させただけでも意味があったのかなあ>(同紙面より引用)

小和田氏は外務官僚に例の多い一種の“謝罪マニア”で、
このタイへの対応が、天皇の訪中と対中謝罪につながったとみるべきです。
取り返しのつかないことをしているのです。
岡崎氏の決意の遺言とみるべきでしょう。

加地
外務省はルールを知りませんね。講和条約やそれに類するものを結ぶということは、
その締結後は、お互いに不平不満はあっても、合法的にはもう非難したり論じ合ったりしないということです。
しかし、日本は自虐的になってそれを守っていない。同じく中国や韓国ドラマも加虐的に守っていない。
それらを正常化するのが外務省の役目ですよ。

外交官は接待係だ
西尾
小和田氏の件に限らず、外務省に対しては不満や疑問が世に渦巻いています。
根本から変えてもらいたい官庁です。採用試験から見直すべきです。入省したら若いうちに
歴史教育をやり直しし、外国には媚びるのではなく戦うものだということをたたきこむ必要があります。

加地
以前、外務省改革案を書いたことがあります。政策はもちろん日本政府が握り、
外国との実務上の交渉自体はお雇い外国人にまかせるべしというものです。
日本人では押しが弱くなる場面でも、顔色一つ変えず厚かましく主張できる外国人を雇えばいい。
そしてプラスを獲得した後に本隊が登場して交渉に入るのです。

西尾
今の外交官は、自分が貴族だと思っていますね。交通が不便な百年前は全権大使だったわけですが、
今は外交の中心は政府が直接握っている。外務官僚はただの接待係です。
命がけで現地の情報を手に入れるスパイもとぎの血のにじむ努力を今の外務省はやっているのだろうか。
そもそも愛国心があるのだろうか。

加地
英語もローマ字発音。あの程度の英語力じゃ恥ずかしい。

西尾
天皇家はそもそも民主主義や平等とは無関係の伝統に根差しています。
にもかかわらず、雅子妃により近代化の象徴である学歴尊重や官僚気質というものが皇室に持ち込まれた。
愛子さまに礼儀を教えるよりも一所懸命勉強しなさいと教えられています。
皇太子殿下が口にした「公務の見直し」「時代に即した新たな公務」「プライバシー」「人格」などは
小和田家が持ち込んだ言葉です。これまでの皇室の言葉にはありません。
愛子さまはディズニーランドに行っても行列に並ばなくてもいい。それはなぜかを教えなければならない。
自分は一般人とは違うのだから、欲望は抑えなければいけないなどと自然に、気付かせるべきです。
皇室では本来、「人をじっと見つめてはいけない」「指をささない」「後ろを向いてはいけない」
「ゆっくりしゃべる」といったことから皇室の存在意義まで徹底的に教育されていました。
今の陛下がそれを体現しています。

加地
皇太子一家は絶望的としても、秋篠宮悠仁親王殿下には正統的な教育をしていただきたい。

西尾
皇室の教育は特別なんです。東大を目指す必要はない。東大に行くための勉強は皇室には役に立ちません。
昭和天皇が二十の皇室教育を受けたとしたら、今上陛下は十くらいでしょう。
皇太子に至ってはゼロに近いのではないか、と皇室に近いある筋の方から聞きました。
今上陛下は自由に遊べなかった。学校から帰ると各種の先生が待ち構えていて、
勉強以外のことをたくさん教えられていた。

加地
悠仁親王に期待します。皇族、しかも将来の天皇としてのまっとうな教育を受けていただきたい。

西尾
宮内庁にその発想はありませんね。各省からの代表が来て成り立っている省なので、
安倍首相の政治力で変えてもらわなければ。安倍さんは総理になる前に旧宮家の復活を
提言してしたこともありますから。男系継承を制度的に安全なものにしてもらいたい。
そもそもいままの天皇家は江戸末期に昔からつづく宮家から血統を緊急に受け継いだお血筋なのてすよ。
GHQに破壊された旧宮家のお役目を今こそ一日も早く復活させてもらいたい。
今われわれの存じ上げている天皇家の方々が天皇家のすべてではないのですよ。

歌を詠めない妃殿下
西尾
メディアにも問題がある。面白がって若い女性皇族を追うばかりで、
一番重要な雅子妃問題には誰も見向きもしなくなった。しかし庶民は気付いています。
主婦たちが「雅子妃は一日中何をしているんだろう。ひまを持て余していないのだろうか。
美術展や音楽会も皇太子殿下が一人で行くことが多い」。実際、ご自分でなさるのはスキーとテニス。
皇室に欠かせないの歌を日々作ろうとなさっているのだろうか。
高学歴のはずなのにライフワークとしての仕事もありません。

加地
国文学者であり歌人でもあった折口信夫が書いた文章に
「陛下の御製のような歌は一般のものには作れない。御製は中身がなく、<無>のさまである」というものがあります。
一般人が作ろとどうしても個性的・個別的になる。雅子妃は歌会始でご家族のことを詠むことが続きました。
<制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり>(平成21年)はその例です。
自分のことを詠っている。それは庶民の歌であって、皇族の歌ではありません。
皇族にあられる方は何もない歌を詠む境地に自然と向かうものです。

西尾
雅子妃は伝統文化に拒絶反応をお持ちのようですね。親の影響でしょう。
小和田家の他者に対する優越感は国際的な活動をしてきたことなのです。
平成16年に、つまり「皇太子とまに敢えてご忠言申し上げます」を出す四年前になりますが、
御成婚後三年たっている頃に、私は雅子妃のうつ病を予言し、言論誌で発表しました。
一般社会で勝ち抜いてきた家系の方が皇室という環境に入ったらうつ病になるのは当然だと思ったからです。
そのときの私が提案したのは、銀座にでも事務所をもっていただいて、政治以外の問題で
ご発言なさったり、知的な活動をなさったりしたらいいのではということです。言論誌に論文も書かれたらよい。
内容について批判されることも当然あるでしょうが、それはそれでよい。
ハーバード大学や東大など素晴らしい学歴をお持ちなのだから、その能力を生かすべきです。
さもないとうつ病になられますよ、と。予言が当たったのは不幸なことです。
けれども皇室という環境だけがご病気の原因ではないでしょうから、予言が当たったとは言えないかもしれません。

加地
雅子妃の病気が治るのかどうか、誰もわからない。皇后陛下は心配なさっていると思います。
宮中では、細かな不具合や不都合がもっとあると思います。庶民が知らないだけ。

西尾
皇室にごく近い人物から手紙をもらいました。東宮家での雅子妃の日常の振る舞いが
きわめて具体的に書かれており、私は正直おののきました。宮内庁でも閉塞状況ですね。

愛子さまは笑わない
加地
テレビ画面に見える限り、愛子さまは笑わない。

西尾
もし雅子妃が精神のご病気なら、愛子さまがもっと幼いときに母子を引き離すべきなのに、誰も進言しない。
数年前の雅子妃の病状発表のときにもご本人が発表文を点検し、訂正や発表遅延がありました。
そしてご本人の修正を経て出てきたのは、当たり障りのない文面でしたね。
主治医はこのとき何か訴えようとしたのかもしれませんが、以後再びだんまりで、情報統制です。
一方で、妃殿下は気に入らない教育係や宮廷勤めの女性を次々に追い出すようなことが続きました。

加地
日本では、特に皇室は家族主義が基本なのですが、今は個人主義か幅をきかせている。
その縮図を見ている気がします。日本が維持してきた家族主義を崩している象徴では。
しかも崩しているのは、個人主義ではなく利己主義です。その縮図が皇室にあることを強く憂います。
皇室は日本の象徴です。
「新しい」とか「人格」などという前に、歪んだ社会を正す存在になっていただきたいですね。
今回の私たち二人の意見は、非難ではありません。諫言です。
平安時代から昭和天皇に至るまで、皇太子ならびに皇族は、幼少のときの学業において、
儒教の重要文献の『孝経』を学ばれました。その第十五章は諫争章で、天子にとって臣下の諫言が
大切であることを説いています。皇族の方々に、ぜひ『孝経』をお読みになられることを希望してやみません。