文仁親王殿下お誕生日に際し(平成23年)

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成23年)
文仁親王同妃両殿下の記者会見

会見年月日:平成23年11月22日
会見場所:秋篠宮邸
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h23.html

問1 両殿下にお伺いします。今年は,未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生し,
さらに台風被害が相次ぐなど,自然災害で多くの国民が犠牲になりました。
東日本大震災では,両殿下も各県の被災地にお見舞いに行かれ,
眞子さまも夏休みに被災地でボランティアをされたと聞いています。
被災地のお見舞いで印象深かったことや,今後どのように被災者に心を寄せていかれるのかについてお話しください。
大震災の発生当時,ご家族がどのようにお過ごしだったか,
こうした大きな災害があった際の皇室の役割についても,お考えをお聞かせください。

殿下
3月11日に東日本大震災が発生し,多くの人々が亡くなり,また行方不明になり,
そして今でも大変多くの人たちが困難な生活をしております。
震災が起きてしばらくしてから,私たちも最初は被災地ではなく,
被災者で東京を始め他の県に避難している人たちのところへお見舞いに参りました。
その後,被災地の方へと行ったわけですけれども,今回の被害が非常に広域にわたっているということから,
まず,被災地の中でもどこに私たちが行くべきかということを考えました。
そして,こちら二人(両殿下)が何らか縁のある場所,縁のあるというのは,
その地域に縁えにしあるということもありますし,また,二人とも幾つかの団体に関連しておりますので,
その関連する団体に関する,そういうところを中心に行こうということになりました。
そして,東北地方を回ったわけですけれども,印象に残っていることと言えば,私はやはり,
それまでテレビなどの報道を通して流れてくるニュースはもちろん見ていたわけですが,
実際にその場所に行って目の当たりにすると,
私たちが行きましたのは震災からしばらく経たってからのことではありますけれども,
いまだに倒壊した家屋がたくさんあり,その当日の被害の大きさというものを改めて実感しました。
そのことが最初に強く印象に残ったことです。また,そういう大変な状況の中にあって,
私たちが接した人々というのは,本当に限られた僅かな人たちですけれども,
その人たちが非常に前向きな姿勢で一日一日を過ごしているという印象を持ちました。
さらに多くのボランティアの人が活動している場面にも接しましたし,
自衛隊員の人たちが作業をしている場面を見かけることもありました。
非常に多くの人たちが,震災に対して誠意を持って接している,
手伝いをしているということが印象に残っております。
そして,もう一つ,私の印象として強いものは,私は1990,多分99年でしょうか,
今回大きな被害のあった岩手県の大槌町に大学(総合研究大学院大学)のプロジェクトの研究会で行きました。
そして,それから3年後,2002年に今度は,確か,
「自然と共生するまちづくりシンポジウム」だったと思いますけれども,
シンポジウムのパネリストとして行っております。その折には,家族も途中から合流しておりますが,
今回,大槌町と山田町に行きましたときに,そのシンポジウムのときに会ったとか,
シンポジウムに自分も参加していた,そういう人たちが非常に多かったことに私自身も驚きました。
これだけ多くの人たちと,その場所において,
同じ空間で,同じ時間を過ごしていたということを改めて認識しましたし,
その人たちにも再び会えたことをうれしく思いました。
その次は,被災者の方々にどのように心を寄せていくか,ですか。
やはり,今回の震災(の復興に向けた取組)は非常にこれから時間もかかり,長期的なものだと思います。
したがいまして,長期的な視野で今後の復興を見守っていきたいと思いますし,携わっていきたいと思います。
そして,末長く被災された方々に心を寄せていきたいと考えております。
また,ちょっと質問と順番が変わるかとは思いますが,
こういう大きい災害が起こったときの皇室の役割についてですけども,
私は皇室の役割,それから,私でも家内でもいいのですが,皇族個人の役割,
その二つは少し分けて考えた方がいいように思います。
皇族である個人の役割というのは個人によって違ってくると思いますし,
それぞれのやり方があると思いますけれども,皇室の役割ということになりますと,先ほど申しましたように,
被災した地域の復旧・復興を長期的な視野で見守っていくことであり,
被災者に対しても末長く心を寄せていく,そういうことではないかと思います。
3月11日のその日,地震が起きた時は,私たちはちょうど来客中でありました。
最初,それほど大きくない揺れでしたですね。
ただ,ずうっと揺れが続いて非常に途中から大きくなってきたものですので,
私たち二人と話をしていたお客さんと一緒に一時いつとき,外へ避難いたしました。
(妃殿下を振り向かれて)私だけか。

妃殿下
(殿下をご覧になって)私は子どもの様子を・・・

殿下
(妃殿下をご覧になって)ああ,そうだ。私とお客さんは外に出まして,
家内は子どもたちが家の方におりましたので,そちらの方の様子を見に行きました。
そして,しばらくしてから部屋に戻ったわけですけれども,
その後は基本的にニュースを見ながらそのときの状況を知ろうとしておりました。
私からは以上です。

妃殿下
今年は国の内外で,規模の大きい自然災害が起こり,心の痛むことの多い年であったように思います。
ご質問が幾つかございますが,(少しお考えになって)私の場合は,地震が起きた当日のことをふり返りながら,
少し順番は変わるかもしれませんが,当時のことをふり返りながらお話をさせていただいてもよろしいでしょうか。
(記者の同意を得て)3月の11日,震災当日,先ほど宮様がお話しされましたが,
私たちは宮邸におりまして揺れを感じました。
状況を把握するために,ニュースを見たりしながら過ごしておりましたけれども,
報道から非常に規模の大きい地震,津波,そしてその後に原発事故と複合した災害によって,
多くの尊い命が失われ,また,行方不明になられた方々,大切なものを多く失った方々がいらっしゃって,
たくさんの方々が,本当に私たちでは計り知れない深い悲しみと強い不安を持ちながら過ごしていることを知りまして,
胸が塞がる思いがいたしました。
こうした災害時において,宮様もお話をされましたが,被災された方たちのこと,
困難な状況にある方たちのことに対して思い続けていく,
心を寄せていくことは(皇室の役割として)非常に大切でございます。
震災後,宮様と一緒に私は,被災状況をなるべく理解できるようにと思い,関係者からお話を伺いました。
また,それとあわせて避難所や被災地の学校,施設を訪れました。
少し宮様が話されましたことと重なりますけれども,
訪れた場所は,私たちが以前から関わっている団体が活動している地域を中心に参りましたが,
訪れた先では,大変困難な状況の中であってもお互いに助け合い,
支え合いながら生きている人々の姿を目の当たりにして,
私たちが大きな力を頂きましたり,勇気づけられることも度々ございました。
また,この震災では国の内外から本当に多くの心温まるお見舞いや励まし,そして支援が行われてきました。
自分に何ができるかしらと思われた方も多くいらしたと思います。
大きな団体や組織,それから学校から個人のレベルまで様々な形で,
被災地,そして被災者に対して献身的な支えをしている人々の姿が多くございました。
私が携わっております結核予防会も,震災直後から委員会を立ち上げまして,被災地の人々の健康を案じ,
医療機関と共に連携しながら被災地での医療,そして健康支援を夏まで行いました。
宮様と訪れた場所でも,結核予防会の活動を見せていただき,お話を伺わせていただいたところもございます。
また,母子愛育会という私が昨年の10月から携わっている団体も,子どもたちのための支援活動を行っております。
大震災から8か月が経たちまして,時が過ぎても,被災地で暮らす人々,住み慣れた土地を離れて暮らす人々,
そして,大変な生活を余儀なくされている人々に心を寄せながら,思い続けながら,
人々の心身の健康や子どもたちの成長を長期にわたって見守る活動などを,これからも関わっていくことができればと思っております。

殿下
(妃殿下のご回答をお聞きになった後,妃殿下をご覧になって)印象に残ったことは。

記者
お願いします。是非。

妃殿下
(少しお考えになって)印象に残ったことは,先ほどお話ししましたことと重なりますが,
被災された方々とお目にかかり,お話を伺わせていただく中でも,ご自分たちが非常に厳しい,
大変な状況で過ごしていらっしゃるにもかかわらず,
私たちが伺ったことに対してお礼の言葉や優しい言葉をくださったり,
(少しお考えになって)いろいろな方と出会い,そして,いろいろな方の思いを伺わせていただきながら,
多くのことを感じ,また,その時を大切に思いましたことです。
被災地では,子どもたちが私たちに,夏ですから団扇うちわとか,ビーズで作った腕輪など,
(殿下を振り向かれて)それから風鈴もございましたか。
それは宮城県の小学生が作った・・・

殿下
(妃殿下をご覧になって)そうですね。

妃殿下
子どもたちの手作りの作品や大切に育てられたお花を頂きましたり,手作りの「まけないぞう」でしたかしら,
被災されたご婦人方がタオルで作られたかわいい象を贈物として頂きましたけれども,
そういう物も手元に置きながら,宮様そして子どもたちと共に,
今年起きた大震災について思い続けたいと思っております。
また,私は先週も東北地方を訪れておりましたけれども,
そのような中で,地域地域の皆さまそれぞれのつながりがあり,
また,強い絆きずなを持って過ごしていらっしゃることを改めて感じました。
それぞれの方が今,時間の経過とともに生活も様々でいらっしゃっていて,
その中でこれから寒さも厳しくなって,
健康の面でも案じることがいろいろとございます。
(しばらくお考えになって)何か話がまとまりませんけれども。(殿下を振り返られて)

殿下
(妃殿下をご覧になって)じゃあ,ちょっとまとめるね。
やはり,私が思いますに,いろいろな機会に,ここ何箇月かの間に被災地を訪れています。
私たち二人もそれから娘たちも行っておりますが,これからだんだん復興に向かっていくその過程で
物理的に何かをするのは難しいこともありますけれども,
何らかの形で携わりながら見守っていきたいなと思います。

妃殿下
(殿下をご覧になって)ありがとうございます。

問2 両殿下にお子さま方について伺います。
(1)今年は,眞子さまが成年皇族として新たな一歩を踏み出されました。
眞子さまが成年を迎えられた感想はいかがでしょうか。20年間の思い出とともにお聞かせください。

殿下
私たちが結婚したのが1990年で,眞子が1991年に生まれました。
私たちが今まで21年間,娘が生まれてからだと20年間ですが,
この時間というのは割とすーっと過ぎて,余り時の経過を感じないように思うわけですけれども,
生まれた子どもが20歳になる,その成長を考えると,
やはりそれ相応の時間が経たったのだなという感じがいたします。
20年間の思い出と言いますと,私はそんなに娘と遊んだりとかはしなかったのですけれども,
やはり,二人でどこかに行ったということが印象に残っております。
子どもの頃に水族館に連れて行ったこととか,神宮の次期式年遷宮がありますけれども,
その関連行事の御木曳おきひきに二人で行ったこと,
それから,海外も2回ほど二人で行きました。海外にはマダガスカルとラオスに行ったわけですが,
やはり一緒にいる時間が長い分,例えば長いドライブをしている間とかに,いろいろ話をしたりしました。
そういうことが,私の記憶にはよく残っております。比較的いろいろなものに興味を持つ子なものですから,
どちらかというと父親の興味に付き合ってくれていると,合わせてくれているというところもありますけれども,
そのようにして二人で行ったいろいろなところのことが,良い記憶として残っております。

妃殿下
小さかったと思っておりました長女の眞子も,いつの間にか成長して20歳を迎えましたこと,
感慨深く思っております。
小さいときのことをふり返りますと,眞子は本を読むこと,
それから絵を描くことや外で元気に遊ぶことが大好きでした。
どのような思い出があるかとふり返りますと,たくさんございまして,
宮様のように具体的にどれにしようかと悩んでしまいますが,
普段の生活の中で,とても元気に楽しいことをたくさんしてくれた娘のように思います。
一緒に外で遊んだり,本を読んだり,お菓子を作ったりなど,一つ一つ小さなことですけれども,
私にとりまして,とても大事な思い出になっています。
この20年の流れは,ふと今日感じましたことの中に,長男の悠仁と本を読んでおりましたのですが,
その本が実は眞子が小さいときに読んでいた本でございました。眞子と一緒に読んでいた本で,
表紙も大分読み込まれたようなものでしたけれども,それを手に取って悠仁に読んでおりました時に,
小さい頃から本が大好きだった娘の思い出が蘇よみがえってきました。眞子と一緒に読んでいた本,
又は,眞子が読んでいた本を次女の佳子が読み,今は悠仁が読んでおりまして,
何かそのように一つの本が大事に読み継がれていくのをうれしく,また,時が経たっていることを感じました。
先ほど,小さかったと思っておりました娘がと言いましたが,随分大きくなったという印象もございます。
どういうところでそのように感じるかと申しますと,
例えば,日々の生活で私がいろいろな務めや用事で慌ただしくしておりまして,
いつの間にか肩に力が入り過ぎたりしたようなときは,緊張をほぐすためにでしょうか,面白い話をしてくれます。
また,これは私が小さいときからそうなのですが,時折,話すテンポが,子どもたち,
(殿下を振り向かれて)宮様からも遅れてしまうことがございまして(一同笑い),
そういうときには,さりげなくフォローする言葉をかけてくれまして,私も大変助かります。
娘が20歳を迎えましたが,その成長の過程では,両陛下が初めての孫としても,いつも優しく見守ってくださり,
また,私が子どもを育てる上でも,多くのことを教えていただきました。
今日まで娘を温かく見守ってくださった方々に感謝しますとともに,また,これからの日々,
娘そして(殿下を振り向かれて)家族と共に充実した日々を過ごせるようにと願っております。

(2)成年皇族として,どのような姿勢でご公務に臨まれるようにお話をされているでしょうか。

殿下
私は,何か公的な行事を依頼された場合には,せっかく頂いた機会ですので,
それを一つ一つを大切に一生懸命務めるようにと申しております。

妃殿下
成年として,公的な活動に携わっていくようになりますが,この前,ブータンの国王王妃両陛下をお迎えする,
(殿下を振り向かれて。殿下うなずかれる)歓迎申し上げる宮中晩餐会に出席させていただきました。
成年を迎える前のことを少し思いますと,宮様と私は,娘たちと共に,例えば全国高等学校総合文化祭や,
少年の主張全国大会など,娘たちと同年代の人たちが参加する行事に出席して,
またその行事についての説明を一緒に受けて理解を深めるよう心がけておりました。
これから一緒に出席する行事がどのくらいあるか分かりませんが,一つ一つ携わらせていただくお務め,
行事など,その経験を大事に積み重ねながら,また,様々なことを学びながら
良い務めを果たしていけるように願っております。
また,公的なお務めをさせていただく中で,娘は今,他の学生と共に勉学に励み,
また,クラブ活動に参加して,若くて爽やかな学生生活を送っていますが,
宮様のときもそうでいらしたと思いますし,
また,他の皇族の方も,学生生活に重きを置きつつ,公的な活動に携わられていらしたと伺っておりますので,
娘もいろいろと考えながらお務めしていくことになると思います。

(3)また,眞子さまのご結婚についてのお考えをお聞かせください。

殿下
(微笑まれながら)彼女が,この前会見で,父親が自分の年齢のときには
既に結婚のことを考えていたようだけれども,自分はまだそういう考えはないと確か言ったと思います。
確かにそれはそのとおりですし,私たちも割と早く結婚しましたけれども,
これはあくまでも本人次第ですので,考えというのは今のところ私には,特にありません。

妃殿下
宮様と同じように,結婚についても,本人の気持ちを大切にしたいと思っております。

(4)佳子さまは来年,高校3年生に進級されます。進路についてどんな話し合いをしていらっしゃいますか。

殿下
私も時々次女と進路については話すことはあります。ここで具体的なことはお話しできませんけれども,
娘なりに恐らく真剣に今後の進路のことについて考えていると思います。

妃殿下
次女の佳子は今高校2年生でございます。中学に比べますと高校の授業は選択科目が増えまして,
自分の関心や興味を深める機会が多くなっているように思います。これからの進路については,
長女の眞子のときと同じように娘の考えや希望を聞きながら,
少しずつ具体的に詰めていく過程を見守ってまいりたいと思います。

(5)悠仁さまは5歳になりましたが,日々どのような教育方針で接していらっしゃいますか。

殿下
去年おととしくらいでしたか,教育方針ということについて質問を頂きましたが,
私は基本的にそのときと同じ考えで,これから幼稚園,今,年中組ですけれども,
年長組それから小学校,中学校,高等学校と進んでいく中で
きちんと社会生活を送れるようになってもらいたいなと思っております。
また,そういう中で,ある時期になれば自分の立場もきちんと認識しなければいけませんけれども,
それとともに自分が関心を持っていることを伸ばしていってくれたら良いと思います。
ただ,やはり若いうちというか子どものうちというのは,できるだけ広くいろいろなものに触れておいた方が,
裾野が広がると言いますか,よろしいと思いますので,
そういう方向に,サジェスチョンのようなことができれば良いかなと思います。

妃殿下
教育方針についてですが,確か一昨年,それ以前にもお話ししましたように
基本的な生活習慣や身につけるべきことは年齢に合わせてございますので,
大切に学べるように心がけたいと思いますし,先ほど宮様もお話しされましたけれども
幅広い経験を重ねていくことも大事だと私も思いますので,
生活の中でそのような機会を考えたり,環境を作っていくことができたらと思います。
毎日,元気に幼稚園に通っており,集団生活の中でお友達と一緒に遊ぶことで喜びがあり,楽しみがあり,
また,様々な経験をすると思いますし,幼稚園から戻ってきてから,
あるいはお休みの日に,悠仁が関心を持っていることや
してみたいことができるような機会を作っていくことができたらと思います。

(6)悠仁さまのご成長ぶりや,眞子さま,佳子さま,また年齢の近い愛子さまとのふれあいについて
エピソードをお聞かせください。

殿下
そうですね。成長ぶりですけれども,同じ屋根の下に住んでいますから毎日のように顔を合わせていると,
連続的に変化していくものというのはなかなか見えないですね,私からは。
ただ,確かに去年の誕生日と今年の誕生日では体も大きくなっていますし,
それから,例えば,木にすたすたと登っていくのを見たりしますと,
去年だったら余りできなかったのかなと思ったりすることもあります。
また,一緒に本を見ながらあれこれと虫や恐竜のことなどなど,話す会話の量も増えて。
そんなところが成長の様子なのかなと感じます。また,これも非常に不思議なことですが,
先日,いわゆる着袴の儀というのが行われましたけれども,
何となく,袴を着けると大きくなったように見えてくるのですね。
(妃殿下を振り向かれて)私だけかね。

妃殿下
(殿下をご覧になって)私もそのように。(と,うなずかれる。)

殿下
そんなところが成長のその様子と言いましょうか。後は何でしたか。

記者
眞子さま,佳子さま,そして,一番悠仁さまに年齢が近い愛子さまとのふれあいのエピソードについて。

殿下
そうですね。その辺りはどうでしょうね。上の二人の娘とよく何か鬼ごっこをしたり,
鬼ごっこって言うのかな。(妃殿下を振り向かれて)

妃殿下
(殿下をご覧になって)走り回ったり。

殿下
走り回って遊んでいることはあるけれども。(妃殿下をご覧になって)どうでしょう。
私は余りよく知らないので・・・。

妃殿下
(少し考えられる。)そうでございますね。
今年は,敬宮さまと子どもたちが一緒になる機会というのは限られておりましたが,
一緒に4人で過ごしているときはいつの間にか子どもたちだけで楽しそうに語り合ったり,
また,敬宮さまが宮邸の方にいらした折には,いろいろなおもちゃがございますので,
皆で楽しめそうな物で本当に声を弾ませながらおもちゃを積み上げたり・・・。
後は,4人の中で悠仁が一番小さいものですから,3人のおねえちゃまの周りを
うれしそうに走り回ったりすることもございまして,
そのような,微笑ほほえましい光景を目にすることが度々ございます。
以前から御所に参内させていただきました折も(4人の)子どもたちで
いろいろな楽しい話をしていることもございましたように,
こちらの宮邸でも,20歳から5歳まで,15歳の年齢差はございますが,
余りそういうことも感じないような楽しい空間を作って。(殿下を振り向かれて)

殿下
(妃殿下をご覧になって)そうね。子どもたちが4人でいるととてもにぎやかな。ありますね。

妃殿下
そのようなこともありますからでしょうか,11月の上旬に敬宮さまが入院されましたとき,
子どもたちも心配しておりましたが,そのお後にご回復されたことを伺い,とても安心しておりました。
質問前半の悠仁の成長ぶりについてお話をさせていただきます。長男の悠仁は,9月に5歳になりました。
幼稚園での生活も1年半が経たちまして,随分慣れてきたように感じられます。恐らく,年少,
そして今,年中として,いろいろと行事に参加したり,
また遊びも広がったりする中で,昨年に比べると積極的に関わる姿が見られるようになったと聞いております。
例えば運動会についてお話しいたしますと,昨年は初めての運動会ということもございまして,
他の年少のお友達と共に,運動会っていうのは何だろうかと,
むしろ戸惑って少し立ち止まって考えるようなこともございましたけれども,
今年は随分いろいろな競技やお遊戯でしょうか,楽しそうに元気に参加している様子が見られまして,
そういうところでも成長を感じました。

殿下
(妃殿下をご覧になって)何度も手を振ってくれたね。

妃殿下
(殿下をご覧になって)大分心に余裕があったのでしょうか,うれしそうに満面の笑みで手を振っていました。
また,宮様が玉入れをしているときも「頑張って。」って他の子どもたちと共に応援をしたりもしていました。

殿下
(妃殿下をご覧になって)それは玉入れをしていたから私は分からないですけど。(一同笑い)

妃殿下
(殿下をご覧になって)勝ちました時はとてもうれしそうにしていました。
その他に,運動に関連してということになりますが,私たちが5月に岩手県の山田町を訪れました。
そこの小学校で体育の授業,体育館で全校生徒が体操を見せてくださいました。海の子体操でしたでしょうか。
音楽に合わせて,とても活発な動きをいたします。
夏休みのことなのですけれども,その海の子体操のDVDを悠仁と一緒に見る機会がございまして,
それを見ましたら,悠仁が海の子体操をしたくなりました。
動きが小学生向きで,難しい動きもございましたが,悠仁なりに頑張って毎日というか,
時間があると一日に一回するようなことをしておりました。
一人ではなく,私は側そばにいることも多いので私と一緒にしたり,また父親とも一緒にしたり,
元気な自分の姉たちとしたいということもあって,家族一緒になってしておりました。
何か自分のしたいことをできるようになりたい,
そういう気持ちを表現するようになってきたことも,大きくなったと思う時でした。
最近関心を持っていることを一つお話しいたしますと,紙工作という言葉でございますでしょうか。
(殿下を振り向かれて)

殿下
(妃殿下をご覧になって)ペーパークラフト。

妃殿下
(うなずかれる。)ペーパークラフトに凝っております。図鑑を開いて,例えば魚とか恐竜とか,
何か良さそうなものを選んでそれを紙に描いて,はさみで切って,そして色を塗っておりますけれども,
恐竜などは非常に大きなものがございまして,そういうものは紙を貼り合わせて作りました。
出来上がった喜びを家族にも伝えたくて,私たちが出かけているときは戻ってから「できたよ。」って報告したり,
大学や高校から戻ってくる眞子,佳子に早く見せたいということで,心待ちにしていることもございました。

問3 眞子さまが成人を迎えられたのを機会に,あらためて殿下に皇統の継承についてお伺いします。
現行の皇室典範の下では,眞子さま,佳子さまもご結婚後,皇籍から離れることになり,
将来的には宮家の数が減って皇統の安定的な継承が難しくなると共に,皇室のご活動の幅が狭まる恐れがあります。
殿下は一昨年の記者会見で「国費負担という点から見ますと,皇族の数が少ないというのは,
私は決して悪いことではないというふうに思います」と述べられました。
皇族の方々の東日本大震災の被災地でのご活動が続いてきた中で,現在のお考えをお聞かせください。
殿下はこの1年間で,皇太子さまと皇室の将来のあり方についてどのようなお話を交わされたでしょうか。

殿下
恐らく皇室が今後どういうふうに存在するのか,その在り方と関係すると思います。
私は以前に皇族の数が少ないことは国費負担という意味において悪くはない,ということを申しましたが,
この考えは今でも変わっておりません。
一方,現在の皇室というものをそのまま維持していくためには,やはり一つの集団というか,
ある一定の数というのは当然必要になってくるわけです。国費負担の面,
一方で,今ご質問にもありました,活動の幅,継承,そういうことを合わせて,
それにふさわしい数というのは多分あると思いますけれども,
それは私には分かりません。
いわゆる皇室の制度については,皇室典範があります。
制度論については,これは国会の論議に委ねることになるわけで,
私が何か言うということではありませんけれども,その過程において,今後の皇室の在り方を考えるときには,
何らか,私若しくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあって良いと思っております。
皇太子殿下との皇室の将来の在り方について(のお話)ですけれども,
今年は少し私が怠けていたところもあるかと思います。
去年ほどそれについての話はしておりませんが,話合いをしたことはあります。
ただ,その内容については,ここでは控えたいと思います。

問4 殿下に伺います。天皇陛下は2月,心臓の冠動脈に硬化や狭窄が見つかり,
11月には気管支炎の症状で入院されました。
皇后陛下は7月以降,頚椎症性神経根症や下腿筋膜炎による痛みや腫れの症状が出ていらっしゃいます。
陛下のご公務のあり方について,殿下は昨年の記者会見でも,
負担軽減は常に考えていかなければいけないというお考えを述べておられます。
しかし,特にこの1年は,震災に伴う行事の変更や被災地へのお見舞い,節電など,
両陛下にとって例年にない形でのご公務が多くなりました。
両陛下のご健康やご公務のあり方について,どのような考えをお持ちでしょうか。

殿下
天皇陛下の公務,それから両陛下の公的なお務めとご健康のことというのは,
非常に関係してくることだと私は思います。
いわゆる公務と言われる国事行為は,数を減らすとかそういうことはできないわけですね,臨時代行とかでない限り。
それ以外の公的なお務めについては,何年か前にそのようなことから,負担軽減が図られております。
例えば,行事の内容を少し短くするとか,行事の間にちょっと休憩,ポーズを入れるとかですね。
それから非常に大きかったのは,お言葉を無くす行事が大分多くなりました。ご承知かと思いますけれども,
陛下は一つ一つの行事におけるお言葉というのを非常に大切にしておられますので,
それに使われている時間,労力というのは大変なものがあります。
そのようなことから,ご自身も言われていますけれども,かなり軽減は図られてきたものと思います。
ただ,本年のことを言えば,東日本大震災が起こり,その後の各地へのお見舞いがあったり,
大震災の被害等に伴う進講があったりなど,
お務めの量が非常に多かった,ある意味特別に多かった年だと言えます。
この1月から11月までの間で見ましても,ここ数年の中では断トツに今年が多いというのは事実です。
やはり両陛下とも喜寿を過ぎておられます。そのようなことからも,
今までにかなりの公的行事の見直しということはなされてはおりますし,
年をとっても,ある程度の忙しさがあることが健康を維持する上では大事なこともありますけれども,
宮内庁には,これからの行事の在り方を今の状態でずっといいのだという認識ではなくて,
常に医師とも連携を取りながら柔軟に対応していくことが私は必要だと思っております。

問5 殿下に伺います。今年もご公務やご研究で忙しい日々を過ごされてきましたが,
この1年間を振り返っての感想をお聞かせください。
両陛下,皇太子ご一家とのご交流も含め,心に残っている出来事はおありでしょうか。
これからの1年間の抱負とともにお話しください。

殿下
この1年,私の公的な活動,それから研究などを通して言いますと,
やはり,一番にあるのは東日本大震災であります。
私たちも各地を訪れて,そこで被災された方たちにも会って,その当時の様子などを聞いたりもいたしました。
その中で,先ほどともちょっと重複になりますが,肉親を亡くした人もいますし,家が流された,
それから原子力発電所の事故があって避難を余儀なくされている,そのような人たちが,
これは私がお会いした人たちですけれども,その多くがより前向きに日々を過ごしている様子が,
私は非常に,この1年を通してみても印象に残っております。
そして,そのような中,8月の上旬に全国高等学校総合文化祭が福島県で開催されました。
当初は開催をどうしようかということが随分いろいろ議論になったようでありますけれども,
全国から高校生が集まって,これはひとえに実行委員会の熱意に,それから努力によるものだと私は考えますが,
残念ながら幾つかできなかった種目(部門)はあるものの,かなりのものを行いました。
開会式で行われる構成劇も,今回の震災が起こる前までに用意していたものではなくて,
震災が起こってから,日本,被災地の復興ということを考えた「ふくしまからのメッセージ」という
タイトルだったと思いますが,
そういう構成劇を新たに地元の高校生たちが作ったわけですね。
私は,福島県の高校生がそのように非常に生き生きと今回活動し,
さらに全国から高校生が大変な数,福島県に集まったという様子を見たときに,
非常に大変な状況の中に,何か明るいものを見た感じがいたしました。
一方,ご質問にあった,研究,私の行っている研究についてですけれども,昨年までかなり長い期間,
タイの研究者との共同研究を行っておりまして,それがまあ,(妃殿下を振り向かれて)昨年でいいのですよね。

妃殿下
(殿下をご覧になって)はい。

殿下
昨年の3月に,サイアム・ソサエティというところから本として出版されております。
それで,最初のフェーズは一応一段落ついたという感じはします。
ただ,やり残していることもまだたくさんあります。これは抱負のようなものになるのかもしれませんけれども,
そこでやり残したことというのを,またもう少し続けてみたいなと。
私の研究は,キーワードはドメスティケーション(家畜化)なのですね。
タイの人たちと一緒に仕事をしながら自分自身で感じるのは,鶏のドメスティケーションを考えるときに,
タイのみでなくて,もっと広くアジアを見る必要があるし,もうちょっと言えば,
他のヨーロッパとかそういうところに,世界的に広がっているものを知る時に,
やはり,そういうところを少し見ていかなければいけないなという気がしました。
私の場合,時間を長く取って,海外の方に調査に行くということはなかなかできませんけれども,
何年かに一度くらいはですね,現地へ足を運んで,自分で実感をしてみたいなと思います。
最近,現地に足を運ぶことが意外と少なくなってくると,大学で講義をしていても,
最初の頃はかなり自分の体験に基づいて話をしていたのが,だんだん人の受け売りが多くなってきて,
若干それについて,恥ずかしいこともあるものですから,
そんなことも今少しこの1年をふり返って考えているところであります。
それから,両陛下ですね。両陛下との交流という点で言いますと,
毎年例えば葉山であるとか那須であるとか御料牧場であるとかに,ご一緒する機会があります。
葉山はちょっと短めなことが多いのですけれども,今年も2回ほどは葉山に,
(妃殿下に確認されて)2月と6月の2回ですね。

妃殿下
(殿下をご覧になって)そうでしたね。(と,うなずかれる。)

殿下
ご一緒しましたけども,夏の期間にはうまく時間が合わなくて,ご一緒する機会はありませんでした。
ただ,長男が夏の時期に,昆虫採集に興味があるというのか,虫を探すことに興味があったものですから,
この赤坂御苑よりも恐らく種類数でいうと,皇居ははるかに多いと思うのですね。
そういうことから,夏の一番虫の多い時期にはほぼ毎週に近かったですよね。(妃殿下を振り向かれて)

妃殿下
(殿下をご覧になって)はい。

殿下
皇居の方に行って,御所でご挨拶して,それで虫取りに吹上御苑に行くということがありました。
そのようなときに,陛下も息子の虫好きを知っておられますので,
普通だったら草刈りをしてしまうところをそのままに残して,
虫がたくさんいられるような環境を作っておいたりとか。
それから,暑い時期,当然短い期間ではありますが,
ほとんど(毎週)家内と息子が二人で虫取りに出かけていくわけなのですけれども,
それでも短時間,息子の悠仁に誘われるようにして,(陛下も)ご一緒に昆虫採集・・・(少しお考えになる。)

妃殿下
(殿下をご覧になって)虫探し?

殿下
(妃殿下を振り向かれて)虫探し?

妃殿下
(殿下をご覧になって)観察も・・・

殿下
観察,そういうことがよくありました。
皇太子同妃両殿下のところとの交流については,残念ながらそれほど多くはありません。
ただ,先ほど家内がお話ししたように,秋口でしたか,みんなで集まったときに,
子どもたちが集まって,非常に和やかというか,にぎやかというか,
一時を過ごしていたということが私には印象に残っております。以上です。

関連質問 先ほど,陛下のご公務についてのやり取りがありましたけれども,
先ほど殿下は陛下のご公務について,宮内庁は医師と連携を取りながらですね,
更に柔軟に考えていくべきだというようなことをおっしゃいました。
宮内庁もですね,これまでいろいろ陛下のご公務の負担軽減に対しては,
かなり苦心をされて,いろいろ工夫をしてきたと思うんですが,
なかなか一挙に減らすというのは難しいという状況もあると思います。
そういう中でですね,天皇陛下の公務に対して,定年制を設けたらどうかというような意見もありまして,
例えばある程度の年齢になればご公務というのを減らして,国事行為に専念していただくという,
そういう制度をもう考えていくべきではないかという意見もありまして,私もなるほどと思ったんですけども,
殿下はこの制度から見直すという,そういうお考え方というのはどうでしょうか。

殿下
私は,今おっしゃった定年制というのは,やはり必要になってくると思います。
というか,ある一定の年齢を過ぎれば,人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなっていきますので,
それは一つの考えだと思いますけれども,じゃ,どの年齢でそういうふうにするか。
やはりある年齢以降になると,人によって老いていくスピードは変わるわけですね。
だから,それをある年齢で区切るのか,どうするのか,
そういうところも含めて議論しないといけないのではないかと思います。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

この会見のマスコミの取り上げ方

秋篠宮さま:46歳に 「被災者に心を寄せていく」
秋篠宮ご夫妻は、秋篠宮さまの46歳の誕生日を前にした記者会見で、
東日本大震災の被災地を訪れた際の体験に触れ、皇室の役割として「復旧・復興を長期的な視野で見守り、
被災者に末永く心を寄せていく」などと語った。
ご夫妻は震災後、東北各県を訪問。秋篠宮さまは「大変な状況の中にあって、
私たちが接した人々は、非常に前向きな姿勢で一日一日を過ごしているという印象を持ちました」などと述べた。
紀子さまは、被災地の子供らから受け取ったビーズの腕輪などを手元に置いていると明かし、
被災地を度々訪れる中で「人々の強い絆」を感じたと振り返った。
10月に成人皇族となった長女眞子さま(20)には、秋篠宮さまが公務について
「一つ一つを大切に一生懸命務めるように」と話しているという。
眞子さまの結婚や、次女佳子さま(16)の進路については、ご夫妻とも本人の希望を尊重したいとの考えを示した。
「着袴(ちゃっこ)の儀」を今月行った長男悠仁さま(5)について秋篠宮さまは
「木にすたすたと登っていくのを見たり、虫や恐竜のことなど話す会話の量も増え、
成長の様子なのかなと感じます」と話した。【川崎桂吾】
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111130k0000m040149000c.html


天皇公務「定年制」:秋篠宮さま「肉親の情」の発露
秋篠宮さまが、天皇陛下の公務について、「定年制も必要」との考えを記者会見で語った。
憲法には、天皇の公務に関し、首相の任命や法律の公布などの「国事行為」が規定されているだけだ。
だが、植樹祭や国体への出席、海外の賓客の接遇など公務にあたる「公的行為」は数多い。
初めて現憲法下の象徴天皇として即位した天皇陛下は、皇后さまと共に、
国民の中に入っていくことで「国民と共にある皇室」を示してきた。
公務が年齢と共に減るどころか増える傾向すらあり、宮内庁の09年発表によると、
昭和天皇の74歳の時と比べ、東京都内や地方への「お出まし」は約2.3倍になっていたという。
「公的行為」に当たる災害被災地慰問にも即位後の両陛下は心を尽くしてきた。
東日本大震災後は、7週連続で被災者らの見舞いをハードな日程でこなした。
今月の入院に際し、宮内庁は「疲労が相当蓄積し、お身体(からだ)の抵抗力が低下している」と説明した。
秋篠宮さまの「定年制」言及は、まさに陛下が入院中の発言であり、
法改正などが伴う制度創設を念頭に置いたものではなく、
公務を思い切って削減すべき時期に来ているという「肉親の切なる情」の発露と見るべきだろう。
宮内庁は負担軽減を図ってきたが、一層の見直しが「喫緊の宿題」になっていると言える。【大久保和夫】
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111130k0000m040150000c.html


秋篠宮さまの発言に官房長官「コメント控える」
藤村官房長官は30日午前の記者会見で、秋篠宮さまが一定数の皇族確保や、
天皇陛下の定年制の必要性に言及されたことについて、
「制度論は国会の議論に委ねることを前提として、考えをお述べになったと理解している。
個々の発言の内容に政府としてコメントするのは差し控えたい」と述べた。
(2011年11月30日13時07分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111130-OYT1T00624.htm


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週刊文春2011月12月8日号
皇太子両殿下との交流はそれほど多くありません」
秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま「孤絶」の全深層
天皇に定年という制度は必要
皇太子ご夫妻はどう受け止められたか
秋篠宮殿下の誕生日に先駆けて、11月22日、(誕生日)会見は実に1時間半に及んだ。
「(途中までは)悠仁さまとのほのぼのとしたエピソードなどを披露されていたのです。
そのあと突然、きっぱりと断言された」(宮内庁担当記者)
<皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くはありません>
秋篠宮の淀みない口調に、約25名の宮内庁担当記者たちは息を飲んだという。
「やはり、という気持ちと、そこまではっきり仰るのかという驚きの両方がありました。
皇太子ご一家となぜ疎遠なのかは何も語られないままでした」(同記者)
記者が三問目の質問を読み上げた。
「眞子さまが成人を迎えられたのを機会にあらためて殿下に皇統の継承についてお聞きします」の問いに、
<皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。
その過程において、今後の皇室の在り方というものを考える時には、
私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってもよいというふうに思っております>と
慎重に言葉を選びながら述べられた。
この言葉は、いみじくも現在の秋篠宮の皇室におけるお立場を象徴するものだった。
「発言の主旨は09年の誕生日会見と同じ。が、“主語”が変わった。
09年のときは『(皇室の在り方については)その当事者となる皇太子ほかの意見を聞く』というように、
当時は『皇太子ほか』が主語でした。今回は『私、もしくは皇太子殿下』と述べられている。
つまり、皇太子より前に『私』という言葉を持ってきたのです」(皇室ジャーナリスト)
さらに09年の際は、「自分のことを言うのはちょっとはばかられたものですから、
それで『(皇太子)ほか』というふうに言いました」と遠慮がちに語られていた。
「今回の『私』発言が、無意識によるものだとしても、それだけ今、
秋篠宮の皇室における存在感が増しているということを
ご自身がお感じになっているということの現れではないかと思うのです」(同ジャーナリスト)
会見の終わりには、さらに驚かせる踏み込んだ発言をされていた。
<私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。>
<ある年齢で区切るのか、どうするのかというところを含めて議論しなければいけないのではないか>
この発言の背景について、「穏やかにおっしゃっていますが、現状への強い危機感を、
秋篠宮がお持ちだということでしょう。
これまでの秋篠宮ではなさらなかっただろうご発言です」(同ジャーナリスト)
増していく秋篠宮の存在感。それは宮内記者たちも意見を同じくするところだという。
「(11月15日『ご名代』としての秋の叙勲と褒章受章者の御接見で)秋篠宮殿下は陛下に代わって
“おことば”を読み上げられたのですが、その声が小さくて聞き取り辛かったですね。
一度に500人が出席していたので、後ろのほうの人たちには聞こえなかったでしょう。
それ以外は難なくこなされていました」(受章者の一人)
その2日前、皇太子はご名代の立場で山梨県をご訪問。お召し列車内でカメラを片手にお手振りされたこと、
その後の長野県行啓でのポケットに手をいれたままでの視察が明るみに出た。
「退院されたばかりの陛下が、まだ万全とは言えないご体調で、
その5日後に早くも公務復帰(「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」)されました。
いかに陛下が震災被害を心配されているか、ということです。
その陛下の思いを一番おわかりになっているのは、秋篠宮さまではないかと思うのです。
震災後、秋篠宮ご夫妻は、東宮職と比しても非常に小規模な宮家職員たちに支えられながら、
お見舞いを続けてこられた。
被災地の人々の負担にならないよう、宮家の車で移動され、
宮城県には日帰りで二度に分けて訪問されています」(両陛下に近い千代田関係者)
女性宮家の創設検討という、平成皇室の根本的課題である皇位継承問題が再び注目された。
今回の会見でも秋篠宮はこう述べている。
<以前に皇族の数が少ないことは、国費負担という意味において悪くはないということを申しましたが、
この考えは今でも変わっておりません>
「秋篠宮は今後、具体的に女性宮家創設の議論が進んだ際に必ず出てくるであろう、さらなる国費負担増に伴う
国民感情の反発について、先手を打っておっしゃったのだろうと思います」(皇室研究家)
一方の東宮側には、まだ当事者意識が感じられないという。
「(女性宮家問題について)東宮職は関係ないよ」(中堅東宮職職員)
皇太子ご一家は、11月26日、27日と「初等科祭」を訪れられた。
「2日目はわずか30分差で皇太子殿下、雅子さまが別々に訪れた。ご鑑賞も別々でいらして。
剣道部の練習をご覧になった皇太子殿下は、相変わらず小型のデジタルカメラでバシャバシャ
写真を撮っていらっしゃいましたよ。お一人でリラックスされているご様子でした」(初等科父兄)
これを聞いた前出の千代田関係者は嘆息しつつ、こう洩らした。
「皇太子ご一家はますます国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」
天皇のお見舞いについても、雅子さまは10日に“ドタキャン”されてから結局一度もお見舞いされることはなかった。
18日、ご名代の報告も皇太子お一人だった。
「東宮大夫は10日は発熱、18日は『咳が残っているため医師の判断により』と発表。
しかし皇太子殿下がご報告にいった同日に雅子さまは愛子さまのお付き添いをされている。
なぜ“医師の判断”で同じようにお付き添いも遠慮されないかは説明されない」(同千代田関係者)
一方、秋篠宮は報告も含め、3度も東大病院を訪れている。
「皇太子殿下がご名代のご公務のあと、数日間報告にいらっしゃらなかった。
秋篠宮殿下はご名代の報告も当日にいらっしゃっています。私はあらためて思い起こすのです。
皇后陛下が、あちら(東宮家)とは途絶状態なので、とおっしゃったあの言葉を。
そして、今回の秋篠宮殿下のご発言…。正直なところ、我々もあちらのことはまるで分からないのです。
何も伝わってこないのだから。いま皇太子ご一家はいわば“孤絶”状況です。お誕生日のお言葉は、
現状に危機感をお持ちの秋篠宮殿下から、皇太子殿下へのメッセージだと思います」(別の千代田関係者)


花田紀凱の週刊誌ウォッチング
記者も息をのんだ…秋篠宮さま、衝撃的なご発言
http:// www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/537154/
まさに『週刊文春』(12月8日号)のタイトルどおり、衝撃的なご発言だった。
「秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま『孤絶』の全深層」
11月22日、1時間半に及んだ異例の会見終盤。
秋篠宮さまが、きっぱりとこう断言され、約25人の担当記者たちは息をのんだという。
〈「皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くありません」〉
また、皇統の継承について問われ、
〈「皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。(中略)
その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよい」〉。
2009年の会見の時は〈皇太子ほかの意見を聞くという過程〉と述べられていたのに
今回は〈私、もしくは皇太子殿下〉と述べられたのは、
〈「今、秋篠宮の皇室における存在感が増しているということを
ご自身がお感じになっているということの現れ」(皇室ジャーナリスト)〉。
会見の終わりには「天皇陛下の定年制」について問われ、
〈「私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います」〉。
一方の皇太子ご夫妻は、ますます、
〈「国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」(千代田関係者)〉。
要するに皇室の現状に強い危機感を持たれる秋篠宮さまが皇太子ご夫妻へ向けてメッセージを発したのだという。
皇太子ご夫妻はこのメッセージをどう受け止められるのだろうか。


皇太子ご一家と秋篠宮ご一家 溝生んだ原因は皇位継承問題
2012.01.01 16:00
11月30日、秋篠宮さまは誕生日会見で
「今年は少し私が怠けていたところもあるかと思います」とユーモアを交えながら、
「皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません」
と皇太子ご一家とこの1年間、あまり交流がなかったことを明かされている。
実際、10月の眞子さまの成人を祝う夕食会に皇太子ご一家は参加されず、
11月の悠仁さまの『着袴の儀』の際に行われた夕食会にも、皇太子ご一家は参加されなかった。
『着袴の儀』のときは、愛子さまが入院されていて、雅子さまはそれに付き添っていたために欠席となったのだが、
もともとこの日は、皇太子ご一家は葉山御用邸でのご静養を計画されており、
最初から食事会に参加する予定ではなかったということになる。
両家の溝を生んだ最大の原因は、皇位継承問題といわれる。
「皇位継承順位第3位の悠仁さまが、継承権を持たない愛子さまと、金銭的な面にしてもお世話をする人員にしても、
あまりに待遇が違うことに、秋篠宮家としても複雑な思いがあるのだと思います」と宮内庁関係者は語る。
しかし、両陛下の体調が万全でない現在、もっと大事なことがあると秋篠宮さまは気づかれているという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、こう語る。
「秋篠宮さまは、いま皇室が抱えている大変な状況を誰よりも真剣に考えていらっしゃると思います。
秋篠宮さまは、皇太子ご夫妻に将来の天皇として、そして皇后としてリーダーシップを取っていってほしいと
願われているんだと思います。
だからこそ、会見であのようなことを話されたのは、兄君である皇太子さまに向けて、
もっと両家で会う機会を増やして、話し合い、協力しあって、
両陛下を助けていかなければならない時期に来ているんだというメッセージを送ったのではないでしょうか」
※女性セブン2012年1月5・12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120101_77612.html

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