もう一度だけ皇太子さまへの御忠言

WiLL-2008年9月号
西尾幹二 「もう一度だけ皇太子さまへの御忠言」より

−皇室のことは皇室にお任せしておけばよい、というレベルを越えているかどうか、
人によって考えは異なるが、越えていると考える人が増えているのも事実である。
国を思い、皇室の行く末を我が身のことのように気にかけ、心配している人はことにそうである。
心配しない人がすべてお上にお任せでよいと思っている。
国民に違和感を与えている−日本人が歴史の中に見てきた皇室のイメージに合わない−をいっさい見ない。
いっさい触れない。問題はまるきりなにもないことにしている。
そしてご病気だということのみを強調して、ご病気は放って置けばそのうちお治りになり、
全体としてさしたる心配はなにもないといい、国家と国民がやがて被るかもしれない混乱について想像力を働かせない。
−ご病気とは別個に、ご病気以前からの雅子妃に、このまま皇后陛下になられることへの不安を感じている人が多いのだ。
皇室を変えてしまうのではないかという不安である。
福田(和也)氏が、「皇后陛下になったらいきなり回復する」「自己主張する機会が増えます」は言い得て妙で、
裏返せば今は猫をかぶっておられて、皇后になったら皇室をご自分流にしてしまうことを皆は心配しているのに、
福田氏は心配なことは何もないことにして、いやなことは見ない、考えないの極楽蜻蛉の典型である。

−WiLL編集部の問い合わせに対する宮内庁東宮職の回答では、
平成18年から平成20年現在までに約30回、妃殿下の国連大学ご訪問があるという。
しかも国連大学の建物内に妃殿下のための「個室のようなもの」が用意されていることも突き止められた。
妃殿下が国連大学に通われるに当たり不自由しないためではあるが、
奇妙なことにこの個室の存在を宮内庁東宮職は知らない。
東宮大夫は訪ねて確認もしていない。
東宮大夫は情報公開においても不熱心であり、皇太子殿下に直に各種のことでご忠告できる唯一の立場でありながら、
はたしてそれをしているのかもつねづね疑問に思っている。

−小泉信三はこう書いている(昭和25年)
「常に殿下(今上陛下)にくり返し御考へを願わねばならぬことは、
今日の日本と日本の皇室の御位置及び其責任といふことであります。」
「開戦に対して陛下(昭和天皇)に御責任がないとは申されぬ。
それは陛下御自身が何人よりも強くお感じになってゐると思ひます。
それにも拘らず、民心が皇室を はなれず、況や之に背くといふ如きことの思ひも及ばざるは何故であるか。
一には長い歴史でありますがその大半は陛下の御君徳によるものであります。」

そうなのである。まさにこのことを「戦争を知らない子供たち」に属する現・皇太子ご夫妻に
しっかりお伝えしなくてはならないと私も思っている。
さりとてお心がけいただくのは「国際化」や「グローバリズム」では決してない。
民心が天皇家を離れることが今後なしとしない危うさを孕んでいる未来において、長い歴史に甘えるのではなく、
新しいご皇族の「御君徳」が何よりも歴史を築いていくのだということを知ってもらいたい。

−昭和20年1月25日、岡田啓介、米内光政、近衛文麿は京都仁和寺の門跡岡本慈航とともに、
京都の近衛の別邸「虎山荘」に集まった。4人はそこで日本降伏のときには、
先例にならって陛下に「落飾」していただくのが皇室を守る一番の策、ということで意見が一致したという。
落飾とは高貴の人が剃髪して仏門に入ることである。先例にならって、というのは、
仁和4年(888年)に宇多天皇が出家し大内山仁和寺と号した例があるし、
明治天皇も万一官軍が敗北したときを考え仁和寺に入御する手はずを整えていたことなどを指す。
岡本慈航の書き残したものがあり、仁和寺としては落飾した天皇を裕仁(ゆうにん)法王と申し上げ、
金堂にお住みいただく計画を立てていたという。
この密談の翌日、虎山荘の同じ部屋に近衛と高松宮が座っていた。
高松宮はまったくのお忍びで、侍従武官さえ連れずに、近衛との密談に入った。
「お上を仁和寺にお連れした後、高松宮様に摂政となっていただき、
皇太子ご成長の日まで皇室の行く末をお守りいただきたい」という近衛の説得に、
宮はうなずいて、「同感だ」と応えたという。
この最初の退位計画は細川護貞、木舎幾三郎(『政界往来』発行者)、
森諦円(仁和寺30代門跡)、酒井美恵子ほかの証言に拠るが、戦後長い間、極秘のままだった。
いよいよ敗戦と決まって、その直後にも近衛は天皇退位を発言しているが、
木戸幸一らの反対にあうと同時に近衛自身の立場が急激に弱くなって、近衛主導の退位説は消えるのである。
昭和20年の宮中では、歳末年始の御儀式は空襲はげしい中でとりやめとなった。
皇女、皇子たちは栃木などに疎開して、宮城に残ったのは天皇と皇后だけであったが、
ほとんど防空壕ぐらしに近かった。3月9日の死者8万人余の東京大空襲の夜、
第一皇女の照宮が麻生六本木で出産した。天皇の初孫は、電灯が消え、水道の断たれた、
焼夷弾、爆撃が絶え間なく頭上で炸裂する地下壕でお生まれになったのである。
5月25日、帝都の山の手の大半がはい灰燼に帰した。宮城も焼き尽くされ、
皇居の職員や警察官33名が殉職した。覚悟の焼死をした者も少なくなかったという。
大本営が移転を計画していた長野県松代への両陛下の疎開は、皇居から動かないという天皇の決意で実現されなかった。
天皇は心痛と激務、食事の粗末さのために10キロ近くもお痩せになった。一汁二菜、七分つきに麦をまぜたご飯で、
配給量も一般国民と同じにせよと何度も仰せられたという。
戦争をどう終結させるかが天皇の心を領している最大の問題だった。
独りごとを言いながら部屋を歩き回るのが天皇の癖だったが、
戦争も末期になるに従い、防空壕の中でもほとんど連日そんなご様子だった。
昭和20年の年頭から、天皇は隠密に終戦工作を進めていたようだ。重臣たちを個別に呼んで、対策をこらしておられたが、
切っ掛けをつかめないまま空しく歳月が流れた。2月1日付けの『細川日記』の中に、
いっさいの皇族をお近づけにならない、との記述がある。
6日付には高松宮が参内する日は朝から興奮しておられる様子だ、と書かれている。
天皇と高松宮との間のある種の軋轢を予想されるが、
日付からいって仁和寺入りのご退位の提案と関係があるのではないか。
『近衛日記』にも、天皇は神経衰弱気味で、しばしば興奮すると書かれている。高松宮が何か上奏しようとすると、
「無責任の皇族の話は聴かぬ」と仰せになら れたという。それが仁和寺の話だとしたら、自分は退位など決してしない、
戦争の責任は自分しかとれない、という秘かなご決意ではなかったろうか。
それだけに悪化する戦局に日ごとに追い込まれていく焦燥感はただならぬものがあったと思う。 
今からは天皇が昭和20年の前半、どんなご心境であったかを正確に窺い知ることはできない。
自分一身のことや皇室のことなど心配しなくてもよい、と言い続けて戦争を終結させた天皇は、
当時、明らかに国民の側に立っていた。
他方、高松宮や近衛文麿 たちは皇統の維持を何よりも重大に考えていた。
しかしこれはどちらか一方でいい、というわけにはいかない、両立させなければならない課題だった。
国が敗れるということが実際にはどういうことなのか、誰ひとりわからなかったのだから、
恐怖も大きかったし、見当はずれも当然あった。
こうして終戦を迎えた8月 末、天皇は木戸幸一に、忠臣たちを戦争責任者として連合国に引き渡すのは忍びないので、
自分が退位して納められないかと戦後のここへきて相談しているが、これは見当はずれの類だろう。
アメリカがとても退位くらいで承知しそうもない、と木戸は応じている。状況認識の甘さを知って、
天皇は一段と決意を高めたものと思われる。

マッカーサーとの会見(9月27日)の日に天皇はGHQに逮捕され、
そのまま帰ってこれないのではないかと皇后や側近たちは心配していた。
これも今からすれば見当はずれの一つであった。けれども日本は敗者なのだから
GHQから指示される前に自分から出向くのが筋だと考え、
天皇は決心し、そのように行動した。マッカーサーはそれを待っていた。
そして天皇を君主にふさわしく扱おうと考えていた。
両者の呼吸はピタリと合ったのである。
しかもマッカーサーは天皇が命乞いするのではないかと恐れていたが、まったく正反対だった。
会見は結果として天皇の立場を守っただけではなく、日本の運命を変えた。
しかし、それはどこまでも結果としてであって、剣が峰に立たされた歳月に未来は不明で、
天皇は法の庇護から見離された「無権利状態」に置かれていたことは間違いない。
しかも自分一個の運命だけではなく、国民の運命と歴史への責任がかかっている。
天皇の孤独の凄絶さは我々の想像をはるかに越えている。
奥日光に疎開していた皇太子殿下(今上陛下)にも危機が訪れていた。陸軍省の少壮将校グループが徹底抗戦を唱え、
玉音放送の録音盤を奪取しようとした事件はよく知られていよう。8月15日に皇太子の身辺にも影響は及んだ。
東部軍第十四師団の一部に皇太子を奉じて、会津若松に立てこもり、最後まで抗戦しようとする不気味な動きがあった。
皇太子を護衛する近衛師団は第十四師団が湯元へ来るのを阻止するため、地雷を敷設し、
陣地を固め、交戦準備を整えた。
地元の民間人までが、湯滝をせきとめ て氾濫を起こし進入軍を阻止する計画をしきりに練っていた。
じつにものものしい。もし本当に内乱が起きていたら、日本の運命は相当に変わっていただろう。
 
−そしてその頃、皇太子に天皇から次の手紙が届けられた。
 手紙ありがとう しっかりした精神をもって 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます。
 国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 
 今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど 
 先生とあまりちがったことをいうことになるので ひかえて居ったことをゆるしてくれ
 敗因について一言いわしてくれ
 我が国人が あまり皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである
 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
 明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があったが 
 今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考えず 
 進を知って 退くことを知らなかったからです
 戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなったので 涙をのんで 
 国民の種をのこすべくつとめたのである
 穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があったら きいてくれ
 寒くなるから 心体を大切に勉強なさい
  九月九日 父より
明仁へ

我々一般人と同じような口調で天皇が我が子にいとしげに語りかけているのを知って、
私には新鮮であるし、哀感を覚える。
9月9日という日付から、天皇の苦衷を察してほしい。ある覚悟の手紙ではなかったかと思う。
皇太子は11歳であった。

−昭和天皇だけはない、私は今上陛下にも保護してくれるもののない、
「無権利状態」の孤独の瞬間があったのではないかと推理している。
それが陛下を人格的に強くしている。
考えてみれば、武装解除は国家の終焉にほかならない。これが境目だった。
ところが国内の閉ざされた市民生活には国外で起こったこの一大事がほとんど響かない。
日本の戦後社会はそうだった。
私の生きた戦後社会は、戦争があってこそ平和があるということがまだ記憶されていた社会だった。
しかし「無権利状態」の限界にさらされた悲劇の日本人の恐怖は置き去りにされていた。
昭和天皇の孤独な戦いを深く理解する者も少なかった。
−今の日本はボコッと真ん中が陥没しかけた段階にきているのではないか。
国家中枢の陥没。それは権力の不在、ないし消滅という形で現れている。

−米国は日本を守る意志がないのなら基地を日本領土内に持つ理由もない。

−拉致問題は党派を超えた唯一の日本の愛国的テーマである。
米政府に拉致をテロ指定させるまでには日本側関係者は辛酸をなめた。
また北朝鮮の核の残存は日本 への直接的脅威である。米国による北のテロ支援国家指定解除の通告は、
完全核廃棄の保証がないのだから、
第一に日本への道義的裏切りであり、第二にNPT体制遵守の無意味化であり、
第三に日米安保条約の事実上の無効消滅である。
しかしこれに対する日本政府、野党、新聞テレビ等の反応は、ひたすら「沈黙」である。
米国への反発の声、否、日本自体の不安の声ひとつ上がらない。
日本という国家の中枢にポカッと穴があき、陥没している証拠のようにみえる。
テロ支援国家指定解除は、北朝鮮に世界銀行その他の国際金融機関を通じて資金の環流を許すことだが、
それらの機関へは日本から巨額が投資されている。
政府は資金を引き揚げる覚悟があるか。
六カ国協議は最初から日本の核武装を封じるための会議であることを私は当初からさんざん言ってきた。
米中露、それに朝鮮半島まで核保有国となる可能性がすでに生じているのが北朝鮮の問題である。
太平洋で日本列島だけが核に包囲されるのを指をくわえて見ていていいのか。
しかし日本の政界はこれに対してもただ、「沈黙」である。
もはや政治的知性が働いていない痴呆状態というしかない。
米国が悪意を持っているという前提で日本人は行動しない。
米国が自分の国の利益だけで動いているという認識を最近は多少は持っていても、
ま、仕方がない、 と黙って引きずられていく。米国や中国の利益に群がっている日本側の資本、
昔でいう「政商」に政治の中枢が絡め取られていて、
いつしか日本は阿片戦争前の清朝みたいになっている。
米国に「武装解除」され、政治と外交の中枢を握られて以来、60年 間操縦席を預けたままの飛行は気楽で、
心地いいので、自分で操縦桿を握ろうとしなくなった。
米国はこれまで何度も日本人に桿を譲ろうとした、自分で飛べ、と。米国人も今や呆れているのである。
もっとも操縦桿は譲っても、飛行機の自動運行装置を譲らないのが米国流儀である。
日本人はそれが嫌になって投げ遣り になったのかもしれない。

1945年までの日本人は、たとえ敗北しても、自分で戦争をはじめ、自分で敗れたのである。
今の日本人よりもよほど上等である。
核保有の第二次大戦の戦勝国が平和をコントロールしているのが今の世界政治である。
戦争をコントロールしているのではない。
平和をコントロールしている。そこに問題の本質がある。
核を持たない国々には手も足も出せない領域が生まれている。平和を武器にされているからである。
核大国はそれをいいことに新しい侵略をはじめている。
領土拡大欲の満足ではもはやない。世界の歴史を塗り替えるという新しい野望の実現を目指している。
ドイツと日本が標的となり、さんざん苦しめられ、今なお苦しめられている問題である。
両国は精神的次元でも「武装解除」された。権力だけでなく権威の喪失を招いた。
奪われた力を何かで埋めなければ国家は成立しない。
日本の空白は良かれ悪しかれ米国の力によって埋められた。米国流民主主義が皇道の代用をなした。
そしてこれはほぼ半世紀以上安定していた。

−ロシア人もドイツ人も「ゼロ時」の恐怖があればこその国家回復への運動を展開したのだった。
ロシア人は容易に回復し、ドイツ人はどん底を脱した程度かもしれない。
しかし日本人は満州や南太平洋からの引揚者、シベリアの抑留者、BC級戦犯、そ
して本稿では天皇陛下を特筆例示し、平穏な日常を破られ「無権利状態」に置かれた人として取り上げたが、
これら悲劇の人々を除く一般の国内居住者は、ついにどん底にもぶつからなかったのではないか。
それが敗者日本の姿ではないか。

皇室も皇太子殿下の「戦争を知らない子供たち」の世代になって危機体験には見舞われず、
自らがパブリックであることをさえ、お忘れになっている。
そのことが今日の日本の権力の不在、国家中枢の陥没を引き起こしている主たる原因ではないか。
国家が失われた恐怖がロシア人をもドイツ人をも襲った。
しかし日本の国内を襲ったのは空襲の恐怖であって、終戦後に空襲はなく、
国家再建は「リンゴの唄」や「青い山脈」で彩られ、国民は絶望からの権力への意思集中の必要を一度も経験しないで
半世紀をうかうかと過ごした。
しかも、力は自分で築かねばならないのに、米国が与えてくれたので、
今その米国が外交と軍事のお手伝いはもう止めますよ、とサインを送ってきているのに、
日本人はボーッとして呆然と立ち尽くすのみである。本当に驚くべき「沈黙」である。
昭和天皇の退位説は戦後も二度ほど表面化している。最初は新憲法発布直後で、天皇はこれを好機とみたようだ。
次は昭和23年5月に三淵忠彦最高裁長官らが道義的責任を求めた発言に動揺してのことである。
この時期、天皇はカソリック教徒になることについてスペルマン枢機卿一行に相談するなど、宗教観が揺れ動いていた。
英国政府代表にエドワード八世の退位の 手続きについて問い合わせる等のこともあったと聞く。
国内で天皇を退位させる勢力は南原東大総長を中心としていたらしい。もちろん、アメリカにもその声はあった。
マッカーサーは左翼がかったアメリカのマスコミなど気にせず、退位の必要はない、と説得していた。
 
天皇の退位論も責任論も国民の心の内で今なお燻っていて、ときどき我々の歴史回顧の議論中にさえ出てくる。
だが、私は昭和天皇がご退位にならず、日本の歴史の連続性を身をもって証明してくださったことは
大変にありがたく、感謝している。もちろん退位論にも二種類あって、
昭和初期、立て続けに女子ばかり4人 お生まれになった直後のこと、
天皇は退位して秩父宮を立てる案が秘かに検討された(工藤美代子『香淳皇后と激動の昭和』に詳しい)。
男系皇統維持のためには天皇家は何でもするという意志の表明で、
逆に男子出生がなければ皇位継承の資格を失うのは天皇制度あっての天皇で、
制度は個人のためにあるのではない証でもある。こういう場合の退位は伝統護持のために十分に理解できるが、
戦争責任による退位などは起こらなくてまったくよかった。
戦争の体験から終戦の「ゼロ時」を経て戦後の復興ならびに経済繁栄に至る長い時間を
お一人の天皇が統治されたことは、日本の歴史には戦前から戦後にかけての連続性があり、
同じ質の時間が流れていて、どこを切っても同じ日本人の体験の歩みであることを
御一人者をもって表現してくださったのである。これは我々の歴史意識にとって貴重である。
ドイツ史には断絶が生じ、日本史にはそれがない。
ドイツ人が信じられない歴史として羨望していることも付記しておきたい。
ドイツは12年間だけ悪魔に支配され、それ以前の歴史にもそれ以後の歴史にも悪魔はいない、
といわんばかりにヴァイツゼッカーなどが語る自己弁解は、思うだに見苦しく、滑稽である。
日本はこの点で幸福だった。昭和天皇のおかげである。ではあるが、国民は幸運に甘え、
あらためて戦前から一貫して変わらない日本人の心の歴史を自覚的に検証し、
継承していこうと務めないことに、今日の行き詰まりがあるように思える。
アメリカ産の歴史の見方、満州事変より後に突然日本は悪魔の国になり、
平和の使徒アメリカがついに起ち上がって悪魔を打ち負かしてくれたという「お伽噺」を
頭の中に刷り込まれたまま、意識して改めようとしていないのではないか。
米国が民主主義を与えてくれて日本を再生させたという迷信に、
一億国民がいまだに完全に支配されていないだろうか。
ドイツのように民族のアイデンティティの危機に陥らないできたのは、
今述べた幸運に属するが、意識的自覚的努力を欠いて、ただぼんやりと日本は嫌いじゃない、といいながら
外国に劣等感をもっているという半端思考の日本人が増えていて、
皇室とはそもそも何であるかの教育も与えられていない。
日本最古の王朝は邪馬台国の卑弥呼だと思い込んでいる人に、皇太子ご夫妻はどこから来たか知っているか、
ただのセレブじゃないんだよ、といくら説明してもわからせることは難しいだろう。
米国は現在、日本の皇室に悪意を抱いているとは思わない。
しかし占領当時の政策には悪意があり、破壊的な狙いがあった。
日本人自らがそれを意識的に克服しようとしなできたことこそが問題なのだ。
占領軍は巧妙で、何をせよとは命令せず、何をするなとだけ禁止した。
例えば各家の戸口に星条旗を掲げよ、等と命令しない。
代わりに占領軍への誹謗には処罰した。 
日本国民にキリスト教に改宗せよなどと無理なことは求めない。
代わりに伝統的信仰、神道と皇室を長い時間かけて亡ぼす策をあみ出していた。
天皇制度は残し たものの、皇室財産の大半を没収し、旧皇族をなくして天皇ご一家を孤立させた。
天皇が人間であるのは自明なのに、わざとらしく人間宣言をさせ、
クウェーカー教徒のアメリカ婦人を皇太子の教育係にした。
天皇が国民と同じ所まで垣根を取り払い、それを皇室の民主化であると言った。
やがて何十年後かに天皇の制度が無力化することを見越した時限爆弾を仕掛けていたのである。
その最もたるものは「焚書」である。何をせよの命令ではなく、何をするなの禁止の極限の形態は、
私が先にも挙げた拙書『GHQ焚 書図書開封』で示唆し、解明した日本の貴重な戦前の書物の没収である。
皇室、国体、天皇、皇道、神道、日本精神といった文字が標題にある書物は、ことごとく没収され、
パルプにされた。これこそ、米国が文明国ならやってはいけない信仰破壊の、先を見抜いた悪質な策謀だった。

以上、敗戦と占領で我が国の精神の中枢が毀され、権力の空白を米国が埋めた、
深刻ないきさつの一部を記述してきた。
−永年日本を支配してきた保守政党のここへきての権力の消滅と並行して、
皇室に対する国民の信頼が少しずつ希薄化している現実は恐ろしい。
国民にも責任があるが、皇室にも自覚が求められている。
砂山の頂点からこの国が崩落しないとどうして言えるだろうか。
皇族にはプライベートも人権もなく、ご存在そのものがパブリックなのだということ、
それが尊厳の根拠なのだということ。
この点の認識において皇太子ご夫妻が不十分であることを私は問うてきたのである。

天皇制度は国民との関係性において維持される。妃殿下がご病気であろうとなかろうと、
国家の問題は消えてなくならない。
皇室の安定と国家の安全保障はじつは切っても切り離せない。
ドイツは安全保障の問題を事実上解消したが、日本はこれからが正念場である。
いつまでも手を拱いている日本を米国は見放して、あと何年もせぬうちにアジア から撤兵する可能性がある。
あるいは、逆に日本を軍事的に半永久的に無力化する約束を中国と交わし
−すでに実際にそうしていると思うが−米中経済同盟の維持を図る。
日本は米中間の取引材料にされ続ける。
いうまでもなく、皇室に政治的役割を私は期待していない。
皇室は「民を思う心」によって国民の崇敬と信頼をかち得ていてくださればよい。
我侭や傲慢は国民が一番忌み嫌う。
私がずっと気懸かりなのは、米中の綱引きの中で中国の手に落ちたネパール王朝の廃絶のドラマである。
王室が国民の中で不評判であったことが最後の致命傷となった。
米中にチベット、インドが絡まる国際的争いの犠牲でもある。
歴史も国力も違うのでネパールと同じ動乱は日本には起こり得ないが、
皇室に対する中国の介入、それに迎合する外務官僚や保守党政治家、
怪しげな特定宗教の 跋扈、そして畏れおおいから皇室批判をしてはいけないと
遠巻きにしてオロオロするだけの保守系言論人と団体
−今からすでに役者は揃っている。皇室が国民に畏敬されている限り、問題は何も起こらないが、
逆にいえばどうでないなら、安全保障の危機に際し、何が起こっても不思議はないだろう。
ノンフィクション作家の佐野眞一氏が宮内庁高官に取材したときのことである。
「環境を雅子妃にとって過ごしやすいものにする以外、治療方法はない」という 斎藤環医師の発言に対し、
高官は「この考え方を敷衍すれば、天皇制は雅子さま制に変わるということです。
到底容認できません」と言ってのけたという。
佐野氏は「皇室はただならぬ危機にあることをあらためて痛感した」。
天皇皇后両陛下と皇太子ご夫妻の関係は
「いまやわれわれが想像している以上に深刻な事態に 突入している」と書いている(『中央公論』7月号)。
もう終わったはずの女系天皇論が、今後またまた亡霊のように立ち現れる可能性もある。
男系皇統を絶たないために古来天皇家はどんな大胆なこともしてきた。
ご誕生日を迎える悠仁親王殿下はあっという間にご成人あそばされる。
言論誌に書く人にも、妃殿下はご病気だ、可哀相だとそんなことばかり言っていないで、
ご病気はご病気、これは個人の治療のテーマ、
それとは別に国家の問題が厳としてあることを片ときも忘れないでいただきたいと申し上げる。
さもなければ公論誌を煩わせる理由がない。
皇統維持のための旧宮家の復活についても、皇族の公務のご負担を軽減すべきことについても、
思い切って京都遷都を図り政治からもっと離れるべきことについても
−そのほうが政治の安定にも役立つ−いろいろ提言したいことはあるが、今回はこれで幕を引く。